竜娘の異世界旅行記   作:ガビアル

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七話

 赤くて大きい、ラグビーボールのような形の瓜がある。

 露天商がゴザを敷き、その上にごろごろと置いているのだ。板の上でその瓜を真ん中からばっさり切ると甘い香りが漂う。手際よく中の種部分を抜き、さらにそれを四等分、赤い皮の中はオレンジ色の果肉が詰まっていた。並んだ客たちは我先にと買い求めていく、一切れで鉄貨一枚、一番安い硬貨だ。円換算だとどれくらいになるんだろうか。

 客達もパワフルだ。行儀良く並んだりはしてない、割り込み当たり前で、それは特売という香りに引きよせられた主婦達もかくやというものだった。おれも負けじと割り込み、隙間から店主にお金を渡し、一切れ貰う。

 

「おお、やっと買えた……これがそうか」

 

 人混みからちょっと離れ、道ばたに無造作に置かれている丸太に腰掛ける。同じく丸太に腰掛けている若い男と女が昼間から楽しくやっているようだが気にしない。芳香を放つハリ瓜にかぶりつく。

 思わず呻いた。瑞々しい。それに何だこの香りと甘さのバランスは。さらにしっとりとした果肉のきめ細かさはどうだろう、これは美味い。なるほど皇帝に献上されていたというのも判る。似ている果実ならメロンだが、これはその数段上の味だ。

 ぺろりと平らげ、もう一度と再び並ぶ、一切れ買う時、物足りないのでたっぷり買ってやろうと店主に相談してみたが、その手の話はキリが無くなるので断っているとのこと。丸々一個だけは買うことができたが。持ってきた瓜を売り切り、その日は店じまいとしてしまった。結局その日食べられたのは二切れ分だった。あっという間に売れてしまう。道沿いに掘られた穴、ゴミ入れのようなものらしい、そこに皮を放り込む。

 視線を感じて振り返ると路地にさっと少年が隠れるのが見えた。

 またか、と頬を掻く。監視らしいのだ、一度捕まえて話を聞いた事もあるが、どうもおれの一日の様子を報告すると銅貨一枚貰えるらしい、絶好の小遣い稼ぎというわけだ。

 フレッドに言われた通り、あれからハーマン商会に連絡をとることはしていない。おれ自身が一っ飛びでもしてつなぎを取ってみようかと提案してみたが、それについても消極的な様子だった。

 町で一つだけの酒場に入る。真っ昼間というのに飲んだくれている男達の姿も見えた。といってもそれは、その日持ってきたものを売り切り、その帰りに一杯引っかけていくような感じだ。先程のハリ瓜の露天商も赤い顔で友人らしき男と談笑している。ただ、日を追うにつれ、いかにも暴力を生業としてそうな男達の姿も増えてきた。巡礼服とはいえ女の姿は目を引くのか、毎度毎度何とも言えない視線を向けられる。

 酒場で忙しげにくるくる動く見習いの少女に軽く挨拶をし、二階に上がる。普通の宿もあるらしいのだが、中央通りに面していて便利なのでここに宿を取っていた。宿泊費は一日銅貨十枚、食事はパンだけ食べ放題。正直食べ放題につられた気がしなくもない。六部屋あるうちの一番奥に入った。ドアを閉め、緑青の浮いた鍵をかけ、棚の上に買ったハリ瓜を置く。

 角部屋なので窓は部屋に二つある。酒場の正面と側面だ。窓は風通しを良くしておくために戸板は外してあり、泥棒ホイホイだったりもする。盗まれて困るものは宿の店主に預けておくのが基本らしい。もちろんおれも荷袋は必要なものだけ出して預けてある。

 表側をちらりと覗き確認してみれば、やはり先程の少年が店の前、道の端に座りこんでいた。持っていたずだ袋から糸の塊を取り出し、足も使い、手で揉むようにして紐にする。そういえば道すがら畑の片隅でそんな事をやっている子供達の姿もよく見かけた。いつも家でやっている事なのだろう、少年の手際は良い。ちらちらと酒場の入り口を見ているものの、他の場所は注目していないようだ。

