パラオの曙   作:瑞穂国

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一機艦への第一次攻撃も大詰めです

赤城たちは、無事に深海棲艦からの攻撃をしのげるのか?


紙一重

艦体に衝撃が走った。四万トンを超える巨体が、微かに震え、その痛みを訴える。地震大国に産まれたせいで慣れてしまった揺れという現象に、どこか落ち着き払った心持ちで、塚原は指示を飛ばす。

 

「被害報告」

 

そう言いつつ、艦橋右舷に広がる飛行甲板を見遣る。視界の範囲に、被弾痕らしきものは見受けられない。まっさらな木甲板が横たわるだけだ。

 

報告が寄せられるよりも前に、残った敵弾が降り注ぐ。艦橋のすぐ脇に海水の塊が沸き起こり、左舷側の視界を真っ白に染める。艦底部から突き上げるような振動が伝わってくるが、“赤城”は動じた様子を見せていなかった。

 

「四番高角砲に命中しました。飛行甲板への損害は確認できません」

 

妖精からの報告を赤城が読み上げる。塚原は内心で安堵の溜息を吐いた。

 

例え艦体は無事でも、甲板に穴を穿たれれば、その時点で“赤城”は全ての戦闘能力を失うことになる。

 

「消火作業に勤めます」

 

「よろしく頼む」

 

赤城に頷いて、塚原は艦隊右翼を見た。そこに位置取る“筑摩”、“谷風”の二艦は、いまだ対空戦闘に参加していない。しかしながら、その高角砲はすでに、新たな敵機に対して砲口を指向していた。

 

『六直艦、一機艦、目標右舷敵雷撃機』

 

“利根”から新目標の指示が来る。他の攻撃隊を迎撃している間に、艦隊右舷方向に回り込んできた敵雷撃機が、間もなく対空砲火の有効射程圏内に入ろうとしていた。

 

直掩隊はすでに離脱している。濃緑と明灰白色を塗られた機体が翼を翻し、高度を稼ぐ。それが、対空射撃の開始が近いことを如実に示していた。

 

「目標、方位二一五の敵編隊」

 

先ほどまで敵爆撃機に対して射撃を行っていた“赤城”の高角砲が、今度は砲身を提げて、敵雷撃機に照準をつける。改装によって換装された長一〇サンチ砲が、その真価を発揮する時だ。

 

「来るでしょうか?」

 

どこかのんびりとした様子で、赤城が呟く。輪形陣中央の“赤城”からは、まだ高角砲の有効射程に敵雷撃機を捉えられていない。

 

「一発逆転ホームラン狙いは、十分に考えられるな。回避運動で陣形がわずかに崩れてる。この機会を見逃してくれるほど、深海棲艦も甘くはないからな」

 

塚原が答えるのと同時に、“筑摩”と“谷風”が発砲した。振り立てた一二・七サンチ連装高角砲から褐色の炎が噴き出し、艦隊に迫る脅威を排除しようと一気呵成に畳みかける。

 

塚原は、海面すれすれをミズスマシのように這っている影に視線を移す。三角形に近いフォルムは、どこか紙飛行機のようで、滑稽ですらある。しかし、その腹で黒光りしている鋼鉄の槍は、軍艦の腹を容易く貫くことができる、恐ろしい兵器だ。

 

放たれた高角砲弾が、敵雷撃機の周囲で炸裂し始める。真っ黒い雲が敵編隊を包み込み、その姿を隠す。すわ、まとめて敵機を屠ったようにも錯覚してしまうが、数秒後には敵雷撃機が雲の合間から健在な姿を現す。

 

二艦の対空射撃は続く。およそ六秒おきに、高角砲が火を噴き、調定された時限信管を作動させて、砲弾が弾片を周囲にまき散らす。衝撃波が敵雷撃機を揉みしだき、容赦なく揺さぶっている。

 

それでも、敵雷撃機はなかなか落ちない。相変わらず頑丈な機体だ。

 

その雷撃機めがけて、なおも各艦から対空射撃が続く。艦上で橙色の炎が踊るたびに、超音速で高角砲弾が飛び出し、雷撃機の群れに突入していく。

 

編隊のほぼ中央付近で、時限信管が作動し、真っ黒な花弁が広がる。

 

弾片をもろに受けたのか、一機がフラフラと高度を下げていく。

 

