ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

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ギーシュくん、頑張って!


虚無の曜日に
虚無の曜日に① 初めての稽古


 学院を大いに騒がせたフーケの襲撃、そしてフリッグの舞踏会から幾日かが経った虚無の曜日の昼下がり。授業もなく、学院の生徒たちが思い思いに過ごして羽を伸ばす癒しの休日だ。そんな安息の日、普段は日当たりもそうはよくないために、午後の穏やかな時間を過ごそうという人の姿は見ることのないこのヴェストリの広場に一人の人影があった。

 それは、いつにもなく落ち着かない様子でいるギーシュだった。そわそわと手に持った薔薇の造花の杖を指先でいじっては、今か今かと待ちわびるように広場の入り口に何度も視線を走らせて、その度に内心の高揚と期待とを示す熱のこもった息を吐いていた。

 もうかれこれ数十分ほどはこうしているだろうか。とはいっても、これは何もギーシュが待ちぼうけを食らっているからというわけではない。約束の時間にはまだなってはいなかった。ただ単純に、ギーシュがじっと座って待っていることが出来ず、待ちきれなくて食事の後のお茶もそこそこに、こうして出てきてしまっただけだった。

 しかし、ギーシュにとってはなんとも珍しいことに、それこそ友人たちが聞けば驚いて思わず顔を見合わせ、彼の頭が正気かどうかを一度は疑ってみるべきか真剣に議論を始めだすだろうことに、ギーシュが頼み込んで待ち合わせを取り付けたのは、なんと女の子相手ではなかった。キザな言葉と薔薇の花とを携えて、どうデートの約束に頷いてもらおうかとあれこれ頭を悩ませているのが常日頃のギーシュであるのだが、今日は違う。

 もう何度目になったかわからない、走らせた視線のその先で、待ちわびていた約束の相手がこちらに歩いてくるのが見えた。勢いよくぶんぶんと手を振り、ギーシュは感激したような高ぶった声をかける。

 

「やあ、リンク! いよいよだね! ああ、僕は嬉しいよ!」

 

 ギーシュからそう声をかけられた緑衣の剣士──リンクは笑みを浮かべるとともに、その凛とした声を返した。

 

「あははっ、早いんだなぁ、ギーシュ。これでも結構余裕を持たせて来たつもりだったんだけどな。随分待たせたか?」

 

 ギーシュは興奮を隠そうともせずに握りこんだ拳を胸の前に振り上げ、その問いに答える。

 

「ああ、待ちわびていたとも! やっと君に剣を教えてもらえると思ったらわくわくしてきて、なんだかもう僕はずっと身体が疼いて仕方なかったんだよ!」

 

 フリッグの舞踏会の翌日、まだ暁の色が色濃い早朝、リンクが洗濯を済ませようと寮塔傍の壁泉へ向かったその先で、ギーシュは彼を待ち構えているようにしていたのだった。そして、顔を合わせたその場で、ギーシュは改めて剣術を教えてほしいとリンクに頼みこんだのだ。

 フーケ討伐隊の一員として危険な任務に赴き、勝利を収めて無事に戻ってきたリンクの姿を見て、ギーシュの中の熱はいよいよ熱くなり、それが夜明けとともに彼の身体を動かしたのだった。

 まさか待ち構えている者がいるとは思っておらず、少々面食らったリンクだったが、彼としても元より承諾をしていたことだから、もちろん稽古をつけることそのものには何の否もない。後はいつにしようかというだけだった。

 ギーシュの剣術の経験は全くなし、ということを聞き、流石に初めての日は他に何もない日がいいだろうということで、虚無の曜日とすることにした。ギーシュはその日のうちに、と是が非でもやりたがり、リンクにとってしてみても、その熱意は好ましく思うものではあったのだが、少なくとも利き腕はこれっぽっちも上がらなくなるだろうからやめておけ、と何度も言い聞かせ、どうにかこうにか宥めたのだった。

 稽古の約束を取り付けてから日が沈み、夜が明けるのを待ち、それを繰り返すこと幾度か。ついに今日という日を迎えて、ギーシュは目覚めのその瞬間からどこからともなく湧いてきた熱が自分の身体の中を巡っているのが感じられるように思えたのだった。冷水に顔を浸してみてもその熱が収まることはなく、だんだんと強く感じられるようであった。そしてその熱が彼に座して待つことを許さず、果ては約束の時刻より数十分も前にヴェストリの広場へと駆り立てたのだった。

