当初の目的通り、トラックの港湾施設を叩くべく、環礁への接近を試みます
闇に沈む海面には、日中と変わらず穏やかなさざ波が立っている。押し引きする波が舷側に当たってあげる音が、昼間以上に心地よく響いた。静かなこの時に、今しばらく身を置いていたいものだ。
夜戦仕様で灯火を落としている“比叡”艦橋は、暗夜の静寂に包まれていた。もっとも、そこに詰める角田と比叡、そして幾人かの妖精たちは、緊張感の中で口を引き結んでいる。
敵機動部隊への襲撃という寄り道をした五遊艦と四水艦は、日没から二時間が経った今も、トラック諸島に向けて突き進んでいた。目的は、島々に存在する港湾施設、及び建設中の航空基地の破壊だ。
とはいえ、ことはそう簡単に進まないはずだ。機動部隊は撃破したが、トラック周辺にはいまだ巡洋艦を主体とした警戒艦隊がいるし、場合によっては、敵の遊撃艦隊が増派されているかもしれない。油断は大敵だ。
「後一時間ほどで、トラック諸島です」
報告した比叡の声も、心持ち潜められている。灯火を落としていると、どうしても声は小さくなった。
トラック諸島。深海棲艦の出現前は、チューク諸島と呼ばれていた島々だ。円形に近い配置の島々に囲まれた環礁で、艦隊の投錨地としてこれほど適した場所もなかった。深海棲艦が、ハワイと並ぶ太平洋の拠点としているのも、納得のいく話である。
事前偵察で、敵艦隊が艦隊の投錨地として各種港湾施設を設けているのは、環礁内の東側、四季諸島(ナモネアス諸島)の周辺だ。五遊艦と四水艦は、北東水道から環礁内に突入し、これを叩く。
それと、敵の飛行場も。チューク諸島からの避難時に破壊された、春島の飛行場。そこが、何者かの手によって修復されつつあった。こんなことをするのは、深海棲艦以外に考えられない。
昼間のうちに索敵機から寄せられたこれらの情報から、連合艦隊司令部は港湾施設に加えて建設中の敵基地も攻撃するよう、角田に伝えてきた。
優先順位は付けられていなかった。大きく損傷した“長門”から“陸奥”に移された連合艦隊司令部では、港湾施設を叩くことを優先するという意見が強かった。しかし東郷は「現場の判断に任せる」と言って、あえて優先順位を付けてこなかった。もっとも、これらの経緯は、角田には与り知らぬことである。
―――さて、と。
角田は考える。普通に考えれば、優先して叩くべきは港湾施設の方だ。今回の『IF作戦』第一段階において、最大の目標は敵の継戦能力を削ぎ、次回以降の本格的な攻略作戦への布石とすることだ。
艦隊戦力はともかく、さすがの深海棲艦も、港湾施設を早急に作ることはできない。実際、ハワイもトラックも、本格的な艦隊の拠点として稼働が確認されたのは、その占拠から半年以上をおいてからだ。
港湾施設を優先する理由は他にもある。それは、深海棲艦の航空機に関することだ。航空基地が完成したとして、そこで運用される機体、すなわち深海棲艦が使用する機体は、艦載機である。これは、移動する航空基地―――空母での運用を考えた機体であり、陸上基地で運用される機体に比べて航続距離が短い。
深海棲艦の機動部隊が使用する機体は三機種。正三角形に近い形をした戦闘機(コードネーム“デネブ”)、戦闘機を縦に伸ばした急降下爆撃機(コードネーム“ベガ”)、矢印のような雷撃機(コードネーム“アルタイル”)。そのどれも、行動半径は二百海里前後と見られている。これでは、トラックに基地を作ったところで、空襲できる海域は限定的だし、まして陸地に攻撃を仕掛けることなどできない。
わざわざ滅多打ちにしなくとも、航空基地はさして脅威にならない。であるならば、当然優先すべきは、敵の港湾施設だ。
だが、角田は違った。
それは、非科学的な、人間の勘とか、予感といった類いのものだ。角田の頭の中で、何かが警鐘を鳴らす。
―――「お前は直感型だろうが!だったら、自分の勘には従え!」
いつだったか、理論型の同期にそう言われたことがある。以来、角田は彼の助言通り、自らの勘と予感を信じて、ただひたすら前を見て戦ってきた。角田が闘将と言われる由縁である。
だから角田は、今回も自らの予感を信じる。
「比叡ちゃん、残弾はどのくらいかな?」
念のため、比叡に尋ねる。
「まだ八割近く残ってます。特に、三式弾と零式弾は全く使ってませんから、全弾あります」
淀みのない答えが返ってきた。暗闇の中のわずかな視界でもわかるように、角田はハッキリと頷く。
