ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

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土塊のフーケ② 夜が明けて、湧き上がってくる想い

「全く何と無様なことですか!? トリステイン魔法学院の宝物庫が賊なんかに破られ、しかもまんまと秘宝を盗み出されるとは!? 昨夜の宿直当番のメイジは何をしていたというのですか!?」

 

 コルベールはいら立ちを隠そうともせず、そう怒声を上げた。フーケの魔法学院襲撃から一夜が明けていた。学院の全ての教師たちと、それから実際にフーケを目撃したルイズたちが集められ、ことの経緯の聴取とその対策を話し合っていた。学院が襲撃されたという一大事はひっくり返したような大混乱を招き、ようやく一心地ついたのが日もそろそろ高く昇ろうかという頃であった。

 一通りの聴取が終わり、再びこうして召集されるまでの少しの時間、体を休めたルイズだったが、まんじりともせずあまり眠れてはいなかった。ちらりと横に立つリンクの頬を見る。そこには昨夜自分を助けた時に負った傷が残っていた。モンモランシーが水の魔法をかけてくれたおかげですぐに血は止まったが、それでも傷痕を残さないまでに治癒するには秘薬が必要になってくる。リンクは大した傷でもないし、止血だけで十分、とそれ以上は望まなかった。だが、その傷を見る度にルイズの胸はちくりと痛んだ。

 ベッドの中にいる間も頭の中を巡っていた思いにまた囚われようとしていたルイズだったが、聞こえてきた厳しい声にはっとなった。

 

「そもそもですよ、オールド・オスマン! 本塔の学院長室で眠りこけていたあなたが何も覚えていないというのはどういうことなのですか! あなたがいたのは宝物庫のほとんど真上と言ってもいいような場所なのですよ!」

 

 コルベールの叱責に、オールド・オスマンは痛切な悔恨の情を滲ませて答えた。

 

「それについては釈明のしようもないのう、コルベール君……わしは眠っておったのじゃ。あの騒動に気付かぬほどに深くな。疲れておった、というのは確かじゃが、それを招いたのも自分であるからして何の言い訳にもならん……。学院を守るという義務を放棄して眠りこけておった。それが昨日のわしじゃよ」

 

 オールド・オスマンの声はいつにもなく沈んだものだった。普段の彼と接している者ならばとても想像もできないような声色だ。コルベールはため息をつく。

 

「その前の様子を見ていた私からすると、申し訳ありませんが擁護できませんよ、オールド・オスマン……」

「もちろんそうじゃろうとも。全くもってそれには同意じゃよ」

 

 再びコルベールは深いため息をついてから学院の教師たちに向き直った。その中の一人に向かって強い非難の視線を向けて口を開いた。

 

「はあ……それで、ミセス・シュヴルーズ。昨夜の宿直の任に当たっていたのはあなたでしたな?」

 

 コルベールの言葉に、シュヴルーズは紫色のローブに包んだふくよかな体を飛び跳ねるようにびくっと大きく反応させた。震える声で返事をする。

 

「ひっ! ……あ、あの、そ、その通りですっ……!」

「ミセス・シュヴルーズ! それなのにあなたは居眠りをしていたそうではないですか!? ご丁寧なことに自室のベッドで! 本来ならばあなたが真っ先に駆け付けなければならないところを、見張りの衛兵に起こされるまで襲撃にすら気付いていなかったとは! 一体どういうことですかっ!」

「も、申し訳ありませんっ……!」

 

 激しい剣幕でまくし立てるコルベールに向かって、シュヴルーズは可哀そうなくらいに顔を青くさせ、身体を縮こまらせて謝罪した。

 

「全く、職務を放棄して惰眠を貪るとは……一体どういう心がけでこの職に就いているのです?」

 

 黒いマントを羽織った長髪の男が責めるような口ぶりで、辛辣な言葉をシュヴルーズに向かって言い放つ。

 

「わ、わたくしは……昨夜、い、一度見回りをちゃんとやったのです! 異常がないことを確認して、それから少しの間だけ休憩をしようとしたら、ついうとうととしてしまって……そ、そういうミスタ・ギトーだって、この間の宿直の時には見回りもせずにワインを飲んでいたではありませんか!」

「なっ! 何を出まかせを!」

「出まかせなどではありませんわ! 確かにこの目で見ましたもの! ミスタ・ギトーだけではありませんわ! 他の先生方だって、自分が当番の時には好き勝手やっていたではありませんか!」

