ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

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剣か魔法か
剣か、魔法か


 爆破された教室の後片付けをようやく終え、ルイズとリンクは昼食のために、食堂へと足を運んだ。その途中、掃除道具を返しに行った先で、リンクを待たせてルイズはメイドとなにやらこっそりと相談を始めた。

 内緒話を終えて戻って来たルイズに、リンクが何を話していたのかと聞いても、彼女はいたずらっぽく微笑むだけで教えてくれなかったが、明るい表情をしているから、その秘密の目的は果たせたのだろう。

 罰掃除なんてものも無く先に食事を楽しんでいた生徒達は、遅れてやってきた二人を見ると顔を見合わせてにやにやと笑みを浮かべた。が、ルイズは不愉快そうにぴくりと眉をひそめたが、そんな彼らに一瞥(いちべつ)をくれると意に介さないようにふん、と息をついただけですたすたと歩き去って行った。

 普段なら凍てつくように鋭い目つきでぎらりと睨みつけて来そうなものなのに、と彼らは不思議そうに顔を見合わせたが、大方罰掃除で噛み付いてくる気力も失せたのだろうとあまり深くも考えなかった。

 それからは誰それが付き合っているといった色恋話や最近王都で流行っている劇、果ては宮廷の噂話まで、他愛も無いおしゃべりにまた花を咲かせ始めた。

 そんなざわざわと騒がしい食堂の中を進み、二人が朝と同じ机に座ろうとすると、少し様子が変っていることに気がついた。朝の冷め切ってみすぼらしい料理とは違い、湯気を立てて、食欲を誘う美味しそうな匂いが漂う料理がそこには並んでいた。貴族用のものと比べるとやはり質素なものではあるが、十分ご馳走と言うに相応しいものだった。

 あまりの変りようにリンクとルイズが思わずおお、と驚きの声を上げていると、背後から聞き覚えのある、朗らかな声が聞こえた。

 

「あ、お二人とも! やっと来てくれたんですね!」

 

 リンクとルイズが振り返ると、にこにこと笑うシエスタが立っていた。

 

「もう、随分遅いからせっかくの料理が冷めちゃうんじゃないかと心配しちゃいましたよ!」

「ああ、ちょっと用事があったんだよ。……それにしても、これは?」

 

 リンクがそう問いかけると、シエスタはふふっと微笑んで答えた。

 

「もちろん、お二人のために用意したんですよ! 他の貴族の方とは違うメニューにはなってしまって、パンも黒パンではありますけど……でも、味の方はコック長が保証すると言ってましたから、とっても美味しいはずです! どうぞ召し上がってくださいね」

「そっか、何から何まで本当にありがとう、シエスタ」

 

 リンクがお礼を言うと、シエスタは嬉しそうに笑った。

 

「うふふ、おかわりも用意してありますから、たくさん食べてくださいね!」

「ありがとう、シエスタ。私からもお礼を言わせて? 私じゃとても出来ないことだし……」

「もったいないお言葉ありがとうございます、ミス・ヴァリエール。ですが、そうお気になさらずとも大丈夫です。そんなに大したことではありませんから」

 

 ルイズは申し訳なさそうにシエスタにお礼を言った。それにシエスタはにこっと笑って応える。

 

「でも、世話になりっぱなしでなんだか悪いな。お返しに何か手伝えることとかあるかな?」

 

 リンクの言葉に、シエスタはにこっと笑いながら首を振った。

 

「そんなのいいんですよ。それを言ったら私の方が洗濯物だって手伝ってもらっちゃいましたし、楽しいお話だってしてもらいましたから。それじゃあ、お二人とも、どうぞごゆっくりしていってくださいね。……もし良かったら、是非また旅のお話を聞かせてくださいね、リンクさん」

 

 最後の言葉は楽しげな小声でリンクに耳打ちすると、シエスタは小さく手を振って、上機嫌に鼻歌を小さく歌いながら厨房へと戻って行った。

 リンクはシエスタに手を振り返し、厨房の中へ消えていく彼女を見送っていたが、そんなリンクをルイズはむっとした表情で眺めていた。じとっとしたその目つきはなんだか冷たい。

 

「楽しいお話、ってなんのこと」

 

 抑揚の無い声でそうルイズは問いかける。私、聞いていませんけど。冷たい視線はそう物語っている。思ってもみないルイズの表情にちょっと面食らいつつ、朝のシエスタとの会話を思い出してリンクは答えた。

