竜娘の異世界旅行記   作:ガビアル

8 / 16
八話

 朝の風はどこか湿り気を帯びている。

 周囲が乾燥地帯だからこそ際だってそう感じるのかもしれない。日の光により目覚めた草木が一斉に息吹を漏らす、そんな感覚さえ抱く。

 

「おお、出立かい? いやあ、早めに解放されて良かったねえ、まあハーマンさんとこが妙なもん扱うわけないと思っていたよ」

 

 年かさの門衛が上機嫌にフレッドに話しかけていた。

 

「ああ、とはいえ三日も留め置かれてしまった。遅れを取り戻さんとな。旧道を抜けるつもりだ」

「なるほど、それでそんな服なんかい、あそこは砂が酷えからねえ。まァなんにしろ『良き風の吹く旅路を』だ、帰りはまた寄るんだろう? その頃にゃ瓜も良い時期だ、腹を減らして来てくれよ」

 

 挨拶を交わし、馬を進める。門が遠くなったところでフレッドに聞いてみた。

 

「さっきの言い回しはなんだ? 良き風のって」

「……ん? ああ。砂漠の娘という物語でシャールハ、古い言葉で西風という意味だが、そんな名前の主人公が遠い町の富豪に嫁ぐ話だ。父親が町を出る娘にかける言葉がそれでな、吟遊詩人がよく詠う物語でもある。まあ、あの親爺も気取ってみたかったのだろうよ」

 

 なるほど、と頷く。特に深い意味があったわけでもないらしい。

 馬車の歩みはゆっくりだ。今日行くのは旧街道、門衛の親爺さんが言っていた通り砂が酷いところらしい、フレッドは亜麻の長い布を頭に巻きつけ、首回りにもマフラーのように巻き、余りを垂らしている。いつもの服の上にマントを被り、ベルトで留めていた。

 そんな姿を見ると、赤褐色の肌に真っ黒な髪もあって、どこのアラブ商人だと言いたい気もする。頭に巻いた布などは、まんまターバンだろうし。無論そのターバンはおれも着用していた。砂埃にまみれるのはさすがに嫌だったのだ。服は巡礼用の服が汎用性高すぎる、前を合わせて上からサッシュを巻けばほぼ砂埃対策は万全。考えてみれば巡礼用の服なのだから一流の旅支度なのは当たり前だったかもしれない。翼と尻尾を隠すのに良いとはいえ、これを選んだミラベルさんの目は確かなようだ。

 町から出ると城壁を横目に通過し、緩やかに曲がりくねった道を行く。町そのものが川の跡地にあるとすれば、その川底に沿ったルートだ。

 最初は緑が豊かだったのだが、段々木々の高さが低くなり、生えている草もまばらになってくる。風に砂が混じり始めた。

 

「ここら辺りになると水脈から外れるらしくてな、かなり土地が荒れる、それと……ここまで離れれば町に逃げ込まれる心配も無い、そろそろ仕掛けてくるかもな」

 

 そう言ってフレッドは首に巻いた布を口元まで上げた。

 

「仕掛けてくるかもって割には随分落ち着いてないか?」

「考え無しならここで仕掛けてくる、少しでも考える頭があるならこの先の隘路で待ち伏せをかけるだろう。何せ両側が崖になり、進むか引くかしか出来ん。そこに待ち受け、俺達が入った後入り口を塞げば逃げ場がない」

「罠かよ、で……どうするんだ、策ってのを立てたんじゃないのか?」

「まずはその罠に飛び込む」

 

 ……ジラットやミラベルさんが心配するわけだ。ものにはやりようがあるだろうに。軽く頭痛を覚えた。

 

「いやなんつうか、回避して進むとか……」

「迂回路は馬車が進めん、まあ見ていろ」

 

 しばらく進むとフレッドの言葉通り、道の両側が荒れてきた。起伏と傾斜が多く、いたるところに岩が突き出ている。確かに馬車が通れる状況じゃない。

 やがて山が見えてきた。いや、見渡す限り山に囲まれているというべきか。少し黄色みのかかった台形の山だ。風で浸食されたのか、遠目にも表面の無数の縞模様が見える。道はその山の切れ目……とも言うべき部分につながっている。

 

