ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

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『ゼロ』
『ゼロ』① いつもと同じ、だけど違う朝


「どう? 目は覚めた?」

 

 ふあっ、と小さく欠伸をしながらくしくしと(まぶた)を擦るルイズに、リンクは右手を腰に当て、口元に笑みを浮かべながら問いかけた。ルイズは頬を軽く掻き、笑って答えた。

 

「あはは……まだちょっぴり眠いかしら。目を閉じるとなんだか気持ちいいの」

 

 温もりを保ったままのベッドに再び潜り込めば、気持ち良く寝息を立てられるぐらいには、心地よい眠気がルイズのことをまだ誘っていた。まどろみに身を任せる快感を良く知っているリンクは笑いながら頷いた。

 

「はははっ! 気持ちは良くわかるよ。でも、二度寝されると困っちゃうからな」

 

 はい、とリンクは濡れた手拭をルイズに手渡した。

 

「下の水場で絞ってきたんだ。これで顔を拭けばすっきりするさ」

「ありがとう、リンク」

 

 ルイズはお礼を言って手拭を受け取り、顔を拭う。水を含みすぎず、絞られすぎてもいない丁度いい具合だった。ひんやりとした感触が肌を包んで心地いい。しっかりと意識が覚醒し、自分を誘っていた睡気がどこかに行ってしまったことを感じる。

 すっきりするまでひとしきり顔を拭き、ふうと一息つくと、リンクが今度は乾いた手拭を差し出してくれていた。こちらもお礼を言って受け取り、今度は顔に残っていた水滴を拭き取った。

 ルイズから二枚目の手拭も受け取り、ぱっちりと目が開かれ、その鳶色の瞳から睡魔が完全に去ったことを見届けたリンクはにっこり笑って言った。

 

「うん、これでよし! こいつらを洗って干してきちゃうから、その間に身支度を整えておくといいよ」

「ええ、わかったわ」

 

 リンクが出て行くのを見送った後、ルイズはベッドから降りて立ち上がると、窓際へ歩いていった。眩いばかりに降り注ぐ朝日を浴びながら、思い切り伸びをする。空は晴れ渡り、どこまでも青く澄み切っていた。それだけでなぜか今日はいいことが起きるような、晴れやかな気分になれた。

 ルイズは満足げに息を吐くと、上機嫌に小さく鼻歌を歌いながらクローゼットへ向かった。下着が一杯に詰まった一番下の引き出しから、純白のパンティーを取り出す。清楚なレースの装飾と、正面にある小さなリボンが可愛くてお気に入りのものだ。

 別の引き出しから同じく純白のキャミソールも手に取る。こちらも胸元に小さなリボンがあしらわれていた。

 ネグリジェを脱ぎ捨ててパンティーとキャミソールを身に着ける。さらに白のブラウスとグレーのプリーツスカートだ。昨夜と違って着替え中、すぐ傍にリンクがいないことに少しほっとした。もしかしたら気を使ってくれたのかも、とルイズはブラウスのボタンを一つずつ留めながらふと思った。

 黒タイツと靴を履いて、最後に五芒星の刻まれた留め具が付いた黒いマントを身に纏い、着替えは完了だ。

 脱いだネグリジェをリンクが空にしてくれた洗濯籠へ入れ、ルイズは化粧台の前に座った。鏡を覗き込み、母親譲りの桃色がかったブロンドの髪を櫛で梳いていく。

 

「……うん、大丈夫かな」

 

 身体を左右に軽くひねって鏡に映る角度を変えながら、整えた髪と制服をチェックする。思った通りの自分の姿が映っているのを確かめ、小さく呟いて朝の手入れを終えた。鏡の中の自分に向かってにこっと微笑む。

 櫛を化粧台の引き出しへしまい、杖を手に持ったところで扉をノックする音が聞こえてきた。

 

「はい?」

「ルイズ、入っても大丈夫かな?」

「ええ、いいわよ」

 

 リンクの声にルイズが答えると、扉を開いて彼が入ってきた。ルイズはリンクの前で両手を広げてくるりと一回転すると、得意げに笑って言った。

 

