ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

4 / 24
学院の朝
学院の朝


 窓の桟にやってきた小鳥のさえずりが聞こえる。東の空には朝日が顔を出し、夜を照らしていた二つの月はその姿を薄くしていた。窓から差し込む光に目を覚ましたリンクはむくりと起き上がると、欠伸を一つしながら大きく伸びをして立ち上がった。どうやら寝坊はせずに済んだようだ。ナビィに毎朝叩き起こされていたあの頃に比べれば、自分も随分成長したらしい。

 まだベッドですやすやと眠るルイズの様子を見る。彼女は静かに寝息をたてて、あどけない顔で眠っていた。いつものように剣と盾を背負うと、足音を立てて起こしてしまわないように気をつけながら、昨日のルイズの着替えが入った洗濯籠を抱えて部屋の外に出た。寝巻きやベッドのシーツなどは昼頃に改めて洗うことになっているのだそうだ。なんでも全部一回で洗濯をしようとすると、広場が洗濯物を干すだけで一杯になってしまうかららしい。生徒だけでも相当な人数が居るのだから無理も無いのだろう。ついでとばかりにリンクは自分の分の洗濯物も持って行った。コキリ族でお揃いのいつもの緑衣だ。あまり他の格好をする気にはなれなくて、いくつも同じ服を仕立ててもらっているのだ。

 後ろ手でぱたんとドアを閉める。水場は昨日迷っていたときに見かけたから大丈夫だけど、ルイズの下着を洗ってくれる人を探さなくっちゃいけないな。俺だって正直女の子の下着を洗うのは恥ずかしいし。そんなことを考えながら寮塔を歩いていると、いくつも重ねた洗濯籠を抱えて歩く黒髪の少女がいた。ワンピース型の黒いロングスカートの上にはしみ一つ無い、真っ白なエプロンを重ねていて、頭には同じくきれいなホワイトブリムを被っている。昨夜にリンクをルイズの部屋まで案内してくれたメイドのシエスタだった。

 

「おはよう、シエスタ」

「え……? あ! おはようございます、リンクさん!」

 

 早朝の寮塔で声を掛けられるとは思っていなかったシエスタは驚いて振り向いたが、相手がリンクだとわかると朗らかに笑って、明るい声で挨拶を返した。

 

「リンクさん、それは……お洗濯ですか?」

「ああ、ルイズに頼まれてさ。シエスタも朝早くから大変だな。そんなにたくさんの洗濯物を抱えて。昼頃にもまたやらなくちゃいけないんだろ?」

「平気ですよ。お仕事ですし、慣れてますから」

 

 ほら、と言いながらシエスタは何個も重なった洗濯物の詰まった籠を上に持ち上げてみせる。リンクはそんなシエスタに微笑むと、その手から籠を優しく取った。

 

「持っていくよ。向かう場所は同じだろ?」

「そ、そんな、私の仕事なのにそんなことしてもらっては悪いですよ!」

「良いんだよ。代わりにちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだけど……」

 

 言い辛そうにするリンクの様子に、シエスタは不思議そうに小首を傾げる。

 

「その、ルイズの下着を俺が洗うのはなんて言ったものか、ちょっとまずいからさ。代わりにシエスタが洗ってくれないかな? もちろん、シエスタの分の洗濯物も手伝うからさ」

 

 ダメかな? と申し訳なさそうにシエスタの返事を待つリンクに、シエスタはにこっと笑うと快く応じた。

 

「そのくらいだったらお安い御用ですよ! 任せてください!」

 

 シエスタの返事に、リンクはほっと安堵の息をつくと、ありがとうと礼を言い、シエスタと連れ立って寮塔の傍に備えられた壁泉(へきせん)に向かった。壁泉(へきせん)は白い石造りで、獅子を模した彫刻の噴水口からは澄みきった水が滔々(とうとう)と流れ出していた。傍にはシエスタがあらかじめ置いておいたのだろう、木製のたらいと洗濯板が置かれていた。洗濯板の上には石鹸も置いてある。シエスタがリンクの分のたらいと洗濯板も持ってきてくれると言うのでお言葉に甘えることにした。

