「小悪魔祥鳳さんが見てみたい」
・・・曙の胃が、益々痛くなる
南の海は、吹く風も暖かく陽気だ。呉も暖かかったが、この辺りは一年中、気温の変動も少なく過ごしやすいらしい。深海棲艦によって海洋が封鎖される以前は、日本人にも人気の観光地だったというから、暇があればビーチで遊ぶこともできるかもしれない。
―――まあでも、その前に仕事ね。
弾む心を抑えて、祥鳳は自らが守っている船団を見遣る。他に呉からの駆逐艦二隻と、マリアナからの途中で迎えに来たパラオの駆逐艦二隻、合わせて五隻の護衛艦に守られた輸送船団は、一路南国の楽園―――否、最前線基地パラオを目指していた。
船団の上空には、早期警戒と対潜哨戒を行うための九七艦攻が飛んでいる。“祥鳳”から発艦した機体だ。もっとも、マリアナからここまでの途上、一度も潜水艦発見の報告はない。何とも平和な航海で、実に結構だった。
実に結構なのだが、オートナビゲーション中で手持無沙汰になると、退屈以外の何ものでもない。海も散々見て見飽きてしまった。提督の一人でもいれば話ぐらいできるのだが、今はそんな提督もいない。必然的に、祥鳳の思考はあらぬ方向へと飛んで行った。
パラオに着いたら何をしようとか、持ってきた外出用の服とか。南国の空気に当てられたわけではないが、浮かれた気分でいるのは間違いない。
―――そういえば、パラオ泊地はどんなところなんだろう。
パラオ泊地への配属と、それに伴う改装を受けた祥鳳は、その間に色々と聞いていた。
曰く、パラオ泊地には、“あの”横須賀鎮守府執務室長が自ら選りすぐった腕利きが揃っているらしいこと。それは、今後のトラック環礁攻略戦に備えたものであること。当分は、横須賀の直轄地となること。そして、
若い提督が、指揮していること。
第五期生の課程を、一般からの募集でありながら第二席で卒業した逸材らしい。歳は二十二。
―――どんな提督か、今から楽しみね。
窓の向こう、庇のように艦橋の前にかかる飛行甲板のさらに前面で割れる青い海面を、祥鳳は蠱惑的な笑みを浮かべて見つめていた。
『祥鳳さん、後はこちらで誘導します。先に入港を』
ようやくパラオ泊地に辿り着いた船団の前に出て、祥鳳にそう告げたのは陽炎だった。泊地の港湾部に入る輸送船やタンカーはすでに船団から分かれており、後はパラオに民間用の物資を運ぶ輸送船が残るだけだ。こちらはパラオの民間港に入る。その誘導を、パラオ所属の陽炎が買って出た。
「それじゃあ、お願いしますね」
あえて断る理由もないので、祥鳳は素直に承諾する。それから、陽炎以外の護衛艦にもパラオ泊地へ入港するように伝えて、船団から分かれるように舵を切った。
『はー、やっとお風呂に入れるわー』
浦風の呟きが電波に乗って届いた。自分の気持ちを代弁するような声に自然と頬が緩む。前線の艦娘たちを癒すため、パラオには豪華な大浴場があるとのことだ。今から楽しみだった。
―――でも、その前に着任の挨拶をしに行かないと。
できればお風呂に入ってから挨拶に行きたいものだが、そうもいかないので、早めに艦内シャワーだけ浴びてさっぱりとしておいた。
前方から、巨大な戦艦が迫ってきた。海を割るというよりも、まるで押し退けているような堂々たる威容に、思わず息を呑んだ。演習でも行うのだろうか、護衛部隊の艦たちとすれ違いながら、一隻の駆逐艦を伴って沖合へと向かっていく。
艦橋横の見張り所に出て、すれ違う艦影をまじまじと見つめる。高層ビルのような艦橋のトップで、艦を操る艦娘が見えた。操艦に集中しているのか、こちらの視線に気づいた様子はない。
そろそろ、入港準備だ。艤装を着けて精神同調を行うために、艦橋内の所定の位置へと向かう。
祥鳳は、あまりこの作業が好きではない。精神同調の際に流れ込む“祥鳳”の記憶は、あまりいいものとは言えなかったからだ。追い掛けることはなくとも、頭のどこかに棘のように刺さり、引っかかる。ふとした瞬間に思い出されるそれを、けれども何とか押し込めることにしていた。
悲劇の記憶を持つのは、自分だけではないのだから。
―――あの艦娘も、そうなのかな。