叩く。完膚なきまでに。深海棲艦が、二度と飛行場など作るまいと思うほどに。
角田の決断と共に、遊撃艦隊は、夜闇の中を進んでいった。
「水上電探に感!敵哨戒艦隊と認む!」
案の定、敵は現れた。トラック諸島が暗闇の向こうにうっすらと見える頃、“比叡”の三三号電探が、遊撃艦隊に迫る艦影を捉える。反応から見て、一個高速水上艦隊だ。
「無線封止解除!合戦用意!」
角田は即座に反応する。各艦の間で禁止されていた通信が再開され、艦隊は急速に戦闘の準備を整えていく。その間も、比叡はさらに詳しい情報を知らせ続けた。
「敵艦隊、本艦よりの方位〇八五、距離二二〇(二万二千メートル)」
「砲戦にはまだ早いかな?」
「夜戦ですから、一五〇くらいまでは詰めたいですね」
角田は考える。哨戒艦隊に見つかったということは、残存の敵艦隊も襲いかかってくる可能性が高い。やはり、物事そううまくは行かないのである。
当然、角田は砲戦でこれを叩くつもりだった。そして、まさにその指示を出そうとした時。
『角田大佐、敵艦隊は四水艦が引き受けます』
吹雪からの具申だった。
さすがの角田も、これには戸惑いを隠せない。四水艦は、確かに練度の高い水上高速部隊だ。とはいえ、その主兵装は魚雷であり、砲戦能力は必ずしも高いとはいえない。さらに、所属する“川内”と“吹雪”型各艦は、魚雷の次発装填装置を持っておらず、一度発射管の魚雷を放ってしまえば、海戦に参加することはできなくなる。
敵哨戒艦隊の編成は肉眼で確認しなければわからないが、それでも四水艦とは拮抗以上であるはずだ。まともに戦うなら、四水艦は魚雷を使わざるを得なくなる。
四水艦の本来の役割は、環礁内で身動きの取りづらい大型艦を多く含む五遊艦の支援だ。地上砲撃中に、五遊艦に接近を試みる、敵水上部隊の迎撃を行う。
敵水上部隊には、格上の重巡や戦艦もいることだろう。ここで魚雷を使うということは、環礁内でそれらの迎撃が困難になるということだ。
―――吹雪は何を考えてるのかな・・・?
魚雷以外で、何か迎撃する方法があるのだろうか?
しばし迷った後、角田はマイクを取る。
「それじゃあ、お願いするよ」
『任せてください』
吹雪からの返答があってすぐに、“川内”以下の四水艦が加速する。彼女たちの発揮しうる速力は、三四ノット。排水量が小さいので、みるみるうちに速力が上がり、まさしく韋駄天となって、二万先の敵艦隊に向かっていった。
「どういうつもりなんですかね、吹雪ちゃんは」
四水艦の後ろ姿を見送る比叡も、角田同様に首を傾げる。
「うーん、具申してきたってことは、何か考えがあってのことだと思うけど」
角田もいまいち、掴めていなかった。
突撃を敢行した四水艦から、敵艦隊の編成について連絡が入る。
『重巡一、軽巡一、駆逐四』
川内が淡々とした声で敵艦隊の数を読み上げる。やはり、残存の重巡が含まれていた。これでは、四水艦が砲撃戦で勝利することは難しい。
「比叡ちゃん、一応いつでも支援ができるようにしておこう」
「はい」
角田の号令で、五遊艦も速力を上げる。四水艦支援のための砲弾を装填し、いつでも射撃が可能な状態にしておく。
「敵先頭艦発砲!」
―――始まった。
比叡の報告通り、単縦陣を敷いていた敵艦隊の先頭艦から、めくるめく炎が生じる。四水艦に向け、敵艦隊が砲撃を始めたのだ。
見張りからは、先頭艦の艦影は重巡のそれであることが報された。
「比叡ちゃん、今ので撃てる?」
「うーん、ちょっと難しいですね」
比叡は申し訳なさそうに答える。無理もない。現在距離は一万八千。夜間の戦闘距離としては、十分とは言えない。
四水艦からも砲炎が上がる。“川内”の一四サンチ砲、“吹雪”型の一二・七サンチ砲が応戦を始めたのだ。
とはいっても、その砲炎はお世辞にも大きいとは言えない。敵重巡の主砲に比べれば、ずっと小さなものだ。
両艦隊の間で、砲火が入り乱れる。しかし、端から見れば、四水艦側が押されているのは間違いなかった。
「比叡ちゃん、砲撃準備!」
角田は即断する。頷いた比叡は、沸き起こる砲炎を目印にして、射撃諸元を導くように指示を出した。
その時。二人が想像もしなかったことが起こった。
「敵重巡に魚雷!?」
「何だって!?」
比叡の叫びに目を見開いた角田は、自らもまた暗闇の中に目を凝らす。
砲撃を続けていた敵重巡の舷側に、巨大な水柱が立ち上っていた。
―――まさか、魚雷を使ったのか!?