 

「ちょっと旅の思い出話をしてただけだよ」

「ふーん……思い出話、ねー……本当は口説いたりしてたんじゃないの?」

 

 随分と仲良しになっているみたいですけど……と、ルイズは続ける。

 

「いやいや、まさかそんなことしてないって」

 

 リンクは手を振りながらそう答えるが、ルイズはリンクの眼前にびしっと人差し指を突きつけて言った。

 

「いいこと、リンク! 『使い魔は主を映す鏡』という言葉があるの! あんまり節操のないことはしちゃダメだからね! あなたの評価は、私の評価でもあるんだから!」

 

 だからそんなことしないよ、と苦笑いしながら返すリンクだったが、ルイズはふん、と鼻を鳴らすと、ぷりぷりしながら黒パンを頬張った。その固さにもどうやら慣れたようだ。

 リンクも湯気を立てる熱々のシチューを口に運んだ。飲み干すと腹の底からじんわりと温まった。うまい。コック長直々に味の保証はしてあるとシエスタが言っていたが、 それは確かなようだった。

 

「リンク! 本当にあの子を口説いてないって言うんなら、シエスタにした話を私にもしてみなさいよ!」

 

 シチューの温もりに、思わず頬を緩ませていたリンクだったが、怒っている声が耳に届いてきた。視線を向けると、ずいぶんと機嫌を損ねて、むくれたご主人様が、パンを両手で持ってもぐもぐやりながら、こちらをじとーっと見ていた。 どうにも疑いは晴れないらしい。

 言う通りにしないと機嫌を直してくれそうにもないな。そう思ったリンクは、苦笑しながら口を開いた。

 

「ああ、いいよ。シエスタに最初にしたのは、俺がいくつの頃から旅しているのか、ってことだったな。十歳になる頃からっていったら、ずいぶん驚いていたっけ」

「じゅ、十歳!?」

 

 がたん、と思わずルイズは身を乗り出してリンクに聞き返した。そんなルイズにリンクはうん、と頷くと、呆けたような彼女の表情を見て、おかしそうに笑った。

 

「あははっ、ルイズの今の顔、今朝のシエスタとそっくりだよ」

「そりゃ驚きもするわよ……そんな頃からナビィ、っていったっけ? その友達を探してたの?」

「うん、ナビィと一緒にコキリの森を旅立って、その旅の終わりで別れてから……ナビィを探して、いろんなところに行ったんだ。妖精がいるという話を聞けば、それこそどこへだって。

 太陽の光も十分に届かないような深い森の奥や、どこまでも続く平原、砂嵐が吹きすさぶ砂漠の果てに、一年中雪に閉ざされた山の頂。あちこちの街にも行ってみたよ。交易が盛んで、商魂たくましい行商人で活気あふれる街だったり、それとは逆に、みんな畑を耕してのどかに暮らす農村だったり……。

 そのどこにもナビィはいなかったけど、旅はすごく楽しかったよ。自分の知らないことがたくさんあって、見たこともない景色が目の前に広がっていて、そこに生きる人たちと話をして……世界ってこんなに広いんだなって、そう思った」

 

 ルイズはリンクの言葉を、息を飲んで聞いていた。 自分が十歳の頃といったら、ヴァリエール家の屋敷で、両親から魔法の特訓をうけたり、姉達にちょっと意地悪をされつつも、可愛がられながら、一緒に遊んだりしていた頃だ。自分とは環境が違うとはいえ、リンクはそんな時分には、たった一人で友達を探すために旅をしてきたというのだ。

 それにルイズはリンクのように旅をしたことなどなかった。精々が、貴族の子息らの誕生会などに、両親や姉達と一緒に馬車に乗って出かけるくらい。その先で会う人たちは、みんな気位の高い貴族ばかりで、話すことといったらほとんどが自慢と噂話ぐらいでしかない。

 自由に世界を見て回るということがどういうものか想像してみると、リンクの話を聞きたくてたまらなくなり、言葉が勝手に口を突いて出ていた。

 

「……ねえ、あなたの旅では、どんなことがあったの? どんな人と会った? どんなものを見てきたの? 教えて欲しいわ」

 

 ルイズは、さっきまでのイライラはいつの間にかどこかへ消え去ってしまったのか、目を輝かせてリンクに問いかけた。リンクはルイズに笑いかけると、穏やかで優しい口調で語り始めた。

