ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

9 / 24
青銅の戦乙女
青銅の戦乙女


 オールド・オスマンとコルベールが固唾を飲んでこの決闘を覗いていることなど露知らず、リンクとギーシュはヴェストリの広場の中央で相対していた。ギーシュの宣言を聞いた観衆はいよいよ沸き立ち、口笛を吹いて囃し立てる。誰もが決闘の始まるその瞬間を今か今かと待ちわびていた。

 そんな観衆とは全く違う気持ちでいる少女がリンクに駆け寄ってきて、怒気をありありと滲ませた声を投げかける。

 

「リンクの馬鹿! なんでこんなに早く来ちゃうのよ!? ゆっくり、歩いて、来なさい、って言ったでしょ!?」

 

 ゆっくり、歩いて、という言葉にものすごく力を込めて、ルイズは詰問する。それにリンクは苦笑いで答えた。

 

「いや、ちゃんと歩いてきたよ。マントもクローゼットにきちんと片付けたし」

 

 リンクがこんなに早くやってきてしまうとは、ルイズにとっては全くもって大誤算だ。時間稼ぎをしてその間にギーシュを説得するつもりだったのに。観衆の間をかきわけてくるのに時間がかかり過ぎてしまったのに違いなかった。

 こんなことなら道を塞いでいる奴の足先を全部踏んづけてやれば良かった。おまけにその説得の成果まで全く芳しくないときた。ルイズはなんだか泣きたくなってしまいそうだった。

 

「ねえ、ギーシュが言ってたわ。謝ればそれで終わりにするって……どうしても、そうする気は無いの?」

 

 ルイズのすがるような問いかけに、リンクはただ首を横に振り、明確に拒んだ。項垂(うなだ)れ、ルイズは呟くように言った。

 

「馬鹿……本当に馬鹿よ……」

「リンクさん……」

 

 消え入りそうな声でシエスタはリンクの名を呼んだ。顔から血の気は失せ、目には今にもこぼれ落ちてしまいそうなほどに涙をためている。シエスタはこれから起きることへの恐怖に心が押し潰されてしまいそうだった。

 それでも何とか引き留めるような言葉を続けようとしたシエスタだったが、リンクの顔を見て、何も言えなくなってしまった。

 止まる気はない。リンクの真っ直ぐな瞳が、何よりもそう物語っていたからだ。言葉に詰まり、ルイズと同じように、シエスタもただ(うつむ)くしかなかった。

 

「話は終わりだ。二人とも下がっていてくれ」

 

 優しく、だがはっきりとリンクは二人にそう告げる。

 

「待って! そんな、そんなの……」

「ルイズ、いい加減に諦めなさいって」

 

 それでもなお食い下がろうとするルイズに、ぴしゃりと言葉が浴びせられる。声のした方向へルイズが振り返る。

 それは、燃えるような赤毛の美女、キュルケのものだった。口元にはいつものように微笑みを浮かべている。

 その傍にはタバサもいて、どうやら決闘騒ぎを聞きつけてやってきた二人は、観衆の最前列でこれまでのことの成り行きを見ていたようだ。

 キュルケはルイズに歩み寄りながら言った。

 

「それ以上は野暮ってものよ。彼も、ギーシュも、もう何を言ったって止まらない。白黒はっきりつけるまではね。あなただってわかってるでしょう?」

「それは……そうだけど……でも……」

 

 項垂れてしまうルイズに、キュルケはすっと近づき、耳元でひそひそと(ささや)いた。

 

「大丈夫。彼が本当に危ない時は、私も一緒に助けに入ってあげるわよ」

「……本当?」

 

 思いがけない言葉に、ルイズは気の抜けたような声で聞き返してしまう。キュルケはその問いに頷きで返した。

 

「ええ。もちろん決闘に水を差すような真似はしないけれど、取り返しのつかないところまでわざわざ放って置いたりはしないわよ」

 

 キュルケの言葉に気持ちが落ち着いたのか、ほんの少しだけルイズの表情が明るくなった。それを見てキュルケは笑みを浮かべて続ける。

 

