北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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場面転換が時ではなく、物理的な距離によるものです(多分はじめて)ので、大きく行間をとってます。


算段

「華琳様、董卓軍は打って出たようです」

 

猫耳を付けたフードを被った幼い少女の報告を聴き、華琳と呼ばれた少女は机に肘を立て、頬杖をついた。

 

「予定戦場はどこだか、わかる?」

 

「いえ、打って出る為の用意をしているとの情報から予想しただけなので……」

 

投げかけた問いに対する謝罪を掌を見せて遮り、彼女は長安付近の地図を見る。

到底正確とは言えない『だいたい』のものだが、地名と主な地形くらいは現地に赴かずとも知ることができた。

 

「……麗羽の計画によれば、もう汜水関に到達できていて良い筈。そうでしょう?」

 

「はい。ですが、計画と実戦との間には少々の誤差があるものです」

 

猫耳フードのもっともな意見に頷きながら、華琳は更に脳内で思考を巡らす。

現在の連合軍は、分断されていると言っても良い。打って出たということはこれが人為的且つ作為的なものだという証左だと言えた。

 

しかし、証拠はない。予想に過ぎないし、董卓軍は戦場での勇者は多いが諜報や戦略眼に欠ける将ばかりである。

 

華雄は贔屓目に見ても『極めて好戦的。戦術においては近視眼的発想で危機を招きやすく、戦略においては言うまでもない』と言うべき能力をしており、唐突に敵の急所を狙い始める優秀さはあるが猪突猛進であると言う印象は拭えない。

張遼は別に戦術的な近視眼を患っているわけではないが、戦場に立った時の状況に応じて最善を尽くすタイプで、状況を己に応じさせることはしなかった。

 

賈駆にはその眼があるが、渉外ならぬ渉内で多忙に過ぎて戦略的な動きを出来るとは思えない。

 

董卓は知らないが、君主自らそのようなことができるならばここまで酷い状況には追い込まれていないだろう。

 

なにせ、この一ヶ月で噂は更にエスカレートし、『帝を傀儡にしている可云々』から『帝を好き勝手にすげ替えている』ということになっていた。

漢王朝の威光を完全に潰し、帝の勅による停戦と大義の消失を防ぐ一手。即ち、長期戦になっても董卓陣営は有利になることがない。

袁紹と袁術。この二人が持っている金の力と流通の力を駆使すれば、このような噂をばら撒くことなど容易であろう。

 

そこまで考えた華琳の耳朶を、扉を叩く音が軽く打った。

 

「入りなさい」

 

「華琳様、失礼致します」

 

素早く許可を与えた主に一言断りを入れながら入ってきたのは、薄い青色の髪をした女性。

姓は夏侯、名は淵、字は妙才。真名は秋蘭。

 

華琳こと曹操がもっとも頼りにする二将、その片割れである。

 

「どうかしたの、秋蘭?」

 

「青藍殿より伝騎が参りました。酸棗諸侯連合は五手に分かれて陽人へ進撃中」

 

姓は衛、名は茲、字は子許。真名を青藍という彼女は、激しい弁論を好まず、俗世の名声も求めない人柄であった。

だがそれだけに名士として名高く、曹操が初めて陳留を訪れた際に衛茲は「天下を平定する人は、必ずやこの人だ」と最高の評価を下す。

曹操も衛茲を異才の人物と認め、以後数度に渡り訪問して大事を諮った。

その後、衛茲は家財を提供して曹操の挙兵を支援し、曹操軍最初期を支えた兵五千を率いることができたのである。

 

謂わば彼女は、曹操という一個人に好意と敬意を持ち続けた人物なのだ。

だからこそ、彼女は情報を曹操に教えたのであろう。

 

「五手?」

 

「はい。五万もの大軍を通せるだけの道が落石で悉く封鎖され、騎兵を放っても他の道を見つけることができなかったために、五手に分かれて陽人の平野で落ち合うとのこと」

 

やられた、と。

衛茲を慮る曹操は、己が中立という立場にあることも忘れてそう臍を噛んだ。

 

「あの男、やはりやる」

 

「李仲珞、ですか」

 

