竜娘の異世界旅行記   作:ガビアル

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五話

 太い、太すぎる腕をした男が目の前にいる。

 景気づけとばかりに、これまた大きいジョッキで酒を煽った。

 乱暴に服で口を拭うとテーブルの上に、その丸太のような腕を差し出す。

 おれもまた右手をテーブルの上に出し、がっしと組んだ。

 腕の太さでいえば倍、いや三倍は違う。ついでに言えば目の前の男には油断の色もない。当然か。

 

「鍛冶屋のガープが出たぞ!」

「ガープさん、俺の仇を取ってくれーッ」

「そんな怪力娘に負けるなッ!」

「リーファン男の魂を見せるんだ!」

「お嬢ちゃん頑張んだよ!」

 

 テーブルを囲んで外野は大盛り上がりのようだ。賭け事にしている男の声も聞こえれば、おれの方を応援してくれる酒場のおかみさんの声も聞こえた。

 相対している鍛冶屋のガープだったか。が。こちらをぎょろ目で睨み付ける。赤ら顔を酒でさらに赤くし、言い放った。

 

「今までの連中と同じだと思うんじゃあねえぞ」

 

 おれは答えずにやりと笑う、ふてぶてしく見えるよう。案の定、苛立ち赤ら顔を歪め、床に唾を吐き捨てた。組んだ手を強く握りしめられる。

 そのテーブルの側面に立った男がおもむろに、組まれている手の上に両手を重ねる。腕相撲の様式はどこも似たようなものらしい、その状態で静かにこちらを見、あちらを見る。

 

「始めッ」

 

 ──声と共にぐん、と右手が動かされる。腕の太さにふさわしい怪力。今までおれが勝った連中とは確かに違う。

 右手がテーブルに着いてしまうまであと一〇センチほど。ぬぬ、と顔を歪め、耐える。

 

「ぐくく……かっははは、観念しろや嬢ちゃん、今晩は楽しませてやるぞ」

 

 ガープは鼻息を荒くしてそんな事をのたまう。正直あまりのアレさに力が抜けそうになった。五センチほどまた沈んでしまう。うむ、なんだまあ。そろそろ演出はやめるとしよう。

 

「てい」

「ぬごおおおおおああああッ」

 

 やたら派手な声と共に体ごとひっくり返った。もちろんガープの右手の甲はテーブルに熱いキスをかましている。

 外野で騒いでいた男たちが一転、悔しそうなブーイングを上げる。

 

「勝利!」

 

 右手をかかげてガッツポーズ。なんだかんだでおれもまたノリノリだった。

 準備してくれていたのだろう、さっき応援してくれたおかみさんが湯気の立った大皿を両手に持ってきてくれる。

 

「すごいねえ、あんた。これで八人抜きじゃないのさ。もうリーファンには相手はいないよ、ほら賞品の丸鶏のローストだ、見ていて気持ち良くなる食べっぷりだしね、いい鶏使わせてもらったよ、しっかりお食べ」

 

 言われずともいただく。茹で野菜の上に乗っている鶏の丸焼きは香草の良い香りがぷんと漂い、涎を誘う。一緒に置かれたナイフで……ええと確か、どうやって切るんだったか。

 悩んでいると横から伸びた手がナイフを握った。

 

「こういうのは足の付け根からだ」

 

 フレッドだった。遠巻きに酒を飲んでいたのだがいつの間にか近くにきたらしい。ごっつい腕には似合わないこなれた動きで丸鶏を手際よく切っていく、流れるように自らの皿に骨付き腿を取り分け、囓りついた。

 

「うむ、旨い」

「……さらっとかっ攫うなよ」

 

 あまりに自然にとられたので阻止できなかった。もはやとられまいと皿を引きよせ保守。ひとまず腿に齧りつくと確かに美味。こりゃいい鶏だ。味が濃厚で油がギトギトしてない。骨をしゃぶってなお美味しい。

 

「乱痴気騒ぎは終わりましたか?」

 

 鶏肉をまるまる美味しく頂いたところで、ミラベルさんが二階から降りてきた。騒ぎを嫌ったのか、いつの間にか避難していたようだ。フレッドは自分の隣の椅子を引き、まあ座れと促す。

 