 

 シュヴルーズの耳に痛い指摘を受けて教師たちは口々に反論する。しかし身に覚えのあることは自分自身が一番よく分かっており、その口から出てくるのは他人への非難と醜い暴露だけだ。キュルケが失望したように小さく呟く。

 

「呆れた……だーれもちゃんとやってないじゃないの」

「学院が誇るだとか……聞いて呆れるわ」

 

 モンモランシーがそれに同意してため息をついた。眉をわななかせ、顔を朱に染めながら、コルベールが叫んだ。

 

「ええい、やめなさい! みっともない! 皆さん、自分が恥ずかしいとは思わないのですか!?」

 

 コルベールの叱責に教師たちは身を縮こまらせて口をつぐむ。怒りの表情を浮かべるコルベールに向かってオールド・オスマンは静かに口を開いた。

 

「……コルベール君、ひとつ言っておくと、わしも実は見たことがあるのじゃ。三カ月ほど前じゃったか、君が宿直当番をしておる夜のことじゃった。担当の時間となってから五分も立たぬうちに君は自分の研究室に引き返してきたのう。そしてそれから夜明けも過ぎ、完全に太陽が昇ってくるまで、ついぞその扉が開くことはなかったのう。君は一晩中、随分と熱心に自室の見回りをしてくれていたみたいじゃな?」

 

 ぐっと息が詰まったコルベールはさらに顔を真っ赤にして熟れたトマトのような顔色になるが、何の言葉も発することはなかった。オールド・オスマンは皆に語り掛けるように続ける。

 

「……ミセスを責めることはできんよ。我らの誰もが油断しておった。学院に賊が入ろうなど夢にも思わなんだ。このわしとてもそうじゃ。そうだったからこそ、宿直だって今まで一度も手を抜いたことなく真面目にやっておったものなどこの中にはおらんのじゃろう。彼女にももちろん落ち度はある。だが全てという訳ではない。たまたまことが起きたのが昨日だったというだけじゃよ。誰の責任という訳ではないのじゃ、強いて言うならば我々全員の責任じゃよ」

「ああ、オールド・オスマン……」

 

 シュヴルーズは自分を庇うように言ったオールド・オスマンの言葉に感極まって、それ以上は嗚咽を漏らし続けるだけだった。教師たちが皆返す言葉もなく俯いたのを見て、オールド・オスマンは深いため息をついた。

 それから、ルイズとリンクに目を向けて問いかけた。

 

「最も近くで奴を見たのはミス・ヴァリエールとその使い魔の剣士──リンク、君たちじゃったな」

「は、はい!」

 

 オールド・オスマンの視線を受けて、ルイズは慌てて返事をし、リンクもまたオールド・オスマンに同意を示すように深く頷いた。

 

「君たちから見て奴はどうだったかね。もちろんさっき覚えている範囲のことは全部聞かせてもらったのじゃが、もし他にも何か気がついたことがあれば話してはくれんかのう? 何でもよい」

 

 ルイズは一生懸命に何かないかと唸ったが、ふるふると力なく首を横に振った。

 

「……いいえ、話した通りです、オールド・オスマン……フードを深くかぶった、男か女かもわからない、城のようなゴーレムを操るメイジ……私は、それ以外にはなんにも……」

 

 そう呟いたきり、俯いて黙ってしまったルイズを見て、隣に立つリンクもまた口を開く。

 

「俺も先ほど話した通りです。奴が口元に不敵な笑みを浮かべたのは見えたが、それだけ。痕跡もあの部屋には残ってはいなかった。ゴーレムからこぼれた砂も奴を追いかけるようにして消えてしまいましたし……」

 

 ゴーレムの足音が消え去ってから少し経った後、フックショットを使って昇った学院の外壁から見た風景を頭に浮かべながらリンクはそう答えた。学院の外壁を乗り越えた後、点々と続いていたゴーレムの足跡は、そう遠くない草原の最中で消えていた。ゴーレムが消えた場所で手がかりを見つけることができればまた別だが、これだけでは方向の目安くらいにしかならないだろう。

 

「ふむ……」

 

 二人の答えを聞き、神妙な面持ちで顎髭をさするオールド・オスマンだったが、その時、部屋の扉が勢いよく開かれた。皆が扉の方へ振り返ると、そこには息を切らし、汗を額に浮かべたミス・ロングビルがいた。

 