 シエスタを待つ間に、リンクは澄んだ水を(たた)える泉にばしゃりと両手を浸す。ひんやりと手に触れる感触が心地良い。そのまま両手一杯に水を掬うと顔を洗った。まだどこかに引きずっていた眠気へ別れを告げ、水の冷たさに頬が引き締まるような思いがした。何度か繰り返してすっかり目が覚めたところで、ぷるるっと顔を振って、水を振り飛ばす。ふうと一息つくと濡れた前髪から雫がぽたぽたと滴り落ちた。懐から取り出した手拭(てぬぐい)で顔を拭いていると、シエスタがぱたぱたと走って戻ってきた。

 

「リンクさん、お待たせしました! これを使ってくださいね」

 

 はい! とシエスタが差し出してくれた洗濯板とたらいを受け取り、リンクは手拭を自分の分の洗濯籠の縁に掛けながら礼を言った。

 

「わざわざありがとう、シエスタ。助かるよ」

 

 シエスタは笑って応えた。

 

「いえいえ、何てことありません。さあ、早速始めましょう!」

「うん、それじゃあ悪いけど下着は頼むよ、シエスタ。それ以外の洗濯物は、シエスタの分も俺の方の籠に入れてもらえばいいから」

「ええ、わかりました」

 

 シエスタが籠から下着とそれ以外を分けてくれているうちに、リンクは二つのたらいにそれぞれ一杯に水を掬った。シエスタが洗濯物の選り分けを済ませてくれた籠を受け取り、水を張ったたらいと洗濯板でリンクはジャブジャブと洗濯を始めた。まずはブラウスからだ。それに合わせてシエスタも洗濯を始める。石鹸からはぶくぶくと泡が立って、シャボン玉が時折宙に舞い、春風に流されてぱちんと弾けて散って行く。毎日やっている面白くもなんともない仕事だったが、シエスタはなんだか今日はいつもと違って気分が晴れやかで楽しかった。一人黙々と作業をこなしていく普段と違って、他の誰かと一緒なおかげだろうか。シエスタは手を動かしながら、隣のリンクへと話しかける。

 

「リンクさんは、ハイラルっていう、ずっとずっと遠い国から来たって、昨夜はおっしゃってましたよね? 耳はみんな長く尖っているけど、私たちと同じ人間だって」

「ああ、そうだよ」

 

 ハイラルが異世界であるということは、リンクはことさらに言わなかった。ただ名前すら伝わってこないような遠い国から召喚されてきたのだ、とシエスタや厩舎の人たちには説明していた。昨日のキュルケの反応を見て、冗談と笑い飛ばされるのが精々だろうと思ったのだ。無理も無いことだと自分だって思うし、下手に説明するより相手が納得してくれるならその方が面倒でなくて良いかと思った。予想外で嬉しいことに、ルイズは異世界から来たことを信じると言ってくれたが、心から信じたというよりは主としてそうすべきだという義務感からの方が強かったのかもしれない。ともかく、異世界かそれとも遠い異国か、どちらにしたってその人にとっては未知の“世界”であることには変わりはないのだ。それほど嘘というわけでもないだろう。

 シエスタはリンクが問いかけに頷くのを見て続けた。

 

「私もですけど、同僚のみんなも驚いていましたよ。あのエルフが学院に来たんじゃないか、って」

 

 リンクはその言葉を聞いて、昨日道すがら出会ったメイドや厩舎の人たちの反応を思い出し、苦笑しながら応えた。

 

「あはは……それは身をもって実感したよ。ずいぶん怖がらせちゃったみたいだ。コルベール先生の話を聞いた限りじゃ、そう思うのも無理もないとは思うんだけど」

「気を悪くしないでくださいね。突然のことにみんな気が動転しちゃっただけで、悪気はないんですよ。ミスタ・コルベールがエルフではないって説明に来てくれましたし、私も『リンクさんは理由もなく誰かを傷つけるような人じゃないです!』って話して、みんなわかってくれたみたいでしたから」

 

