パラオ最後の休日が、ゆっくりと過ぎていく
「でりゃあああっ!」
裂帛の声に、砂浜が震える。腹の底まで響くようなその声が発せられると同時に、何かが強烈な勢いで打ち出される音。その一部始終を、清水はこの目でしっかりと見届けた。
ネットの手前ギリギリに上げた清水のトスを、絶妙のタイミングで突っ込んで来た摩耶が、ジャンピング・スパイクで相手コートに送り込む。随分と奮闘したが、足柄、霞ペアもここまでだ。
「なんのおおおっ!」
とっさに反応した足柄が、ボールに向かって飛び込む。伸ばされた右手、だがしかし、ボールは無情にも、その先に落ちた。
「よっし!」
試合を決めた最後の一打に、摩耶が満足げなガッツポーズを作る。そのままごく自然にハイタッチを求めてきた。清水がそれに応える。
「うがあああっ、負けたあああっ」
よっぽど負けたのが悔しかったのだろう。相手側コートでは、足柄が悶えるように転げまわっている。それを力づくで止めた霞が、容赦なくズリズリと引きずっていった。
「提督、曙!次、やろうぜ!」
「うーちゃんの実力、見せてやるぴょん!」
長波、卯月ペアが、榊原と曙のペアを急かす。早くも、次の試合が始まりそうだ。
決戦場から退避した清水は、近くの木陰に腰を下ろす。火照った体に、木々の間を抜ける風が心地よい。久しぶりに、いい運動をした気分だ。
バレーコートでは、すでに次の試合が始まっていた。パラオ泊地秘書艦が、華麗なジャンピング・サーブを決めている。
―――当分動かしていないと、なまるものだな。
試合の様子を見守りつつ、腕と肩をほぐす。昔取った何とやら、である程度動けはしたが、やはり動きの重さは否めない。
その時。
ぴと。冷たいものが首筋に触れる。思わず肩を跳ね上げると、押し殺した笑い声が聞こえてきた。摩耶だ。
「お疲れさん」
青春ドラマの定番のような格好で差し出されたのは、よく冷えたスポーツドリンクだ。それをありがたく受け取り、すぐにふたを開けて一口。体の奥底まで染み渡るような感覚がした。
「お前って、バレー経験者だったのか?」
隣に腰かけた摩耶が、意外そうな口ぶりで尋ねる。
「経験者というほどではないがな。高校時代、二年間だけ、バレー部に所属していた」
「十分経験者だろ。いやー、お前と組んで正解だったぜ」
「摩耶の方こそ。随分堂に入ったものだったじゃないか」
「へへん、まあな」
どこか誇らしげに胸を反らす。実際、摩耶の運動能力は凄まじい。パラオ泊地艦隊の中では圧倒的と言っていいだろう。あんなに見事なスパイクが打てる人間は、そうそういない。
「佐世保にいた頃から球技が好きなんだよ。他にもいろいろできるぞ、野球とか」
「なるほど、趣味の一環というわけか」
「ま、そんなとこだな。それに、体を動かすのも、好きだしさ」
そう言いながら、眩しいほどの笑顔を見せる。最近は、本当によく笑ってくれるようになった。それは、清水に打ち解けてくれたからだと、思ってもいいだろうか。
決戦場では、なおも試合が続いている。有利なのは榊原、曙ペアだ。というよりも、ほぼ曙が試合をリードしている。
レシーブに失敗した榊原の背中を、曙が叩く。「ドンマイ」とでも言っているのであろうか。
「・・・あのさ、清水」
のんびり試合の行方を見守っていると、摩耶がわずかに真剣な口調で切り出した。そちらに顔を向ければ、普段から勝気なその瞳が、なお一層強い輝きを放っている。
「なんだ?」
「・・・いや、何ていうか」
うまく言葉が見つからないのか、ほんのしばらくの間があった。