「どう? ばっちりでしょ?」

「ああ。さっきまで寝ぼけ眼で舟漕いでいたとはとても思えない」

 

 にやっと笑い、茶化すように言ったリンクに、ルイズはぷくっと頬を膨らませた。そんなことより自分を褒め称える言葉の一つでも欲しかった。

 

「もう! 寝起きは仕方ないでしょ!」

「ははっ、ごめんごめん。冗談だよ」

 

 笑ってそう言うリンクに、ルイズは頬を膨らませたまま、腕を組んでふいっと顔を背けた。

 

「ふんだ。全く、失礼しちゃうわ」

「ははは……悪かったって」

 

 言葉の割にはちっとも悪いと思ってなさそうなリンクの笑顔に、ルイズはふっと微笑むと気を取り直して扉へ向かって歩き出した。

 

「ま、いいわ。さあ、朝食に行きましょう! 案内するわ!」

 

 

 

 リンクを後ろへ連れてルイズは、学院の中心に高くそびえる本塔へとやってきた。特に希望する場合などを除けば、生徒や教員ら学院のメイジたちは皆この本塔の中にある食堂で朝昼晩の食事をするのだ。

 先ほどリンクが食材の運び込みを手伝うために出入りした特に装飾も無かった厨房の勝手口とは異なり、格調高い立派な彫刻が施された重厚な木の扉が食堂の入り口となっている。扉の上にはリンクの読めない文字が刻まれた、黄金のプレートが架かっていた。

 ルイズに聞いてみると、『アルヴィーズの食堂』と刻まれているのだと教えてくれた。不思議なことに言葉は通じるのに、どうやら文字の方は駄目なようだ。リンクが過去に経験した異世界とは異なっているらしい。

 二人のように、これから朝食にありつこうという生徒が扉を開いた隙間から、楽しげで賑やかな声が漏れ聞こえてきた。多くの生徒たちが既に朝の食事を楽しんでいて、食堂は中々に活気にあふれている。

 

「リンク、悪いけどちょっとここで待っていてくれる? あなたがここに入って食事をしてもいいか、許可を取ってくるから。ここは貴族しか使えない決まりになっているの」

 

 ルイズはリンクに振り返って言った。昨日はパンひとつしか食べさせて上げられなかった分、今日からはきちんと面倒を見てあげたい。昨日の燻製のお礼だってしたい。内心そんなことを思っていたルイズに、リンクは頷いた。

 

「ああ、わかったよ」

 

 中に入っていったルイズを見送ると、手持ち無沙汰になって伸びをしたり、ブーツの爪先で床をとんとんと叩いたりしていたリンクに、背後から声がかかった。

 

「おはよう、使い魔の剣士さん」

 

 リンクが振り向くと、艶やかな微笑を浮かべた燃えあがる炎のような真紅の髪の美女、キュルケが立っていた。身に纏っている色気はまるでむせ返るようだ。

 何よりも魅力を放っているのはその胸元だった。二番目のボタンまで大胆に開けられたブラウスから、小山のようなバストが窮屈そうに覗いている。その深い谷間は、視線を釘付けにしようと抗いがたい誘惑を放っていた。

 キュルケの傍らでは使い魔である、サラマンダーのフレイムが口からちろちろと炎を覗かせている。虎ほどもあろうかという大きさで、紅い体色がキュルケの赤髪と良く似合っていた。

 リンクは微笑んで挨拶を返した。

 

「おはよう、キュルケ」

「昨夜にあの笛の音を奏でていたのはあなたよね? 今までルイズの部屋から楽器の音がしたことなんてなかったもの」

 

 キュルケの言葉にリンクは頷いて答えた。

 

「確かにオカリナを奏でていたのは俺だけど、君に聴こえていたの? もしかしてうるさかったかな?」

 

 リンクの問いかけにキュルケは首を勢い良く横に振り、瞳を輝かせて答えた。

 

「全然! とっても素晴らしい演奏をありがとう! あの美しく澄んだ音色に、穏やかでありながら心を揺さぶるような旋律……! 次はぜひ私のために奏でて欲しいものだわ! 曲が聞こえたのは私の部屋がルイズの隣だったからよ。でも、そのおかげであなたの演奏が聴けたんだから感謝しなくちゃね!」

