ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

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『土塊』を追え② 戦い、そして彼女の秘密

 リンクは相対する、遥か見上げる高さの巨大なゴーレムを仰ぎ見た。その右肩にはフーケは立っていて、こちらを怒りの形相で見下ろしている。そしてゴーレムは昨夜とは違い、全身が鈍い黒色になっていた。フーケが二度目に唱えたルーンで何かを仕込んだに違いなかった。しかし、リンクは表情を変えない。相手がどうであろうと自分がやるべきことに変わりはない。

 盾を構え、剣をくるりと回し、その切っ先をゴーレムへと突き付け、ただ短く告げた。

 

「行くぞ」

 

 刹那のうちに、リンクはデルフリンガーによる斬撃をゴーレムの左足めがけて叩き込む。強烈な一撃。しかし、それは昨夜のようにその足を両断することはなかった。鉄の塊同士が打ち合った時のように、激しい金属音が響くと共に、ぱっと火花が散る。それと同時に手の芯に伝わってくる、鈍く、重い感触。分厚い鎧に向かって斬りつけた時と同じ感触だ。斬撃の痕は傷となっているが、それでも浅いものだ。動きを制限するようなものではない。リンクは思わぬ結果に舌打ちをする。

 

「ちっ、随分と硬いな……」

 

 フーケの高笑いが頭上から降ってくる。

 

「あっはっはっ! 簡単に斬れるとでも思ったかしら!? 残念だったわね! 昨夜のようにはいかないわよ! あなたの剣を受けても簡単に壊れないように、ゴーレムをちょっぴり強化させてもらったわ!」

 

 フーケの言葉に、デルフリンガーは歯噛みするように唸って声を上げた。

 

「うぅむ、奴め! 杖を振って何をしたかと思えば、ゴーレムの身体を『錬金』で鉄に変えやがったな! 相棒、こりゃあ一筋縄じゃ行かねえかもしれねえぞ!」

「そうよ、中身全てまでとは流石にいかないけれど、表面から相当な厚さ分を鉄に変えさせてもらったわ! さっきまでの土塊で出来たゴーレムなんかとは訳が違う! とても剣なんかじゃあ、斬ることなんて出来やしないわ! さあ、それじゃあ次はこちらの番といきましょうか!」

 

 フーケはそう叫ぶと鉄の身体のゴーレムを操り、腕を振り下ろさせた。その強襲をリンクは飛びのいて辛うじて躱す。鉄の腕が地面に振り下ろされ、その周囲は地震のように強く揺さぶられる。木々は揺らぎ、ざわめく。

 

「これで終わりじゃないわよ! あははっ! どこまで躱してられるかしら!?」

 

 フーケの高笑いと共にゴーレムはさらに攻撃を繰り出してくる。その動きは学院を襲った時のものとは比べ物にならない程、精確な上に機敏だった。リンクは身をかがめ、地面を転がって身を躱し、時にはいなすようにデルフリンガーとミラーシールドをその攻撃に打ち当てるようにすることで何とか凌ぐ。その合間にわずかな隙を見て何度か斬撃を浴びせるものの、それらはやはり浅い傷をつけるばかりで芳しい効果を上げることはなかった。殴りつけようとしてきた拳を躱し、伸びきった右腕の手首、肘裏、そして脇へとデルフリンガーで斬りつけるも、変わらぬ感触しかなく、リンクは宙返りで距離を取ってからまた舌打ちをする。

 

「……ちっ、関節なんかも強度は特に変わらずか。魔法で動いてるってんだから、納得はするが……」

「けっ、ゴーレムの癖して中々やるじゃねぇか! 直接、術者が操ってると流石に動きもいいな! さて、どうするよ相棒!?」

「そうだな、このままでも斬れなくはないが……大分、骨が折れるな」

 

 距離を詰めてきて再び殴りかかってきたゴーレムの攻撃を躱しながら、リンクはデルフリンガーの言葉に応じる。デルフリンガーはまた金具をガチャガチャとやって声を上げる。

 

「さっきの大技はどうだ!? 魔力を込めた斬撃ってやつよ! 初めての感覚に流石の俺様も声が上げられなかったが、あれなら奴もぶっ飛ばせるんじゃねぇのか!?」

「そうかもな……出来れば、あの人から話を聞けるように取り押さえたいんだが……」

 

 デルフリンガーの問いに対するリンクの答えはどうにも歯切れが悪かった。フーケは盗賊だ。これまで多くの宝を貴族たちから盗んできた。それに、こうして今、自分たちに襲い掛かっても来ている。だが、それでもリンクには、どうしても彼女のあの目が、道中で見せた、あの憂いを帯びた物寂しい表情が引っかかって離れなかった。

 迷うリンクに向かって、デルフリンガーは声を張り上げる。

 

「まあ、いいんだがよ! だが、ただこのまま凌ぐだけっていうんじゃあ、段々と厳しくなってくるぜ!」

「ああ、わかってるさ!」

 

 デルフリンガーの言う通りだった。こちらから攻める気もなく、ただただ凌いでいるだけであれば、いくらリンクであってもいつかは疲れが出てくる。動きが鈍ってくれば、ゴーレムの攻撃も捌き切れなくなってくるだろう。だが、フーケは完全にリンクをターゲットに集中し、絶え間なく攻撃を続けていた。時折、ゴーレムの背中にはキュルケの火球とタバサの氷柱が放たれていたが、目立った効果は無かった。リンクが望むような手段を取るには、少しの間でよいから注意を他に向ける必要があった。

 

 

 

 

 

