北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

40 / 101
幻想

「さて、そろそろ返事をしようか」

 

「そうだな」

 

郿・敖倉・滎陽の三城を中心とした地域から兵を民の迷惑にならない程度に、軍需物資を全て引き上げた汜水関での合同訓練が終わり、充分に統一された動きができるようになったところで、半年以上彼等の住居であった汜水関を後にし、彼等はより長安に近い虎牢関に移動していた。

 

これは情報収集にも利便性があったということもある。

ならば何故今まで連合軍を迎撃してからかなりの日にちがあったにも関わらず動かなかったのかと訊かれれば答えは単純。

 

もし万が一敵が引き返してくることがあったならば、汜水関を落とされた挙句に後背を突かれてしまう。

この可能性が、彼等の行動に慎重さと冷静さを与えていた。

 

既に董卓軍の兵には董卓と賈駆とが囚えられたことを告げ、南方戦線が崩壊したことも告げている。

多少なりとも逃亡兵が出ることを予想していた首脳部に反して、逃亡兵は居なかった。

 

彼等董卓軍からすれば、到底勝てないような戦に勝たせてくれた男が居るというだけで無形の安心感を得られていたのである。

犠牲が少なくなるような戦い方しかしないし、何よりも開戦前よりも兵力が増えた。

 

これなら董卓と賈駆とを救い出すべく戦っても勝てると言う確信が、兵たちの無邪気な心にはある。

 

脱走しやすい虎牢関までの行軍でも、あくまでも逃亡兵は出なかった。

 

「私が書きましょう。これでも常山では『人の心を動かす文を書く』との評を受けておりますぞ」

 

「うん。宛先に喧嘩を売る時になったら君に書いてもらうことにするよ」

 

喧嘩を高値で売りつける才能に富んだ撤退戦の名手の自薦を退け、李師はぐるりと周りを見回す。

適任な人材が、田予くらいしか見当たらない。

 

その時、一本の手が天に向かって掲げられた。

 

「では、ワタシが。これでも教養が深い方だと言う自負がありまして」

 

「お前の教養は敵の対抗心を煽る為のものでしかないのに、よくもそんな偉そうに自薦できたものですな」

 

「そちらこそ、喧嘩を高値で売りつけることしか能がない癖して名文家を名乗るなど痴がましいとは思わんかね?」

 

趙雲と麴義という、同一型の人間が皮肉と毒を織り交ぜて弁論の火花を散らしているのを見て、李師は傍らの呂布を振り返る。

 

「彼女等には困ったものだね、恋。君はああ言う人間になってはいけないよ」

 

「……ん」

 

「わたくしめが考えまするに、大将も同じ様な人間だと思いますが」

 

「そう言うお前さんもな、成廉」

もう呂布を除けば、己に返ってくる言葉しか吐いていないという異常事態の中、夏侯淵と張遼は面白いものでも見るように肘をついて観戦体勢に入った。

本当にどうしようもないブーメランが数回飛び交ったところで、謹厳な咳払いが場を圧す。

 

「皆様方の仲がよろしいのは大いに結構。しかし、会議中は真面目にやっていただきたい」

 

『規律』と『秩序』の二語を守護霊の如く背後に掲げた抑え役のお陰で、この場は何とか収まった。

 

「なんや、終わりかい。もっと見てたかったんやけど―――」

 

「張将軍」

 

やっと収まった火に油を注ごうとする張遼を一言で羽交い締めにし、高順は黙る。

彼は本来、あまり喋る人間ではなかった。喋らなければどうにもならない状況が、増え過ぎただけで。

 

「で、返事の件だ。一応、再び議題を確認するが、これは吾々の出した捕虜交換に応じる旨を記した返事に対して、敵方が軍を互いに布陣させた状態で代表者と護衛を出して交換するということになった。これに対して同意の返事を出すか、異を唱えるか。誰が返事を書くのか。各指揮官の意見を聴きたい」

 

発言権のある参加者は、張遼、華雄、李師、趙雲、夏侯淵。

護衛として呂布、成廉、魏越、高順、典韋、郝昭、胡車児。

 

諜報に出ている周泰を除く殆どの首脳が、この部屋に集まっていた。

 

「李師様」

 

「明命、なんだい?」

 

「お知らせしたいことが」

 

隠密らしからぬ扉からの入室に皆が僅かなりとも驚いている。

普通の周泰だったならば己がその空間を作り出したことに対して何らかの自責と、反省とを示すはずだった。

 

それがないということは、切羽詰まっているのか。

 

「皆、少し席を外す」

 

珍しく真面目な顔をした一同が一様に頷き、神妙に送り出す。

離れの部屋まで歩いていき、辺りを見回した周泰が招きいれた部屋は、物置。

 

納められている物体が防音代わりになるであろう、狭い空間であった。

 

「調べろと言われたことを、調べてきました」

 

「うん」

 

彼が周泰に命令した調べ物は、三つ。

 

商人の横の繋がりについてと、その人員の洗い流し。

 

何故劉焉はそこそこの兵力で守っていたであろう長安を迅速に落とせ、しかも董卓を囚えられたのか。

 

董卓とその軍は無事であるか。

 

いずれも容易に調べがつくことではなく、結界の維持を蒋欽に任せた周泰が直々に探っていたのである。

 

「一つ目ですが、横の繋がりがあることはわかり、大元締めもわかりました。ですが蜀との繋がりとなると、わかりませんでした。商人連合、といったものでしかなく、出身地もバラバラです」

 

「大元締めというのは?」

 

「張世平、という大商人です。諸侯からの借金の用立てもしています」

 