 まだ半信半疑の人だっていると思いますけど、きっと昨日みたいなことはないと思います、とシエスタはごしごしと洗濯物を片付けながら言った。

 

「コルベール先生にも、シエスタにも感謝しないとな。ありがとう、シエスタ。出会ったばかりの俺のことを信じてくれて」

 

 リンクはシエスタに笑いかけてそう言った。シエスタはなんでもないようにふるふると首を横に振ると微笑んで応えた。

 

「私にだって、話をすればその人がどういう感じの人かくらいはわかります。あなたが誰彼構わず襲うような乱暴者にはとても思えませんもの。それに、私たちに笑いかけてくれるあなたの顔を見たら、みんなもすぐにエルフじゃないってわかってくれますよ。だってエルフって、噂じゃあ人間のことをものすごく見下しているらしいですから。なんでも私たちのことを下等な生き物とか呼んでるらしいですよ」

 

 失礼しちゃいますよね! とシエスタは冗談めかして続けた。

 

「そっか、それじゃあそんな奴らと間違えられないように、これからは愛想を良くしないといけないかな」

 

 リンクは次の洗濯物に手を伸ばし、笑いながらそう言った。シエスタもてきぱきと洗濯を進めながら、そうかもしれませんね、と笑って応えた。

 

「そうだ! 逆にリンクさんは私たちのことを見て驚かなかったんですか? だって、リンクさんの国ではみんな耳が長いんでしょう? 全然違う耳をしているのを見たなら驚いたんじゃないですか?」

 

 リンクはシエスタの問いかけに少し考えながら答えた。

 

「そうだなぁ……そこまで驚くってことはなかったかな。ああ、いや、もちろん突然召喚されてここへやって来たのには驚いたけどさ。ハイラルにいる全員が全員、長い耳ってわけじゃあないからね。ハイラルにはいろんな部族がいるんだよ。俺のようなハイリア人は確かに長い耳なんだけど、ゲルド族なんかはシエスタたちと同じ丸い耳をしているし、ゴロン族やゾーラ族みたいに人間と全然違う姿の部族だっているからね。こっちにはそういう部族はいないの?」

 

 今度はシエスタが考え込んで答えた。

 

「うーん……私も話に聞いただけで見たことはないんですけど、亜人と呼ばれる人間とは異なる種族はいるらしいですよ、それこそエルフとか……。でも、人間のことを襲うというオーク鬼やトロール鬼みたいな種族もいて、大概は恐れられているんです。突然集落がオーク鬼に襲われて討伐隊が結成される、なんてこともあったりするらしいですよ。オーク鬼は人間の子供が好物らしいんです! この学院の近くでは王都の近郊ということやメイジがたくさん集まってるということもあってか、そういう恐ろしい生き物はいないようですけど。あんまり人間に友好的な種族っていないですね」

 

 リンクはシエスタの言葉に軽くため息をつきながら言った。

 

「魔物か……どこにでもいるんだな、奴らは」

「そういう風にオーク鬼たちのことを呼ぶ人もいますね。ハイラルのゴロン族やゾーラ族はそんなことないんですか?」

 

 リンクはシエスタに笑いながら首を横に振った。

 

「いやいや、彼らは魔物とはぜんぜん違うよ。ゴロンたちなんて食べ物は岩だからね」

「い、岩を食べるんですか!? それで栄養になるんですか?」

「お腹一杯になるらしいよ? しかも岩の産地によって味の良し悪しだってきちんとあるんだってさ」

 

 リンクはゴロン族の族長ダルニアがドドンゴの洞窟産の岩じゃないと食えたもんじゃない、と不満を漏らしていたのを思い出しながら言った。自分ではその味を確かめるために、ドドンゴの洞窟特産の特上ロース岩なるものを食べてみようとは思わなかったが。試しにかじったりしたら自分の歯が欠けそうだ。シエスタは感心したように声を漏らした。

 

「へぇ~……そんなことがあるんですか」

「でも、ゴロンやゾーラとは別に、人を襲う魔物は魔物でたくさんいるよ。種類によって姿形は色々だけどね」

「そうなんですね……それにしても……リンクさん、洗濯お上手ですねぇ」

 

