ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

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使い魔の契約
使い魔の契約


 リンクはコルベールの叫びを聞き、自分の耳に気づいた生徒たちの顔がみるみるうちに青ざめていくのを見て困惑した。杖を構えたコルベール自身、冷や汗をかいて緊張を隠しきれずにおり、生徒たちの中には今にも気を失わんばかりに震えている者もいた。

 リンクは何が起こっているのかわからず、エポナと顔を見合わせた。いったい自分の耳が何だというのか。確かに彼らと自分の耳は大きく形が違う。彼らの耳は自分とは違って尖っておらず、丸い形をしていた。だが、それだけでこんなにもおびえたりするものだろうか。自分のことをエルフと呼んだようだが、その呼称についても心当たりはまったくなかった。

 

「えっと……、エルフって? そんなに耳の形が違うのがおかしいんですか?」

 

 頭頂部の光具合に自分よりもだいぶ年上と判断したリンクは敬語でコルベールに話しかけた。一方、コルベールはリンクがきょとんとして何も知らない様子なのに困惑気味だった。

 

「……君はエルフではないのかね? その長い耳が何よりの特徴のはずだが……」

「エルフってのが良くわからないけど、俺のようなハイリア人は皆こんな長い耳をしてますよ」

 

 エルフのことを知らない? 彼がもしエルフだとしたら、自分たちのことを知らないなんてありえるだろうか? この青年は今、自分のことをハイリア人といったか? 聞いたこともない単語だ。いったい彼は何者だ……? コルベールはリンクの様子に戸惑った。しかし、警戒は解かなかった。敵意がないとわかるまでは油断は禁物だ。杖を構えてはいないが未知の魔法を使ってくるかもしれないし、たとえ魔法を使わなかったとしても、今の間合いなら自分が魔法を放つ前に飛び掛られて、背中の剣で一閃の元に断ち切られてしまうかもしれない。リンクの鍛え上げられた体を見るだけで、コルベールにはその光景が容易に想像できた。

 

「……ハイリア人というのはよくわからないが……君は、エルフではないというのだな? 自分を人間であると……その……私たちに敵意は持っていないと?」

「……? そうですけど?」

 

 リンクは、何をわかりきったことを聞いてるんだ? 見ればわかるだろ? とでも言いたげに答えた。しかし、鋭い目つきで警戒心をむき出しにしている様子のコルベールを見ると、そんな言葉はどうにも口には出せなかった。

 

「えっと……俺がそのエルフってのだと何か問題でも?」

 

 リンクが頬を掻きながらコルベールにおずおずと訊ねた。

 

「……エルフとは、遥か東方の地に住み、自然と共に生きている種族だ。そして古来からわれわれ人間と争いを繰り返してきたのだ。なにより彼らは先住魔法という強力な魔法をはじめとして様々な力を持っていて、われわれにとっては恐怖の象徴となっているのだよ。天敵といっても良いくらいにね。そしてエルフの外見上の最大の特徴は長く尖った耳なのだ。まさに君のそれのように」

 

 コルベールがリンクの様子を伺いながらそう答えた。どうにものんきな彼の様子に、警戒を緩めそうになる心を叱咤し、杖を構え続ける。

 

「ああ……それだと警戒されるのも無理はないですね。ただ、俺にはあなた達を傷つける気なんてないですよ」

 

 得心のいった表情になったリンクはそう言うと、背中に背負っていた剣と盾をコルベールの足元に放った。ガシャンという無骨な音に、周りにいた生徒達はびくりと体を震わせたが、コルベールは微動だにせずにリンクの表情を見ていた。実に涼やかな表情だ。あからさまに警戒をされ、杖を突きつけられている最中にこんな表情が出来る者はそういない。しかも丸腰だというのにだ。

 

「……その言葉、嘘ではないようだが……失礼だが、体を調べさせてもらってもいいかね?」

「ああ、いいですよ」

 