 目を輝かせ、ふんふんと鼻息も荒いギーシュの様子がなんだか微笑ましく思えて、リンクは顔をほころばせ、笑い声を上げた。

 

「はははっ、そうまで楽しみにされてたって思うと、なんだかこっちも嬉しくなってくるな。よし、それじゃあ、早速だけど始めるとするか……はいよ」

 

 そういうと、リンクは小脇に抱えていた木剣と木の盾とをギーシュに向かって差し出した。ギーシュに差し出したものとは別にもう一揃えを抱えていて、どうやらそちらはリンクが自分で使うつもりのようだ。

 

「お前のワルキューレに一番適しているかって言われるとわからないんだけどな。この間は大剣を使っているみたいだったし……ただ、俺が一番扱い慣れてるのはやっぱり剣と盾のスタイルだから、ギーシュにもこれで教えようかと思ってさ」

「ああ、うん、それはもちろん構わないけれど……それにしても、木……?」

 

 差し出された木剣と木の盾とを受け取りながらも、ギーシュは気の抜けたような声で呟くようにいった。

 受け取って手に持ったそれを目の前に持ち上げて、まじまじと見つめる。木剣は両刃の長剣を模したもので、全長が1メートルくらいのものだ。ご丁寧なことに、簡単な装飾が彫られた鍔まできちんとついている。盾の方も持ち手と腕を通すための革帯が裏面に取り付けられていて、構えてみればちょうどギーシュの胸から腹の上端あたりにかけてを覆ってくれそうなくらいの大きさのものだ。

 どちらも学院の警備の任についている衛兵たちの詰所の脇にある物置の片隅、山として積まれている備品の箱の中から、訓練用の装備の予備品を、頼んで譲ってもらってきたものだ。

 リンクが夜に詰所を訪れ、ギーシュとの稽古のために使わせてもらいたいのだ、と頼むと、非番の者同士でエールを呷って盛り上がっていた衛兵たちは、何と珍しいこともあるものだと顔を見合わせつつも、いくらでも持って行ってください、と快く譲ってくれたのだった。

 聞けば訓練など久しく行っておらず、彼らからしてみれば物置で埃を被って眠るばかりの無用の長物となっているらしい。それでいいのかという思いがわずかによぎって苦笑はするものの、使っていないものなら遠慮なく持っていけると、リンクは前向きにとらえることとした。

 その後、リンクはその陽気な酔っ払いたちに一杯どうかと誘われたが、丁重に辞退しておいた。腰を下ろしてこの輪の中に混じってくだらない話をするのはとても楽しそうで、抗いたい誘いには思ったのだが、こういう時の一杯とは、まず一杯で終わることはないのがお約束だ。杯を空にすればその度にエールをなみなみになるまで注がれることになるのは目に見えていた。

 リンクに断られて、彼らは少し残念そうな顔をしていたが、すぐに気を取り直したようにまた話へと戻っていった。貴族である学院の生徒が剣の稽古をするという珍しい話に触発されたのか、酒の肴はそれぞれの腕自慢や武勇伝に移っていったようで、リンクは笑いながらお礼を言って詰所でのささやかな宴を後にしたのだった。

 実をいうと、稽古の得物の案としては代案もあることにはあった。木の剣をもらってくる代わりに、旅荷の中にあるデクの棒を摸擬剣として使うというものだ。もちろんそちらでも別に良かったのだが、柄のように握りの部分を削るのは適当にやってもそれなりに手間がかかってしまうことだし、摸擬剣とするにはやや堅すぎるきらいもあった。なにせ、全力で振り下ろせば下手な怪物の頭蓋を砕くことなど容易に出来るくらいなのだ。別に適切なものがあるならばそれを活用させてもらうに越したことはない。

 そんな考えのもとに譲ってもらって用意してきた木剣と木の盾だったのだが、拍子抜けするようなその軽い手応えに、はぁ……とギーシュは思わず気の抜けたような息を漏らしていた。

 

「うん? どうかしたか?」

 

 背負っていたデルフリンガーとミラーシールドを背中の革帯から取り外していたリンクは、木剣と木の盾を持ち上げてみたままで動かないギーシュを見て、声をかけた。

 

「いや、その……なんというか……てっきり、僕は本物の剣で稽古をするのかなー、と思っていたからさ……」

 