 側面の窓から飛び降り、すかさず路地裏の奥へ走る。

 暗がりに入り振り返った、誰も気付かなかったようだ。そっと表の様子を伺ってみれば少年も相変わらず座って作業をしている。

 よし、と小声で呟き路地裏を抜ける。途中、隙間を荷物でふさがれ袋小路にもなっているが、こちとら行ける経路が普通じゃない。軽く一跳び。途中の空気取り穴に足をかけ、もう一跳びすれば建物の屋上だ。この辺りの住居はほとんどがこういう箱形の家だから助かる。往来の人通りが絶えた時を見計らい飛び降りる。急に降ってきた人影に驚いたのか、近くにいた猫が凄まじい勢いで逃げ出した。あまりに慌てたものらしく食べかけの鳥の肉片を残したままだ。

 

「……すまん猫」

 

 誤魔化すように頬を掻く。

 向かう先は請負屋だった。何でも扱う仲介業者と言えばいいのだろうか、組合などを作るほどではない小規模な技術者、職人を斡旋する仕事を生業としている業者だ。

 ロープの結び目をかたどったような看板の、そのすぐ脇にある入り口をくぐった。

 

「これはこれは……」

 

 と、目を細めて迎えてくれたのは請負屋のカスィールという男だ。ストライプの入った頭巾を頭に被り、その上からさらに布を巻き付け縛っている。おれは軽く挨拶をし、頼んでおいた依頼の方はと聞いてみる。

 

「はい、はい。フレッド様より頂いたご依頼の件については、滞りなく準備は済んでおりますよ、火術師もまたはりきっておりました、これは前代未聞、腕の振るい甲斐があると」

「前代未聞って……何かすごい響きだな、あいつ恥ずかしがるんじゃないか?」

 

 そう言いつつ、フレッドに預かってきた羊皮紙、仕組みはよくわからなかったが小切手のようなものらしい、それを渡す。

 

「確かに頂戴いたしました。フレッド様にもよろしくお伝え下さい」

 

 他愛のない雑談の後、こちらが巡礼の服を着ているからか、あなたの神の恵みがあらん事を、と言って締めくくる。不信心で申し訳ない。そういえば、こちらの宗教観とか聞いた事がなかった、わりと巡礼している人は見かけるのだが……今度聞いてみるのもいいかもしれない。

 

 来たときと同じ道を辿り、こっそりと部屋に戻る。表を見れば相変わらず少年が酒場を見張っていた。暇そうな顔で頬杖をついている。何となく待たせてしまったような気分に襲われた。空を見れば中ほどにあった太陽が傾きつつある。最近時間の感覚が読めてきた。多分お八つ時だ、おれの腹がそうぼやいている。

 

「……そろそろ行ってみるか」

 

 どこへと言えば自警団の詰め所だ。フレッドが現在囚われている。おれが盗み聞きした情報とフレッドの読みからすれば、囚われてから三日目になる今日には釈放されるはずだった。

 門の前で捕まえた時は鑑定士に検査させるような事を言っていたが、あれは結局ただの建前という事らしい。薬の鑑定士そのものが少なく、国にもそう数がいないそうだ。本当に鑑定させるならかなりの長期間拘留する事になる。おそらく、証拠不十分だのと適当な名目で解放するだろうというのがフレッドの見方だった。

 

「多分、二重命令、いやジラットの敵方の商人から賄賂を貰っているのだろうな」

 

 何とも情けない事だ、そう言って大げさにため息を吐く。

 

「本来の命令は俺を拘留し、手段を選ばず始末しろというものだったのだろう。形だけでも毒を入れてきた」

 

 顎に手をあてる。だが、と小さく呟き言葉を続けた。

 

「ジラットの敵である商人はそれでは困る。野で俺が死んでくれねば利用価値がない、どちらにも迷ったあげく、一番中途半端なやり方をしたわけだ。あの隊長は」

「ああ……それでちぐはぐって言ったのか」

「毒を盛るならもっと強い毒がある、何より殺そうとするなら毒すらいらん、こちらは手枷をつけられた身だ」

 

 典型的な小物という奴さ、と呟き、片頬を上げて笑う。

 

「見張りの兵達に聞いたところ、あの臨時隊長のやった事はまず自警団を追い出し、権限を用いて食と酒、金と女を徴収、日夜浮かれて酔い潰れるまで飲んでいるそうだ」

 

 おれは思わず唇の端が引き攣るのを感じた、こめかみを揉む。何という……ある意味何という人間らしい人間であることか。

 

