ゼルダの伝説 虚無《ゼロ》の少女と時の勇者 作:すもーくまんじゅう
物言う剣① 晴れやかに空はただ青く
時刻は早朝。雄鶏が一日の訪れを告げてからそう経ってはいない。空は澄み切って穏やかな風が吹き渡っている。今日もよく晴れそうだ。
「ふふっ、まさにお出かけするための日って感じよね!」
学院の広場に立って空を見上げていたルイズはよし、とひとつ頷くと後ろを振り返った。にっと笑顔を浮かべていて、とても楽しげだ。
「さあ、リンク。出発の準備はいいかしら? もちろん万全よね?」
「ああ、時間はたっぷりあったからね。まさか君の方から起こされるなんて思わなかったけど」
リンクは笑いながらそう答えた。真新しいベッドの柔らかな感触に包まれて眠っていたところ、ルイズに肩を揺さぶられて起きたのだ。それもまだ太陽がようやく顔をのぞかせるかどうかという夜明け前に。随分と早いと思いつつも、きらきらと目を輝かせて待ちきれないといった様子のルイズが微笑ましく、また自分の剣を買いに行くのをそんなに楽しみにしているかと思うと、それもまたリンクは嬉しく思えたのだった。
ルイズはふふんと得意げな表情になって腕を組んだ。
「あら、朝は早いってちゃんと言ってあったでしょう? あなたのことをご主人様が手ずから起こしてあげたんだから、感謝しなさい?」
「どうもありがとうございます。ご主人様のおかげで素晴らしい朝の目覚めを迎えることが出来て光栄の至りです」
「うん、よろしくってよ」
リンクが大仰な身振りで礼をして感謝を示すと、ルイズもまた満足げに気取った所作で返した。なんだかおかしくなって二人で笑いあってから、ルイズはリンクの羽織っている外套に目を留めて言った。リンクはいつもの緑衣の上に、フード付きの外套を羽織っていた。酷熱と極寒の繰り返される砂漠越えの時にも使った、分厚くて丈夫な外套だ。
「あっ、外套も言った通りに着てくれたのね」
ルイズが外套を着るようにと言ったのは、リンクの長く尖った耳を隠すためだ。耳を露わにした状態で街中を歩けば、エルフが現れたと大騒ぎになるのは目に見えている。下手をしなくても衛兵に囲まれるのがおちだ。いや、もっとまずければ王宮のメイジたちが残さず襲い掛かってくるだろう。女王陛下直々の身の保証でもなければエルフの扱いなんてそんなもの、というのがルイズの言葉だった。
「ああ、恰好はこれで大丈夫かな?」
リンクはすっぽりとフードを被ってルイズに向かって問いかけた。ルイズはうーんと小さく声を上げてリンクの外見をあちらこちらから確かめると頷く。
「うん、ちゃんと隠れているから良いと思うわ。思いっきり覗き込まれでもしない限り大丈夫よ。でも人混みの真ん中では外れたりしないように気を付けてね?」
「わかったよ」
「それじゃあ出発しましょう。着くころにはお昼前ってところかしら」
「結構かかるんだな。それじゃあエポナに頑張ってもらうとするか」
そう言うとリンクは懐から時のオカリナを取り出した。厩舎へと足を向けようとしていたルイズは、リンクの行動に何をするのかと思い目を見張っていると、リンクはのどかな気持ちを思い起こさせる、優しいメロディーを奏でた。まるで親し気に呼びかけるようなオカリナの音色が辺りに響く。すると、それに応えるかのように馬の嘶きと地面を蹴りつける蹄の音が聞こえた。
ルイズが振り向くと、エポナがこちらへとまっすぐに駆けてきていた。エポナは嬉しそうに耳をぱたぱたと振り、リンクに鼻先を寄せる。
「よろしくな、エポナ。今日はちょっと遠出だぞ」
リンクはそう言ってエポナのたてがみを撫でてから馬具の調整をしていたが、ルイズが驚いたように目をぱちくりとやっているのに気づくと口を開いた。
「さっき奏でたのはエポナの歌。エポナはこの歌が大好きなんだよ。オカリナで奏でて呼んだのが聞こえるとすぐに駆け付けてくれるんだ。そのために厩舎の扉も頼み込んで開けっ放しにしてもらってるんだ」
「そうなんだ、ほんとに賢いのね……」
「そうだ、ルイズも歌ってみたら? 何だったらオカリナでもいいけれど」
「えっ!?」