「これは逃げ場がないな」

「だろう、しかもあの崖の両側には旅人を相手に商売をしていた者達が掘った窪みがあってな、まさに人を隠しておくにもうってつけだ」

 

 フレッドは相変わらず平然とした様子で馬を進める。

 

「エフィ、トーリアの馬具がいつもと違うのに気がついているか?」

「ん、そりゃ鞍が付いていればな」

「鞍の上に引き上げてるだけで鐙も付いてる。この二本のロープ」

 

 フレッドは馬車と馬を繋いでいるロープを指さす。妙な結び方をされている。

 

「輪の部分を引けばすぐに外れるようになっている、俺が合図をしたらそちら側の輪を引き、トーリアに飛び乗れ」

「飛び乗れって……結構無茶な要求なのは判ってるか」

「あんたじゃなけりゃこんな事言わんさ」

 

 そう言いふてぶてしい笑みを浮かべる。全くどんな神経しているのだか。

 やがて左右に断崖のある隘路に入る。

 フレッドは窪みなどと控えめな表現をしていたが、もう少し本格的な穴が掘ってあった。高さも大人が少し身をかがめば入れそうな程はある。崩れないようにだろう、木の板の柱の棒が中に見えた。奥行きはかなりありそうで、暗がりで見通す事ができない。ただ、罠の話を聞いたばかりだ、いかにも人の気配が充ち満ちているようにも思える。

 フレッドは何食わぬ様子で馬車をのんびり進ませながら、小さく「いるぞ」と呟いた。

 

「馬の蹄跡だ、隠そうともしなくなったな、二十は確実だろう」

 

 地面を見れば確かにそんな跡がある、元より荒れ地なので見過ごしてしまいそうだが。しかし、とふと思う事があり、おれも声を細めて言った。

 

「なあ、問答無用で矢が降ってくるって事はないのか?」

「俺一人ならあるいは。だが相手は野盗共の仕業に見せかけたい、ならばやらんさ。馬を傷つければ暴走する、金になる荷が駄目になることも多い。何より連中は酒場であんたの事も知っているしな」

「……へ? 何でおれ?」

「相変わらず自覚のない事だ」

 

 フレッドは思わずと言った感じで苦笑を漏らす。その目が急に真剣味を増した。

 弓音、そして馬車の前方に十本余りの矢が刺さる。

 手綱を引きトーリアの足を止める。

 前方からは馬に乗った男達が砂煙をもうもうと上げながらこちらに近づいてきていた。身を乗り出し後ろを確認すれば、横合いの穴ぐらからやはり皮鎧を纏った男たちがぞろぞろと現れ道を塞ぐ。

 やがて前方から来た連中は五十歩ほどの距離をとって停止した、全員が騎乗している、服や鎧など、装備はまちまちだが、中でも十数人ほどの連中は弓を持ち、こちらに狙いをつけていた。

 隊列を割るようにして後ろから黒い馬に乗った男が現れた。覚えがある、兵士に愚痴られていた例の隊長だ。心なしか苛ついている様子だった。周囲の連中に待て、と合図をしてフレッドに話しかける。

 

「解せん、解せんぞ、貴様はよくよくの馬鹿なのか? 毒を警戒して水にも一切手をつけなかった男だろう、傭兵が増えてきた事、町の馬房に馬が増えている事に気付かなかったわけがない。だが追ってみれば何も仕掛けてこない、一体何を考えている?」

 

 フレッドは片頬を上げ、嘲るような、趣味の悪い事この上ない笑みを隊長に投げかける。勿体ぶるように「それはな……」と言い、懐から出した革袋を高く放り投げる。視線が一瞬逸れた瞬間だった。

 

「今だエフィ!」

 

 合図を受けロープの輪を引っ張る、するっと解ける感覚があった。そのままトーリアに飛び乗る、振り返るとフレッドが背後から取り出した弓で瞬く間に敵方の射手二人を射貫いている。そのまま矢筒を掴み、おれの後ろにするりと乗る、一足で鐙を踏むと、馬を走らせた。

 高く放り投げられた革袋が落ち、銀貨をまき散らす。同時に、矢を首に刺した射手が馬から崩れ落ちた。乗り手を失った馬が困惑し、ふらつきだす。その隊列に出来た穴に向けてフレッドはトーリアを突っこませた。

