パラオの曙   作:瑞穂国

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どうもです

祝百話突破


進ンダ先ニ待ツモノ

夕闇迫るパラオ泊地。埠頭のコンクリートを染めるのは、暖かいオレンジ色だ。庁舎やら工廠施設やらの影が所々にさして、まだら模様を作っている。海のグラデーションとはまた異なる色使いを、榊原はどこかぼんやりと眺めていた。

 

『NT作戦』の発動は近い。もう二週間もすれば、各地の鎮守府や泊地からBOBが終結し、このパラオを基点として作戦を遂行していくことになる。

 

作戦要綱も届いた。内容を確認し、いつものように執務机の鍵がついた引き出しに仕舞っている。

 

―――始まろうとしている。

 

『IF作戦』の時から、多くのことがわかった。それと同じくらい、多くの謎と疑問が生まれた。

 

艦娘と深海棲艦の存在に迫る何かが、トラック諸島にはあるのだ。

 

パラオ泊地艦隊が、そんなトラック諸島への突入部隊に編入されたのは、ただの偶然ではあるまい。おそらくは、塚原か角田あたりが、意見具申をしたのだろう。それから、吹雪も。

 

彼ら彼女らに代わり、トラック諸島に何があるのかを確かめるのも、榊原と清水の大切な役割だ。

 

―――一体、何が待ち受けているんだ。

 

先はまだ、霧の中だった。

 

そこでハッと意識が目の前に戻る。そこは、浮きドックにほど近い、第一埠頭。眼前に舫われているのは、我らがパラオ泊地秘書艦にして榊原の旗艦、“曙”だ。この艦との付き合いも、何だかんだと長い。

 

自分の足が自然に向いていた先に、榊原は苦笑するしかなかった。

 

“曙”の甲板上、当直をしていたらしい妖精の一人が、榊原に気づく。陽気に手を振る彼に続いて、チョコチョコと数名の妖精が現れた。榊原もそれに振り返す。

 

「・・・どこで黄昏てるかと思ったら、こんなところにいたのね」

 

背後にある人の気配は、そんなことを言いながらこちらへとやってくる。曙は、わざわざ榊原を探しに来てくれたらしかった。

 

「ああ・・・少し、散歩でもしようかと思ってね。晩ご飯、もうできた?」

 

「まだよ。もうそろそろできるみたいだけど」

 

答えながら、曙も榊原の隣に並ぶ。右隣の横顔をチラリと窺った。深い蒼にオレンジが差したその瞳は、泊地前に広がる海のごとく、澄んでいる。

 

榊原の視線に気づいたのか、曙が怪訝な表情を見せた。

 

「何よ」

 

「・・・不思議だな、と思った。考え事をしながら、ただぼーっと歩いていただけなのに、いつの間にか“曙”のところに来ていた」

 

目を見開いた曙は、プイッとそっぽを向いてしまう。

 

「ふ、ふーん。あっそ」

 

言葉も反応もそっけないが、その端々にはまんざらでもなさそうな雰囲気が見える。本当に、可愛らしいやつなのだ。

 

「それから、これまでのことを、思い返してた。曙との付き合いも、随分と長くなったなと、思ってな」

 

黒光りする“曙”の艦体に触れる。影になった舷側はヒンヤリとして、榊原の手から熱を奪う。それが心地よい。思えば、いつもこの艦に、色々なものを委ねてきた。

 

「・・・ねえ」

 

感慨にふけっていた榊原を、曙が呼ぶ。夕方のせいか、どこか優しく、慈しみの籠った声音。

 

「少し、上がってかない?まだ、ご飯まで時間あるし」

 

そう言いながら、“曙”の方を指さす。その先では、妖精たちがチョイチョイと手招きをしていた。上がってこい、ということらしい。

 

「いい風に当たれるわよ」

 

タラップに足をかけた曙の誘いを、素直に受けることにした。

 

「お言葉に甘えて」

 

先に上がった曙を追いかけるように、榊原もタラップを上がっていく。舷門から甲板に上がった途端、潮風が通り抜ける。とっさに制帽を抑えた。

 

「こっちよ」

 

艦尾の方へ歩いていく曙の背中についていく。第一煙突の横から、一番連管、少し細い第二煙突と通り過ぎる。二番、三番連管の間には、機銃座が増設されていた。後部マストに追加されているのは、対空用の一三号電探だ。マスト基部にも機銃が増設され、その後ろに第二、第三砲塔と続く。そうして辿り着いた後部甲板も、爆雷投射器や投下軌条、掃海具などが設置されている。

 

それらを流し見ながら、曙の待つ艦尾へと向かう。風に流される長い髪。飾りの鈴が、太陽の光を反射していた。

 

「いつ見ても、美しい艦だ」

 

素直な感想を漏らす。曙はどこか嬉しそうに、「あっそ」と答えた。

 

彼女の隣に並び、夕暮を映し出すパラオ泊地沖を見つめる。波間に反射するオレンジ。所々は眩しい白。飛び交う海鳥の声まで聞こえる。水平線の向こうは、まだ透き通った蒼に染まっている。

 

のどかな、ただただゆるるかな時の流れる、広大な海がそこに横たわっていた。ここが最前線の基地であることなど、忘れてしまいそうなほど。

 

曙は何も言わない。榊原もまた、何も言わない。

 

この景色を伝える言葉を、榊原は持ち合わせていなかった。曙にかける言葉も、わからなかった。

 

それなのに、隣の彼女の想いだけが、ひしひしと伝わってくる。この景色の中に映りこむ彼女の決意が、確かな感触を伴ってこの胸に伝わってくる。

 

「・・・心配を、かけたか」

 

ポツリと漏れてしまった言葉は、飲み込むには遅すぎた。

 

