パラオの曙   作:瑞穂国

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五千文字越えそうになってビビった

熾烈な砲撃戦が始まります


海ヲ震ワセテ

深海棲艦戦艦部隊よりも、一制艦の方が先に発砲したのは、必然と言えた。先に回頭を終えていた一制艦の方が、敵艦隊の回頭を待っているだけの分、射撃諸元を完成させるのが早い。

 

射撃諸元は、測距儀などを用いて得られた敵艦と自艦の距離、方位、針路、速度、緯経度、さらにはその日の天気や気温、湿度、風向などあらゆる情報を専用の計算機に入力し、主砲の旋回角と俯仰角を導いたものだ。

 

第一射は、この諸元をもとに行われ、以後は弾着の位置を見ながら修正を加えていく。観測機あり、距離二万五千なら、大体三射から四射で諸元の修正を終え、夾叉を得られるはずだ。

 

本来なら、夾叉を得た段階で斉射に移行するのだが、三式弾が揚弾機に残っていた“大和”は、これを消費するために最初から斉射を放っていた。

 

“大和”の発砲から十秒ほど。今度は、敵戦艦部隊の一番艦が、褐色の砲炎を吐き出した。それに続くようにして、二番艦以降も撃ち始める。

 

いよいよだ。ここに、過去最大の戦艦対戦艦の戦いが始まった。

 

先に弾着するのは、一制艦四隻の砲撃だ。“長門”から放たれた四発が敵一番艦の左舷に落下したのを皮切りに、次々と砲弾が弾着し、水柱を噴き上げる。

 

「弾着、今!」

 

“大和”の砲弾も落下する。瞬発信管に設定された三式弾が海面に衝突して炸裂した。観測機からの報告は、全弾遠。もっと手前を狙う必要がある。

 

主砲に次弾が装填され、修正された諸元が入力される間に、今度は敵艦隊の砲弾が降り注ぐ。一制艦の四隻に、万遍なく一六インチ砲弾が落下して、その威力を誇示するかのような瀑布を現す。だが、こちらも命中や夾叉はなく、各艦の右舷や左舷にまとまって立ち上っていた。

 

負けじと、一制艦各艦も第二射を放つ。それから十秒の間があり、今度は敵艦隊だ。

 

お互いの砲弾は、相対速度マッハ五に近い速さですれ違い、放物線を描いて相手に急降下していく。

 

再び、連続的に水柱が上がる。各艦とも、先より精度は上がった。

 

“大和”の砲撃は、またしても全弾遠。九発の三式弾は、敵四番艦の向こう側の海面を、虚しく沸騰させただけだった。

 

「誤差修正、急いで!」

 

大和の声にも、焦りが見える。それをかき消すかのように、敵四番艦の射弾が水柱を噴き上げた。

 

「これで、三式弾は最後です。次より一式弾」

 

揚弾機に残った三式弾を撃ちきることを、大和が報告する。

 

「了解」

 

榊原の短い返答を聞き届け、大和は主砲発射のブザーを鳴らした。

 

三度目の砲撃。再び轟音が響き渡り、九発の三式弾が宙空へと解き放たれた。

 

敵四番艦も発砲する。褐色の炎が沸き起こり、一六インチ砲弾三発が放物線の頂点へと登っていく。

 

―――今度こそは・・・!

 

その想いは、榊原と大和に共通だった。第三射。観測機を用いた決戦距離の砲撃なら、そろそろ夾叉が得たいところだ。

 

一制艦の第三射が弾着する。直後、大和が嬌声を上げた。

 

「敵二番艦に命中弾!」

 

「“陸奥”か!」

 

二番艦の位置につけるビッグセブンの一隻が、ついにその目標を捉えたのだ。また、命中弾こそ得られなかったが、一番艦の“長門”も敵一番艦に対して至近弾を与えている。命中弾までは時間の問題だ。

 

―――さすがの練度だ。

 

海軍一の練度を自称するだけのことはある。

 

“金剛”の射弾が落下した。こちらもかなり精度は高くなっている。

 

「弾着、今!」

 

今度は大和の番だ。弾着までの時間を計っていた大和が、弾着を知らせる。二人は、艦橋から見える敵四番艦を凝視した。

 

「・・・ダメッ」

 

大和が悔しさを滲ませた声を絞り出す。九発の三式弾は、派手な水柱を上げたものの、敵艦を捉えるには至らず、再び四番艦の右舷へと弾着していた。“大和”の砲撃は、またも空振りを繰り返したのだ。

 

今度は入れ替わりに、敵艦隊の砲弾が一制艦に迫る。音速を突破した一六インチ砲弾十二発は、三発ずつに分かれて一制艦の四隻の戦艦に降り注ぐ。

 

嫌な予感がした。

 

「“長門”に命中弾!」

 

―――喰らったか・・・!