 シエスタは、リンクが慣れた手つきで洗濯を進めるのに感心してそう言った。

 

「それほどでも……」

 

 リンクはシエスタに答えようとしたところで、自分が籠から無造作に手に取った次の洗濯物を目にして固まってしまった。その手に握られているのは、肌触りの良い淡い紅色の薄布だった。確かめるために両手でそっと広げてみる。それは、控えめで清楚さを失わないようにしながらも可愛らしいフリルで装飾され、サイドは品を感じさせるレースデザインとなっている──紛れも無い、女の子のパンツであった。

 

「あ、あら!? すみません、リンクさん! ちゃんと分けたはずなのに!」

 

 シエスタはわたわたと慌ててそう言った。しっかり下着は残さずこちらの籠に入れたはずだったのだが、どうやらその薄布は服の間に紛れ込むことで、シエスタの手をかいくぐっていたらしい。

 

「あ、ああ、うん、大丈夫、大丈夫。じゃ、シエスタ、これもよろしく」

 

 リンクはそう言ってシエスタに顔も向けずにぐいと手だけを伸ばして下着を渡す。シエスタが不思議に思ってその顔を見ると、リンクは恥ずかしげに頬を紅く染めていた。どうやら女の子の下着をまじまじと見つめて、おまけに思い切り触ってしまっていることに照れているらしい。シエスタはリンクから下着を受け取ると、くすくすと笑い声を漏らした。

 

「な、なんだよ、笑うことないじゃないか!」

 

 リンクはシエスタに向かって抗議の声を上げた。シエスタは口元の笑みを隠そうともせずに応える。

 

「うふふ、ごめんなさい! なんだか可愛らしいなと思ってしまって」

「か、可愛らしいって……そんな風に言われたって嬉しくないよ……」

 

 リンクはそう言うと、はぁ……と一つ大きなため息をついた。シエスタはそんなリンクの様子がまたなんだかおかしくて、くすりと微笑むのだった。

 昨日ルイズに下着も洗え! と命令されなくて良かった。リンクは内心そう思いながら、気を取り直して口を開く。

 

「何の話してたっけ……ああ、洗濯に手馴れてるって話だっけ? こっちに来る前はずっと一人旅をしていたから、洗濯にも慣れてるだけさ」

 

 なるほど、とシエスタはリンクの言葉に頷いた。話している間にもリンクは手際よく洗濯物を処理していく。その手つきは完全に熟練者のそれで、シエスタと比べてもそう見劣りしなかった。力任せにしているわけでもなく、汚れだってきれいに落とせている。山となっていた洗濯物も減っていき、干されるのを待つ濡れた服の山が代わりに出来ていく。

 シエスタも自分の分の洗濯物を片付けていった。下着類は繊細な生地でできている分、傷つけずにきれいにするのにはまたコツがいる。気を使いながらも手早く片付けていく手際のよさは、やはり毎日の仕事にしているメイドならではだった。水を含んだ下着を優しく、しっかりと絞りながら、シエスタは言った。

 

「それでも男の人でここまで出来る人はなかなかいませんよ。旅って、結構長かったんですか?」

「そうだなぁ、森を出てそれからずっとだから……もう七年ぐらいになるかな」

 

 リンクのその答えに、シエスタは驚きで目を見開き、思わず洗濯の手も止めて叫んだ。

 

「な、七年!? リンクさんおいくつですか!? 見た目は私とそう変らないですよね!? も、もしかして本当はすごく年上だったり!?」

「じゅ、十七だけど……」

 

 洗濯物を放り出して詰め寄ってきたシエスタに、たじたじになりながらリンクは答えた。

 

「私と同い年!? じゃ、じゃあ、十歳から一人旅ですか!? まだほんの子供じゃないですか!? なんでそんな……!?」

「まあ……色々あってさ。今までずっと旅を続けてたのは、別れた友達を探してたんだよ。まだ再会できてはいないんだけどね」

「ほえー……すごいんですね、リンクさん……私には、とても真似できそうにありません……」

 