「上手く言えないけど。こうして、また皆と、一緒にワイワイやりたいなって、思った」
「・・・そうだな」
彼女の言わんとしていることは、何となくだが伝わった。
「あたし、この泊地が好きなんだ。海も、空も、仲間も・・・清水や榊原も、前部ひっくるめて、この泊地が好きだ。皆と一緒にいるのが、好きだ。うまく伝わってるか、わからないけど・・・ともかく、そういうことなんだよ」
最後の方は、照れたようにそっぽを向いてしまった。海の方を向いた横顔が、ペットボトルに口をつける。程よく日に焼け、汗をかいた首筋が、液体を嚥下して動いた。
「わかった。全部とは言わないが、摩耶の言いたいことは伝わった」
「そ、そうか」
「だが、もし摩耶が、俺に全てを伝えることができる言葉を見つけたら、また教えて欲しい。摩耶が、この泊地で見つけたものを」
その時はきっと、俺も大切な何かを伝える、言葉を見つけているはずだから。
清水の言葉に、摩耶は黙ったまま、コクコクと頷く。それから、中身が半分ほどに減ったペットボトルを携えて、砂浜へ戻っていく。しなやかなラインを描くその背中を、清水は見つめる。
摩耶から受け取ったペットボトルを、もう一度傾ける。ふたをきつく締め、立ち上がる。榊原、曙ペアと、長波、卯月ペアの決着がそろそろ着きそうだ。コートの脇では、陽炎、磯風ペアと、満潮、木曾ペアが準備体操を行っている。両者ともやる気十分だ。
「いっけえええっ!」
へっぺり腰ながらも、榊原がトスを上げる。そこに遠慮会釈なく突撃してきた小柄な駆逐艦娘が、トドメとなるスパイクを放つ。勝負はあった。
―――やはり、問題はあのペアだな。
パラオ泊地ビーチバレー対決を全勝でもって制するべく、清水は戦略を練り始めた。
*
ビーチバレー対決は、清水、摩耶ペアの全勝で幕を下ろした。昼食を採り終え、今は各々、海を満喫している。
水鉄砲を構えた駆逐艦娘たちが、白兵戦さながらに大型艦娘を襲撃する。それに対して、潜水して背後に忍び寄った足柄が、長波と満潮を同時に海の中に引きずり込む。気づいた霞が対応行動に入り、制圧。
次の瞬間、準備が完了した大和の特大水鉄砲が火を噴いた。猛烈な勢いで、反撃の砲火が駆逐艦娘に放たれる。
「すごい威力だ・・・」
いつぞやと同じく、桟橋から釣り糸を垂らす榊原は、その様子を眺めて苦笑した。
負けじと、駆逐艦娘も反撃している。それまで傍観していた木曾と清水も巻き込んで、最早大乱闘の様相を呈している。
その時、クイクイっと釣り糸が引かれる。引きの大きさからして、結構な大物がかかった可能性が高い。
だが、結局魚はかかっていなかった。釣り糸を引いたのは魚ではなく、海中からこちらを見つめる曙だったのだ。
「残念ね、クソ提督。魚じゃなくて、あたしよ」
「・・・ある意味、大物が釣れた、か」
桟橋のへりに掴まった曙が、よじ登ろうとする。竿を置いて、登ってくるのを助ける。
「ちょっ、どこに手入れてんのよっ!」
「不可抗力だ!」
腋に手を入れて体を引き上げようとしただけである。他意はない。というか、似たようなやり取りを、少し前にしなかっただろうか。
引き上げられた曙は、頬を真っ赤に染めて、明後日の方を向いてしまう。
「・・・座ったら、どうだ」
「・・・そうするわ」
榊原の呼びかけに、曙はゆっくりと腰を下ろした。彼女が隣に座ったのを確かめて、榊原は再び竿を握る。垂らした釣り糸の先を、またぼんやりと眺めた。
座った曙も、ピチャピチャと足で遊んでいた。
「何か釣れた?」
「小魚が何匹か。食べるわけでもないし、そのままリリースしてるけど。結構、カラフルな奴がかかるぞ」
