ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

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『土塊』を追え
『土塊』を追え① 盗賊の隠れ家へ


 青空が広がり、暖かな陽光が降り注いでいる草原の中に通る街道を、一つの馬車がガタゴトと時折音を立てながら進んでいく。フーケ討伐に志願したルイズたちを乗せた馬車だ。

 御者台にはロングビルが座り、馬車を引く二頭の馬の手綱を握っている。屋根もなく、簡素なクッションを敷いた座席だけが誂えられた木製の馬車にはルイズ、リンク、タバサ、キュルケがそれぞれ座っていた。

 リンクは王都へ向かった時と同じように外套を纏い、すっぽりとフードを被っていた。そういるわけでもないが、すれ違う人に万が一その長い耳を目撃されると面倒なことになりそうだったからだ。

 

「……随分と走らせてきたけれど、まだ大分かかるのかしら?」

 

 半刻は街道を馬車で走ったところで、キュルケがため息交じりにそう言った。自分で馬を駆る楽しみもなく、ただ揺られるだけなのに段々と退屈してきてしまったのだ。代り映えのしない景色をただ眺めるばかりではいくらいい天気であっても、尻の痛みの方が気になってくるというものだ。

 ロングビルは馬に手綱をやって、緩やかなカーブを曲がりながら穏やかな口調で答える。

 

「ええ、これで半分を過ぎたところでしょうか」

 

 えー、とあからさまに不満げな声を出してキュルケは大きなため息をつく。それから、ぐっと両手を上へと伸ばし、体を伸ばしながら気の抜けた、のんきさを感じさせる声を上げた。

 

「あーあ、こんなに退屈だってわかっていれば何か暇つぶしの遊び道具でも持ってきたらよかったわね」

 

 欠伸を漏らすほどに気の抜けたキュルケの様子に、馬車に乗り込んでからずっと神妙な面持ちでいたルイズは非難めいた視線を向けて口を尖らせる。

 

「ちょっと……いくら何でも緊張感なさすぎじゃない? ピクニックに来たわけじゃないのよ?」

「別に、今目の前にフーケがいるわけじゃないでしょ。気を張るのなんて目的地についてからで十分よ。今からそんなに肩に力が入っているようじゃ身が持たないわよ、ルイズ」

 

 出発してから五分も経たないうちに緩んだ表情をしてみせたキュルケは気楽な調子でそう言った。ルイズはむう、と小さく唸ったがそれ以上言葉を返すことはなかった。

 ルイズがちらりとキュルケの横に座るタバサの様子を見ると、彼女は馬車に乗り込んでから膝の上で開いた本を相変わらず読み続けていた。気負うような様子は全く見られず、いたって平常心のようだった。

 ルイズは小さく唇を尖らせた。確かにキュルケの言葉には一理あるかもしれない。

 しかし、だからといって、もしカードでも持っていたとしても、とても遊びに興じるような気分にはルイズはなれなかった。フーケの元に段々と近づいている。あの城のようにそびえたつ巨大なゴーレムへと向かっている。馬車が揺れる度にその事実を目の前に突き付けられるようで、静かに、だが確かに、緊張の糸が張り詰めていくようにルイズは感じられるのだった。

 無意識のうちにマントの下で杖を固く握ったその手には、いつの間にか微かに汗が滲んでいた。それに気がついたルイズは自嘲するようにはぁ、と小さくため息をついて知らず知らずのうちに入っていた力を抜いた。

 ふっとルイズはリンクのその横顔を眺めた。ルイズの内心の昂ぶりなど知る由もないリンクは、真剣な眼差しをして懐から取り出した弓の手入れをしていた。

 弦の張りを確かめ、その感触を確かめるように何度か軽く引く。張りつめた弦からはぎり、ぎりりと静かに音が鳴る。神秘の森の力が宿る妖精の弓だ。決して折れず、リンクが力を込めれば込めた分だけ、矢にその力を伝え、はるか遠くの敵を射抜くことが出来る、剣と共に頼もしいリンクの相棒ともいうべき武器だった。

 ちなみにデルフリンガーはというと、自分の手入れをリンクがしてくれないために拗ねて金具をうらめしそうにカチカチと鳴らしていた。昨夜に行うはずが色々あってのびのびになっているのは事実だ。

 とはいっても、いくらリンクが手馴れているとはいえ、揺れる馬車の上は刃を磨くことに適しているとはとても言えない。それに一メートル半ばに近いデルフリンガーを取りまわすのに十分な広さは流石にこの馬車にはなかった。今やっている弓の手入れも、揺れていたって出来る程度の簡単なものだったのだが、それでも自分が後回しにされていることがどうにもお気に召さないらしい。背中でぶつぶつと呟き続ける剣に対して、リンクは苦笑を漏らすしかなかった。

 

「それにしても……」

 

 揺られるばかりで退屈そうに景色を眺めていたキュルケが馬車の縁の所で頬杖をつきながら口を開いた。

 

「ねえ、ミス・ロングビル? あなたは貴族でしょう? 馬車の御者なんて平民の使用人の誰かにさせればよかったんじゃないの?」

 

 それこそ衛兵の人とか、とキュルケが投げかけた言葉を聞いて、リンクは弓を弄る手を少し休めて顔を上げた。学院を出発する時に御者を代ろうとロングビルに申し出たが、御者台に座る彼女には断られてしまったのだ。

 ロングビルはキュルケの方へ振り向くと、口元に笑みを浮かべて応えた。

 

「私はメイジではありますけれども、貴族の名を失くしたものですから……それに、道のりをいちいち説明するよりも私が直接案内した方が早いと思いましたので」

「貴族の名を失くした、って……」

 

 ルイズの問いかけるような言葉に、ロングビルは笑って答えた。

 

「私の家は没落したのですよ。まあ、それなりに大きな家ではありましたけれど、権勢があったのも随分と昔のこと。今ではただの平民ですわ。身分にあまりこだわりのないオールド・オスマンに拾っていただいたおかげで、今の職にはついておりますけれども……」

 

 その声は明るい調子だった。しかし、その笑顔にはどこかもの寂しさが混じっているように感じられた。

 

「そうなの……ごめんなさい、興味本位で聞いたりして……」

 

 ロングビルの言葉を聞いて、ルイズは申し訳なさそうに眉尻を下げて目を伏せる。

 

「いえ、そんな……お気になさらないでください。血筋のおかげか、魔法が使えるのは助かっていますしね。……仕事をしないオールド・オスマンへのお仕置きとか」

「あはは、そ、そうなのね……」

 

 ルイズを慰めようとしたのか、ロングビルはおどけた調子で応えた。ただ、オールド・オスマンに対するどす黒い感情が隠しきれなかったのか、ルイズの笑顔は若干ながら引きつっていた。

 

「……ふーん」

 