 目を見開いてリンクを見つめつつも、また手を動かすシエスタ。リンクもそんなシエスタに苦笑しつつ、籠の中の洗濯物を片付けていった。

 

 汚れを落とし終わり、濡れた洗濯物を干しながらリンクはシエスタに(たず)ねた。

 

「そう言えば、シエスタはここの生徒たちみたいに魔法が使えたりしないの? 空飛んだりとか」

「まさか! 私はただの平民の小娘ですよ! 魔法なんて使えないです! 」

 

 わたわたと首を振りながらシエスタはそう答えた。

 

「まあ、もし私にも魔法が使えたらなぁ……なんて、考えたことはありますけど」

 

 あはは、とその白雪のような頬を軽く指で掻きながらシエスタはそう続けた。次の洗濯物を手に取り、ぱんっぱんっと音を立てて皺を伸ばすように広げて形を整えると、またシエスタは口を開いた。

 

「魔法が使えるかは、その人が魔法使い(メイジ)の血筋を持っているかによって決まっているんですよ。だからメイジは没落した家などを除けば、ほぼ全てが立派な教育を受けた貴族なんです」

 

 そこまでシエスタは言うとふと手を止めて、伏し目がちでどこか暗い雰囲気になり、静かな声で続けた。

 

「……だから、私たち平民は、貴族の方たちを決して怒らせないようにしなくてはいけないんです。もしも貴族を本気で怒らせてしまったら……魔法を自在に行使出来るメイジである貴族には、平民では絶対に敵うはずがありませんから……そう……たとえ、どんなことがあったとしても……」

 

 そう言ったきり、押し黙ってしまったシエスタに、リンクは心配そうに声をかけた。

 

「……シエスタは貴族の連中に、何か嫌なことをされるのか?」

 

 はっとなったシエスタは慌てて顔を上げ、ぶんぶんと両手を横に振って否定した。

 

「……っ! い、いえ! 別にそういうわけではないんですよ! ただ、平民と貴族はそういうものだと言っているだけで……」

「君を傷つけようとする奴がいたら俺を呼んでくれよ。相手が貴族だろうと、何だろうと、きっとやっつけてやるさ」

 

 約束するよ。リンクは口元に優しい微笑みを浮かべながらも、真剣な瞳でそう言った。シエスタはどきりとして、息も止まるような気持ちでしばしリンクの頼もしい表情を見つめていた。だが、やがて視線をふっと揺れ動かすとひとつ息をつき、そして両手を胸に当てて、リンクに微笑み応えた。その瞳はどこか切なげで、寂しいものだったが。

 

「……リンクさん、すごく勇気があるんですね。尊敬しちゃいます。私にはそんな勇気、持てそうにありませんから。それに、そんなことを言ってくれて本当に嬉しいです……でも……お気持ちだけ受け取っておきます。私の代わりに、あなたがひどい目に合わされるなんて嫌ですもの……」

 

 そう言うとシエスタは、この話はこれで終わりだ、とでも言わんばかりにぐるりと後ろを向いてしまった。そして自分に言い聞かせるかのように元気な声を出して、また洗濯物を干し始めた。

 

「……さっ! 後もうちょっとですし、さっさと終わらせちゃいましょう! よいしょ!」

 

 ぱんっぱんっとシエスタは一枚ずつ洗濯物を広げては、木製の洗濯ばさみで挟んで干していく。リンクは頬を掻いて小さくため息をつくと、シエスタと同じように残りの仕事へと取り掛かった。

 リンクの言葉は嘘偽りの無い本心だった。シエスタは嫌なことなんてされていないと否定していたが、あの沈んだ表情を見ればそれが嘘だということはすぐにわかる。シエスタが自分の言葉を信じようが信じまいが、それはどちらでも良い。ただ、この朗らかに笑う少女がもしも困っている時はきっと助けよう──。

 リンクがそう考えていると、あ、そうだ! とシエスタは再びリンクに振り返って言った。

 

