ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者   作:すもーくまんじゅう

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『土塊』のフーケ
『土塊』のフーケ① 盗賊の襲撃


 振り下ろされた岩の拳は強烈な衝撃を与えた。轟音が体を揺さぶるほどだ。ルイズたちは思わず身を竦ませた。塔の壁はまだ持ちこたえているようで、拳を再びゴーレムが振り上げた時には傷ひとつついてはいない。その結果に苛立ったかのように、ゴーレムは何度も繰り返し塔の壁を激しく殴りつける。

 

「あれは……一体何をしようとしているんだ?」

 

 ゴーレムの肩のあたりに立っている術者の意図が分からず、リンクは訝し気に声を上げた。その声にはっとなったルイズは叫んだ。

 

「宝物庫を破ろうとしているんだわ! 本塔のあの場所には学院の宝物庫があるの! きっと学院の秘宝を狙ってきた盗賊だわ!」

 

 ルイズの叫びに、モンモランシーが思い出しながら言った。

 

「そ、そういえば聞いたことがある! 宝物庫には学院が受け継いできた秘宝の他にも、王家から預かって保管している数々の貴重な品があるって……!」

「止めなくちゃ!」

 

 駆けだそうとしたルイズ。だが、その手をギーシュが掴んで引き留めた。ギーシュは慌てて上擦った声で叫ぶ。

 

「ま、待ちたまえ、ルイズ! 危険だ! 奴が操るあの巨大なゴーレムを見たまえ! 並大抵のメイジじゃないぞ! 僕たちなんかが敵うような相手じゃないよ!」

「……そんなの、言われなくったってわかるわよ」

 

 ルイズは悔しそうに表情を曇らせ、俯いてそう呟いた。ルイズの抵抗する力が弱まったことに、ギーシュはほっとして彼女の腕を引く力を緩めた。

 

「そうか、よかった! 安全なところへ下がって、それから先生方を呼んできて……」

 

 ギーシュの声はそこで途切れた。ルイズに手を振り払われた。そのことに驚いて声が出なくなってしまったからだ。もう一度止める間もなく、ルイズはゴーレムに向かって駆けて行ってしまう。

 

「ルイズ! 待て!」

 

 ギーシュはルイズの後ろ姿に叫ぶ。しかし、ルイズは振り向くことも、立ち止ることもなく、まっすぐにゴーレムに向かって行ってしまった。

 ルイズは懸命に走りながら、杖をぐっと握りしめた。わかっている。自分なんかが敵うような相手ではない。それでも、黙って見ているだけなんてことはできなかった。

 

「……勝てない相手だからって、なんにもせずに逃げるなんて出来ないわよ!」

 

 ルイズは息を切らしながらもゴーレムの前に立ちはだかるようにすると、その肩に立つ人影に向かって叫んだ。

 

「そこの不届き物! 今すぐ杖を捨てて大人しく降参しなさい! 今なら痛い目に合わせないであげるわ!」

 

 ルイズの叫びを聞いて、ゴーレムの動きは一瞬止まった。塔に振り下ろされようとしていた拳が宙で止まる。

 大きい。間近で見ると心底からそう思った。あの拳が振り下ろされたら自分なんて原形を留めないほどぺちゃんこになってしまうだろう。正直、怖くて手が震えそうだ。それでも止めなくてはならない。ルイズは自分を奮い立たせて賊を見据えた。

 

「……ちっ、面倒な」

 

 ゴーレムの肩に立ち、フードを深く被ったその術者はうんざりしたように舌打ちをした。宝物庫は強力な魔法がかけられていて、破ろうとすれば物理的な方法のみに限られる──その情報を手に入れたから、荒っぽいにもほどがある手段ではあるが、巨大なゴーレムによる物理破壊を選んだのだ。目撃者が出るだろうことは当然わかってはいたが、まさか最初からとはついていない。しかも真ん前にいる少女は杖を握りしめていた。

 

「さっさとお宝をいただいてずらかるしか……って、何なのよもう! さっきから何回やってもヒビ一つ入ってやしないじゃない! あのハゲめ、物理的な破壊が唯一の方法だったんじゃないの?」

