パラオの曙   作:瑞穂国

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閑話だよ

それ以外に言うことはないよ


曙「閑話よ」

執務室で一人書類と向き合っていた榊原は、凝りだした肩のあたりを伸ばそうと、大きく伸びをした。書類が飛ばないようにする重しを乗せると、彼は執務机から立ち、背後の窓の前に立った。

 

窓を開け放つ。昼前の日差しと空気が心地よかった。基本的に気候の良いこの島は、暑くとも日本のように冷房器具をガンガンにする必要がない。こうして風に当たるだけで、十分な涼を取ることができた。

 

窓から目を凝らせば、沖にある演習海域の様子が何とか見える。そこには四隻の艦が航行していた。三日前に着任した長波と、彼女を教導する木曾、曙、陽炎だ。

 

そういうわけで、秘書艦のいない執務室で、彼は書類と格闘していたのであった。

 

「入るぜ」

 

「どうぞ」

 

ノックもそこそこに開かれた扉から、摩耶が入ってきた。扉を開いたことで風が通り抜け、彼女の短い髪が揺れる。女性らしいしなやかな髪だ。

 

「修復終わったってさ」

 

「そうか、もうそんな時間か」

 

BOBの修復は、通常軍艦に比べて遥かに短い。ドックに入渠したBOBは、妖精の手助けでその艦体を構成するブルーアイアンを再度活性化させ、後は自己修復能力に任せて元の形状になるのを待つ。この、ブルーアイアンの再活性化に手間と資材と時間がかかるだけで、一度活性化してしまえば、破孔を塞ぐのに数分と要さない。

 

ただ、再活性化したブルーアイアンを元の状態に復元するには、艦娘が精神同調する必要があるので、妖精による活性化作業が終わった段階で艦娘に声がかかり、精神同調後の最終修復が行われる手筈だ。

 

「ちょっくらドックに行ってくるから。終わったらまた声を掛ける」

 

「ああ。よろしく頼む」

 

それだけ告げて執務室を後にしようとした摩耶は、扉の向こうに半身ほどを入れたところで振り返り、イタズラっぽい笑みを浮かべた。

 

「早く書類終わらせろよ。じゃないと、秘書艦様に『提督がサボってた』って、報告しちまうぜ」

 

「わかった。すぐにやるから、シャレにならないことはやめてくれ」

 

午後の演習でこってり絞られかねない。

 

懇願した榊原に、それはそれは楽しそうに笑って、摩耶は執務室の扉を閉めた。後に残された榊原は、もう一度だけ肺一杯に新鮮な空気を吸い込むと、窓を閉じて、執務机に向かい合う。キムチよりも苦手な書類たちが、「やあ」と言っているような気がしてならなかった。

 

 

 

「提督、曙!ちょっと来いって!」

 

午後の演習を終えた榊原と曙に、摩耶が元気よく声を掛けてきた。

 

午後の演習は、榊原が艦隊運動を確認するためのもので、教官役である“曙”に乗り込み、様々な指示を出す。今はまだ、“曙”一隻で運動を行っているが、これからは艦隊全体の指揮も取れるようにならなくてはならない。曙が指摘する通り、榊原にはまだ、学ばなければならないことが多かった。

 

激しい艦の運動と、連続して出す指示のせいで若干声が枯れている。できれば早々に風呂に入って、疲れを癒したいところだが、摩耶に呼ばれたのなら仕方がない。二人して足を速め、摩耶に付き従って庁舎へと入った。

 

「こっちだこっち!」

 

摩耶が二人を招いたのは、艦娘たちがつめる待機室だった。すでに中には、パラオ泊地所属艦娘が全員集まって、海図台を囲んでいた。

 

「お、来たな」

 

三人の入室に気付いた木曾が、顔を上げて口角を吊り上げた。

 

「どうかしたのか?」

 

全員が囲む海図台を覗こうとした榊原の前に、摩耶が両手を広げて立ち塞がった。

 

「おっと、ちょっと待ってくれ提督」

 

「いいけど・・・一体何があるんだ?」

 

益々気になるが、何か深刻なものというわけではなさそうだ。そういう意味で筋肉を弛緩させて、それでは摩耶が呼んだ理由は何だろうかと、さらに興味を引かれた。

 

「んーと、どっから話したもんかなー」

 

「もったい付けずに、早く言いなさいよ」

 

若干イライラした様子で曙が急かす。慌てるなって、と彼女を宥めた摩耶は、おもむろに語り始めた。

 