 

「そうだな、次にシエスタに話したのは、雪山で見た、輝く氷の霧だったな」

「輝く氷の霧? なあにそれ?」

「……あれはものすごく寒い吹雪の夜を、山小屋で過ごした時のことだった。その時はある雪山の山頂に、妖精たちが集まる泉があるって話を聞いて、行ってみたんだ。

 麓の村を出た時には雲一つ無い清々しい晴れだったのに、日が落ちる頃に雲がわいてきたと思ったら突然ひどい吹雪になってね。十歩先がようやく見えるかどうかってほどだった。

 村の人に聞いてた山小屋へようやくたどり着けた時にはすごくほっとしたよ。もう随分使われて無かったようであちこちガタが来てたけど。扉なんて開けたら蝶番の所が腐っててそのまま取れちゃったからね。おかげで間抜けにも思いっきり転んで顔から床に突っ込んじゃって」

 

 あの時は痛かったなぁ、と言ってリンクは笑った。ルイズも転んで痛がるリンクを想像して、悪いとは思いつつもついおかしくなって笑ってしまった。

 

「それでも灰だらけとはいえまだ使える暖炉と湿ってない薪があったのは凄い幸運だったんだろうな。ご丁寧に毛布まで備えられていたし。それにしても寒かったよ! 暖炉に薪をくべても、くべても、震えが止まらなくて、小屋にあった毛布をかき集めて、何枚も重ねてようやく眠れるような有様だった。

 ……目が覚めたのは明け方だった。肌に突き刺さるような、凍てつく寒さはそのままだったけれど、朝日が窓からは差し込んでいて、前の日には山小屋を吹き飛ばすんじゃないかって勢いで叩きつけていた風が、嘘みたいに止んでいた。(くすぶ)っていた薪が時折はじける音がするだけの静かな朝だった。

 無理やりはめ込んでた扉を外して山小屋から出たら驚いたよ。空気がきらきらと輝いていたんだ。辺り一面、どこを見渡しても、光の粒が舞っていて、自分が星の海の中にいるみたいだった。小さな氷の粒が霧の様になって、空を舞ってるんだよ。太陽の光がその氷を照らして、宝石みたいに光り輝かせていたんだ……すごく、綺麗だった」

「すごい……そんな風景があるんだ……」

 

 リンクはその幻想的な光景を思い出しながら、ルイズに雪山の思い出を語った。ルイズはリンクの話に息を呑み、目を見開くばかりだった。

 

「麓の村の人に後で聞いてみたら、なんでもその山にいる氷の精霊たちが吹雪の夜にはパーティーをやっているそうなんだ。その時の灯りが氷の粒となって空を舞って、次の日の朝には光り輝くんだって。その光景を見た人には、幸運が訪れるらしいんだけど、俺にはこれといって、そういうのはなかったかな。山頂の泉には妖精はいなかったし、おまけに下山中に氷で滑って今度は思いっきり腰を打っちゃったし」

 

 そう話し終わるとリンクは、頬をかきながら笑い、シチューをまた一口啜った。 ルイズは、ほうと深く息を一つついて静かに呟いた。

 

「私もいつか見てみたいわ、そんな光景……」

 

 ルイズは目の前の料理を食べることも忘れ、しばらくの間その雪山の美しく光り輝く氷の霧に思いを馳せていた。

 

「ルイズ、料理も食べないと、せっかく温かいのに冷めちゃうよ」

 

 想像に夢中になっているルイズを見て、リンクは面白そうにくすくすと笑うと、そう言った。はっとしたルイズは、少しだけ頬を紅く染めながら、リンクと同じように温かいシチューを口に運ぶ。

 

「ねえ、リンク! 他にもそういう綺麗なものを見たことはあるの?」

 

 ルイズは抑えきれない好奇心を隠さずに、目を輝かせてそう聞いた。もっと聞きたい、とルイズの体はうずうずしていた。もとより、好奇心は人一倍強いルイズだ。未知のことを知るのは、とても楽しいことであった。リンクはにっこりと微笑んで頷くと、また語り始めた。

 

「ああ、ある村に立ち寄った時にそこの狩人から聞いた話なんだけど、昼間は瘴気漂う沼地なのに、夜になると虹色に光り輝く場所があるそうなんだ。それで話を聞いてからエポナと一緒に行ってみたんだけど、なんとそこには……」