夏侯淵が言った、一人の男の姓と字。

送られた一筒の竹簡。そこに書いてある文が、彼女のプライドを以って彼女の動きを止めたのである。

 

『あなたの歩む道とは、無実の罪を着せられた弱者を多勢で以って嬲るが如き道ですか?』

 

説得ではない。説諭でもない。ただ、人の心理を知り尽くしているが故の一文だった。

曹操という人物の心を、ただの一回の文のやり取りで読み切っていることを示す、一文。

 

「彼は登竜門に認められた人傑です。侮るべからざる存在かと思います」

 

「あら、男嫌いの貴女がそう言う程の人物なのかしら?」

 

猫耳付きのフードを被った幼い少女、荀彧が男を嫌っているのは周知の事実である。

彼女の男嫌いと言う性癖は知識の明度を曇らせているが、それでもなお有能なのが荀彧という王佐の才を持つ軍師だった。

 

荀彧には、男嫌いと言う俗にとらわれている。

知識の明度を高めるのは俗にとらわれぬ明晰な視点であると、曹操は考えていた。

 

彼女自身もまた、有能な人材は女が多いという常識と侮りに囚われている自覚がある。

 

「か、からかわないで下さい、華琳様!」

 

「からかってなどいないわ。それ程のものかと、思っただけよ」

 

衛茲。衛子許。青藍。自分を認めた、古参の人間。

 

「青藍様は、生き抜いてくれるでしょうか?」

 

「彼女は最期まで彼女として生き、死ぬでしょう」

 

荀彧の言う通り生きていて欲しいが、彼女は死ぬだろう。力戦をし、主を守ろうとして遂に斃れるのだ。

彼女は、そういう人間だ。

 

「人には相応しき、生と死を」

 

夏侯淵の言に首肯を返し、曹操は執務室の椅子から立つ。

 

「諜報は続けなさい」

 

臣下二人に背を向け、曹操は執務室より私室に向かう。

彼女の背には、悼みと誇りが渦巻いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「被害はどうだい?」

 

「騎兵が五十三人、歩兵が百二十二人、弩兵が二十一人。四万人殺しているにしては、上々でしょうな」

 

敵を一ヶ所におびき寄せる。

だが、敵が集結し終わるのを待つ必要はない。敵が集結しようとするルートを想定して各個撃破し、休養を挟んで連戦を避ける。

この場合敵と味方が同数ならざるといえども敵は五つの集団に分かれているのだから、こちらは一集団で以って敵の一個集団ずつを時間差をかけて撃っているに過ぎなかった。

これだと三倍の兵力で敵とあたる事になるから勝率は極めて高い。

 

彼の作戦思想は、常に簡素でシンプルである。

 

楽して勝つ。味方の被害を抑えて勝つ。この二つだった。

 

「戦いを四回繰り返しているが、戦う度に休んでいるし、戦力差は三対一で、士気も上がっている。次もどうやら勝てそうだ」

 

「時間差をつけての各個撃破、ですか。どうやらあなたは後世模範とされるべき用兵例を、現在進行形で作っておられるようだ」

 

「人殺しの手腕を以って、後世模範とされたくはないな」

 

圧倒的多数で戦えば味方の消耗はほとんど考えなくていいことなど、誰もがわかることだろう。

だが、逆境を『誰でもわかる理屈』が通る状況に変えることは誰しもができることではない。

 

(誇りや傲慢を、持っても良さそうなものですがな)

 

相変わらずの姿勢の悪さで床几の上に座っている李師を見て、趙雲はやはり面白いものを感じた。

己は槍術に長ける。その槍術は己の才と努力によって培い、他者の血を吸って高められてきたものだ。

 

己はそれを恥としない。槍の腕には誇りと、他者を何ぞとも思わぬ傲慢がある。

 

「私は過去も今も、用兵術なんか学んだことはないんだ。ただ史書を読んでいただけで、最初に戦場に立ったのも経歴作りのお遊びさ」

 

彼の戦歴のはじまりは、親心による『経験積み』であった。

為政者として腕を振るうには、現場の心を、辛苦を知っていなければならないというのが『登竜門』李膺からの李家の伝統であり、彼の姉も妹もこなしてきたものである。

 