 話に興味をそそられたのか、頬杖をやめたキュルケはロングビルの方へ身を乗り出すようにして訊ねた。

 

「ねえ、どうして貴族の名を失くしたの? 良かったらちょっと話してもらえないかしら?」

「それは……」

「ねえ、ダメかしら?」

 

 キュルケの期待とは裏腹に、ミス・ロングビルはその問いに答えなかった。ただ、困ったように眉を下げて曖昧に微笑むだけでいた。だが、その微笑みには、どこか寂しさと哀しみが刻まれているようにリンクには感じられた。時が経っても疼く傷のように、心に苦い感情を思い起こさせる辛い出来事を思い出しているかのように、何となく感じられた。 ロングビルの視線はキュルケの方を向いているが、その瞳には過去の情景がきっと映っているのだろう。

 

「……もしも話したくないことなのだったら、無理に聞かない方がいいんじゃないかな」

「……キュルケ」

 

 微笑んで静かにそう言ったリンクに同意するように、ルイズは彼女を止めるように低い声でその名を呼んだ。キュルケは身体を元の態勢に戻す。

 

「ごめんなさい、暇つぶしにちょっとお話しでもと思っただけだったのだけど……」

「いえ、申し訳ありません……」

 

 眉尻を下げて肩を落とすキュルケに、ぺこりと頭を下げたロングビルは再び前を向いた。ばつの悪さも手伝ってか、唇を尖らせていたキュルケだったが、はっと気を取り直すように顔を上げるとリンクに向かって口を開いた。

 

「そうだ、じゃあリンクの話を聞かせてちょうだいよ!」

「俺の?」

「そうよ! だって故郷の話とか、あなた自身についての話はほとんど聞かせてもらってないもの! 特にご両親の話なんて興味あるわ! もしかしたらご挨拶に伺うことだってあるかもしれないもの! ねえ?」

 

 楽しそうにするキュルケにむっ、と小さくルイズは唸ったが口を挟まずにいた。リンクのことを知りたいと思う気持ちはルイズ自身にもあった。だが、それに答えるリンクの言葉は思わぬものだった。

 

「両親か……ちょっとそれは難しいかな……」

「あら、どうして?」

 

 不思議そうにきょとんとするキュルケに、リンクは微笑んでいった。

 

「話を出来るほどに俺が知っていることがないんだよ。俺の父親は、戦で死んだらしくてさ。母親もまたその戦で傷を負いながらもまだ赤ん坊だった俺を抱いてコキリの森に逃げ込み、森を守っていたデクの樹様に俺のことを託したところで亡くなったらしいんだ。俺が知ってるのはそれだけ。だから、両親のことはほとんど何も知らないんだ」

「————っ……ごめんなさい、そんなことが……」

 

 思わぬ答えにキュルケは申し訳なく視線を落とした。リンクの言葉を聞いて、ルイズは目を見開き、言葉を出すことが出来なかった。いつの間にかタバサも読みふけっていた本から顔を上げ、リンクに視線を向けていた。リンクは首を横に振って、笑っていった。

 

「あはは、良いんだよ。別に隠してるようなことでもないさ。それに、親代わりになってくれたデクの樹様もいたし、家族みたいなコキリの仲間たちもいたし……」

 

 そこでリンクは言葉を切って、ふと空を見上げた。それから、ぽつりと呟くような声を漏らした。

 

「ただ、時々……両親が、二人がどんな人だったんだろうって考えることはあるんだ。顔や声や、話し方……性格に、それから、好きだったもの……何も知らないままに別れてしまったから……」

 

 考えたって仕方のないことだけれど、とリンクは笑った。けれど、それは寂しい笑顔だった。頬を濡らす涙よりも、悲しみを嘆く言葉よりも、それを見る者の胸を締め付ける、寂しい笑顔。

 

「……きっと、優しくて強い人ですよ」

 

 それまでただ黙ってリンクの言葉を聞いていたロングビルが御者台からリンクにそう声をかけた。 それはとても穏やかな声だった。

 

「……誰かを守るために命をかけられるなんて……優しくて、強くないと出来ないです。だから、リンクさんのご両親はきっとそんな、優しくて強い方だったんだと思います」

「……ありがとう」

 

 ミス・ロングビルはにこっと笑いかけた。 リンクはそれに胸が暖かくなるように思えた。ミス・ロングビルの表情に、心からそう思ってかけてくれた言葉だと信じられたからかもしれなかった。

 リンクは深く息をひとつ吐くと、皆に笑いかけた。

 

「さて! フーケのところまでまだまだかかるっていうんだったら、何か話そうか。コキリの森のことだったらたくさん話せるよ。それに、良ければキュルケの話も聞きたいな。隣国……ゲルマニアって言ったっけ? そこの貴族だって確か聞いたと思うけれど」

「え、ええ、そうよ! 留学生としてゲルマニアから来ているのよ。それから、実はタバサもゲルマニアではないんだけれど、留学生なのよね。私は半ば追い立てられるような形だったんだけれどね!」

「そんな自慢げに言うようなことでもないでしょうに……」

 

 沈んでいた調子が戻ったように、キュルケはタバサのことを軽く抱き寄せながら楽しげに話し出した。タバサは嫌がる素振りも見せず、キュルケにされるがままにしている。ルイズはちょっと呆れ顔をしながらも両手で頬杖をついて話を聞いていた。そんな様子を見て相槌を打ちながらリンクは微笑みを深くする。馬車は車輪の音を立てて進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これ以上は馬車では進めませんね。ここからは徒歩で進むことにしましょう」

 

 馬車で揺られ続けて幾刻か、深くなってきた森の最中に、ミス・ロングビルは馬車を止めてそう言った。二頭立ての馬車で進むには立ち並ぶ木々が邪魔をしている上に、道も悪い。一行は馬車を下りてしばし小休止を取ってからフーケの隠れ家へと向かうことにした。

 身体を伸ばしているルイズたちから離れて、リンクは一人、何かに気付いたのか、これから進む道の地面をじっと眺めていた。道はこれまでに比べると細くなっているが、ずっと先まで続いている。馬車を引いていた馬たちが木々に繋がれて地面を蹄で掻いている場所から、さらにリンクは十五歩ほど前へと歩いたところでしゃがみ込んだ。

 

「なんだ、相棒。何がそんなに気になるってんだ?」

 

 一見して、何の変哲もないように思える地面を見つめて動かないリンクに、デルフリンガーが不思議そうに訊ねる。それにリンクは呟くように答えた。

 

「……足跡だよ」

「足跡?」

 

 思わずそう聞き返すデルフリンガーに、リンクは地面に残るわずかな凹凸を指し示した。ただ眺めているだけでは見落としてしまうような、ごくわずかな痕跡がそこには残っていた。どうやら同じ形のものがいくつもあるようだ。

 