「ちっ、ダメね……全然効いてないみたい」

 

 火球に何の反応も示さず無視して動き続けるゴーレムに、キュルケは歯噛みした。強化されたゴーレムの身体に、火球はかき消えてしまう。タバサの氷柱も砕け散るばかりだった。

 

「……リンクを助けなきゃ」

 

 相対するゴーレムとリンクから距離を取った上空にとどまるよう、翼をはためかせて飛んでいたシルフィードの背で、ルイズは呟くように、だがはっきりといった。

 

「タバサ! ゴーレムの後ろに回って!」

「————何をする気?」

 

 シルフィードへ命令を伝えて旋回させてから、タバサはルイズへ振り向く。ルイズは決意を込めた視線をタバサに返して口を開いた。

 

「リンクを助けるの。私は二人みたいに遠くから魔法を撃てるわけじゃないから、もっと近づかないと」

 

 そうしてルイズはシルフィードの背の上で立ち上がる。風に髪が激しく煽られるが構いやしなかった。その目はまっすぐにゴーレムを操るフーケを見据えている。

 

「私の魔法は爆発ばっかりだけど、それでも一緒に戦うのは出来る」

「ルイズ! そんな無茶を……!」

「悪いけど、レビテーションをお願いね」

 

 キュルケの止める言葉を最後まで聞くこともなく、ルイズはそう言い残してシルフィードの背から飛び降りた。

 

「ちょ、ちょっと! 待ちなさい!」

「————っ!」

 

 キュルケは叫んでシルフィードの背からのぞき込む。タバサが即座に杖を振ってかけたレビテーションのおかげで、落下していくルイズの速度は緩やかになり、無事にゴーレムの後方へと着地することが出来た。

 ルイズは顔を上げ、杖を構えた。見上げるゴーレムの巨体はそびえたつようで、たらりと背中を冷や汗が伝っていく。今自分がいるのはゴーレムを挟んでリンクとは反対方向だ。距離もゴーレムからはそれほど離れていない。奴が振り向いて腕を伸ばせば届いてしまいそうなくらいだ。だが、退かない。そう、立ち向かうことは決して止めない。すう、と思い切り息を吸い込んだ。

 

「フーケ! 私が相手をしてあげるわ! こっちを向きなさい!」

 

 声を張り上げ、ルイズは叫んだ。フーケの注意をこちらに引きつけられれば、きっとリンクも自由に動けるようになるはずだ。だが、フーケは振り向きもせずにリンクへの攻撃を続けた。

 

「無視ね! いいわよ! そっちがその気なら、こっちだって好きにさせてもらうから!」

 

 ルイズはそう叫ぶと、ルーンを唱える。狙いはフーケだ。今度は外すものか。持てる限りの思いを込め、ルイズは杖を振り下ろした。

 その瞬間、フーケのすぐ耳元で爆発が起きた。衝撃と強烈な破裂音に、フーケはよろける。

 

「くっ……」

 

 さらにゴーレムの背中に氷柱と炎球がぶち当たった。ルイズの傍に降り立ったキュルケとタバサが放った魔法だった。

 

「ったく! 本当に無茶ばっかりするんだから!」

「私たちもいる」

 

 二人の魔法は、今度は近距離で放ったためか、強い衝撃をゴーレムに与えた。フーケは襲ってきた揺れに、倒れないようゴーレムへ掴まった。息を切らすフーケはぎろりとルイズたちを睨みつけた。

 

「邪魔をしてくれるじゃない……! そんなに遊びたいならあなたたちの相手をしてあげましょうか……!」

 

 そう呟き、フーケはゴーレムの足を動かし、ルイズたちの方へと向き直ろうとした。しかし、何かが突きささるような、鋭い音がした瞬間、ゴーレムはその足の動作を途中で止めてしまう。いや、違う。止めたのではなく、止められたのだ。いくらフーケが杖を振ろうとも、ゴーレムの足は動かない。

 

「なっ!? 何っ!?」

 

 

 フーケがゴーレムの足を確認すると、そこには一本の矢が突き立っていた。だが、その矢の周囲は異常な光景を見せていた。矢の突き立ったゴーレムの足は、完全に氷塊に覆われていたのだ。

 フーケは勢いよく振り向く。果たして、そこには妖精の弓を構えるリンクがいた。フーケがルイズ達に気を取られていたそのほんの少しの間に、彼はデルフリンガーを鞘へと仕舞い、弓矢を取り出していた。

 リンクは既に次の矢を番えていた。その矢には魔力が込められ、強烈な凍てつく冷気が渦巻いている。射抜いた敵を氷漬けにする魔法の矢──氷の矢だ。

 渾身の力を込めて引き絞られた弓から氷の矢が放たれ、番え、また放たれる。瞬く間に放たれたのは五本の矢。それらは狙いを寸分違えることなく、ゴーレムの四肢と胴体の中心へと向かっていく。

 それはゴーレムの鉄の皮膚を突き穿ち、纏う冷気がゴーレムの身体を凍結させていった。氷塊がその身体を包み、それはさらに周囲へと広がっていく。鉄のゴーレムは氷に覆われ、その姿を巨大な氷像へと変えていった。

 

「ちっ! こんな馬鹿なことが……!!」

 

 フーケは舌打ちしながらも、広がり行く氷塊を見て戦慄した。このままではこのゴーレムと一緒に完全に氷漬けにされてしまう。氷塊はゴーレムの首元まで迫って来ていた。もうフーケの足を飲み込みそうだ。

 

「—————っ! これじゃ離れるしか……!」

 

