それと、今回も吹雪について少し
三〇ノット近い速力を発揮する“比叡”の艦首で、それに伴う大きな波が起きている。四万トン近い艦体に押し退けられた海水が、白い飛沫を飛ばして後方へと流れていった。
角田率いる五遊艦と四水艦は、一機艦からの要請を受けて、敵機動部隊へと驀進していた。二時間程度での接敵を想定しており、そろそろ敵影を捉えるはずだ。
「全艦合戦準備」
角田が下令する。比叡以下十二人の艦娘たちは、すでに艤装との同調率を高め、戦闘状態へと移行していた。
「逆探の感、強い。敵の対空電探と思われます」
各艦から合戦準備完了を告げる報告が入る中、比叡が逆探が感知した電波の存在を知らせた。波長がわかれば、それが対空用か対艦用かは、すぐに判別がつく。
「結構近いね」
角田は相変わらずのん気に呟いた。
「強さからして、そろそろ視界に捉えるはずです」
「逃げるかな?」
「さあ、それはどうですかね」
答えた比叡も、割りと適当である。まあ、元々二人とも、敵艦隊を逃がすつもりなどさらさらないので、愚問といえば愚問であった。
『角田大佐』
どこかのほほんとした“比叡”艦橋に、遊撃部隊のもう一人の将校の声が木霊する。吹石雪花少佐―――元艦娘の吹雪である。
『四水艦は、突撃の支援ということでよろしいですね?』
「あ、うん。よろしく」
『了解です』
短いやり取りがあって、すぐに通信が切れる。
「・・・あの、前から気になってたんですけど」
吹雪とのやり取りを終えた角田に対して、比叡が遠慮がちに手を上げる。角田は笑顔で、その続きを促した。
「吹雪ちゃんは、何で今回の作戦に参加したんですか?それも、艦隊を率いる、提督として」
角田の視線が、一瞬鋭くなった。それを自分でもわかって、努めて目元を緩くする。ゆっくりと、必死に頭を回転させて言葉を選びながら、角田は口を開いた。
「秋山中将の考えがあるのは、間違いないね」
話している間も、二人は周囲の状況に意識を向ける。これはあくまで、戦闘の合間の雑談だ。角田は、そういうことにしておきたかった。
「秋山中将は、何かを探してるみたいなんだよね。これは東郷長官にも言えることだけど。それが何なのか、僕には想像もつかないよ。でも、その何かが、吹雪に関わることだっていうのはわかる」
それから角田は、しばらく悩むようにして、最後の部分だけ言い直す。
「吹雪が追い求める、艦娘という存在の根源に迫るものだっていうのは、わかる」
「艦娘の存在、ですか」
比叡も呟く。いまいち、実感の湧いていない様子だった。
「考えたこともありませんね。艦娘は艦娘です。深海棲艦と戦うのが、私たちの存在意義だと思ってます」
「・・・それもそうだねえ」
―――・・・もしも。
もしも、深海棲艦がいなくなって。その後に、艦娘が残って。その時彼女たちは、一体“何になる”のだろうか。
一人の人間として生きていけるのか?艦娘は、艦娘のままなのか?