 リンクの許可をもらったコルベールは、杖を握りなおすと、ディテクト・マジックを唱え、リンクの体を調べ始めた。結果は良くわからなかった。コルベールはこれまでエルフにディテクト・マジックをかけたことはない。正解を知らないのだから比べようがなかったのだ。確かに魔力は感じる。だがそれがエルフだという証拠にはならない。貴族を始めとして、時には平民の中にだって魔法の使用の有無こそあれ、何かしら魔力を持っているものはいるのだ。

 わからない点は数多い。コルベールは迷った。だが、武器を躊躇(ためら)うことなく放棄して敵意のないことを示した様子とリンクのその真っ直ぐな眼差しに、コルベールはリンクの言葉を信じることに決めた。何かあった場合には自分が必ず止めて見せるという覚悟と共に。ようやくほっと一息ついたコルベールは、杖を懐へと仕舞い、リンクにあなたのことを信じましょう、と告げると、周りで不安げにしている生徒達のところへと向かった。

 

「それで、ここはどこなのか教えてもらってもいいかな? 君が召喚したってさっき言っていたけど」

 

 コルベールが、リンクは我々に害をなすエルフではなく、人間であるから安心してよい! と宣言し、生徒たちがようやく一息ついたところで、リンクはルイズに話しかけた。ルイズは、自分がとんでもないことをやらかしてしまったのではないかと青くなっていたところで、ようやく一安心したところだったので、慌ててリンクに答えた。

 

「え、ええ、そうよ。私があなたを召喚したの! ここはハルケギニアのトリステイン王国魔法学院よ!」

「トリステイン? 聞いたことないな……俺はハイラルから来たんだけど……」

「ハイラル? どこよそれ?」

 

 リンクはルイズの答えと反応に苦笑した。トリステイン王国なるものはリンクのこれまでの長い旅のなかでも、一度も聞いたことのないものだった。そして、彼女もまたハイラルのことを全く知らないようだ。

 リンクは以前にも似たようなことがあったことを思い出した。タルミナという、ハイラルにどこか似た世界に迷い込んだ時のことだ。あの世界の住人も、今のルイズと同じようにハイラルのことは何も知らなかった。だとすれば、自分はもしかしたらタルミナの時と同様に、このハルケギニアという異世界に迷い込んでしまったのか。あの時は、時のオカリナとエポナを奪い去った子鬼(スタルキッド)を追いかけた先にあった、巨大な樹のうろに開いていた奈落(ならく)に落ちたためだった。それが今度は間抜けにも壊れかけのベッドから落ちたせいか。そう思うとリンクはなんだかおかしくなって笑ってしまった。

 

「まあ、どこから来たかなんて些細な問題だわ! 次は、コントラクト・サーヴァントの儀式をしなきゃ!」

「よろしいのですか、ミス・ヴァリエール? 人間が召喚されるなんて前例のないことですし、なんなら召喚をやり直しても……」

「いいんです、ミスタ・コルベール。私、さっき誓ったんです! どんな使い魔でも、きっと大切にするって!」

 

 ルイズは決意を込めてきっぱりと言った。コルベールも、ルイズの固い意志を感じ取ったのか、口を挟んだのはそれだけで、後は黙っていた。

 

「使い魔? 俺が?」

「ええ、そうよ! 私はあなたのご主人様! あなたはこれから、私の使い魔として私に仕えるの!」

「……それは困る。俺は元いた場所でやることがあるんだ。帰らないと」

 

 リンクはきっぱりと言った。彼はずっと元の世界で旅を続けていた。時を越えた冒険を終えて別れた、大切な友達を探す旅だ。再会できないままに、もう何年も経ってしまい、彼自身も、いつの間にか幼い少年から凛々しい青年となっていたが、もう一度逢うことが出来るまで諦めるつもりは欠片もなかった。ルイズは、リンクの言葉に呆然となった。

 

「帰る……? どうして……? 私のために、来てくれたんじゃないの……?」

「気がついたらここにいただけだよ。理由はよくわからないんだけど……」

「でも……でも! 帰る方法なんてないわよ! 召喚の儀式は呼び出すだけだもの!」

「それなら探すさ。呼び出す方法があるなら、きっと送り返す方法だってあるはずだ」

「……じゃ、じゃあ、あの馬! あっちを使い魔にするわ!」

 