「ミス・ロングビル! 一体これまでどこにいたのです!? 学院の一大事だというのに!?」

 

 コルベールの驚きと非難が入り混じったような声に、ミス・ロングビルは頭を下げた。

 

「申し訳ありません、ミスタ・コルベール。実は、昨夜の事件を深夜に耳にしてから、真っ先に賊を追うべきと考えて勝手ではありますが、調査に出ていたのです。しかし、そのおかげで重要な情報を手に入れました!」

「何ですと!」

 

 思わぬミス・ロングビルの言葉に、その場にいた一同はざわつく。コルベールは勢い込んで身を乗り出し、オールド・オスマンも目を見開いてミス・ロングビルの次の言葉を待った。ミス・ロングビルは目を閉じて深呼吸を三度繰り返し、息を落ち着かせてから話し出した。

 

「不自然な砂の山──恐らく、フーケの魔法の痕跡でしょう──を、わたくしは巨大なゴーレムの足跡が途切れた先で見つけました。そしてその周辺一帯の住民に聞き込みをしたのです。すると、夜更け過ぎに家畜小屋の施錠を点検した時に、怪しいフードを被ったローブ姿の者が森へと駆けていくのを目撃したという人を見つけたのです!」

「おお、それはフーケに間違いありませんよ!」

 

 コルベールは興奮して両の拳を胸の前に掲げて叫んだ。ミス・ロングビルはコルベールに一つ頷いてからさらに続ける。

 

「さらに話を聞いてみると、奴が入っていったという森の中には道をたどっていった先に打ち捨てられた小さな小屋があるとのことでした!」

「そ、それじゃあ、あなたは奴の隠れ家を見つけたってことですな!?」

 

 コルベールは興奮に鼻息も荒く尋ねた。確証が得られているわけではないが、その可能性は高いはずだ。ミス・ロングビルはコルベールの問いにゆっくりと頷く。

 

「で、では、すぐに王宮の警備隊に連絡を取りましょう!」

 

 シュヴルーズは慌てて声を上げるが、オールド・オスマンは首を横に振った。

 

「そんなことをしておる内にフーケは逃げおおせてしまうじゃろう。王宮への連絡と説明だけで一日や二日は優に経ってしまうわい。それから討伐隊の編成から出発まで、一体何日かかることやら……」

 

 それからオールド・オスマンは鋭い目つきとなって続けた。その声には静かな怒りがこもっていた。

 

「何より、フーケはこの魔法学院に対して喧嘩を売ってきたのじゃぞ。自らに降りかかる火の粉すら払えず、何が貴族か! 敵には我らの自身の手で必ず報いを受けさせねばならん。貴族としての誇りにかけてじゃ! 誰か、我こそがフーケを捕らえんという者は杖を掲げよ!」

 

 オールド・オスマンの呼びかけに応えるものは誰もいない。先ほどまでわーわーと騒いでいた学院の教師たちはみな俯いて周りの様子を伺うばかりだ。シュヴルーズに辛辣な言葉を浴びせた黒マントの男性教師は隣から小突かれるが、今日は体調が思わしくないやら何やらと言い訳を重ねて杖を掲げようとは決してしなかった。

 

「誰もおらんのか?」

 

 再び呼びかけても反応を変えるものはいない。──ダメじゃ、こりゃ。オールド・オスマンは頭を抱え、深いため息をついた。この有様では自分でやるしかないか。フーケに盗まれた品。それは刻んでいた言葉の通り、オールド・オスマンがある人から託されたものだ。何があっても取り返さねばならない。

 オールド・オスマンが諦めて口を開こうとしたその時、一本の杖が高く掲げられた。その杖を掲げているのは桃色がかったブロンドの髪の少女。ルイズだった。

 

「ちょっと、ルイズ! 本気なの!?」

「おいおい、嘘だろ? 冗談はよしてくれよ、ルイズ……」

 

 予想だにしない行動にキュルケが目を丸くして叫ぶ。ギーシュは信じられない様子で呟きのように声を発した。モンモランシーはただ口をあんぐりと開けてルイズを見る。だが、ルイズはそちらには一瞥もくれなかった。その目はまっすぐにオールド・オスマンを見据えている。

 

「そうですよ、ミス・ヴァリエール! あまりにも危険です!」

「じゃあ他に誰がやるっていうんです!? 先生方は誰も杖を掲げてはいないじゃないですか!」

 

