竜娘の異世界旅行記   作:ガビアル

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十二話

 眠ってしまったかのように静かな大地に身を伏せる。

 ごつごつとした岩、細かな土、それでも前に通った荒れ地ほど乾いてはいない。

 薄く目を開ければ順応したのかどうか知らないが、闇夜の中でもよく見えた。星明かりに照らされ、まばらに生える草が黒々として見えた。

 小さな音を立て、その草が揺れた。臆病そうに鼻先を覗かせ、きょろきょろと見回す目がある。どういう種類かは知らないが、野ねずみの仲間には違いない。

 息を止め、ぴくりとも動かずにねずみが近づくのを待つ。

 土を掘り返しはじめた。何か埋めていたのだろうか。つい手が動きそうになるが、止める。まだ早い。

 やがて何かの種を掘り出し、土を落として齧り付こうとしたところで躍りかかり、手で押さえる、背中を咥え背骨を噛み砕いた。ねずみの力がなくなる感覚がし、命と共に流れ出した血を飲み込む。

 ミアと名付けた砂ネコの前に獲物を置くと、恐らく母猫から貰った事もあったのだろう、少し臭いを嗅いで口をつけはじめた。

 唇についた血を舌で舐め取る。正直不味い。どうも食の好みは合いそうにない。

 

「しかしまあ、やろうと思えばできるもんだ」

 

 何となく狩りとかも出来そうな気はしていたが。割と余裕だった。むしろ力加減の方が難しい。噛み殺す気もなく、ミアの練習にしようと思っていたのだが。

 ふと視界の端に動くものが映ったので捕まえてみれば手の平大のトカゲだった。ヒョウみたいな模様があり、ずんぐりしている。掴んだ手から抜けだそうと暴れていたが、目が合うとぴたりと動きを止めた。

 

「これが芽生える恋……」

 

 などとふざけてみる。確かに竜なんてのは翼の生えたトカゲみたいなものかもしれない。一緒にするのもあれだが。ぎょっとして硬直したのだろう。毒をもってそうな色なので逃がしておく。

 幸いミアは小さなネズミ一匹で腹を満たす事はできたらしい。座っているおれの膝の上に乗り、満足気に喉を鳴らして丸くなる。食べ散らかした死骸には臭いを嗅ぎつけたのか、すでに先程のトカゲが齧り付いているようだった。

 

「んじゃそろそろ宿に帰ろうか」

 

 抱き上げて話しかける。しかし、親猫の代わりに狩りの様子を見せておいた方が良いかと思ってやったのだが、効果あるのだろうか。腕の中でごろごろいいながら二の腕を揉んでくる姿を見ると、ちょっと疑問が残らないでもない。

 

「次は自分で狩ってもらうからな、ゆくゆくは野牛の一頭くらい易々と屠れる荒野の猛猫になるんだぞ」

「にぁ」

 

 言質は取った。無茶振りに反応したからにはミアには頑張って貰おう。フレッドが言うに砂ネコは精々、ネズミやトカゲ、良くて蛇や蠍を狩るぐらいらしいが。

 岩山をひょいひょいと駆け上がる。褐色の崩れやすい岩肌だ、転げ落ちないようにしっかりしてそうな足場を選ぶ。山を登り切ると視界が広がり、眼下に都市の全景が見渡せた。

 都市タウリス、アムダリア湖の西、山の切れ目を縫うように行くと辿り着く場所だ。やはり土地はどこか乾燥していて、草木もまばら。それでも湖から吹く風のせいか、砂漠という程でもない。

 ここの辺りはやはり日干しレンガが作りやすい土地のようで、建物は白味がかった褐色の建物ばかりだ。ただ、その造りとは裏腹に地震が多く、その度に崩れる家が後を絶たないらしい。金持ちは木の家を、中流は木の骨組みのあるレンガの家を、貧乏人はレンガの家を造るのだという。

 遙か後にしてきたリーファンと同じく交易で栄えた都市だそうで、とても古い歴史があるらしい。着いたのがもう暗くなってからだったので見る事は出来なかったが、中央通りのバザールは古今東西様々な品が行き交い、一見の価値があるという。