 そう叫ぶとルイズはリンクの後ろにいたエポナに近づこうとした。だが、エポナはルイズが近寄ろうとした瞬間にいななくと逃げ出してしまい、リンクが止める間もなく、とても捕まえられないような距離まで離れていってしまった。

 

「そんな……」

 

 ルイズはその場にぺたんと座り込んでしまい、呆然として呟いた。契約の儀式をしようとしないルイズを見て、周りの生徒は怖がらせてくれた仕返しとばかりにルイズを囃し立て始めた。リンクがエルフではないと安心すると、彼らはもういつもの調子に戻っていた。どうやら剣と盾を背負った風変わりなリンクの格好から、彼のことをメイジではなく、ただの旅人のようなものだと考えたようだ。魔法を使うメイジならまず杖を持っているはずだからだ。

 

「なんだ、召喚した使い魔に拒否されているのか」

「さすがは『ゼロ』のルイズだな! エルフもどきの平民に馬を召喚したかと思えばそいつらにすら拒絶されるなんて!」

「召喚の才能もゼロだったのか! ハハハッ!」

 

 ルイズはその野次にうつむいてしまった。普段だったら野次を飛ばしてきた相手に食って掛かっているのだが、今はそんなことは出来なかった。ルイズはうつむき、悔しさで肩を震わせていた。

 

「『ゼロ』?」

「……私の二つ名みたいなものよ……素質がある人なら誰もが使える、それこそ、やっと杖を持ち始めた子供にだって扱える魔法も、私は使えない……全部、全部! 爆発するだけ! ついたあだ名が『ゼロ』のルイズ! 役立たずの落ちこぼれってことよ……! 使い魔を召喚できたら、私はゼロなんかじゃない……! ……そう、思ってたのに……あなたがいなくなったら……私には、もう、なんにも残ってない……」

 

 ルイズは声を震わせて呟くように言った。目から溢れた涙がぽたり、ぽたりと草の葉を濡らした。

 

 リンクは、そんなルイズの姿に、コキリの森にいた頃の幼い自分を思い出した。相棒の妖精が必ずいるコキリ族の中で、一人だけ妖精がいなかった自分。『妖精なし』と、いつだって馬鹿にされていた。馬鹿にしてくるミドたちとはいつも喧嘩をしていたが、本当はずっと、自分だけの妖精がいる彼らが羨ましかった。

 そんな時に、妖精のナビィは自分のところにやってきてくれたのだった。初めて出会った時のことは今でも鮮明に思い出せる。やっと自分が本当のコキリ族として認められたような気がして無性に嬉しかった。

 

 彼女は、あの頃の自分と同じなのだ。半人前とずっとずっと馬鹿にされてきて、ようやく自分の相棒とめぐりあえた。もしあの時、やっと出会えたナビィに拒絶されていたとしたら、自分はどうなっていただろうか。きっと、深く絶望していたのではないだろうか。自分は今、彼女にそれと同じ事をしようとしている──。

 

 リンクは目を閉じふぅーっと静かに息を吐き出したが、ふっと笑みを浮かべると、うつむいたままのルイズの肩に優しく手を置いた。

 

「……わかったよ。君の傍にいる」

「本当!?」

 

 ルイズは弾かれたように顔を上げた。──いいじゃないか。元々、何かあてがあって旅をしていたわけでもない、少しくらい寄り道があったっていいだろう──それに、もしここにナビィがいたとしたら、女の子を泣かせるな! なんて、頭をボンボコ叩かれながら怒られそうだ。そうリンクは思った。そして、ルイズに優しく笑いかけながら言った。

 

「それにね、ルイズ。君はゼロなんかじゃないよ。俺をちゃんと召喚してみせたじゃないか。ルイズが魔法を成功させたから、俺は今ここにいる。君は立派な魔法使いだよ」

「……ほんとうに……そう思う……?」

「ああ」

 

 ルイズは涙に顔を濡らしたまま、リンクを見つめた。リンクの青い瞳は、優しい光をたたえて、ルイズをまっすぐに見つめている。自分をこんな風に認めて、受け入れてくれる人は、それこそ下の姉くらいしかいなかった。

