北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
李師の全軍が先鋒たる華雄から川上から川下へと舟が下るようにしずしずと退いていく光景を賞賛の眼差しで見た後、傍らの典韋を顧みる。
「流琉。あれが名将だ。退くべき時に退き、進むべき時に進む。目的を達成すれば疾く退く。これを逆しまにすれば兵は無用に死し、逆しまにせねば謗りを受けることはないだろう。
少なくとも、これを体現している仲珞から学べば愚将にはならない」
「はい」
凄まじい皮肉と毒を込めての一言の後、夏侯淵は目の前に跪く鍾会にちらりと視線をやった。
軽く溜息をつき、彼女はそのまま鍾会を見やる。
鎧の左肩口は斧に削り取られ、背中に何本か矢が刺さっていた。
正に見本となるべき敗軍の将というべきであろう。
「鍾士季。私としては仲珞と同じく貴官に二択を与えることができる。言い訳を述べた上で裁きを待つか、それとも何も言わずに謹慎し、裁きを待つか。結末が相似形だということでは類似した選択を二度もぶつけられてご苦労なことだが、どちらがいい?」
「言い訳は致しません」
「ならば謹慎して裁きを待て。貴官の麾下の軍は―――」
言いかけて苦笑し、夏侯淵は軽く首を振った。
曹操軍の一軍は一万二千。夏侯淵は都督としての任を全うするにあたり、臣下としては異例の五軍を率いていたし、曹操は直接指揮下として五軍を、夏侯惇は一軍を、援軍としての鍾会も一軍を率いている。
正確には、鍾会は一軍を率いていた。今でも形而上は率いている。故にこの表現は正しくもあり、著しく間違ってもいた。
「麾下の一隊は、私の軍に組み込む」
全員が死んだとは思えないが、実情としてここに居る鍾会軍は僅かに千二百に満たない。
曹操軍は十二の千人隊で一軍、四の千人隊で一軍の分隊。
夏侯淵に手も足も出ずに領地から叩き出された冀州豪族を併呑した李家軍は五千人で一分隊となり、それが呂布(五千)、趙雲(五千)、華雄(五千)、張遼(五千)、麴義(五千)、張郃(五千)、淳于瓊(五千)で七個連なって三万五千の一軍となっている。
まあ、淳于瓊隊は張郃隊の指揮下に、張繍隊が張遼隊の指揮下に入るので、厳密に言えば横並びに七個あるわけではない。
最低でも二部隊に易京の出城の守備を任さねばならないところを見れば、野戦兵力として運用できるのは三万がいいところであろう。
実に鍾会軍の九割を占める一万人が未帰還となったこの戦いで、李家軍が失ったのは千人未満。
全体で見れば十二軍の内の一軍を曹操軍は壊滅させられ、李家軍は全体兵力の三十五分の一を補充の宛がないままに失った。
この回復能力の欠如が、李家軍最大にして致命の弱点と言っても良いであろう。
「……はっ」
下がった鍾会を見送りもせず、夏侯淵は床几の肘掛けを白魚の指でトントンと叩いた。
他の幕僚や一門も軍の指揮に去り、夏侯淵自身も騎乗して千五百ほどの小集団は後続の一万に合流する。
その後武遂の城につくまで、夏侯淵は剣呑さを表に出さないものの、常にない険しい雰囲気を醸し出していた。
「流琉」
「はい、秋蘭様」
「軍の再編を覇に任せ、吾等はそのまま鄴に向かう」
旧都督府がある鄴には曹操が陳留から移住し、政権の基幹とその軍の殆どをこの地に移している。
汝南や潁川に対徐州、対南陽、対司隷の兵力として二軍を残している為、鄴には五軍が駐留していた。
「敗戦の報告をなされるにしても、自身でなさるのですか?」
「他にも様々理由はあるが、一先ずはそれだな」