 混乱していた連中ばかりではない、さすがに熟練の者もいたのだろう、舌打ちと共に即反応し、弓を向けてきた者もいたが、フレッドの反応はさらに上を行った。足だけで馬を操り、射る。さすがに強く引けなかったのか、それは分厚く着込んだ肩当てで止まったようだったが、動きを阻害するには十分だったらしい。

 

「お、追えいッ! 逃がすな貴様ら! 銀貨などに気をとられおってッ、射よ、射よ!」

 

 そんな悲鳴にも似た隊長の声が聞こえた時には既に包囲を脱していた。

 

「追えい追えい! 歩兵は騎馬の者の後ろに乗れッ、見事男を殺したものには金貨十枚、共に居る巡礼の女は好き放題だぞ! 奮え!」

 

 激励をかけるためか次に聞こえた声には心底げんなりもした。しかも傭兵連中がそれに応えて「おおお!」とか叫んでいる。勘弁してほしい。猛るな、金と酒と女しか頭に無いのか。少し思案する。無いかも知れない。

 

「ひょっとして餌とか言ってたのは……」

「だからあんたは鈍いのさ、酒場で自分を見る目にも気付かなかったか」

 

 そんな事を言いながらも馬を走らせている。今回手綱はおれが持っていた、フレッドは上半身をひねり、時折後ろに矢を放ち牽制している。

 

「ところで道はこのまま行けば良いのか?」

「分かれ道はしばらく無い、小高い丘まで道なりだ、あまり急ぎすぎるな、餌に食らいついた魚は慌てずゆっくり釣り上げるものだ」

「遊牧民っぽいから狩りの格言しかないと思っていたよ」

「それは偏見というものだ」

 

 そう言い続けざまに二矢を放つ。昨日作っていた改悪された矢だ、まともに飛ばず、見当外れの場所に刺さる。追っ手のうち一人が通りがかりにそれを掴み、嘲るように笑うのが聞こえた。

 

「おいおい、何か笑われてんぞ、むしろ相手の気勢上げただけなんじゃないか?」

「いや、あれでいい、盛大に笑ってもらわねば困る」

「商人じゃなく芸人かよお前は」

「ナイフ投げの技なら出来るな、食い扶持に困ったらやってみるか」

 

 ははは、と機嫌良く笑う。相当危ない状況だってのに、神経が何本かまとめて切れているに違いない。

 大体こうやって話している間にも、後ろからびゅんびゅん矢は飛んできているのだ。フレッドが弓で弾き飛ばしているが一本も当たっていないのは奇跡に近いんじゃないか。

 砂塵を巻き上げながら迫る連中に追われる事しばらく、先方に小高い丘というものが見えてきた。落石でも多いのかもしれない、この辺りは道の脇にごろごろと黄色みのかかった石が転がっている。

 

「フレッド! 目的地はあれだろ、見えてきたぞ」

 

 と言うとフレッドはちらりと確認し、よしと一声発すると、弓を腰の後ろに仕舞い込み、おれの手ごと手綱を掴む。前に座っているおれにのしかかるように前傾姿勢を取るとトーリアは察したのか、スピードを上げ始めた。

 上を向くとフレッドを目が合う。どこか自慢げな顔でにやりと笑った。

 

「引き離すぞ、連中の馬とトーリアでは格が違うというのを見せてやろう」

「いやそうじゃなくてな……尻尾の上に乗っかんな、妙なもん押しつけるな」

 

 思わぬ言葉だったのか、ブッと吹き出した。

 

「なるほどこれは尻尾だったか」

「だから触んなって! 妙にくすぐったいんだよ」

 

 そんな間にもぐんぐんと後続を引き離す。確かに馬の持っている力が全く違うようだ。後ろを覗き見ると、追っ手の馬は相当疲労し、足が乱れているのが判る。丘への登り坂になるとそれはなおさらのようで、中には足を止めてしまう馬もいた。

 

「そろそろか」

 

 とフレッドは呟き、再び取り出した弓に矢を番え、空を狙う。先端部のやじりは普通のものと違い、大きく丸い。思い出した、鏑矢だ。

 トンビが鳴くような音を響かせ、矢は飛んだ。

 丘の頂上付近まで登ると向きを変え、フレッドはトーリアを労るように首筋を叩く。

 