 

 リンクの旅の思い出語りは、それからも続いた。ルイズは幻想的な光景に思い巡らし、時に訪れる危機では、はっと息を飲み、それを切り抜けた場面になると、ほうとため息をついて、リンクの話にのめりこんだ。料理に舌鼓を打ちながらも楽しい時間は過ぎていく。

 

「……は、ミス・モンモランシーの……」

「誤解だよ、ケティ! これは……」

 

 突然離れた場所から何か言い争うような声が聞こえてきたのは、二人が食事を終えてから水を飲んで一息ついている時だった。何事かと声のする方に顔を向けて見てみると、何かをひっぱたくような乾いた音が響く。その直後、栗毛の髪をした小柄な女の子が泣きながら食堂を走り去って行った。

 

「ギーシュ! あんたやっぱりあの一年生に手を出してたのね!」

「モ、モンモランシー! これは……」

 

 間髪入れずに椅子が勢い良く倒れる音がしたかと思うと、先ほどの悲しげな声とは違って、激しい怒りのこもった大きな声が食堂中に響く。

 

「ああ……何事かと思ったらギーシュなのね。毎度飽きずによくやるものだわ」

 

 聞こえてきた名前に呆れた表情となって、ルイズは浮かしかけていた腰を元に戻す。リンクもそれに(なら)おうとしたが、ちらりと見えた黒髪のメイドの姿に考えを変えた。リンクは椅子から立ち上がると、声の聞こえてくる方へ歩き出す。

 

「あっ、ちょっとリンク!?」

「様子を見てくるよ。すぐ戻ってくるから」

「そんな必要ないわよ! いつものことなんだから!」

 

 ルイズはリンクを呼び止めたが、彼は笑いながらひらひらと手を振って、行ってしまった。

 

「もう! どうせいつもの痴話喧嘩なんだから、放っておけば良いのに!」

 

 むすっとした表情でルイズは不満げに頬杖をつくと、小さくため息をついた。

 

「……もっとリンクの話、聞いていたかったのにな……」

 

 

 

 

 リンクが近づいていくと、二人の男女が大声で口論──というには随分と一方的ではあったが──をしていたところだった。金髪に胸元の大きく開いた、フリルのついたシャツを着ている男は、頬を紅潮させて興奮気味に詰問してくる女の子を、言葉を尽くして何とかなだめようとしているようだったが、あまり効果はないようだった。その声はどんどんと大きくなり、激しさを増すばかりだ。

 いつになったらその浮気癖は治るのよ! とか、私以外は見ていないって昨日言ってたでしょ! とか何とか、色々と聞こえてくる。男の友人だろう男子生徒が数人近くに座っていたが、騒ぎを止める素振りも見せずに、どの顔もどこか面白そうに二人の口論を眺めているだけだった。

 そこから少し離れて、青ざめた顔で二人の口喧嘩の様子を、おろおろと(うかが)っているシエスタがいた。

 リンクが喧嘩をする二人に声を掛けようとしたその瞬間、女が右腕を大きく振りかぶって、男の頬に思い切り平手を叩きつけた。聞いただけで身が(すく)むような音が響く。その腕は完全に振り抜かれ、男はたたらを踏み、尻餅をついて倒れた。はたかれた男の頬には、女の子の激しく燃え上がった怒りの感情を表しているかのように、赤々とその手のひらの形が浮かんでいた。仲裁に入るのはどうやら遅かったらしい。

 

「もう愛想が尽きたわ! この浮気者!」

 

 そういうと、女の子は縦巻きの金髪をずんずんと揺らして、食堂から走り去ってしまった。平手打ちの衝撃が覚めやらぬためか、女の子を呼び止めることも出来ずに男は尻餅をついたまま呆然と瞬きを繰り返すだけだった。

 

「うわぁ、痛そう……シエスタ、何があったのか教えてくれるか?」

 

 止める間もなく思いがけない形で決着がついてしまい、リンクはシエスタに事の経緯を尋ねる。はっとなったシエスタは落ち着かない様子で早口に状況を説明した。今にも泣き出してしまいそうな表情だった。

 