リンクの思いがけない提案にルイズは素っ頓狂な声を上げてしまう。
「今言ったように、エポナはこの歌が大好きなんだ。だから、自分のために歌ってくれて気に入った人にはすぐに懐くんだよ。逆にそうじゃない人には気難しくて手厳しい態度をとるんだ」
もちろん嫌な奴はたとえこの歌を歌っても絶対に乗せてくれないけれど、とリンクがエポナに向かって同意を得るように続けると、ツンとすましたようにエポナはぶるるっと声を上げた。
「はははっ、当たり前のことを言うんじゃないって顔してるな、こいつ。ま、ルイズさえ良ければちょっとやってみなよ。君だったらエポナもきっと気に入るはずさ」
リンクはにっと笑って、楽し気な顔をしてそう促した。
「えっと……」
ルイズは頬をほのかに染めて恥ずかし気にエポナの様子を伺った。エポナはじっとルイズのことをその大きな瞳で見つめている。しばし躊躇っていたルイズだったが、意を決してすう、と息を吸い込むときれいな澄んだ歌声でメロディーを紡いだ。音を外してないかしら、と内心どきどきしながらも歌い終えた。すると、エポナは尻尾を左右に振ってルイズに鼻先を擦り寄せた。
「きゃっ!」
「ありがとう、だってさ。やっぱり君のこと、気に入ったみたいだ」
リンクがにっこり笑って言うと、ルイズは顔を綻ばせてエポナをそっと撫でた。エポナは嬉しそうにいなないてそれに応えた。
「さあ、それじゃあ行こう」
エポナにひらりと跨ったリンクはルイズに向かって手を差し伸べた。手を掴もうとしてルイズは一瞬固まった。脳裏につい召喚の儀の後のことがよぎったためだった。リンクの腕に抱かれてエポナに乗って疾走したあの時のことを。風そのものになったようなあの感覚を。
「あっと、それともルイズも自分で馬に乗っていくつもりだったかな? ごめんよ、エポナで一緒に乗っていくつもりだったから」
そう言って引っ込めようとするリンクの腕をルイズは慌ててぎゅっとつかんだ。ルイズも乗馬には幼いころから慣れ親しんでいるから、自分一人で馬に乗っていくことはもちろん出来る。ただ自分で馬を走らせるよりも、エポナに乗りたいという思いの方がずっと強かった。
「い、いえ、そうじゃないのよ。ちょっと呆けちゃっただけ。ごめんなさい」
そうルイズが答えると、リンクはにこっと笑い、軽々と彼女の体を馬上へ引っ張りあげた。ルイズはふわりと空を飛んだような気持ちがしたが、その後にはリンクの逞しい腕でしっかり抱かれていることに気が付いて頰を赤らめた。さっきよりもずっと近い位置にリンクの顔がある。そのことに何だか気恥ずかしさを感じた。
「よかった。こっちの方がほかの馬に合わせずに、エポナも思う存分走れるから。門を出てからは道なりで良いんだろう?」
「ええ、いくつか分岐はあるけれど看板もあるし、街道をずっと行けば大丈夫」
「よし! はいやっ!」
リンクが掛け声を上げ、腹に一つ蹴りを入れると、エポナは後ろ足で立ち上がっていななきを上げてから思い切り駆け出した。疾風のように学院の門を飛び出すと、それは見る見るうちに遠ざかっていく。
まだ見ぬ王都に好奇心を刺激され、リンクは胸の奥底から湧き上がるように気持ちが高まっていくのを感じた。エポナもまた同じように高揚しているのか、高らかにいななき、思うがままに疾走する。
凄まじい速さにルイズは思わずきゃっ、と声を上げた。リンクが安心させるように、抱き寄せる腕の力を少しだけ強くすると、ルイズはリンクを見上げてはにかむように笑った。それに応えて微笑みかけるとリンクは前へと目を向けるのだった。
リンクとルイズが王都へと出発してからしばらく経ち、そろそろ日も高く昇ってきたころ、ルイズの部屋の扉の前にキュルケは立っていた。
朝、目覚めてから彼女は身だしなみを整えると、いつもより時間をかけて化粧をばっちり行った。唇には艶やかな紅が引かれ、瑞々しく輝くようだった。薄くつけた香水は華やかで甘い香りをほのかに漂わせている。
