北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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汜水関決戦・参

明けて、四日目。

西暦186年九月二十二日。反董卓連合軍と対連合同盟軍は、距離という壁を挟んで向かい合っていた。

 

両陣営の醸し出す空気は重く、沈んでいる。

兵士という生物に備わった、ともすれば将よりも鋭敏な流れを悟る感覚が、それとなくもうこの戦いが終わりに近づいていることを感じているのかもしれなかった。

 

両陣営の対峙ははや半年に及んでいる。反董卓連合軍からすれば半年であり、対連合同盟軍からすれば約八ヶ月。

その長い時期をすべて戦争にかけた虚しさを、自覚する者は誰もいない。ただ兵士は、今を生き残ることを考えている。

 

己が命を懸けて戦う場を、虚しさとして捉えられるものは居なかった。虚しさを感じるとすればそれは戦が終わったあとであり、家族のもとに帰った後である。

 

「隊長、李師の大将はどうしたんですかね」

 

「……?」

 

呂布はその表情として出にくい性質を持つ面貌を成廉に向け、傾げた。彼女としては、李師はいつも通りにしか見えなかったのである。

 

「いや、二十万に三万で攻勢を掛けて圧すっていうのは凄いですよ。巧みな指揮と、巧緻な戦術機動です。でも一昨日は弱らせるに留まり、昨日は凡戦。今日は我々に左翼を攻撃しろと来た。知恵の泉が枯れたとは思えませんが、何があったんですかね?」

 

「……何もない」

 

紫に近い赤髪から生えた二本の触覚を風に揺らし、呂布は静かに頭を振った。

何もない。その意味を、成廉は理解しかねている。

 

それを悟ったのか、呂布は更に口を開いた。

 

「恋たちは、最精鋭」

 

「だからこそ、攻撃に使うべきではありませんかね。素人考えですが、中々に正しいと思うんですが」

 

「……ん。敵も味方も、そう思ってる。それが、大事」

 

恋は、『なるべく被害を出さぬ様に左翼に展開して陽動突撃を敢行してくれ』としか伝えられていない。

作戦の全体像を知っているのは李師と、夏侯淵。そして張遼の各軍の責任者だけであろう。

 

だが恋には、そう命ぜられただけで彼の考えを把握することができた。

 

「……嬰は恋たちを主攻に見せかけた陽動に使って、右翼の夏侯淵を最先端にした斜陣で右翼を半包囲。華雄で崩して横形陣の弱点をつくつもりだと、思う」

 

呂布は、李師から作戦を訊いたわけではない。李師も、呂布に言ったわけではない。

少なくとも前の李師は呂布に作戦をぺらぺらと話し、その思考とやり方、使える場面を合わせてその才能の畝を耕していたのだが、呂布が兵士として働くに際してぺらぺらと喋るのをやめたのである。

 

それはあくまでも呂布は兵士の一人であり、軍の指揮官ではないからだった。作戦を伝えるのは軍の指揮官だけとか決めたならばそれを徹底すべきだという彼の原則は、愛娘が兵士となった時にも適応されている。

呂布もそれはわかっていた。彼女としても敬愛してやまない保護者が、『あの人は身内を贔屓にする』と言われるのは嫌だった。故に、呂布はコツコツと武勲を上げて親衛騎の指揮官として相応しい武技を持っていると証明し、その任についたのである。

 

「……なるほど、横形に隊列を組んだ兵士は機敏に回頭することができないし、側面・或いは斜めから仕掛けられると脆さを露呈させることになりますな」

 

「恋たちは、引き付けて敵の前進を抑制。敵の名将の視線を釘付けにすればいい」

 

「何故それを李師の大将に言わないんです?

身内びいきもありますが、私としてはあなたは一万くらいなら動かせると考えてるんですが」

 

呂布は、今でも親衛騎の隊長だった。彼女の武勇が輝き過ぎ、用兵家としての才能を周りは認めていない。

認めていないというか、そんなものはないと思っている。

 

そんなことはないということを薄々勘づいているのが趙雲であり、田予だった。

 

李師は兵法というか、経験談的なものを教えるにつれて彼女の中に大量虐殺者見習いの才能を見出し、自由意志を尊重すべきだと言いつつも本を買ってやるだけで、結果として口を噤んでいる。

指揮官として相応しい態度とは言えないし、ついつい話してしまうこともあるのだが、親としてはごく一般的にダメな父でしかないことを、この話は証明していた。

 