「この手の奴は自分の権威が失われれば身の程を越える事は存外やらなくなるものだ。正規兵の権限が失われる三日を過ごせばそう無茶はせんだろう。読みやすくなる」

「ああ、それはそれとして判ったが、肝心の傭兵対策は? 酒場に泊まってるけど一日目だってのに結構集まってきてるぞ」

「……エフィ、あんた夜這いかけられてもうっかり殺さんようにな」

「心配するのはそっちかよ」

 

 確かに夜這いなんぞかけられても、ちょっと気持ち悪いだけで無害なのだろうが。ああでも目の前でゲス顔されたらつい殴ってしまいそうだ。加減……できるだろうか。

 フレッドは片頬を上げ、いつもの笑みを浮かべた。

 

「傭兵対策についてだが、少し思案がある。今日の月明かりなら書けるか、あんたの荷袋の中にも筆記用具と紙類が一揃い入っていただろう、持ってきてくれ」

 

 そして請負屋にフレッドが書いた依頼書らしきもの、残念ながらまだこっちの字については理解が出来てない。何が書いてあるかは判らなかったのだが……それを持込み、おれはおれで夜になればフレッドに食と水を届ける、というのがここのところやっていた事だった。

 

 どうもフレッドは牢に入れられている間に隊長は除いてだが、兵士と仲良くなってしまったらしい。詰め所の門を出てくる時など、兵士と握手すら交わしていた。隊長も居たが、どこか薄気味悪いものを見るように顔をしかめている。

 久々に主と出会った事で嬉しくなったのか、トーリアがフレッドの顔をすりつける。フレッドは馬体を撫でると少し顔をしかめた。

 

「洗っては貰えなかったみたいだな、汚れたままか。待っていろ、宿についたらすぐ手入れしてやる」

「その前に自分の手入れしろよ、かなり臭いぞ」

 

 思わずツッコミを入れてしまう、三日間、あまり綺麗でもない監獄に入れられていたのだ。当然ながら臭い。無精髭も伸び、だいぶ老け顔になってしまっている。虫にでも食われたのか、あちこちに赤いぶつぶつも見え、いかにも痒そうだった。

 フレッドは少し不満げにごりごりと頭を掻く。

 

「これだから女は、旅していればこのくらいの汚れは当たり前だろう」

「……わざと言ったな? それわざと言ってるだろう」

 

 ごり、とフレッドの足を踏みつけた。呻きにならない声を上げ、無言でしゃがみ込む。しばらく痛そうに震えていたがそのまま話しかけてきた。

 

「請負屋への依頼は?」

「準備済んだってさ、しかし火術師ってなんだよ」

「後で判るさ、監視には引っかからなかっただろうな」

 

 頷くと、一言そうかと言って立ち上がる。馬車を牽くトーリアの首筋をぽんぽんと叩きながら歩き出した。

 途中、荷の預かり所に荷車を預けたりもしながら宿に着くと、言葉通り本当に馬から手入れを始めた。手持ち無沙汰になってしまったので一階の酒場で篭ごとリンゴを売って貰い、馬房の柵に腰掛け、齧り付く。

 

「馬はな、野にいる時は仲間同士で毛繕いをしたり、水浴びをしていてな、存外身綺麗にしているもんだ。扱い方を知らん奴に飼われている方が余程汚くなる。病にも冒されやすく、な」

 

 フレッドはそう言いつつ、蹄の裏を布で拭いていた。

 しゃり、とリンゴを一口噛む。酸味が強くてあまり甘くない。それもそうで、本当は調理して食べるものだとか。篭一杯に見覚えのある果物が積まれていたので、つい手が出てしまった。春まで出回る唯一のリンゴらしい……しかしトーリアが妙にリンゴを目で追っている。

 

「なあ、フレッド、馬ってリンゴ食べたりする?」

「馬によって好みはあるが、トーリアは案外好きだぞ、サーシュの実や瓜なども好物だ」

「ほほー」

 

 柵から下り、どこか物欲しげな目をしているトーリアの前にリンゴを差し出してみた。

 

「おい馬鹿……」

 

 フレッドが言いかけるも間に合わず、指ごとがぶりと頂かれる。

 けったいなものがついてきたとでも思っているのか、もむもむと指を噛まれる。いや、痛くはないのだが。

 

