ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

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リンクとギーシュの稽古の様子をこっそり見ている人が……?


虚無の曜日に② 剣の音は響き渡る

 心地良い木剣の打ち合う音が響き続けているヴェストリの広場は学院の外壁の他に、火の塔、風の塔とをそれぞれ本塔と二階部分で結んだ渡り廊下で囲まれている。渡り廊下の1階部分はアーチ構造を持った柱廊(ちゅうろう)のようになっているのだが、そのうちの一つの柱の陰から桃色がかったブロンドの髪がちらりと覗いていた。剣の音と一緒に聞こえてくる、溌剌(はつらつ)とした活力に満ちた声に誘われでもしたかのように、両眉(りょうび)をあげたルイズが顔を出した。

 リンクから午後に稽古(けいこ)をするという予定は元より聞いていたので、別に何も見に来る必要などどこにもなかった。ルイズとしても、最初は気ままに過ごそうと思って、一人になった自室でベッドの上にころんと転がり、気まぐれに本を広げていたのだが、なぜかどうにもそわそわとして落ち着かなかった。ページの上に並んだ文字を目だけは追っていくのだが、頭の中には何の場面も浮かんでくることはなかった。気が付けばページだけがただ進んでいて、見覚えのある文章が出てくるまで何度も何度も戻るような羽目になっていた。

 しばらく時間をかけていたはずなのに、最初に開いた時からは結局三行も進んでおらず、本を読むというよりも、意味を持たないマークだけが隊列を組んだ、絵画じみた何かを眺めているような気分になってきたルイズは、なんだか自分でおかしくなって苦笑を浮かべ、小さなため息をつくのと一緒に本を閉じた。

 それから、自分の腕を枕にするように頬を預け、ただぼんやりと窓の外から覗く青空を眺めながらベッドの上でぱたぱたとその華奢(きゃしゃ)な足を揺らしていたルイズだったのだが、やがてふーっ、と大きく息を吐きだし、んっ! と可愛らしい声と一緒に大きく伸びをしてから、立ち上がって机の上へ適当に放っていたマントを羽織(はお)って部屋を出てきたのだった。

 ルイズは柱の陰から顔だけを覗かせて、広場の中央で木剣を打ち合っている二人の様子を眺めてみる。

 広場にこだまする木剣の響きは、晴れ渡った青空の中へと吸い込まれていくように、清々しい気分だけを残して消えていく。その中に、ギーシュへ指南するリンクの凛とした声と、デルフリンガーが飛ばす叱咤(しった)、それから剣を振り続けて、必死で身体を動かしているギーシュのふぐぅぬぅ、だとか、ぬぅりゃあ、といった気合だけは十分にこめられている声が時折混じっていた。

 リンクはしっかりと手加減を加えることは忘れないようにしながらも、ギーシュが木剣を打ち込んでくるのに合わせて動いていた。一定の間合いを保ちながら、ギーシュから打ち込まれる剣の軌道に合わせて迎えるように自分の剣を振って弾き、押し返す。体勢を整えたギーシュが続けて放った、右脇腹を狙ってきた突きは、体の左側から角度をつけて軽く振るように盾を打ち当てて、受け流した。勢い余って前のめりになり、たたらを踏んで態勢を崩したギーシュを横から木剣の先で軽く小突いてやり、またその正面に立って剣と盾を構える。

 

「重心が前に突っ込みすぎだ。上半身だけで突きをするとそうなる。もっと足の踏み込みを意識してみな」

 

 まだ始めて短い時間しか経っていないのにも関わらず、必死に動いているためかギーシュの額には玉のような汗がいくつも光り、肩を大きく上下にさせていた。それでも、リンクの言葉に頷いたギーシュは大きく息を吸い込んで気合を入れなおし、もう一度突きを放った。リンクは、今度は後方へ素早く飛び退()いてそれを(かわ)す。

 

「いいぞ、その調子!」

「一発で終わるなよ、キザ坊主! どんどん振っていけ! 一撃くらい気合で入れてみろいっ!」

 

 リンクとデルフリンガーの言葉に、ほんの(わず)かばかりに眉を動かすのが精一杯の反応のギーシュだったが、それまでよりさらに息を大きく乱しながらも、ひたすらに剣を振り続けていった。リンクはそんなギーシュの様子にほんの少し目を細めながら、途切れることなく続いてくる攻めに合わせて剣を振っていった。木剣の軌跡(きせき)が重なり合うその度に、小気味の良い、高く硬い音が響いてくる。