 

 術者はゴーレムで殴りつける前とちっとも変わらない塔の壁を見て、盛大なため息をついた。ついた悪態の声は意外にも高く、若い女のものだ。幸運にも情報をもたらしてくれた、頭頂部が眩しいある学院教師の顔を思い浮かべながらもう一つため息をつく。

 

「はあ……もう少し試すしかないか……あのお嬢ちゃんはともかくとして、これ以上は時間を掛けられそうにはないけど……」

 

 ゴーレムの前に立つ少女の顔をちらりと見て、術者はそう呟いた。魔法が失敗してばかりで学院では有名なヴァリエール家の末娘だ。こちらの脅威には当たらないと判断し、再び壁を破壊しようと術者はゴーレムに拳を振り下ろさせた。

 

「降参する気なんかさらさらないってわけね……!」

 

 再び動き始めたゴーレムを見てルイズはぎゅっと杖を握って呟いた。ゴーレムの左肩。そこに術者は立っていた。術者を倒せばゴーレムも動かなくなるはずだ。狙いをつけ、ルイズはルーンを唱えた。

 爆発。それはまさにゴーレムが拳を叩きつけようとした塔の壁で炸裂した。火球が飛んでいくはずのルイズの魔法は、いつものように爆発となってしまったようだった。おまけにその狙いは大きく外れて。ゴーレムには傷一つつけることはできていない。

 自分自身が無性に腹立たしくなってルイズは叫んだ。杖を地面に叩きつけてやりたいのを何とか抑えた手がわなわなと震える。

 

「もう! こんな時まで失敗しないでよ!」

「ふふっ、全くダメダメ、噂通りね……って!」

 

 ルイズのことをせせら笑っていた術者だったが、爆発の起きた壁を見て、思わず目を見開く。何度殴りつけてもびくともしなかった塔の壁には大穴が空いていたからだ。

 

「何度ゴーレムで殴ってもダメだった壁が!? あのお嬢ちゃんの魔法は、一体……」

 

 振り返り、魔法を放った少女を見やると、彼女は自分の杖に向かって腹立たし気に叫んでいた。失敗ばかりの『ゼロ』の噂からは信じられないが、何か特殊な力でも持っているというのだろうか。ゴーレムの術者は(かぶり)を振り、脳裏に浮かんだそんな疑問を振り払った。

 

「……まあ、今はそんなことどうでもいいわ。とにかく中に入れるようになったんですもの。足止めをしていなさい。あの子には悪いけど、少しくらいは怪我をしてもらうことにしましょう」

 

 術者はそう呟くと、一つ杖を振り、宝物庫の中へとその穴から入って行った。ゴーレムは術者の命令に従うように、ルイズに向かって向き直る。

 

「待ちなさ……!」

 

 杖を構えなおし、術者に叫ぼうとしたルイズだったが、それは途中で切れてしまった。拳を象った巨大な岩塊がもう目の前に迫っていたからだ。唸るような低い音を立て、掬い上げるかのような軌道でそれは迫る。

 

「あ……」

 

 ルイズは動けなかった。ただ呆けたように、巨大な拳が自分へと迫ってくるのを眺めることしか出来なかった。もう避けることなんかできない。手足の先から魂が抜けたかのようにすっと力が抜けてしまったのを感じた。ただ動いたのは瞼だけだった。思わずぎゅっと目を(つむ)る。

 ぐっと浮遊感を覚える。体が横倒しになる感覚。しかし、予期していたような衝撃と痛みは襲ってこなかった。地面に叩きつけられてもいない。数瞬。ただぎゅっと何かに包まれているような感触だけがあった。

 恐る恐る目を開けると、すぐ目の前にリンクの顔があり、ルイズは彼の腕の中にいた。リンクはぎりぎりのところでルイズの元に駆けつけ、彼女を庇うように両腕できつく抱きしめて飛んだのだ。しかも、盾となるようにリンクが下になって落ちたおかげで、彼女には何の傷もついていなかった。