 たとえ刃は潰してるにしても……、と続けたギーシュに向かい、鞘に入ったデルフリンガーは金具をカチカチと鳴らし、面白がるような、楽し気な声をあげた。

 

「おうおう! キザ坊主! 随分と生意気な口を利いてくれるじゃねぇか! まともに剣を振ったこともねぇのによ!」

「いやぁ、それはもちろんわかっているけど、ただ、想像していたのと違っていたから……」

 

 二人のやり取りを聞いて、リンクも表情を崩して、高らかに笑い声を上げた。

 

「あっはっはっ! まあ、そう思うのもわかるし、無理はないけどな。ただ、今はこれぐらいがちょうどいいだろうさ」

 

 しかし、そう言ったリンクの意図が分からずに、ギーシュは気の抜けたような、はあ、という声を繰り返すだけだった。

 

「……よし、だったら一つ試してみようか」

 

 愉快そうに目を細め、にやっと笑ったリンクは、デルフリンガーを鞘から抜き放ち、ギーシュへ差し出した。ギーシュは慌てて手に持っていた木剣と盾とを地面に置き、デルフリンガーを受け取る。ずっしりとした鋼の重さが、柄を握る右の手、そして腕とに伝わってくる。高ぶりに目が覚めてしまった、夜がまだその姿を消さずにいた明け方に、ベッドの中でごろごろと転がりながら想像していたのはまさにこの手応えだった。

 

「うーん……やっぱり、相棒に握られるのとじゃあ、気合の入り方がちげぇなぁ……」

「そんなこと言うなって」

 

 リンクからギーシュに手渡され、それまで眩いばかりに剣身を白く光り輝かせていたデルフリンガーは、朧気な、ほんの微かな蝋燭の灯火程度にその光を落とした。デルフリンガーのぼやきに苦笑しながらも、手ぶらになったリンクは、右手を腰に当てて、にっとギーシュに笑いかけて続けた。

 

「そうだな……デルフを十回も全力で振り切れることが出来たら十分かな。そうしたら本物の剣で稽古しようか。肘から先の分くらいの長さでいいから『錬金』で剣を作ってもらって、その剣を使うことにしよう」

「十回だけかい? いやあ、いくら僕が素人だからって、そのくらい……」

 

 やる前からもうその気になっているのか、ギーシュの口元には無意識のうちに薄っすら笑みが浮かんでいた。空いていた左手で薔薇の造花の杖を振ってルーンを唱え、『錬金』で青銅の剣を作り出す。剣身は肘から先の分くらいまでの長さでいいというから、作り出したその青銅の剣はやや短めのものだ。デルフリンガーと比べてみればおよそ三分の二にも満たないほど。半分をなんとか超えるくらいだろうか。

 

「おお、なんだ、なんだ! 随分とやる気満々じゃねぇか!」

 

 返事を返すか返さないかのうちに、もう杖を振って意気揚々と青銅の剣を作り出したギーシュに、デルフリンガーは感心したように声を上げる。

 

「そりゃあもちろん!」

「ははっ、その意気やよし、ってところかな。それじゃあ、振ってみな」

 

 そう意気込んだ返事をしたギーシュに、リンクは笑いかけてからそう促した。

 ギーシュはデルフリンガーの柄を握る右手にぐっと力を込め、持ち上げる。ふん、と腹の底から洩れるような声が思わず出る。全身で感じるその重さに、何故か気分が高揚するように思えた。

 

「両手でいいよ」

 

 リンクはにっと笑ってそういった。その表情は実に楽しそうだ。

 

「ふうっ! よおし、やってやるぞ!」

 

 ギーシュは大きな息をひとつ吐いてから、気を込めるようにそう叫ぶと、ぎゅっと両手でデルフリンガーの柄を握り、まっすぐに構えた。

 

「ほれほれ! 気合入れて行けよぉ!」

 

 デルフリンガーの発破をかけた声に奮い立つように、もう一度強く柄を握り直した。

 はっ、と気合の声を一つ上げ、ギーシュは頭の上まで思い切りデルフリンガーを振りかぶった。ぐっ、と振りかぶったところでデルフリンガーを止めようとして、思わず息が止まった。動かす気などさらさらないのに、意に反して腕は小刻みに震えていた。

 何とかデルフリンガーを止めることが出来たが、体中の筋肉は張り詰めていて、ギーシュはその負荷に必死に耐えていた。顔に血が上ってきて、紅くなっていくのが自分でもわかる。息を吸おうと体に入った力を緩めれば、そのまま後ろに持っていかれて倒れてしまいそうだった。