 ルイズは小さく息を吐くとそのまま唇を開いたまま、二人を見ていた。ギーシュが思っていたよりもずっと真剣に稽古へ取り組んでいたのにも驚いたが、それよりなによりルイズの目を引いたのは、リンクの表情だった。

 

「リンク……なんだかすごく楽しそう」

 

 胸に抱いた印象がそのままルイズの口をついて出てきて、それは小さな(ささや)きのような声となった。身に迫る木剣を流れるように軽やかな動きでひらりひらりと(かわ)していくリンクの横顔を、ルイズはじっと見つめる。

 それは、まだそれほど長くはない期間とはいえ、一緒に時間を過ごしてきたルイズがこれまで目にした中で、一番生き生きとした、とても晴れやかな表情だった。口元に穏やかな微笑みを浮かべている中にも、そこには確かに高揚の色が浮かんでいて、どこか弾むようなその胸の内を反映しているようだった。

 柱の陰から二人の下へ踏み出そうとしていたルイズの足は、無意識の内にぴたりと止まっていた。動くのを止めた足に気が付き、ルイズはほんの少しだけ窮屈(きゅうくつ)になったように思えてしまう胸に手を当て、きゅっと握った。心臓の打つ鼓動がとくん、とくんと握った手に伝わってくる。

 ルイズは穏やかな風に揺れている芝生へ視線を落とし、ふぅっ、と小さくため息をついた。風の中に流れて消えてしまいそうな(つぶや)きがぽつりと漏れた。

 

「私は……」

 

 胸の中に浮かんでくる、漠然(ばくぜん)とした心象(しんしょう)を眺めてみる。もっと近くに行きたい。すぐ近くで話をして、今感じている、その気持ちを聞かせてほしい。そんな思いは確かに心の中にあった。きっと、聞いているこっちまで楽しくなって、嬉しくなってしまう、そんなとりとめもない想像だけが浮かんでくる。

 だが、容易(たやす)く近寄ってはいけないような、自分なんかが触れてはいけないような、そんな気持ちもまた確かにあった。心惹かれる綺麗な花だって、傍に置くために手折(たお)ってはじきに(しお)れて、その瑞々(みずみず)しく鮮やかな輝きを失ってしまうものだろう。

 だから……。

 

「本当は……ただ、見ていたい、だけ、なのかな……」

 

 再び視線を上げてリンクの横顔を見ながら、ルイズは呟いた。心の底から楽しんで笑っているリンクのことを、これまでに見たことのなかった彼の表情を、ただ見つめていたいだけなのかもしれなかった。

 半ば隠れるような格好のままで柱の陰に留まることになったのは、意識しないままにそんな気持ちが心の中から浮かび上がってきて、それが勝手に自身の身体を止めさせたからなのかもしれない。

 分からなかったのは、なぜそんな気持ちが心の中から湧き上がってくるのだろうということだった。自分の感情のことなのに、ルイズにはその理由を見つけることが出来なかった。

 ──どうして? 

 心の奥にそうやって問いかけてみても、はっきりとした答えが返ってくることはなかった。胸の内の思いを見つめて、考えてみても、わからない。ただ静かな、それでいて暖かな鼓動が伝わってくるだけだ。

 それがきゅっと胸を締め付ける、ほんの少し苦しくも思えてしまうような切なさを感じさせる。それなのにどうしてなのか、苦しいはずのそれが、どこか心地良くも思えてしまう。はっきりとしない、曖昧(あいまい)な感情。

 ──それでも、そのままでもいい。そんなことを感じてしまう自分がいるのが、ルイズには不思議だった。

 ふと、誰かが近づいてくるような足音がルイズの耳に届いた。といっても、それは忍び足のように随分と慎重な、実に微かなもので、ルイズの感覚が感知したのは、どこか遠くから聞こえてくるような、ぼそぼそとした低い独り言の方が実は先だったかもしれなかった。その声はなんだかやけに重苦しいような感じがする。まるで地の底からでも()い出て、にじり寄ってくるかのように思えた。