「お、おいトーリア、ちょっと放せ、おおお、噛まれる、噛み噛みされてる、というか何だこの新感覚はッ」

 

 隙間が出来た瞬間に指を引き抜く。よだれでべっとりだ。手ぬぐいを取りだして拭く。トーリアは美味そうにリンゴを食べていた。フレッドが呆れた様子で言ってくる。

 

「あのな、手の上に乗せて噛みつくのを待つんだ。リンゴを掴んで馬に食わせるなど子供でもやらんぞ。あんただったから無事だったものの」

「……ぐぬぬ」

「なんだそれは?」

「言い訳も出来ない時の決まり文句、気にしないでくれ」

 

 何とも言えない恥ずかしさをノリで流しきる。さらに物欲しそうに首をかがめてくるトーリアの鼻面を軽く撫で、今度は指を食べられないようにリンゴをあげた。

 

 一通りの手入れを済ませると、一階でお湯を買った。借りた部屋に入り、ようやくフレッドは自分の体を洗う。

 しかしこちらの社会、女はあまり肌を露出するのが好かれないが、男の方は肌を見せても問題ないらしい。平然と下帯一つになり体を拭っていた。しかし、骨からしてがっちりしている。筋肉質で羨ましいものだ。日焼けと思ったが、それだけでなく肌の色が赤銅に近い、よくよく見れば体中には無数の古傷が走っているようだ。

 何とも言えない妙な気持ちを感じつつ、自分の二の腕をつまむ。まったくもって柔らかい。腹立たしいほどに。小さくため息を吐き、ベッドに腰掛けた。頬杖をつく。

 

「……フレッドは本当に髭が伸びると老けるな」

「ミラベルは威厳が出ると言ってくれるのだがな」

「あばたもえくぼって解るか?」

 

 通じないらしい。不思議そうな顔をして肩をすくめた。石鹸を湯で溶き、髭を剃る。ぞりぞりと音まで聞こえる。結構大振りのナイフなのだが、器用に使う。

 身を整えた時にはもう日も暮れようとしていた。

 

「腹が減ったな、下で飯でも食うか」

 

 賛成だ、と反射的に言おうとして思いとどまる。ちょっと待て。

 

「二階に上がる時見なかったか? 結構荒っぽそうなのがたむろってたろ」

「ああ、雇われた傭兵だろうな、酒場に来るって事は職業傭兵だろう、俺を襲う為に集められた連中じゃないか?」

「おいおい、判ってて行くのか」

「何、どうせ集められただけでまだ何をするかも教えられてはいまい、よしんば教えられていたところで町中での私闘は御法度だ。特に余所者には厳しい、連中が一番よく知ってる事だろうさ」

 

 そういうものか、と思い一階に下りる。

 毎度のごとく酒場は賑わっていた。奥の席には大杯を傾け、すっかり出来上がって大騒ぎしている男達の姿もある。

 

「おお、大食いのねーちゃんが来たッ、今日は十二皿まで食う方に五メイス賭けるぞ!」

「馬ァ鹿野郎、あのねーちゃん、さっき山盛りリンゴ買ってったろうが、さすがに直後で十二はあるめえ、俺は十皿に賭けるぜ!」

 

 よーし俺は十一だ、いやいや九だという声が聞こえてくるが無視する。すっかり人気者になってしまっていた。大食いで。

 対面に座ったフレッドがくつくつと笑っている。

 

「随分この町でも顔を売ったようだ」

「……さっくり捕まった誰かさんのおかげでな。笑うなあほ」

 

 ──とりあえずその夜は十二皿ほど平らげた。

 やはりどこからか歓声が聞こえる気もするが何も聞こえない。聞こえないったら聞こえない。

 シチューばかり五皿も含まれている。パン食べ放題とはいえ、さすがにそればかりでは飽きがくる。パンにつけて食べられる系の副食を頼む事が多くなるのは仕方無いのだ。

 

「相変わらずの食いっぷりだな、金は持つのか?」

「ニコニコ現金払いで前金くれたからな、外食しても一日銀貨二枚くらいの食費で済んでるし。あ、そういえば自炊分の経費はおれが持つよ、作らせて食うだけじゃ悪いし」

 

 フレッドはどこかわざとらしくため息を吐く。

 