「それに、もしもあなたが助けに入っていったら広場中が爆発の餌食になっちゃうもの」

 

 冗談めかしてにやりと笑うキュルケにルイズは食って掛かる。

 

「ちょっと! それどういう意味よ!」

「あら、そんなの言われなくてもご自分が一番ご存知じゃなくって?」

 

 恨みがましく、ぐぬぬっ、と唸りながら、じとっと睨みつけてくるルイズがなんだかおかしくて、キュルケは小さく笑った。

 

「冗談よ、冗談! だからそんなにむくれないでったら! さ、行きましょう? ほら、メイドさん。あなたもよ」

 

 そう言ってキュルケは元いたところを指差し、ルイズとシエスタにリンクから離れるように促す。シエスタはびくりと身体を震わせた。

 もう一度だけリンクに振り返った。その表情は彼女の気持ちとは裏腹に、先ほどとちっとも変わっていない。シエスタは涙をこらえ、声の震えを抑えて言った。

 

「……はい、わかりました。……リンクさん……私、恐ろしくてたまらないですけど……でも、ちゃんと見届けます。だから、どうかご無事で……」

「ああ、大丈夫さ」

 

 リンクは涼しげな微笑を口元に浮かべてそう返した。それを見て、シエスタはぽろりと涙をこぼしてしまう。涙を見せたくはなかったのに、どうしてもこらえきれなかった。

 それでもシエスタは袖口で目元を拭きながら、キュルケの示した場所へと歩いていき、周りにいた生徒たちに一礼をすると、最前列に立ってぐっと顔を上げた。涙に濡れ、唇をぎゅっと結び、蒼白ではあったが、その顔は男子生徒たちの何人かが思わず見惚れてしまうほどに、決然として美しかった。

 ルイズはふぅーっと、長いため息をつくと、リンクに向き直って言った。

 

「……わかったわ。もう止めない。……でも、ねえ、リンク。これだけは覚えておいて。あなたが負けたとしても、それは全然恥なんかじゃないわ。だって平民が貴族に勝てないのなんて当然のことなんだから。私だって全然気にしない。ううん、むしろ誇りに思うわ。私の使い魔は、私の騎士は、貴族相手に、立派に立ち向かったんだ、って。だから、すぐに降参したっていいの。無茶だけはしないで……」

「……うん、わかった。ありがとう、わがままを聞いてくれて」

 

 リンクは微笑んで答えた。ルイズが心から心配してくれていることが伝わって、嬉しかった。それと同時に、自分のわがままを通したことを申し訳なく思った。

 それでも、折れることは出来ない。ここで折れるのは、自分の心を捨ててしまうのと同じことだ。

 ルイズはリンクの答えを聞いて、心配そうに、だが確かに微笑んだ。そしてもう一度気持ちを確かめるように、リンクに向かって頷くと、振り返ってシエスタの隣へと歩いていった。

 最後に一人残ったキュルケに、リンクは礼を言った。

 

「ありがとう、キュルケ」

「良いのよ。健闘を祈ってるわ、剣士さん!」

 

 ぱちん、とリンクに向かってウインクを送ると、キュルケは元の場所へと戻っていった。もうリンクとギーシュの間を阻むものは何もない。

 正面へ向き直ったリンクに、ギーシュが問いかける。

 

「本当に良かったのかい? ご主人様の気遣いを無碍(むげ)にしてしまって?」

「ああ、悪いが意地を通させてもらうことにした」

 

 リンクが微笑んでそう言うと、ギーシュもふっと口元を緩めた。

 

「そうか……ならばもう何も言うまい」

 

 そして、ギーシュは自身の杖であるその薔薇の造花を高く掲げた。

 

「ルールは簡単。僕は杖を、君は剣を落とせば負け。もちろん降参した場合も負け。それだけだ。それ以外にルールはない」

 

 そこで言葉を切ると、ギーシュはリンクに向かって薔薇の造花をびしっと突きつけた。

 

「そして、僕は君に対して魔法を使わせてもらう。異論は無いだろうね? 魔法を恐るるに足らずと言ったのは君自身だ」

「ああ、もちろん」

 