「乱痴気騒ぎとは酷い、これでエフィの馬鹿高い食費が一食分浮いたぞ?」

「フレッドさまが楽しんでらしただけでしょうに、もう……」

 

 困ったように笑い、ミラベルさんはそう言う。空になっていたフレッドの杯に酒を注ぎ、フレッドはごく自然にそれを受け、杯を傾けた。

 

 今日は旅への準備という事で、ミラベルさんと必要なものを買い出しに町を歩いていた。

 旅先での宿は大体酒場と兼業でやっていて、大きな店であれば昼間も営業し、レストランになっている事が多いらしい。ものは試しとハーマン商会とも取引のある酒場を訪れ昼食をとる事にしたのだ。

 酒場に入ると、カウンターで昼間からフレッドが酒を飲んでいた。とはいえ、その事自体は珍しくもないらしく、ミラベルさんが小さいため息を漏らしただけだったが。

 せっかくなのでと一緒に食事をとっていたのだが、何が問題かといえばその事自体が問題だったらしい。

 正直ミラベルさんは可愛い。それはもう可愛い。どう可愛いかと言えば、艶やかな少女なんて妙な形容をしたくなる綺麗さ。言葉は丁寧で表情は笑顔を絶やさない、そしてそんな落ち着きを一切崩さないながら、フレッドに対する態度があまりに判りやすかったり、それを自分はそれなりに隠し通せていると思っているあたりが特にだ。

 さらに言えば不本意ながらおれもまた目立つ。自分の容姿だけにそれが綺麗なのか醜いのかとかはちょっと判断つかないが、とりあえず目立つ事は判る。じろじろ見やがって。

 そんな二人が昼間から酒を飲んで良い気分に浸っている男を囲み、あまつさえ一人は馴染みの夫婦のごとく男の世話を焼いたりなどもしている。それはもう店でも浮いていた。

 あるいは客層もその時微妙だったのかもしれない、そればかりは運なのでどうしようもないのだが。

 ……まあ何というか、荒っぽい連中に絡まれてしまったのだ。連中と言っても、少年の面影を残している若者が五人ほど、騒々しくいかにも悪ノリが好きそうな……シルバーや獣の牙のようなアクセサリーをうるさく身につけている。こっちでもこういう人たちはこんなノリなのだろうかと、場違いな事に頭を悩ませてしまう。

 そんな無駄な事に頭を使っている間にも事態は進展していた、げらげら笑いながらとてもわざとらしく、持っていた杯の中身をフレッドにぶちまけたのだ。アルコールの臭いが鼻をつく、どうやら昼間から酒を飲んでいたのはフレッドだけではなかったらしい。

 ミラベルさんの笑みが変化し、何か得体の知れないプレッシャーを感じる。これか、これが怖い笑みという奴か。

 

「まあ、待て」

 

 何か言いかけたミラベルさんをフレッドが手で止めた。

 立ち上がり、酒をかけた若者を覗きこんだ。ただそれだけの動きだったが若者は一瞬怯む。無理もない。立ち上がってみればフレッドは頭一つ大きい長身だ、それがあからさまに挑発されたにも関わらず、余裕のある笑みを浮かべて覗きこんでいる。

 怯んでしまった自分に苛立ったか、若者は額に皺を寄せ、何か言おうとした。機先を制すようにフレッドは若者の腕を取り、ぽんぽんと二度三度軽く叩く。いかにも感心したかのように言った。

 

「ほう、結構鍛えているな、荷組みか何かの仕事か?」

「あ? え……おう」

 

 と、若者は勢いをすかされ、毒気を抜かれた顔になる。

 

「これほど鍛えているなら余程力には自信があるだろう、暇も持て余していると見た、どうだ力試しでも? 俺も商いをやっている身だがそこそこの自信がある」

「あ、ああ? 商人が力試しってかおい?」

 

 若者達は嘲り、笑いさざめいた。フレッドは片頬を持ち上げる笑みを浮かべ、親指でおれの方を示した。

 

「こいつを賭けよう、お前達が勝ったら好きにしていい。こちらが勝ったら……そうだな、飯を奢ってもらうか、一人一品分でいいぞ?」

 

 若者達の目が一斉にこっちを向いた。待て、ちょっと待ておい。何で視線が段々とぎらぎらしてくるのか。相変わらずフィルターを通したような気持ち悪さしか感じないが、それでも気持ち良いもんじゃない。