「私、リンクさんの旅の話がもっと聞きたいです! 珍しい話があったらぜひ聞かせてもらえませんか?」

 

 お願いします、とシエスタはにこっと笑いながらリンクに頼んだ。話題を変えるにはちょうど良いか。そう思ったリンクは頷くと、旅の話を語り始めた。

 

「……じゃあ、冬のとある雪山で出会ったものについて話をしようか。これは俺がハイラルからずっと北に行った、高山地帯を旅していた時のことなんだけど……」

 

 シエスタはリンクの語る今までの旅の話に、見た事のない風景を頭の中に思い描きながら残りの洗濯物を片付けていった。リンクもこれまでを思い返して語りながらも、濡れた服を干していった。山となっていた洗濯物も、いつの間にかわずかとなっていた。

 

 

 

「よっと……これで最後だな」

 

 最後のシャツを干し終わり、リンクはうーん、と伸びをした。シエスタは空になった洗濯籠を持ってリンクのそばに来ると、笑顔でお疲れ様です、と労をねぎらった。広場は風にはためく洗濯物で中々壮観な眺めだった。洗濯物の干されているロープの一番端っこには、リンクのものである緑衣が揺れていた。

 

「シエスタのおかげで助かったよ。ありがとう」

「それはこっちの台詞ですよ。こんなに手伝ってもらっちゃって……本当にありがとうございます。他にも何か私に出来ることがあったらいつでも言ってくださいね」

「ああ、頼りにしてるよ」

「はい! 頼りにしてください」

 

 胸を張ってにっこり笑うシエスタに、リンクも笑みをこぼし、二人はしばし笑いあうのだった。

 

 

 

 私は次の仕事がありますので……というシエスタと別れ、リンクは昨夜エポナを預けた厩舎に来ていた。洗濯をシエスタと二人でやったおかげか、ルイズを起こすまでにはまだもう少し余裕があったので、エポナの様子を見に行くことにしたのだ。扉を開き、中でお茶を飲んでいた馬丁の人たちに挨拶をしてから、馬たちのいる所へと向かった。

 トリステイン魔法学院の厩舎は立派なものだった。生徒たちへ必要に応じて貸し出されるために、優に三十頭を超える馬が飼育されている。入り口には鞍やはみ、手綱などの馬具が整理して積まれていて、その横に小さな机があった。机の上には分厚い冊子が広げて置かれてあり、どの馬を誰が借り出して行ったのか管理できるようになっていた。

 窓から入ってくる朝日が、厩舎の中を明るく照らしていた。突き当りの馬が出入りするための門は開かれていて、春風が優しく、暖かな陽光と一緒に入ってきている。広い土床の廊下の両側には等間隔で並んだ馬の部屋があり、扉が付いていた。普段は馬たちが顔を出してこちらを伺ってくるものだが、朝焼けも眩しい早朝の今は、どの馬も藁の敷き詰められた部屋の奥で飼葉を食んだり、あるいは横になったりと思い思いに過ごしていて静かなものだった。土床を踏みしめながら歩いていくと、リンクの足音を聞きつけたのか、エポナがいななきながら部屋から出てきた。いつでも呼べるようにと、部屋の扉を開けておいてもらえるように頼んでおいたのだ。最初は厩舎の世話人たちも渋っていたのだが、リンクの言葉がわかるかのように振舞うエポナの様子に驚きながらも承諾してくれた。

 

「おはよう、エポナ」

 

 首をすり寄せてくるエポナを撫でながら、リンクは声をかけた。エポナは返事をするようにいななくと、リンクの頬に鼻先を寄せた。

 リンクがエポナの部屋の中を掃除し、飼葉や水の取替え、エポナのブラッシングといった作業が一通りつくと、エポナはリンクを外に押し出すように背中を鼻先で押した。

 

「何だ? 走りたいのか?」

 

 リンクがそう問いかけると、エポナは嬉しそうにいなないて返事をした。

 

「仕方ない奴だな。時間も無いんだからちょっとだけだぞ?」

 