吹雪は、その壁に挑もうとしている。
秋山は、その壁に風穴を開けようとしている。
そして東郷は、その壁を切り崩そうとしている。
目的は同じ。けれども、手段は三者三様。
―――まあ、それも無事、この戦いが終わったらだけど。
深海棲艦が現れて五年。艦娘が現れて三年。この『戦い』には、いまだに終わりが見えていない。『戦争』ではない、純粋な『戦い』。落としどころの見えない、生存競争。
「あー、やめやめ。こーゆー難しいこと考えるのは苦手なんだよねえ」
苦笑しながら角田は言った。
私は提督だ。艦娘たちと共にあり、共に戦う。彼女たちを導くために、私はここにいるのだ。
残念ながら、角田は未来への道を敷く術を知らない。けれども、道なき道を切り開いた先に、未来があることは知っている。
「司令に考え事なんて、これほど似合わないこともありませんね」
比叡もなかなかにひどいことを言っている。角田は益々苦笑を大きくした。
「ひどいなあ、比叡ちゃん。僕だって、いっつも真剣に考えてるんだよ?」
「真剣に考えてる人が、どうしてセクハラしてくるんですか?」
「セクハラじゃないよ、スキンシップだよ」
「それ、同じですから」
比叡は呆れ気味に言った。
「・・・まあ、私たちのこと、大切にしてくれてるのはわかってるつもりですから」
「・・・そっか」
「ですから私、頑張ります。司令が見たいものがあるなら、私が見せてあげます」
お姉様以外では、司令が特別ですからね。若干そっぽを向きながら、比叡は気恥ずかしげにそう締めくくる。胸の辺りがむず痒くなるのを、角田はこう言って誤魔化した。
「比叡ちゃんが可愛いので、スキンシップしてもいいですか?」
「どんな理屈ですか!?セクハラですからね!?」
「もうセクハラでもいいや」
「開き直らないでください!ダメです、却下です!」
「中央突破!喰い破るよ!」
先程までとは打って変わって、角田は鬼気迫る声で五遊艦の各艦を叱咤激励する。気迫のこもった指示に、六つの声が応えた。
敵機動部隊にとって災難だったのは、たった二つ。一つに、帰投した第二次攻撃隊の収容作業中だったこと。もう一つに、それを追うようにして、一機艦の第三次攻撃隊―――敵機動部隊に対する第二派攻撃が実施されたことだ。
艦載機と水上艦隊。性格の異なる二つの敵を前にして、敵機動部隊は大いにうろたえた。しかし、トラックという重要拠点の防備に当たっていた艦隊だけあり、その立ち直りもまた早い。
乱れかけた陣形は、すぐに整えられる。二十隻近い数を生かして、敵艦隊は輪形陣のまま、二つの敵と相対することを選んだのだ。
―――そういうのを、思う壺って言うんだけどね。
突撃を敢行する“比叡”の艦橋にあって、角田は内心でほくそ笑んだ。
一機艦を指揮するのは、あの塚原だ。あいつが、万に一つも、状況を見誤ることはない。
水上を猛進する遊撃艦隊の頭上を、攻撃隊が通過していく。軽快な零戦が敵直掩機と死闘を繰り広げ、その合間を縫うようにして攻撃機が迫る。見るからに速そうな水冷エンジンの“彗星”と、力強い印象の“天山”が、編隊を崩すことなく敵艦隊の輪形陣へと突入していった。
真っ先に火の手が上がったのは、輪形陣外縁部の駆逐艦だ。“彗星”隊の華麗な急降下爆撃を受けた駆逐艦が、炎を噴き上げて行き足を止め、あるいは爆轟音と共に波間に沈んでいく。
巡洋艦でも火の手が上がる。もっとも、こちらは駆逐艦よりはいくらか丈夫なので、すぐに沈むようなことはなかった。それでも、炸裂した爆弾が大穴を穿ち、爆風と破片で対空火器を薙ぐ。その度に、攻撃機へと伸びる火箭が弱くなっていった。
「敵外縁部沈黙。“天山”隊、突入します!」
比叡が報告する。角田は叫ぶようにして確認した。
「敵空母との距離は!?」
「二五〇(二万五千メートル)!」
三〇ノットで輪形陣に迫る五遊艦が、その有効射程に空母を捉えるにはまだ時間がかかる。その間の足止めは、“天山”の役割だ。
低空に舞い降りた“天山”は、いくつかの編隊に分かれて輪形陣へと迫る。プロペラが波を叩いてしまうのではと錯覚するほどに、その高度は低い。発動機の馬力によって後方に投げつけられる空気が、海水を巻き上げて白い飛沫を散らす。
薄くなったとはいえ、深海棲艦の放つ対空砲火は強烈だ。特に、“彗星”の急降下爆撃を逃れた巡洋艦が、激しい弾幕を形成する。しかし、それをものともせずに、“天山”は輪形陣へと突入していった。