 適当なお世辞で言ってるだけじゃないかと、心のどこかでは思った。うわべだけの言葉を掛けてくる人たちなら今までもたくさんいた。裏では自分のことをいつだって馬鹿にしていた人たちだ。ヴァリエール家の使用人にすら、ルイズはいつも陰口を叩かれていた。優秀な姉たちに比べてなんて無様なのだ、と。彼らは皆、貴族失格の落ちこぼれだと蔑みの目で自分を見ていた。いつもルイズの心を傷つける、嘲りの視線に彼女は敏感だった。だが、リンクの真剣なまなざしを見ると、そんな考えはどこかに行ってしまった。この人は本気で言ってくれてる。出会ったばかりの人なのに、不思議と、そう信じられた。

 

「さあさ、ミス・ヴァリエール。そしてリンク。コントラクト・サーヴァントの儀式を行いなさい。随分と時間も経ってしまいましたしね」

 

 コルベールは二人の話がまとまったのを見ると、声をかけて儀式を行うよう声をかけた。既に太陽は西に傾きかけてその身を隠そうとしていて、陽光には茜色が混じり、彼らを照らしていた。ルイズはごしごしと袖口で涙を拭い、すっくと立ち上がった。

 

「はい!」

 

 ルイズはリンクを見つめた。リンクも真剣な表情でルイズを見返していた。なんて凛々しい人なんだろう。ルイズは素直にそう思った。これからすることを考えると、頬がかぁっと紅くなった。なに考えてるのルイズ! これは使い魔の契約なんだから! そ、そんな、変な意味なんかないわよ! と、彼女はぶんぶんとかぶりを振り、気を取り直して杖を構えた。

 

「それじゃ、リンク。やるわよ!」 

「ああ」

 

 ルイズはすうっと息を一つ吸うと、コントラクト・サーヴァントの呪文を唱えた。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

 そして、ルイズはリンクの肩に手をやってぐっと引き寄せ、爪先立ちになって目を閉じると、そっとその唇にキスをした。リンクは予想だにしなかった事態に目を見開いた。口付けを交わしていた二人だったが、数秒そのままでいるとルイズがすっと離れた。ルイズは顔を真っ赤にして、ほう、と静かに息を吐くと、先ほどまでリンクのそれに触れていた唇をそっと撫でていた。

 

「なっ! な、なにを!?」

 

 リンクは顔を紅くしながら慌てた声を出した。儀式という厳かな言葉からはかけ離れた行為に、予想を裏切られ、慌てふためいてしまった。なによりどうにも気恥ずかしい。

 

「つ、使い魔の契約はキスで行われるの! 感謝なさい! この私のふぁ、ファーストキスなんだから!」

 

 ルイズはどきどきと高鳴る胸の鼓動を抑えながら言った。今も唇に残る感触を思い出すと口からそのまま心臓が飛び出してきそうだった。

 リンクが声を返そうとすると、左手の甲が熱を帯びたように疼き、強く光った。グローブを脱いで見てみると、何かの文字のような紋章が浮かび上がって光を放っていた。だが、その上へと重なるように、三つの三角形が組み合わさり、一つの大きな三角形を形作った紋章が黄金に強く光り輝き、文字のような紋章は薄くなっていき、じきに消えてしまった。後には、元々リンクの左手に宿っていた勇気のトライフォースだけが光り輝いていた。

 

「リンク、痛くないの? ルーンが刻まれるのってすっごく痛いはずなんだけど……でも、ちゃんと成功したみたいね」

 

 ルイズは安心したように言い、まあ、成功して当然だけど! と続けて、満足げにその可愛らしい鼻からふんす、と息を吐き、その慎ましやかな胸を堂々と張っていた。

 

「おや、これは……見たことのない、珍しい契約の紋章だ……スケッチをとらせていただこう……」

 

 そう言うと、それまで見守っていたコルベールは、懐からペンと紙を取り出し、さらさらとリンクの左手の紋章を書き写していった。

 

「契約の紋章? いや、これは俺の左手に元々あったものですけど……」

「まさか、契約を交わす前には光っていなかったではないですか」

 