 表情を変えることもなく、リンクは頷く。それに対して、ギーシュはそれまで浮かべていた笑みを消した。ぐっと杖を握る手に力が入る。

 ──どこまでも態度を変えない奴だ。全く頭に来る。だが、余裕ぶっていられるのも今だけだぞ。内心の苦々しさを表に出さず、ギーシュは低く、重々しい声で言い放った。

 

「君に魔法とは、貴族とは何たるかを教育してあげよう。光栄に思うがいい。そしてその身に刻み込んだのならば、今後二度と同じ態度は取らないことだ」

「……」

 

 リンクは目を閉じて深く、ゆっくりと息を一つついた。そして、そのままに小さく呟く。

 

「……御託はいい」

 

 そしてゆっくりと目を見開く。それはもう普段の彼の、優しさのこもった瞳ではなかった。殺気を放つ鋭い視線。向けられる気迫に、ギーシュは思わず背筋がぞくりとするのを感じた。

 

「やればわかるさ」

 

 リンクはそう言うと、背負っていた剣を鞘から抜き放った。高い金属音が響く。リンクの剣を見た観衆からは、思わずあっという声が漏れた。なぜなら、一メートル半ばはあろうかというその長剣は、息を飲むほどに美しかったからだ。

 虹のように揺らめいて輝きを放つ剣身を、見つめていれば吸い込まれてしまいそうになるほどに深い、宵闇の空のような紫色の刃が縁取っている。そしてその剣身の中央には美しい黒薔薇が刻まれていた。

 かつてタルミナでの冒険の最中に大妖精を助けたお礼として授かった、大妖精の剣だ。子供の頃は両手でなければ振るえなかったこの剣も、身体が成長した今のリンクでは片手で扱うのに丁度良い。

 それと同時に、真紅で縁取られた鏡の盾を右手で構える。刻まれた星と月の紋章が神々しさすら覚えるほどに美しい。幻影の砂漠を越えた先にある、魂の神殿の宝物、ミラーシールドだ。

 剣と盾とを構えるその動作は流れるようで、一切の淀みも迷いも無い。武術の心得の無い生徒らにはわかりようが無かったが、それは何千何万回と同じ動作を繰り返し、これまで剣と共に生きてきた彼の経験を表していた。

 リンクは握る剣を、トライフォースが変わらず静かに光る左手でくるりと回す。遊ぶように。手招きするように。

 

「来いよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズはリンクの横顔を心配げに見つめる。リンクはもうこちらをちらりとも見ようとしていない。ただギーシュと真っ直ぐに対峙していた。殺気を放つ鋭い表情だが、それはどこか楽しげですらある。

 ──魔法が爆発しようが何でも良い。もしもリンクが本当に危なくなったその時は、広場中だろうが何だろうが全部ぶっ飛ばしてでも助けてあげなくちゃ。

 ルイズが人知れずそんな危ない決意を固めていると、キュルケがにやつきながら小声で話しかけてきた。

 

「ねえ、ルイズ、あなたってあの使い魔のことが好きなの?」

「んなっ! と、突然、な、何言ってるのよ、あんた!」

 

 突然の問いかけに、ルイズは心臓がどきりと跳ねた。頬を鮮やかに染めて思わず叫んでしまう。ルイズにとって幸いなことに、決闘に沸き立っている観衆がそれに気づくことはなかった。

 

「だって、随分とあの人に入れ込んでるみたいだから。もしかして~、惚れちゃったりしたのかしら、って」

 

 キュルケは面白がっているような調子でそう言った。ルイズは眉を吊り上げ、抗議するように言う。

 

「そ、そんなわけないでしょ! リンクは私の使い魔だから、それだけよ! 自分の使い魔が怪我しても平気、なんてメイジはいないでしょ!?」

「それはそうだけど……でも、私の騎士って言ってたし~……」

「そ、それは、その、い、色々あるのよ! 色々! うん!」

 