爆風に押し潰された一機は、原形を留めずに海面に叩きつけられる。

 

「“秋月”、撃ち方始めました」

 

赤城の報告に、塚原は輪形陣前方を見遣る。回避運動の結果、一時陣形から外れていた防空駆逐艦が、盛んに主砲を撃ち上げる。艦中央付近からは、被弾のものと思われる黒煙を引きずっているものの、それを意に介することなく、艦隊を守る盾としての役目を果たす。

 

「“浜風”、撃ち方始めました」

 

輪形陣最後尾の駆逐艦も、対空砲火を再開する。陣形は乱れたが、一機艦はようやく本来の対空射撃を取り戻したことになる。

 

「敵編隊、距離一〇〇。高角砲、撃ち方始めます」

 

「よろしく頼む」

 

塚原の言葉に、赤城が頷く。次の瞬間、飛行甲板右舷の長一〇サンチ砲が、一斉に咆哮した。戦艦のそれには劣るとはいえ、八門の一斉射撃ともなれば、艦上に響く砲声も猛々しい。

 

後続の一航艦各艦も高角砲を撃ち上げる。変則的な複縦陣を敷いている一航艦は、最前部に“赤城”、最後部に“五十鈴”を配し、“加賀”と“飛鷹”、“千歳”と“千代田”が並んでいる。この内、右舷から迫る敵雷撃機に対して射撃が可能な、“赤城”、“飛鷹”、“千代田”、“五十鈴”が対空砲火に加勢する。

 

投射される弾量が増えたことで、雷撃機にも被害が蓄積し始める。それでも、概算で三十機になろうかという全機を撃墜することは不可能だ。

 

「敵雷撃機、真っ直ぐこちらに向かってきます!」

 

艦橋トップ、防空指揮所からの報告を、赤城が口頭で伝える。雷撃機の狙いは、あくまで輪形陣中央、一航艦の空母ということか。

 

「距離が二〇を切ったら、回避運動に入ってくれ」

 

雷撃機の投雷距離は、一千メートル前後だ。艦体の大きな“赤城”が転針するまでにかかるロスタイムを考えれば、距離二千メートルで舵を切りだすことで、敵雷撃機に投雷位置の修正を許さないことになる。

 

赤城もそれをわかっている様子で、対空砲火を放ちながら、敵雷撃機との距離を計り続けている。

 

“筑摩”、“谷風”の対空砲火に、機銃の曳光が加わり始めた。しばらくすると、“秋月”も対空砲火を機銃に切り替える。敵雷撃機は、すでにそこまで、間合いを詰めているのだ。

 

「距離六五」

 

海面を突き進む敵雷撃機は、高角砲弾と機銃の嵐の中を、怯むことなくこちらに向かってくる。丁度、“秋月”と“筑摩”の間を通って来るコースだ。

 

無数の曳光弾を引いている機銃弾が、海面をミシン目のように這いまわって、小さな水柱を上げ続ける。

 

正面からまともに機銃を受けた機は、機体の各所に穴を穿たれ、白煙を引きずって波に飲み込まれる。

 

機銃と高角砲弾の炸裂に挟みこまれた機体は、なす術なく空中で分解して、バラバラと海面をざわめかせる。

 

「距離三五」

 

敵雷撃機がついに、六直艦の弾幕を抜けて、一航艦に迫る。その背後から追いすがるようにして、“秋月”と“筑摩”の機銃弾が浴びせかけられるが、それらが新たに敵雷撃機を捉えることはない。

 

後は、“赤城”たち自身の対空砲と、回避運動に託された形だ。

 

魚雷の投網を投げかけようとしている敵雷撃機を、真っ直ぐに睨みつける。ここが正念場だ。

 

“赤城”からの対空砲火にも、機銃が加わる。改装時に増設された機銃が唸りを上げ、薬莢を銃座周辺にばらまきながら、敵雷撃機に口径二五ミリの弾丸を吐き出し続ける。

 

曳光弾のシャワーが、敵編隊を包み込む。ともすれば、その勢いのみで敵雷撃機を絡め取り、海の藻屑に変えてしまいそうなものだが、そんなことは起きない。輪形陣を突破する間に、二十数機まで数を減らした敵雷撃機だが、それ以上戦力を削られることなく、まるで感情を欠落させたように、こちらへ向かってくる。