 全身に鞭を入れ、歯を食いしばり、引いた左足をぐっと踏み込む。そして、ふんぬっ! と体に込めた力がそのまま言葉になったような声を上げて、全力でデルフリンガーを振り下ろした。不格好だが、込めれるだけの力を込めて振り切る。ぶぉん、と重い音が鳴った。風を斬る感触が手に伝わってくる。

 剣を支える腕を除いて、ようやく張り詰めきった身体を弛緩させ、休めることが出来たギーシュは、はあーっ……、と深く、深く息を吐いた。

 

「はい、一回」

 

 リンクの楽し気な声が聞こえてきた。思わずギーシュはぎくりとなってリンクの顔を見る。さっきと変わらずにリンクはにこにこと笑っていた。いや、違う。何だかさっきよりも面白がっていそうな気がする。

 ギーシュは、深い息を吐く口の端がひくりと引きつったような気がした。つうっと額を汗が流れていく。たった一回。それなのに体中の活力がなくなってしまったような感覚を覚えた。

 忍び寄ってくるような不安を振り払うように、ギーシュは奥歯にぐっと噛みしめ、柄をもう一度力を込めて握り直した。はっ、と短く息をついて、再び剣を頭の上に振りかぶる。今度はもう目に見えて両腕がぶるぶると震えていた。剣の重さは変わらないはずなのに、かかる負荷はさっきの何倍にもなったように思えてしまう。

 なんとか気合で耐え、もう一度振り切った。握る手の力が抜けてデルフリンガーが飛んで行ってしまいそうになるのをすんでのところでこらえる。

 額からも、背中からも、ぶわっと汗が噴き出てきた。深く息を吸おうとしても、どうしても浅くなってしまう。もう一度、気合と力を込めて、三回目の素振り。

 しかし、もう構えるだけが精いっぱいだった。腕の震えは最早、がくがくという振動になってしまっていた。ふぐぅ、と情けない声が無意識に出てしまう。息を止め、必死に力を込めて、デルフリンガーを振りかぶろうとする。しかし、もう頭の上まではどうやっても持ち上がることはなかった。

 

「ぐっ、ぐぬぅっ……! ぶはっ、だ、ダメだっー! ……あ、あがらないっ……!」

 

 がくっとデルフリンガーを下げて、肩を大きく上下させる。息はもう切れ切れだ。

 

「あっはっはっ! ま、初めてならそんなもんさ! きちんと振れた分だけ、えらいえらい!」

 

 リンクは高らかに明るい笑い声を上げて、ギーシュの肩をぽんぽんと優しく叩いた。デルフリンガーも金具を打ち鳴らし、剣身を微かに震わせて笑い声を上げていた。

 

「へへへっ! まっ、気合だけは入ってたな!」

 

 リンクはにっと笑って、ギーシュに声を掛ける。

 

「わかったと思うけど、本物の剣ていうのは意外に重いんだよ。金属の塊を振り回してるんだから当然だけどな」

 

 リンクの言葉を受けて頷き、ギーシュは苦笑して口を開いた。

 

「ああ、身を持って知ったよ……」

 

 お世辞にも引き締まっているとはとても言えない、負荷がなくなってもまだほんの少しぷるぷると震えている自分の腕と、鋼のように鍛えられた逞しいリンクの腕とをつい見比べて、ギーシュは心底からそういった。

 ギーシュからデルフリンガーを受け取り、鞘へと戻しながらリンクは声を返す。

 

「虚無の曜日にやろうって言った意味も分かったろう? 軽い木剣でも慣れてないやつが全力で振り回してると、小一時間ぐらいできっと腕がちぎれたような気分になっちゃうからな。きっと今夜の夕食は辛くて一苦労だぞ。フォークがうまく刺さらないかも。もしかしたら、明日もペンが持てなかったりするかもな」

「うん、確かに……」

 

 振り終わってからもじんじんと疼くような血の流れが感じられ、一方でまた棒のようなったようにも感じられる、いつもとは違う腕の感触に、ギーシュは頷いた。恐らくリンクの言っている事態は数時間後の自分に襲い掛かってくる確かな現実に違いなかった。

 神妙な様子で頷くギーシュに、リンクは再び笑いかけた。

 