 リンクはちらりとゴーレムの様子をうかがう。大振りの攻撃だったために態勢を立て直すにはほんの少しだけだが時間がかかりそうだ。

 ルイズを抱きしめたままリンクは体を起こし、彼女に向かって優しい眼差しを向けた。口元には穏やかな微笑みを浮かべている。

 

「間に合ってよかった。どこか痛むところはないか?」

「う、……うん」

「そうか、よかった」

 

 上擦った、かすれかけた声を上げ、何とか頷いたルイズに、リンクはにこやかに笑いかけた。その頬を、血の滴が流れる。ゴーレムの拳が掠ったのか、あるいは飛んできた礫ででも切ったのか、頬には一直線に走る切り傷とそこから滴る血で赤い筋が出来ていた。ルイズは目をはっと見開き、声を震わせる。

 

「リンク……」

 

 だがリンクはルイズの手を握ると力強く言った。

 

「大丈夫」

 

 そしてルイズの肩を抱いて、立ち上がるように促す。

 

「さあ、立って。皆と一緒に離れているんだ。こいつの相手は俺に任せろ」

 

 拳を振り切ったゴーレムは態勢を立て直そうとしていたが、その顔に燃えさかる火球と風の刃が炸裂し、ゴーレムの体がぐらつく。キュルケとタバサがそれぞれ放った魔法だ。

 しかし、幾ばくかの時間稼ぎにはなっても、随分と距離があったためか、顔の一部が削れるくらいで決定的なダメージを与えるには至らなかったようだ。崩れた姿勢を立て直そうとするその動きに、先ほどまでとの変化はほとんどなく、再び襲い掛かってくるまでにかかる時間はそうないだろう。

 

「い、いや! 私だって……」

 

 自分も戦おうとしてリンクの言葉を拒もうとするルイズだったが、青銅の鎧姿のゴーレムにひょいと抱えあげられてしまった。いつの間にか傍までやってきていたギーシュが操るワルキューレだ。

 

「ちょ、ちょっと! いや! 離してよ!」

 

 逃れようとじたばたとするルイズだが、ワルキューレの拘束から逃れるほどの力は彼女にはなかった。

 ワルキューレはルイズを抱え上げると、全速力で寮塔の入口にいるギーシュらの元へと駆け戻っていった。そこで解放されたルイズはキュルケに抱きしめられ、皆から怪我の有無を調べられているようだった。十分に安全な距離を保てたのを見て、リンクはギーシュに向かってぐっと親指を立てた左手を掲げ、急な頼みに応えてくれたことに感謝を示した。

 後はこいつだ。リンクは振り返り、城のように巨大な動く岩塊をぐっと見据えた。

 剣を鞘から抜き放つ。ゴーレムは再び拳を振り上げている。邪魔者は消してやろうと言わんばかりだ。剣身を眩いばかりに白く輝かせるデルフリンガーは金具をカチカチと鳴らして楽しげな声を上げた。

 

「へへへっ! まさかこうも早く相棒と一緒に戦えるなんてな!」

「悪いが、試し斬りはなしだ。やれるな?」

「あったりまえよ! 思う存分、叩き斬っちまいな!」

「よし! いくぞ!」

 

 リンクはゴーレムに向かって駆けだす。敵が右の拳を振り下ろしたのはそれとほぼ同時だった。激しい衝撃が地面を揺らし、抉った土塊を跳ね上げる。しかし、リンクにその拳は当たってはいなかった。ゴーレムが狙いを定め、拳を振り下ろさんと動き始めたその直後、さらに加速してそのままの勢いで前方へと飛んだからだ。

 術者が制御をしていない今、ゴーレムの動きは細かな修正など出来ず、単調だ。前転しながら着地したリンクは振り向きざまにデルフリンガーで思い切りゴーレムの前腕を斬りつけた。ほとんど何の抵抗も受けることなく、唸るような風切り音を上げてデルフリンガーは振り切られた。

 ゴーレムは上体を起こすが、その右腕にさっきまであったはずの手はついていなかった。剣閃がゴーレムの腕を切断したのだ。斬り落とされたゴーレムの右手は魔力を失い、砂へと還りはじめている。