 

両艦隊は、ほとんど同条件で撃ち始めたのだ。こちらが命中弾を得たのなら、敵もまた、命中弾を得ても何らおかしくない。ましてそれが、最も優れたflagshipなら、なおさらだ。

 

ル級flagshipが搭載するのは、やはり一六インチ三連装砲だ。ただし、航空写真等から見ると、その砲身は通常型やeliteに比べて長いことがわかっている。おそらく、五〇口径の長砲身砲だ。一六インチ砲としては最大級の威力を持っている。

 

もっとも、“長門”はもとから四一サンチ砲艦であり、その防御も四一サンチ砲弾―――一六インチ級の砲弾に耐えられるようになっている。長砲身砲とはいえ、ちょっとやそっとの被弾でやられはしないはずだ。

 

―――大丈夫、次で命中弾を得ればほぼ互角だ。

 

先頭を進む一制艦旗艦の被弾を、榊原はそう思うことで頭の隅に追いやろうとした。

 

だが、彼は知らなかった。いや、知り得なかった。それは榊原の若さゆえなのだろう。嫌な予感は、必ずしも何かが起こる直前に感じるものではないということを。

 

「て、提督・・・」

 

榊原を呼ぶ大和の声は、わずかに震えていた。

 

「敵弾、本艦を夾叉してます・・・!」

 

榊原の背筋を、冷たいものが走り抜けた。

 

敵四番艦から放たれた、三発の一六インチ砲弾。それが上げた水柱も同じく三本。ただし、それを同時に視界に入れることはできなかった。一本は右舷、二本は左舷に立ち上ったからだ。

 

夾叉―――敵艦を砲弾で挟み込んだこの状態は、つまるところ主砲の散布界内に敵艦を捉えているということなのだ。この状態で砲撃を続けると、命中弾が出る確率が非常に高い。

 

―――大和の装甲なら十分に耐えられる、って言葉は、意味はないな。

 

不安になっている彼女に、事実を言ったとしても、それは気休めにしかならない。今、彼女が求め、榊原が与えるべきなのは、そんなものではないはずだ。

 

そこで、大和の頭に手が伸びたのは、やはり何か本能的なものだったのだろう。

 

多少強引なくらい、しっかりと感触が伝わるように。彼女が、こちらを見てくれるように。

 

「大和」

 

「は、はい」

 

不安を湛えた彼女の瞳が、真っ直ぐに榊原を見つめていた。

 

「君ならならやれる。そうだろう?」

 

―――笑うんだ。

 

指揮官は、辛い時ほど笑わなければならない。

 

榊原の笑顔は、ぎこちなかったかもしれない。それでも目を見開いた大和は、榊原の言葉に力強く頷いて、右舷の敵艦を見遣った。

 

「・・・私は、大和ですから」

 

不安を孕みながらも、確かな決意を秘めた呟き。

 

ポンポン

 

軽く彼女の頭を叩いて、手を降ろす。もう一度榊原を見た大和は、やはりぎこちなく笑った。

 

「一式弾は、交互撃ち方で行こう。三式弾の射撃で、諸元は相当に詰まっているはずだ。命中弾もじきに出る」

 

「はい」

 

“大和”の主砲塔、三本ある砲身のうち、左砲が持ち上がる。

 

先頭の“長門”が、四度目の射弾を放つ。それに続いたのは“陸奥”ではなく“金剛”だ。夾叉を得た“陸奥”は、おそらく斉射に向けた準備に入っているのだろう。

 

“大和”の艦上にも、四度目の発砲を告げるブザーが鳴り響いた。

 

「当たって!」

 

三門の四六サンチ砲が、砲口から火球を生じる。轟音は先よりも小さいとはいえ、戦艦の砲撃に変わりはない。十分過ぎる殺傷能力を持った衝撃波が艦上を走り抜けた。

 

十秒ほどの間があって、敵艦隊も発砲する。ただし、“長門”に命中弾を与えた一番艦、そして“大和”を夾叉した四番艦は、斉射に移行するためか、不気味な沈黙を保っていた。

 

「“陸奥”、斉射に移行しました!」

 

一制艦の二番艦に位置する“陸奥”が、今日最初の斉射を放った。それまでに倍する勢いで褐色の炎が沸き上がり、八発の四一サンチ砲弾を吐き出す。

 

斉射は、搭載する主砲全門をもって砲撃を行うことだが、日本海軍は微妙に違う。これは、主砲の散布界に起因する。

 

主砲の散布界は、その範囲に砲弾が落下することを意味する。これが広いと夾叉を得ることは容易いが命中弾を得にくく、狭いと夾叉しにくいが命中弾を得やすくなる。基本的には、この散布界が狭い方がよいとされていた。

 

とはいえ、そう簡単に狭くできるものではない。ちょっとした影響で、砲弾はずれるからだ。

 

散布界が広くなってしまう要因は様々だが、旧帝国海軍ではこのうち砲弾同士の衝撃波による干渉に注目した。同時に放たれた砲弾は、そのまま平行に飛び続けるのではなく、お互いの衝撃波が影響を及ぼし合い、結果として弾道がぶれてしまうのだ。