「自覚があるなら、いいけど。・・・クソ提督、ここのところ、考え込んでることが多かったから」

 

秘書艦として、一緒にいる時間が長いから、というのもあるのだろうが。よく周りを見ている娘だ。榊原程度の誤魔化しでは効くまい。

 

考えることが、多くなったのは事実だ。現にさっきまで、思考の海に没頭していた。言い訳のしようはない。

 

「色々考えちゃうのは、わかるわ。あたしだって、色んな事が気になる」

 

進んだ先、そこには何があるのか。誰が待っているのか。過去を認識できるからこそ、未来に思いを馳せてしまう。それは幸せで、同じくらい辛い事。

 

我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ向かうのか。同じ問いかけは、艦娘にも通用する。

 

「・・・ほんと、難儀よね。どうして、ただの軍艦じゃなかったのか」

 

諦観にも似た呟き。その答えは、誰も持ち合わせていない。少なくとも、今は。

 

海を映していた曙が、榊原を振り向く。海色を写し取ったかのような群青の瞳に、真っ直ぐ射竦められる。風がギリギリ吹き抜けていくだけの距離、ほんの数十センチ。榊原の肩ほどしかない曙が、こちらを見上げるようにして、榊原の顔を覗き込む。

 

「クソ提督」

 

「どうした?」

 

「・・・海の方を、向いて。あたしがいいって言うまで、そのままで」

 

指示の意味がわからず、首を傾げながらも、曙の言ったとおりにする。オレンジの領域は、先ほどよりも広くなっていた。水平線の辺りにも、すでに蒼は見つからない。

 

しばらくそうしていたが、何も起こらない。

 

「曙・・・?」

 

榊原が尋ねようとした、まさにその時。

 

ギュッ。

 

小柄で柔らかい温もりが、はっきりとした存在感を榊原の背中に伝えた。

 

何が起こったかを理解するのに、数秒を要した。

 

榊原の背後から、曙が抱き着いている。細くしなやかな手が腰のあたりに巻き付き、前で交差する。締め付けは強めだ。それゆえに、彼女の体温と重さ、そして心臓の鼓動まで、聞こえてきそうだった。

 

「こっち向くな。何も言うな」

 

うろたえた榊原の切っ先を制するように、曙が早口でまくし立てる。開きかけた口を閉じるしかない榊原は、曙が抱き着くまま、身動きが取れない。

 

「・・・暖かい?」

 

「・・・ああ」

 

背中越しに伝わる曙の温もりは、昼間の太陽が作る、陽だまりのようで。否が応でも伝わってくる、優しさ、愛しさ。

 

「そっか。・・・よかった」

 

榊原の短い答えにも、曙は満足そうに言った。

 

「あたしの体温は、ちゃんとクソ提督に伝わってる。だから、偽物じゃない」

 

ポツポツと語る言葉に、普段のような力強さはない。そこにいるのは、たった一人、曙という少女。榊原に見せたことのない、曙自身。

 

だから、俺に振り向かせないのか。

 

それはおそらく、彼女の矜持。艦娘として、秘書艦として、提督である榊原を支えていくという、決意。

 

「言葉だけじゃ、ダメよね。こうして、相手に触れて、その温もりを感じることが、きっと必要だから」

 

難儀な体と、意思を持って。それでも、こうして嬉しいこともある。喜びがある。

 

曙の言葉に、榊原は身じろぎ一つできず、耳を傾ける。

 

「・・・クソ提督は、あたしが護る。クソ提督が見たいものがあるなら、あたしがそこまで連れて行ってあげる。・・・だから、あたしにも・・・クソ提督と一緒の未来を、見させて」

 

かつてない破壊力を持った、殺し文句。

 

それからゆっくりと、曙が榊原から離れていく。その温もりを名残惜しく思ったのは、贅沢が過ぎるというものだろうか。

 

「い、いいわよ、もう。ありがとう」

 

上ずった声が聞こえて、榊原はようやく、曙の方を振り向く。夕陽の中でも明らかに赤い頬。わずかに泳ぐ視線。それらを誤魔化すように、曙が言う。

 

「そ、そろそろ、準備も終わる頃ね。戻るわよ、クソ提督」

 

速足で艦を後にしようとする曙の背中。その背中に、榊原は声の限り、呼びかける。

 

「曙!」

 

ピタリと動きを止めた彼女は、それでも振り返らない。構わずに、榊原は続ける。

 

「俺の夢は、曙たちの未来を作ることだ。この戦いが終わった、その先の未来を描くことだ。まだ絵空事にしか過ぎないし、超えなきゃいけないものは、俺が思っている以上に厳しく、多いかもしれない。それでも、俺は曙たちと、未来を見たい。だから、」

 

だから、俺の未来に、付き合ってくれ。

 

榊原の言葉を聞き届けて、曙は初めて振り返る。浮かぶのは、稀に見せてくれる、満面の笑み。そして、頬を伝う一滴。

 

大きく、頷く。何度も何度も、こちらに届くように、首肯して見せる。やがて彼女は、駆け足でタラップを下り、庁舎へと戻っていった。

 

残された榊原に、妖精が歩み寄る。よくやった、とでも言うように、ポンポンと足を叩いて、再びどこかへと行ってしまった。

 

夕陽が沈む。西の空、泊地の沖に見える、水平線。その縁同士が触れてからは、想像以上に早い。あっという間に三分の一ほどが向こう側に消える。明日の夜明けが来るまでは、しばしの別れだ。

 

曙。それは、夜と朝の境界線。明日の始まりを告げるもの。未来の希望を静かに謳うもの。

 

パラオの曙に出会うのは、まだ先の、しかしそう遠くない未来のことだ。




ようやく終わりが見えてきた・・・

次回は横須賀、秋山と吹雪の話です

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