 

「おい、本当に良いんだな? よっぽど腕に自信があるみてえだが、後で泣き入れるんじゃねえぞ?」

「二言はない、ついでに言えば自警団に駆け込んだりもせんさ、誓おうか?」

「いや勝手に賭けんなよ」

 

 というおれの呟きは完全に聞き流されたようだった。ミラベルさんが申し訳なさげに目礼する。

 若者は一声笑い「誓いなんて当てにならねえ」と言うと、酒場の真ん中で椅子に乗り大声を張り上げた。

 

「よおーっし! あんたら聞いたか、聞いたなッ。南のアシャードの子ラーギルが力試しをするぞ! 勝者は緑の髪の女を得る事になる!」

 

 どうやらこの血気盛んな若者はラーギルというらしい。一声上げて気勢が上がったのか、仲間から渡された酒を一気に飲んだ。他の四人は囃したて、また客の中にも娯楽に飢えている者がいたのか、歓声をあげているものがいる。というか、周りを見ればあまり迷惑顔をしている客はいない、せいぜい面白い見せ物が始まった程度に思われているようだ。うん、まあ、こういう社会なんだろうきっと。

 テーブルの上が片付けられ、肘を置く布が敷かれる。力試しと言っていたが、要するに腕相撲のようだった。ラーギルは腕まくりをし、がっちりした、細身だが筋骨隆々の腕を見せつける。蛇の刺青が肩口に彫ってあった。乱暴に椅子に座り、示威するように指をごきごきと鳴らしてみせる。

 誰かが呼んできたのか、いつしか老人がマンドリンに似た楽器を手に伴奏さえ奏でていた。ミラベルさんに聞いてみるとセターと呼ばれる楽器らしい。

 

「ほれいいぜ、座んな商人、それともやめたくなったか?」

 

 挑発するように大口を開いて笑う。フレッドは焦らせるかのように含み笑いをした。

 

「何も俺がやるとは言っていない。ほれ、エフィ」

「お?」

 

 ぽんと背中を押され、前に出される。しん、と酒場が一瞬鎮まった。

 そして怒号。

 卑怯者とフレッドを罵る声が響く。

 しばし呆気にとられていた若者たちも嘲りの色を隠そうともせず手を打って笑っている。

 

「こいつはお笑いだ、この男、女を前に立てやがった! だが賭けは賭けだ、嬢ちゃんは捨てられちまったなあ、ははは!」

 

 ちらりと見れば、酒場の店主らしいエプロン姿の男がミラベルさんの側に来ていた。そういえば取引があるらしいし、二人の事も知っているのだろう。心配気な顔で何事か話している。ミラベルさんは笑顔を崩さず首を振っていたが、何を言っていたんだろうか。

 そしてこれだけ騒がれてもフレッドは一向に動じていない。相変わらずニヤニヤ笑っている。おれは軽くため息を吐いた、悪趣味な事をする。仕方無い、なんだかますます気勢が上がっているらしい若者に向き直った。

 

「じゃあなんだ、よろしく」

「おお、よろしくしてやろうさ、楽しみにしてな」

 

 開始の挨拶が判らないので座って適当に話したら、妙に含みのある返しをされた気がする。あまり考えない方が精神衛生上良いのだろう。

 

 その後はなし崩しだった。とりあえず最初に絡んできた連中のうち、三人ほどをあっさり腕相撲で倒したら妙に場が盛り上がってしまい、なぜか「この怪力女をぶっ倒せ」ムードになってしまった。あんたら最初と言ってる事が違うだろうと言いたい。フレッドがおれを前に出した時のブーイングはどこに行ったというのか。そして町中の力自慢に次々声がかかり、その度に一品づつ料理を奢ってもらう事になったのだ。何だかんだで得しかしていない気もする。

 

 酒場での一騒動、ミラベルさんに言わせれば乱痴気騒ぎだが、結構な時間を費やしていたらしい。酒場から出た時には日が傾きかけていた。

 三人で連れ立って歩く。フレッドがふと思い出したようにミラベルさんに向き直る。

 