 シュヴルーズの言葉に、ルイズは頬を紅潮させて声を張り上げた。教員たちは誰一人としてそれに返す言葉もなく、ばつの悪い表情で黙るしかなかった。

 

「フーケがどこに隠れているかまで分かっているのでしょう!? それなのに、何もせずになんていられません!」

「……たくっ、本当にこの子ったら……全くしょうがないんだから……」

 

 ぽかんとルイズの横顔を眺めていたキュルケだったが、ルイズが覚悟を決めた、決然とした表情をしているのを見て、ため息をついてから自分もまた杖を高く掲げた。

 

「キュルケ、あんた……」

 

 驚きの表情を浮かべたままこちらを見つめてくるルイズに向かって、キュルケは横目でちらりと見ながら口を開く。

 

「あんた一人でどうしようっていうのよ。しょうがないから一緒に行ってあげるわよ」

「……ありがとう……」

 

 ルイズは肩を小さく震わせながらも、しっかりとした声で礼を言った。その様子にキュルケは微かに、だが確かに満足げな微笑みをこぼした。

 さらにキュルケの隣からも杖が掲げられる。タバサのものだ。

 

「タバサ! あなたまで付き合わなくったって良いのよ!?」

 

 キュルケは目を見開いてそう声を上げた。しかし、タバサはふるふると首を横に振り、キュルケをまっすぐ見つめて言った。

 

「心配だから」

「タバサ……もう! ありがとう!」

 

 タバサの言葉を聞いて感極まったようなキュルケは、満面の笑顔を浮かべて彼女に抱きついた。頬を摺り寄せ、彼女の頭をぐりぐりと撫で繰り回す。タバサはそれにちょっと困ったような表情を浮かべるが、それでもどこか嬉しそうな様子で、キュルケの気が済むまで好きにさせていた。

 

「……ありがとう」

 

 ルイズは杖を掲げて志願の意を示してくれた二人を見て、心からの感謝をその言葉に込めた。そして、ふと隣に立っていたリンクへと振り向いた。ルイズは、自分ではそんな表情をしているとは思っていないのだろうが、微かに不安げな表情をしていた。

 そんな彼女に、リンクは小さく微笑みかける。そしてデルフリンガーを抜き放ち、それを高く掲げた。眩く輝く剣身の光があたりに溢れる。言葉はなくとも、それはルイズと共に行くというリンクの意思を何よりも示していた。

 ルイズは胸がきゅっと締めつけられたように感じた。主が赴く場所に使い魔は付き従う。それはメイジにとって当たり前のことに過ぎないのかもしれない。だが、リンクが共に行くことを自らの意思で選んでくれた。そのことにルイズは胸が高鳴るように感情が揺さぶられるのだった。そして、剣身から放たれる光が身体を包み込むような気持ちを覚えた。昨夜は手も足も出なかった相手だろうと、きっとやり遂げられるという気持ちが湧き上がってくるように思えた。

 

「……ほっほ」

 

 志願したルイズたちを見て、オールド・オスマンは何とも嬉しそうに笑った。それから目を細めた、柔らかな表情になった。そして普段よりもほんの少し厳かな声で言葉を続ける。それは心底からのものだった。

 

「諸君らに心から感謝する。わしは……いや、わし一人ではない……学院は諸君らを誇りに思うぞ」

 

 それから、オールド・オスマンはタバサを示して、口を開いた。

 

「ミス・タバサは若くして騎士(シュヴァリエ)の称号を持つと聞いておる。皆も知っておるかとは思うが、シュヴァリエはその者の武勇を賞して与えられるものであり、優れたメイジであることの証でもある。彼女ならば、きっとフーケを捕えてみせてくれることじゃろう」

 

 オールド・オスマンの言葉を聞いて、教員達からは驚きでざわめいた。シュヴァリエは家柄などに関係なく、そのもの個人の功績に対して与えられるものだからだ。まだ幼さが面影に残るタバサがそのような功績を上げるほどだとはにわかには信じがたいことだった。

 

「なんと……シュヴァリエを……!?」

「まさか、まだ学生でしょう……?」

 

 それらの声を聞いても、タバサは相変わらず無表情のままで、まるで関心が無いようだった。

 

「そうなの!? タバサ!?」

 

 勢い込んで尋ねるキュルケに 、タバサはただ小さく頷いた。ほへぇ、と何だか気の抜けたような感心の声をギーシュとモンモランシーは仲良く上げた。

 周囲のどよめきがひと段落したところでさらにオールド・オスマンはキュルケを示して続けた。

 