「おい、さっきの合図は」

 

 聞こうとした時だった。

 ──ごう、という鈍い音が響く。腹の底まで響くような音。轟くと言った方が良いのかもしれない。

 妙にゆっくりと岸壁が崩れ落ちていく。まるで崖そのものがずれ落ちるように。やがて崖にぶつかり砕け、雪崩のように。

 砂煙……などというものではなかった。濛々と立ちこめる砂塵がおれやフレッドまで飲み込む。思わず目をつむった。

 一陣の風が吹き、煙を散らす。やっと少しだけ見えるようになってきた。丘の上に居るからまだ薄かったようだ。眼下に見えるのはひたすらに立ちこめる砂煙。黄色い雲の上に居るような気分になる。おれはため息を吐き、服の埃をはたいて言った。

 

「……なあフレッド、いい加減説明しないか?」

 

 フレッドは崖の上に目をやる。人影が見えた、何やら手を振っている。フレッドも手を振り返した。

 

「話してしまえば単純な話だ。火薬で土砂崩れを起こし、誘い込んだ敵を飲み込ませた」

「えーと、ああ火術師ってのは……」

「火薬を扱う技術者の事だ。北方の内戦では戦場にも持ち込まれた。ここの崖が脆く崩れやすいのは知っていたからな、請負屋に手配してもらったのはこの事だ」

 

 最初からここに罠を仕掛けるつもりだったらしい。話しているうちに眼下の視界もゆっくりと晴れてくる、幾分か薄らいだ煙の中に蠢く人と馬の姿が見えた。

 

「相当残ってるみたいだが……」

「この辺りの岩は人を潰せるほどの塊で落ちるのは少ない……狙いは砂煙だ。それより見ろ、こういう状態になれば、馬は恐慌に陥る。人の言う事など聞かん」

 

 そして、と続ける。弓に矢をつがえながら。

 

「足を奪われ、視界を遮られた連中ほど簡単な的はない」

 

 次々と射貫いてゆく。高みからの射という事もあるかもしれない。だが、それにもばらつきがあった。鎧を着、武器を持ったものは優先的にトドメを刺しているが、あからさまに装備の劣るものは足を射て動けないようにしているだけだ、なんでだと聞けば。

 

「あいつらは奴隷だからだ、自らの身を買い戻すために傭兵に名乗りを上げたのだろう。職業傭兵は確実に止めを刺しておかんと怖いが、あいつらにその怖さはない。それに……待て、エフィ、少しいいか」

 

 フレッドは言葉を止めて、砂塵の向こうを指さす。

 

「見えるか、あの黒鹿毛だ」

 

 ぼんやりと黒い影が見える、目を凝らす。あれは……

 

「隊長だな、いや確かもう正規兵扱いじゃないんだっけ」

「率いていたには違いない、最後方に居たらしい、今日の弓ではさすがに矢が届かん。捕まえられるか?」

「捕まえるだけでいいのか?」

「ああ、聞きたい事がある」

 

 おれは一つ頷くと、任せとけと言う代わりにぽんとフレッドの肩を叩いた。

 

「トーリアに乗って行け」

「いや、それより労働後の飯をよろしく」

 

 そう言って巡礼服を脱ぐ。下は裸じゃないが、肌着みたいなものだ。服を頼む、とフレッドに投げておく。久方ぶりに思い切り翼を伸ばした。ごきごきと鳴りそうな気さえする。縮こめているのも楽じゃない。大きく一つ二つ羽ばたいた。ああ爽快。

 

 風を裂いて空を舞う。久しぶりに飛ぶとやはり空は気持ちが良い。久しぶりと言っても一週間も経っていないのだが。気分が良かったのでつい上空まで来すぎてしまったようだ。

 上空から地形を見ると、ごつごつとした砂漠地帯なのが判る。目を凝らして遠くを見ても緑はぽつぽつと散発的にしか存在しない。南の方向は特に酷く、それはもう絵に描いたような砂漠のようだった。