 眉をひそめ、首を傾げたルイズが音の聞こえる方向へと視線を送ってみれば、奥の柱の陰から自分と同じように身体を傾け、顔だけを覗きこませるようにして、綺麗な縦巻きの金髪の少女が木剣を打ち合う二人の様子をこっそりと窺おうとしているところだった。大きな赤いリボンが金髪を飾り、垂れるいくつもの髪の房が穏やかな風に揺れている。それはルイズの級友であり、ギーシュのガールフレンドであるモンモランシーだった。

 いつの間にかやってきていたモンモランシーは、ルイズの姿など全く意識の埒外(らちがい)にあったようで、一切の視線を向けてくることもない。どうやら先客がいたことすら気が付いてはいないようだった。

 彼女の関心はというと、小気味(こきみ)の良い木剣の音が響いてくるヴェストリの広場の方へもっぱらあったようで、眉を寄せながらなにやらぶつぶつと小声で呟いている。あちこちを探し回ってからここへやってきたのか、何やら吐く息には幾分か熱がこもっているようだった。

 モンモランシーはどこか不機嫌そうにむうっーと頬をむくれさせ、さらにはじとーっと目を細めた、訝し気な視線を広場へと走らせている。

 

「ギーシュと、ルイズの使い魔……リンクの二人だけ? どんな女にちょっかいかけに行ったのかと思ってたけれど…………ふーん、女と会ってた、ってわけじゃないってこと……ふーん、ふーん、あら、そう。……ま、だからって点数は上がらないわよ、ギーシュ……減点はされない、ただそれだけ。残念だったわね」

 

 ふん、と不機嫌も(あら)わに鼻を鳴らしたモンモランシーは、至極(しごく)面白くなさそうな低い声でそう呟いた。今朝、清々しく澄み渡った青空と窓を開けて流れ込んでくる気持ちの良い柔らかな風に晴れやかな気分となった彼女は、なんと慈愛(じあい)(あふ)れたことか、午後の食後の時間をギーシュと一緒に過ごしてあげてもいいと思い立った。そして、これまた恐悦(きょうえつ)に値するだろうことに、彼女御自(おんみずか)らが、ギーシュに午後のお茶のお誘いをしてあげたのだった。

 しかし、なんとギーシュから返ってきた答えは、まさかまさかの『お断り』であった。情感溢れる、優雅に気取った仕草で差し伸べた誘いに対する、夢にも思わなかった返答にモンモランシーが固まっている間に、なんだか上機嫌に何やかんやと喋ったギーシュは、彼女を置いてけぼりにしたまま、弾むような足取りで歩き去っていったのだった。

 ギーシュが誘いを断ったのは、何もモンモランシーを無下(むげ)に扱ったりしたわけではなかった。理由としては、ただ単に先約があったということに過ぎないものだった。

 しかし、モンモランシーからしてみれば、これがまた面白くなかった。はっと我に返って、ギーシュが目の前から既に消えていたことを認識してから、モンモランシーの脳裏に真っ先に浮かんだのは『気に入らない』。これだった。

 高貴な美少女と一緒の時間を過ごすことが出来る、というのはそれだけで崇敬(すうけい)の念を(たてまつ)り、(ひざまず)いて感謝を示し、期せずして得られた望外(ぼうがい)の幸せを噛みしめるべきというもの。そう、美少女との午後のお茶のお誘いを受けたのであれば、(つつし)んでどころか感涙(かんるい)して(むせ)び泣きながら()(おが)んでしかるべきものなのだ。

 普段の落ち着いた思考からすればあまりにもぶっ飛んでいると、モンモランシーは自分で突っ込みを入れただろうが、怒りに湯だってとんでもないエスカレートを果たした彼女の脳内では、最早それは当然のものとして承認処理を施されていた。

 さて、そうしてみれば、次にモンモランシーの中に思い浮かんでくるのは過去にギーシュが犯してきた罪の数々であった。つい先日の騒動の発端(ほったん)となったあの栗毛の一年生に限らず、ギーシュがこれまでにどれだけの女の子にちょっかいをかけてきたか、思い出せるだけでその数は両手の指を優に超えている。

 試しに右手の親指から順番に指を折って数えてみたが、一つ指を折る度にその時の鼻の下が伸びきったギーシュの締まりのない、張り倒したくなるような——実際に平手で張り飛ばしてその度に手形をしっかり残してやっているのだが——間抜け顔が思い出されて、額に青筋が浮かんできた。

 吊り上がった眉はぴくぴくと動き、折った指が左手の薬指に到達した時点で(いら)つきの方が限界を超えてきて、何でもいいから床に叩きつけてぶっ壊したい衝動が(にわ)かに湧いてきたたため、モンモランシーはそこで考えるのをやめておくことにした。