「次に、ミス・ツェルプストーはゲルマニアで多くの優れた軍人を輩出し、武勇の誉高きツェルプストー家の出である。さらに、自身も炎の魔法を得意としておるそうじゃの。きっとフーケ討伐の大きな力となってくれることじゃろう」

 

 何を言われるのかと一瞬きょとんとした顔をしたキュルケだったが、自身を称えたオールド・オスマンの言葉に、ふふん、とルイズにからかうような視線を送ると、キュルケは誇らしげに胸を張った。

 

「ま、私に任せておきなさい! ヴァリエールの出る幕は多分無いわね!」

 

 キュルケの視線にむっとした表情になったルイズは、次は自分の番よ! とばかりに胸を張って、オールド・オスマンを真っ正面から見据えてその言葉を待った。本人はいたって真面目なのだが、その様子はなんだか背伸びをしているようで、どこか微笑ましい。

 しかし、当のオールド・オスマンは視線を泳がすと、困ったように眉を顰めた。

 

「それから、ミス・ヴァリエールは……、えー、その……由緒正しき名家であるヴァリエール公爵家の三女であり、そのー……」

 

 そこまで言ったところでオールド・オスマンは言葉に詰まってしまった。実に困った。褒めるとこがない。トリステインにおいてヴァリエール家が押しも押されぬ大貴族であることは明白な事実だ。

 しかし、どんな魔法を唱えても爆発してしまうというのは全く持って有名なヴァリエール家の末娘であるが、それは褒め称えるべき点として挙げることは出来なかった。屁理屈をこねるのと言い訳は大の得意であるオールド・オスマンもどうやって褒めたものやら困ってしまった。

 部屋の中をオールド・オスマンの唸る声だけが響く、微妙な雰囲気が包んだところで、ルイズはしゅんとなって下を向いてしまった。

 ──わかってるわよ……褒めるとこなんかないって……。 声に出すことなく、ルイズは心の中だけで寂しくそう呟いた。自分が一番よく分かっている。魔法が成功したのはただの一度、使い魔召喚だけ。それ以外は全部爆発だ。その爆発だって昨夜のフーケ相手には何にもないようなものだった。落胆と悔しさで杖を握る手にぎゅっと力が入る。

 そんなルイズの両肩が、突然後ろから力強く掴まれた。それは、リンクだった。彼はオールド・オスマンに向かって、いや、部屋にいるすべての人に向かって、堂々と言い放った。

 

「彼女は昨夜、フーケが操る巨大なゴーレム相手に真っ先に駆けだし、一歩も怯むことなく立ち向かった! そして今また、誰もがフーケを恐れて志願するのに躊躇う中、真っ先に杖を掲げて見せた! 彼女こそ勇気ある人だ! その勇気は称賛されるに相応しいものだと、俺は思う!」

 

 リンクの力強い、凛とした声が響き渡った。ルイズは下を向いたままだった。だが、その頬はほのかに紅く染まり、胸は熱く、高鳴る鼓動を刻んでいた。嬉しかったのだ。他の誰でもない、リンクにそう言われたことが。

 貴族であるギーシュに、剣だけで立ち向かい、見事に打ち負かしてみせたリンクは、ルイズが知っている中で最も勇敢という言葉に相応しい人だった。そのリンクから勇気ある者と言われたのは、勲章をもらうよりもずっと価値があるように思えた。

 リンクの声を聞き、先ほど杖を掲げなかった学院の教師陣は、リンクを見て苦虫を噛み潰したような表情をしているごく一部を除いて、ばつの悪い思いをしていた。

 

「う、うむ! 確かに、彼の言う通りじゃ! 勇気あるミス・ヴァリエールならば、きっとフーケを捕らえてくれるはずじゃて!」

 

 オールド・オスマンは助かったわい、と心の中で呟くと、最後にリンクを示した。

 

「そしてミス・ヴァリエールの使い魔である彼は、己の剣技のみによってミスタ・グラモンを相手に勝利したと聞く! また、フーケのゴーレムをその剣で何度も切り裂いたとも聞いておるぞ! お主らがおればフーケなぞ恐れるに足りん! どうか奴を捕らえ、盗まれた秘宝を取り戻してくれ!」

 