 リンクの言葉をコルベールはむべもなく受け流した。勇気のトライフォースも、力を込めなければ普段はただの痣でしかない。信じてもらえなくとも無理はなかった。説明してもまた軽く流されそうなので、リンクはそれ以上反論せずに、小さくため息をつくと黙ってコルベールがペンを走らせるのを眺めていた。そうこうしている間にエポナが戻ってきたので、今度は逃げたりしないようにエポナの首筋に手をやってなだめながら、リンクはルイズに問いかけた。

 

「ルイズ、エポナにも契約をしなくていいのか?」

「使い魔はメイジ一人に対して一匹のはずだから……まあ、あなたは一人だけど……ちゃんと契約は出来たみたいだから必要ないと思うわ。それにその馬、エポナ? は、私と契約する気が無いみたいだしね……」

 

 ルイズは恨みがましいような表情でエポナを見ながらそう言った。リンクは苦笑しながら答えた。

 

「気を悪くしないでくれよ。こいつは結構気難しい奴でさ。気に入った相手じゃなくちゃなつこうとしないんだよ。今度こいつが好きな歌を教えてあげるよ。エポナの前で歌えばきっと君にもなついてくれるさ」

 

 ふーん、ほんとかしら? といってルイズが不満げに頬を膨らませていたところで、コルベールがスケッチを終えて声を上げた。

 

「みなさん、それでは今年の使い魔召喚の儀は終了です! 学院に戻りましょう! リンク、あなたの馬は学院の厩舎で世話になると良いでしょう。多くの馬を飼育していますから。学院の皆はあなたを見れば初めは驚くでしょうが……ミス・ヴァリエールの使い魔として契約し、敵意の無いことを話せばきっと大丈夫でしょう。もちろん私も皆に説明をしますから。もし何か困ったことがあれば私に相談してください。力になれることなら喜んで手伝いましょう」

 

 そう言うと、コルベールはフライの魔法でふわりと空中に浮かび上がり、学院に向かって飛び立っていった。周囲にいた生徒たちも、同じようにフライの魔法で飛び立っていった。風竜を召喚したタバサは、キュルケと使い魔のサラマンダーと一緒に、その背に乗り込んでいた。

 

「ルイズ! 君は飛んで帰らないのかい!?」

「おいおい、ルイズはフライなんて使えないよ! あの使い魔だって飛べるわけないじゃないか!」

「そう言えばそうだったな! 君はゆっくり歩いてきなよ! 到着するのは僕らが夕食を食べ終わったころになるかもしれないけど! ハハハハ!」

 

 さっきルイズを馬鹿にしてきた男子生徒達だ。彼らも浮かび上がると、笑い声をあげて学院に戻っていった。

 ルイズはぎゅっと唇をかみ締めた。追いかけていって向う脛の一つでも蹴飛ばしてやりたかったが、飛ぶことが出来ないのだからどうにも出来なかった。そんなルイズに、リンクの問いかける声が聞こえた。

 

「……一番早くあそこに着けば、少しはあいつらの鼻も明かせるかな?」

 

 エポナに手慣れた様子で鞍と旅の荷物をくくりつけ、ルイズのすぐ隣に立ったリンクが、遠くに見える学院の塔を指差して言った。先ほど魔法で飛び立った生徒達にはもう大分離されている。

 

「魔法で飛んでるあいつらよりも速く? そんなことすればそりゃあみんな驚くでしょうけど……無理よ。みんな空飛んでるのよ? あなたの馬はそりゃ立派だけど……そんな大荷物に加えて、人二人も乗せて追い越せるわけが……」

「やってみなくちゃわかんないさ!」

 

 いたずらっぽくそう言うと、リンクはエポナの背にひらりと跨った。顔には不敵な笑みを浮かべている。エポナもぶるるっと鼻を鳴らした。どうやら彼女もやる気満々のようだ。ルイズが無理だと言ったことが気に障ったのかもしれない。なにせハイラル一の駿馬とうたわれたエポナである。私の力を見せてあげるわ! とでも言いたげにその目はきらっと光っていた。

 