 まあ、正確な数なんてどうでもいいわ。いや、どうでもいいわけじゃないけれど、とにかくたくさん。たくさんよ。

 吹き荒れる怒りの嵐が、ともすれば(ほとばし)るどころか噴火してきそうな胸の内を落ち着かせるために、意識して深呼吸を何度もしながら、モンモランシーは心の中でそう呟いた。腹が立ってしょうがないが、ギーシュが積み上げてきた実績、前科の類は疑いをかけるには十二分になっているのは間違いなかった。

 おまけに、その疑惑をさらに加速させたのが、最近のギーシュの熱に浮かれたような様子だった。ここ一週間ほどのギーシュの振る舞いを思い起こしてみれば、何が気になっているものか気もそぞろでどこか落ち着きがなく、かと思えば、ぼんやりと上の空になって、なんとも言えない妙なにやけ面をしていたこともあった。

 その時はまたへんてこな悪癖(あくへき)でも身につけたのかしら、とさして気にもしていなかったのだが、考えてみると、新しく粉をかけた相手との(きた)る秘密の逢瀬(おうせ)を気にしていたようにしか思えなくなってきた。

 しかも、これまた厄介なことに、今朝モンモランシーの誘いを断った時も、ギーシュは彼女に対して、リンクと稽古をする約束をしているのだとは一言も明らかにしていなかった。それは、質の悪いことに楽しみなことがある、と仄めかせ、匂わせるような曖昧な言でしかなかった。

 ギーシュ本人に勘違いをさせようという気はこれっぽっちもなかった。ちょっぴり驚かせてみたい、くらいの気持ちはあったのだろうが、そのくらいだ。しかし、これがモンモランシーの疑念に拍車をかけるどころか、尻でも蹴り飛ばす勢いで駆り立てた。

 これでもうモンモランシーは完全にギーシュに対してクロを打っていた。その場でギーシュを追いかけ、張り倒して問い詰める、なんて選択肢をモンモランシーは取らなかった。わざと泳がせて現場を取り押さえることに決めたのだ。

 どんな目に遭わせて取っちめてやろうか。元々の予定であった、趣味と小遣い稼ぎという実益を兼ねた香水の調合を行っていた午前の間中、彼女の頭の中を占めていたのはその考えなのだった。それでも禍々(まがまが)しい毒薬が出来ずに(かぐわ)しい香水がいつも通りに完成したのは、ひとえに身体に染み付くほどまで達した習熟のたまものだったに違いなかった。

 そんな風にしてぶつぶつと呟いている言葉と一緒にどす黒い感情を(したた)らせるように漏らしているモンモランシーの姿に、ルイズは顔をしかめて、思わずうわぁ……と声が漏れそうになったが、すんでのところで思い留まった。

 自分だって(はた)から見たらあんな感じなのかしら、という思いがふと湧いてきて、ルイズはなぜか口元がひくひくと引きつってくるように感じられた。いや、私は違うわ。あんな手を出したら噛みつきそうな感じではないもの。そうやって(かぶり)を振って内心で否定を試みてみるものの、それでも抱いてしまった疑念は振り払えず、ルイズは眉をひそめて、小さなため息を漏らした。

 モンモランシーが(ほとばし)らせるように漏らしている考えなんて何にもない。現にこれっぽっちも怒ったりだなんてルイズはしていなかった。だから、別にやましく思うようなことは何一つとしてない。そのはずだった。

 ……それとも、どこか決まりが悪いように感じてしまうのは、やはり心のどこかに、欠片のようであったとしても、そんな思いが存在しているということなのだろうか? 