「あの、ミスタ・グラモンの服のポケットから、小瓶が落ちたんです。私、落し物だと思って、彼に手渡そうと思ったんです。でも、なぜか受け取ってもらえなくって、そうしていたら、先ほどの一年生の方が、小瓶を見て、それがミス・モンモランシーからの贈り物だと言って……ミスタ・グラモンが、ミス・モンモランシーとお付き合いなさっていると思ったようで泣き出してしまって……そうこうしている内に、今度はミス・モンモランシーが怒り出してしまって……」

「ああ、二股かけてたのがばれちゃった訳か……」

 

 どうやら、恋人以外の女の子に粉をかけていたのが先ほどの口論の原因のようだ。聞こえてきたところによると、これが初めての浮気というわけでもないらしい。平手打ちを喰らったのも、ことによっては何度かあったのだろうか。

 男は友人達の心配げな──しかし、面白くて仕方ないという感情を多分に含んだ──声を聞いて、放心状態から戻ってくると、じんじんとうずく左頬を押さえて立ち上がり、キッとシエスタを睨みつけた。シエスタは男の視線に体をびくりと強張らせる。

 

「おい、メイド! 君のせいで二人のレディが傷ついてしまったじゃないか! どう責任を取ってくれるんだ!」

 

 男は声を荒げて、シエスタを責める言葉を口に出した。さっきまでの、女の子をなだめすかすために言い訳を並べ立てていた時の弱々しい声とは違い、棘のある、鋭い声だ。

 

「も、申し訳ありません! で、ですが、私は、その、落し物を拾っただけで、なくしてしまってはきっと困る、大切なものだと思ったものですから……」

 

 シエスタは強張った体を震わせながら、深々と頭を下げて男に謝罪した。しかし、彼は矛を収めようとはしなかった。

 

「そうだとしてもだ、僕が受け取ろうとしないことを見て、それとなく察することぐらいは出来たんじゃないのかい!? 今は僕にとってそうするべきではない時であると! 後で誰もいないときに持って来るぐらいの気遣いも君には出来ないのかい?」

「いえ、その……私はただ……」

「ふん! 全く迷惑なことだ! これだから教養の欠片も無い平民は……」

「そのくらいにしておけよ」

 

 文句がとめどなく男の口から溢れだそうというその時、リンクがシエスタを庇うようにその前へと立った。力強く、凛とした声が響く。それほど大きなわけでもないのに、不思議とよく通る声だ。リンクは気迫のこもった視線でギーシュを見据えていた。

 

「な、なんだ、君は……ルイズの使い魔か。ふん、平民ごときが貴族に楯突こうというのか。メイドを守ってヒーローでも気取ろうって言うのかい?」

 

 リンクの視線の気迫に一瞬たじろぎながらも、割って入ってきた相手が誰かわかるとギーシュはすぐに余裕を浮かべた表情でせせら笑った。 左頬には強烈な打撃痕が残っていて微妙に締まらない絵面になってはいるが。

 

「別に俺はそんなの気取っているわけじゃないけどさ……わざわざ落し物を拾ってもらったんだから、間が悪かったにせよ、まずは礼の一つでも言ったらどうなんだ? 八つ当たりなんてする前にさ」

 

 ギーシュはリンクの言葉に声を荒げる。

 

「何だと? このメイドがほんの少し気を回すことが出来ていれば彼女達は傷つくこともなかったんだぞ!」

「傷つけたっていうか、怒らせたっていうか……まあ、ともかく、それはお前が二股かけてたせいだろう。まあ、殴られたのには同情するけどさ……」

 

 リンクは眉をひそめて言った。 それを聞いたギーシュの友人達は揃って噴き出した。

 

「わははは! 確かに彼の言うとおりだな、ギーシュ!」

「ふっ、ふはは、いやこっちとしては良い物を見せてもらえたけどね」

「ぷくく、ああ、悪いがモンモランシーにぶっ飛ばされた君の姿は傑作だった!」

 

 平手打ちの経緯を見ていた周囲の生徒達からも笑い声が漏れた。ギーシュは眉をぴくぴくと動かし、口元をわななかせて呟く。右手は拳の形に握られ、かすかに震えている。

 

「ふっ、ふふふっ……この僕をコケにして、笑い者にして……貴族であるこの僕に対して、平民の、あまつさえ使い魔ごときが……本当に礼儀というものを知らないようだな」

「……貴族だ、平民だって……貴族であることがそんなに偉いのか」

 

 リンクは静かにそう言った。ギーシュを見据えるその視線は先ほどよりもその鋭さを増している。

 ギーシュもまたリンクを睨みながら声を張り上げた。

 