 キュルケの追求を、ルイズはわたわたと誤魔化す。キュルケが真偽を確かめるよりも、慌てふためくその様を見るのを楽しんでいることにルイズは気づいていない。

 

「ま、ま、全く、ほ、惚れただなんて、な、何を言っちゃってるのかしら、ミス・ツェルプストーったら! 惚れっぽいあんたの家系じゃあるまいし、昨日出逢ったばかりの人にほ、ほ、惚れるだなんて、あ、あるわけないでしょうに!」

 

 平静を装って──その割には随分と早口となりつつも──ルイズはそう言った。そしてふっと息を一つつくと、切ない表情で呟いた。

 

「──そうよ、リンクは私の使い魔なんだから……だから、怪我なんかして欲しくなくて……心配なだけ……それだけよ……」

「……ま、あなたの心配はわからないでもないわ。けれど、あなただって見てみたいと思わない?」

 

 キュルケは心躍らせた表情でリンクを見やりながらルイズにそう問いかけた。

 

「あの不思議な剣士さんの実力を!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美しい剣だ。どうやら君はそこらをうろつく野良犬などではなく、牙を磨いた狼ということか。だが……」

 

 ギーシュは薔薇を一振りした。すると、花びらがひらりと一枚宙に舞う。

 

「狼の牙ごときではこの鎧を貫くことは出来ないということを教えてやろう」

 

 薔薇の花びらが地面に触れた途端、眩しいくらいに光を発し、次の瞬間には大剣を携えた青銅色のフルプレートの鎧を身に纏った女騎士が現われた。いや、女騎士というのは正しくは無い。なぜならその鎧の中には生身の人間などいないからだ。

 しかし、それは実に自然な動きで(たずさ)えていた大剣を構えた。薔薇の花びらから創造される瞬間を見ていなければ、疑うことすら出来ないだろう。

 

「それがお前の魔法か」

 

 大剣を構える青銅の鎧人形と対峙してリンクは言った。ギーシュは腕を組んで高らかに答える。

 

「いかにも、これが僕の戦乙女(ワルキューレ)だ! 僕の思い通りに操ることが出来る、青銅のゴーレム! 僕の二つ名は『青銅』! 『青銅』のギーシュだ! さあ、ワルキューレと踊るが良い!」

 

 その言葉と同時に、ワルキューレはリンクに襲い掛かってきた。鎧がこすれて発する、激しい金属音がどんどんと近づいてくる。真っ直ぐに突っ込んでくるその速さは、フルプレートの鎧を装備した人間のそれではなかった。剣の届く距離まで近づくと、ワルキューレは突進の勢いそのままに、二メートルを優に超えるその大剣をリンクに向かって振り下ろした。

 リンクはそれを後ろへ飛んでかわす。リンクの身体、そのほんのわずか手前を、剣先が唸りを上げて通り過ぎる。ほんの少しでも飛ぶのが遅れていれば、リンクの身体は肩先から深々と斬り裂かれていたことだろう。大剣は土の塊を跳ね上げ、地面を深く抉る。

 ワルキューレの攻撃はそこで止まらない。ぐっとさらに一歩踏み込むと、今度は大剣を勢い良く振り上げた。身に迫るその刃を、リンクは横へと転がり避ける。

 避けたその先でも息をつくことは出来ない。ワルキューレの追撃を、リンクはぱっと身を跳ね上げかわす。

 斬撃は続く。切り上げ、振り下ろし、突き、払う。リンクはそれをすんでのところでかわし続けた。

 なぎ払うようなワルキューレの横振りを、リンクは宙返りでかわす。後方へすたりと着地すると、振り切った剣を構えなおすワルキューレに向かって口を開いた。

 

「随分と情熱的なダンスのお誘いだな。貴族だったらもっとエレガントに誘ったらどうだ?」

「……君にはこれで十分だ!」

 