 ルイズが考え込んでいると、一際大きな木剣のぶつかり合う音が響いた後に、リンクのよく通る、凛々しい声が聞こえてきた。

 

「ほら! また手だけで振ってるぞ! もっと踏み込みを強くして身体全体で振ってこい!」

「はぁっ……! はぁっ……! ふぅ……! うぬぅ! だりゃあっ!」

 

 汗みずくになって髪を振り乱し、大きく息を乱しながらもギーシュは再び気を吐いて剣を振っていく。その様子を見てほんのわずかに笑みを深くして、リンクはまた身軽にギーシュの剣を避けていった。

 思い切り横に木剣を()いだ拍子に、勢い余ってずるっと足を滑らせ、ギーシュは思い切り尻餅をついた。

 

「あ、いったぁっ……! はぁ、はぁ……つうっ……」

 

 息を切らしたまま、打ち付けた尻の痛みにほんの少しの間、低い声をもらしていたが、目の前へすっと手が差し出される。視線を上げれば、その手の主である緑衣の剣士が、凛々しくも優しい笑みを浮かべていた。

 

「まだやれそうか?」

「……もちろんっ!」

 

 底を尽きかけた、(わず)かばかりの体力が許せるだけの範疇ではあったが、それでもギーシュは確かに笑みを返した。リンクの問いかけに勢いよく答えて、差し出された手を握りしめて立ち上がる。

 マントやズボン、それにフリルの飾りがついた、真っ白だったはずのお気に入りの彼のシャツは、いつの間にかに土埃に(まみ)れてしまっている。だが、ギーシュはそんなことには気にも留めず、払う素振りすらも見せはしなかった。

 再びリンクと少しの距離を取って剣を構え直し、深く、深く、息を吸って、それから気合の声と一緒にもう一度突っ込んでいった。

 

「……ったく、私とのティータイムを断って何をするつもりかと思ったら……剣の訓練なんてね……いや、確かに彼へ剣を教えてもらいたい、って、あの時は随分と意気込んでいたけれど……そりゃ楽しみにしてたんでしょう、なんだか鼻息も荒くしてたし……だけど、それが私とのお茶より楽しみなのねー、ねぇ、ギーシュ……?」

 

 ぶーたれながらも柱の陰から出ていこうとせず、じーっとモンモランシーは広場の中央で打ち合いを続ける二人のことを眺めながら、しばらくの間、頬を膨らませていた。

 ギーシュが、楽しみにして、待ち望んでいたこと。それはよくわかった。自分が多分、そこに割りこもうとしたのも……なんとなくはわかった。それでも、やっぱりモンモランシーの胸の中はすっきりとはせず、どことなくもやもやが漂っていた。

 

「……せっかく、私から誘ったんだもの。もうちょっと、こう……なんかあったっていいじゃない……」

 

 そんな呟きは知らず知らずのうちにモンモランシーの口から出たものだった。断るのはまあ仕方ない……本当は嫌だけれど。でも、置き去りにしなくったっていいじゃないの。モンモランシーはそんなふうに声には出さずに唇を尖らせた。

 一緒に過ごせないなら、ちょっとくらいは残念そうな素振りくらい見せてくれれば、こっちだって変に疑わなかった。昼食後のお茶はダメでも、夜に星を眺めよう、とでもギーシュの方から誘ってくれれば、喜んで頷いてあげた。それなのに、ちょっぴりだけどきどきしてた私が馬鹿みたいじゃない。そんな思いが浮かんできて、モンモランシーは表情を曇らせる。

 しかし、真剣な表情で一生懸命に剣を振り続けているギーシュの姿を見ているうちに、モンモランシーのしかめていた眉は徐々に()けていったようだった。いつの間にか、心の中で霧のように佇んでいたもやもやもどこかに飛んで行ってしまって、モンモランシーは稽古の様子に見入って、熱心に視線を注いでいた。

 剣身同士がぶつかり合った拍子に、柄の握りが(おろそ)かになっていたギーシュの木剣は勢いよく弾き飛ばされた。くるくると回転しながら宙を舞い、その手を離れていく。それを見て、モンモランシーは思わず目を見開き、はっと息を呑んだ。

 ギーシュは悔しそうに顔をしかめると、息を切らしながらも、弾き飛ばされた木剣を拾いに走り、それから再びリンクへと向かっていった。

 突っ込む勢いそのままに振った剣へ身体が引っ張られ、体勢を崩して隙だらけとなったギーシュに、小突くような程度の軽いものだがリンクからの打ち込みが入る。ぱん、と音が響くと同時に、ギーシュは顔を(ゆが)め、それにモンモランシーは思わずきゅっと目をつぶった。

 おずおずと目を開き、変わらない勢いで突っ込んでいくギーシュを見て、無意識のうちになのかはわからないが、ふぅっ、小さく息をついた。

 そうやって広場の中央に固唾を呑んで見入ってしまったモンモランシーに対して、ルイズは改めて自分の方から声をかける気にはなれず、さりとてこの場を離れてまた記号の羅列(られつ)だけが続くページを(めく)る作業に戻る気にもなれなかった。結局、最初と同じようにして視線を広場の方へと注ぐばかりだった。