 そう言うとリンクはエポナを厩舎の外に連れ出し、いつもの様に跨った。エポナははしゃいでいるのか、一声大きくいななくと、風のように学院の門へと駆け出していった。門の脇で控えていた衛兵達に手を振ってそれをくぐり抜け、爽やかな朝の空気に包まれた草原を、リンクとエポナは走っていった。華やかな、それでいて優しい色の羽を持った小鳥達が、さえずりながらリンク達と併走するように横へと飛んで来た。リンクは、学院の周りをゆっくりと巡るようにエポナを走らせた。しばらくはここで暮らすことになる。せっかくだからついでに周りに何があるかくらいは見ておこうかと思ったのだ。とはいっても、周囲一帯に広がる草原にその果てを覆うような鬱蒼とした深い森と、門から真っ直ぐに森を突き抜けて伸びる道がある程度だったが。あとは彼方に高い山がそびえているくらいだ。シエスタはこの学院は王都の近郊だと言っていたから、あの道は王都へと繋がっているのだろうか? 

 馬首を巡らせ、朝焼けの光を浴びながら草原を駆けた後、辺りを一望できる小高い丘の上で、リンクはエポナを止めた。心地よい、穏やかな風が頬をくすぐる。遠くには魔法学院の塔が見えている。

 

「風の匂いがハイラル平原とも、タルミナ平原ともまた違う感じだな。世界によって、空気って変わるのかな?」

 

 でも一番違うのはあの月か、と呟きながらリンクは西の空を見上げた。昨夜を明るく照らしていた赤と青の双月はその姿を青空に隠しつつあった。二つの月が浮かぶ空というのは初めて見た。

 

「まあ落ちてこないなら何だっていいよな」

 

 タルミナでいつも頭上から睨みつけてきていた、いつかの月を思い出し、リンクはなんだかおかしくなって笑った。

 

「それにしたって……まさか異世界に召喚されるだなんてなあ、エポナ。それもベッドから落ちた拍子だなんて、なんだか間抜けな話じゃないか?」

 

 あはは、と笑いながらリンクは言った。少しにやっと笑うと、エポナに向かって恨み言を続けた。

 

「でもさ、俺が落ちるのを見てから、きっちり荷物を落として後を追うぐらいの余裕があるんだったら、俺のことを起こしてくれたって良かったんじゃないのか? 昨日はお前だけ外に置いていたわけじゃなかったろ? 壁も壊れてて大穴が開いた山小屋の、同じ部屋で寝てたんだから。ちょっと肩でも小突いて起こしてくれれば、俺だって心の準備ってのが出来たし、剣と盾をわざわざ腹で受け止めなくても済んだんだぜ? まさか、俺がいつ落ちるのかって意地悪く眺めて楽しんでたんじゃないだろうな?」

 

 エポナはリンクの言葉を聞いているのかいないのか、ただ時折くるりと耳を動かし、その白く輝くさらさらの尻尾を上機嫌に左右に振るだけだった。

 

「無視か……誰に教わったんだ、そんなこと? 少なくとも俺は教えてないぞ?」

 

 エポナは何も反応しない。ただ相変わらず尻尾を左右に振っているだけだ。

 

「とぼけやがって。憎たらしい奴だな、お前は」

 

 ふっと笑みをこぼしながらリンクはそう言うと、エポナの首筋を優しく撫でた。

 

 穏やかな時間だった。先ほどまで隣を飛んでいた色とりどりの小鳥達はリンクたちの傍の地面に降り立ち、ちちちっと高い声で鳴きながら地面をついばんで朝食をとっていた。陽光の温もりを感じ、リンクはぼんやりと景色を眺めながら、ぽつりと呟いた。

 

「召喚か……俺たちみたいにハイラルからやって来た人っているのかな? ルイズは人が召喚された前例なんて無い、って言ってたけど」

 

 そう言うと、リンクは(うつむ)いて切なげな表情になった。

 

「ナビィは、この世界にいるのかな……?」

 

 リンクは、ふっとため息を漏らすように、誰に向けたわけでもなくその問いを発した。七年間ずっと探し続けて、いまだ会えずにいる相棒のことだ。ハイラルでは何処を探しても見つけることが出来なかった、どうしても会いたい友達。もしも自分と同じように異世界のハルケギニアへと召喚されているのならば、この世界では出会えるのだろうか。