本人からすればお遊びではないが、周りからすればそう見られかねないことを皮肉り、李師はそう言う表現を用いた。

 

「ほぉ」

 

「まあ、味方は負け、私は撤退を取り纏めなくてはならなくなったが、それ以後も私は戦う気が無かった。兵法書を戴いたことはあるが、私は一読もしていない」

 

あくまで将になりたいと思ったことがあるわけではない。為政者になれる才幹もない。

祖母の李膺からは史書を、母の李瓚からは兵法書をもらい、結果として前者からもらったものばかりを読んでいたのである。

 

「所謂天才、という奴ですか」

 

「いや、惰才さ。結果的に歴史を通してそれを学んだのかも知れない。叡智の結晶から不純物のみを抽出して飲み干した訳だ」

 

右の人差し指で髪とほぼ同一の色をした濃紺の帽子をくるくると回し、左手でくしゃりとそれを掴む。

 

「だが、帰ったら読んでみるのも悪くはないかもしれないな」

 

「前に進もうという気概は素晴らしい。ですが、戦う前に戦った後のことを話すのは些か性急に過ぎるというものでしょう」

 

何故かわからぬ不吉な予感を感じつつ、趙雲はその前進思考を減衰させない程度にやんわりと諌めた。

彼に珍しくやる気を見せ、戦の後のことを話し始める。このあたりに、無形の恐ろしさを感じたのである。

 

「そうだった」

 

面白げもなく、苦笑もせず。あくまでも比較的真面目な顔を崩さずに彼は前を見た。

四万人の屍体が重なった陽人の平野からは兵卒の精神の休養に悪いと言って前進して離れ、彼が予定戦場として再度選んだのは前に広がる凹んだような臼状の地形。

 

一万の張邈軍が集結予定地であろう陽人に着くには通らねばならないこの土地は、次善の予定戦場として彼が目をつけていたものだった。

 

張邈軍が進んでいる道は険しく時間差をつけるに容易であり、味方が布陣する箇所は平地に繋がっているが故になだらかで兵の進退が容易。

前に険阻を、後ろに平地を。真ん中を落盤でもしたかのように凹ませればこの地形が完成する。

 

「射線が直線的な弩兵を前列に、緩やかな弓兵を後列に。敵がこの地を通過しようと中央部まで到達してきた瞬間斉射を行い、射線を一点に集中させる」

 

「騎兵はどうなさいますか?」

 

「張将軍の騎兵には後方遮断のために繞回運動を取らせる。親衛隊は下馬して射撃に加わり、華雄隊は予備兵力として待機。敵は地形的に進む方が容易だが、進めば進むほど密集せざるを得ない。密集すれば効率的に射撃が行える。退くには難しいが、険阻な地形を越えても先には平野で待ち受ける騎馬隊。一応これが全容だ」

 

田予の問いに答えつつ、他の諸将が抱くであろう疑問も氷解させた彼は、胡服の大腿部に設けた袋に突っ込んでいた帽子を取り出し、被った。

 

「この戦いは、次勝つ為に敵を殺すと言う類の戦いだ。勝っても戦局が大きく変わるわけじゃあない。勝率が一割ほど上がるだけに過ぎないし、その一割にしても敵の動きによっては消されてしまうこともあり得る」

 

戦う前の指揮官に語りかけているとは思えないほどの不景気さを纏う言葉には、流石に彼も不味さを感じたのか。

姿勢を正し、軽く机を叩きながら続きを話す。

 

「純軍事的に勝つ為の算段は、実のところもう付いているんだ。だから皆、責任とかに囚われることなく気楽にやってほしい。ここでしくじっても、何ら自分を攻める必要はないんだからね」

 

会議の為の机、その横に立てられた日時計をちらりと見て話を切り上げた李師は、帽子に手をやりながら良いとは言えない威勢で、静かに言った。

 

「じゃあ、そろそろはじめるとしようか」

 

諸将が各部署に散り、側には呂布と田予のみが残される。

 

第五次陽人戦い、或いは陽人近郊の戦いとして一つに纏められる反董卓連合最初期の戦いの幕は、こうして切って落とされた。


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