外縁部の小物には目もくれない。“天山”の狙いは、中央の空母のみだ。少しでもダメージを与え、行き足を鈍らせれば、最早五遊艦の砲火から逃れることはできない。
―――と、敵さんは思っているだろうね。
実際には違う。“天山”の狙いもまた、“彗星”と同じく外縁部の敵艦だ。
“天山”が中央の空母を狙うとばかり思っていたのだろう、輪形陣外縁部を形成する残存の巡洋艦や駆逐艦は、自らに向かって放たれた魚雷に気付き、慌てて回避しようとした。だがもう遅い。輪形陣の両翼から投網のように放たれた魚雷の航跡を、各艦が回避することは叶わなかった。
輪形陣の各所で、ほぼ同時に白い柱が立ち上る。敵艦の構造物を上回る巨大な水柱は、その基部で艦体に破孔を生じ、大量の海水を呑みこませる。まともに受けた敵艦はひとたまりもなく、その行き足を止める。まさに一瞬で轟沈した艦もいた。
今回の攻撃を予測しろというのも酷な話だ。爆撃機が輪形陣外縁を叩き、こじ開けた穴から雷撃機が中央へと突入する。これは、日本海軍が機動部隊の基本戦術としている戦い方だ。
塚原は、その裏をかいた。第三次攻撃隊の突入が、遊撃艦隊と敵機動部隊の接触と重なることに気付いた彼は、攻撃隊の総指揮を執る“赤城”所属の妖精に、今回の攻撃を指示したのだ。
第二次攻撃隊は、いつも通りの戦術で敵機動部隊に突入し、駆逐艦三隻を沈めて、ヲ級eliteとヌ級elite各一隻ずつに魚雷を当てていた。これを見て敵機動部隊は、今回もまた、同じ戦術が執られると予想したのだろう。だから、輪形陣の間隔を詰めて、攻撃隊と水上部隊の両方に備えようとした。
それが裏目に出た。不意を突かれた輪形陣外縁の各艦は、“彗星”と“天山”の攻撃で、実に五隻(巡洋艦二、駆逐艦三)が沈没し、四隻(巡洋艦一、駆逐艦三)が大きな損傷を受けた。輪形陣としての機能はともかく、水上部隊に備えるべき戦力は、大きく減じてしまった。
これを、角田たちは待っていたのだ。
「さすが塚原!わかってるねえ!」
最早笑みは隠しきれていない。獣性の強い眼光で敵艦隊を見つめる角田は、今か今かと待ち望んだその瞬間に、一際大きく声を張り上げた。
「全艦砲戦開始!残りを蹴散らせ!」
五遊艦各艦が一斉に発砲する。“比叡”の四一サンチ砲に続き、“高雄”、“愛宕”、“鳥海”の二〇・三サンチ砲も火を噴き、五遊艦が突入した輪形陣左翼に残る敵艦を叩く。必死に反撃を試みる敵艦隊だが、左翼に残ったのが巡洋艦一隻と駆逐艦五隻ではなす術がない。あっという間に片付けられてしまった。
これで、中央の敵空母は丸裸だ。
最早輪形陣も何もない。示し合わせたかのように反転にかかる空母は、しかし、その判断が遅すぎたことに気付かされる。
新たなる獲物を見つけた五遊艦の主砲が、その砲口に火焔を生じたからだ。
真っ先に餌食となったのは、第二次攻撃によって損傷していたヲ級eliteとヌ級eliteだった。前者には“比叡”の砲弾が、後者には“愛宕”と“鳥海”の砲弾が雨霰と撃ちこまれ、瞬く間に炎上する。
この間、空母の撤退を支援しようと、その身を挺して五遊艦を止めようとする勇敢な敵駆逐艦が多数いた。だが、その努力が報われることはなかった。
“川内”以下の四水艦は、吹雪の指示のもとに華麗な艦隊運動を見せる。敵駆逐艦を五遊艦に近づけさせない。それどころか、射撃を集中しては、次々に火の玉へと変えていった。
遮るもののなくなった五遊艦は、残った三隻の空母に砲撃を集中する。
最初に悲鳴を上げたのは、もう一隻のヌ級eliteだ。正規空母であるヲ級ほど装甲の厚くないヌ級にとって、戦艦と巡洋艦による集中砲撃は荷が重すぎた。艦載機用の燃料か弾薬に引火したのだろう、一際巨大な火柱を噴き上げて、その動きを完全に止めてしまった。
必然的に、攻撃は残った二隻のヲ級(eliteと通常型各一隻)に向かう。敵も必死だ。機関を一杯に吹かして、何とか離脱しようとする。
ヲ級の発揮しうる最大速力は三三ノットだ。“比叡”では、わずかに足りない。
「高雄、後は任せた」
『了解しました!』
角田は即断する。最大戦速に加速した“高雄”型三隻は、発揮しうる三四ノットの高速力で二隻のヲ級に食い下がった。
連続する砲火。二隻の敵空母が、飛行甲板をズタズタに引き裂かれ、炎上して擱座するまでに、さして時間はかからなかった。
呆気なっ!あまりの呆気なさに作者ボーゼンですよ
機動部隊にとって、水上艦隊は恐ろしい存在です
次回はトラック島砲撃の話になるかと