作戦参加艦艇が、パラオ泊地に集結します
パラオ泊地に、いつぞやと同じ賑やかさがやって来た。
入港を告げる汽笛が鳴り響く。野太い音は、ようやく水平線のこちら側にやって来たばかりの艦影からも、よく届く。腹を震わせるようなその音に、懐かしさすら感じた。
『NT作戦』が、間もなく発動される。その参加艦艇のうち、第一陣が、今日入港するのだ。そして案の定、その第一陣を率いていたのは、榊原の知る人物であった。
十数隻の艦隊において、最も目を引くのは、二隻の巨艦だ。どちらも、連装砲塔を四基備える、スラリと絞られた艦体が印象的だった。一目で、日本海軍最速を誇る高速戦艦、“金剛”型の二隻だとわかった。そして、“金剛”型二隻を中心とした高速水上部隊を率いる提督は、一人しかいない。
停泊作業が終わり、しばらくすると、独特の音を響かせながら内火艇が近づいてきた。その艇首に立つのは、二人の女性。勝気な印象の第一種軍装と、元気に満ち溢れた巫女服だ。
「お久しぶり・・・と言うほどでもないかな、榊原中佐」
内火艇から降りた第一陣の艦娘たちと敬礼を交わし終わるなり、角田は気さくに話しかけてきた。
「お久しぶりです。お怪我は、もう大丈夫なのですか?」
「おかげさまでね。まあ、元々元気だけが取り柄だからさ」
そう言って、角田は先日の戦闘で骨折した左腕を叩いて見せる。驚異的な回復力だ。
「その、唯一の取り柄を最大限に活かすためにも、もう少し自分の体を大切にしてくださいよ」
後ろに控える比叡は不満げだ。その目が、本気で心配していることを窺わせる。
「角田テートクと一緒だと、何だかもう一人妹ができた気分デス」
そう言って、金剛も比叡を援護する。サイパン沖での角田を知るだけに、二人とも思うところがあるのだろう。
だが、そんなことをいちいち意に介するような角田でないことは、その場の誰もがわかっていた。言っても無駄なことは承知だが、それでも言わずにいられないこともある。
「大丈夫だって、あんな無茶はもう二度としないから」
「・・・司令の『大丈夫』ほど信頼できない言葉もないんですけど」
半目で角田を見つめる比叡が、盛大に溜め息を吐いた。相変わらずの苦労人属性である。
「塚原大佐の心配もわかります」
「えー、そこで塚原の名前を出すのはズルイよ、比叡ちゃん」
サイパン沖の無茶の後、角田が“常識をわきまえている”同期の提督にこっぴどく叱られたことは、榊原も聞いていた。塚原の心配には、少なからず角田への愛情が含まれていることも。
角田にとって、文字通り塚原が最後のブレーキなのだ。
「ほらほら、それより早く寮に行こうよ」
形勢不利と見たか、角田が比叡の背中を押す。立ち話もなんだ。積もる諸々は、食事の時にでもすればいい。
食堂部が艦娘と提督をそれぞれ寮へと案内していく。その背中を目で追いながら、榊原は参加艦艇第一陣の編成を思い返していた。
角田座上の“比叡”を旗艦とする第一陣の編成は以下の通り。
戦艦・・・“比叡”、“金剛”
空母・・・“瑞鳳”
重巡洋艦・・・“高雄”、“愛宕”、“鳥海”
軽巡洋艦・・・“鬼怒”、“川内”
駆逐艦・・・“白雪”、“初雪”、“深雪”、“叢雲”、“磯波”
これらのBOBは、“瑞鳳”を除いて、パラオ泊地艦隊とは別の突入艦隊として、トラック環礁への直接攻撃を担当する部隊だ。
『NT作戦』参加艦艇は、全てで四陣に分けられて、このパラオにやってくる予定だ。第二陣は早くも五日後には入港予定で、主力となる戦艦や空母部隊を伴うことになっていた。
総参加艦艇数は六十隻を超える。文字通り、過去最大の作戦規模であり、それだけトラックの守りが固いということでもあった。
再びパラオに吹き付け始めた、戦いの風。生暖かいその空気を敏感に感じ取って、榊原は踵を返す。今はとにかく、自分の職務を全力で果たす他なかった。
到着したての角田たちを労う意味も込めて、今夜の夕食はいつもより贅沢だった。とはいっても、おかずが一品増えた程度なのだが。それでもやっぱり、嬉しいものである。
トレーに並んだ今晩の夕食に、腹の虫が鳴きそうになるのを感じつつ、榊原は食堂に席を探す。いつもより机の数が増えた食堂は、あちこちで艦娘の声がした。
「榊原中佐」
喧噪の中でもよく通る声に、そちらを振り向く。見れば、角田が満面の笑みで手招きをしていた。一緒に食べないか、ということだろう。
「失礼します」
角田の前に席を取り、腰かける。彼女の腹心たる比叡は、金剛と大和、祥鳳と同じ席に座っていて、楽しげに談笑していた。その様子を、角田が微笑ましげに見つめている。
「いいよねえ、ああいうの」
何のけなしに呟くその頬が、ますます緩んだ。
「女の子同士が仲良くしてるのって、微笑ましいねえ」
発言がおっさんクサいですよ、とはさすがに言えず、榊原はその台詞を飲み込んだ。こうなると、同意の首肯を返すしかない。まあ、実際非常に微笑ましい光景ではあるのだが。
「ま、それは置いといてさ。せっかくの機会だし、久々にゆっくり話そうと思ってね」
箸を進めるように言いながら、角田が話し始める。