「自分で作るって思考はないのか、仮にも旅の同行者だってのに」

「そこは最近料理人志望の加わった自称商人に任せる、おれが料理するとろくな事にならないと本能からしてビンビン訴えている。なんなら今度試しに作ってみようか?」

 

 フレッドは腕を組んで唸った。額に皺を寄せ、妙に悩む。

 

「……怖いモノ見たさの虫が疼くな。ああ、非常に疼く。しかし何なんだろうな、俺も感じるんだ。あんたに料理させると俺の命脈が尽きる事になると」

「それはおれに料理しろっていうフリだよな、なあフリなんだよな?」

「黒焦げトカゲ、竜の吐息焼きなどは勘弁してほしいところだ」

 

 そう言ってフレッドは笑った。鈍い色の杯を干し、美味そうに目を細める。そしてもう一杯、と素焼きの瓶を掴み、ちゃぽちゃぽと振る。どうやら残りが少なくなっていたようだ、忙しく皿を片付けている店員の少女を呼び、チップに鉄貨を一枚渡す。酒の追加を頼んだ。ちらりとおれを見て言う。

 

「あんたも一杯飲んでみるか? 夏に来ると食う事もできるがブドウで作った酒だ。飲みやすいぞ」

「なに、ワインだったのか、是非頼む」

 

 白ワインなのだろうか、色がほぼ透明だったので判らなかった。

 ほどなく運んで来てくれた杯にフレッドが注いでくれた。近くで香りを嗅げばまさにワインだ、この辺りのブドウは白ブドウが主流なんだろうか。一口含み、味わう。甘い、酸味は薄く、とてもフルーティな香りが鼻に抜ける。アルコールの度数は正直判らないが、フレッドの様子を見るにそう高いものではなさそうだ。

 

「この辺りは水は豊富だがそのまま飲んでもどうにも美味くない、果樹栽培が盛んなのと併せ、こうした果実酒も盛んになったんだ。瓜は食ったか?」

「おお、あれも美味かった。水気たっぷりで、口の中に広がって。うぉ涎が」

 

 口の端から垂れそうになり慌てて拭う。フレッドは軽く笑みを浮かべ、続ける。

 

「昼は果物で、夜は酒で水気を取る。この辺りの過ごし方さ、あんたがさっき囓ってたリンゴも酒にする、それこそジュースのような酒でな、子供でも飲めるものだ」

「ほうほう、しかし随分テーブルに酒瓶が並んじゃったけどお前、明日平気なのか?」

「生まれてこの方、二日酔いになった事がない」

 

 自慢げにうそぶいて杯を干した。

 部屋に戻ると、フレッドは馬車の中から持ち出してきた荷袋から弓矢を取り出す。弦の張られてない弓は反り返っているねじれた棒のようで、最初はそれが弓だとは気付かなかった。かなり力が要るらしい、体重を乗せて弦を張り、具合を確かめるように何度か引く。やがて満足の行く仕上がりになったのか、皮のケース、バッグのようなものに収納した。

 次いで矢を取り出し、一本一本出来を見るように確認を始めた。

 

「明日の朝出発する」

 

 矢の確認をしながら、何気なく言う。

 

「策は出来ているが餌に欠けるところがあった。が、さっきの様子を見て思案が纏まった」

「さっきの様子?」

 

 フレッドはかみ砕いて説明する気は無いようで、一言ああ、と言いこちらを見る。何かに感情が揺らいでいるような目だ。

 

「あんたには別行動してもらうつもりだったが、そうも行かんようだ、すまんが生死を共にしてもらう事になる」

 

 おれは二度三度まばたきをする。どうもぴんとこない。危ないという気が一向にしない。

 

「生死ってもな、正直おれは自分が死ぬかどうかも怪しいんだけど」

「ものの例えだ」

 

 そう言うとフレッドは苦笑を浮かべ、肩をすくめた。

 

「修羅場になる。平穏に生きていけるなら無縁の事だ。もっとも……エフィ、あんたが平穏に生きていけるとはとても思えんし、良い機会なのかもな」

「ぬ、酷い事を言う、おれほど平和主義の竜は存在しないのに」

 

 もっとも他の竜に会った事もない、本当に平和主義なのかなんて判りはしないのだが。

 フレッドは矢をより分け、出来に納得が行かないのか、うち十本余りの矢羽根をランプの上で温め外す、どうも矢柄が気に入らないらしい、ナイフで削って調整をしている。作業を続けながら言った。