 

 キュルケの答えにリンクは笑って言った。

 

「そんなに気に入ってもらえて光栄だな。暇がある時ならもちろんいいよ」

「ホント? 約束よ」

 

 キュルケがそう約束を取り付けたところで、傍に控えていたフレイムがリンクの脚にその頭を擦り付けて来た。心地よい熱さがブーツを通じて肌に伝わってくる。きゅるきゅると甘えるような声を出して、鮮やかな炎の灯った尻尾を左右に振っていた。

 リンクはかがみこんで頭を撫でてやった。

 

「なんだお前、ごつい顔してる割にはずいぶん人懐っこい奴だな」

「きゅるー……」

 

 リンクに撫でられ、フレイムは目を細めて気持ちよさそうに間延びした声を上げる。

 

「まあ、フレイムったらあなたが気に入ったみたいね。気持ちよさそうな顔しちゃって」

「こいつが君の使い魔か。サラマンダーって言ったっけ?」

 

 昨夜ルイズがキュルケと張り合っていたときにフレイムのことをそう呼んでいたのを思い出し、リンクがそう聞くと、キュルケはふふん、と得意げな表情になり、胸を張って答えた。

 

「ええ、そうなの! サラマンダーのフレイム! しかもそんじょそこらのサラマンダーじゃないのよ? ほら、見て? この尻尾。ここまで鮮やかで大きな炎の尻尾は間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ? 好事家に見せたら値段なんかつかないくらいなんだから!」

「へぇ……お前凄いんだなぁ」

「きゅ」

 

 リンクの感嘆の言葉に、フレイムは肯定するように一声鳴いた。ぽふんと小さく炎が口から漏れた。

 

「俺はリンク。よろしくな、フレイム」

「きゅるる」

 

 フレイムは返事をするように鳴くと、リンクが頭を撫でるのに身を任せていた。

 

「うふふ……やっぱり主と使い魔は好みが似るのかしらねー」

「へぇ、そうなのかな?」

 

 色気を込めた甘い声を出し、熱っぽく瞳を潤ませて誘うように妖艶な流し目をリンクに送るキュルケだったが、フレイムの頭を撫でて、にこにこしているリンクはそれにちっとも気づいていないようだった。思わぬ肩透かしをくらったキュルケは、ため息を人知れずついた。

 ──なによ、こっちを見向きもしないなんて。この人鈍感なの? キュルケはくるくると右手の人差し指で赤髪をいじりながらそう思った。別にちょっとからかってやろうかしら、くらいの気持ちだったが、思ったような反応が返ってこないのはちょっぴり面白くなかった。

 まあいい、簡単に行き過ぎてはつまらない。思い通りにならない相手を虜にしてこそ楽しいというものだ。

 ふっ、と微笑んだキュルケは気を取り直して口を開いた。

 

「それにしても、あなたどうしてここに一人でいるの? ルイズはどうしたのよ?」

「ここに入れるのは貴族だけだからって、俺が中に入る許可を貰ってきてくれているんだ。それを待ってるんだよ」

「ああ、そういうこと……確かに使い魔は外で待たせておくけど……あの子も律儀ね」

 

 キュルケは口元に手を当てると、リンクにも聞こえないような小さい声で呟いた。

 

「ま、彼の姿がエルフそっくりってのもあるのかしら……本当にエルフなんだったら何があっても使い魔の契約なんて承諾しないと思うんだけど……」

 

 キュルケは小さくほうと息をつくと、食堂の扉へ向かって歩いていった。

 

「にしたって、結構待ってるんじゃない? あの子ったら何してるのかしら?」

 

 キュルケがそう言い、扉に手をかけて中を覗き込もうとした瞬間、怒気を含んだその叫び声が聞こえてきた。ルイズの声だ。

 

「……待ちなさい! 用意するのは二人分よ!」

 

 キュルケは思っても見なかった怒声に、目をぱちくりさせた。リンクもルイズの叫び声を聞きつけ、フレイムの頭を撫でる手を止めた。

 