 そう言って、オールド・オスマンは杖を掲げた。タバサ、キュルケ、ルイズの三人もそれに倣い、杖を掲げる。そして唱和する誓いの声が響いた。

 

「杖にかけて!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイズたちを連れ立って本塔の石造りの廊下を先導して歩いていたミス・ロングビルは、出入り口である広間まで来ると立ち止って振り返った。

 

「それでは出発は半刻後としましょう。私は馬車を用意して門の前でお待ちしていますので、皆さんは準備を済ませたらいらしてください」

「わかったわ、ミス・ロングビル」

 

 キュルケがそう答えたのに合わせて、ルイズ、タバサ、リンクも頷く。それを見て、ロングビルは一礼をしてから厩舎へと向かって立ち去っていった。

 

「行こう」

「そうね、私たちも外に出る準備をしないと。ミス・ロングビルをあんまり待たせることになっても悪いしね。それじゃあ、また後でね、ルイズ、リンク」

 

 ロングビルが去っていくのを見届けてから、タバサが短くそう言った。その言葉を聞いたキュルケはルイズたちに手を振り、タバサと連れ立って歩いていった。

 

「すごいな……君たちは……」

 

 二人に倣い、自室に向かおうとしたルイズとリンクに向かって、そう沈んだ声を発したのはギーシュだった。その表情はどこか物寂しさを感じさせるようでいて、伏せられた視線には胸中の苦々しい思いが浮かんでいる。

 ルイズは眉根を下げて、静かな声で言った。

 

「リンクはともかく……私はそんなにすごくなんかないわよ……ただそうしなきゃって思って、それで体が動いていただけだもの……」

「……それこそが称賛されるべきなのだと、僕は思うよ」

 

 ギーシュは深いため息を一つついてから言葉を続ける。

 

「……僕は手が上がらなかったよ、どうしても……自分が情けなく思えて仕方ない……」

 

 そう話すギーシュに、モンモランシーは彼の袖の端をきゅっとつまんで呟くような小声で言った。

 

「……私は安心したわよ。貴方までついていくんじゃないかって思っちゃったもの。大怪我でもしたら……ううん、それじゃ済まないことになるんじゃないかって……」

「モンモランシー……」

 

 ギーシュはモンモランシーに振り向いてかすれたような声でその名を呼んだ。モンモランシーはずっと下を向いていて、その表情を彼に見せようとはしなかった。

 ギーシュの右肩をぱしりと軽く叩き、リンクは笑いかける。

 

「気にするな。それに、昨日はお前だって一緒に戦ってくれただろう」

「戦った? いや、僕はそんな……」

 

 頭を振るギーシュに、リンクは凛とした声で告げた。

 

「塔の壁が壊れてからすぐ後に、ルイズが危ない位置にいたのを、ワルキューレで助けてくれたろ? 立派に戦ったじゃないか」

「……ははっ」

 

 その言葉が胸に染み入るかのようにギーシュには思えた。真っすぐなリンクの青い瞳に、心からの言葉だと確かに信じられた。それが何よりも心を揺さぶるようだった。

 

「僕が動けたのは、自分の力でも何でもない……何をすべきか、君が教えてくれたからだというのに……君はそんな言葉を僕にかけてくれるんだね……ありがとう、リンク。本当に……」

 

 噛みしめるようにギーシュはしばしの間、目を(つむ)っていた。再び目を開くと、晴れやかな表情となって口を開いた。

 

「……また出発する時に見送ろう。君たちの勝利を祈っているよ。そして何よりも無事を。忘れないでくれよ、リンク。僕に剣を教えてくれるって約束したのだから」

「ああ、忘れてないとも。まずは剣の振り方からな」

 

 リンクとギーシュはにっと笑いあう。それを横目で見てからモンモランシーはしょうがないとでも言いたげな、困ったような笑みをこぼした。

 

「全く……ま、本当に気をつけて行ってらっしゃいね。意気揚々と出て行ったはいいけど、返り討ちにあいました、なんて、締まらない話は聞きたくないんだから」

「……ふふっ、そうね。うつ伏せで突っ伏したまま運ばれて戻ってこないように気をつけるわ」

 

 ルイズは柔らかに微笑んでそう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自室へと戻ってきたルイズとリンクは外出するための準備を始めた。とはいっても、革の水袋を手持ちに移したり、矢筒に矢束を補充したりと、あれこれと荷物の準備をしているのはもっぱらリンクの方だけだ。ルイズは鏡に自分の姿を映して身だしなみを整えるくらいがせいぜいだった。