 迫り来る氷から逃れるためにフーケはゴーレムから身を翻して飛び降りた。レビテーションを自身にかけ、負傷しないぎりぎりの落下速度に緩め、着地する。

 

「やられたっ、あんな手札をもってたなんて──」

 

 フーケが悔しさを滲ませた声と共に顔を上げたその瞬間。その白い喉元にはびたりと剣の切っ先が突き付けられていた。髪を揺らす剣風と、それを握るリンクの瞳の鋭さに、フーケは身じろぎ一つ出来なかった。

 

「まだやるか?」

 

 リンクの問いに、フーケは力なく首を横に振り、杖を投げ捨てた。十歩は離れた地面に、フーケの杖はぽとりと落ちる。そして両手の平を開いてリンクに向け、力が抜けたように膝をついた。

 

「いいえ、私の負けよ……もう、降参」

 

 フーケが白旗を上げたのを見て、ルイズたちも傍へと駆け寄ってきた。

 

「リンク! 無事!?」

 

 心配そうな表情で真っ先に駆け寄ってきたルイズに、リンクはフーケから視線を外さずに頷いた。それにようやくルイズは安堵の息をつき、小さく微笑んだ。

 

「————良かった……」

「すごいわ、リンク! これもあなたの力!? そこらのメイジの魔法よりもよっぽどすごいわよ! ねえ、どうやっているの!?」

「……キュルケ、まだ気を抜いてはダメ」

 

 興奮した様子のキュルケをたしなめるように、タバサはぴしゃりといって杖を構え直す。それにフーケは深いため息をつき、疲れたような声で言葉をかけた。

 

「……そう警戒しなくたって、もう逃げようなんて気はないわよ。ま、信じないでしょうけどね。何だったらこのまま斬り捨ててくれたって構わないわよ。牢獄にぶち込まれて、後は縛り首になるのを待つだけだしね。煮るなり焼くなり好きにしたら?」

 

 投げやりな口調でそういうと再びフーケは深いため息をついた。その瞳には、憂いと哀しみの色が戻っていた。

 

「……一つ、聞かせてほしいんだ」

 

 リンクは突き付けていたデルフリンガーを下ろし、フーケに向かって静かに口を開いた。フーケは言葉を返さず、ほんの少し眉を上げた表情でリンクをただ見上げた。

 

「なぜあなたは盗賊なんてやっていたんだ? その理由を聞かせて欲しい」

 

 リンクの言葉を聞いて、フーケはおかしくなって噴き出した。

 

「あははっ! おかしな人! 私は盗賊、悪党よ! そんなの聞いてどうしようってのよ?」

「俺にはあなたが本当の悪党のようには思えないんだ」

 

 リンクの言葉に、思わずフーケは息が詰まってしまった。信じられずにリンクを見返すが、彼は変わらず、まっすぐに自分を見つめていた。どこまでも澄みきった、青い瞳。

 フーケは、リンクの言葉を笑い飛ばそうとした。だが、出来なかった。その瞳に見つめられ、なぜか心の底までも見通されているような心持になり、胸が詰まる。ルイズたちも黙ってただ待った。

 逡巡するように眉をひそめていたフーケだったが、意を決するように深いため息をつくと、ぽつりと呟くようにいった。

 

「……大切な、妹のためよ……私のたった一人の家族の……」

 

 そういって、フーケは静かに語り始めた。

 

 

 

 

「……貴族の名を失くしたって、ここに来るまでに話したでしょう? 私の家は、元々はアルビオン──リンク、あなたは国の名をいってもわからないでしょうけれど──その国の中でも特に名のある貴族だった。それこそ、父は王弟、大公って言った方が伝わるかしら? その一番の重臣と言ってもよくってね。とても大きな都市の太守をしていたわ。幼いころは何不自由ない生活だった。それこそ、まさか盗賊になるだなんて、夢にも思ってなかったわ。偽名を使って、身分を偽って……フーケも、ロングビルも偽名よ。本当はね、私はマチルダって名前なの。ふふっ、もう使うことなんてないけれどね……」

 

 そうしてフーケ──いや、マチルダは──自嘲するように力なく微笑んだ。

 

「……ある日、父が母娘を家に連れて来たわ。そうして女の子を私の前に出してね。……この子はティファニア。今日からお前の妹だ。本当の妹だと思って仲良くしなさい、っていったの。おどおどしてて、とっても落ち着かない様子だった。でも、とっても可愛らしかったわ。それから、私たちはすぐに仲良くなった。お互いに、本当に姉妹だと思ってね。事情があって、ティファニアも、そのお母さんも家の外に出ることは出来なかったけれど……それでも、とても幸せな日々だった」

「……事情?」

 

 言葉を切ったマチルダに、ルイズは聞いていいものかと迷いながら、おずおずと言葉をかけた。マチルダはしばし悩んでいたが、自分に問いかけるように呟いた。

 

「……リンクと一緒に居るあなたたちなら……話してもいいかしら……」

 

 思ってもみなかった言葉にルイズは聞き返す。

 

「リンク……? リンクが何か関係しているの……?」

 

 マチルダはじっとルイズを見つめていたが、こくりと頷くと話し出した。

 

「ティファニアのお母さんは大公の秘密の妾で、ティファニアは大公の妾の子、隠し子だったの。それだけならともかく……二人はね、リンクと同じ長く尖った耳を持っていたのよ」

 

 その言葉を聞いたルイズたちは、はっと息を呑んだ。

 

「それって……まさか、エルフってこと……?」

 