「な、なによ、ルイズったら叫んじゃって……どうしちゃったの?」

 

 キュルケが中の様子を窺ってみると、ルイズは教員用の席になっている、奥のロフトの中階にいた。どうやら先ほどの叫びは、ロフトの階段を下りようとしている栗毛のメイドに向かってのものだったらしい。

 ルイズの隣には教員の一人なのだろうか、その長髪と同じ色をした漆黒のマントを纏った男が立っていた。朝食の楽しげな談笑のざわつきはその声の剣幕に途絶えてしまっていた。

 戸惑うメイドに向かって、ルイズが続けて口を開く。その言葉はずっと遠い入り口にいるキュルケとリンクの耳にもはっきりと聞こえてきた。

 

「聞こえなかったの!? 用意するのは二人分! 椅子も、食事も、私にも同じものを用意しなさい!」

 

 そう命じられたメイドはルイズに向かって慌てて礼をすると、足早に去って行った。ルイズは隣にいた男にキッ、と鋭い視線をぶつけると、入り口の扉に向かって肩を怒らせながら歩いてきた。何事かと食事をしていた生徒たちはずんずんと早足で歩くルイズを目で追う。

 ルイズは周囲が気圧されるほどの怒りをほとばしらせていたが、キュルケの後ろから覗くリンクの顔を見ると、沈んだような暗い表情に変わった。

 

「おはよう、ルイズ。朝から大声で叫んだり暗い顔したり忙しいのね。一体どうしたのよ?」

 

 不思議そうな顔をしたキュルケにそう聞かれたルイズは軽く首を横に振って言った。

 

「おはよう、キュルケ。ちょっとね……リンク、中で食事する許可は取ったわ。入っても大丈夫よ。私についてきて」

「ありがとう、ルイズ」

「いいのよ。さあ、行きましょう」

 

 そう言うとルイズは踵を返した。振り返ってリンクを見ると、悲しげな表情ですまなそうに言った。

 

「……先に謝っておくわ。ごめんね、リンク……」

「何を謝ることがあるんだ?」

 

 リンクは不思議そうにルイズに問いかけた。ルイズは少し俯いて迷うようにふるふると視線をさまよわせたが、前を向いて歩き出しながら口を開いた。

 

「……行けばわかるわ」

 

 キュルケはルイズの背中に向かって声をかけた。

 

「ねえルイズ、私もご一緒してもいいかしら?」

「ああ、うん……いいわよ」

 

 ちらりとキュルケに振り向くとルイズはそう返事を返し、また歩き始める。キュルケはその返事を聞いて、フレイムに外で待っているように手をひらひらと振るとルイズの隣に並んだ。

 リンクは二人の後ろを歩く。その顔には食堂の絢爛さに圧倒されているようで驚きの表情が浮かんでいた。

 

「しかし、凄いなあ……これが食堂? 城かなんかの大広間じゃないのか?」

 

 リンクは周りを見渡して思わず感嘆の声を洩らした。そんなリンクを見て、どこか沈んだ表情をしていたルイズは、少し得意げな笑顔になって言った。

 

「メイジはそのほぼ全てが貴族だって昨夜言ったでしょ? トリステイン魔法学院では『貴族は魔法を持ってしてその精神となす』のモットーのもと、貴族たるべき教育を受けるの。だから食堂だって貴族の食卓に相応しいものになっているってわけ」

 

 ルイズの言葉通りアルヴィーズの食堂は素晴らしいものだった。見上げるほど高い天井からはきらびやかに輝くシャンデリアがいくつもかかり、灯された蝋燭の柔らかな光を投げかけている。それが窓から差し込む朝の光と混じり合ってテーブルに置かれている豪華な料理の数々をいっそう魅力的に見せていた。

 三つ置かれた長テーブルは、百人は優に座れるほどの長さで、食堂の荘厳さをより印象付けていた。表面は磨かれて眩いばかりの光沢を放っている。その上には蝋燭の灯された黄金の燭台とともに、コックたちがその素晴らしい腕を振るって作った豪華な料理の数々が、眩い銀の食器の上に並んでいた。食欲を誘う匂いを漂わせる焼き立ての白パンや柔らかい子羊の肉がたっぷりと入った湯気を立てる熱々のスープ、豪奢な鳥のローストに香ばしい焼き色のパイ。見るだけでよだれがこぼれそうだった。

