北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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夏侯淵の髪で見えない方の目はどうなっているかは、読者諸兄の妄想にお任せいたします(原作では普通)。


援軍

未完成での組織でも、指揮系統の取れていない個人の勇戦によって組織だった少数の襲撃を凌ぎ得る。

そのことが―――周泰にとっては甚だ不名誉ながら―――証明された、昨晩の暗闘。

どうやら幾人かの隠密は先の戦闘の終わりに際して軍に紛れることで潜り込んでいたらしいことを報告された李師は、少し考え、結果的には少し笑ってそれを流した。

 

素性はともかく、もう既に全員の挙措に隠密の影がしないことを報告した徹夜明けの周泰を労って休ませた、一刻後。

 

彼の側にあるのは呂布だけであり、警護兵が執務室というべき部屋の扉の両脇に居る。

周泰が暗闘に疲れ切って睡魔に負けたその時に、城壁で一定の緊張感と使命感を維持していた兵卒の一人がそれを発見した。

 

砂塵。

 

百万遍の言葉にもまさる程に明確な、敵襲の知らせである。

 

「敵軍来襲ッ――――!」

 

暗闘があったことは、既に一兵卒に至るまで知れていた。

これは汜水関にある指揮官の殆どが兵卒に隠しだてをするよりは知らせた上で対応を促す形の指揮官であったというよりは、動員した警備兵の殆どがそれを知っているからであろう。

 

情報を封鎖するにも、封鎖する為の堤に穴が開きすぎていたのだ。

 

ともあれ、彼等は暗闘を知っている。故に朝夜問わずに攻め立て、疲労させる『よくある手』だと判断した。

 

その報告は良く整備された軍隊組織にありがちな迅速さでもって上層部に届き、その上層部が機敏に動いて警戒態勢を臨戦態勢へと変更させる。

砂塵から見るに、四千から八千。それなりの大軍だが、それほどでもない。

 

ここまで統一した行動を取っていない連合軍だからといってここまで酷くはないだろうという一抹の疑念が各指揮官の脳にはこびりついていたが、疑わしいからといって臨戦態勢を整わせないわけにもいかない。

 

索敵網・諜報網の再編に奔走していた周泰がその活動を停止したが為に、外部に対する索敵網が硬化したままである。

結界を張るために集結させたが故に、その索敵網は糸の一本たりとも外部に垂らそうとしていなかった。

 

「……それにしても、計算が狂ったな。明命の情報によれば、袁紹は陽人で連合軍を再編している筈なんだが」

 

「再編にあぶれたのか、先鋒としての任を課されたのか」

 

「前者はともかく、後者はないな。昨夜の内に攻めかかれば、揺らぎはしただろうけどね」

 

城壁の一際高い望楼に設けられた指揮所で胡座を掻きながら、李師は大して良くもない目を凝らす。

索敵網もなく、騎兵を出すのも死ねというような物。となれば目視でしか、敵の旗の見分けようがない。

 

「……黒地に青の鎧。旗は夏侯。夏侯淵」

 

どういう目をしているのか。

一同の驚きを意に介さず、呂布は伝えるべき情報を伝えて横を向いた。

 

正しい判断は、正確な情報のもとにのみ成り立つ。

情報を得るのは己の役割であり、それを元手に判断するのは李師の役割だった。

 

「……曹操の双璧の一枚目、夏侯妙才か。一体何の為に来たのやら」

 

「攻めに来たのでしょう」

 

「だとしたら私の眼が節穴だったことになるな」

 

趙雲の言う通り、人物を見誤ったというのは認めるべきだろう。指揮官は常に仮定よりも不愉快な現実を直視して生きていかねばならないのだから。

 

だが、李師には不可解だった。今更曹操が動くのは、如何にも不自然なのである。

今動けば酸棗諸侯を見殺しにしたとの謗りは免れないし、それどころか風見鶏であるという罵倒も受けるのは必然だった。

 

それに曹操は果断即決の人柄であるように、彼には見えていた。

 

(いや、この際現実のみを見るべきだろうな)

 

曹操が動いたとしても、今の状況ならば対処ができる。兵力の元手になるであろう酸棗諸侯は既に居ないのだから、戦術の明度を同レベルのものに維持することを心掛ければ、単純に勝つことができるのだ。

 

それほどまでに兵力差とは恐ろしいものであり、決定的なものなのである。

 

「止まったな」

 

こちらの三万がちょうど展開できる程度の距離まで進んで止まり、『襲ってください』とばかりに無防備を晒している夏侯淵隊四千。

それは攻めようとはしていないが、挑発しているようにも見えた。

 

「李師様、私が少し行って粉砕してきてもよろしいでしょうか!」

 

「だめ」

 

華雄からの出撃要請を却下しながら、李師は意図の解らない眼下の軍を見据える。

後続を待つなら、ここまで来る必要がない。それをわからない夏侯淵でも、ない。

 

なら何故ここまで進出してきて、止まるのか。そこが、彼にはわからなかった。

 

「敵軍から、一騎出てきます!」

 

警護兵がわかりきっていることを報告し、一先ずといった感じで望楼に集っていた諸将が頷く。

出てきた一騎は、見たところ武器も持っていない。鎧というべき軽い装備に身を包み、馬に乗っているだけだった。

 

「……夏侯淵」

 

「御本人か」

 

感嘆と驚きを込めて、李師は呟く。

 

黄巾との最後の戦いの後に文を持ってきたのが夏侯淵だっただけに、呂布の記憶にはその青と白を基調とした外見が強く印象に残っている。

となれば、彼女が見間違うはずもなかった。

 