「ここにあるのが分かるか? 人間の足跡だ。行きと戻りの方向のどちらにも、いくつか残っちゃいるが、どれも同じ人間がつけたものだよ。形がどれも一緒だからな」

「ううん? ……お!? へぇ、よく見つけるもんだ! こんなもん気付くなんてまず無理だぜ! 言われてから目を凝らしてようやくわかるってもんだ!」

「ははっ、お前に凝らす目があるんだな」

「うるせぇ! 見えるんだからほっとけやい!」

 

 デルフリンガーを茶化すようにひとしきり笑ってから、リンクはうっすらと残る足跡をじっと見つめながら応えた。

 

「狩人に教えてもらったことの一つだよ。獲物を追いかけるには痕跡を注意深く見つける必要がある。それもただ見つけるだけじゃだめでさ。無意識の行動が残されたものなのか、それともこちらを欺くためにわざとつけたものなのか、その痕跡から探ることが出来れば自ずと相手の行動が見えてくる……ってさ」

「へぇ、大したもんだ! その狩人ってのは中々凄腕に違いねぇ! それで、相棒はこいつから何を読み取ったっていうんだよ!」

 

 勢い込んで聞いてくるデルフリンガーに、リンクはその痕跡を注意深く探りながら声を返した。

 

「……これを残した奴は、足跡がここに残ることを知らないんだろうな。数が多すぎるし、はっきりとはしないが新しいものから古いものまで、時期もばらついているように見えるものがいくつかある。足跡が残ることに気付いてわざとつけたのだったらこういう残し方はしない。そうであったなら大抵は別の場所へと誘導するようにはっきりと一方だけへついているものだし、時期も揃ってるものだ。恐らく、足跡がここに残るかどうかなんて普段から意識の中にないんだろうな」

「へへ! 不用心なこっだが、逆に言えばここを随分使い慣れてるってことだろう? てことは、こいつはこの先の小屋にいるっていうあの野郎が残したものに違いねぇってわけだな!」

 

 リンクはデルフリンガーの言葉に頷いた。しかし、その表情は暗いものだった。

 

「……ああ、だけどこの足跡には見覚えがあるんだ。それも、ついさっき……」

「あん? どういうこった?」

 

 デルフリンガーの声に答えず、リンクは馬車の所まで戻ると、御者台のすぐ傍へと立った。そしてその地面を眺める。はたしてそこには、つい先ほどまで観察していたものと同じ形の足跡があった。そう、ミス・ロングビルが御者台から降り立った時のものだ。

 

「ふぅん……こりゃあ、また……」

「ミス・ロングビルの足跡。形も大きさもよく似ていると思わないか? それこそ、同じと言っていいくらいに。もし彼女がフーケなのだとしたら、数時間のうちに隠れ家まで見つけてくるのだって簡単だろう。当然知っているんだから。……ただ、わざわざ討伐隊を案内する理由はわからないけどな……目的の宝は手に入れたのだから、すぐに逃げたっていいし、本当の隠れ家になんて案内する必要なんてないんだ。ただ俺たちを罠にはめたいっていうのなら、それこそ偽の場所に案内してもいいはずだ」

「ふーむ、確かになぁ」

 

 唸るデルフリンガーに、眉を寄せたリンクは迷うような声を上げた。

 

「……何が目的なのか、気を付けるに越したことはないが……それに……」

 

 微かに眉を寄せ、言いよどむようにするリンクに、デルフリンガーは問いかけた。

 

「なんだ? まだ何か引っかかってることがあるのか?」

「あの表情がさ……」

 

 リンクは彼女の憂いを帯びたような、物寂しい微笑みと、自分に向けてくれた優しい笑顔を思い浮かべて、首を横に振った。

 

「本当の悪党ってのはさ、あんな表情はしないんだよ。心の中で、切れてはいけない線が切れちまったような、どこか振り切れてしまったような、そういう表情をするものさ。……だけど彼女にはそれがない。それがどうにも引っかかるんだよ」

「リンク、そろそろ行きましょう!」

 

 地面を見つめながら考え込むリンクだったが、手を振るルイズから呼びかけられた。窮屈だった座席から離れて身体を伸ばせた分、元気を取り戻したのか、その声は先ほどまでよりは明るかった。

 リンクが手を振って応えたことにほっとしたような表情を浮かべた後、ルイズはロングビルたちと一緒に歩き出して行った。砂にははっきりと足跡が残されていく。

 わずかな間、その足跡を見つめていたリンクだったが、ふっと息を一つつくと、意を決したように前を見据えて歩き出した。

 

「……いいさ、わからないなら確かめればいいことだ。それに、やるべきことに変わりはない。ルイズたちの助けになる。それだけだ」

 

 

 

 

 

 それから、木漏れ日がまばらに差し込んでくる森の中を、時折道の方まで這っている木の根に足を取られぬように気を付けつつもしばらく歩き続けていると、一行は突然開けて広場のようになっている場所にたどり着いた。降り注ぐ陽光が薄暗い森に慣れた目には眩しく思える。

 その片隅には古びた木造の小屋がぽつんと建っていた。丸太を組み上げて作られた、装飾性の欠片もない無骨なものだ。壁や扉はしっかりしているが、窓にはめ込まれていたガラスはひび割れ、風が吹き込むのを遮る役目は既に失っていそうだ。雨露をしのぐにはいいが、住まいにするのはぜひとも遠慮したいものだ。かつては使われていたものなのだろうか、小屋の脇には土埃にまみれた薪が朽ちずに積み重ねられていた。

 黙々と歩くことにそろそろ文句の一つを言ってやろうかと思っていたキュルケは、古びた小屋を眺めながら呟くようにいった。

 

「……古い炭焼き小屋ね。窓のガラスも割れててボロボロ……あれがフーケの隠れ家なのかしら? ……あそこに住もうだなんて、正直言って、あんまりいい趣味してるとは思えないわ」

「好きこのんで来るような場所じゃないのは確かね」

 

 ルイズがキュルケの言葉に頷くように小声で続けた。開けた場所の周囲で境のようになっている茂みに身を隠しながらじっと小屋の様子を伺う。しばらく見ていても、特に動くものは見て取れなかった。

 

「近づいてみる?」

 

 タバサは振り返ってそう問いかけた。このままじっとしていても埒が明かなさそうだったからだ。近づいて中の様子を伺うのは危険も伴うが、もしかしたら秘宝を奪還するチャンスかもしれない。うまくすれば、奇襲してフーケを捕らえることも出来るかも。小声で相談してそう考えたルイズとキュルケ、タバサに向かってミス・ロングビルが口を開いた。

 