 ギーシュは苛立たしげに叫んだ。それと同時に、再びワルキューレはリンク目掛けて突っ込んでくる。

 ギーシュは焦っていた。何故なら、彼は本気でリンクを斬ろうとワルキューレを操っていたからだ。命を奪わないまでも、重傷を負わせようとはしていたのである。

 高価な秘薬さえ用意出来れば、即死でない限り、手足が切断されようが、腹を切り裂かれ臓腑がはみ出していようが、水の魔法で治癒を行うことは出来る。決して金に余裕のあるギーシュではないが、多少の借金をしようが構わないと思っていた。

 それほどまでに、彼はリンクを痛い目にあわせ、二度と刃向かうことが出来ないようにしようと考えていたのである。少なくとも、最高の秘薬と水の魔法を使っても数週間はベッド暮らしを余儀なくさせるぐらいの怪我をさせるつもりであった。

 初撃は偶然だと思った。迫り来るワルキューレに恐れおののき飛びのいた結果、剣をかわすことが出来たのだろうと。

 二撃目だってそうだ。奴は無様に転がってなんとか避けていた。身をかわせているとはいえ、それはほんの紙一重、すぐに避けきれなくなり、鮮血を飛び散らすことになる。そう思っていた。

 それがどうだ。どれだけワルキューレが剣を振ろうと、リンクにはかすりもしないのだ。おまけにあれだけ激しく動いているというのに、息一つ乱していない。こちらに向かって軽口すら叩く始末だった。

 実家の衛兵相手の訓練ではこんなことは全く無かった。誰が相手だろうと、ワルキューレに敵う者はいなかった。必ず何撃目かには動きが鈍り、その斬撃に倒れ伏すこととなったのだ。ギーシュはじわりと手のひらに滲む汗に気づいていなかった。

 自身で剣を握り、振ることもなく、心得がほとんどないギーシュには知る由も無かった。リンクが紙一重でかわしているのは、ワルキューレの斬撃の間合いを完全に見切っているからだということも、リンクが剣を振らずにいたのはその能力を見極めるために観察していただけだということも、ワルキューレの再度の突撃という無策な行動の結末も──。

 確かにワルキューレの動きは素早い。木の枝か何かのように大剣を振り回し、風切り音が唸りを上げるほどのその速度も、フルプレートの金属鎧という重量物を装備して鈍くなるはずのその身のこなしも、人間のそれを遥かに超えている。よっぽどの偉丈夫であろうと、同じ条件では決して出せない軽やかな動きだ。

 そして何よりも恐るべきは、その速度は決して落ちることが無いということだ。生身の人間には必ずあるはずの、疲労という概念がこいつらにはないのだ。文字通り、ギーシュが考える通りの動きを、魔力が続く限りこの速さで続けることが出来るのだろう。──だが、それだけだ。

 何の駆け引きもなく繰り出される斬撃は、リンクの目からすれば振り回しているだけと言うに等しかった。すなわち、それは剣の素人であるギーシュが思い描ける理想の動き、それでしかないのである。相手との最短距離を、最大限の速さで詰め、大剣を最大限の力で斬りつける。それがワルキューレの出来るただ一つの動きだった。

 間合いさえ掴めば一直線に向かってくる斬撃をかわすことなどリンクにとっては造作も無い。さらに、相手を切りつけるという一点しか考えられていないその動きは隙だらけだった。

 真上から叩きつけるように振り下ろされる大剣を、リンクは左へ小さく飛んでかわす。その瞬間、リンクはワルキューレの首元めがけ、剣を振り切った。

 一瞬の、それでいて永遠にも思える静寂にヴェストリの広場は包まれる。目の前の光景が信じられず、誰もが言葉を失ったためだ。

 青銅の戦乙女が振るう大剣がついに緑衣の剣士を捉えようとしたその時、逆に一撃で首を根元からすっぱりと刎ねられたその光景に。そして、その奇妙な静寂は頭部を失ったワルキューレがぐらりと地面に崩れ落ちたその音で破られた。

 がしゃん、とギーシュの足元に斬り飛ばされたワルキューレの頭部が宙を舞って落ちた。ごろりと転がるその首に、ギーシュは思わず、ひっ、と短く叫び声を上げた。背筋が凍る。理解が追いつかず、頭が真っ白になりそうだった。

 

「脆いな」

 