「ははっ、だからこそ、あんな大剣を自由に振り回せるお前のワルキューレの強みもあるんだけどな。人間があんな風に勢いよく振り回すのがどれだけ大変かってことさ。それに、剣が重いだのなんだのはやっていくうちにそのうち慣れるだろうから、気にするな。大事なのはやってみることだからさ」

 

 そういって、リンクは木剣と木の盾とを手に取る。

 

「よし、それじゃあ、改めて始めようか!」

 

 

 木剣と木の盾を構え、リンクとギーシュは相対していた。少し離れた場所にはギーシュが魔法で作った小さな土の台があり、そこにデルフリンガーとミラーシールドとが立てかけられていた。リンクは広場を囲んでいる外壁の方にでも立てかけてやろうと思っていたのだが、当の相棒からは手厳しい注文が付けられた。曰く、広場の中央で稽古をする二人からは遠すぎる、このデルフリンガー様を除け者にしようってのか、と。これがまたぶーぶー文句を言って聞かないので、望み通りに対応してやることにしたのだ。

 地面に突き刺してやろうかとリンクは思ったのだが、ギーシュが土壁をわざわざ作ってくれたのでそれを使わせてもらうことにした。どうやら満足がいったらしく、先ほどまでぶー垂れていたデルフリンガーは、今は上機嫌で金具を鳴らしている。

 

「剣の動きの基本は大きく分けて三つ。横斬り、縦斬り、突き。これだけだ。後は向きと角度の組み合わせみたいなもんだ。右から振るか、左から振るか、みたいにな」

 

 そういって、リンクはギーシュに斬撃の見本を見せてやった。改めて目の前で目の当たりにするその剣速と斬撃の鋭さに、ギーシュは目を見開き、息を呑む。軽く振っているだけなのに、しかも手に握っているのは木剣であるにも関わらず、その身に受ければ斬り裂かれてしまうだろうことを疑わずにはいられない迫力が、リンクの素振りにはあった。振る度に鳴る、唸りのようにも聞こえる、自分のものとは比べ物にならない鋭い風切り音が、思わず背筋をひんやりとさせる。

 見本となる素振りを終えて構えを解いたリンクは、ギーシュに向き直って口を開いた。

 

「大事なのはとにかく剣をしっかり握ること、それとしっかり踏み込んで身体全体で剣を振ることだ。ま、なんとなくはわかるかもしれないけどな」

 

 そういうと、リンクはギーシュに近づき、すっと木剣をその右肩へ振り下ろした。肩に振れる直前、皮一枚もかくやというところでぴたりと木剣は止まる。

 

「っ!」

「ははっ、ちょっと驚いたか?」

 

 息を呑んで眉がぴくりと動き、目を見開いてギーシュの様子を見て、リンクはにっと笑いかけた。

 

「どんなに鋭い剣であっても、握りが甘いんじゃ刃なんて通りやしない。ただ落ちてきた木の葉が身体をなぞって落ちていくのと同じようなものになってしまうからな。これが一つ」

 

 リンクがぱっと左手の指の力を抜いて木剣の柄を支えるだけにし、ギーシュの肩へ押し当てると、木剣はその触れた点で押し戻されるようにして回転していく。木剣を押し返すようにしているのに、ほとんど力を受けていないように覚える肩の感触に、ギーシュは頷いた。

 それからリンクは握り直した木剣を今度は振り上げると、腕だけで剣を何度か振って見せた。

 

「で、もう一つ大事なことが身体全体を使うこと。こうやって踏み込みや腰のひねりを一切使わずに腕だけで振るんじゃ、どうしたって込められる力は限られるからな。剣の振れる範囲も狭くなるし、踏ん張ることだって出来はしないから、打ち合ったりしたら弾かれて手から吹っ飛んでくことになる。この二つが揃っていなきゃ、斬れるものも斬れないってことだ。……難しいのは、常に力を込めっぱなしでも身体が強張って上手く振れない、ってこともあるんだけどな。まあ、こっちは実際に動いていく中で掴めてくるんじゃないかな。でもって……」

 

 くるっと手の中で木剣を回してから左腕を下ろしたリンクは、今度は右手に握る、半ば掲げるようにして見せた木の盾の方へ視線を向けて口を開いた。

 

「盾で攻撃を受ける時の基本は、肘を伸ばしきらないこと。大事なことはたくさんあるけど、まあ、とにかくこれに尽きるかな」

「へぇ……」

 

 ギーシュに見えるように、横に向き直ってから、リンクは木の盾を構えて見せた。

 