「買い出しの途中だと言っていたが」

「はい、エフィさまの代えの服や必要そうなものを一通り。ついでですからこれから食材でも買い込みに行ってくるつもりです」

「エフィを借りても?」

「はい、大丈夫です、荷は後で人をやれば良いようにしてありますから。ところでどちらへ?」

 

 フレッドは視線を空に向け、息を吐いた。酒の臭いがする。

 

「何、今のうちにトーリアを走らせておこうと思ったんだ、少し野駆けにな」

 

 ミラベルさんは小顎に指をつけ、少し考える仕草を見せた。

 

「ただ、今日はうちの持ち馬は空いていないかもしれません、ロバでしたら一頭空いているはずですが」

「ああ、問題ない。トーリアはこいつを気に入ってしまったようだからな、東のナツメ岩辺りまでは二人乗りで行くつもりだ」

「……そうですかあの馬が」

 

 ミラベルさんはあからさまに膨れてこちらを見る。ずるいです、と呟かれてもおれはどうすればいいってのか。我ながらひどく引き攣った笑みを浮かべると、溜飲を下げたのか元の穏やかな顔に戻ってくれたが。

 

 馬に乗るのは初めてだったと思う。おそらく。

 乗馬というと……こうウエスタンブーツで馬の腹を叩き、ハイヤッと掛け声をかけるのがイメージとして思い浮かんでしまうのだが、そんなことはなかった。手綱を纏めて軽く握り、シッと声を掛けるだけで進む。実は微妙な動きで馬に意志を伝えていたのかもしれないが、そこは悲しき素人の目、全く判らない。

 

「思ったより揺れないんだな、こう馬に乗ってると上下にもっと揺さぶられるもんだと思った」

「前に乗っているからな、後ろに乗ったら厳しいぞ。それにトーリアも配慮しているようだ、あんたを乗せたら随分大人しい走りをしてくれる」

 

 おれは鞍の出っ張っている部分にしがみつきつつ、ぽんぽんとトーリアの首を叩き、ありがとうな、と言っておいた。伝わったか伝わらなかったのか判らないが、耳がぴくぴくと反応を返す。

 町の東門を抜けると荒涼とした景色が目に飛び込んでくる。この間通った南側と違ってこちらは耕作に適していないのかもしれない。乾いた土埃が舞い、ぼつぼつと地面にしがみつくように生えている草が揺れる。物珍しげに見回していると察したのかフレッドが聞かずとも答えてくれた。

 

「ここには水が通っていない。リーファンの水は全て山の方からの地下水で賄っているんだが、水の筋は北西から流れ、南に抜ける。この辺りに岩盤でもあるんじゃないかと言われているな」

 

 ほうほうと頷く。確かにその言葉を裏付けるように、地面から顔を覗かせる岩や石ころが多くなっている。いかにも荒れた土地をしばらく走り続けると、少し水気が通っているのか、緑が段々増えてくる。その中に変わったシルエットが見えてきた。何と言うかこう、盆栽のような。

 

「あれがナツメ岩だ」

 

 近づいて見れば何てことはない、二つの岩の間に挟まれるようにして、隙間から木が伸びている。ひょろひょろした枝ながら広く繁っていた。

 

「ただの砂ナツメの木だが、見ての通り岩から生えているように見えるんでな、良い目印になっている」

 

 近くまで行くと手綱を引き馬を止めた。フレッドは鐙を踏んでさっと降り、ほれと手をさしだしてきたが無視して飛び降りる。所在なさげに差し出された手が揺れた。

 近くに生えている、これまたあまり高くもない木に手綱を結んだ。商会に戻った時に持ちだしてきたものらしい、大きな背嚢を地面に下ろす。背嚢からは革袋に包まれた長い竿のようなものも飛び出している。ごそごそと探り、革の水筒を取り出すと一口二口飲んだ。おれにも渡してきたので貰う。

 

「ぶッ……」

 

 吹きそうになった。てっきり水だとばかり思ったのだ。

 

「酒かよッ」

「サーシュのジュースが好きだと言うからな、あれはこの時期しか採れないが酒にして年中飲める、結構いけるだろう?」

「……まあ、イケるけどさ」

 

 うむ美味い。とてもフルーティな果実酒だ。ただその割にアルコールが高いかもしれない、ふわりと香る独特の臭いがある。しかし、とおれは呆れた視線を向ける。

 