「妙高型姉妹は知ってんだろ?」

 

「あの四人がどうかしたの?」

 

「あいつら、全員所属艦隊がバラバラだろ?文通はしてるみてえだけど、直接会えるのは年に二、三回程度なんだってさ」

 

摩耶の言わんとしていることが掴めずに、榊原は「そうか」と曖昧に頷くことしかできなかった。それに構うことなく、摩耶は話を続ける。

 

「でもよ、『心だけでも一緒にいよう』って、自分たちで妙高型の紋章みたいのを作って、艦体に描いてんだ」

 

「ほう・・・」

 

―――心だけでも一緒にいよう、か。

 

胸に沁みるような言葉だ。

 

「その話を聞いてさ、考えたんだ」

 

摩耶は殊更イタズラっぽい笑みを浮かべて、海図台の上から何かを取った。長方形のそれは、榊原の見た限りではスケッチブックのように見えた。

 

「じゃーん!」

 

摩耶はそれをめくる。描かれていたのは、やはり絵だった。

 

ラフ画だが、そういったことに詳しくない榊原でも一目で上手いとわかる。三日月を背景に、艦の碇、そして碇に体を預ける長髪の女性―――女神だろうか。

 

「これは・・・」

 

「この絵をさ、うちの艦隊の紋章にしようぜ。横須賀鎮守府パラオ特務戦隊、みたいな感じでさ」

 

キラキラと眩しい目で、摩耶が榊原を見つめる。程度の違いはあれど、他の艦娘たちも同じように、期待の眼差しでこちらを見ていた。

 

「へえ・・・。なかなか上手いじゃない。誰が描いたの?」

 

極力抑えようとしているが、曙も興味津々なのがまるわかりだった。彼女の質問に、控えめに手を上げたのは、長波だ。顔をわずかに染めて、照れたように頬を掻く。

 

「い、いやー・・・なんか、そんなにべた褒めされると、照れるなー」

 

「長波、絵上手いな」

 

榊原も褒めると、長波はさらに照れたように、長めの袖を揺らした。

 

「な、なんていうか・・・描いてみたら、意外と描けたっていうか」

 

そういう彼女の表情は、照れと同時にどこか戸惑いのような色が見て取れた。

 

ふむ。興味深い話だ。彼女は、特に練習をするということもなく、これだけの絵を描くことができたのだ。

 

―――艦娘の個性は、顕現した時からある程度備わっているのか。

 

興味と疑問は尽きないが、ともあれ、今はそういう話は抜きだ。気付いたことを頭の中のメモに書き込むと、それを隅にやる。摩耶からスケッチブックを受け取り、曙と共にためつすがめつして、大きく頷いた。滑らかなタッチ。流れるような女神の髪と、力強い碇。背後の三日月に向かって今にも歌いだしそうな、生き生きとした唇。

 

「いいな、この絵。俺は好きだ」

 

「だろ?なあ、どうだよ提督ー。いいだろー?」

 

全員の意思を代弁するように摩耶が言う。木曾、満潮、霞、陽炎。長波はどこか不安げだ。そして、隣の曙は、

 

「あたしは賛成」

 

と雄弁に語る眼差しで、まだスケッチブックの絵を見ていた。

 

「ロゴは気に入った。ただ、その・・・横須賀鎮守府パラオ特務戦隊っていうのは、ちょっとどうなんだ?」

 

榊原の言葉に歓声が上がった。ただ一人、

 

「なん・・・だと・・・」

 

摩耶を除いて。愕然とした表情の摩耶を見て、榊原が内心首を傾げた。今のセリフのどこに、摩耶があごが外れるほどがっかりするような要素があっただろうか。

 

その答えを知っているのか、木曾がその肩に手を置く。ニヤニヤと、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。

 

「残念だったな、摩耶」

 

「ぐぎぎ・・・」

 

心底悔しそうに睨んだ摩耶に代わり、木曾が前に出る。ヒョイと曙からスケッチブックを受け取り、それを掲げて部屋を後にしようとした。

 

「妖精さんに頼んで、描いてもらってくるわ。艦橋の横でいいだろ?」

 

異議なしの声が上がり、木曾に続いて長波もその場を後にした。描いた張本人の彼女が、紋章の書入れを直接指示するつもりなのだろう。

 

「くっそ、あのやろ・・・」

 