 キュルケの問いかけに、マチルダは頷いた。

 

「そう、ティファニアのお母さんはエルフだったのよ。ティファニアは人間とエルフの子供、ハーフエルフってわけ」

 

 そういってマチルダは微かに微笑んで続ける。その微笑みはどこか自嘲しているようで、涙を浮かべているよりも、ずっと悲しいものだった。

 

「エルフがどう思われているかなんてよくわかっているでしょう? ……当然、二人の存在は、アルビオン王家にとって到底許されるものではなかった。……それでも、大公は二人のことを大切に想っていたわ。たとえ一緒に暮らすことは出来なくても、せめて二人が安心して暮らすことが出来るように、安全な隠し村を作ろうとしていた。……父はね、その準備が整うまでの間、大公からティファニアたちを匿うように頼まれていたの。……だけど、その願いは叶わなかった。隠し村の準備も何とか済んで……後は人目につかず、二人を移動させる手筈を整えさえすれば、という頃……大公は……秘密を知る別の部下の貴族に裏切られたのよ、信頼していたのにね……。その貴族がどうして大公を裏切ったのか、それは知る由もないけれど……大公を失脚させて、王に取り入ろうとでも思っていたのかしらね。そいつは独自で私兵を動かして大公を捕らえると、次に私たちの所へと攻め込んできた」

 

 その光景を思い出すように目を閉じたマチルダは、深呼吸を一度して、それからまた話し出した。再び開いた瞳には、深い哀しみが湛えられていた。

 

「その兵たちに、私たちは成す術もなかったわ。注目を集めるわけにもいかなかったから、館には門番をしていた数人の衛兵くらいしか詰めていなかったの。二人を匿っていたことが漏れるのを恐れて、使用人も本当に信頼できるごく少数しかいなかったしね。……あちこちから火の手が上がって、門を破壊する音と、兵たちの叫び声が聞こえてきた時になって、父たちは秘密の逃げ道に私とティファニアを押し込んだわ。後から必ず追いかけるから、先に行きなさい、っていってね。それが、私たちが最後に見た、父たちの姿だった……。父も、母も、ティファニアのお母さんも……私たちが少しでも遠くへ離れられるように、時間を稼ぐために、奴らに殺されるために残ったのよ……」

 

 マチルダの言葉を、皆はじっと聞いていた。彼女は涙を流しているわけでもなく、ただ静かに語っていた。激しい感情は、その声に込もってはいない。だが、その静かな語り口が、逆に聞く者の胸を詰まらせるようだった。

 

「それから、私とティファニアは必死で逃げた。何かあった時には隠し村に向かえと何度も聞かされていて、その場所も頭に叩き込まれていたから、そこに向かって、深い森の中を走って、走って……何度も転んで……傷だらけになって……そうして気がついたら、私たちは隠し村へとたどり着いていたわ。昔、大公に恩を受けたほんの何人かの人たちと、私とティファニア。それが隠し村の住人の全て。……後から追いかける、っていった父のあの言葉を信じて……私たちはずっと待っていた。……けれど、父たちはついに来ることはなかった。半ばわかっていたことだけれど……やがて、捕らえられていた大公も、いくつも罪をでっちあげられ、処刑されたという報せを聞いたわ。私たちは、ふたりぼっちになってしまった……」

 

 深いため息をつき、マチルダは言葉を切った。その時のことを思い浮かべているように、じっと目を伏せていたが、頭を振りまた口を開いた。

 

「……後になって風の噂で聞いたけど、私たちの所に攻めてきた貴族も、勝手に兵を動かしたってことで、国王直々の命で処刑されたらしいけどね。当人にとってみれば当てが外れたってことなんでしょうけれど……でも、私たちの心はそれで晴れることなんてちっともなかった……。それで父たちが帰ってくることはなかったし……後少し、ほんのちょっとの時間があれば、皆死ななくて済んだんじゃないか、って……それだけしかなかったわ……」

 

 そうしてマチルダはまた一つ、悲しみのこもったため息をつき、続けた。

 

「それからは、隠れ住む毎日だったけれど……村人たちの手助けがあっても、幼い少女二人で真っ当な暮らしなんて出来るはずもなかった。父たちが先に移すことが出来ていた、わずかばかりの財産を使い果たしてしまった後は、たちまち困窮した。そうして……、生きていくために、裏の道に私は入ったの。ほんの小娘が金を稼ごうだなんて、それしか道はなかったからね。……幸い、私は父譲りで土の魔法が使えたから。善良な人々を痛めつけて私腹を肥やす貴族どもを狙い、その屋敷に忍び入っては、宝を奪い去る盗賊、土塊のフーケの誕生、ってわけ。盗んだ宝は金に換え、ティファニアの所に送っていたわ……。ふふっ、とんだ悪党よね……あの子に合わせる顔なんて、もうない。……でも、それに後悔なんてなかった。私の、そして妹のテファの家族を、幸せを奪った貴族どもから奪うことなんかに……なにより、もう、私にはテファしかいなかった……あの子を守るためだったら、何だって出来たもの……」

 

 そうして、マチルダは目を伏せ項垂れた。深い沈黙が流れ、静かな呼吸の音だけが聞こえる。しばらくして、マチルダは呟くように、自分自身に問いかけているかのように口を開いた。

 

「本当……なんで私はこんなことを話してるのかしらね……」

 

 そういったマチルダは顔を上げ、自分を見つめるリンクの顔をじっと眺めると、ふっと微笑んだ。

 

「あなたのことを見て……その長い耳を見て、ティファニアのことを思い浮かべてしまったのかもね……」

 