 大概の物はリンクが持ち物として持ってくれる上、夜更け過ぎに出るならともかく、日中に外へ向かうならばコートの類も今の季節では着こまなくてさほど問題はない。

 暖かな陽射しが窓から差し込んできて、部屋の中を明るく照らしていた。手際よく荷物を整理しているリンクの横顔を、ぽーっとしばらくルイズは眺めていたが、ふと窓へと歩いて行き、掛け金を外して開け放った。ふわりと風が優しく彼女の髪を揺らして抜けていく。

 下をふと見ると、ロングビルが厩舎の方から衛兵や馬の世話係たちの手助けを受けながら、馬車の準備をしているのが見えた。

 何とはなしにその様子を見ていると、窓の桟に青い羽根の小鳥が留まった。ちちちっ、とさえずり、小さく跳ねるように桟を動く。ふと手を伸ばすと、やけに人懐っこく、体を摺り寄せてきた。

 ルイズは小さく微笑んだが、手を戻して胸に当てると、小さくため息をついた。

 

「……ねえ、リンク……」

 

 ルイズが呼ぶ声を聞いて、リンクは手を止めて彼女の方を向いた。

 

「どうかしたか、ルイズ?」

 

 黙ったままのルイズを見て、リンクはその傍へと歩み寄った。数瞬、沈黙の後に、ルイズはリンクに向き直り、おずおずと口を開いた。

 

「……ありがとう……一緒に来てくれて……私の力になってくれて、本当に嬉しい……。私のことを勇気ある人だって言ってくれたあなたの言葉も、とても嬉しかった……それと……」

 

 ルイズはそこで目を伏せ、言葉を切った。リンクはそのままルイズがまた口を開くまで、ただ黙って待った。

 

「私……あなたに、謝らなくちゃいけないと思って……」

「謝る? 何を?」

 

 思ってもみない言葉にリンクはほんの少し目を見開いた。ルイズはリンクの頬へ手を伸ばす。そこにはゴーレムの攻撃からルイズを助けた時に負った傷があった。

 

「その頬の傷……それは、私を助けてくれた時の傷……私があなたを傷つけたのと同じだわ」

「そんなに気にすることないよ。こんなの傷のうちにだって入らないさ」

 

 リンクは笑ってそう言った。だが、ルイズは眉を下げて首を横に振る。その手は力なく体の横にだらりと下がった。

 

「それでも……もし、私の魔法が爆発なんてしないで、普通に成功して、フーケをやっつけることが出来ていれば、ううん、そうでなくてもゴーレムの攻撃を逸らすくらいのことが出来ていれば……あなたが傷つくことなんてなかったわ……。今回はそのくらいで済んだけれど、もっと大きな怪我をしていたかもしれない……。私のせいで……」

 

 ルイズの両手はスカートをぎゅっと握る。リンクはルイズの言葉をじっと聞いていた。

 

「それから、私はあなた一人で戦わせて、自分は安全なところに……。悔しくて、申し訳なかったわ……。私はあなたの主で、パートナーなのに、隣に立つことすら出来なかった……」

 

 ルイズの言葉は、最後はふり絞るようだった。二人の間にしばしの沈黙が流れ、それからリンクは静かに口を開いた。

 

「……悔しい気持ちはよくわかるよ。そのもどかしさも……。目の前に許せない敵がいるのに、それをただ見ていることしか出来ず、自分の力が及ばないってことをまざまざと突き付けられる……自分にもっと力があれば、結果は変わっていたかもしれないのにって……」

 

 リンクは、ルイズにそう語りかけた。かつての自分の姿がふと頭の中に浮かんできて、目の前のルイズに重なる。ただ無力を嘆くしか出来なかった記憶が(よみがえ)ってくる。あの頃の苦い思いが再び胸に広がっていくようだった。ふっとため息を一つついてからリンクはまた話し始めた。

 

「だけどね、ルイズ。君は一番大事なものをちゃんと持っているよ。それは勇気だ」

 

 リンクは少しかがんでルイズの視線に合わせて続ける。

 

「たとえどれだけの力を持っていたとしても、勇気が無ければ戦うことなんて出来はしない。敵を前にした時に立ち向かうことが出来ないからだ。相手が強かろうと弱かろうと関係なく。敵を前にした己を奮い立たせるもの、それが勇気だ。君は勇気を持っていることを確かに示した。だから、あの言葉は俺の本心だよ」