「何を分かりきった事を! 貴族とは主人であり、平民はその従僕! 歴然とした差があるのだ! 貴族に(かしず)き、その命令に従うのは平民の義務として当然のことだ!」

 

 トリステインのほとんど全ての貴族にとって当然の認識であるその返答に、リンクは怒りが燃え上がるのを感じた。抑えることの出来ない思いは叫びとなって(ほとばし)る。

 

「だったらお前達貴族は彼女たちに何をしたっていいって言うのか! 平民だったら自分の道具か何かのようにしてもいいとでも思っているのか!?  シエスタはお前達の道具なんかじゃないぞ!」

 

 リンクは激しい怒りを隠そうともせずに続ける。

 

「そうやって弱いもの相手に威張り散らすことが、お前達の言う貴族か! お前達の誇りか! 魔法が使える、それが何だっていうんだ! たとえどんな魔法が使えたって、誰かを踏みにじって自分が好き勝手するための力だっていうのなら、そんなもの誇りに出来る力でもなんでもない!」

 

 ギーシュは呆気に取られたように口を開けていた。リンクが何を言ったのか理解できなかったのだ。理解しようとしなかった、と言った方が正しいかもしれない。貴族の誇りを、絶対的な力である魔法を、侮辱されたのだ。それもあろうことか、平民の使い魔ごときに! 

 まぶたをぴくぴくと痙攣させ、こみ上げる怒りに頬はかあっと紅潮した。貴族が何よりも重きを置くのは自身の名誉と誇り。それを侮辱されたと受け取ったギーシュの怒りは頂点に達しようとしていた。

 シエスタは血の気を失ったように青白い表情で、ぶるぶると震えながらリンクの左腕を引っ張った。上擦った声の様子からも、恐怖に駆られていたのは明らかだった。

 

「だ、駄目です、リンクさん! は、早く謝って! 今、今なら、まだ、ま、間に合って、ゆゆ、ゆ、許してくれるかも!」

 

 シエスタの言葉をリンクはむべも無く突っぱねる。

 

「謝ることなんか無い。間違ってもないことを許してもらう必要なんてどこにある」

「な、何言ってるんですか!? こ、殺されちゃいますよ!?」

 

 慌てふためくシエスタと、貴族を侮辱したことを何とも思っていないように振舞うリンクを見て、ギーシュは青筋を立てながら冷笑を浮かべた。

 

「ははは、どうやら君よりもそのメイドの方が賢いようだぞ。平民が貴族の怒りを買えばどうなるのか、良く理解している」

「そうやって力を振りかざして思い上がってる所が気に入らないって言ってるんだよ。一体何様のつもりだ」

「リンクさん! だから駄目ですって!」

「リンク、さっきからどうしたの? ギーシュと何かあったの?」

 

 態度を全く変えようとしないどころかさらに言動がエスカレートしそうなリンクに、シエスタが背筋の凍るような思いをしているまさにその時、心配そうな様子でリンクに尋ねる声がした。大分待っても元の席にリンクが戻ってこない上、怒りに満ちたその叫びを聞いて慌ててやって来たルイズのものだった。

 

「やあ、ルイズ。君は実に素晴らしい使い魔を召喚したものだ。まさか貴族を相手にこれほど侮辱してくれるような輩だとは。身の程知らずにもほどがあると思うが、その勇気だけは褒めてもいい。愚かさと言った方が良いかもしれないけれどね」

 

 ギーシュは刺々しい感情を隠そうともせず、ルイズにそう言った。シエスタはルイズを見た途端、すがりつくような目になり、必死でリンクを止めてくれるように懇願した。

 

「ミス・ヴァリエール! どうかリンクさんを止めてください! このままではどんな目に合わされるか……」

 

 シエスタのあまりの必死さに、ルイズは状況を察してリンクに強い口調で言った。

 

「何があったのか詳しいことはわからないけど、怒らせたのだったら意地張らずにとにかく謝りなさい! シエスタの言うとおり、どんな目にあうことかわからないわよ!」

「そうです、リンクさん! お願いですから……!」

 

 シエスタも重ねて懇願する。しかし、リンクの答えは拒絶だった。

 

「やなこった」

「んなっ……」

 

 強烈なリンクの返答にルイズが絶句していると、ギーシュが心底愉快そうに笑った。

 