 ぽつりとリンクの口から言葉が漏れる。ワルキューレを斬った正直な感想だった。硬い鱗で身を守っている竜人や、鋼の鎧に身を包んだ魔戦士に比べれば何の手応えも無いのと同じだった。

 ルイズも、シエスタも、誰もが言葉を失った。ギーシュでさえもだ。リンクがワルキューレを斬った。その事実をやっと理解すると、観衆は一斉に歓声を上げた。

 

「嘘……!」

「ねえ、見た!? リンクが、リンクが!」

 

 キュルケは驚愕の表情で、信じられないという様子で思わず呟いた。タバサは無言だったが、キュルケ同様に目を見開いている。ルイズは飛び跳ねるような勢いで叫び、隣のシエスタの腕を引いてがくがくと揺さぶる。シエスタは放心してしまって何も反応出来ず、ルイズのなすがままだった。

 

「そんな……そんな、馬鹿な……!」

 

 ギーシュは絞り出すようなかすれた声で言った。目の前の光景が信じられなかった。目前で倒れ伏すのはあの緑衣の剣士のはずだった。決して自分のワルキューレなどではない。

 リンクはまた剣をくるりと回すとギーシュに問いかける。

 

「舞踏会はもう終わりか?」

 

 この言葉にギーシュはかっと頬を紅潮させた。薔薇の杖を振る。今度は二枚の花びらが舞い、二体のワルキューレへと変わった。

 

「くそっ、行けっ! ワルキューレ!」

 

 二体のワルキューレがリンクに向かって突っ込んでくる。倍の数の剣が襲い掛かってくる。だが、今度の戦いは一瞬だった。

 リンクは突っ込んでくる二体へと逆に向かって行った。一瞬で肉薄し、ワルキューレが構えることすら出来ないうちに、剣を脳天から続けざまに振り下ろす。その斬撃に、二体のワルキューレはバターのようにたやすく切り裂かれたのだ。股先から脳天まで真っ二つにされたワルキューレは激しい音を立てて崩れ落ちる。

 ギーシュにはリンクの剣の軌跡が全く見えなかった。紫の光が閃いた。彼が知覚できたのはただそれだけである。

 

「嘘だ……こんなことが……」

 

 唖然とするギーシュに対し、リンクは鋭い視線を向けるだけで動かなかった。次のゴーレムの創造を待っているのだ。

 

「……くそっ、くそっ!」

 

 ギーシュは半分パニックになりかけながら薔薇の杖を何度も振る。はらはらと落ちた花びらは全部で七枚。現われた七体のワルキューレは、今度は一直線に突っ込んでは来ず、リンクの周囲を取り囲んだ。大剣を構え、ゆっくりとその距離を詰めてくる。

 順番に掛かっては二の舞になると踏んだのだろう。かわせなくなるその距離まで近づいて、一斉に斬りつけようという作戦のようだ。

 

「こ、これで君に逃げ場は無い! こ、降参するなら今のうちだぞ!」

 

 ギーシュは上擦った声で叫んだ。これだけの数だ。取り囲んで一斉に斬りつければ、かわすことも受け止めることも出来はしない。これで自分の勝利は揺るぎようがない。そのはずだが、声の上擦りを抑えることは出来なかった。

 七対一。普通に考えれば成す術も無くやられる数の差だ。しかし、それが一体どうしたというのだ? そんなことに怯むような時の勇者ではない。

 リンクは低く腰を落として左手の剣を真横に構えた。魔力は込めない。剣だけで勝たねば、その勝利に意味など無いから。ただじっと、ワルキューレ達が間合いに入るその瞬間を待つ。

 緊迫した空気にヴェストリの広場は包まれる。使役できる最大の数のワルキューレを出したギーシュに、異様な構えをとるリンク。誰もが決着のその時が来たことを悟った。息をするのも忘れたように決闘の行く末を見つめる。

 じりじりと距離を詰めるワルキューレ。ギーシュはごくりと唾を飲んだ。タイミングが全てだ。完全に同時でなければやられる。その確信がギーシュにはあった。

 息を飲んでその一瞬を待った。杖を握る手が震えた。つうっと汗が滴り落ちる。だが拭うことはしない。ただ待ち、そして、その時が来た──。

 