・・・なんで摩耶がここまで悔しそうなのか。榊原にはいまだによくわからなかった。そこへ解説を入れてくれたのは、腕組みをして溜息を吐いた満潮だった。二つに束ねた髪が、頭を振る仕種に合わせて左右に揺れる。

 

「あの名前、摩耶が考えたのよ」

 

「・・・なるほど」

 

原因は俺か。榊原は、彼女渾身の出来のネーミングをばっさりと切ってしまったわけである。

 

「ま、待て提督。実はもう一つ、候補があるんだよ」

 

「・・・聞こうか」

 

若干の罪悪感が湧かなくもなかった榊原は、摩耶の続きを促す。ただし、ここまでの勘からして、ロクなネーミングが出てくるとは思えなかった。

 

「三日月夜の鋼鉄乙女たち」

 

摩耶が大真面目に考えた艦隊名を告げた時、場の空気がシンと静まり返った。

 

「・・・い、意外といいセンスじゃない」

 

珍しく頬を上気させた霞がプイとそっぽを向いて賛意を示した。

 

月夜の海は、パラオの国旗のモチーフとも言われる。日本国旗に似たパラオの国旗は、青地に美しい黄色の円が描かれる。そんなパラオの地を守るこの艦隊に、ピッタリのネーミングと言えた。若干厨二病っぽい気がしないでもないが。

 

「じゃあ、決まりだな」

 

榊原は笑った。摩耶が拳を握り、グッとガッツポーズをした。

 

 

 

『三日月夜の鋼鉄乙女たち』。自らをそう名乗り、艦橋の横に、月夜に歌う美しい女神が描かれたBOBたち。若き提督と、個性的な艦娘たちが所属するパラオ泊地艦隊がその勇名を馳せるのは、まだ先の話である。

 

 

「司令官、終わりました・・・よ?」

 

ノックの音に続いて扉を開き、部屋の主に呼びかけた吹雪は、自らの司令官が満面の笑みで書類を読み込んでいるのを眺めて、不思議そうに思う前にこう言い放った。

 

「司令官・・・ついに頭が・・・」

 

「おかしくなってないからな」

 

とっさに釘を刺されるも、しばらく疑いの目で彼を見つめる。秋山は眉を八の字に下げて、柔らかな溜息を吐いた。

 

「つくづく、面白いやつだな、榊原少佐は」

 

ピラッ。手に持っていた書類を机の上に置いて、秋山はさも可笑しそうに微笑んだ。書類は、大きさからして戦闘詳細だろうか。パラオからルソンを経由しての定期便が入港したのは正午だから、早速それを読んでいたのだろう。

 

最近の秋山は、パラオ泊地の動向に終始ご執心であった。そんな彼の様子が、若干面白くないのもまた、事実である。

 

「何かあったんですか?」

 

給湯室に入ってお茶を淹れる準備をしながら尋ねる。口の端に笑いを含んで、秋山は答えた。

 

「艦隊の名前を決めたらしい」

 

「艦隊の名前ですか?」

 

「二つ名、ってやつだな」

 

「へえー。それは、面白いことを考えてますね」

 

コポコポと音を立てて沸いたポットのスイッチが上がり、それに合わせて湯呑みと急須を用意する。今日は新しい茶葉を使ってみようかな。

 

「どんな二つ名ですか?」

 

「三日月夜の鋼鉄乙女たち」

 

間違いなく摩耶さんの考えた名前だ。吹雪は直感して、お盆に乗せた湯呑みを運んでいく。二つの湯呑みからは、温かな湯気が立ち上って茶葉のいい香りがしていた。

 

「パラオ泊地にはぴったりの名前ですね」

 

「まったくだ」

 

ありがとう、と湯呑みを受け取った秋山は、大きく笑ってから口を付けた。

 

「あっつ!!」

 

途端、予想以上に熱かったお茶に、慌てて舌を冷やす。ヒーヒー言いながら、涙目でこちらを見る秋山に対し、吹雪はいい笑顔のままだ。

 

「吹雪さん、熱いです」

 

「そうですか」

 

「・・・なんか、怒ってらっしゃいます?」

 

「いえ、別に」

 

それから吹雪は、フーフーと冷まして自分の湯呑みに口付ける。あれやこれやと、こちらの機嫌を取ろうとする秋山から、週末デートの約束を引き出したところで、吹雪は満面の笑みを浮かべるのだった。




何で三日月かって?

満月だと・・・なんか、違うじゃん?

次回からは、トラック攻略戦への準備になりそうです

その前に、後二人ほど新艦娘を加えなければいけませんけど・・・

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