「もう、随分と『提督』が板についてきたみたいだね」
「いえ、そんなことはありません。まだまだ未熟で・・・曙には、叱られっぱなしです」
「あはは、相変わらず謙遜だねえ。そんなこと言ったら、僕だっていっつも、比叡ちゃんや塚原に怒られてばっかりだよ」
角田が苦笑いを浮かべた。
「そういうことじゃなくてさ。艦娘と共にあり、艦娘を導く者としての覚悟みたいなのが、決まったみたいだね」
ホカホカと湯気を上げる白米を口に運びながらの、軽い口調だ。それでも、確かな重みと、それに反して湧かない実感と共に、榊原の手のひらに圧しかかる。
「わかりません。でも、もっと自分を信じてみたいと思います」
「うんうん、そうだね。それがいいよ」
大げさに頷いた角田は、ニコニコと上機嫌な様子でそう言った。
「話は、全く違うのですが」
魚の煮つけを箸でほぐしながら、角田の方を窺う。目線で先を促す彼女に、榊原はさらに続けた。
「横須賀の―――本土の様子は、どうなのですか?こちらにいると、あまりそういったことに触れる機会がないので」
「ああ、なるほどね」
得心した様子の角田は、しばらく考えるようにして、口を開く。
「そうだなあ。やっぱり、一番大きい動きは、本土防衛艦隊とのことかな」
「何かあったのですか?」
「今回の作戦に、横須賀の第一護衛隊群が参加する予定だったのは、知ってるよね?」
「はい。参加取りやめの通知は、つい五日前に来ました」
第一護衛隊群は、横須賀を母港とする本土防衛艦隊所属の艦隊だ。もっとも、旧自衛隊時代の第一護衛隊群とは、大きく異なる組織である。
横須賀に所属する現代艦艇は、まとめて横須賀護衛隊群と呼称される。この内、水上部隊(ヘリ空母を除く)を集めたものが、第一護衛隊群だ。その編成は、自衛隊時代の定数八隻を満たしておらず、現在は五隻の艦隊だ。
理由は二つ。第一に、そもそも残存現代艦艇が少ないこと。第二に、その残存現代艦艇の配備は、舞鶴が優先されていること。現に、舞鶴の第四護衛隊群は、一応定数の八隻を満たしている。
そんな第一護衛隊群には、『NT作戦』において、BOB艦隊を空と海中の敵から守る役目が与えられる予定だった。それが、作戦開始直前になって、突如中止されたのだ。
理由の説明は受けていないが、おそらく敵味方識別の問題が解決されなかったのだろうと、榊原は考えている。
「その参加取りやめなんだけどね。どうも、東郷長官を動かしたのは、秋山中将と吹雪みたいなんだ」
「秋山中将と、吹雪さんが?」
横須賀のみならず、日本海軍の中心人物とでも言うべき二人の名前の登場に、榊原は訝る。これは何か、裏があるかもしれない。
「航空機の敵味方識別が難しい、というのが表向きの理由だけど。何ていうか、あんまり釈然としないんだよねえ」
角田も首を傾げる。考え込むような表情のまま、漬け物に箸を伸ばした。やがて、その肩を大袈裟に竦める。
「まあ、その辺り詳しく聞く前に、こうして作戦が始まっちゃったわけだけどさ」
「言い方は悪いですけど。何だか、それ以上の追求を、逃れようとしているみたいですね」
「そうそう。そんな感じが拭えないんだよね。確かめる手段が無いけど」
残念ながら、角田の言う通りだ。すでに作戦は発動段階を迎え、二人はパラオ泊地にいる。最早、その真意を確かめる術はなかった。
「塚原にも一応訊いてみるつもりだけど。あいつも、答えを得るまでは行ってないだろうしなあ」
食べ終わった角田は、御馳走様と手を合わせる。米粒一つ残さない、綺麗な食べっぷりに、きっと釣掛も喜ぶはずだ。
「結局、僕たちは僕たちにできることをやるしかない、ってことかな」
どこか諦観を含みながらも、角田ははっきりと言い切る。その割り切りは、ぜひ見習いたいところである。
「先にお風呂に入ってきていいかな?この話の続きは、その後にでも」
ウィンクを決めて、角田は席を立った。話の続きは、一息入れてから、ということだろう。
榊原も本格的に箸を進める。海軍での生活に慣れるにつれて、食事のスピードは次第に上がっていた。
ものの十分とせず、全てのおかずを空にした。手を合わせて、改めて周りを見回す。すでに食べ終わった艦娘が多く、食堂は食後の歓談といった雰囲気だ。重巡洋艦娘たちは、軽く酒も交えて談笑していた。作戦発動前とは思えない、のどかな空気が満ちている。
―――今から気を張っても、仕方がないか。
所詮は人間。緊張感を持ち続けることなどできない。それは体調を崩すことに繋がる。
トレーを持って立ち上がる。角田に倣って、風呂で一息つくとしよう。今日は雲も少なかったから、露天風呂からは綺麗な星空が見えるはずだ。
この時。榊原は大切なことを失念していた。それは、角田が無類の酒好きであり、酒豪と称するに相応しい女傑であったことだ。
風呂上がりの席には、それが当然であるかのように、一升瓶が置かれていた。今宵、角田を止める者はどこにもなく、榊原は自らの運命を悟ったのであった。
まずは角田大佐の登場でした。今回も、彼女には大暴れしてもらうことになる・・・のかな?
さて、こうくれば次回は・・・機動部隊のあの方です