丁寧に準備をしたのはリンクが自分を見た瞬間の反応を確かめたかったからだ。自分の姿に心惹かれ、目を見張らせることが出来ればまずは上々。それから腕に抱きつき、どぎまぎしているリンクの顔を間近で楽しめればさらに良し。もし強情にも平静を装うのならば、頬にキスをしてその意地っ張りが持つのか見てあげよう。そんなことを考えながらキュルケは部屋の扉をノックする。
しかし、部屋の中からは何の反応も返ってはこない。部屋の中は無人なのだから当然だ。とはいえ、エポナが駆けだした時にはキュルケはまだ夢の中にいたため知る由もない。訝し気に首を傾げたキュルケは二度、三度と扉をノックしたが何も変わりはしなかった。
「変ねぇ……まだ寝ていたりしてるのかしら?」
せっかくの休日、虚無の曜日に惰眠を貪ったとしても、さすがにもう起きていていい時間帯だ。なんせ朝食もそろそろ終わりになりかけようかというような頃合いである。キュルケは扉のノブに手を伸ばしたが、鍵がかかって回らないのを見ると躊躇なく『アンロック』の呪文をかけた。学院内でこの呪文が禁じられているのは当然知っている。知っているうえでかけた。恋する相手との逢瀬を邪魔する鍵なんて無粋なものは排除されてしかるべき代物だからだ。
何の強化もされていない鍵が呪文に抵抗できるはずもなく無力となると、キュルケは勢いよく扉を開け放った。
「リンク! おはよう……って、あら……?」
部屋の中に愛しい緑衣の剣士の姿は見えず。ついでにいつも弄り甲斐のある桃色がかったブロンド髪の少女もいない。思ってもみない光景に言葉を失っていると、後ろから声をかけられた。振り向くと廊下にはシエスタが立っていた。
「おはようございます、ミス・ツェルプストー。ミス・ヴァリエールになにかご用事でしたか?」
「あら、ごきげんようメイドさん。ルイズにじゃなくって、彼よ。リンクに、それはもう大切な用事があったの」
「あら、そうでしたか」
「だけど、どうやらいないみたいね……あなた、リンクがどこにいるか知らないかしら?」
キュルケが訊ねるとシエスタは苦笑しながら答えた。
「残念ですけれど、リンクさんはミス・ヴァリエールと連れ立って朝早くに出かけてしまわれました」
「ふーん……連れ立って? どこに? それっていつのこと?」
低い声で暗い雰囲気を漂わせるキュルケに、シエスタはたじたじとなりながら答える。
「お、王都に行くと仰ってました。買い物に行くんだとか。何を買うかは秘密だとのことで、教えていただけませんでしたが……時間はちょうど洗濯物の回収をしていました時でしたので、一時間以上は前ですね」
早朝に偶然出くわした時のルイズの楽し気な語り口をシエスタは思い出した。随分早起きをしていることにも驚いたが、それ以上にあまり見たことのない、眩しいくらいの良い笑顔だったことが印象に残っている。
キュルケはシエスタの答えを聞くと目を細めて眉毛をぴくぴくとしながら呟くように言った。
「ふーん、やってくれるじゃない、ルイズったら……まさか抜け駆けしてデートだなんて……! 王都に行くとなると馬だけれど、一時間も前に出発していたとなると……こうしちゃいられないわ!」
そう言うとキュルケは踵を返して急ぎ足で去って行ってしまった。一人残されたシエスタはちょっとの間、ぽけっとその後姿を眺めていたが、はっと気を取り直すと開け放たれたままのルイズの部屋の扉を閉める。
「ミス・ツェルプストーのご用事って何だったのかしら? でも、部屋の鍵を閉めないなんてミス・ヴァリエールは不用心ね。それにしても……」
シエスタは廊下の突き当りにある窓の向こうから覗く青空を見つめてふう、とため息をついた。
「デート……そうなのかなぁ……やっぱり、そうだよねぇ……はぁ、いいなぁ。わたしも、リンクさんと……してみたいなぁ……デート……」
シエスタはぼんやりと呟きながら塔の階段を下りていく。自分がリンクの腕に抱かれて一緒の馬に乗る姿を思い浮かべると、にまっと思わず頬が緩んだ。昨日は深夜まで同僚のメイドたちから冷やかし混じり羨望混じりで大盛り上がりの事情聴取を受けたため、どうも考えが浮ついた方向に流されてしまうようだった。