調子に乗った公孫瓚勢力が仕掛けてくる可能性もある。しかし、夏侯淵は最前線司令官たる李師の性格的にそんなことは有り得ないと確信していた。
戦術的勝利を得る為に戦争を起こす質ではない。可能な限り戦いを避け、目標を達成するのが李師流である。
もっとも、夏侯淵自身は攻勢に転じた彼を一度しか見ていないし、あくまでもそれは防衛戦内での転換であって純然たる攻勢ではなかった。
「一先ずは先に敗戦した旨を伝えるべく伝令を発たせた。吾々が着く頃には、華琳様の耳に入っているだろう」
実際として、この報告を二人の到着前に受けた曹操は一時呆然としたという。
直前まで赫々たる武勲を挙げ、自身もその能力を認めていた鍾会という将帥をして兵力の九割を失うような大敗を経験さしめるとは、と。
しかしその呆然とした自失はすぐさま戦士としての高揚に変わった。
敵は手強い。だからこそ打ち砕き、従属させる意義がある。
大敗を伝える伝令が最後に付け加えた『後に夏侯都督も参られます』という言葉を受け、曹操はその麾下にある将帥軍師の類いを招集した。
夏侯淵の力量を疑うわけではないが、今更ながら己の不徹底さに気づいたのである。
攻めるならば可能な限りの大兵力を以って攻めねばならない。夏侯淵に別働隊を与えたのは袁紹相手ならば勝てると思ったからであり、自身も統治の制度化と制度の円滑化、豪族の討伐による中央集権化を計らなければならなかったからだった。
それが八割方うまくいった今、遊兵を作る愚を犯すべきではい。
一先ずは、かの公孫瓚の領土と己の領土を隔てている盾の如き忠臣を討つ。討ち、麾下に加えれば夏侯淵や己に比肩する用兵巧者を得ることになるのだ。
そうすれば三つの方面軍を編成することも、適う。自身の配下は粒揃いだが、独自の判断で戦略を描ける将は夏侯淵くらいなものである。
夏侯惇と双璧を謳われているが、局所的な戦術指揮官としても、戦略家としても夏侯淵の方が一枚上手だった。
まあ、その夏侯淵が太史が適役だと評したのは、少しばかりおかしいが。
数時間後に着いた夏侯淵の謝罪と、敗けたとはいえ有為の人材である鍾会の罪をどうか減じてやれないかという嘆願を受けた後、一旦将舎で休ませる。
兎にも角にも、夏侯淵という北方都督として北の戦いの全権を握っている存在の健全な体調と意見が、次の議場には必要だった。
明けて四月十二日。
全軍を十二に分けた軍団の内の一つが壊滅したと言う事態に接して集まった諸将は、夏侯淵が冀州に残した五軍団と防衛に派遣されている二軍団と、壊滅した一軍団を除く残り四軍団の長と軍師たち。
第一軍団(楽進)、第二軍団(李典)、第三軍団(于禁)、第七軍団(夏侯惇)、第八から第十二を率いる夏侯淵。
第四(程昱)、第五(郭嘉)の守備軍団の長は欠席、第六軍団(鍾会)は壊滅。
李家軍での曹操軍の一軍団に相当する分隊が五千で、それも七個しかないところを見ると、その有利不利は戦う前から明らかであった。
曹操直轄の五軍の内の三軍と、夏侯惇軍団。更には曹操の軍師である荀彧を加えた七人が、この作戦室には集まっている。
「先の戦いで第六軍団(鍾会)が壊滅したのは、諸君等も知るところでしょう。この敗北で吾々は初めて、手痛い敗北と言うものを味わわされたことになったわ」
今までも常勝不敗であったわけではない。局所的な戦闘を放棄したり、純粋に敵に上手をいかれたりということで敗北は両手の指ほどは経験していた。
だが、それで発生した被害はほとんどが三桁、しくじっても夏侯惇の四桁が精々で、五桁の大台に載せられたことはなかったのである。