 タイル模様となっている床もまたきちんと掃き清められており、塵一つ落ちていない。磨かれた床は鏡のように顔が映りこみそうなほどだ。食事をしている生徒たちに給仕を行うメイドが、追加の料理を載せた皿や水差しを持って、忙しそうにあちこちを行き来していた。

 ルイズの怒声を聞いてしんとなり、ことの成り行きを見守っていた生徒たちだったが、食堂に入ってきたリンクの姿を認めると、彼の様子を窺いながら、互いに顔を近づけてざわざわと話し始めた。

 もっとも、リンクのことを恐怖の表情で見ているものはほとんどいない。一晩経って落ち着いたこともあってか、リンクに向けられるのはどれも珍しいものでも見るような好奇の視線ばかりだった。それというのも、リンクがメイジを歯牙にもかけないような恐怖のエルフだと信じるには、彼の行動や装備がその恐怖のエルフ像にはどうにもなじまないものだったからだ。

 まず、使い魔の契約を交わすことを承諾したこと自体が、リンクが本当にエルフならばありえないことだった。契約を交わして使い魔になるということは、仇敵で下等生物・蛮族と蔑む人間相手に忠誠を誓い、下僕として隷属し奉仕することを受け入れるということだからだ。何かの手違いで本当にエルフが召喚されたならば、使い魔の契約を受け入れることなどありえず、襲いかかってくるはずだった。

 また、リンクは自分をエルフではなく人間であると言った。エルフならばわざわざ自らを下等生物と称する理由がなかった。エルフとしての、種族の誇りを捨てる行為であるうえに、騙して安心させるようなことをしなくても正面から戦えばいいだけだからだ。それだけの戦力差が人間とエルフとの間には存在する。だからこそ、そこまで恐怖の象徴として扱われるまでに恐れられているのだ。

 リンクの剣と盾を背負った明らかに剣士然とした格好も、先住魔法を自在に操ることの出来るエルフには必要の無い、違和感を覚える姿だったのも大きい。

 そもそもルイズにエルフが召喚できるはずがないという思いも大多数の生徒──特に学年が同じで共に授業を受ける機会も多い二年生──にはあった。共通認識といってもいいかもしれない。

『使い魔は主を映す鏡』という言葉がある。使い魔召喚の魔法で呼び出されるのは、そのメイジに最も相応しいものであり、転じて使い魔は主の在り方を示すものでもあるという意味の言葉だ。

 すなわち、ドラゴンなどの強力な幻獣を使い魔として従えるメイジは、それだけ強い力を持っているとして周囲から一目置かれることになるのだ。

 その言葉通りだとするならば、メイジが束になっても敵わない、恐るべき力を持ったエルフを従える主として、魔法の才能がこれっぽっちもない、落ちこぼれのルイズが相応しいことになってしまう。そんなことはありえない、というのが彼らの至った結論だったのだ。

 そんな周囲からの視線を気にも留めず、ルイズはずんずんと歩いていく。キュルケはルイズに向かって抗議の声を上げた。

 

「ちょっと、ルイズ! どこまで行くのよ? あなたいつもこの辺に座るじゃないの。席は十分空いているでしょ?」

 

 キュルケの言葉通り、ルイズが普段座っている長机の真ん中ほどは、三人が座って食事を取るには十分過ぎるほどに空いていた。だが、ルイズはその席の方を一瞥(いちべつ)すらせずに歩き続ける。ルイズは苦々しい気分の滲む声で、自分に言い聞かせるかのようにキュルケに告げた。

 

「……私たちの席はこっちなの」

 

 ルイズはどんどんと進んで行く。普段の食堂での食事のとり方を知る由もないためにルイズに従うしかないリンクはもとより、キュルケもルイズの後ろをついていくしかなかった。

 

「ここよ」

 