「さあ、行こう!」

「きゃっ!! ちょ、ちょっとリンク! あ、あなた、手綱は!?」

「そんなものいらないよ!」

 

 リンクはルイズの手を掴むと、優しく、しかし力強く、ぐいっと引き上げて自分の前に座らせ、そのまま右腕でしっかりと抱いた。リンクのたくましい腕に引き寄せられたルイズは間近で見上げたリンクの横顔にどきりとさせられた。

 さっきからこの人には驚かされてばかりだ。エルフそっくりの尖った長い耳に、悶絶するほどの苦痛を受けるはずのルーンの刻印は、全く痛まない様子だった。自分が華奢な体格でいくら軽いとは言っても、腕一本で馬上に苦もなく引っ張り上げてしまった。

 手綱だってそうだ。手綱は馬を御するのに大切な道具だ。進みたい方向や減速、停止など騎手が自分の意図を馬に伝えられるのは手綱があってこそだ。ルイズだってもちろん乗馬の経験はあるが、手綱なしで馬に乗ることなんて出来ない。たてがみを掴んでいようにも握力が長い間は持たないし、姿勢も安定しない。微妙な体重の掛け方で馬に自分の意図を伝えることなんて出来そうにもない。それをリンクはやってのけるというのか。

 

「行くぞ! エポナ!」

 

 リンクが声をかけるとエポナは力強くいななきながら後脚で立ち上がった。急な動きにルイズは慌てたが、彼女を抱きかかえて支えているリンクの体は少しも揺らがなかった。

 

「はっ!」

 

 リンクが叫ぶと、エポナはどかりと前脚を地面に突き下ろし、夕暮れの草原を疾駆した。ルイズは驚いた。こんな速度で走る馬にはいままで出会ったことがなかった。頬に叩きつけてくる風と、後ろに吹っ飛んでいく景色がどれほどの速さで自分達が今動いているのかを教えてくれた。驚いたルイズの顔を見て、リンクはにやっと笑った。だから言ったろ? やってみなくちゃわからないって。彼の顔はそう言っていた。

 

 

 最後尾にいた生徒たちは既に追い抜き、遥か後方に置き去りにしていた。呆然として、口をあんぐり開けたその顔はなんだかおかしかった。すぐ前の上空には先ほど馬鹿にしてきた男子生徒のグループがいた。疾走するエポナの蹄が大地を蹴りつける音に気がついたのか、こちらに振り向いている。追い抜いた生徒たちと同じく、皆呆気にとられた顔をしていた。だが、彼らがルイズの視界に入っていたのも一瞬のことで、あっという間に後ろに過ぎ去ってしまった。

 エポナはぐんぐんと草原を走る。リンクの馬術も素晴らしかった。草原と言っても平坦なわけではない。走るのに邪魔となる起伏や段差、岩などが当然存在している。エポナとリンクは心が繋がっているかのように、時には左右にさっと馬首をめぐらせ、時には宙へとその身を躍らせ、いともたやすくそれらを避けていった。

 

 リンクの体に腕を回して、ぎゅっとつかまっていたルイズに、頭上から影が差した。顔を上に向けると、大きな風竜が自分たちのすぐ上を飛んでいた。背からはキュルケとタバサの顔が覗いていた。後ろをちらりと見ると、既に先頭にいたはずのコルベールも追い越していて、今ではずっと小さく見えるくらいに引き離していた。いまやエポナに追いついているのはタバサたちだけだ。遠くに見えていた学院の門ももうすぐそこまで迫っている。

 

「……シルフィード、ムキになっちゃダメ……」

「風竜より速いなんて……すごいわね……」

 

 タバサは身の丈を超える長い杖を抱え、困惑した顔で自分の使い魔を諌めようとしていたが、当の風竜は聞く耳を持っていないようだ。くるるる、と楽しげな声を出し、瞳はいたずらっ子のようにきらきらと輝いていた。どうやらエポナより速く学院に戻るつもりらしい。タバサは深いため息をつくと声をかけるのを諦めた。キュルケの方は、吹き付ける風に乱れる髪を押さえながら、エポナの走りに驚いていた。リンクはエポナがちらっと自分の方を振り返るのを見ると、微笑んで頷いた。