 

「はっはー! どうよ相棒! 俺様の切れ味は! あんな岩の塊なんざ目じゃねえぜ!」

「そうだな、だけど、あんまり効いてはなさそうだっ!」

 

 もう片方の手首から先が砂となって流れていることなどお構いなしに振るわれた左腕の薙ぎ払いを宙返りでかわしながらリンクはデルフリンガーの言葉に返す。

 すたりと着地し、ゴーレムに向かって剣を構えなおす。ゴーレムの動きに鈍りは見られず、再び右腕を振りかぶった。それを見てリンクは思わず目を見張る。そこには、先ほど確かに切り落としたはずの右手があった。

 

「なっ……!? 確かに斬ったはずなのに……再生した……!?」

 

 襲いかかってきたゴーレムの拳を躱すと同時に剣を振るって再び斬り落とすが、それは砂となって崩れ落ちていったかと思うと、ふわりと浮かび上がり、元あった部位を数瞬の間に形作って再生してしまった。リンクはその様子をじっと観察して口を開いた。

 

「どれだけやられても、再生するから関係ないってことか。顔の傷が治ってないところを見ると、一定以上のダメージを受けたところでその部位が再生される、ってところか。……術者の奴、なんでゴーレムを直接操らずに中に入ったのかと思ったが……どうやら時間稼ぎのためだったからみたいだな。動きの精度が悪くても、目的を果たすまでの間、敵を近づけなければそれでいい」

「ちっ! 賊の野郎、俺たちを足止めしている間にお宝を根こそぎぶんどろうって魂胆か!」

 

 デルフリンガーはいまいましげに声を荒げた。リンクはその声に頷く。

 

「ああ、ゴーレムを暴れさせている今のうちに、宝物庫の中を物色でもしているんだろうさ」

 

 ゴーレムの動きに合わせ、リンクは剣を振るって斬りつける。何度もその右腕を斬り落とすが、その度に砂は再び岩塊となってリンクに向かって振り下ろされるだけだった。

 

「どうにもきりがないな……何度もやれば多少は再生が遅くなったりしないかと思ったが……」

「賊め、こりゃあきっと奴を形作るのに最低限の魔力しか注いでねぇんだろうな。なあ、相棒? 俺様の切れ味がいくら素晴らしいにしたって、奴を斬るのに随分と手応えがねぇとは思わねぇか? それこそ拳の先端とか、必要最低限な部位以外の強度は二の次にしてんだろうさ。だから何度斬ろうが……」

 

 デルフリンガーの言葉にリンクは頷く。

 

「術者の魔力の消費は少ない……ってことか。そうなると、いつまでもこの土人形と遊んでるのは得策じゃあなし。術者本人を叩くべきだな」

「しかしよ、相棒。どうやって野郎のとこまで行く? 流石にあんな高さまでは跳べやしねぇし、嬢ちゃんたちの魔法にゃ、人や物を飛ばすものだってあるにはあるが、悠長にこいつの前でそんなことやってる暇はないぜ?」

 

 デルフリンガーはゴーレムの背後にある塔の大穴を眺めて言った。その言葉にリンクはにっと笑って返す。

 

「任せとけ。こういう時にぴったりのものがあるんだ」

 

 振り下ろされた拳を躱し、リンクは身を躍らせると、ゴーレムの右腕と右足を続けざまに叩き斬った。支えとなる手足を失ったゴーレムは態勢を崩して無様に地面へと倒れ伏す。再生を待つゴーレムに対してそれ以上に剣を振ることなく、リンクはその体を駆け上っていく。そして、倒れ伏したゴーレムの一番高い部分となった肩口から、塔の壁に空いた大穴へと向かって跳んだ。

 もちろんただ跳んだだけでは到底届くはずがなかった。だが、その右手には風変わりな道具が握られていた。先端が鏃のようになった銀色の鎖が、深紫の筒に幾重にも巻き上げられたものだ。それをリンクは空中で狙いを定めて構えた。手元のスイッチを押した途端、解放された鎖が勢いよく、一直線に飛んでいく。