「そうですね……小屋に近づき、中の様子を探るのは剣士であるリンクさんに行っていただき、魔法の使えるミス・ツェルプストー達はここに残って、リンクさんの援護と周囲の警戒に当たられるというのはいかがでしょうか? リンクさんとミスタ・グラモンの決闘を私も遠目で見ていましたけれど、リンクさんの技量と速さは相当なものだと思います。あの小屋の大きさであれば、例え踏み込んだとしても、リンクさんを相手に、ルーンを唱えるほどの距離を保つことは難しいでしょうし、分の悪い賭けではないと思いますが……ただ懸念が一つ……こっそりと近寄るのにその剣と盾を背負っていては、物音で気付かれてしまう可能性が高いのではないかと……」

 

 最後には申し訳なさそうな表情になって、ミス・ロングビルはそう言葉を切った。皆の視線を受けて、リンクは背負ったデルフリンガーとミラーシールドをちらりと見た。どちらも肩に回した革帯にかけるような形で背負っているが、確かに注意深く歩いたとしても、完全に音を抑えることは難しいかもしれない。リンクが無言で身体を左右に振ると、鞘や金具などがぶつかり合って金属音が小さく鳴った。ミス・ロングビルに向き直ったリンクは笑って頷いた。

 

「まあ、確かに音はするね」

「置いていくってこと? ……危険だけど、一理あるかも……」

 

 唇に指を当て、考え込みながらそういったキュルケに、ルイズは首を勢いよく振った。

 

「ダメよ、そんなの! そんな、いくら何でも危なすぎるわ! フーケが潜んでいるかもしれないのよ!? それなのに剣も盾もなしに近づくなんて! それに、リンク一人を危ない目に合わせるなんて……」

「ですが、フーケに気付かれてはそちらの危険もまた高いのでは? 私たちでは、リンクさんより上手に隠密行動が出来るとは到底思えませんし……」

「だったらいっそここから魔法を撃てばいいじゃない! それこそあの小屋ごとフーケなんてぶっ飛ばしちゃえばいいのよ!」

「落ち着いて。それじゃ宝も一緒に消し飛ぶ」

 

 興奮したためか物騒なことを言い出したルイズに、タバサが宥める様にいった。キュルケはあきれ顔でため息をつく。

 

「頭の中まで爆発させてどうするのよ、この子は……」

「なにも徒手空拳でフーケを捕まえろと言っているわけではありませんよ? 中の様子さえはっきりすれば……それこそ、例えばフーケがあそこから離れているのならば、もしかしたら宝を取り返すことのできるいい機会かもしれません」

「でも……」

「たくっ、いいかお前ら! 俺様を置いていこうったってそうは……」

 

 相談を続けるルイズたちへ暴言を吐きかけたデルフリンガーを制し、リンクはデルフリンガーにだけ聞こえるように小声で囁いた。

 

「しっ。あの人の狙いを知りたい。わざわざこんなことをさせるんだ。きっと何か俺にやらせたいことがあるんだろうさ。悪いけど黙っててくれ。……懐を探れば別の武器だってあるにはある。それこそ見せてない切り札だってな。何かがいたとしても、まあ対応は出来るさ。もし、ルイズたちの方に来たなら……その時はその時。必ず何とかするよ」

 

 リンクの言葉に、デルフリンガーは不満げな様子で金具をカチカチと小さく打ち合わせていたが、やがて渋々といった調子で応えた。

 

「……ふん、相棒がそうまでいうってんなら仕方がねぇ。気は進まないが乗ってやるよ。……嬢ちゃんたちのことも任せときな! いざとなったら、このデルフリンガー様にも奥の手ってもんがある。精々それを切らせるような下手を打たないでくれよな、相棒!」

 

 デルフリンガーの答えに、リンクはふっと微笑みを浮かべると、背中からデルフリンガーとミラーシールドを外した。

 

「よし、置いて近づこう」

「リンク!」

 

 咎めるような、慌てた声でルイズはリンクの名を呼んだ。眉の下がったその表情はとても不安げだったが、リンクは何でもないような調子でそれに返す。

 

「心配ないよ。無理はしない。ちょっと様子を見てくるだけさ」

「リンク……本当に大丈夫?」

「危険なのは確か」

 

 心配げにするキュルケと表情を変えずにそう声をかけたタバサに、リンクは微笑んだ。

 

「大丈夫だよ。剣と盾だけが俺の道具って訳じゃない。それに、素手にだって結構自信はあるんだよ? なんだったら、腕相撲でもしてみる?」

「もう、ばかっ! 心配してるんだから茶化さないでよ!」

 

 笑ってそういったリンクの右頬を、ルイズは弱くきゅっとつねってたしなめた。キュルケとタバサも、小さくため息をひとつついてからリンクに声をかける。

 

「……そうよ、私たちに気を使ってそんな風に振舞ってくれるんでしょうけれど、危険なのは確かなんだから。何かあればすぐに合図を出してね?」

「いつでも援護出来るようにしておくから」

 

 ちょっぴりだけひりひりする右頬をさすりながら、リンクはそれに応えた。

 

「あいちち……ごめん、ごめん。心配かけるけれど、大丈夫。ちゃんと、いざという時の手だってあるから。何が出てくるか、確かめてやるさ。だから、待っていてよ」

 

 心配は尽きないが、頼もしげにそういったリンクに、ルイズたちは任せることに決めた。それから、さらにもう少しの間だけ相談を続け、作戦を決めた。

 リンクは茂みの中を移動し、窓のない壁の方向から小屋へと近づく。そして中の様子を伺い、フーケの気配がなければ扉を開き、もしも宝が残されていればそれを取り返して戻ってくる。

 ルイズ、タバサ、キュルケの三人は、小屋へと近づき、中へと入るリンクの動きが見えるように、小屋から距離はあるが、扉からは正面に位置する茂みに潜む。そして、いつでも援護が出来るように、魔法の準備をしておく。

 残るミス・ロングビルは周囲にフーケが潜んでいないか、リンクとは別の方向から茂みを移動して探ってみてから、ルイズ達とは別方向からリンクの援護に回ることとした。

 それから合図を取り決め、手筈を整え終えると、ミス・ロングビルが小屋から見つかることが無いように注意しながら立ち上がった。

 

「それでは私はこちらから回っていきます。もし何かあればすぐに杖で合図を出すようにします。どうか皆さんもお気をつけて」

 

 そう告げたロングビルは背を向けて離れていった。十分に離れてから、彼女は小さくにやりと笑い、呟いた。

 

「さあ、使い魔の剣士さん。頼むわよ。あれが本当にガラクタなのか、それともオールド・オスマンが宝と呼ぶにふさわしいのか、その価値を見せてもらおうじゃない」

 

 ミス・ロングビルが離れていってから、手筈通り数分待った後、リンクが立ちあがった。

 

「それじゃあ行ってくるよ。ルイズ、悪いけど、ちょっとだけ預かっていてくれ」

「うん……きゃっ!」

 