「盾で攻撃を受けるってことは、その衝撃に耐えなきゃいけない。肘が伸びきってるとその時に盾が持っていかれたりして、衝撃を受けきれなくなるからな。構えた盾と体の向きに無理が出ると、当然耐えられらなくなるし」

「こ、こんな感じかな……?」

 

 リンクが説明しながら盾を構えて見せたのに合わせて、ギーシュは見よう見まねで自分も木の盾を構えてみた。その構えを見て、リンクは傍に立ってギーシュの腕や足などの身体に手をやり、動かしてやる。

 

「そう、そうやって構えるといい。こんな風に肘が伸びきってると持ってかれるからな。注意がいるのは敵からの攻撃は左右だけじゃなくって、上下にも方向があるってことかな。どうしても上や下からの攻撃は、つい腕だけで迎えに行くようにして受けるようになりやすいから、身体の使い方も大切になってくる」

 

 そういってリンクはギーシュの前に立つと、木剣を左右、そして上下から近づけてみて、それぞれのギーシュの盾の受け方に助言をしてやった。ギーシュはリンクの助言を復唱しながら、ぎこちない動きながらも、それに従って、構えをしてみる。そんなギーシュに、リンクは笑みを浮かべながら頷いた。

 

「よしよし、そんな感じだよ。これも慣れてくればただ受け止めるだけじゃなくって、攻撃に角度をつけて受けることでいなしたり、攻撃に合わせて盾をぶつけて弾いたり、なんてことも出来るようになる。戦う相手の攻撃をよく見なくちゃいけないし、盾を構えるとどうしても視界が遮られるから、このあたりは中々難しいけどな。……と、まあ、色々言ってはみたが……」

 

 そこでリンクはいったん言葉を切ると、最初の場所に戻って、再びギーシュに向き直って口を開いて明るい声で告げた。高ぶるような熱をリンクも心のどこかで感じているのか、その口元は緩やかな弧を描いていた。

 

「実際のところは自分の身体で覚えていくしかない。頭で分かった気にはなれても、身体がその通りに動いてくれるかはまた別の問題だからな。やってるうちに自然に身に付けるしかないんだ。まずは素振りでやってみな、ギーシュ。綺麗に振ろうだなんてことは思わなくていいから」

「ああ、わかったとも! よーし、やるぞぉ! えいっ! だあっ!」

 

 リンクの言葉を聞いて、どこか湧きたつような高揚感を胸の内に感じながらも引き締まった表情を浮かべ、ギーシュは木剣を握る手にぎゅっと力を込めた。ギーシュは勢いのいい返事を返し、気合を込めた掛け声とともに木剣を力の限り振る。振り上げ、振り下ろし、そしてまた振り上げる。その度に木剣が風を斬る小気味のいい音が耳に届いた。

 

「よしよし、その調子! 腕だけじゃなくて全身を使えよ! 踏み込むところからだ!」

「ああっ! えいっ! やあっ!」

 

 リンクは楽しそうに笑ってギーシュの素振りを見守りながら、気が回らずに疎かになった部分へ注意を向けるように、時折声をかけてやる。ギーシュは威勢よく返事をして、素振りを続けた。デルフリンガーよりずっと軽い木剣だったが、数回も振ったところで額にはじわりと汗が滲んできた。十五も超えてくるとそれは玉のようになってギーシュの金髪を濡らしていく。さらに続けていくと、腕が、足が、さらには全身の筋肉が、そして身体を巡る血が、熱を帯びたように熱くなってくるのを感じる。段々と息も上がって、切れ切れになってきた。

 

「はぁ、はぁ……! えいっ! くっ、はぁ……! だあっ!」

「へへっ! どうしたどうした、キザ坊主! もうへばっちまったかぁ!?」

 

 汗に濡れた髪を振り乱し、必死で木剣を振るギーシュに、野次るようにして叱咤の声をデルフリンガーがかける。発破をかけられたギーシュはぐっと眉を吊り上げ、気を吐いた。

 

「うっ、ま、まだまだぁ! うりゃああ! ふんぬぅ! ずおりゃああ!」

 

 自分を奮い立てるような渾身の叫び──意味の分からない奇声一歩手前にともすれば聞こえるような──をあげながら、ギーシュは素振りを続けた。縦斬りだけでなく、横斬りも、リンクの見よう見まねだが、込められるだけの力を込めて、全力で振り続ける。そんなギーシュを見て、デルフリンガーはどこか満足げな、弾むような笑い声を金具の鳴る音と一緒にあげた。