「はははははっ! 本当に躾も何もなっていない使い魔だな! 主の命令も聞かないとは! これでは主の格も知れるものというものだ! まあ仕方ないかもしれないな、あの『ゼロ』が召喚した使い魔であることだし! それにしても貴族に対する態度が全くなっていない。君は敬意を払った振る舞いすら出来ないのかい?」

 

 ルイズがギーシュに食ってかかろうと口を開く前に、リンクはまるで吐き捨てるように言った。

 

「それはお生憎。俺は弱いものいじめをして威張りくさってるような奴に払う敬意なんか持っちゃいないからな」

 

 ぴしりと音がしたかと思うほど、そのままの格好でギーシュは硬直した。たっぷり十秒は固まっていたかと思うと、とうとう我慢の限界を超えたようで、かっと目を見開き、びしりとリンクに人差し指を突きつけると食堂中に響き渡るような大声で言い放った。

 

「君に決闘を申し込む! その背中に背負っている剣が飾りでないならば、僕と戦ってみせろ! 場所はヴェストリの広場! 君が侮辱した魔法がどれほどの力を持つのか、その目に見せてくれる! 逃げ出すのならば今のうちだぞ! もっとも、その時は臆病者と生涯笑いものにしてくれるがね! ははははっ!」

「ちょ、ちょっと、ギーシュ! 待ちなさいよっ!」

 

 ルイズの静止も聞かずに、ギーシュはマントを(ひるがえ)し、高笑いを上げながら去って行った。食堂はわっと沸き立ち、誰もがいい場所で決闘を見物しようと我先に外へと向かった。退屈な授業などよりも降って湧いたお祭り騒ぎに大喜びという訳だ。

 リンクはギーシュの出て行った後をしばし眺めていたが、静かに出口に向かって歩き始めた。

 

 シエスタは青い顔をして、震える声でリンクに問いかけた。

 

「ちょ、ちょっとリンクさん、どこに行くんですか!?」

「ヴェストリの広場だっけ? そこで決闘だって言われたからな」

 

 リンクの返事を聞いてシエスタはリンクに駆け寄り、その左腕を両手でぎゅっと掴んで引き止めた。

 

「まさか、本当に戦うつもりなんですか!? ダメです! お願いですから止めてください! 殺されてしまいますよ! 冗談なんかじゃありません!」

 

 シエスタの声は上擦り、体はぶるぶると震えていた。これから決闘とは名ばかりでただ痛めつけられるだけのリンクの姿を想像するだけで恐怖が湧き上がり、震えを抑えることが出来なかった。

 

「そんなことにはならないよ。あいつも言っていたけど、この剣はなにも飾りで背負ってるわけじゃないんだ」

 

 リンクはシエスタの手を優しく振りほどくと、そういってまた歩き始めた。だが、シエスタはリンクの前に、今度は両手を広げて立ち塞がった。

 

「あなたは貴族の強さを知らないからそんなことを言えるんです! メイジに平民が勝てるわけないじゃないですか!」

 

 ルイズもシエスタの隣に立ち、リンクにきっぱりと言った。

 

「やめなさい。シエスタの言うとおりよ。敵うはず無いわ。いくら剣の腕が立つからって無理なものは無理なの。決闘なんてしたら大怪我で済めば良い方よ。ギーシュもあれだけ怒っていたからきっと本気で来るわ。……私だって、ギーシュが正しいだなんて思わないけど、だからってあなたが痛い目に遭うこと無いわ。私も一緒に謝るから、なんとか許してもらってそれで終わりにしましょう、ね?」

 

 言い聞かせるようにルイズは言ったが、リンクは首を横に振り、はっきりとそれを拒絶した。

 

「俺は何も間違ったことは言っちゃいない。謝ることなんて出来ないよ」

 

 ルイズはどうしても折れてくれないリンクに腹を立てて声を荒げた。自分が彼を心配していることがちっとも伝わっていないようで、そのことにほんの少し悲しみを覚えながら。

 

「なんでそんな意地張るのよ! 大怪我して、下手したら死んじゃうかもしれないのに! それよりは謝って済む方がずっと良いでしょ!?」

 

 シエスタは今にも泣き出しそうな顔をしてリンクに詰め寄る。

 

「お願いします、リンクさん。決闘なんて止めてください。私を庇ってくれたことはすごく嬉しかったです……その気持ちだけで十分ですから……」

「……そうやって我慢し続けるのか? これからも、たとえどんなにひどいことを言われても、ひどい扱いを受けても?」

 