 デルフリンガーとミラーシールドを受け取ったルイズだったが、それらは思っていたよりもずっと重く、取り落としそうになってしまって、思わず小さく声を上げてしまった。

 

「大丈夫?」

「ご、ごめんなさい、ちょっとびっくりしちゃって……こんなに重いと思わなくって……」

「本当? 試しにちょっと私にも持たせてよ、ルイズ……うわっ、本当だわ!」

 

 普段重さなんてないかのように軽々と取扱っているリンクからは想像も出来なかった、ずっしりと腕に感じる負荷に、ルイズは驚いてしまった。ルイズから剣と盾を受け取ったキュルケもまた目を見開き、驚きの声を上げた。リンクから革帯も受け取ったルイズは、彼が普段そうしているようにデルフリンガーとミラーシールドを背負ってみる。だが、のしかかってくるようなその重さに、とても普段通りに動くことは出来そうにない。こんなものを背負ってよくもまあリンクはあんな風に動けるものだと思わずにはいられなかった。

 

「……あんまり走れそうにはないわ」

「ははは、まあ重ければ無理に背負わなくったって、置いといても大丈夫だよ。こいつは拗ねるかもしれないけれど」

「へっ、もう拗ねてるからほっときやがれ! このデルフ様を置いてったことを後悔しねぇように、精々うまくやれよ! 相棒!」

「はいはい」

 

 発破をかけるように声を上げたデルフリンガーに苦笑し、リンクは足音を立てずにそっと茂みの陰を移動していった。

 

「リンク……気をつけて……」

 

 祈るように、ルイズはその後ろ姿を見つめながらそっと呟いた。

 

 

 

 

 

 

「さてと……剣と盾を置いていかせて、あの人は何をさせたいのか……小屋の中に罠でも仕掛けているのかな……」

 

 入口の扉からは反対となる、窓のない壁の方向から、身を潜めていた茂みからそっと出てきたリンクは気配を殺しながら小屋へと近づいていく。忍び足でそっと歩く間、音一つ立てることはない。壁へとたどり着き、耳をつけて小屋の中から音がしないか、聞き耳を立てる。しかし、しばらく待ってみても小屋の中からは何の音もしてこなかった。

 そっと壁伝いに歩き、正面へと回っていく。ボロボロになった窓からそっと中の様子を伺う。薄暗い室内に、人のいる様子はなかった。床には飲み干した後の空瓶がいくつか転がっているが、それだけだ。奥に見えるベッドには薄布が残されていたが、膨らみもなく、そこに横になっている人はいなかった。ただ、机の上には見覚えのある古びた箱が置かれている。人一人が何とか抱えられるような大きさの、刻印が表に施されたそれは、宝物庫で見たあの箱、フーケに盗み出された秘宝の箱──オールド・オスマンが最も大事にしていた秘宝を収めた──に違いなかった。

 音も立てず、扉を開いたリンクは、罠がないことを確認し、室内へとその体を滑り込ませる。だが、部屋の中には人の気配はなかった。

 

「……ま、人がいる、なんてことはないよな……仕掛けの類も特に見当たらないな……」

 

 薄暗い、静かな室内をぐるりと見渡す。簡素なベッドと木製の質素なテーブルと椅子が一揃い、そしてもう火が入ることはないだろう、うずたかく灰が積もった暖炉があるだけの古びた室内。誰かが隠れている様子もない。小屋の朽ち果てた様子の割には、床に埃はあまり積もってはいない。フーケが出入りしていたためだろうか。

 ゆっくりとリンクは机の上の箱に歩いて近づく。フーケが逃亡せずに、わざわざここまでリンクたちを連れてきた目的が、この箱にあるはずだ。

 

「こいつか……」

 

 リンクは掛け金を外し、ぐっと力を込めて箱の蓋を開いた。その中身を見たリンクは思わず目を見開いた。学院の秘宝というからには、宝石がちりばめられている美術品や、あるいはすさまじい魔力を秘めた魔道具がはいっているのだろうとリンクは思っていた。

 だが、その箱に入っていたものは、そんな予想とは全く違っていた。そこに入っていたのは、古びた剣と盾だったのだ。何かの力を秘めているようにも感じられなかった。

 そっと指先で触れてみる。ひんやりとした冷たい、硬い感触が伝わってくる。きっと鋼鉄製のものだろう。かつて、どこかの騎士が使っていたであろう剣と盾。埃を被っていたり、錆び付いたりはしていないが、状態として褒められそうなのはそのくらいだった。

 一メートルを超えるその長剣の剣身はあちこちがボロボロに刃こぼれしていて、とても在りし日の切れ味を保っているようには見えなかった。鋭い大小の傷が剣身だけでなく、施されていた装飾がわずかに残る鍔の部分にまで幾筋も走り、その姿が歴戦の果てのものであることを伝えている。

 盾もまた、その使用者の身を守ってきたことを物語るかのように傷だらけだった。燃え盛る炎でも浴びたのだろうか、左半分には表面の凹凸が溶けたようになだらかになっている。

 リンクはゆっくりとその盾を目の前に掲げた。彼が驚いたのは、箱の中に入っていたのが秘宝とはとても思えない古びた剣と盾であったからではない。その盾を──正確に言えば、それと同じものを──リンクはよく知っていたからだ。

 鋼鉄で出来たその盾の表側は、深い青が全体を彩っていた。施された装飾は見慣れたもので、中央にあるのは翼を広げた鳥の紋章であり、そしてその鳥が戴くようにしているのは、リンクの左手の甲に光るものと同じ、ハイラル王家の紋章でもある、黄金の聖三角。──そう、その盾は、ハイリアの盾だったのだ。

 

「なぜ……なぜ、ハイリアの盾がここに……? いや、それよりも……これが学院長の最も大切にしていた秘宝だって? どういうことなんだ……?」

 

 リンクが思わずそう呟いたところで、ルイズの鋭い叫び声が響いた。

 

「リンク! 逃げて!」

 

 次の瞬間、爆発のような音と共に襲ってきた強い衝撃に引き倒されそうになり、リンクは右足に力を入れて踏ん張った。ばらばらと身体に降りかかってくる飛び散った木片を振り払い、音のした方へと振り返ると、背後の壁は吹き飛び大穴となっていて、岩石で出来た巨大な腕が突き出していた。その腕は穴の縁に手をかけたかと思うと、次は引き裂くように力をかけ始め、小屋は苦痛を叫んでいるかのようにミシミシと嫌な音を立てて軋み始めた。

 リンクは秘宝の箱の中に入っていた剣と盾を掴んだまま、扉を蹴り破って小屋の外へと転がり出る。激しい音を立て、小屋が崩れ去ったのはそれとほとんど同時だった。ほぼ一面の壁を抉られ、引き裂かれてしまっては、朽ち果てたこの小屋では最早自重を支えることが出来なかったのだろう。