 

「へっへっへっ! いい気合じゃねぇか! 動きの方は拙いったらありゃしねぇが!」

「はっはっはっ! 最初なんだからそりゃあそうさ。 ほら、ギーシュ、また踏み込みが甘くなってるぞ! 腕も勢い任せに振ってるだけになってる!」

「は、は、はいいぃぃぃ! ふんぬぉぉっ!」

「ははっ! よし、いいぞ! 頑張れ!」

 

 それから、ギーシュの奇声じみた叫びと、リンクとデルフリンガーの叱咤、そして木剣の風切り音だけが、ヴェストリの広場には流れていった。

 

 

「……よし、そこまで! 少しは様になったんじゃないか」

 

 そうリンクの声がかかったのは、それから時間としてはそれほどではないものの、ギーシュがへろへろになるには十分すぎるほどの間があってからのことだった。息も絶え絶えのギーシュは、声をかけられた瞬間に足元の芝生へ体を思い切り投げ出し、どさりと倒れこんだ。なんだか今にも死にそうな声を絞り出して、なんとかリンクへ返事をした。

 

「そ゛、そ゛う゛がな゛……」

「やれやれ、五十やそこらでくたばってるようじゃまだまだだな! へへっ、だが、剣を振るってのがただ振り回すのとは訳が違うってのがよく分かったろ、キザ坊主!」

「よ、よぐ……、ごほっ、げほっ……わ゛、わ゛かっだとも……ごほっ! げほっ! がふっ」

 

 デルフリンガーは金具を鳴らして浮き立つような気分を表すはしゃいだ声をギーシュにかけた。ギーシュは何度も咳込みながら、相変わらずの死にそうな声でなんとか返した。盛大に咳込むギーシュに苦笑を浮かべながらも、リンクは口を開いた。

 

「あっはっはっ、最初から飛ばしすぎたかな……。続きはちょっと休憩して、息を整えてからにしようか」

「よ゛、よ゛ろしく゛……ひぃ……」

 

 倒れ伏したままひぃ、はぁ、と息を切らしているギーシュだったが、しばらくの間横になってただ呼吸だけして、草と土の匂い、そして、それを運んでいくように髪を揺らして抜けていく涼しい風とに気付くことが出来るまでに回復すると、ようやく一心地つくことが出来た。投げ出した木剣をもう一度握りなおし杖のように支えにしてむっくりと体を起こし、深く、深く呼吸をする。汗が前髪を滴となって流れていくのが見えた。絶え絶えだった息が落ち着くと、今度は身体がどこか遠くなったような、ずんと重たくなったような感覚が襲ってきた。それが一番ひどいのは剣を振っていた右腕だ。試しにデルフリンガーを振ってみた時にも同じような感覚を覚えたが、今のそれはさっきよりもずっと強いものだった。

 強い熱がこもってぎゅるぎゅると渦巻いているかのようにも感じられる腕をギーシュはぶらぶらと揺らしながら、リンクに向かって問いかけた。

 

「ふー……ふひー……はふー……ねえ、僕の腕、ちゃんとくっついてるかい? ちぎれてその辺に落っこちてるんじゃないだろうね?」

「ぷっ! あはははっ! 心配しなくてもちゃんとついてるよ! 安心しろって!」

 

 ギーシュが息を整えている間、デルフリンガーとミラーシールドを立てかけていた小さな土の台に腰を下ろしていたリンクは、半ば本気のような調子でそう聞いてくるギーシュの様子に、おかしそうに噴き出した。

 

「ははっ、冗談言えるくらいなら大丈夫そうだな。それじゃ、続きにしようか」

「いやー、あの、あながち冗談でもないんだけれど……」

「慣れるまではしょうがないさ。それより、今からが本番だぞ。さっきの素振りは準備運動みたいなもんさ」

 

 リンクは相好を崩したまま、明るい軽やかな調子でそういうと、木剣と盾を手に取り、ギーシュに向き合った。ギーシュもリンクに合わせるように、慌てた様子で立ち上がって、剣と盾を構える。左手で木剣をくるんと回しながら、リンクは言葉を続けた。

 

「次は打ち合い稽古。実戦さながら、実際に斬るつもりでお互いにやりあうってものだ。何にしたって、実際にやりあってみるってのがやっぱり一番の上達になるからな。その中で自然と剣の振り方、盾の使い方も身についてくるし、それらに限らず、足さばきなんかの動きも身についてくると思うよ」