 岩山を下っていると、夜も更けたというのに街道を走る馬車の姿が見えた。四頭立ての大型の馬車だ。しかも不思議な事に都市に入るのではなく、西に向かい遠ざかっていく。御者台の後ろの席にふんぞり返り、腕を組んでいる男を見て、ふと嫌な気配を感じた。何と言えばいいのだろうか、こう、不自然過ぎるというか、川が下から上に流れるような違和感を感じる。

 遠目に見ただけな上に夜闇の中だ、おれ自身なぜそんな印象を受けたのかよく解らない。しかし何故か気に掛かる。止まってしまったおれを不思議がったのか、小さく鳴き声をあげるミアをしっかり抱きかかえ、岩肌を蹴った。一歩、二歩、三歩と足場を蹴りながら山を下る。足のバネを効かせ、地面に着地、揺さぶられたミアが腕の中で抗議のように唸る。

 

「ごめんにゃ」

 

 と機嫌を取るように一撫でし、馬車の行った方向へ走り出した。

 しばらく行った先で馬車は街道を外れたらしい、車輪の跡が右に向かっている。さらに追うと、棘のついた葉を持つ木を目印にでもしているのか、そこでまた曲っているようだった。

 追うことしばらく、見えてきたのは崩落した建物の群れ……いや遺跡だろうか。やはり日干しレンガで造られた壁の名残や、家だっただろう残骸。ひときわ大きい建物跡には円筒形の柱がまだ残っている。天井は崩落し、柱もあらかた崩れているが。

 そしておれの走る速さの方が早かったらしい。追いついていたようだ。馬車はその大きな建物跡の前に止まった所だった。

 松明を手にした男たちはいずれも人相が悪い、なぜか手が欠けていたり、眼帯をしている者たちが多いようだ。

 馬車の鍵を開け、男達が荷下ろしするように何かを……いや子供だ、縄で巻かれた子供を次々と下ろしている。子供達の年は何歳くらいだろうか、いずれも十は超えてないように見える。意識はあるようだ、口に布を噛まされているものの、おれが隠れているところまでくぐもった鳴き声が聞こえる。

 やがて男達は下ろしたときと同じように、無造作に子供達を抱え上げ、遺跡跡の片隅に向かい……どうやら階段があったものらしい、ぞろぞろと下りてゆく。

 さて、どうしたものか。不満げなミアの背中を撫でて機嫌を取りながら考えた。

 しかしこいつはやたらとモフモフしやがって。でかい耳の付け根なんかも妙にモッフリしている。太って見えてしまうくらいだ。

 しばらくすると、あの男、妙に違和感を感じてしまう男が最後に階段を下り、見えなくなる。しかしビア樽のような男だった、腹も首も太い。まさか見た目に違和感を?

 

「いやいやいや……」

 

 そういうのではない。というよりミアが居てくれて良かった。何となくでフラッと動くところだった。考えてみると当の子供を巻き込まない自信はない。個として強いのと事件解決能力とは別なのだ。食うわけでもない子供を誤って殺してしまうのもちょっと寝覚めが悪そうではあるし。

 

「……おぉ、人を食うとかナチュラルに考えてた」

 

 しかもとりたてて嫌悪感もない。その事自体を多分、もと「人」としては怖がらなくてはいけないところかもしれない。馴染んできているって事なのか。

 

「ま、いいか」

 

 やはり考えても仕方無いので切り替え、都市への道をひた走った。

 

 城壁を飛び越え、そのまま建物の屋根を伝って北の酒場へ。ひときわ大きい建物に向かい、やはり一飛び、三階の戸板が閉まっていない窓に手をかけ、滑り込む。腕の中のミアも段々この手荒い移動に慣れてきたのか、実に落ち着いたものだった。寝台の上にひょいと自分から飛び移ると隅に行って布の中に潜ってしまう。

 

「相変わらず俺には慣れんな」

「多分眠たいだけだと思う」

 