 リンクはぱっと跳ね起き、掴んでいた古びたその剣と盾を構えた。襲い掛かってきた岩の腕の主はやはりゴーレムだった。昨夜学院を襲ってきたものと造形はよく似ているが大きさはそれよりはずっと小さく、おおよそ二メートル半といったところだ。しかし、それほど頑丈なものではなかったとはいえ、建物を瞬く間に破壊出来るほどの膂力を持っているのは確かだ。

 

「リンク!」

 

 飛び出してきたリンクの姿を見て、ルイズは思わずその名を叫んだ。しかし、その声に反応する間もなく、デルフリンガーが警告するように鋭く叫ぶ。

 

「相棒、気をつけろ! 奴さん一体じゃねぇぞ!」

 

 するとリンクの周囲で俄かに地面から土がぼこぼこと湧き上がり、姿を瞬く間に形作っていく。小屋を破壊したゴーレムがリンクへと向き直るほんのわずかの間でそれらは完成し、四体となったゴーレムはリンクを四方から取り囲んだ。今にも再び襲い掛かろうと、それらは身構えていた。

 

「リンクを助けないと!」

「わかってるわ! やるわよ!」

「っ!」

 

 ルイズ、キュルケ、タバサの三人は隠れていた茂みから飛び出し、杖を構えた。ルーンを唱えようとしたその瞬間、デルフリンガーがルイズの背で叫んだ。

 

「おい、嬢ちゃん! 後ろだ!」

 

 リンクを助けようとして飛び出したルイズたちのその背後。そこには既に岩石の身体が湧き上がってきていた。リンクの周囲を囲むゴーレムとその姿形は同じだ。フーケは、ルイズたちの後ろにもゴーレムを作り出していたのだ。ぱらぱらと土塊を落としながらもそれは、腕を振り上げて今にも襲いかからんとしていた。ルイズに背負われていたデルフリンガーだけがそれに気づくことが出来たが、三人はその叫びを聞いて、辛うじて振り向くことしか出来なかった。

 

「ちっ!」

 

 リンクは力強く剣の柄を握りしめた。迷っている時間はない。今、左手に握っている、この古びた傷だらけの剣で全てのゴーレムを──自分の周囲を取り囲むものも、ルイズたちの背後に迫るものも──全てを打ち砕くしかなかった。

 剣を握る左手に、魔力を込める。その魔力は、剣へと伝わっていき、激しく空気を震わせた。高い、唸りのようにも思えるその音は、相対する者がもし人だったならば、身じろぎひとつすることすらできなかったことだろう。込められた魔力は紅い光となって渦巻き、纏う剣を眩いほどに輝かせる。

 

「はぁあああああああ!」

 

 瞬きするほどにも満たない刹那の間に溜めを終え、気合の叫びと共に、リンクは即座に体を思い切り回転させて剣を振り抜いた。ギーシュとの決闘の時には使うまいと決めていた、魔力を使った剣技の一つ──大回転斬りだ。

 鋼鉄の剣身を遥かに超えて伸びた、紅き魔力の刃。それがリンクを取り囲んでいた四体のゴーレムを切り裂き、打ち砕いた。深紅の剣閃は岩石の傀儡たちを薙ぎ払い、打ち砕かれた岩塊の身体は砂へと還る。

 そこでリンクは止まらなかった。大回転斬りの勢いもそのままに剣を振りかぶり、今度はルイズたちの背後で拳を振り上げている岩人形へ向かい、振り抜いた。

 

「はぁっ!」

 

 振り抜かれると同時に、深紅の光を纏う剣から、輝く紅い光が放たれた。振り抜かれた剣の軌跡のままに、三日月のような弧を描き斬撃として放たれたその魔力の刃は空気を震わせ、三十歩は優に離れていたゴーレムへと一瞬で到達した。

 強烈な音が響いたと思った時には、ゴーレムの岩の身体は既に切り裂かれていた。首から胸にかけては内側から爆発したかのように大きく抉られ、そこから全身にヒビが縦横に走ったゴーレムは、弾けた石榴のように破片を巻き散らしながら崩れ去り、砂へとその姿を還していった。

 しばしの間、リンクは深紅の光を纏う剣を構え、じっと様子を見ていた。だが、ゴーレムが砂から再生されることもなく、再び現れないのを見て、ふっと息をつき、込めていた魔力を解いた。安心できるわけでは決してないが、どうやらフーケは続けて襲ってくる気はないらしかった。剣が纏っていた紅い光はゆっくりと消えていく。

 折れることもなく、普段のように魔力を込めることも出来たことに、古びた傷だらけの剣へ内心で感謝しながら、リンクはルイズたちの元へと走っていった。

 

「みんな、大丈夫か?」

 

 砕けたゴーレムの残骸の小石を足先でカツンと蹴りながらキュルケは呟くようにいった。

 

「……私たちの後ろにもいたのね、前に気をとられて気づかなかったわ」

「そ、そ、それよりも!」

 

 ルイズは目を見開き、思わずどもりながら勢い込んでリンクに問いかけた。

 

「い、今のが秘宝の力なの!? すごいわ! あのゴーレムたちを一瞬でやっつけちゃうなんて! リンク、どうして使い方を知ってるの!? 何にしても、リンクが無事でよかったけれど!」

「そうね! 凄まじかったわ!」

「……剣と、盾……? 随分変わった魔道具……それに、その紋章……」

「いや、これは……」

 

 息も荒く興奮気味のルイズと目を輝かせているキュルケ、そして訝し気に眉を寄せるタバサにリンクが答えようとしたところでがさがさと慌ただしく茂みをかき分ける音が聞こえてきた。

 

「皆さん、ご無事ですか!?」

 

 音の主はロングビルだった。杖を手元に取り出していて、その口元には微かに笑みを浮かべている。キュルケはロングビルの姿を認めると声を掛けた。

 

「あら、ミス・ロングビル、戻ってきたのね。向こうの方はどうだったの?」

「いえ、見てきた範囲では変わったものは何もありませんでしたわ……といっても、それほど遠くまで見てきたわけではありませんでしたが。先ほどのゴーレムの轟音を聞きつけ、慌てて戻ってきたのです。もっとも、そのおかげで秘宝の力を目にすることが出来たのですが……」

 

 それにしても、とロングビルは言葉をつづける。

 

「フーケも下手を打ったようですわね。秘宝を取り返された挙句、その力で返り討ちに合うとは……」

 

 ロングビルの言葉に頷くように、ゴーレムの残骸である土塊の山を眺めながらキュルケはいった。

 

「あのゴーレムも再生したりしないところを見ると、ここから逃げだしたのかしらね。討伐……とはいかなかったけれど、盗まれたものは取り返せたから、ひとまずは任務達成、ってところかしら」