その名をしっかりと頭に入れ、李師は一つ頷いた。

 

「だが、事実としてその商人連合は情報を広めるのに尽力したわけだ」

 

「はい。ですが、袁家からの報酬目当てだということもありえます。というより、その公算大です。袁家はその当時は一大勢力であり、顔を繋ぐことは極めて高い利益を生み出したはずですから」

 

あくまでグレーであり、普通ならば疑いの眼など向けようもない。

なのに何故、自分はここまで気にかかるのか。

 

何処かで仕組まれたような違和感を覚えたというのは、間違いではない。しかし、その仕組み人は袁紹である可能性もある。

 

「ですが、気になるものを見つけました」

 

思考の海に埋没仕掛けていた李師を引き上げるように、周泰は遠慮がちに声をかけた。

 

「張世平の手の者である行商人たちが、二年ほど前から銅の加工品を諸州から続々と弘農に運んでいました。いずれもそれほどの量ではないのですが、集めると相当な量になります。既に蔵を五つ埋めるほどの量がありました」

 

「銅の、加工物」

 

「はい。気になった理由としては、張世平はそれほどの銅細工を何に使うのか、ということです。細々運んだのは盗賊に会わぬためだと説明もつきますが、張世平は武器とか馬とか、そういったものを主に扱います。前々から銅造りの細工物を扱ってはいましたが、いずれも人気で売り残る類のものではありません。少しおかしいと思い、報告させていただきました」

 

一つ目の結果を聴き終えた彼はしばらく、李師は思考に耽っている。

そらは傍から見ていた周泰がどれだけ話しかけても無反応で貫き通すほどの集中ぶりであり、結果として周泰は一刻(二十分)ほど待ちぼうけをくらうこととなった。

 

「……あぁ、すまない。二つ目を聴かせてくれるかな?」

「あ、はい。えーと、董卓軍に内通者がいたのです。司徒の王允といって、帝の信任厚き御方だとか」

 

「なるほど。だから長安は即刻陥落したのか。董卓たちが囚えられたのも、それでは仕方ないな」

 

一つ目に比べれば遥かに短い思考時間の後、李師は次を促す。

最後の情報は、彼女にとって極めて容易な侵入行為の末に掴めていた。

 

「無事です。董仲頴様、賈文和様は身辺の警護をする自軍の兵とともに監禁されており、兵卒たちも暮らしぶりに不便あれども苦痛は感じていないとか」

 

「そうか……」

 

どこか上の空な李師と共に物置から出て、周泰は部屋の前で呂布に警護を引き継ぐまで随行し、消える。

暇があれば、結界の引き締めをやっておく。この勤勉さによって、結界は本来以上の防諜対策になっていた。

 

「……嬰、大丈夫?」

 

「ああ」

 

完璧に上の空な李師が椅子に座ったのを音で察知した首脳部各員がちらりとそちらを見て、視線を反らす。

 

明らかに何か考えているときのぼんやりとした、だが基本的には穏和な相貌を鋭く引き締めたような表情を、彼はしていた。

 

(王允は政権の掌握と董卓という政敵の追放の為に手を組んだ。だが、劉焉がその為に出兵したとするのは利益がない。劉焉の兵は長安を占領しながら再び出て、その城壁の外に布陣し、司隷を王允に任せる旨を結んだ。つまり占領が目的ではなく、当然ながら袁紹の援護が目的でもない。ならば何があるんだ?)

 

王允、劉焉、袁紹。

三者が組んだ結果行われた今回の戦で、得をしたのは間違いなく劉焉だと、彼は思っていたのである。

 

でなければ劉焉が動く理由がない。領土を広げ、経済圏を広げたら更に利益を上げられる。更に言えば帝を担ぐこともできた。

 

(……商人同士の横の繋がりは無形のものだ。無形の繋がりを使って、無形の情報という武器を造り上げたのだから、この際物質的な利益を求めたものではない、と考えた方がいいだろうな。おそらく私も他の諸侯も気づかなかった理由はそこにある。無形より有形をこそ望む気風が今は強い―――その心理を利用したと考えれば、どうか)

 

無形を以って無形を造り、結果的には有形と成す。

そういう思考をしていると考えれば、どうか。

 

この一手は何を齎し、何を睨み、何を望んだものか。

経済面はどうか。今は何が足りないのか。

経済面だけにとらわれては思考が固まる。軍事面は、政治面は。

 

最近無休で稼働している彼の頭は、疲労に屈することなく答えを弾き出した。

 

(……なるほど、そういうことから。だから銅と、都と帝を必要とした。しかし、それでもなお実を求めることはできなかった。求めていないのではなく、求める時期ではないと判断した。最終的な目標は―――いや、憶測でしかない。迂闊に口を出せば、却って災いを呼び込むことになるな)

 

この時期に敵の長期的な戦略を断片的な情報からほぼ正確に掴んだのは、その長期的な戦略を立案し、実行している人物以外では彼のみであろう。

彼もまだ、細部まで完璧に掴んだわけではない。絵の断片を情報で掴み、推理と憶測の連鎖で枠と中身を埋めていっただけだった。

 

しかしそれは、霧に包まれてぼんやりとしたものであっても枠と要旨は踏み外してはいなかったのである。

この時彼は、この情報を夏侯淵なり誰なりに伝えるべきであった。しかし、彼はこれが一割の真実と二割の推理と七割の妄想から出てきた幻想物であることを理解していたし、自分の思考を自分で信じかねている。

 

夏侯淵の手にこのことを記した竹簡が渡るのは、これより三年後、『私が死んだら開いてくれ』という添え文が付いてのことであった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。