 

「はいやっ!」

 

 リンクが叫ぶと同時にエポナの腹に蹴りを入れると、エポナはさらに加速した。シルフィードもそれに負けじと翼をはためかせた。竜と馬は横並びとなって、学院の門に凄まじい速度で迫っていった。門前に控えていた衛兵たちが、轢かれないように慌てて門から離れたところで、シルフィードとエポナが同時に門をくぐった。二頭が巻き起こした風がゴオッと音を立てて吹き抜けていった。衛兵たちは驚きで顔を見合わせるばかりだった。

 トリステイン魔法学院は、中央に高くそびえる本塔とその周囲を囲む壁、それと一体化した五つの塔からなっていた。五つの塔は、本塔を中心にした五角形の頂点に位置していて、それらの間は広大な広場となっていた。馬で走りまわるのにも十分なくらいの広さがある。リンクはそんな学院の広場の中に入るとエポナを止めた。エポナは全力で走って満足したのか、楽しげな声でいななくと、リンクのほうに目を向けていた。まるで褒めて! 褒めて! とでも言っているようで、リンクはエポナの首を優しく撫でた。エポナと競争していたシルフィードもそのすぐそばにふわりと着地すると、背に乗っていたタバサとキュルケを下ろした。タバサはシルフィードの前に回ると、持っていた杖でシルフィードの頭をゴツンと叩いた。

 

「きゅるる!」

「……言うこと聞かなかった罰」

 

 シルフィードの悲しそうな抗議もタバサは無視し、やれやれとでも言いたげに深いため息をついた。キュルケはタバサとシルフィードにお礼をいうのもそこそこに、リンクたちの傍に駆け寄ってきた。

 

「あなたすごいのね! あんなに速く、美しく走る馬は見たことないわ! しかも手綱なしであれだけ見事に操るなんて……」

 

 リンクはルイズの背中と膝の裏に腕を回して、横抱きで抱えあげると、馬上から地面に降り立ち、優しくルイズを下ろした。ルイズは頬を染めたまま、乱れた髪もそのままに、リンクとエポナを見てぼうっとしていた。まさか本当に一番で帰ってこられるとは思わなかった。

 

「自慢の相棒だからね。エポナっていうんだ」

 

 リンクは笑みを浮かべてキュルケに答えた。

 

「挨拶が遅れてごめんなさい。私はキュルケ。こっちは私の友人のタバサよ。よろしくね」

「……よろしく」

「俺はリンク。こちらこそよろしく」

 

 笑顔で自己紹介したキュルケと、無表情で言葉少なに挨拶してきたタバサに笑顔で応えるリンク。

「……あなたは一体何者?」

「そうよ、ホントに人間? 実はエルフなんじゃないの?」

 

 タバサが探るような目つきでリンクに問いかけた。キュルケもそれを聞いて勢い込んで声を上げた。

 

「耳は尖っちゃいるけど、俺はハイリア人──ハイラルの人間で、君らの言うエルフじゃないよ。敵意なんか持っちゃいないさ。ハイリア人は皆こんな耳をしてるんだ」

 

 苦笑を浮かべ、青いイヤリングを着けたその長く尖った耳を示しながら、もう何度目かになる言葉をリンクは繰り返した。

 

「ハイラルとかハイリアとか……聞いたことも無いわね。あなた随分遠くから来たのね」

 

 キュルケが聞き覚えの無い単語に首を傾げながらそう言った。

 

「確かに随分遠くからかもしれないな。ハルケギニアとは違う世界だから」

「「違う世界?」」

 キュルケとルイズが思わず声を重ねていった。突拍子も無いことに二人で顔を見合わせる。タバサは表情を変えずにただじっとリンクを見ていた。

 

「話を聞いた限りじゃ、そう思うけどな。誰もハイラルのことや、この紋章のことを知らないだろ?」

 