「ええ、それにしても、本当に凄まじい力でしたわ。リンクさん、お見事でした。秘宝ですが……よろしければ私がお持ちいたしましょう。宝物庫にしまわなければいけませんし、もしもフーケが戻ってきたりした場合でもリンクさんが自由に動けた方がよろしいでしょう」

 

 そういってにっこりとリンクに向かってロングビルは笑いかけ、その両手を差し出した。リンクはちらとその表情を伺う。柔らかな笑みを浮かべているが、その視線はリンクが握る剣と盾にじっと注がれていた。

 

「……そういうことか」

 

 リンクは誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。くるりと左手に握った剣を回す。フーケがなぜここまで自分たちを連れてきて、小屋の中にせっかく盗み出した秘宝をわざわざ取り戻させたのか、それに得心がいったのだ。

 まだ応えないリンクに向かってルイズがおずおずといった様子で話しかけた。

 

「……ちょっと私も触ってみたいかも……」

「あ、それなら私も興味あるわ! あんなにすごい力を持った秘宝でしょ!? 触れられる機会なんてそうそうないもの! ここだったら誰かに咎められるわけじゃないし、せっかく苦労もしたんだから、ちょっとくらい遊んでみても……」

「苦労って……馬車に乗ってただけじゃないの」

「いやだわ、十分すぎる苦労じゃない」

「はぁ……」

 

 楽し気な様子で話すキュルケとそれに眉を顰めるルイズを見て、タバサは若干呆れたようなため息をついた。

 リンクはしばしの間、ロングビルを見つめた。彼女は表情を変えることなく、リンクが秘宝を手渡すのをじっと待っていた。リンクは、ただ無言で秘宝であるその剣と盾とを差し出した。

 デルフリンガーは警戒の声を上げようとした。秘宝を取り戻すことは出来たのだから、後は目の前にわざわざ戻ってきたこの面の皮の厚い盗人をしょっ引けばいいのだ。しかし、金具がカチャリと音を立てた瞬間、リンクはデルフリンガーに視線を向け、その動きを制した。鋭い視線を受け、デルフリンガーは口をつぐんだ。

 ロングビルはリンクから秘宝を受け取ると、はぁ、と深いため息をついて踵を返し、数歩距離をとった。その肩は小刻みに上下している。

 

「……ああ、やっぱり正解だった……確かに力を感じる……」

「……ミス・ロングビル? どうしたの?」

 

 振り返らぬままにぶつぶつと呟くロングビルを見て、ルイズは怪訝そうに声を掛ける。ロングビルはそれには応えなかった。唇が歪むのを、もうロングビルはそれ以上抑えていることは出来なかった。笑いがこみ上げてくる。

 

「ふふっ、あは、はははははっ! やっぱり思った通り! リンク! あなたならこの宝の価値を教えてくれるんじゃないかと思ったわ! あの腐れ爺にとんだガラクタを掴まされたと思ったけれど、素晴らしいじゃない! 魔道具に力を込めるようにして、振ればいいってわけね! 危険を冒してわざわざここまで連れてきて試した甲斐があったわ!」

「ミス・ロングビル、一体何を……」

 

 驚いて目を見開き、問いかけるルイズに向かい、ロングビルは嘲笑うような哄笑を上げて振り返った。かけていた眼鏡を取り払い、後ろでまとめていた髪を振りほどいたその姿が纏う雰囲気は普段とはまるで違っていた。

 

「はははっ! 全く、鈍い子ね! オールド・オスマンの秘宝を盗み出したのはこの私だって言っているのよ!」

「そ、それじゃ、あなたが、土塊のフーケってこと!?」

 

 キュルケは信じられないという表情で叫んだ。ルイズははっと息を呑んだ。タバサはぐっと杖を掴む手に力を込めて構えた。

 

「そうよ! 昨夜に学院の塔を襲ったのもこの私! さっきのゴーレムを操っていたのもね!」

 

 勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ロングビル──いや、土塊のフーケは続ける。

 

「ふふふっ! 全く大変だったわよ! やっとの思いで盗み出した秘宝がまさか傷だらけの剣と盾! 無駄骨を折らされたと思ったけれど……オールド・オスマンが最も大切にしていると刻むぐらいですもの。何か価値を隠しているはずだと思ったわ」

「それで俺にわざと秘宝を使うように仕向けて、その使い方を試してみたって訳か」

 

 確信をもった口調で問いかけたリンクに、フーケは不敵に笑って答える。

 

「ええ、そうよ。リンク、貴方を連れてくるために嘘の情報を伝え、こうして秘宝を使わせるように多少強引でも一人で小屋に向かうようにし、ゴーレムを操って……まあ、その苦労も報われたと思えばいいわ」

「リンクに秘宝を使わせるように、ってどうして?」

 

 ルイズは杖を取り出してフーケに突き付け、鋭く睨みながら問いかけた。杖を突きつけられていることなど意にも介していないように、微笑んでフーケは答えた。

 

「あら、ヴァリエール嬢はまだ気づいていなかったのかしら? 見てご覧なさいよ、この盾にある紋章。どこかで見覚えがあるとは思わないかしら?」

 

 そういってフーケは盾の表面を見せるように掲げて見せた。それを見てルイズは思わず、あっ、と声を上げた。そしてリンクの左手に視線を向ける。

 

「同じでしょ? 貴方の使い魔の剣士さんの左手のルーンと? 私もハゲのコルベールから変わったルーンを持つ、エルフのように長い耳の使い魔が召喚された、って話を聞かされた時には特に気にも留めていなかったけれど……こうして同じ印がついていたんだもの。何か繋がりがあるんじゃないかって考えたのよ。それこそ、こいつらの価値を教えてくれるような何かがね」

 

 コルベールからリンクのルーンについてスケッチを見せられた時のことを思い浮かべながらフーケはいった。立ち話のついでに何とはなしに出た話題だったが、オールド・オスマンもルーンについて知らされた時に随分と表情を変えたらしい。盾の紋章に気付くまではすっかり頭から抜けていたが、試してみるには十分な情報だと思ったのだ。

 

「さて……秘宝の価値も知ることが出来たし、貴方たちにはもう用済みよ」

 

 そういってフーケは冷徹な笑みを浮かべた。ルイズの杖を握る手に力が入る。

 

「————っ! どういうこと!?」

「文字通りの意味よ。貴方たちにもう用はない。姿を消すまでの時間をもらうためにも、ちょっと怪我をしてもらいたいところなのよね。どうせなら、この秘宝の力を受けてみるっていうのはどうかしら?」

 

 声を上げたルイズに向かって、冷たい声で告げたフーケはガシャリと剣を掲げた。身構えるルイズたちだったが、その前にリンクは無言で立った。デルフリンガーも、ミラーシールドもまだルイズに預けたままで、丸腰のままだ。心配そうにルイズは声をかけた。

 

「リンク?」

「ふぅん? 何かしら? 丸腰で前に立つだなんていい度胸じゃない」

「いいや、そうでもない」

 