「李師殿。夏侯妙才殿が目通りを願っております」

 

「会おう」

 

門外で、しかも丸腰で待つ人間を待たせる趣味は彼にはない。

彼女が関に近づきすぎて見えなくなった時点で、彼は拠点としていた望楼から下りている。

 

謎を解明するという目的も有り、その判断は速かった。

 

「姓は夏侯。名は淵。字は妙才。この度は天下にそれと知られた智将たる李師殿に目通りを許されて光栄に思います」

 

極めて礼儀正しい口上を述べ、夏侯淵はゆっくりと頭を上げる。

李師がそもそも長身ではないこともあり、その身長は僅かに彼を越していた。

 

「こちらこそ、知勇兼備の名将たる夏侯妙才殿に会えて光栄です。この度は如何なる御用向きで?」

 

本来の歴史では、『李瓔は智に偏っている。曹操は勇に偏っている。夏侯淵はそれらの均衡が最もとれている』と言われた彼女は、それを知る天の御遣いから『基本的な能力も性格も器も変わらない』と隠れて評されている。

つまるところ、彼女ほど知勇兼備という形容が合う将も中々居なかった。

 

「礼と恩を返しに来た、というところです」

 

一片の暗さもない誠実さで頭を下げ、この世界で屈指の名将たる夏侯淵は自然な動作で手を組み合わす。

それは敬意の表れであり、一時的にせよ彼の下に突くことを受け入れた者の嘘偽りのない挙措だった。

 

「私は君たちの主君の同志を殺した。恩とは無縁で、仇ですらある。そうではないかな?」

 

「それは違います」

 

一拍も無き、否定。僅かの感情も覗かせず、夏侯淵はあくまでも冷静にこれに答える。

もとよりこれは、予想していた問いだった。

 

「何故?」

 

「確かに衛子許―――青藍は我らの友であり、主の同志でありました。ですが、彼女も戦う以上は死を覚悟の上でしたでしょうし、卑劣な謀略で斃れ、闇討ちされたのではない以上は恨む筋合いはありません」

 

「正々堂々の戦いで死ぬことが、彼女の名誉だと?」

 

「名誉ではなくとも、本懐ではあったろうと思います。己の死を壮烈に彩って喜ぶ趣味は私にも、彼女にもありませんでしたが、剣に生きる以上は剣に死にたいとは思っていたでしょう。尤も、これは個人の主義主張であるのですが―――」

 

武人の誇りなどとは無縁の性格をしている彼には理解できないであろうことを、夏侯淵は噛んで含めるように説明する。

剣に生きる以上は剣に死ぬというのは、彼女が誰かの死を明快に理解する為に抱いたものであるか、それとも骨髄にまで根付いたものなのかはわからない。

 

しかし、そのような思想もあることは、確かだった。

 

「わかった。では、恩とは?」

 

「我が主の道を違えさせず、その事業と夢とを汚さずにいてくれたことに対して、恩という言葉を用いました」

 

彼が発した布石、『あなたの歩む道とは、無実の罪を着せられた弱者を多勢で以って嬲るが如き道ですか?』という一文。

彼としては他者の誇りを守ったという意識はない。ただ、刺激したら動くであろうと予想できたが為にとった行動に過ぎない。

 

「それは君たちの主が高潔だったからだろう。私が言わずとも、そうなっていたさ」

 

「そうでありたいものです」

 

一見してみると肯定で、その実は反問。

彼女は弁舌もまた、巧みだと言えるであろう。

 

暗に彼女は、彼のお陰であるという論法を崩していなかった。

 

「あなたの意志はどうあれひと押しとなったことは確かなのですから、吾々としてはそれに応えたい。風見鶏と呼ばれるのも、不快でならないことですから」

 

「負ければ逆賊と謗られる。それでも敢えて道を貫くことを選ぶ、と?」

 

この時点で薄々、李師は曹操が本気だということに気づいている。

この問いはダメ押しというか、お節介と呼ばれる類のものだった。

 

「己の道と夢とを目先の利益に釣られて穢すことに比べれば、逆賊の汚名を被ることなどは数百倍もマシだと私は考え、主の意を得ました」

 

「それは誇り、かな?」

 

「私にとっては、矜持です」

 

髪に隠されていない片眼から放たれる鋭角の視線がその潔癖さと内に秘めた激烈さを偲ばせ、それを冷静と自己管制が覆い隠す。

なるほどと言いたくなるほどの、名将に相応しい矜持の高さを持つ人格だった。

 

「では、助けてほしい。正直なところ、現状を鑑みるにこれほど嬉しいことはないんだ」

 

「無論のことです」

 

裏切りはしないだろう。裏切るとしても正面から堂々とし、途中で寝返るようなことはしまい。

僅かに話しただけでそこまで洞察できるほど特徴的であったし、隠しだてをしようとしないような話しぶりからも、わかる。

 

それに、隠された野心というか、己の器を限界まで突き詰めてみたいという心がちらりと見えたのが、将の器には留まらない能力の深さと広さを伺わせていた。

彼女流に言えば己の能力に誇りを持つ者はそれを粗雑に使い、貶めるようなことはしないということだと確信させていたのである。

 

「では、また後ほど伺わさせていただいてもよろしいでしょうか」

 

「ああ。だが、敬語はいらない。私も指揮権を預けられているだけであくまでも援軍の将。同格の将に敬語を使われるほど、私は大した人間じゃないからね」

 

「では、そうさせていただく」

 

一礼し、門外に待たせた馬に乗って一度振り返り、夏侯淵は軽く会釈して部下のもとへと去っていった。


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