誰でも自分の娘を、大量虐殺者にしたくはない。

そのことを、呂布も感じている。保護者は、自分が用兵家となることを望んでなどいないことを、彼女は作戦案を考えている途中の思考を―――つまり頭の中身を口からボロボロと出し、その時に呂布が側にいた時の『しまった』と言わんばかりの表情で理解していた。

 

彼は自由意志を尊重すべきだと言う教育方針だが、本音では戦ってほしくなどないのであろう。

 

「嬰には、用兵家は必要ない」

 

「…………まあ、そうですな」

 

将軍と軍師を兼ねているような男である。考えて行動する用兵家よりも、現場で調整・実行してくれる指揮官が欲しい。

呂布は、それに徹していた。

 

「それに」

 

「あ、まだあるんです?」

 

「……能力は、実績で見せる物。弁説でじゃ、ない」

 

極めてごもっともな正論に、遂に軽口叩くのが趣味のような成廉も黙る。

弁説では言えても、実行できるとは限らない。実行できる能力を持っていることを実績で示し、その実績に比肩する地位を貰うのが正しいということは、彼にはよくわかっていた。

 

「隊長、私も仰る通りだと思います」

 

「……ん」

 

高順の同意を得て、呂布は感情を表に出さないままに頷く。

保護者とは違い、誤解されがちだが頑張って理解してもらおうとする彼女は、部下が自分をわかってくれることが嬉しかった。

 

「ですが、今回の戦いで将の首を上げたのですから、昇進は確実でしょうな」

 

彼女がとった首は将の首を七、兵の首は数えるのが馬鹿らしい。

突撃の巧妙さでもその用兵家としての才幹を僅かに見せてはいたが、前者の功が派手であり、わかり易かったのである。

 

「それは、受けない」

 

「実績は報われるべき、ではないのですか?」

 

「敵将の首は殆ど恋一人で取ったから、だめ」

 

用兵家として立てた功よりも個人としての功が大きい。

ありえないことではあるが、超人的な武勇を持つ呂布だから仕方ないとしか言えなかった。

 

「個人の武勇で出世できるのは、ここまで。もう少し身につくまで、ここで頑張る」

 

「そういうことでしたら、我等としても異存はありません」

 

「お金は、ちゃんと配る」

 

隊として動くより呂布が呂布として動いた方が強いという都合上、親衛騎の武勲は霞むのである。

もちろん李師は私財でそれに報いているが、呂布も自分の功で得た金銭を分配することや、他の隊への移籍の便宜を図ることで報いていた。

 

結果としてこの親衛騎は李師の護衛ということで自分から望んで来た者と、呂布を超えてやると息巻く者と、負けて呂布に忠誠を誓った者に分けられるということになったのである。

 

「私は要りません。隊長は隊長の為に、その金をお使い下さい」

 

「……二人は?」

 

「いただけるものはいただきますとも」

 

清教徒的な廉直さと金銭や野心に踊らされない潔癖さを持った高順は、鎧兜を揃えることくらいしか金の使い道がない。

そもそも武勲という臨時給与に頼らずとも、彼の生活には支障はなかった。

 

成廉と魏越は色々なところで金を使う為、普通に貰う。

基本的に後者が多く、なおかつ『金の為にやっている』ことが多いのが普通の軍であるところを、『やりたいからやっている。でも金が有ればなお良し』と考える人種が多いのが李師の私兵の特徴だった。

 

だから基本的に、忠誠心も士気も高い。

 

「二人も、金を派手に使うのはやめたほうがいい。老後に困るぞ」

 

「堅実ですな、副隊長は」

 

「謹厳実直に廉直を足した概念を人にしたような方であられるからな。我等が副隊長殿は」

 

別に仲が悪いわけではない三人のやり取りをぼんやりと聴き、暫くして呂布はひょいっと立ち上がる。

 

空に、鏑矢が打ち上がっていた。

 

「開戦」

 

「はっ」

 

「おうさ」

 

「やりますかね」

 

呂布の騎兵は、敵左翼部に向けて進発する。

その行軍は迅速であり、練度と士気の高さを表していた。

 

「敵は前日の麴の旗の将の如き堅陣を敷いているようです。どうなさいますか?」

 

「騎射」

 

「はっ」

 

全員が弓を構え、次発の矢を唇で挟む。

両手放しで馬に乗るという猛将タイプの指揮官の必須技能を、親衛騎はいとも容易く使っていた。

呂布の練兵は、極めて有効なものだったのである。

 