 

「ぶるるっ」

「おっと」

 

 物憂げな表情をして、物思いに(ふけ)っていたリンクに声をかけるように、エポナが体を震わせた。エポナは振り向いて、リンクのことをじっと心配げな目で見つめていた。リンクはふっと微笑むと、エポナの首を撫でながら言った。

 

「心配かけてごめんな、エポナ。なにも落ち込んだりしてるわけじゃないよ。……ただナビィのことを考えると……つい、俺を呼ぶあいつの声を思い出して、ただ懐かしくなって……」

 

 そこでリンクは言葉を切ると、双月の姿が薄く残る青空を仰いだ。

 

「……なんだか、今すぐにでもあの声が聞こえてくるような気がして……でも、振り返ってみてもナビィは何処にもいなくて……また余計に寂しさだけが募る……それだけさ」

 

 目を閉じればすぐに浮かんでくるのはナビィの姿だ。いつだって隣を飛んでいたあのどうにも口うるさい、でもとても優しい女の子。ちょっと(うつむ)いて考え込んでいると、『ヘイ、リンク! どうしたの?』といつも話しかけてきてくれたものだ。今も鮮明に思い出せるあの声を、また本人から聞くことが出来るのはいつになるのだろうか──。

 

「……そろそろ帰ろうか。ルイズを起こさなくっちゃな」

 

 そう言って、リンクはため息を一つつくと、普段の凛々しい顔つきへと戻った。いつの間にか時間は過ぎて、既に日は高くへと昇りつつある。あまり油を売っているようだと、ルイズを寝坊させてしまう。

 

「はいやっ!」

 

 エポナの腹に軽く蹴りを入れた。リンクがいつもの調子に戻ったことに安心したのか、エポナは嬉しそうないななきを一つあげると、真っ直ぐに学院に向かって駆け出す。青空には小鳥達が舞っていた。

 

 

 

 リンクは厩舎にエポナを戻すと、ルイズの部屋へと向かった。途中、食堂で振舞われる料理に使われるのであろう、小麦粉の大袋とリンゴの詰まった大タルに悪戦苦闘していた栗毛の髪をしたメイドを手伝ってやり、さらに荷物を運んだ先の厨房で昨日リンクの耳を見て逃げ出した小柄な金髪のメイドの子と出くわして、こちらが恐縮する勢いで謝り倒してきた彼女を落ち着かせるという、ちょっとした事件に出くわしたものの、起こすのにちょうど良い時間には何とか帰ってくることが出来た。

 部屋は窓から降り注ぐ朝の光に優しく包まれている。ルイズは、リンクが目覚めた時と変わらず、気持ちよさそうにあどけない顔で眠っていた。きれいで可愛い寝顔だ。素直にそう思う。すやすやと眠るルイズの寝顔に、リンクは申し訳なく思いつつも、ルイズの肩を優しく揺さぶった。

 

「ルイズ、朝だよ。そろそろ起きてくれ」

「う……ん……?」

 

 寝ぼけ(まなこ)(こす)りながらルイズは体を起こした。ふわぁー、と可愛らしい欠伸をあげると、起き上がったままこっくり、こっくりと船を漕ぎ始めてしまったので、今度は少し強めに肩を揺さぶる。

 

「ルイズ!」

「はにゃっ!?」

 

 やっと目が覚めたのか、驚いてルイズは変な声を上げた。思わず口に手を当てると、ルイズは恥ずかしげに頬を染めて、こちらに微笑みかけるリンクを見上げた。間近で見るその顔に、昨日のことは夢じゃなかったんだと、ほんの少し嬉しくなる。ルイズはおずおずと口を開いた。

 

「……おはよう、リンク」

「ああ、おはよう。ルイズ」

 




ほぼシエスタとエポナとの会話(独り言?)って感じでしたね。頬染めは男にも許されるのだろうかと少し葛藤してました(笑)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。