 ルイズは長机の終端のその先、メイドたちが新たに準備した席の前で立ち止まった。それは学院の生徒らに用意されているものとは明らかに違う。木製の机と椅子は使用人棟のどこかから余っていたものを慌てて持ってきたのだろうか、生徒らが座っているものと比べるとみすぼらしいと言ってもいいほどに質素なものだった。机の大きさも二人分の食器を載せてそれでいっぱいになってしまうくらいだ。

 椅子にだって背もたれなんて上等なものはついていない。三脚の丸椅子である。それでも見た目の質素さはともかく、造りは頑丈なのが救いではあった。

 机の上に用意されていた料理も、生徒らが舌鼓を打っているご馳走とは程遠い。薄切りにされた黒パンに、具としてわずかばかりに豆が入ったスープ、そして申し訳程度に塩がかかった、茹でたジャガイモ。これが用意されていた朝食の全てだった。おまけに食器は木製だ。

 

「ごめんね、リンク……この食堂で食事を取る許可は貰ったの。ただ……やっぱり貴族と同じようにはダメだ、って言われちゃって、それでこうなっちゃったの……」

 

 ルイズは、リンクに向かって振り返ると、心底申し訳なさそうにそう告げた。そして、まっすぐにリンクの瞳を見つめて言った。

 

「私も同じものを、同じように食べるから、それで許してくれないかしら?」

 

 そう言ったルイズに、リンクは何も気にしていないというように笑顔で応えた。

 

「許すも許さないもないさ。食事を用意してくれただけで十分ありがたいよ。それに、そもそも俺は貴族じゃないんだし、文句なんかないよ。わざわざ俺のためにありがとう、ルイズ」

 

 リンクの言葉を聞くと、ルイズはほっとしたようで柔らかな表情になった。ルイズは微笑み、丸椅子の片方に座りながら言った。

 

「……ありがとう、そういってくれて嬉しいわ。さあ、一緒に食べましょう」

「だけど、ルイズまで俺に合わせなくてもいいのに。普段通りの食事にしたら? 折角のご馳走なんだし」

 

 リンクはもう一方の丸椅子に座りながらそう言った。だがルイズは、リンクの言葉にぶんぶんと首を振り、きっぱりと答えた。

 

「それだと私もあいつらと同じになっちゃうじゃない。あなたを蔑ろにして喜んでるような奴らと。私はそういう風にはなりたくない。だって、あなたを大切にするって、私は誓ったんだから。それに、あなたは私のことを主として認めてくれた。それに私だって応えなきゃ、あなたに敬意を払わなくっちゃ、私は自分に胸を張れないから」

「……そっか」

 

 リンクは、ほんの少し目を見張ってルイズを見ていたが、優しく微笑むとそう言って頷いた。

 リンクは驚いた。そしてルイズのその堂々とした姿に目を奪われるような気持ちだった。華奢で可憐なその外見と、魔法が使えない彼女を幼い頃の自分に重ね合わせたことで、ルイズをか弱い女の子だと、どこかで思い込んでしまっていたのかもしれない。

 だがルイズはそんなか弱い少女などではなかった。気高い誇りと自分の思いを貫く強さを持っている人だったのだ。それがリンクには眩しく、惹きつけられるように思われたのだった。

 リンクの内心など知る由もないルイズは微笑みをリンクに返すと、自分の隣の生徒用の椅子を後ろに引いて、キュルケに勧めた。

 

「キュルケは隣が空いてるし、ここに座りなさいよ」

「あら、ありがと」

 

 キュルケは短くそう言うと、勧められた席へと腰を掛けた。ふっと小さく息をつくと、面白がるような口調で言った。

 

「……あんたってホント、変なところで意地っ張りよね。ま、そういうまっすぐなところ、私は嫌いじゃないけど」

 

 そう言うとキュルケは自分のクックベリーパイを三つに切り分け、そのうちの一つを茹でジャガイモがさびしく載っているルイズの皿の上に移した。ルイズはきょとんとした表情でキュルケに訊ねた。

 

「なあに、これ?」

 

 キュルケは柔らかな微笑を浮かべて、肩を軽くすくめながらルイズに答えた。

 