 そう言って、リンクは自分の左手の甲を見せた。左手にはトライフォースが静かに光っていた。三人はふるふると首を横に振った。ハイラルという地名はこれまで聞いたことがない。リンクの左手で光る三角形の紋章についてもそうだ。リンクは三人の反応を見てやっぱり、と言うように頷いた。トライフォースはハイラル王家の紋章でもある。ここがハイラルの存在する世界ならば、それを誰もが全く知らないなんて事はまずないことだった。

 

「逆に、俺はハルケギニアやトリステイン、使い魔のことなんかはまったく知らない。なら異世界に来たと考えた方が自然だと思ってさ」

 

 それに異世界に来るのは初めてじゃないし、とリンクはタルミナを思い出して心の中で思った。リンクの言葉を聞いたキュルケは笑って言った。

 

「あはは! 異世界の剣士、ね~! いきなりそんなこと言うなんてあなた面白いわね!」

 

 冗談としか受け取っていないキュルケの様子に、リンクは苦笑して頬を掻いた。もっとも、信じられなくとも仕方ないだろうとリンクは思った。自分だって逆の立場だったら、風変わりな格好をした人が変なことを言っているだけだと受け取ってしまうだろう。ルイズは迷っているような表情を浮かべていた。タバサは相変わらず表情を変えることなくリンクに顔を向けていた。

 キュルケはひとしきり笑い終わると、一息ついて言った。

 

「ふぅ……まあ何にしろ、ルイズ、あんた確かにすっごい使い魔召喚したみたいね」

 それに、ものすごい男前だし! とキュルケはリンクに流し目を向けながら続けて言った。それまで戸惑うような表情を浮かべていたルイズは、褒められて満更でもないようで、得意げな顔になって言った。

 

「ま、まあ、なんてことないわよ。このルイズ様にかかれば朝飯前よ!」

「ま、私のフレイムには敵わないけどね~」

 

 そう言うとキュルケは自分の使い魔のサラマンダーに満面の笑みで頬ずりし始めた。

 

「な! サラマンダーったって、ただのトカゲでしょ! リンクの方がすごいわよ!」

「なんですって! 聞き捨てならないわね、ヴァリエール! 私のフレイムを侮辱するの!?」

 

 ルイズとキュルケはぎゃーぎゃーと口げんかを始めてしまった。何を言っても無駄な気がしたので、リンクは放っておくことにした。

 

「……厩舎はあっち。学院にいる人たちもあなたに気づいたようだし、騒ぎに巻き込まれる前に早く行った方がいい」

 

 騒ぐキュルケとルイズを無視して、タバサは学院の馬たちが飼育されている厩舎を指差してリンクに言った。リンクが学院の本塔の方を見てみると、扉の影からこちらの様子を伺う人たちが見えた。服装からするとルイズたちと同じく、学院の生徒のようだ。信じられないものでも見るような表情を浮かべ、互いにこそこそと話をしていたが、リンクと目が合うと途端にぎょっとして隠れてしまった。それでもちらりとこちらを再びうかがってくる辺り、突然の尖った耳の持ち主の出現に気が気でないようだ。門の方を見ると、コルベールや生徒たちがようやく到着するところだった。彼らに対する説明はコルベールに任せて、恐怖の象徴と受け取られかねない自分は離れた方が良さそうだ。

 リンクはタバサの気遣いにありがとうと礼を言うと、エポナを連れて厩舎のほうへ歩き出した。遠ざかるリンクに気づいたルイズがその背に声をかけた。

 

「リンク! 終わったら話があるから私の部屋で待ってて! その辺のメイドに聞いたら場所はわかると思うから!」

 

 リンクは振り返ると手を振って応えた。ルイズがほっとしたのも束の間、リンクが離れていった途端に、大勢の生徒たちがルイズたちを取り囲んで矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきた。事態を察したコルベールが混乱を抑えるために声を張り上げてリンクが何者かを説明しようとするが、騒ぎを聞きつけて後からやって来た他の生徒たちや、使い魔召喚の儀式に参加していた生徒らも加わり、大騒ぎになってしまった。リンクの最も近くにいたために一番の質問の的となっていたルイズ・キュルケ・タバサの三人は、やっとのことで質問を浴びせてくる生徒達を振り切り、食堂にたどり着いたころにはくたくたになっていた。

 

 


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