 

「あら、こんなところで何してんのよ、あんたたち。二人してまた妙な格好しちゃって。何か変な遊びでも思いついたわけ?」

 

 広場の方へ完全に集中して見入っていた二人にその声がかけられたのは突然のことで、ルイズもモンモランシーも飛び上がった。ばっ、と思いっきり振り返ると、そこにはきょとんとした表情でこちらを見ているキュルケとタバサがいた。

 二人は食後のお茶をした後、寮塔の自室へと戻る途中で、遠くから聞こえてくる耳慣れない音に興味を惹かれてやってきたのだ。キュルケの誘いに、今日は珍しいことに気が向いたタバサが乗ってくれたのだった。

 振り返ったと同時に、ルイズの姿がようやく目に入り、広場を見ていたのが自分一人ではなかったことにとうとう気が付いたモンモランシーは、目を見開いて鋭く一つ息を吸いこみ、ぱくぱくと開いた口から声にならない声を上げていた。

 言葉がなくても自分を見てくるモンモランシーの表情に、なんとなく何が言いたいのかを察したルイズはどこか決まりが悪そうな、苦い笑みを口の端にわずかに浮かべて目を逸らした。

 

「いや、何をそんなにびっくりしてるのよ……?」

 

 何の気なしに声をかけただけなのに、思いもよらない二人の驚きように、キュルケは疑問符を表情に浮かべながらそう口にした。

 モンモランシーはキュルケの問いに対して言葉を返そうとしたが、妙に上擦った音しか出てこず、ごくりとつばを飲み込んだ。それから呼吸を意識して整え、口を開いて掠れかけの声を絞り出した。

 

「うぇっ……んんっ……! あっ、そ、その……さ、散歩よ」

「ふーん、散歩、ねぇ……あら」

 

 ルイズの隣からひょっこりと顔を出し、広場の中央の方をキュルケは覗き込んだ。そちらではギーシュとリンクが変わらずに打ち合い稽古を続けている。

 

「はー……変わった音がすると思って来てみれば……また面白いことやってるじゃないの、リンクったら。……ふーん、それにしても……ギーシュったら、随分と一生懸命にやってるのね。あんな汗だくになってまで。剣なんて握るのも初めてでしょうに」

 キュルケは左手を額に(ひさし)のようにかざして、ぱっちりと目を見開き、木剣を振るう二人を眺めながら感心するような調子でいった。

 キュルケの後ろからちらっと顔を覗かせたタバサは瞬きを二、三度してから、はっきりと手加減をしていてもなお鋭く、軽やかなリンクの動きに、じっと視線を注いでいた。

 

「……で、それをあんたたちはこうしてなんとも仲のよろしいことに柱の陰から覗いていらっしゃると……」

 

 キュルケは柱の陰から乗り出していた身体を戻し、ルイズとモンモランシーの方へと振り返った。リンクとギーシュへと向けていたものと違って、その視線にも声にも、そこはかとなく冷ややかなものが混じっているように感じられた。

 うっ、と苦しそうな声を同時に漏らして、ルイズとモンモランシーは思わずどちらともなしに顔を見合わせた。返ってきた言葉にもなっていない答えを見て取って、キュルケは腕を組みながら大きなため息をついた。

 

「図星ね。あっきれた。何よ、あんたたち、そんなに見たいんだったら素直に近くに行って見てたらいいじゃないの。ほんと、トリステインの女って変なプライドばっかり高いんだから」

 

 眉根を寄せて冷ややかな調子でそう言い放ち、キュルケは背後の柱へ身体を預けた。トリステインのご令嬢たちの持つ『淑女(しゅくじょ)(つつし)み』たる文化的精神は、キュルケからすればどうにも理解ができない事柄(ことがら)だった。

 淑女たるもの、殿方からの誘いを優雅に待つべし。そんなお題目を掲げて、つんと澄ましておきながら、相手が思うように動いてくれないとこんな風に苛々(いらいら)鬱憤(うっぷん)をためてわななき、陰からずーっと覗いている。