 厳密にはあなたはエルフではないのでしょうけれど、とマチルダは小さく付け加え、そうしてルイズたちに視線を向けて口を開いた。

 

「それに……リンクと仲良くしているあなたたちだったら、エルフの血を引く……それだけで、わざわざティファニアのことを探し出して殺そうとはしないと思えた……。そんな人たちだったら、一緒のテーブルで、同じ食事をとるなんて出来ないわ。ねえ、ミス・ヴァリエール? あなたたちが食堂で楽しそうに食事をしているのを見かけた時……なんだか私は嬉しかったの……昔、幸せだった時の自分とティファニアを思い出すようでね……」

 

 そういって言葉を切ったマチルダは、しばしの間沈黙し、物思いにふけるように目を閉じていたが、胸中の思いを振り払うように頭を振ると、片眉を吊り上げた笑みを浮かべてリンクに向かい口を開いた。強い口調だったが、それはどこか虚勢を張っているようにリンクには感じられた。

 

「聞きたいことは聞けたかしら? ははっ、もっとも、この悪党の話を信じるならだけどね! さあ、話は終わりよ。拘束でもしたらどう? それとも、その剣で斬り捨てる? 好きにしなさいな」

「……いや、そんなことは必要ないよ」

 

 そう返すと、リンクはデルフリンガーを鞘へと仕舞い、懐へと手をやった。そして、大きく膨らんだ革の小袋を取り出すと、マチルダの手に握らせた。見た目の大きさよりも、それはずっとずっと重かった。リンクの行動の意味が理解できず、マチルダは視線で問いかけるが、リンクは無言でただそれを開くように促すだけだった。

 

「……どういうつもり? って、これ……!」

 

 

 マチルダの疑問の声は、開いた小袋の中から溢れ出すように出てきた金貨と宝石に、驚きで途切れてしまった。それは色とりどりのルピーと、それを換金したエキュー金貨だった。底なしのサイフから持ち運びやすいようにと小分けしていたものだ。革の小袋も拡張魔法はかかったもので、マチルダが中身をのぞき込むとまだまだルピーと金貨が溢れている。ぱっと見でもとんでもない額が入っていることは確かだった。

 

「これでもう、あなたが盗賊なんてする必要はないよ。盗賊なんてやめて、妹思いのマチルダとして、妹さんの所へ戻ってあげてほしい」

「……そんな……どうして、こんなこと……あなたがこんなことする理由なんてどこにもないじゃない……!」

「……悲しい、辛い出来事があって、今は離れ離れになってしまった姉妹の──そして盗みに手を染めざるを得なかったあなたの助けになってあげたい。そう思ったから」

「……苦し紛れに口から出まかせ言っているだけだとは、思わないの?」

 

 そう問いかけてきたマチルダを、リンクは正面から見つめ、優しい微笑みを浮かべて言葉を返した。

 

「あなたがそうだというなら、俺はそれを信じるよ」

「———はっ! あははっ! 馬鹿じゃないの!? こんな私の助けになんて! さっきの話が本当だとしても、私が盗賊から足を洗う保証なんてどこにもないのよ!?」

「それならそれでもいいさ」

「—————っ!」

 

 マチルダは信じられない思いで、リンクのことを笑った。しかし、それに返してきたリンクの言葉に、声を返すことが出来なかった。心臓が跳ねるような心持がして、息が詰まって、ただ彼を見つめることしか出来なかった。

 

「ここであなたを突き放すくらいなら……あなたを信じて裏切られる…その方がいい。それに……きっとあなたはそうはしない、って俺には思えるから。その綺麗な目を見ていたらね。あなたは、そんな悪党なんかじゃないよ」

 

 そうして真っすぐに、リンクはマチルダのその瞳を見つめた。

 

「俺は、目を見ればその人が本当に悪人かどうかわかるんだ、っていったら信じる?」

 

 おどけた調子でそういい、リンクはぱちっと片目をつぶって見せた。 マチルダは、ふるふると声が震えるのを抑えきれなかった。視界に映るリンクの姿が、滲んで見えた。

 

「……お人好しにも、ほどがあるわよ……あなた……」

 

 その言葉に、リンクはふっと笑った。

 

「よく言われるよ」

 

 もうマチルダはこみ上げてくる気持ちを抑えることは出来なかった。ぽろぽろと涙が溢れ、頬を流れていく。彼女はそのまま、ただ静かに泣いた。夢の中にいるようで信じられない。だが、涙を拭ってくれるリンクの手の優しく、暖かな温もりが確かに自分を支えてくれるかのように思えた。

 

「……さて、どうかな? 秘宝は取り戻したから、オールド・オスマンのお願いには応えられたけれど……見逃すのは許されないかな? 口裏を合わせてもらうことになっちゃうけれど……」

 

 リンクは振り向いてルイズたちに問いかけた。それにキュルケが肩をすくめながら応える。

 

「良いんじゃない?」

 

 巨大な氷像となったゴーレムを見上げてキュルケは続ける。

 

「秘宝を取り戻したのも、あのゴーレムをやっつけたのも、ほとんどリンクのおかげだもの。……それに、私自身がフーケの被害を受けたわけでもないし。私は別に異論ないわよ。何が何でも牢獄に入れなきゃ気が済まない、とまでは思っていないしね……タバサは?」

「私も特にこだわりはない。フーケ本人が捕まっても、捕まらなくても、どっちでもいい。ついてきたのはあなたたちが心配だっただけだから」

 