 

そこで旧帝国海軍は、斉射の際に各砲塔の右砲と左砲を若干ずらして発砲することを思いついた。こうして開発されたのが、発砲遅延装置である。

 

「敵一番艦斉射!続いて敵四番艦斉射!」

 

深海棲艦の戦艦は、発砲遅延装置を積んでいないとみられている。その散布界は広い。とはいえ、斉射は斉射だ。強烈な打撃が襲い来ることに変わりはない。

 

榊原も大和も、たった今はなった第四射の結果を見守りながら、敵弾命中の衝撃に備えた。

 

まず“長門”の砲撃が弾着する。確認できた水柱は三本。真っ白な摩天楼が、敵一番艦の前にまるでカーテンのように広がる。そしてその向こう側、深紅の火柱が上がるところも垣間見えた。

 

続くのは“金剛”だ。こちらも同じく、四発の四一サンチ砲弾が敵三番艦を包み込む。命中弾炸裂の火焔こそ見えなかったが、四本の水柱は敵艦の両舷に二本ずつ噴き上がっていた。夾叉である。

 

“長門”と“金剛”は、第四射にして敵艦を散布界に捉えたのだ。

 

―――流れは来ている。

 

榊原は、じっとその時を待った。

 

「弾着、今!」

 

大和が、今日四度目の声を上げる。ゴクリ。二人は息を呑んで砲弾の行方を見守った。

 

―――・・・ダメか・・・っ!

 

榊原は声にならない呻きを上げた。敵艦に向けて落着した三発の一式弾は、その左舷至近に巨大なオベリスクを産み出したものの、散布界には捉えきれなかったのだ。

 

それをあざ笑うかのように、敵弾が落下する。

 

敵二番艦の射弾は、またしても“陸奥”を捉えることはなく、空振りだった。だが敵三番艦から“金剛”に向けて放たれた砲弾まで、そう都合よくはいかなかった。二本が左舷、一本が右舷に噴き上がり、“金剛”の艦体を挟み込む。

 

それから数秒して、“陸奥”の第一斉射が弾着する。白濁した水の塊が敵二番艦の姿を覆い隠し、その内側に命中弾炸裂の閃光がきらめく。巻き起こる炎の中に、千切れ飛んだ敵艦の破片が見て取れた。

 

そして、今度は敵一番艦と敵四番艦の斉射が降ってきた。九発ずつの一六インチ砲弾が、単縦陣最前部と最後部の二隻を押し包み、その甲板を喰い破らんとする。榊原はその衝撃に備え、両足に全体重をかけた。

 

が、榊原も大和も拍子抜けしてしまった。予想していたような命中弾炸裂の衝撃が感じられなかったからだ。

 

否、確かに敵弾は“大和”を捉え、その信管を作動させた。しかし、対四六サンチ砲を想定した分厚い装甲と、七万トンに迫る巨体は、その爆発に十分過ぎる耐性を誇っていた。

 

「て、敵弾後部甲板に命中。損害軽微。戦闘航行に支障なし」

 

大和自身も、どこか呆気に取られた様子で被害を報告する。二人の間に、妙な沈黙が流れた。

 

「・・・あ、諸元修正完了。第五射、いけます」

 

慌てて思い出したように、大和が言った。艦上に、五度目の発砲を告げるブザーが鳴り響く。

 

「あの・・・提督」

 

榊原を呼んだ大和は、前を見つめたまま、スッと手を差し出した。その頬が、ほんのりとした赤に染まっている。

 

「手を握っていただけませんか?」

 

安心、できるので・・・。そんな小さな声に、榊原は無言で応える。

 

細くしなやかな指。柔らかな感触。手のひらに伝わる温もり。榊原が握れば、大和の方も恐る恐る握り返してくる。

 

「第五射、撃ーっ」

 

各砲塔の中砲が発砲する。爆発エネルギーが砲弾に運動を促し、砲弾はそれを位置エネルギーに変換しながら、波頭の上を飛翔していく。

 

ギュッ。固唾を呑んでその行方を追ううちに、お互いの手に自然と力がこもる。

 

―――当たれ・・・!

 

その願いは、二人に共通だった。

 

一制艦他艦の砲声も、敵艦隊の砲撃も、全く気にならなかった。ただひたすらに、たった今放った第五射の四六サンチ砲弾三発が、その飛翔を終えるのを待ち続ける。

 

時は来た。

 

「弾着、今!」

 

絞り出すような大和の声。

 

敵四番艦の周囲に、水柱が上がる。いや。

 

「敵四番艦に命中弾!」

 

最後尾の戦艦に、待ち望んだ命中弾炸裂の爆炎が踊った。

 




発砲遅延装置の説明は色々省いたところがあるけど作者は大丈夫です

次回も一制艦の戦いです

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