 よくもまあ揃いも揃って同じことをするものだと変な関心をしてしまうくらい、トリステインへと留学してきてからキュルケは似たような光景をなんども見てきていた。

 己の中で恋の炎が燃え上がったならば、その炎の熱に身を任せてしまうのが信条のキュルケであったから、この点はまるで相容れることが出来ず、つい非難の言葉の一つや二つが出てしまう。

 そのキュルケの言葉に聞き捨てならない、とばかりにモンモランシーは憤然(ふんぜん)とした表情になり、腰に両手を当てて胸を反らし、高らかに宣誓(せんせい)でもするかのように言葉を返した。

 

「別に、私はギーシュのことなんて、なーんにも気になってなんかないわよ。そう! 今日は暑いから、日陰にいたかっただけ! それでこうやって涼んでるのよ」

「あらそう、だったらお部屋にいたらどうなの」

 

 ぴしゃりと鞭でも叩きつけたかのように痛烈なキュルケの返事に、うっ、とモンモランシーは顔をしかめて一瞬(うめ)いたが、突っぱねでもするかのようにすぐに声を張り上げた。

 

「部屋は風通しが悪いの!」

「はいはい、そういうことにしておいてあげるわよ。随分と難儀(なんぎ)な部屋にお住みですこと」

 

 その答えにも、毛を逆立たせて威嚇する猫のように唸っているモンモランシー自身にも全く興味なんてないように、キュルケはため息を一つついて肩を竦め、今度はルイズの方に向き直った。

 

「それで? ルイズの方はどうなのよ? あなたも風に当たりたくなった口かしら?」

「私は……」

 

 キュルケの問いに、そしてじっと自分を見つめてくる、いつもより幾分か鋭さが増したようにも思えてしまう視線に、ルイズはつい答えに窮して目を足元に落した。答えを探して迷っている自分の心を見透かされているような心持(こころもち)がして、ルイズは頬に血が巡ってくるように思えた。

 気になってなんかない。多分、それは嘘だ。そうだったなら、自分は今頃、本のページをベッドの上で(めく)っているはずだった。では、キュルケの言葉通りにしたかったのか。そうやって自分に問えば、それもまた違った。だって自分は……ただ見ていたかったから。

 

「気にならない、わけじゃない……だけど、近づいちゃダメなような……そんな気がして、ただ見てたの」

 

 そういってルイズは、さっきのリンクの表情を心に思い浮かべながら、半ば呟くようにして答えた。心地良いのに、ほんのちょっと苦しい、そんな切なさが何故かまた胸の中に甦ってくる。

 

「だってなんだか……初めて見る、とても楽しそうな顔だったから。その……邪魔しちゃいけないかなって……そう思ったら……」

 

 心の中で揺蕩(たゆた)う思いを上手く表せる言葉が見つからなくて、ルイズの声はそこで途切れた。

 

「……ふーん」

 

 ルイズの答えを聞いて、キュルケは少しの間、口ごもるルイズを見つめていたが、それからリンクの方へと視線を向けた。さっきよりもほんの少し熱を帯びたようなその瞳はきらっと光った。口元には微笑が浮かび、艶然(えんぜん)とした表情になる。

 

「確かにね。見惚れちゃうくらい素敵な表情……眺めていたいってのも少しはわかる気がするわ。ま、私は遠くから見てるだけじゃ満足なんてとても出来ないけれど。……それに、どうやらそれはあのメイドの子も一緒みたいね」

 

 そう言い残して、キュルケはルイズとモンモランシーに背を向けて、すたすたと歩き去っていった。近づいていったその先で、リンクへ向かって手を振って声をかけに行ったのだ。

 

「はぁ? メイド!?」

 

 モンモランシーは低い声で鋭く呟いたかと思うと、相変わらず唸りながら肩を怒らせ、下手をすればギーシュへ殴りかかりにでも行きそうな勢いで、キュルケの後を追って広場へと足を進めていく。

 残されたルイズが視線を走らせてみれば、黒髪のメイド少女、シエスタが何やら光るものを載せたトレイをもってリンクのすぐ傍へと歩いていっているところだった。

 そのシエスタの表情がなんだかルイズには引っかかった。心持(こころもち)、頬が紅いようにも感じられるし、どこかそわそわとして落ち着かなげだ。

 むーっと頬がむくれてくる。さっきまで感じていた、胸の中に灯るような暖かさと、心地良く苦しい切なさは、最初からそんなものなど無かったかのように、どこかに霧散していった。