何せリンクとの会話を話す度にきゃーきゃーと大騒ぎではやし立てられたのだ。自分のために戦ってくれたリンクの姿に熱くなった気持ちが膨らむのをけしかけられるようで、だがそれでも不思議と嫌な気分ではなかった。むしろどきどきと鼓動が早まって、嬉しさが胸の奥からとめどなく湧き上がってくるようだった。
「やあ、シエスタ。おはよう、ちょっといいかい?」
段々と妄想が進み、王都でのデートからいつのまにか将来を誓いあい、実家への挨拶に行くまでになったところでふとシエスタに声がかけられた。はっとなり、惚けてにんまりとだらしなく崩れていた表情を慌てて直し、声の主を確かめると、そこにはどこかばつの悪そうな顔をしたギーシュが立っていた。気づけば広場を抜けて本塔の入口傍まで来ていた。ギーシュは本塔に入る石段の所に立っており、その横にはモンモランシーも立っている。その表情は何故かどことなく楽しげだ。
シエスタは慌てて姿勢を正し、頭を下げて二人に礼をした。
「お、おはようございます! な、何か御用でしょうか? わ、私、また何かお気に障るようなことをしてしまいましたでしょうか……?」
「いやいやとんでもない。そんなことは全くないんだ。どうか顔を上げてくれないか。実は……君には、その、昨日のことを謝りに来たんだ」
「えっ?」
シエスタは、聞こえてきた言葉を信じられずに素っ頓狂な声を上げてしまった。顔を上げると、ギーシュが真剣な表情でこちらを見つめている。
「全くもって彼──リンクの言う通りだよ。君が香水を拾ってくれたあの時、僕はまず君の親切に答えなければいけなかった。それなのに、感情に任せた八つ当たりで君には酷いことを言ってしまった。僕は恥ずべき行為をしてしまったんだ。申し訳なかった。どうか許してほしい」
そう言って、ギーシュはシエスタに向かって頭を下げた。シエスタは慌てて膝を折り、ギーシュの頭を上げさせようとする。
「そ、そんな、どうかおよしになってください! 貴族の方が私のような平民に頭を下げるなど、どなたかに見られてしまってはミスタ・グラモンが……」
「誰かに見られようと関係ない。僕は、僕の過ちを正さねばならない。そうしなければ、君やリンクの前に立って言葉を交わす資格は無いと思ったんだ」
「なんともったいなきお言葉……ありがとうございます。どうかお顔を上げてくださいませ。私の方こそ、お気遣いが足らず、至らなかったばかりに恥をかかせてしまい申し訳ありませんでした。……それにしても、驚いてしまいました」
シエスタはもう一度頭を下げた後、胸に手を当てて本心からの言葉を出した。その様子にモンモランシーが微笑んで口を開く。
「ギーシュったらね、すっかりあの緑衣の使い魔さんに惚れこんじゃったみたいなのよ。それで仲良くなりたいんだけど、そのためにはまずあなたに謝らなきゃ、って意気込んじゃってね」
そうモンモランシーが言うと、ギーシュは照れ臭そうに頭をかいて笑った。
「まあ、言うなればこれは僕なりのけじめなんだよ。わかってもらえると嬉しい」
「ミスタ・グラモン……」
モンモランシーはそこでシエスタに顔を寄せるとひそひそと囁いた。
「今度の浮気には私もホントに愛想尽かしてね、もう縁を切ってやろうと思ってたの。でも、あの決闘の後、貴方に謝るんだって決めてからのギーシュの目が……その、いい目をしてたから。ちょっぴりだけ見直したっていうか……まあ、もうちょっとだけ一緒に居てあげてもいいかなって思ったの」
モンモランシーは恥ずかし気に、だが確かに嬉しそうにシエスタに向かって微笑んだ。シエスタも何だか嬉しい気持ちが伝染してきたようで彼女に微笑み返した。
モンモランシーはシエスタから離れるといたずらっぽく笑って言った。
「それにしても、ギーシュの目を覚まさせてくれたあの使い魔さんには私もお礼を言わなきゃいけないかもね」
そこでギーシュはぐわっと目を見開き、興奮した声を上げた。
「そう、そのリンクだよ! 僕は彼と是非話がしたいんだ! 僕は彼に惚れ込んでしまったんだよ! もし良ければ僕にあの剣技を教えてくれないかなぁ! 僕のワルキューレ達もすごく強くなれると思うんだよ! そうだ、シエスタ! 君なら彼がどこにいるか知らないかい!? 今日は朝食の席にルイズ共々いなかったようだし、どこに行ったのか皆目見当がつかなくてね! お近づきのしるしにと折角この赤い薔薇の花束を用意したのに渡せないんだ! どうかな、彼の黒薔薇の剣に映えると思わないかい!?」