ここに居る殆ども、一回の戦闘、一回の敗北で五桁の犠牲を出すことなど想像していなかった。それほど曹操軍は適度に負けを織り交ぜて慢心を引き締めつつも勝っていたし、敵という敵が存在しなかった。
別に不思議ではないことだが、遂にその壁が現れたということであろう。
「先ずは、戦闘詳報を秋蘭から聴き、敵の動き、こちらの敗因。更には如何にして勝つか。それについて意見を出し合っていきましょう」
その場に居た全員が首肯し、真名を呼ばれた夏侯淵がその場に立った。
「四月九日、吾が軍が訓練中の、敵軍五千に接触。これを千載一遇の好機だと判断した第六軍団司令官は全隊に訓練の中止と前方の敵との開戦を宣言しました」
敵と発声するに僅かな言い淀みを見せた夏侯淵については誰も咎めることなく、その短時間でとったにしては上出来な詳報に耳を傾ける。
「ですがこの動きを敵は察知し、逃走。時間的にも距離的にも膨大な追撃の後に捕捉し、騎兵で数度に渡って後方を脅かした所、反転。迎撃態勢をとってきた為こちらも陣形を再編してこれにかかり、巧妙な防御戦闘を行う敵を徐々に圧していき、打ち破ったようです。
殿を残して敗走した敵を追っていったところ両脇から伏兵が現れ、暫しの抗戦の後、今度はこちら側が敗走した、と。このようになっています」
「巧妙な防御戦闘とは、どのように巧妙なのだ?」
聴き終わり、すぐさま質問を発したのは夏侯惇。詳報を滔々と述べていた夏侯淵の姉であった。
「騎兵と重歩兵を巧みに使い分けていた、と」
「まるでわからんではないか」
全員の意見を代弁したような言葉を、夏侯惇は吐く。
使い分けてどのように戦っていたのかを当然夏侯淵も訊こうとしたが、鍾会はどうにも明確に表現することができなかった。
それはその後に叩き込まれた経験が痛烈すぎたからかもしれないし、表現することが本当に困難だったのかもしれない。どちらにせよ、わからないという結果は同じである。
「どのような陣形であったとしても、結果的に圧し切ることに成功している以上は然程注意を払う必要はないのではありませんか?」
折り目正しく礼儀正しく、曹操直轄の三軍に於いてもっとも堅牢な守りと粘り強さを兼ね備える楽進が同僚の失態を庇うようにそう提言した。
彼女にしても情報の不正確さに不満はあったが、自分の初陣の記憶が綺麗さっぱり戦っている最中が抜け落ちていることを考えると、そう責める気にもなれなかったのである。
「沙和もそう思うの。できなかったことをとやかく言うより、わかっていることを検討していくべきなの」
同僚の沙和こと于禁の賛同も得、この『巧妙な防御戦闘』についての話題はたち消えた。
寧ろこの検討においての問題は、敵の策が極めて単純で見抜けなくもないものだということであろう。
「なんで、士季ほどの将がこないな罠にかかったんやろか」
姓は李、名は典、字は曼成。真名は真桜。発明家としても名高い彼女からすれば、極めて単純で陳腐な罠に掛かったことが不思議だった。
この敗走による誘引は極めて古典的で、これは所謂『よくある手』である。
この『よくある手』に引っ掛かることは誰しも経験するのだ。曹操も、夏侯惇も、夏侯淵も、楽進も、于禁も、李典も、一度ならず引っ掛かったことがあった。
だからこそ警戒し、罠ごと噛み千切ろうとする約一名を除けば用心深くもなる。
後知恵というものだが、李典にはその辺がどうも納得できなかった。
その疑問に顔を見合わせる諸将の中で、夏侯淵が一人静かにこれに答える。
「この場合、寧ろ士季ほどの将なればこそ、罠にかかったと考えるべきだ」