 

敵編隊の狙いは、おそらくこの“赤城”と、対空砲火が貧弱な“千代田”だ。

 

「距離二〇。取舵一杯。最大戦速」

 

先に決めた通り、赤城が転針を指示する。舵角指示器の針が一杯まで振り切れ、舵が最大の効力を発揮しようと艦尾で頑張っていることを示す。

 

それでも、艦体はすぐには曲がらない。四万トンもの艦体が引き連れている慣性力は非常に大きく、艦の方向を変えるにはそれなりに時間が必要だ。

 

「敵機、投雷した模様。距離一〇」

 

“赤城”が転針するよりも前に、投雷点に辿り着いた敵雷撃機が、腹に抱えていた魚雷を落とした。活躍の時を虎視眈々と待ち望んでいた魚雷は、海面に突き刺さるや否や、正常にその主機を作動させて、真っ直ぐに“赤城”へ猛進してくる。航跡が白く海面に伸びていた。

 

この時になって、ようやく舵が利き始める。鋭い“赤城”の艦首が、穏やかな海面を引き裂きながら右へ右へと向いていく。その先には、刻一刻と魚雷が迫っていた。

 

投雷を終えた敵雷撃機が、転針していく“赤城”の艦首を掠める。

 

“赤城”は、間もなく魚雷への正対を完了しようとしていた。

 

「舵戻せ、中央」

 

舵が戻され、当て舵によって針路が安定する。艦首方向、飛行甲板前縁の向こう側から、魚雷の真っ白な航跡が、海中を進む鉄槍となって“赤城”に襲いかかろうとしていた。

 

―――後は運次第だ。

 

やれることは全てやった。ここから先には、ある種の割り切りが必要だった。

 

“赤城”は機関を唸らせて、魚雷に向けて突き進む。その距離がゼロになるまで、さして時間はかからなかった。

 

艦首の先、迫る魚雷の白い軌跡。泡立つ海面、その下の淡い青色の影が、艦首の向こう側に吸い込まれた。

 

赤城が息を飲む。塚原もまた、丹田の辺りに力をこめ、これから襲ってくるであろう衝撃に備える。

 

しかし、予想に反して、魚雷炸裂の衝撃は襲ってこない。“赤城”は相変わらず、穏やかな海面を、全速力で駆けている。

 

「・・・魚雷、本艦の後方に抜けました」

 

どこか拍子抜けした様子で、赤城が報告した。それから、チラリとこちらを窺ってくる。

 

「・・・水流が、魚雷を跳ね飛ばしたんだろう」

 

最大戦速を発揮する大型艦の周囲には、大きな水の流れが生じる。四万トンの艦体に押し退けられた海水が、ある種の壁となって、魚雷の進路を狂わせたのだろう。

 

各部に被害はない。対空砲火と回避運動、また自らの排水量が、“赤城”に被雷を許さなかったのだ。

 

だが、万事うまくいくわけではない。

 

後方から、おどろおどろしい轟音が届いた。反射的に音の方向を振り向く。

 

“赤城”と同じように回避運動を取っていた小型空母の舷側に、遥かな天を突く勢いで海水のオブジェがそびえ立つ。白濁した海水は、火薬を含んでいるからか、わずかにくすんで見えた。それが、船にとって最悪の事態が訪れたことを示している。

 

「“千代田”被雷!」

 

件の軽空母は、回避運動を取ったものの、最後の最後で運を使い果たしてしまったのだろう。

 

被雷箇所は艦首付近であろうか。“千代田”は速力を落とし、応急処置を始めている。今のところ、沈没の兆候はない。

 

『こちら“千代田”!艦首右舷に被雷一。ダメージコントロールにかかります!』

 

千代田が報告する。

 

艦隊の速力を落とし、陣形を再構築するように命じてから、塚原は去っていく敵編隊の方向を見る。

 

これで終わりではない。あれだけの防空戦術を駆使しても、艦隊の被害をゼロにすることはできなかったのだ。

 

敵編隊が去っていく先、第二次攻撃隊の準備をしているであろう敵機動部隊を、塚原は睨む。陽が沈み、航空機の世界が終わりを告げるには、まだ四時間近い時間があった。




第一次攻撃をしのげても・・・

まだまだ厳しい一日が続きます

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