 話を振られたタバサは表情を変えずにそう答えた。キュルケは自分たちを気遣う言葉を聞いて嬉しそうにタバサの頭を撫でると、ルイズに向かって聞いた。

 

「で、後はルイズだけれど……あなたはどう思う?」

 

 キュルケに促され、ルイズは言葉を選びながら答えた。

 

「私は……リンクがそうしたいっていうなら、それでいいと思う。お金も、リンクのものだし……。被害を受けた貴族には悪いと思うけれど、反省して、もう盗賊はやめることを約束するなら……。私がそんなことを言っていいのかわからないけどね……。盗みを働いていたこと。それ自体は確かに罪だけれど、深い事情があったようだし……だって……辛いわよ、そんなの…………」

「……あなたたち、揃いも揃って……」

 

 ルイズの言葉を聞いて、マチルダは微かな微笑みを浮かべた。キュルケは手を打ち合わせて頷いた。にこっと笑い、明るい声を上げた。

 

「はい、決まりね。それじゃあ学院に秘宝を持って戻りましょう。私ももう疲れちゃったわ。また馬車に揺られるかと思うとちょっと気が滅入りそうよ」

「フーケのことはどう報告する? 秘宝は取り戻したけど取り逃がしたとすればいい? そうするとフーケの捜索は今後も続いていくかもしれないけど」

 

 タバサの問いかけに、リンクはちょっと考え込んでから答えた。その顔にはいたずらっぽい、少年のような笑みが浮かんでいた。

 

「そうだな……それには、はっきり対策を取った方がいいかな……。……うん、よし、大丈夫。ちょっといいことを思いついたよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 氷像となったゴーレムから少し離れ、十分なスペースが取れる位置に移動したところで、リンクとマチルダは向かい合っていた。リンクの手には時のオカリナが握られていて、神秘的な輝きを放っていた。ルイズたちはその周りで、これから何が起こるのかと様子を伺っていた。

 

「マチルダ、今から俺が奏でる歌を覚えてほしいんだ。それじゃあ行くよ?」

 

 そういうと、リンクは時のオカリナを口へと当て、瞳を閉じた。時のオカリナからは美しく、澄んだ音色が流れ、聴く者の心を震わせる。紡がれる音は旋律となり、胸を打つ切ない物悲しさと、そしてどこか奇妙な思いを抱かせる哀歌となって響き渡った。

 マチルダはその哀歌に耳を傾けながらも、オカリナを奏でるリンクの凛々しい顔に見とれていた。

 ──度を超えたお人好しだ。これまで裏の世界で生きてきたマチルダはそう思った。だが自分を、そしてティファニアのことを、救ってくれたのはこのお人好しの緑衣の剣士だった。ティファニアと同じ、長く尖った耳。メイジだって敵わないような凄まじい力を持っているのに、それでいて自分のような悪党にも手を差し伸べてくれる、どこまでも優しい人。

 いつか聞いた物語の勇者のように思えて、マチルダは胸を高鳴らす少女のような眼差しで、リンクをずっと見つめていた。

 すると、いつのまにか演奏を終えていたリンクが目を開けた。ばちんっと目があってしまったマチルダは慌てて視線をそらしたが、同時にそんな自分が恥ずかしくて、かあっと頬を染める。

 ──なんだ今の仕草は。まるっきり、初心な乙女のようじゃないか。

 そんなマチルダの内心の焦りなど知る由もなく、リンクは首を傾げて問いかけた。

 

「どう? 覚えられたかな?」

「えぅっ!? あ、ああ、ごめんなさい! もう一回聴かせてもらってもいいかしら!?」

 

 素っ頓狂な声を上げてしまったことにますます顔が紅くなる。あなたに見とれて聴いてませんでした、なんてことが言えるわけがなかった。

 

「あはは……わかったよ。それじゃあ、もう一回やってみせるから」

 

 苦笑して再びオカリナを構えたリンクに、マチルダは笑顔でこくこくと頷いた。再び、澄んだ音色で物悲しい哀歌が奏でられる。

 よし、今度は大丈夫。ちゃんと覚えた。リンクの問いかける視線に、しっかりと頷く。するとリンクは時のオカリナをマチルダに差し出した。

 

「へぅ?」

「楽器なんか持ってないだろ? 貸してあげるよ。この歌の力は楽器でないと発揮されないみたいなんだ」

「は、はぅ!?」

 

 再び素っ頓狂な声をあげてマチルダは停止してしまう。差し出されたそのオカリナ。これはさっきまで彼が吹いてたものだ。無論、唇に当て、息を吹き込んで……ということは……間接キス……? 頭の中でぐるぐると疑問が鐘を打ち鳴らして回り続け、それと同時に胸の鼓動まで高鳴ってくる。

 今までティファニアのため、裏の世界で生き抜くことに彼女は必死だった。そんな彼女に恋や異性と触れ合う甘い時間なんて存在するはずもなし。男など騙す対象でしかなかった彼女に、その方面の耐性はほとんどなかった。

 さらに最近ではスケベジジイのセクハラにその精神はずっとすり減らされ続けていた。 そこにこんな突然の提案だ。混乱の極致に陥っても無理はなかった。

 

「……うー……」

 

 ふと聞こえた声にマチルダが後ろを振り向くと、羨望のような、それでいて怒っているような、複雑な感情の込められた視線でこちらを見ているルイズが小さく唸っていた。

 はっきりいってルイズはなんだか今の光景があんまり気に入らなかった。あのオカリナで曲を奏でてもらい、あまつさえそれを借りて吹くなんて。でも楽器が無いのはわかってるから、止めたくても止められない。それに変なことをいってリンクを困らせるのはもっと嫌だった。