「ワルキューレ!」

 

 ギーシュの号令で七体のワルキューレは一斉に躍りかかる。リンクの身体を斬り裂かんと、七本の大剣が振り下ろされた。──リンクが動いたのは、その瞬間だった。

 

「はあああああ!」

 

 七本の剣がリンクを叩き潰そうとしたまさにその時、リンクは気合の叫びを上げ、身体ごとぐるりと一回転して斬りつけた。リンク最大の剣技、回転斬りだ。暴風のような勢いで放たれたその一撃は、振り下ろされていた大剣ごと、全てのワルキューレを斬り裂いた。

 勝利をもたらすはずだった七体のワルキューレは、無残に砕かれ、斬り裂かれた。ギーシュは呆然となった。そして、戦慄した。ぎらりとこちらを睨みつけるリンクの視線に、心の底から打ち震えたのだ。

 そして次の瞬間、リンクはギーシュの目の前に迫っていた。もう刃が届く範囲だ。一息のうちに、リンクは凄まじい速さで距離を詰めていたのだ。握られたその剣は、今にもギーシュの首を刎ね飛ばさんと振りかぶられていた。

 

「ひっ!」

 

 ギーシュは情けない声で叫んだ。斬られる──。ギーシュは自分の首が胴を離れ、宙を舞う、数瞬後の確かな姿が脳裏に浮かんだ。そう、足元に転がっているワルキューレのそれと同じように。恐怖で目を閉じ、思わず尻餅を着いて両腕で頭を抱えた。

 ……だが、その恐ろしい瞬間はいつまで待ってもやってこなかった。ギーシュが恐る恐る目を開くと、リンクは目の前で立ち止まっていた。ぱちん、と剣と盾を元に納める。

 

「俺の勝ち、だな」

 

 いつもの優しい表情に戻ると、リンクはにっと笑ってそう言った。ギーシュはぽかんとしていたが、はっとすると周りの地面を確かめる。そこには、自分の薔薇の杖が確かに落ちていた。恐怖に駆られ、尻餅を着いた時に取り落としていたのだ。

 リンクを見ると、彼は笑ってギーシュに向かって手を差し出していた。その笑顔がどうしようもなく眩しいと、ギーシュは感じた。

 ──負けた。ギーシュは完全に負けたことを悟った。だが、何故かどこか清々しい気分だった。リンクの笑顔につられるように笑うと、その手を取って立ち上がった。

 

「ああ、確かに僕の負けだ……」

 

 ヴェストリの広場は再び静寂に包まれた。だが、それは一瞬のことだった。

 

「……勝った……勝った! リンクが勝ったわ! 私のリンクが勝った!」

 

 静寂を突き破るように、ルイズは飛び上がり、叫んだ。その歓喜の叫びに呼応するように、歓声が上がる。

 

「う゛……う゛ええええん! よ゛がっだ! よ゛がっだです~!」

 

 シエスタは緊張の糸が切れてしまったのと安堵とで子供のようにわんわんと泣き出してしまった。リンクがこちらに向かって笑いかけると、弾かれたように駆け寄って抱きついた。

 リンクはシエスタを受け止めると、困ったような顔で落ち着かせようとするが、シエスタはきつくリンクを抱きしめて決して離そうとはしなかった。一部始終を知っている観衆たちは面白がって囃し立てた。

 

「もう、シエスタったらあんなに泣いて、顔がぐちゃぐちゃじゃない……」

 

 ルイズは優しい表情でそう言った。気持ちはルイズもシエスタと同じだった。リンクが無事でよかった。それがとにかく嬉しかった。二人を見つめていると、視界に差し出されたハンカチが映る。

 

「……あなたも、泣いてるみたいだけど?」

 

 そう言って微笑みながらハンカチを差し出しているのはキュルケだった。確かに頬を安堵の涙が伝っていた。ルイズはなんだか恥ずかしくて、頬を染めてハンカチを受け取った。

 