「斉射」

 

四日目の戦いは、呂布の斉射によって始まった。

 

斉射して後、再び装填して放ち、装填して放つ。

夏侯淵の得意とする迅速極まりない斉射三連とは精度が違うが、呂布はその五分の一ほどを実戦で運用できていた。

 

「やろうと思えばできるもんだな、うちの隊長も」

 

「軽口を叩くなよ、成廉」

 

「おりゃあ隊長の手腕を認めてんのさ。あれは三年か五年経てば李師の大将の副将どころか、対抗馬にもにもなれるぜ?」

 

「今大事なのは今の隊長がどこまでやれるか、だろ」

 

「なんだ、つまらん奴だな」

 

「ありがとよ」

 

皮肉に彩られた会話を窘める役の高順が各隊の連携を整えているのを傍から見ながら、成廉と魏越は軽口を叩く。

もはや彼等から、こういうたぐいの会話を取り上げるのは不可能だとすら言えた。

 

「狙点、左翼中央部に一点集中」

 

呂布の命令が各隊に速やかに伝達され、軽口を叩きあっていた二人も息を合わせて狙点を合わせる。

こういう言い方は彼女は好まないかもしれないが、李師の弟子だけあって使い時が巧かった。

 

「撃て」

 

敵陣の一角を突き崩し、すぐさま乗り崩しに入る手腕は、高順が思わずハッとするほど保護者に似ている。

比べればまだまだ稚拙だが、それにしても見事だと言えた。

 

「隊長、突撃した後はどうなさいますか?」

 

「注意を引きつける」

 

攻勢限界点と引き返せなくなるギリギリの線で、呂布は趙雲仕込みの鮮やかな逃げっぷりを見せた。

暴れるだけ暴れて、整然とした体を隠しながら、如何にも敵の逆撃で崩されたと言わんばかりに退いたのである。

 

これは案外うまく行き、呂布の首という最大の武勲に釣られた兵が多く居た。

しかも攻めに行って敗退した左翼のみならず、中央部までもがわずかに突出してしまうという結果を生む。

 

殆どの者の視線は、自然と左翼部に集中していた。

 

何をしてくるのか。

何が目的なのか。

あいつが無駄な手を打つわけがない。

 

そんな警戒と、先を読むことの困難さ、困難だからこそ読んでやるという軍師たちの誇りと矜持が、その戦術の一端であろう呂布隊の動きに集中した。

最強部隊を陽動に使うはずがない。だが、奴ならばやりかねない。しかし、奇をてらうだけで終わりかねないことを奴はするか。

 

様々な思考と予想、彼の成してきた実績の全てが、軍師たちの目を現実の風景を認識することから未来の光景を認識することへと移す。

 

そして呂布隊の攻撃から一刻後、魔術が炸裂した。

 

「敵軍が斜行運動を行い、我が軍右翼を旋回して半包囲、前方斜め方向から攻撃を開始しつつあります!」

 

思考の海に埋没していた名将と軍師の眼よりも速く、凡人である兵士がそれを見つける。

そのこと自体が、彼の心理的トラップの所在を表していた。

 

「右翼の隊列を整え直し、全軍で時計回りに移動して逆に包囲しなさい!」

 

「駄目です!重装備の我が軍がその機動を終える前に、右翼が壊滅してしまいます!」

 

田豊は、ここで気づいた。

他の名将も、軍師も。将としての能力に優れたもの全てが、これと類似する報告で思考の海から引っ張り出された。

 

一日目の劣勢を保ちながらの小競り合いは、二日目の攻勢を誘発するため。

二日目の攻勢を誘発したのは、逆撃を喰らわせて出血を強い、こちらの機動力が鈍る横形陣を取らせる為。

三日目に凡戦を演じたのは、こちらの方針を消耗戦に固定させて機動力を改めて削ぎ、更には『何故凡戦を演じたのか』と疑わせる為。

 

名将・軍師以外の意識は武名名高き呂布隊に割かせ、名将・軍師には何故呂布隊を動かしたのかと疑わせる為。

そして、四日目の攻勢を防ぐ術を、無くす為。

 

「麴義相手に趙雲と華雄が負けたのも、その為か……」

 

あの堅陣は、有効である。

そう示し、実施させる為。

 

「田豊さん、策は―――」

 

「麗羽様。この戦は負けです。殿は私が務めます。一刻も早く冀州へとお帰りになり、再起をお計りください」


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