「どんだけ飲めば気が済むんだ、酒場でも飲み通しだったろ」

「何、あんなもの飲んだうちに入らん。旅先で酒は命取りだからな、せめて町でくらいは存分に飲まねば」

「飲兵衛め」

 

 通じなかったらしい、何だそりゃと言いたげな顔になる。おれは肩をすくめ革袋の中身をもう一口飲む。

 フレッドは背嚢を再びごそごそやりはじめ、こちらに背を向けたまま言った。

 

「しかし予想外だった。失念していたと言うべきか。ジラットはまだ俺が心配らしい。あんたを旅に出させるつもりで町に連れてきたわけじゃなかったんだが」

 

 背嚢から何か取り出し、身につけている。籠手、それに皮のものらしい丈夫そうなベスト。

 

「あんたもあんただ、何故受けた?」

 

 そう言ってこちらに振り向く。その目は思わずハッとしてしまうほど真面目だった。

 頬を掻く。あまり大層な理由もない、西に行ってその竜の話を追っかけてみようと思ったのと、正直お給金に惹かれただけなのだ。いや取り繕わず言えばパンに惹かれた。我ながら本能に生きている。

 フレッドは一つ間を置くとため息を吐いた。

 

「……今更か。ただ、次の旅路は危なくなる。俺の勘が正しかったのかどうか、確かめさせてもらうぞ」

 

 そう言い、ひょいと木の棒を投げ渡してくる。反射的に受け取った。あの長い革袋の中身はこれだったらしい。太さは親指と人差し指で作った輪っかくらいだろうか、フレッドの身長ほどの長さがある。この間テムル少年と稽古をしていた時に使ったものと同じもののようだった。良い物干し竿になりそう、などというあまりに場違いな感想を抱く。

 何の木か判らないが、かなりしっかりした作りのようだ、端っこを持って振り回すと重い音がする。

 

「なあエフィ……棒はそう使うもんじゃないと思うんだが、剣の方が良いのか?」

「あ、いや、何となくさ。てかこれで稽古みたいな事でもしようってか」

 

 ああ、とフレッドは頷く。昨日テムル少年と向かい合っていた時のように無造作に棒を垂らした。

 

「少なくとも戦闘に対応できる能力があるかどうか、俺が思うにそれは有る。だが同時にあんたが色々素人なのも判ってしまうんだ。だからな……」

 

 言わずもがな、とでも思ったのか口をつぐむ。行くぞという一声と同時にフレッドは向かってきた。

 

 人間離れしていた。もちろんおれはもう人間であるとはちょっと言えないので、人間離れしてるのは当然なのだが……フレッドの方も何と言うか色々ありえない。

 殺気やら攻撃の気配とかで躱せるのはお話の誇張だとばかり思っていた。まったくもってこちらの攻撃が当たらない。逆にあちらの攻撃はボコボコとそれはもうマゾの悦びに目覚めてしまいそうな程に当たる。例の変な力による防御は効いてるみたいで、まず当たっても痛みもなければダメージも受けないのだが。

 フレッドが上から放ってきた棒を弾く、これはフェイントだ、先程も食らった。その反動でもう一方が下から顎を狙ってくる。左手で抑えた、これでよしと思った瞬間、その上から蹴り飛ばされた。踏ん張ろうと意識してないとあの妙な力は働いてくれないようで吹き飛ばされてしまう。棒を地面に突き立ててバランスを取り着地。

 そのまま地を蹴る。今度はこちらから仕掛けた。蹴った地面が抉れる。

 振り下ろすが、何と今度はフレッドはこちらに踏み込んできて、足元に棒を刺す。つい避けようとして勢いが止まり、おろそかになってしまった軸足を思い切り払われ、こけた。かなり間抜けに前のめりに。

 

「ぐむ……」

 

 起き上がり埃を払う。ダメージはないものの服は別だ。今日のもまた、動きやすいものとはいえミラベルさんの服を貸してもらっているので、ちょっとすまない気分になった。

 

「呆れたもんだな、痛くも痒くもないのか……」

 

 フレッドはフレッドで少しげんなりした表情で、肩をぽんぽんと棒で叩いている。

 おれは何となく膨れたくもなった。

 