 そんな荒れた土地の空でも鳥はいる。鷲が旋回しているのが見えた。衝動的に近づきたくもなるが我慢する。獲物を探しているのだろう、邪魔になってしまう。

 眼下に目を凝らすと、東に向かって動く黒い点があった。フレッドの方からは完全に見えなくなっていたかもしれない。丘陵地帯の窪み部分を縫うように移動している。

 一つ羽ばたくと力を抜き、風の上を滑る。丁度良い風向きだ。追いつくのは簡単だった。

 上から近づいたが、影で気付かれたらしい。隊長は訝しげに見上げる。

 目が合ってしまった。何となく手を上げ。

 

「よう」

 

 と声をかけてみる。

 ぱくぱくと口が開き、目が見開かれた。認識してなかったが、間近で見ると案外端正な顔立ちかもしれない。被っていた帽子が落ち、癖のあるくるくるの黒髪が揺れた。彫りは深くどこか伊達男じみている。

 

「ぎゃああああああッ!」

「うおぅ」

 

 開いた口から出たのは悲鳴とも威嚇とも付かない大声だった。びっくりした。

 わたわたと手を動かし、腰の剣を取ると鞘を投げ捨て遮二無二斬りつけてくる。

 

「うわあああああッ」

 

 叫びながら剣を振っているのだが、こちとら馬に当たらないように飛んでいるわけで、そこそこ間がある。当たるわけがない。何というか相当混乱状態に陥ってしまったらしい。

 とりあえず、男の後ろに飛び乗ってみる。顔を真っ赤にして切りつけてきたのだが、当然ながら効かない。とはいえ、気持ち良いものでもない、切ってきたところを掴んでもぎ取り、投げ捨てた。

 

「化け物、化け物がああッ!」

「おお、その通り、その通り」

 

 さっきから新鮮な反応を返してくれる。そうだよ、普通はこうなんだよ。フレッドが異常だ。

 後ろから腰を掴んで拉致しようとしたがどうも手綱を外さない、手首にぐるぐる巻いて、しかも鞍にしがみついてしまった。無理やり引っ張るとちょっとえぐいことになるかもしれない。

 少し飛び、距離を置き考える。見れば馬も相当な興奮状態、乗り手があれだけ我を失っていれば無理もない。男は鞍にしがみついたまま震えてブツブツ呟いている。聞き耳を立ててみればどうも祈りの言葉のようだった。

 

「こんだけしっかりくっついてるなら行けるか……」

 

 着地、馬の歩調に合わせて走る。姿勢を低くし、タイミングを合わせ馬の下へ。馬の腹に背中を当て、前足の付け根をがっちり抱え込む、ずしりとした重みが背中にかかった。翼を大きく伸ばし二度三度羽ばたき、そのまま空へ飛び上がる。

 揚力で飛んでるならどだい無理な話だが、うん。何となく出来る確信はあった。人乗せた馬をおぶって飛んでいるのだから第三者から見たら凄い絵な気もするが。鳥くらいしか見れるものはいない。

 

「隊長さーん、落ちないようにしっかりしがみついとけよー」

 

 ……返事がない。鐙にかかったままの足が見えるから落ちてはいないはずだが。いやまて、足から滴り落ちてる水は何だ。ほのかにアンモニア臭が。おい、まさか。

 ……おれは足が揺れてその液体がかからないように慎重に飛ぶ事にした。ひっかけられても普通に弾いてしまう気はするが、気分的に嫌なものは嫌なのだ。

 フレッドの居る丘に舞い降りる。さすがにあれだけ舞っていた砂塵も治まり、まだ埃っぽい感じはするものの清浄な空気が流れていた。

 

「よっこらせ」

 

 と、馬の足が付くよう、上手い事着陸したのだが、肝心の馬の足が萎えてしまったらしい。がくがくになっていて、とても立てそうにない。仕方無いので、馬の下で支えながらフレッドに言った。

 

「なあフレッド、ちょっと馬を寝かすから、この隊長さんを鞍からどかしてくれるか?」

 

 言ったものの返事が来ない。

 

「フレッド?」

 

 見てみれば、とても呆れた様子でため息を吐く姿があった。

 

「つくづくあんたには常識が通じん」

 