先ほどすれ違った戦艦の艦娘を思う。彼女の迎えた最後の記憶は、果たしてどんなものなのか。祥鳳がそんなことを思っても無意味だというのに。
―――さっそく、暑さに当てられたみたい。
そんなことを思ってから、彼女は艤装との精神同調に入った。
記憶の奔流が、溢れ出て押し流した。
入港した“祥鳳”は、整備のためにドックに入れられた。もっとも、特に損傷などはないから、すぐに出て来られると思う。三番浮きドックから港湾施設に降り立った祥鳳は、真昼の太陽を見上げて、大きく伸びをした。長い黒髪が風でなびく。
「庁舎はあちらですよ」
港湾部員が声を掛けてくれた。その親切に満面の笑みを浮かべると、彼の顔が朱に染まった。
―――簡単、簡単。
わざと色っぽく見えるように、ゆっくりと歩いていく。庁舎は港湾施設からそれほど遠くない。
庇のかかった庁舎の入り口には、濃い影が落ちていた。庇を支える柱の一本には、『パラオ泊地』と書かれた木の板が掲げられている。その横にはなぜか手形があるのだが、理由はよくわからなかった。
庁舎の扉を開けると、中も風通しが良いのだろう、空気が籠ることもなく、外と変わらずに過ごしやすい気温だった。
―――とりあえず、執務室を探さないと。
そう思って、案内板のようなものがないかと見渡すが、それらしきものは見当たらなかった。
「・・・あんた、なにやってんの?」
声は庁舎の奥の方からかかった。よく見ると、並ぶ扉のうち一つが開いて、顔が覗いている。表札には『休憩室』と書かれていた。
「執務室を探しているんだけど」
「何?司令官に用事?」
扉から覗く双眸はこちらを見定めるようにした後、何かに思い至ったらしく、ようやくその体を見せた。ドーナツのような二つのお団子が特徴的な、気の強そうな顔立ちの娘だ。
「もしかして、新しく着任するっていう、軽空母?」
「そう。その通り」
祥鳳が頷く。少女―――おそらく駆逐艦娘と思われる彼女は、こちらへと歩み寄ってきた。小柄だが、なかなかに様になっている歩き方だ。
「あたしは満潮」
端的に言った後、右手が差し出される。
「私は祥鳳よ。よろしく」
笑顔で答えて、その右手を握る。体温の高い、ぬくぬくとした手だった。
「それで、提督は?」
「ああ、司令官なら・・・」
そう言って後ろを振り向いた満潮は、盛大な溜息を吐いて首を振った。
「執務室に行っても意味ないわ。今は、鬼教官にたっぷりしごかれてる頃だから」
「・・・え?」
どういう意味か問い質す前に、満潮はくるりと身を翻して、目線だけで着いてくるように促す。向かった先は、休憩室の一つ奥、『作戦室』と書かれた部屋だ。その扉をノックすると、中から「何?」と、若干攻撃的な返事があった。
―――今の、どこかで聞き覚えが。
そんなことを思いながら、祥鳳は満潮の後ろで待つ。
「新任の軽空母来たわよ。司令官を出しなさい」
なんだか、人質を取って立て籠もる犯人を、説得する刑事みたいだ。
ほどなくして、扉が開く。そこから覗いた顔と、ばっちり目が合った。
「え?」
「・・・げっ」
祥鳳の顔見知り―――曙は、彼女の顔を見るや口の端をひくつかせた。
「曙ちゃん・・・。久しぶり!最近連絡がないって、漣ちゃんが寂しがってたわよ」
曙の姉妹艦である漣は、祥鳳の僚艦でもあった。呉で最初の艦娘である彼女は、横須賀の姉妹からちっとも便りが来ないことを、餡蜜を食べながら愚痴っていた。
「何、あんたら知り合い?」
「ええ、その通り」
「そんなんじゃないから」
満潮の問いに対する二人の答えは、真っ向から食い違った。間に挟まれた満潮は、やれやれとばかりに首を振る。
「いいわよ、入って。もう少しで兵棋演習が終わるから」
曙がそう言って、プイッと部屋の中へ戻ってしまう。会ったことは数回だが、漣から色々と話は聞いているので、そっけない彼女の態度も逆に微笑ましくさえある。
作戦室の中は、それほど広くない。なにせ、中央に大きな海図台があり、部屋の隅には大型の通信設備が置かれている。十人入れればいい、といったところだ。
その海図台の上には、赤と青の船を模した模型が置かれている。兵棋演習だから、これを動かして両軍が戦うのだ。もっとも、赤のほとんどには、撃沈や撃破を示す旗が立っているが。