「精神的にはだいぶ痛い……ってか悔しいんだけどな、何で当たらないんだ?」

「一言で言えば読みやすいからだ、足の動き、腰の動き、肩の動き、呼吸の間、全てに嘘が混じってない」

「……無類の正直者だからな、どこぞの嘘付き商人とは違って」

 

 皮肉も通用しない。片頬を上げ、楽しそうに含み笑いを浮かべるのみだった。

 周囲を見回し肩をすくめる。付近の荒れ地はそれはもう穴だらけになっていた。

 

「ともかくあんたの怪力と、とんでもない丈夫さは判った。戦闘で助けになるかどうかは微妙だが……まず死ぬことはなさそうだな」

「さらっと酷い事言われた気がするんだが」

 

 ぶうたれて見せるが反応はない。フレッドは何か考えこむような顔になっていた。やがて辺りをゆっくり見渡し、ある場所を見て指で示した。

 

「エフィ、あの岩を殴ってみてくれないか」

 

 指の先を見れば結構大きな岩がある。地面から突き出ていてとても安定していそうだ。両手一杯広げたくらいの幅がある。高さは胸あたりまでだろうか。まあ何とも堅そうな色つやをしている。玄武岩? 正直岩石の名前なんて花崗岩とそのくらいしか出てこない。それを一瞥したのちフレッドに向き直った。

 

「いや、殴ったら痛いだろ、やだよ」

「……あんたは時に頭が花畑に戻る時があるな」

「酷い言い様だ、当たり前の事言ってるのに」

「ああ、そうだな……で、あの岩を砕けるかどうか、ちょっと考えてみてくれないか」

 

 砕けるか、砕けないかで言ったら。うん、あのくらいの岩なら砕けるに決まっている。何となくだが。む……?

 

「おお……なるほど。どうもできそうだ」

「そりゃよかった、やってみてくれ」

 

 呆れたような小さなため息をフレッドは漏らした。若干の決まり悪さを感じて頬を掻く。

 岩の前に立って、拳を振りかぶり、せーのと掛け声をかけ振り下ろした。

 鈍い音が響き、拳が埋まる。ヒビが入り砕け散った。うん「何とか出来るもの」だという事さえ浮かんでしまえば何とかなってしまうようだ。豆腐を殴り潰すような感じだった。砕けた岩の残骸から拳を引き抜く。指を開き、閉じる。手の平に残った石は潰れない。力加減は効くみたいだが……これ、全力で殴ったらどうなってしまうのだろうか。ちょっと怖い想像がよぎったりもする。

 気付けばフレッドが近づいて覗きこんでいた。顎を撫で思案するように目を細める。

 

「やはりな。加減は無意識に出来ているか」

 

 やはりって事は何か目星をつけていたのだろうか。目で問うとフレッドは苦笑を挟み言った。

 

「最初は力の加減が出来てなかっただろう。俺を襲った連中の腕をへし折った後ひどく不思議な顔をしていたからな。だが荷物を運んだ時や酒場での腕比べ、初めの一人はまだぎこちなかったが、最後の一人に至っては演出する余裕すらあった」

 

 そしてこれだ、とフレッドは自分が手にしている棒を見せる。よく見ればあちこちがささくれ立ち、磨かれていただろう木の肌が荒れていた。

 

「あんたは攻撃された時、弾くだけで折りには出なかった。一度だけ俺が攻撃を流し受けた時もだ。やろうと思えば力任せに打ち折る事も出来たはず。意識はしていないだろうがな」

「お、おお……」

 

 そこまでよく見られているとは思わなかった。この男テムル少年の師匠役をやっているだけあって、そういうのが板についているのかもしれない。フレッドはひょいと手を伸ばすとおれの肩を叩く。

 

「一緒に来る以上、恩人……人じゃなかったか。まあ、特別扱いはしない。いいな?」

「おぉ、それは望むところだ。ほら、おれって力持ちだしその手の仕事とかは任せてくれよ」

「いざという時は矢避けだ。どうも矢など刺さりそうもないしな」

「盾扱いか」

「竜の盾と言うとなかなか格好もつく」

 

 あまりにぞんざいな扱いにしょぼくれる。尻尾も垂れる。そんなおれを見てフレッドは片頬を上げてお決まりの笑いを上げた。まったくもって趣味が悪い。

 