 ルイズから言葉にならない圧力を受けながらも、意を決してマチルダは時のオカリナを受け取った。

 

「自分の姿を想像して奏でてみて。鏡に映る自分の姿を」

 

 マチルダは、リンクのアドバイスにこくりと頷くと、時のオカリナを唇へと当てた。

 不可抗力。そうだ。これは不可抗力だから仕方ない。そう言い聞かせて。

 後ろから感じる圧力がなんだか増したような気もしたが、無視した。これだけのことをしてくれた恩人に、きちんと応えなければ。

 マチルダはたどたどしい指遣いながらも、自分の姿を脳裏に思い浮かべて、なんとかリンクに教えてもらった哀歌を奏でた。

 奏で終え、ほっと息をつくと、にっといたずらっぽく笑ったリンクがちょいちょいと自分を手招きしている。なんだろうと不思議に思って近づいてみると、リンクは彼女の両肩に手を置いた。

 

「上手く行ったよ。振り返ってみて」

 

 そう言うとリンクはマチルダを振り返らせた。振り返ったマチルダは唖然として口をあんぐりと開けてしまった。

 そこには、自分が立っていたのだ。顔から服装まで、何もかもそっくりな、瞳だけが真っ白になった自分が、今さっき立っていた場所に存在していたのだ。ルイズ達も驚いて息を呑んだ。

 

「あ、あなた、まさか遍在が使えたの? 土塊のフーケは、土のメイジじゃ!?」

「わ、私はそんなの使えやしないわよ! これは……これが、さっきの曲の力……?」

 

 驚きの声を上げるマチルダに、リンクはにこっと笑って頷く。

 

 キュルケは面白がって、タバサは興味深そうに瞳のないマチルダへと近づき、その肌をあちこちからペタペタと触った。

 

「……暖かくはない。でも、確かに人の肌の感触。まるでそのまま身体があるみたい」

「あらまあ、ホント。リンクには驚かされてばっかりね……」

「ねえ、リンク! どうやったの!?」

 

 リンクを除いた皆で、瞳のないマチルダのあちこちを触って感触を確かめる。ローブの端に至るまで完璧に同じ手触りだった。

 タバサはディテクトマジックで調べてみるが、特に変わったところは見受けられなかった。見れば見るほど不思議だった。

 リンクは時のオカリナを懐にしまいながら、得意げな様子でルイズの問いに答えた。

 

「あの歌は『ぬけがらのエレジー』。魂のない、自分のぬけがらを作り出すメロディーなんだ。昔、ある亡国の王に教えてもらったものでね。これがあれば、フーケの死体だって誤魔化せるんじゃないかと思ってさ」

 

 リンクの言葉に、ルイズたちは頷いた。これだけのものであれば、早々バレる心配もいらなそうだ。

 

「土塊のフーケは今日死んだ。ここにいるのは、妹思いのお姉さん、マチルダだよ」

 

 にっとリンクはマチルダに笑いかける。 マチルダはまたこぼれた涙を拭い、それに小さく頷いた。

 

「それじゃあ、顔がわかんなくなるように適当にみんなで魔法を撃ってくれないか。ちゃんと戦った痕が残ってる方が説得力もあるだろうしね」

「顔は私に任せて。得意の炎で焼いてあげるわ」

「……せっかくだから足のほうに傷をつけようか」

「あ、私も! 私もやるわよ!」

 

 そうして待つことしばしの間。数度の爆音と振動の後、フーケの死体として葬られる予定のマチルダのぬけがらは、見るも無残な姿になってしまった。キュルケの炎で念入りに焼かれた頭部は、人の顔だったことがかろうじてわかるくらいまでに焼けただれ、両足にはタバサの放った鋭い氷柱が痛々しく突き刺さり、とどめとばかりにルイズの爆発であちこちの服が破け、焼け焦げた肌がそこかしこから覗いていた。

 

「……ぬけがらだってわかってても、自分の姿をしたものがあんな風になるのを見るのはいい気分がしないわ……」

「あっはっは……あいつら、気合入れすぎだろ……」

 

 痛々しいという言葉ではとても表現出来ない姿のぬけがらを眺めて、青ざめた顔になるマチルダに、やけに張り切った三人を見守るリンクだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一行は広場から戻り、馬車を止めた場所に歩いていた。ぬけがらに魔法を打ち込んだ後に、崩れた小屋の中から箱を回収し、秘宝の剣と盾とを納めた。ぬけがらはリンクが肩に担ぎ、秘宝の箱はマチルダが両手で抱えていた。

 無残な姿のぬけがらに特にキュルケがあまり近寄りたがらなかったため、ルイズ、キュルケ、タバサの三人はリンクたちの少し先を歩いていた。他愛もない話をして楽しんでいるようだった。

 すっかり片付いたら、秘宝についてオールド・オスマンに話を聞かなきゃいけないな。リンクがそんなことを考えていると、マチルダが声をかけてきた。

 

「リンク、本当にありがとう」

 

 リンクが顔を向けると、彼女は柔らかく微笑んでいた。これまでのような憂いを帯びた陰はもうそこにはなかった。

 

「あなたは、私に未来をくれたわ……ううん、私だけじゃなく、ティファニアのことまで……ことが片付いたら……すぐにあの子のもとに戻るわ。あなたのおかげで……本当に、なんてお礼をしたらいいのか……」

 