“川内”は、改装時に魚雷発射管を酸素魚雷に対応したものに変えていた。配置は姉妹艦の“神通”や“那珂”と同じだ。片舷発射能力は四門。
“吹雪”型各艦も改装を受けている。対空兵装の増設が主だが、同時に魚雷発射管も換装している。
海軍工廠部が苦心の末に開発した、三連装魚雷発射管の酸素魚雷対応版。全艦が、それを二基ずつ装備する。片舷発射能力は六門。
四水艦全艦が放った魚雷は、全部で三十四本。うち、命中弾は五本。重巡と軽巡に二本ずつ、四番艦の位置にいる駆逐艦に一本。命中率としてはまずまずだ。
急速に傾いでいく二隻の巡洋艦は、最早四水艦の驚異とはなり得ない。残った三隻の駆逐艦は、四水艦の猛射を受けて、瞬く間に炎の塊となった。
「敵哨戒艦隊、沈黙」
比叡が報告するが、その声にはやはり困惑の色が見えている。
なぜだ。なぜ、吹雪は魚雷を使った。
角田はマイクを取る。しかし、彼女が何かを言う前に、疑問に答える声がスピーカーから流れた。
『大丈夫ですよ、角田大佐。トラックの敵艦隊は、これで最後です』
―――・・・なんで。
なんで、僕の言おうとしたことがわかったんだ。
冷たい汗が背中を伝う。確信に満ちた吹雪の声に、角田はただ「了解」と言うことしかできなかった。
吹雪が言ったことは本当だった。北東水道に到達するまで、遊撃艦隊はついに一度も、敵艦隊の接触を受けなかった。平穏そのもので、艦隊は水道を抜け、環礁内へと侵入する。
角田は再び驚愕した。否、その場にいたほぼ全員が、戦慄にも似た驚きを感じていた。
深海棲艦の港湾施設が燃えている。燻っているなどという生半可なものではない。まるで地獄絵図だ。
港湾施設が、長期に渡り使用不能になったことは明白だった。
一機艦による空襲の戦果かと思った。だが、明らかに違う。たった一度しか実施されなかった一機艦による空襲では、港湾施設にここまでの被害を与え、さらに他にもいたであろう哨戒艦隊を壊滅に追い込むなど不可能だ。
少なくとも、後一度か二度、空襲する必要があるはずだ。
―――吹雪は、これを知っていたんだ。
確証はない。だが吹雪は、港湾施設をここまで破壊した“何者か”と繋がっていて、その“何者か”から敵艦隊壊滅の報を受けていたから、あれだけ断言できたのだ。
「・・・港湾施設は、もう叩かなくてもよさそうですね」
比叡が呆然とした様子で呟く。
「五遊艦各艦に通達。目標、建設中の敵航空基地。観測機発艦始め」
角田の指示で、弾着観測用の機体が各艦から飛び立つ。夜間の砲撃となるため、目標となる吊光弾を投下するのだ。
『周囲の警戒に当たります』
そう言って四水艦を引き連れていく吹雪の声音には、明らかな余裕が見えていた。
―――そら恐ろしい娘だよ、本当に。
吊光弾の投下から少し。敵基地に向けて、戦艦一隻と重巡三隻から、おどろおどろしい砲声が響き渡った。
“何者か”の正体については、別作を読んでいただいている方にはわかるかもですね
別作を読んでいない方でも大丈夫です。その内、ひょんなことで、その存在について触れることになります
物語は、作者の預かり知らぬところで動き始めているのです(・・・ん?)