海図台の横に、紺の第一種軍装を来た将校が立っている。背格好から、男性であることはわかった。考え込むようにして海図台を覗き込んでいた彼は、新たに部屋に入ってきた二人に気付いて、顔を上げた。
―――本当に、若いのね。
顔立ちは整っていて、十分美形と言える。引き締まった男性の顔つきだが、精悍とは言えない。目元や表情に、まだまだあどけなさが見て取れた。祥鳳の好みどストライクである。
「こんなところで、申し訳ない」
さっと着衣を整えた彼は、そう断ってから右手を上げて敬礼した。
「パラオ泊地提督、榊原広人少佐だ。以後、よろしく頼む」
その言葉遣いも、必死に威厳を保とうとしているみたいで可愛い。思わず相好を崩しそうになった祥鳳は、それでも表情を引き締めて、敬礼で答えた。
「呉より転属を命じられました。軽空母、祥鳳です。こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いに手を下ろす。微笑を浮かべると、彼も同じように笑って、頷いた。
「ほら、挨拶終わったんなら続き」
彼の隣に立った曙が促す。
海図台を見れば、明らかに赤軍が不利だ。状況説明を求める。
「両軍とも、二個機動部隊同士で戦闘を行っている。俺の一個機動部隊が壊滅したところだ」
負けていたのは、榊原の方だったらしい。
「・・・相変わらず、容赦ないわね、曙」
「はあ?クソ提督相手に容赦なんていらないでしょ」
「まあ、それもそうだけど」
そんなことを言っているうちに、曙の機動部隊B群の索敵機が、榊原最後の機動部隊を捉えた。攻撃隊が発艦を始める。
―――面白そう。
そう思った祥鳳は、榊原を挟んで曙の反対側に立つ。わざと、「曙に対抗している」かのように見えるように。
曙の表情が歪んだ。
「ねえ、提督」
祥鳳は榊原の方に身を寄せる。わざと、体が密着するように。若い彼がたじろいだのがわかった。湧いてくる笑みを噛み殺し、榊原の手を取ってアドバイスをする。
「この、防空輪形陣のうち一部分を前に出して、空母から出した防空戦闘機を全機、その上空に留めてみては?」
「・・・即席の防空専門艦隊か」
「今の時刻からして、今日中に攻撃隊を出すことはできませんけどね。それでも、明日に希望を繋げることが大切ですよ」
なるほど、と言いながら、榊原が試しに盤上の模型を動かす。
「ほら、曙ちゃんの攻撃隊が・・・」
防空艦隊の網にかかった曙の攻撃隊は、確実に数を減らす。少なくとも、機動部隊全艦が沈められるということはない。
「これは、なかなか・・・うごっ!?」
榊原が変な声を上げた。見ると、不動明王のような表情をした曙の肘が、榊原の横腹にめり込んでいる。撃沈確実だ。
「・・・デレデレすんな、気持ち悪い」
「・・・ひどい言われようだ」
それまで状況を静観していた満潮は、ついに呆れて部屋から出て行ってしまった。パタン。扉が閉まる。
次の瞬間、轟音が響き渡った。まるで雷でも落ちたようなものすごい音に、祥鳳は思わず、掴んでいたものにしがみついた。
雷は苦手だ。
「な、なに、今の」
「多分、“大和”の砲撃だな」
榊原が呟く。件の戦艦は、沖合の演習海域にいるはずだ。そこからここまで轟音が届くとは、彼にしても予想外だったらしい。
「・・・何どさくさに紛れて、クソ提督に抱き着いてるのよ」
まるで氷のように冷え切った曙の声が聞こえてきた。背後に猛吹雪が見える。見ると、祥鳳が反射的にしがみついたのは、榊原の腕だった。弓道着の胸元に、その腕を引き寄せている。
祥鳳は慌ててその腕を放し、榊原から距離を取る。熱くなった頬を悟られないように、顔を海図台へと落とした。
結局、猛吹雪が吹き荒れるような曙の追撃戦と、翌日早朝の空襲で、榊原の機動部隊は壊滅した。ここに、週末の特別休暇とビーチ行きが決まったのであった。
作者の別作では控えめ祥鳳さんなので、こちらは積極祥鳳さんに挑戦してみようかと
今作に限りませんが、基本的に作者は
「作者の思い通りになってたまるか!」
という気持ちで小説を書いています(おい)
さあ、これで役者は揃いました。まもなく、トラック攻略戦が開始となります