 マチルダは穏やかに微笑んでいた。心から微笑む彼女は綺麗だった。きっとこれが、彼女、マチルダの本当の素顔なのだろう。

 

「お礼なんていらないよ。俺がただ、したいようにしただけなんだから」

 

 リンクは何でもないようにそういった。嘘偽りない本心だった。金にしたって自分が使い途もなく持て余しているよりは、彼女達に使ってもらった方がいいだろう。

 だが、マチルダは紅く染まる頬で勢いこむようにいった。

 

「そ、それじゃあ、私の気がすまないのよ。その、何が出来るってわけでもないけれど、私に出来ることなら、なんだってするわよ。そ、それこそ、その……あ、あなたが、望むなら……その……わた、私の、か……で、……ぉれい……ても……」

 

 最後は俯き、消え入りそうな声で真っ赤になりながらボソボソと呟く。後半は全く聞き取れない声量だったが、本人だけははっきり言ったつもりでいた。

 マチルダの意図が掴めず、きょとんとしていたリンクだったが、首を振ると微笑んだ。

 

「ただあなたの助けになれたなら、それだけでいいよ」

 

 涼しげな微笑み。木漏れ日に照らされるリンクの凛々しい顔を、マチルダはじっと見つめていた。早鐘のように打ちつける胸の鼓動を、止めることが出来ない。我慢できず、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 

「……ばか……ホントに惚れちゃうじゃない……」

 

 横を向き、誰にも聞こえないようにマチルダはそう呟いた。その声は当然リンクには届かない。柔らかな風が二人の間を抜けていき、リンクはそっぽを向いたままのマチルダの様子に、不思議そうに首を傾げるだけだった。

 

「二人ともー! 何してるのー! 早く来ないと置いてっちゃうわよー!」

 

 ルイズの急かす声が聞こえた。いつの間にか馬車のところまで戻って来ていたようだ。リンクとマチルダが気付かぬうちに足を止めてしまっていた間に、三人は既に馬車の座席へと乗り込んでいた。ルイズは座席に膝立ちとなって、こちらに手を振っていた。

 

「今行くよ!」

 

 手を振り返し、そう声を返したリンクに安心したのか、ほっとした表情になるとルイズは座り込んだ。

 

「それじゃあ急いで行こうか? 置き去りにされちゃあ、たまらないしね」

 おどけていうリンクに、マチルダは微笑みで返すのだった。

 

 

 

 

 馬車の御者は行きと同じでマチルダが務めることになった。ぬけがらと馬車に同乗するのを嫌がったため、そちらはリンクが運ぶことにしたからだ。二頭立てのうちの片方の馬を馬車から外し、そちらにリンクがぬけがらを抱えて騎乗している。リンクは馬車の前方を先導するように進んでいた。一頭で馬車を引かせている分、その速度は行きの時よりもゆっくりとしている。

 マチルダはその背中を眺めながら馬車の御者台に座っていた。自分がこんな気持ちを抱いていることが信じられなかった。ただその姿をこうして見ているだけで、こんなに嬉しい気持ちになれるのが不思議だった。

 

「ねえ、ミス・マチルダ」

 

 リンクの背中をぽーっと眺めていたマチルダにルイズが話しかけた。他に人がいないところであれば、マチルダとそう呼ぶことにしたのだ。呼びかけたルイズはなんだかじとっとした、不機嫌そうな表情をしていた。隣ではキュルケも面白がっているような顔で、口元に笑みを浮かべて御者台の方に身を乗り出している。タバサだけは本に目を落としてこちらに見向きもしていなかった。

 

「さっきは随分と楽しそうにリンクと話していたみたいだけれど? 何を話していたのかしら?」

「何って……そ、その……えと……」

 

 言外の圧力がなんだか強い。オカリナを借りて吹いた時のような圧を感じながらも、マチルダは先ほどのことを思い出す。そして見る見るうちに頬を紅潮させ、口ごもってしまった。

 

「ちょ、ちょっと! どういうこと!?」

「なになに!? リンクは何をいったの?」

 

 慌てふためくルイズとキュルケに、マチルダはぶんぶんと首を横に振って、煙が出てるんじゃないかと思ってしまうほど火照る頭で考えた。

 

「い、いや……べ、別に何も……! そ、そう……! に、荷物が重いかしら~、とか、天気は戻るまで持つかしらね~、とか、そんな話よ……! 別に、何にも面白くないわ……!」

「そ、そんな感じには見えなかったけれど!? 正直に言いなさい!」

「そうよ、ねえ、何を話してたの? 教えてちょうだいよ?」

「い、いや、だから別に……! ちょ、ちょっと引っ張らないで! ねえってば!」 

 

 どうにも怪しいマチルダの様子に、ルイズとキュルケの尋問が強くなる。だが、マチルダも恥ずかしさに頬を染めながらも口を割ることはなく、わーわーという声が森の中で響く。

 

「うるさい……」

 

 タバサは読んでいた本から視線を上げ、困ったような、半ば呆れたような表情で呟いたが、もちろんそれは前の三人に届くはずもなかった。

 離れていて、騒いでいるその内容が聞こえていないリンクは、はしゃいでいるように見える後ろの様子を見て笑みを浮かべていた。

 

「はははっ、疲れてるかと思ったけれど、みんな随分と元気みたいだな。なあ、デルフ?」

「……いや、お前さんも、たいがい罪な男だよなぁ、相棒」

 

 ま、こんだけいい男ならそれも仕方ねぇか、と続けるデルフリンガーの小さな呟きはリンクには届かず、彼は不思議そうな表情で首を傾げるばかりだった。

 

 


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