 

 そういうとリンクは木剣の剣先をギーシュに向け、その澄んだ青い瞳で彼を見据えた。剣を向けられた。ただそれだけですうっと、辺りの空気が途端に引き締まっていくようにギーシュは感じた。ただの模擬の木剣のはずなのに放たれる静かな気迫が確かに感じられ、気圧されてしまいそうに思えてギーシュは思わず柄を握る手に力が入った。

 お互いに剣を向け合えば、剣先が触れ合いそうに思えるくらいの一定の距離を保ったまま、リンクはゆっくりとギーシュの周囲を回っていく。

 

「間合いを測りながら、相手の攻撃を時には躱し、時には受け流し、そして……」

 

 そう言葉を切ったリンクは、その瞬間、ギーシュの目から消え去っていた。ギーシュが次に知覚できた時には、既に木剣の剣先がその首元へぴたりと突き付けられていた。

 リンクは瞬きにすら満たない一瞬の間に距離を詰め、ギーシュの右手のすぐ脇に飛び込んでいた。雷光のような鋭さで振られた木剣の巻き起こした剣風は、ギーシュの首元を総毛立たせ、ぶわりと駆け抜けていくように過ぎていった。

 ギーシュは思わずぐっ、と息が止まった。再び息を吐き出すには、胸につかえたような何かを押し返すように力を込めなければいけなかった。

 

「相手の隙を突き、斬る——それは実戦と同じだ。模擬の木剣だってこと以外、何ら変わりはない」

 

 そう告げた声には聞く者を思わずはっとさせるような重い響きがあった。糸が張り詰めていくように、ギーシュは身体に緊張が走っていくのを感じた。冷や汗が背中を伝っていく。呼吸が一瞬乱れ、思わず跳ねた心臓の鼓動を無理やり落ち着かせるように、ごくり、と生唾を飲み込んだ。

 ほんの少しの間、リンクは真剣な視線をギーシュに向けていたが、ふっ、と笑いかけると、また明るい声に戻っていった。

 

「なんてな。ちょっと脅かすような感じで言ったけど、とにかく好きに打ってくればいいよ。どうやったら自分の剣が届くかってのを、考えながらな」

 

 突きつけていた木剣を元に戻して歩き出し、再び距離を取った。振り向いたリンクはギーシュに笑いかけて続けた。

 

「もちろん、俺の方からだって打ち込みに行くからな! ぼんやりしてたら青痣がどんどん増えていくから気をつけろよ!」

 

 発破をかけるような、それでいて弾むような調子の遊びに誘うようなリンクの明るい声に、ギーシュは息を大きく一つ吸い込み、ぎゅっと右手の木剣を握り直した。吸った息が胸の中で弾んで膨らむような、どこか落ち着かない、不思議な感触を覚えた。実力差が天と地ほどもあるのは百も承知だ。だがそれでも、これからやることはきっと楽しい。それを、ギーシュははっきりと信じられた。

 

「……よーし、わかったよ! だけど、僕だってただで打たれるつもりはないぞ!」

 

 返ってきたギーシュの答えに、リンクはふっ、と笑みをこぼした。それは、胸の中で弾む何かが、自然と漏れてきたせいなのかもしれなかった。ほう、と一つ小さな息を吐くと、いつもよりもほんの少しだけ、その吐息は熱を帯びているようになぜか感じられた。

 

「さあ、やろうぜ」

 

 微笑み、晴れやかな声でそう告げたリンクは、手にしていたその木剣を胸の前で捧げるようにして構えた。

 その姿は、陽光を背にしている訳でもないのに、なぜか眩しく思えて、ほんの少しの間、ギーシュは呆けたようにリンクを見つめていた。やがて、ギーシュはにっと笑みを浮かべ、力強く頷き返した。見よう見まねで、リンクのように剣を捧げ持つようにして、胸の前で構える。

 そして二人は、まるで拳を突き合わせるかのように、手にした木剣同士を打ち合わせた。次の稽古の始まりを告げるそれは、堅木のぶつかりあう、澄んだ音を広場へ響かせるのだった。

 




今回はギーシュくん、待望の……でした!
稽古はまだまだ続きますが、終わるころに彼の腕は無事なのか……!?

今回からいい感じの所で区切っていこうと思ってます。
これまでの投稿分も区切って編集しようかと……。


続きは二週後に投稿予定です!

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