 狙い通りに大穴の上部に先端が突き刺さると同時に、鎖が瞬時に巻き上げられ、リンクの体は飛ぶように大穴へと向かって引き寄せられていった。デルフリンガーが驚いた声で叫ぶ。

 

「おでれーた! 相棒は空まで飛べるのか!」

「フックショットっていうのさ! この程度の距離ならなんてことない。さあ、行くぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リンクがゴーレムと戦っている間に、術者はお目当てのものを宝物庫の中ですでに見つけていた。数ある秘宝の中でもオールド・オスマンが最も大切にしているもの。それは宝物庫の一番奥に置かれていた、大人が一人で何とか抱えられそうな大きさの古ぼけた箱だった。箱の蓋には魔法で刻印がなされている。

「『我が託されしものをここへ保管する。来るべきその時、相応しきその者が現れるまで、何者も触れることを禁ずる。オールド・オスマン』……ふんっ、なんだかそれっぽいことを書いちゃってまあ……あのクソジジイがこれを盗まれたと知った時の顔が見物だわ」

 

 刻印を眺めて術者は意地悪くほくそえんでそう呟いた。術者はさらに続けて杖を振り、壁へ文字を刻んでいく。

 

「……これでよし。他にも持っていきたいところだけど、そうもたもたはしていられないわね……」

 

 そう呟いたところで、突然背後から何かが突き刺さる音が響いた。慌てて振り向くと、大穴の外には月光を反射して銀色に光る鎖が伸びていた。はっと目を見開いた次の瞬間、そこには緑衣の剣士がもう飛び込んできていた。左手に握る、光り輝く剣の切っ先をこちらに向かってはっきりと構えている。鋭く見据えるその瞳に、術者は今まで感じたことがないほどに背筋がぞくりとするのを感じた。氷の塊でも突っ込まれたかのようだ。

 

「やい、盗人! 大人しくお縄を頂戴しやがれ! 今なら牢獄行で勘弁してやらあ!」

 

 デルフリンガーの威勢よく叫んだ声に、術者は不機嫌そうに舌打ちをし、歯噛みする。しかし、すぐに術者はその口元ににやりと不敵な笑みを浮かべた。

 リンクとデルフリンガーが訝しんだその瞬間、突然月光を遮り、影が差した。背後に気配を感じたリンクが振り向くと、壁の大穴から覗いていたのは拳を構えるゴーレムだった。次の瞬間、塔ごと打ち砕くかのような勢いでその拳が突っ込んできた。

 

「くっ!」

 

 リンクは思い切り横に向かって体を投げ出し、何とかその強襲を躱した。並べられていた鎧や宝飾品を辺りへ盛大にぶちまけながらもくるりと床を転がり、衝撃を殺す。凄まじい音と振動を与えて、ゴーレムの手が宝物庫内の壁に衝突したのはそれと同時だった。

 

「な、なんてぇ無茶苦茶やりやがるんだ、あの野郎!」

 

 態勢を立て直したリンクがゴーレムの腕の先をみると、その手は開かれて指先だけが壁にぶつかっていた。そして、それはそこにあった何かを握り込むようにすると、拳を握ったままにゴーレムはぐっと腕を引き抜いていく。

 

「しまった! 待て!」

 

 駆けだし、飛びかかる勢いそのままに、その腕に向かって剣を振り下ろすリンクだったが、あと一歩遅かった。ゴーレムが腕を引き抜く方がわずかに速く、空を切った剣は石床を叩き、幾筋ものひびを走らせるだけに終わった。

 ゴーレムは宝物庫から離れると、反転して駆けだしていく。動作そのものは緩慢に見えるがその巨体だ。一歩ごとに地鳴りのような音を響かせ、大地が揺れる。学院の外壁も一息に跨ぐと、やがて地鳴りは離れていき、そして突然消えてしまった。きっと術者がゴーレムを砂へと還して消してしまったのだろう。そして宵闇の中へ溶けていくように奴は潜んでしまったのだ。

 