「……だって、敵から逃げるのは貴族じゃないもの……。相手が強そうだからって、あそこで逃げてしまったら……貴族の誇りを捨てるように思えたから……だから、逃げたくなかったの」

 

 ルイズはおずおずと、だが確固たる意志を確かに滲ませて、リンクにそう答えた。感嘆した声でリンクは言葉を発した。

 

「……本当に、君は勇気ある人だ」

 

 リンクの言葉に、ルイズはむずがゆい感じがして頬を赤く染める。それが微笑ましくてリンクはふっと笑った。それからルイズに真剣な表情で言った。

 

「ただ一つだけ君にわかってほしいことがあるんだ。逃げるというのは敵に背を向けることではなく、勇気を捨てることだ。立ち向かうのをやめてしまうということなんだよ」

「勇気を……捨てる……」

 

 リンクは頷き、ルイズに語りかける。

 

「何も真っ正面から突っ込むだけが戦いじゃない、時には背を向けることだって戦いのひとつだ。距離を取って敵の弱点がどこにあるのか観察することや、機を待つことだってそう。もし自分が遠くから攻撃出来るのなら、相手の攻撃が届かない距離まで離れてから仕掛けることだってそう。だけど、勇気を捨ててしまったのなら、立ち向かうことをやめてしまったのなら、相手にいったん背を向けてしまうと、もう二度とその前に立つことは出来ない。それが本当の『逃げる』ということなんだ。勇気を捨てない限り、立ち向かうことを諦めない限り、君は逃げてなんかいない。誇り高く、戦っているんだ」

 

 ルイズはじっとリンクの語る言葉を聞いていた。その言葉には重みがあった。ルイズはただ深く頷いた。

 それから、リンクは優しい表情を浮かべてルイズに言った。

 

「それに今は君一人だけじゃない。俺がいる。俺が君の力になる。一人で倒せない敵なら、二人で倒せばいいんだよ」

「……ありがとう」

 

 ルイズは心からの言葉を返した。嬉しくて、自然と口元がほころぶ。それを見て、またリンクは微笑んだ。

 

「おっと、忘れてくれるなよ! このデルフリンガー様のこともよ!」

 

 デルフリンガーがカチカチと音を鳴らしながらリンクの背からそうルイズに言った。

 

「……ふふっ、そうね、頼もしいわ」

 

 ルイズは笑った。ほんの数日前まで、この部屋で一人だった。でも、今は違う。こんなに頼れるパートナーがいる。嬉しかった。そしてその励ましに応えたい。心からそう思った。

 デルフリンガーは楽しそうに笑い声を上げた後、続けてリンクに話しかけた。

 

「なあなあ、相棒! 嬢ちゃんたちがやってた誓い、俺たちもやろうぜ! ほら、杖にかけて、ってやってただろ!?」

「なんだ、お前ああいうのが好きなのか?」

 

 リンクの問いかけにデルフリンガーはへへへ、と笑い声を上げる。

 

「いいじゃねぇか! 気合が入るしよ! このデルフ様のやる気も最高潮に達するってもんだぜ!」

 

 デルフリンガーの言葉にリンクは苦笑をこぼすと、左手を柄へと伸ばした。

 

「やる気をだしてもらえるっていうなら仕方ない、そういうことならやるか」

 

 そう言ってリンクはデルフリンガーを抜き放つと、高く掲げた。神々しいほどに白く輝く刃の光が部屋の中に溢れる。その姿に、ルイズは呼吸を忘れたように思わず見入ってしまった。雄々しく、凛々しい声でリンクは誓いをかけた。

 

「剣にかけて!」

 

 

 

 

 

 フーケ討伐の任を受けたルイズたちを乗せ、御者台に座るミス・ロングビルが手綱を操る馬車が学院の門を出ていった。それをオールド・オスマンは学院長室の窓辺から眺めていた。

 

「皆、わしの不手際を押し付けることになってしまって済まないのう……たとえ結果がどうであろうと、リンク、お主が戻ってきた時に全てを話そう。なに、お主たちならきっと立派にやり遂げて見せるとも」

 

 そう呟いたオールド・オスマンは王宮へ向けた手紙の執筆へと戻った。今回の事件のあらましから顛末までを報告するものだ。この手紙がどのように書かれるか、それはルイズたちにかかっている。

 

 

 

 

 


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