「ふーん」
そう言いながら、桟橋の下側を覗き込む。よくよく目を凝らせば、太陽光が浸透する海面下に、悠々と泳ぐ魚たちが見えるはずだ。
「で、クソ提督は泳がないわけ?」
「海に入ったら、あの戦いに巻き込まれるだろ?」
砂浜で繰り広げられる肉弾戦を目線だけで指し示す。最早水鉄砲すら投げ捨てて、艦娘たちが戯れている。キャッキャウフフ、そんな生易しいものでないことは、榊原でなくてもわかるはずだ。
「ああ・・・なるほど」
曙も納得してくれたらしい。
「それで?また黄昏てんの?」
「黄昏時じゃないから、黄昏てるわけじゃないぞ」
「はいはい、その屁理屈はもういいから」
曙に何かを誤魔化すのはもう諦めている。
「曙は、このパラオ泊地のこと、好きか?」
「はあ?何よ、急に」
榊原の質問の意味を掴みかねたのか、曙が怪訝な声を出す。しばらく考えるような間があった後、こう答えた。
「クソ提督の『好き』がどういう意味合いか知らないけど。あたしは、好きよ。騒がしいし、皆勝手だし、提督は『クソ』に『クズ』だけど。・・・楽しい場所だと思う。だから、好き」
「そうか。それなら、よかった」
釣り糸の先、海面に漂う浮きは、特に動く様子はない。ただただ、静かに波間で揺れている。
「上から通達が来ていてな。『NT作戦』後、無事トラック諸島の解放に成功したら、俺たちがそのまま、拠点を移すことになるらしい」
「つまり、作戦が成功したら、こことはお別れってこと?」
「そういうことになる」
「ふーん。そう」
寂しくなるわね。呟くような短い言葉に、曙の心の内が漏れているようだった。
「『パラオ泊地艦隊』として戦うのは、これが最後だ」
たった、半年ほど。それだけの期間でしかなかったはずなのに。
この泊地で、多くの経験をした。
提督になって。
戦闘のイロハから、指揮官としての心構えまで、曙をはじめとしたパラオ泊地の面々に教わった。
共に戦場に出て、深海棲艦と戦った。
多くの疑問もまた生まれた。
これほどに充実して、中身の詰まった半年間は、先にも後にも、これだけに違いない。
そして。
隣の曙を窺う。
榊原の隣には、いつも彼女がいてくれた。最も付き合いの長い艦娘。厳しくも優しい、パラオ泊地の秘書艦。
「・・・ねえ」
そんな曙が、榊原を呼ぶ。
「やっぱり、泳ぐわよ。この綺麗な海を楽しまないなんて、もったいないでしょ、クソ提督」
言うや否や、曙は桟橋から飛び込む。上がる水飛沫。一旦潜航した後、海面から顔を上げた曙が、榊原を手招く。
「ほら、クソ提督。泳ぐわよ」
前髪を滴る雫。波間を漂う艶やかな髪。南国の太陽をその奥に宿す、群青の瞳。
「ああ、そうするか」
釣り針を引き上げ、テキパキと片付ける。上に羽織っているパーカーを脱ぎ去った。そうして、曙に倣い、桟橋から飛び込む。
瞬間、世界から音が消える。飛び込んだ先、視界一杯に広がる景色は、揺らめく光線に照らされて、幻想的な美しさを醸し出す。その中を、優雅に泳ぐ魚たちが、随分と親しげな存在に思えた。
海面に顔を出す。目の前には、いつになく柔らかな笑みを浮かべた、曙がいた。
「綺麗でしょ」
「・・・ああ」
綺麗だ。そこに込めてしまったもう一つの意味は、彼女に気づかれなかったようだ。
パラオの海を、全身に感じる。海を搔き分け、波間に漂い、仲間たちとはしゃぎまわる。
パラオ最後の休日は、たくさんの笑顔と、幸せと共にあった。
さて、次回からはいよいよ、本格的に『NT作戦』の開始です
またまた、秋山と吹雪に動いてもらいます