 ぶつくさと言いながら、ナイフで手綱を切り、隊長を引きずり下ろす。呼びかけても反応がないのは当然だったかもしれない、口から泡吹いて失神していた。ついでに失禁も。

 馬を横倒しに寝かせ、宥めるように首筋を叩く。やはり空の旅は精神的に厳しかったのかもしれない、小刻みに震えている。

 とりあえず着ろと、フレッドが服を渡してきたので、もそもそと羽織る。

 

「話には聞いていたが、あそこまで見事に飛ぶとは思っていなかった」

「……珍しいな、お前が褒めるなんて」

「馬車ごと持って飛べないか?」

「狙いはそれかよ、腹減るからやだ。素直にトーリアに牽いてもらえ」

「難所越えが楽になりそうだったのだがな」

 

 肩をすくめて含み笑いを浮かべる。とんでも無い奴だった。

 しかし腹が減った、やはり飛ぶのは何というかこう、カロリー使い過ぎる。腹が音を立て、せつない思いでさすった。荷車は置いてきてしまっているのだ、少し我慢しないといけない。

 

「ところで、あの人達は?」

 

 丘の下にいつの間にか集まっている人達を指して聞いてみる。飛んでいる時にも気付いたのだが、馬車が数台、それに動きやすそうな服を着た男達が馬を集めたりもしていた。

 

「町の連中だ、言っただろう?」

 

 失神した男、隊長さんを顎で示す。

 

「この男が権限を乱用して町の者から様々なものを徴収していたと。町の連中にとっては損を取り返す気分だろうさ」

「ああ、そういう事か……」

「馬は銀貨三百、奴隷は傷があっても銀貨四百はする、さらに死んだ傭兵の身ぐるみを剥いで売れば一人頭百程度にはなるだろう、損失を補って十分な利益が出るはずだ。請負屋もこの益があるからこそ無条件で俺の味方になった」

「結局は金か? せちがらいなあ……」

「義理だけでも動いてくれたかもしれん。が、まあそう言うな。火薬も火術師も金がかかる。本来俺の動かせる程度の金では使えん」

 

 ちゃぽと音を立て、水筒を煽り、乱暴に口を拭った。ふう、とようやく落ち着いたかのようなため息を漏らす。何だかんだでこの男も緊張はしていたらしい。

 馬車の音に気付き目をやると、丘を登ってくる馬車がある。

 御者台で手綱を取っている姿には見覚えがある、請負屋のカスィールだったか、今日頭に巻いている頭巾は赤のストライプが入っている。なかなか派手だ。馬車にも見覚えがあった……というのも当然で、フレッドの馬車のようだ。こちらに近づき、馬車を止めると、満面の笑みで言った。

 

「フレッド様、おやりなされましたな!」

 

 だがフレッドは苦笑を返す。

 

「敵に恵まれた。そして味方にもな、カスィール、見事な差配だ。腕の良い火術師だった」

「なんの、謙遜することはありますまい、単騎で四十五人の相手をしたのです、それを誇らずしてなんとします? ましてや戦いにあのように火薬を使うなど前例がありませぬ、仕事をした火術師も驚いておりましたぞ」

 

 フレッドは北の内戦で火薬が使われたような事を言っていたが、もしかするとこの辺りだと知られていないのかもしれない。フレッドもそこには触れず。顎を一撫で、どこかしかめ面をして言った。

 

「四十五人もいたか」

「土砂の中に埋もれた者もいましょうが、まず」

 

 そこまで言ったところでカスィールは近くに転がされた隊長に気付いたらしい。やや、と目をみはった。

 

「件のあの方の私兵ですな、フレッド様はどうなさるおつもりで?」

「何の、殺しはせんさ。聞きたい事があってな。町に迷惑がかかる事にはならん。心配そうな顔をするな」

「これはこれは……安心致しました、では馬車をお受け取り下さい、それと散らばっていた銀貨は?」

「ああ、ちょっとした囮で撒いた」

「なるほど、革袋にミラベル・ハーマンと刺繍されてあったのでもしやと思ったのですよ、馬車にいれてありますぞ」

 

 フレッドはとても面白い顔になった。渋いものを食べさせられてしまったような、むず痒いような。咳払いを二つすると、一言うむ、と言って何かを誤魔化すように水筒を煽り、むせるのだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。