 町に帰り着いた頃には既に日が暮れていた。今日は空が曇っているようで、星や月の明かりがない。町の明かりというのもおれが覚えている煌々とした電気の明かりと違って細々としたものだが、それでもどこかほっとするような感覚を覚える。門衛には愚痴られてしまった。帰るまで門を閉じるのを待っていてくれたらしい。

 時間がかかったのには理由があった。おれも馬の乗り方くらいは覚えておいた方が良いというので、トーリアの背に乗せてもらっている。手綱をフレッドが引き、人の歩く速さで帰ってきたのだ。

 正直、どこの乗馬体験コースかと思わないでもない。もう少し普通に乗らせてくれてもいいじゃないかと言ってもみたが、フレッド曰く操る前に乗り方らしい。地形によっては鞍に座る事もあるが、基本は立ち乗りだそうで、それも棒のように突っ立っていては、トーリアのように賢い馬ではかえって気にして馬の負担になる、動きに合わせて膝でバランスを取るのだとか。鞍も立ち乗りした時に腰が落ち着くよう、前部が高くなっている。手綱は取られているのでここに掴まり、文字通り馬に揺られていた。

 町に入り、路面が整備されているからか、蹄がカッポカッポと音を鳴らす。映画で聞くようなお馴染みの音だ。ふと思い出した事があった。フレッドの持つ松明を見ながら聞く。

 

「なあフレッド、次の旅路は危うくなるって言ってたよな、何かあったのか?」

「ああ」

 

 ぽつりと答えると、フレッドはわずかにためらいの色を見せた。

 

「酒場で聞き出した事だが、傭兵の斡旋屋の羽振りが良いらしい、奴隷商も兼ねているような連中だ」

「傭兵と奴隷って……兼ねるもんなのか?」

「どちらも人を扱う事には違いない、それに奴隷も数度傭兵稼業で稼げば自らを購う事ができる、女は……推して知ってくれ」

「ああ……」

 

 あんな事やこんな事か。フレッドは肩をすくめ話が逸れた、と言い直す。

 

「盗賊狩りでもやるなら、顔役であるジラットにも話が行く。そちらに話が通っていない以上後ろめたい理由で人を集めているとも言える。それにその斡旋屋には少し貸しを作ってあってな。わざわざ俺の行きつけの店で遊ぶという事は、そういう事なんだろう」

「そういう事?」

「……あんたは本当に世間擦れしてないな」

 

 フレッドは呆れたような声を出す。内心むっとするものも覚えるが、仕方無い。事実だ。

 そんな事を話している間に、ハーマン商会に着いてしまった。

 明かりこそついていないものの、まだ錠をかけていない裏口から入る。音を聞きつけたか、ミラベルさんが出迎えてくれた。まだトーリアに乗っているおれを見、フレッドに視線を移し、やがてため息を吐く。

 

「エフィさま、そんなに埃まみれになって……いえ、かなり破れてもいますね、本当に乗馬をしてきただけですか?」

「え? あ、ああうんトーリアに乗ってきただけです」

 

 なぜかフレッドまで小さくため息を吐く。何だか判らないが、微妙に馬鹿にされたような気がする。

 

「フレッドさま?」

「……次戻った時、一日言うことを聞こう、それでどうだ?」

「もう……いつもそれですね。でもはい、いいですよ。楽しみにしてますね」

 

 そう言うとミラベルさんは笑顔を見せた。

 おれはトーリアから降り、首筋を軽く叩く。今日はありがとなと言っておいた。通じているか判らないが鼻先をすりつけてくる。くすぐったい。

 フレッドが手綱を引き厩舎に連れて行くのを見送る。うん、どうせなら餌やりとかもやってみたかった、しかし右手をがっちり掴まれているのだ。

 

「さ、エフィさまは埃を払って着替えです。今日買い付けた服も届いておりますし、ざっと丈は合っているはずですが、今日中にしっかり整えてしまいましょう」

 

 やけに楽しげな声音で手を引かれる。

 ミラベルさんは自分の服を選ぶのも好きなようだが、他人の服を選ぶのもまた好きらしい。今朝方、服屋に入った時の事を思い出す。若干引き攣った笑顔を浮かべてしまったかもしれなかった。


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