「あ~……その、うん……ありがと」

「それにしても……まさか勝っちゃうなんて思わなかった。……ますます気に入ったわ」

 

 最後は小声で呟くようにしながら、キュルケは妖艶な表情で熱くリンクを見つめながらそう言った。どうやら彼女の中の炎が燃え上がり始めたようだ。

 

「……興味深い」

 

 タバサはぽつりと呟くと、ずっと開いていた本のページへと目を落とした。もう彼女には広場の喧騒も何も耳に届いていないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴェストリの広場がよく見渡せる、塔と塔とをつなぐ渡り廊下のある柱の陰に、ミス・ロングビルは立っていた。彼女はオールド・オスマンの言葉を教師の一人に伝えると、自分の仕事──オールド・オスマンがここ幾日か放って置いた諸々を片付けるまで馬車馬のように働かせること──には戻らずに決闘の様子を、そして不思議な緑衣の剣士のことをただじっと眺めていた。

 その目には、いつもの彼女とは違って、深い哀愁の色がなぜか浮かんでいた。

 

「……まさか、メイジに剣で勝つ、なんてね……もしも、もしもあんな強さが……私やあの子にもあったのなら……今みたいな暮らしなんて、しなくても済んだのかな……」

 

 ミス・ロングビルは切ない表情でしばらく物思いにふけっていた。幸せだった、在りし日の思い出。ある日突然訪れた、愛する人たちとの永遠の別れ。辛い思い出。楽しい思い出。何より、今は遠く離れてしまっている、残されたたった一人の家族のこと。

 取り留めもないことがいくつもいくつも浮かんできたが、やがて頭の中の考えを振り払うように首を振ると、やらねばならないことへと戻っていった。

 しかし、その深いため息と、瞳に映る悲しみの影は、彼女がその思いを振り払えてはいないことを確かに物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学院長室から決闘を魔法の鏡で見ていたオールド・オスマンとコルベールは感嘆のため息をついた。

 

「まさか、これほどの強さだとは思いもしなかった……いくらまだ学生が操るものとはいえ、剣技だけで七体のゴーレムを圧倒してしまうとは! あなたは彼の強さを知っていたんですか、オールド・オスマン?」

「そうではない。第一、彼のことを聞いたのはついさっきだったじゃろう。だが、彼の顔を見たときにこうなるのではないかとは思ったよ」

「顔……ですか?」

「うむ」

 

 不思議そうに問いかけるコルベールに、オールド・オスマンは重々しく頷くと神妙な面持ちで続けた。

 

「実によく似ている……あの凛々しい顔立ちも、その強さも……わしを助けてくれたあの彼に……」

 

 そういうと、オールド・オスマンは目を閉じ、静かに俯いた。

 

「……その人のことを聞いても?」

 

 いつになく真剣な様子のオールド・オスマンの様子に興味を引かれたコルベールはそう訊ねた。

 

「……いや、すまんの。隠しているわけではないのじゃが……これはまず彼に伝えなければならないことなのでな……。その後でよければ聞かせてやろう。コルベール君、生徒達が随分混乱しているようじゃ。すまんが騒ぎを収めにいってくれるかね?」

 

 コルベールは了承の印に頷くと、足早に部屋を出ていった。一人になった静かな学院長室の中で、オールド・オスマンは杖を机にひと当てし、開錠の魔法を唱えた。

 ことん、と静かな音をたてて引き出しを開くと、その中から銀のペンダントを取り出した。

 

「……ようやくあの時の約束が果たせそうじゃよ」

 

 手に持ったそれをぱちりと開く。中には一枚の写し絵がはめ込まれていた。家族の写し絵だ。まだ若い男女に、女の人の胸元に抱えられた赤ん坊が写っている。

 しかし、ハルケギニアの人とは決定的に違う点があった。全員の耳が長く、尖っている。エルフのような耳だ。そして、父親と思われる若い男。何故かその顔は、リンクにそっくりだった。オールド・オスマンは懐かしげに、写真の中の男に呼びかける。

 

「のう、レバン」

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。