「あげるわ。クックベリーパイ、あなた好きでしょ? 良かったらもらってくれないかしら。あなたと違って、朝からこーんなご馳走だと、正直これまで食べたら胃もたれしちゃうのよ」

「……そ、そう! ま、そういうことならもったいないし、もらってあげるわよ!」

 

 ルイズはキュルケに対してぷいっとそっぽを向くと、そのままにつっけんどんな言葉を発した。だが、嬉しそうに弾んだその声の調子と緩んだ口元から、照れ隠しに素直でない態度をとっているだけで、本当は喜んでいることがばればれだった。

 

「うふふ、ありがと! リンク、あなたにもあげるわ。昨夜の演奏へのお礼ってことで」

 

 ルイズが素直でないのがおかしいのか、キュルケは楽しげに笑った。そしてリンクの皿にも切り分けたパイを載せる。リンクは微笑んでお礼を言った。

 

「ありがとう、それじゃあ遠慮なく頂こうかな」

 

 そうして三人は食事を始めた。少ししてから欠伸をしながらやってきたタバサも合流し、楽しい朝食のひと時──ルイズがいつものパンと同じように黒パンをかじろうとして、その固さに苦戦するというちょっとした出来事もあったが──を過ごすのだった。

 

 

「リンクさん! ミス・ヴァリエール!」

 

 授業へと向かうため、食堂を出ようとしていたリンクとルイズに声がかけられた。声のした方に振り向くと、シエスタが厨房へと続く扉のところで二人に向かってちょいちょいと手招きをしている。どうやら何か用事があるらしい。キュルケとタバサに先に行ってもらうように言うと、二人はシエスタのそばへと歩いていった。

 

「シエスタ、どうかしたのかしら?」

「もし良かったら、これをと思って……はい、どうぞ」

「これは……パン?」

 

 シエスタは厨房の中に二人を招き入れると、パンを手渡した。貴族用に用意されていたふかふかの白パンだ。真ん中に切れ込みが入れてあり、野菜と一緒に鶏肉の切れ端が挟んである。

 

「貴族の方たちにお出しする料理で余ったものを少し頂いてきて作ったんです。簡単なものですけど、よろしかったら召し上がってください」

「……ありがとう、シエスタ。嬉しいわ……」

「わざわざありがとう、シエスタ」

 

 ルイズは心打たれたように、ほんの少しかすれかけた声でシエスタにお礼を言った。眉尻を下げ、微笑むその表情は、嬉しさと申し訳なさが入り混じっているようだった。

 リンクもシエスタの心遣いが嬉しく、笑顔でお礼を言った。正直に言うと満腹とは言えず、旅の荷物の中から適当な食料を食べに行こうとルイズを誘おうか迷っていたところだったのだ。

 シエスタはなんでもないと言うようにふるふると首を横に振って二人に言った。

 

「お礼なんてとんでもありません。あのようなものしかお出しできず、申し訳ありませんでした。なにぶん急でしたから、用意する時間も無くて……普段は私たちもこうしてまかないを作って食べているんですけど、朝食の給仕が終わってからその準備を始めるものですから……昼食からはお二人の分を先に用意するようにしますから、楽しみにしていてくださいね。コック長が随分と張り切っていましたし」

「何から何までありがとう……いただきます」

 

 ルイズはもう一度お礼を言って、パンをぱくりと口にした。リンクもお礼を言って、シエスタお手製のそれへとかじりつく。

 

「……うまい!」

 

 リンクはぱっと目を見開くと、思わずそう言った。ふわりと香る小麦の香りに、確かに感じられる甘み、それにじわりと肉汁あふれる鶏肉の旨みとシャキシャキとした鮮度抜群の野菜の食感が合わさり、素晴らしい味だった。

 

「おいしい……いつも食べているパンってこんなに柔らかかったのね。知らなかったわ」

 

 

 ルイズは感慨深げにそう言った。先ほど黒パンの固さに衝撃を覚えていたところだったのだ。幸せそうに目を瞑りながらパンをもぐもぐと味わうルイズの表情がなんだかおかしく、シエスタとリンクは思わず目を見合せて笑った。

 

 


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