勢い込んで聞いてくるギーシュに、シエスタはくすりと笑って答えた。
「リンクさんとミス・ヴァリエールでしたら、今日は早くから王都へお出かけしていますよ。早朝に出発するとのことでしたので、朝食に用意していた分からサンドイッチをいくつかお渡ししたんです……薔薇の花が気に入るかどうかは分かりませんけれど……」
最後は自信なさげに苦笑したシエスタの答えを聞くと、ギーシュは心底残念そうな表情になる。
「むう、王都に出かけてしまったのか……となると、戻ってくるのは夜になってしまうな」
「まあ出かけちゃったのなら仕方ないでしょ。それより、ここに貴方のガールフレンドがいるのだけれど、何か言う言葉はないのかしら? 今ならまだ予定は空いているみたいだけど?」
モンモランシーの言葉を聞いた途端、ギーシュは感極まったように両手を広げて言った。
「ああ、モンモランシー! もちろんあるとも! 今日は僕と一緒に過ごしてほしい! 今日は何をしよう? 遠乗りに行こうか? それともゆっくりと詩集を読んだりするのもいいかもしれないね?」
「そうね、まずはお茶でもしてから決めましょう? でも、ただ一日話をするだけっていうのも悪くないかも」
「ああ、そうだね。君と同じ時間を過ごせる。それ以上の幸せはないとも。それじゃあシエスタ、どうもありがとう」
手を振り去っていく二人に礼を返して、シエスタはふぅと一息ついた。貴族にまさか謝られるなど夢にも思わないことだった。信じられない出来事が昨日からずっと起きているが、それは全てリンクが来てくれたからだ。
「すごいなぁ、リンクさんは……出来ないことなんてないみたいに……まるで、何もかも変えちゃうみたい……」
シエスタは、もっとリンクと話がしたくなった。もっと彼のことを知りたいと思った。もっと自分のことを知ってほしいと思った。
「私も……もっと……仲良くなれたら……いいなぁ……」
シエスタは、リンクの顔を思い浮かべて、そして一つ頷くと仕事へと戻っていった。彼が帰って来た時にまた話ができるといいな。そして、笑いかけてくれるといいな。そんなことを思いながら。
シエスタが去ってしばらくした後、空を眺めていた窓の向こうを、大きな影が横切った。翼をはためかせるそれは風竜のシルフィードだった。背にはタバサとキュルケを乗せている。キュルケは感激したような面持ちだ。
「本当にありがとう、タバサ! 折角の虚無の曜日を邪魔して悪かったけれど、おかげで何とか追い付けそうよ!」
タバサはキュルケの言葉に首を軽く横に振った。
「いいの」
虚無の曜日は誰にも邪魔をさせず、一日中読書に没頭するのがタバサの主義だ。キュルケもそれは分かっている。しかし、今のキュルケにはタバサの手助けがどうしても必要だった。そして、タバサもまた助けを求めてきた親友を見捨てるようなことはしない。読んでいた本に栞を挟むと、すぐにシルフィードを呼んでその背に飛び乗ったのだった。
「どこ?」
タバサがキュルケに尋ねる。『サイレント』の魔法をかけていた上、本に集中していたためキュルケの説明はほぼ頭に入っていない。魔法を解除された後に彼女が叫んだシルフィードで飛んでほしいという願いに応えただけだ。キュルケは言葉を返す。
「王都よ! エポナに乗ったリンクとルイズの二人を追ってちょうだい!」
「……エポナ?」
「リンクと一緒に来たあの馬よ! ルイズったら彼の腕に抱かれてるんだわ、全く羨ましい!」
「ああ……そういえばそんな名前だった」
キュルケがぶつくさと続けた羨望交じりの声には反応せず、タバサはシルフィードに指示を出す。
「王都まで街道沿いを飛んで。馬に乗った二人組」
「きゅるるー!」
陽気な調子で返事をしたシルフィードはぐんと速度を上げた。風に髪をはためかせ、キュルケは不敵に笑う。
「待ってなさい、リンク!」