 リンクの言葉を聞いて、シエスタは迷うように視線を泳がせていたが、両手でぐっと白いエプロンを握り締めると、下を向いてしまった。

 

「それは……でも、仕方ないんです……それが平民と貴族なんですから……」

 

 リンクは、俯いていたシエスタの肩を掴んだ。シエスタは、はっと顔を上げる。澄みきった、光をたたえる青い瞳が、シエスタを見つめていた。何の迷いも、恐れも抱いていないまっすぐな瞳。優しく微笑んで、リンクは言った。

 

「そんな我慢なんてしなくても良いんだよ。シエスタは何にも間違ったことなんかしていないじゃないか。あいつが自分のものを落として、それを困るんじゃないかと思って親切で拾ってあげた。ただそれだけだよ。シエスタが思いやりでそうしただけ。

 それなのに、あんなことを言われて傷ついただろう? 優しさを、気持ちを踏みにじられたようで。そんなこと、誰もして良いはずが無いよ。相手が貴族だろうと、平民だろうと、関係なくさ」

「リンクさん……」

「それにさ」

 

 リンクは、次にルイズの方を向いて言った。

 

「そこまで勝てる訳が無いって言われると、逆に戦ってみたくもなるんだよ。楽勝で勝てると思っていた相手に手こずらされて、あの余裕綽々(しゃくしゃく)な顔が泡食って慌てふためく様に変わるところを拝んでやりたいってな」

 

 リンクは意地悪くにっと笑ったが、どうにも状況をわかっていないその態度に、ルイズは苛立たしげに思い切り叫んだ。

 

「……リンクの馬鹿! それが無謀でしかないから止めてるんでしょ!」

 

 ルイズはそう叫ぶと、リンクに向かって羽織っていたマントを投げつけた。面食らったリンクがマントを受け止めると、ルイズは有無を言わさぬ強い口調で言い放った。

 

「そのマントを私の部屋に片付けてきなさい! 走っちゃ駄目よ! ゆっくりゆっくり歩いて行きなさい! 片付けも雑になんてしたら許さないんだから! きっちり仕舞ってくること! いいこと!? なるべくゆっくりよ!」

 

 言い終わるやいなや、ルイズは脱兎のごとく出口へ駆けて行った。リンクをどれだけ止めても効果が無いと判断して、ギーシュの方に説得を試みることにしたのだ。マントを投げつけ、なるべくゆっくりと命じたのはその時間稼ぎのためだ。

 

「ま、待ってください、ミス・ヴァリエール! 私も行きます!」

 

 シエスタもその後を追って大急ぎで駆け出した。後に残される形になったリンクは、ルイズの体温でほんのり暖かいマントを眺めてため息をついた。頬をかいて参った、というような表情でリンクは呟く。

 

「……やれやれ、平民は貴族に勝てない、ね。どうやらこの世界じゃあ魔法が剣技のような武術に対して絶対的な力になってるみたいだな。よっぽど凄い力なのか……だけど、それなら余計にこの剣だけで勝たなきゃな」

 

 リンクは魔法を使えないという訳ではない。大妖精から授かった魔法や、魔力を込めた魔法の矢を使うことは出来る(ルイズ達にそれを言っていないのは、彼女達の使う魔法とは全く異なる上に、さらには自分がエルフとの誤解を決定的にさせてしまいそうと思ったからだ)。しかし、魔法を使って勝てたところで、それは本当の勝利ではない。魔法を使わずに剣のみで勝たなければ、意味は無いのだ。

 

「『使い魔は主を映す鏡』、か……。ルイズ、君は無能な『ゼロ』なんかじゃないって、きっと示してやる」

 

 ふうっ、ともう一度短く息をつくと、リンクは歩き出した。緊張や不安の感情は、その振る舞いには微塵も無い。あるのはただ堅い決意だけだ。

 

「ま、まずは部屋にこいつを置いてきてからだな。あ! そういえば広場の名前は聞いたけど、どこにあるか聞きそびれたなぁ……うーん、人だかりが出来てればそこに行けばいいかな?」

 

 リンクか、ギーシュか。剣か、魔法か。リンク本人以外は、誰一人として魔法の勝利を疑っていないこの決闘。その結末は果たして。

 

 


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