 

「主義主張はともかくとしてだ、例えばそこらの奴隷商が何も知らないあんたを騙して奴隷として売る事なんてわけもない事だってのは判るか?」

「ぬ……まあ、常識にはかなり疎いしな」

 

 渋々認める。根拠はないが、何が起ころうと自分は大丈夫だろうという自信もある、疑うのも面倒臭くなってほいほい着いていってしまいそうだ。

 

「あんたの剛力があれば、例え騙されても問題はないだろう。縄に繋がれれば引きちぎり、牢に捕まれば壁も破れる、だがそうだな。例えば同じ牢に同じく騙され拐かされてきた田舎娘が居たらどうする?」

「そりゃ……ついでに助けるだろうなあ」

 

 うん、特に考えないで助けると思う。さほどの労力でもないだろうし。

 

「だろうな、しかし奴隷商はそれを財産だと考えている。騙された事であっても田舎娘の身売りの証書でもあるなら盗難でしかない。追っ手が出るな」

 

 何となくフレッドの言いたい事が判ってきた。

 

「……なるほどなあ」

「もっともそれ以前に、あんたは容姿が綺麗すぎる。犯そうという連中は後を絶つまい、竜……おとぎ話にしか存在しない生き物と判れば尚更だ、研究欲に取り憑かれた錬金術師どもには垂涎だろう。とても平穏には生きれまいよ」

 

 犯そうって……いや、待て、こちとら男だ。体はこんなでも男だ。男でござる。そういう視線はたまに感じているし、理解できなくもないが勘弁してほしい。容姿についてはスルーだ、理解できん。

 おれは色々考えたあげく、疲れてため息を吐いた。

 

「とりあえず瓜食おう、ハリ瓜。お前が食えないのは寂しいだろうと思って一個買っといたから」

「……エフィ、気が効くな。ミラベルと一夜寝ても良いぞ?」

「寝取って良い?」

「それは許さん」

 

 許可を得る事は叶わなかった。がっくりと落ち込む。瓜にもナイフを落とした。まず真ん中からナイフで切り分け中の種を取り、乱切りのように切っていく、確かこんな感じだったはず。む、違ったっけ。首を捻ったが、まあいいや切れてればと、切り分けたものを出すと美味そうに齧り付いた。何だかんだフレッドもあまり気にしないようだ。

 

「うむ、やはりここに来たらこれを食わなくては」

「だなあ、この何とも言えない繊細な食感も堪らん」

 

 しばらく部屋の中に咀嚼音が響く。美味い物を食うときはやはり無口になってしまうものらしい。気付けば丸々一個を食べ終えてしまっていた。我ながら満足気なげっぷをし、布で口を拭う。ふとフレッドが先程からいじっている矢の束に目がとまった。

 

「なんだかその矢、改悪されてないか?」

「いかにも作りたて、と言った感じだろう」

 

 まったくその通り、やじりは先端に紐でグルグル巻かれているだけだし、矢羽根はついてない。矢柄に至ってはいかにも削りだしたかのようにごつごつとし、中には見た目で判るほど反っているものもある。ものの役に立つのだろうか?

 作った矢を角張った矢筒に収納する。いつもの含んだ笑みを浮かべ言った。

 

「これについては策とも言えん、ペテンの一部さ、やらないよりはやった方が良いというだけだ」

「よく判らんなあ」

 

 明日になれば判る、とだけ言って教えてはくれなかった。こいつはいつもそうだ。

 

 夜の帳も深く下りた、この時間になってもまだ騒いでいる人が居るらしい、酒場から言い争うような声も聞こえる。一部屋にベッドが二つ。間に木枠のついたてを置き、幾何学模様の布を被せ間仕切りにしてある。おれは特に気にもしないのだが、フレッドはやはり同じ部屋で寝る事が気まずいようだった。

 

「修羅場になる、ねえ」

 

 口の中で呟き思い出す。フレッドを襲っていた連中、おれが腕を掴んだらいとも容易く折れてしまった事。何も感じなかった。ああ、やってしまったと思っただけだ。

 

 ──人は脆い。

 

 そんな言葉が響いたような気がした。すとんと腹の中に落ちる気がする。

 いつ聞いた言葉だっただろうか……

 大昔に聞いたような、自分で呟いたような不思議な感覚。

 本当によくわからない。


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