 挑発するようなフーケの言葉に、焦ることもなくリンクは応じた。その様子が気に入らないフーケは怪訝な表情を浮かべ、若干苛立った調子で問いかける。

 

「随分と余裕をみせるじゃないの。あんたがさっき力を見せた秘宝はこの手にあるのよ? それでも素手で私に勝てるとでも?」

 

 だが、リンクの反応は思っていたものとは違っていた。リンクは首を横に振り、静かに口を開いた。

 

「いや、そうじゃない。それが見た目の通り……ただの古びた剣と盾だからだよ。もしも魔力を感じたのなら、それはさっき俺が込めた魔力の残滓……何もその剣が特別だからじゃない」

 

 リンクの言葉を、フーケは鼻で笑った。

 

「はっ! 何を言い出すかと思えば……ハッタリをかますにしたって、もうちょっと信じられるようなことを言ったらどうなの? 魔力を込めた? あなたが? 口から出まかせにも程があるわ」

 

 リンクはルイズの背負う鞘からデルフリンガーを握り、抜き放った。デルフリンガーの剣身は神々しさを感じさせる白い輝きを放つ。ルイズたちも、フーケも、その剣身をじっと見つめた。半信半疑でいたルイズと、リンクの言葉を信じていなかったキュルケ、タバサ、フーケは、その剣身が見せた変化に、揃って驚愕の表情を浮かべる。

 リンクが魔力をデルフリンガーへと込めていくにつれて、再び周囲の空気が激しく震えていく。唸りのような音が響き、込められた魔力はそれを纏う剣身を青く光り輝かせた。やがて、さらにその量を増した剣身は紅く、眩く輝いた。それは正しく、先ほどゴーレムを打ち砕いた秘宝の剣と同じ状態だった。

 

「ほらね。今度は溜めに少し時間をかけたけれど」

 

 目の前の光景を信じられず、フーケは声も出せずに、あんぐりと開けた口をパクパクとさせる。キュルケは目を見開いたままにリンクへ問いかけた。

 

「じゃ、じゃあ……あの盾は? あれも秘宝じゃないっていうの?」

「あれはハイリアの盾という、鋼鉄製の盾だよ。武具屋なんかに普通に並んでる代物さ。もっとも、俺の世界──ハイラルでの話だけれど」

「ハイラル……異世界……」

「ははっ、やっぱり信じてはなかったみたいだな」

 

 リンクの答えを聞いて、キュルケは思わず息を呑んだ。そして、リンクが自身を異世界から来たと確かに話していたことを思い出した。それから、何かの冗談だと思ってそれを笑い飛ばしたことも。こちらを振り返って微笑むリンクに、キュルケは頷いた。

 驚いた表情をしたまま、タバサもリンクに向かって聞く。

 

「紋章はどういうこと? どうしてあなたの左手のルーンと同じものが……」

「あの三角形の紋章自体はハイラルでは王家の紋章でもあるんだ。だから、装飾としても使われることも多いんだよ。例えば、ああいう盾なんかだと、王家に対する忠誠の象徴としてね。……俺の左手のものについては、どこから話をしたらいいのかわからないけれど……とにかく、あの盾そのものに何かがあるってことはないよ。なぜオールド・オスマンがハイラルのものを秘宝として保管していたのか……それは分からないけれど……」

「そんな……馬鹿なっ……」

 

 愕然として振り絞るような声でフーケは叫んだ。先ほどまでの優位に立っていた自信と余裕の表情は既になく、その両手に握っていたその剣と盾を今にも取り落としてしまいそうにがっくりと肩を落としていた。

 

「そっか……でも、リンクは魔法……じゃないかもだけれど、不思議な力をもっているのね……あんな、凄まじい力を……」

 

 信じれらないような心持でルイズは呟くようにいった。ゴーレムを瞬く間に打ち砕いた、あの光景がまざまざと脳裏に浮かぶ。リンクは申し訳なさそうな表情になって言葉を返した。

 

「ごめんね、別に隠すようなことじゃなかったけれど……エルフだ何だって、また騒ぎを大きくしちゃいそうだったし、この世界の魔法とはまた全然違うみたいだったから、わざわざ説明しない方がいいかと思って」

「ううん、いいのよ。ただ驚いただけだったから……また、色々話を聞かせてもらえると嬉しいけれど……」

「どうだっていいわよ、そんなこと……」

 

 ルイズはその言葉に首を横に振って、微笑んで応えたが、不意に聞こえてきた背筋をぞくりとさせるような冷たい声にはっとなって杖を構え直した。声の主はフーケだった。フーケは持っていた剣と盾をぞんざいに投げ捨て、懐から杖を取り出した。その手は怒りに震えている。

 

「私はやっぱりガラクタを掴まされたってことでしょ? 本当にふざけてるわ……そう思わないかしら? ねぇっ!?」

 

 言い終わると同時にフーケは杖を振ってルーンを唱えた。彼女の足元から土が湧き上がり、それは学院の塔を襲ったものと同じ、巨大なゴーレムの姿を形作った。その岩の身体が太陽を遮り、リンクたちに影を落とした。

 

「はっ! 結局徒労だったって訳ね! とんだぬか喜びをさせてくれて、おかげで余計に腹が立つわ! 悪いけれど、手荒な扱いをさせてもらおうじゃないの!」

「皆、離れてろ!」

 

 リンクの声にタバサがすかさず反応し、指笛を吹いた。その音に反応し、彼女の使い魔の風竜、シルフィードが空から降り立つ。フーケは再び杖を振るが、ゴーレムはまだ攻撃の素振りを見せてはいなかった。その間に、まだミラーシールドを背負っていたルイズからリンクは盾を受け取り、彼を除いた三人はシルフィードの背へと急いで乗り込んだ。

 

「リンク! あなたも!」

 

 シルフィードの背からルイズが手を差し伸べるが、リンクは首を横に振った。

 

「大丈夫だ! 俺はここで相手をする! 行け!」

 

 リンクの言葉に、タバサは指笛を鋭く吹いた。その音を合図にシルフィードは力強く翼をはためかせ、空へと舞い上がった。突然吹き付ける風に、ルイズは腕で顔を覆った。

 

「っ!」

「タバサ!?」

「問答してる暇はない。彼が大丈夫だというなら、信じるしかない」

 

 キュルケは驚いた声でタバサの名を呼ぶが、タバサは振り返ることもなくそう答えた。それにキュルケは静かに頷く。

 

「……そうね、きっと大丈夫! 昨夜だってあのゴーレムを斬り裂いちゃったものね!」

「距離を取ったら援護をする」

「……うん」

 

 タバサの言葉にルイズはぎゅっと杖を握る手に力を込め、心配げに離れてしまうリンクを見つめた。

 

 

 

 

 

 


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