「……逃げられたか」

「ちっ! まあ、機転が利いてるやつなのは確かだな! 攻撃に見せかけて、まさか自分の逃走手段だったとはよ! へへっ、このデルフリンガー様と相棒にはとても敵いっこねえと見たんだろうがな!」

 

 得意げに笑うデルフリンガーをよそに、リンクは何か賊の痕跡が残っていないかと辺りを見回す。そして術者が壁に残していった刻印を見つけると、それをじっと見つめた。

 

「『トリステイン魔法学院で最も価値ある秘宝、確かに頂戴する。 フーケ』……か。……最も価値ある秘宝……フーケ……奴はいったい何を盗んでいったんだろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふざけやがって! 何が魔法学院の秘宝よ! ただのガラクタじゃないの!」

 

 森の中にぽつんと立った小屋に、その怒声は響き渡った。ガン、ガシャンと騒々しい音が続けて響く。声の主が苛立って手に取っていたものを壁に思い切り投げつけたからだ。投げただけでは気が収まらかったのか、期待に胸を膨らませていた、今では苛立ちの元凶でしかない古びた箱を靴の先で叩き壊さんとばかりに蹴りつける。わずかに、だが確かなへこみを付けて宝箱は部屋の隅へと転がっていった。それはトリステイン魔法学院の宝物庫からつい先ほどフーケによって盗み出されたものだった。──そう、ここはフーケが身を隠している隠れ家なのだ。

 フーケはばさりと身にまとっていたフードのついたローブを、簡素なベッドの上へと脱ぎ捨てる。それに隠されていた緑色の美しい長い髪と女性らしい柔らかでたおやかな体のラインが露わになった。眉根を寄せて苦々しく歯噛みする美女──それはオールド・オスマンの秘書、ミス・ロングビルだった。そう、ミス・ロングビルこそがトリステイン中を騒がせ、貴族たちから仇のごとく追われている盗賊フーケだったのだ。

 

「こんなものが秘宝ですって! あのセクハラ爺の傍でやりたくもない秘書なんかやってたのはこんなガラクタを手に入れるためだったっていうの!? どこまで人を怒らせれば気が済むっていうのよ、あの腐れ爺!」

 

 フーケはバンと机に両手を思い切り叩きつけ、怒りを吐き出すかのように叫んだ。悪態をつかねばやってられないと言わんばかりだ。

 

「あのハゲのコルベールの情報も大して役に立たなかったのも腹が立つわ! 宝物庫の守りの唯一の弱点は物理的な破壊だとか、宝の中でもオールド・オスマンがなにより大切にしている秘宝だとか、的外れもいいところじゃない……全く、疑われないようにあいつが喋ったことも忘れた頃に行動を起こしたっていうのに、ただただ時間を無駄に過ごしたようなもんじゃないの! あの使い魔の剣士には危なく斬られるところだったし……本当、あそこにあいつが飛び込んできた時には肝が冷えたわよ」

 

 握り拳をわなわなと震わせていたフーケだったが、深いため息をつくと、どさりとベッドに体を投げ出す。腕で目を覆い、フーケは疲れ切った、沈んだ声を上げた。

 

「疲れたわ……もう、あの子の所に帰りたい……随分会ってないもの……でも……こんな私に、あの子はおかえりって言ってくれるかしら……?」

 

 物悲しい、切ない表情でしばらく物思いにふけっていたフーケだったが、ふと自分が先ほど投げ捨てたものに目が留まった。はっとなり、がばりと起き上がる。見間違いではない。

 

「間違いないわ、あの紋章は……オールド・オスマンがわざわざあんな刻印まで入れてたものだもの。秘密が隠されていないか確かめる、そのくらいの価値はあるはず……。ガラクタとして捨てるのはそれからでいいわ。なんにせよ明日ね……何とかしてあれに使わせてみればきっと……」

 

 フーケはそう呟くと立ち上がり、企ての準備を始めた。危険は伴うがそんなことは今更だ。宝を盗み出すためにこれまで危ない橋など幾度となく渡ってきた。危険に臆しているようでは宝など手に入れることはできない。


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