 理由はわからない。だけど、面白くない。

 代わりに心を占めてきた感情に身を任せ、ルイズはずんずんと歩いていった。

 一人残されたタバサはこのまま自室に戻って途中になっている本を読むことにしようか迷ったが、結局ルイズの後に続いていった。何となく湧いた好奇心に、彼女は従うことにしたのだった。

 

「うおおっ!」

 

 横に薙ぐように振るった剣を、後ろへと飛び退(すさ)ってリンクが(かわ)したのを見て、ギーシュは勝負に出た。着地のその瞬間を狙い、肩に担ぐように木剣を構えてだだっと駆け出し、猛然とギーシュは突っ込んできた。

 ギーシュの奇襲に、リンクは笑みを浮かべた。いいぞ。心の中でギーシュを褒めた。

 だが、だからといってここでやられてやる訳には到底いかない。リンクは着地した瞬間、ぐっと踏み込むように足先へ力を込めて地面を再び蹴った。そして今度は全くの逆方向、前へと向かってその身を躍らせ(ひるがえ)し、突っ込んでくるギーシュの頭上、担ぐように高く構えたその剣先すらも、リンクは飛び越えていった。

 これに面食らったのがギーシュだった。隙を突いたつもりで飛び退(すさ)ったリンクに向かい突っ込んだのに、一瞬でリンクは視界から消え去ってしまったのだ。慌てて振り下ろすようにして剣を振るうが、そうやって無闇に振るだけではリンクの身体を捉えることは当然出来るはずもなかった。

 

「あっ! たっ! ぶぎぇっ!!」

 

 

 無理矢理に剣を振ったせいでバランスを崩したギーシュは、蹴躓(けつまず)いて勢いもそのままに、顔面から地面に突っ込んでずるずると滑っていった。

 

「よっと……今のはなかなか狙いがよかったぞ、ギーシュ! そうやって隙を見つけるのを……」

 

 宙返りを打つ間に空中で身体をひねったリンクは反転してすたりと着地し、ギーシュに向かって褒め言葉を口にしたが、彼が倒れているのを見て途中で切ることになった。ギーシュが立ち上がって次に向かってくるのを待ってみたが、ギーシュは身体を投げ出すように地面に倒れ伏したままだった。

 

「あらら……」

「へっへっへっ! 流石にへばっちまったみたいだなぁ、キザ坊主の奴!」

「はは……みたいだな」

「わぁっ! すごいですっ!」

 

 背後から届いてきた、興奮に染まった声を聞いてリンクは振り向いた。それはいつの間にかにやってきていたシエスタが上げたものだった。

 目を輝かせ、思わず口が開きっぱなしになって、はーっと息をついていたシエスタだったが、苦笑するリンクに、はっと気が付いてわたわたと慌てた。

 

「ご、ごめんなさい! 私ったら! で、でも、あんまりすごくって、綺麗だったから、思わず声が出ちゃって……」

 

 シエスタは持っていた銀色のトレイを掴む手の力が思わず強くなってもじもじとしていたが、気を取り直すように息を一つついてから、トレイに載せていた太陽の光を受けてきらりと光る銀の水差しと二つ並んだ杯をリンクへ見せた。

 

「あ、あの、私、お水を汲んできたんです、その、お二人が稽古をしているのをお見かけして、喉が渇いているかも、と思って、だけど、その、夢中になって、つい、見入ってしまって……えっと……その、すみません……えへへ……」

 

 シエスタは頬を紅くして、はにかみながらそう言った。水差しの表面は水滴がついていて、とてもよく冷えていそうだった。火照った身体にはきっと染み渡っていくように感じられることだろう。

 

「リンクーっ!」

 

 今度は遠くの方から掛けられた声の方へと視線を向けてみれば、キュルケが笑顔で手を振ってこちらにやってきていた。後ろには何故か肩を怒らせているモンモランシーとなんだかきつめの表情を浮かべているルイズ、そしていつもと変わらない様子のタバサが続いていた。

 

「……ははっ、少し休憩にしようか、ギーシュ」




……実はシエスタもちゃっかり覗いてたりしてました。
ルイズたちとは反対側で、小声できゃーきゃー言いながら、同僚たちと眺めていたシエスタ。
頃合いを見計らった同僚たちから行ってきなさい、と背中をめちゃくちゃに押されたシエスタは、無理やりお水の差し入れに向かわされたのでした……。

覗きがいっぱい……!



続きはまた二週間後の予定です!

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