 相部屋のフレッドが床に胡座をかき、話しかけてきた。砥石に油を塗ってナイフを研いでいる。おれは先程見かけたものについて言おうとして、フレッドが唐突に突き出した指の先を目で追い、台の上に置いてある皿に気がつく。野球ボール大のソースがかかった肉団子が乗っている、隣には平たいナンのようなパンが三枚置かれていた。何か思うより先に手が伸びる。ナンに肉団子を挟み、添え付けのハーブを乗せて豪快にかぶりつく。冷めてしまったものの、美味い。ちょっと濃いめの脂にハーブとの相性が抜群だ。中心に入っている梅か何か、プラムか? それにナッツの香りがぷんと口の中からも香った。味の変化が楽しい。

 

「クーフテ・タウリーシってやつだ、ここの主人が良かったら食えと持ってきてくれた。夕飯の食いっぷりを気に入られたようだな」

「うむぐ、ほうだ、はいへんはんだよふへっど」

「……あんたは俺に食うか喋るかどっちかにしろという捻りの無い台詞を言わせたいのか?」

 

 呆れたような半眼で言われてしまった。慌てて飲み込む。

 

「美味い! じゃなくて、事件だ、子供の誘拐犯を見てしまったぞフレッド!」

 

 ひとしきりの事を説明するとフレッドは難しい顔をして低く唸った。

 

「自警団の解決する問題だな、俺達の出る幕じゃあない」

「ぐ……そうか? ええとな、人数も十人いなかったしおれ達で何とでも……」

「道々に戦って人助けをしていたら切りがない」

 

 そう言い、肩をすくめた。研いでいたナイフの仕上がりを見るようにランプの明かりに照らし、片目をつむる。

 

「今回は特に俺等に関係するわけでもない、せめて、早朝に出たら街道から逸れる不思議なわだちを見たとでも言ってやる程度だろう。ここで起こった事はここの者に解決させておけ、下手に出張って一人でも子供を死なせてみろ、他の全てを丸く解決したとしても、今度は恨みの矛先がこちらを向く。まして俺達は余所者な上、ここはロライナの支配圏ではない、良くて追放だろう」

「悪ければ?」

 

 と聞くと、無言でフレッドは手に持ったナイフで自らの首を切る仕草を見せた。

 おれは空になった皿を台の上に戻すと、ひとしきり頭を掻き、寝台に乱暴に腰を落とす。何というもやもや感。震動で目を覚ましてしまったのか、ミアが起きだして膝の上に飛び乗ってきた。丸くなったそ奴の背中を撫でながら言う。

 

「むう……せめて事の顛末くらいは見れないか?」

「余程気になるようだ、そこまで面白い姿をしていたのかそのビア樽男は」

「見た目は普通……でもないな、何かこう、サーカス団の火吹き男みたいな感じだった」

「よく判らんが、そうだな。西門か……手が無くもない」

 

 さすが知恵袋、お婆ちゃん御用達と言おうとしたところでドアが乱暴に叩かれた。フレッドは凡そ察しているかのようで、慌てず鍵を開ける……と、武装した数人の男達がずかずかと入って来て部屋をぐるりと見回した。確認するように後ろにひっそり控えている宿の主人に向き直る。

 

「そのお客さんは今夜泊まった客です、宿からは出ておりませんよ、顔も間違えありませんや」

 

 そう言うと、男達は一つ頷き慌ただしく部屋を出る。宿の主人はため息を吐き「お騒がせして申し訳ありません」と頭を下げる、フレッドがことさらに訝しげな様子を作って言った。

 

「何か揉め事か? 自警団の部屋検めは珍しくもないが、随分剣呑なものをぶら下げている」

「はあ、何でも都市のあちこちで子供が行方知れずになってしまったようで。隣村でも同じ様な事があったので注意はされていたはずなんですがねえ。お客さんも今日は夜遊びなどせず、このままお休みになられた方がいいでしょうよ、睨まれかねませんや」

「それも困るな、西街のダウード爺さんには是非来てくれるように言われているんだ」

「ははあ、地図職人のダウードさんですか、なるほど、あの人の客人なら大丈夫でしょう、ただし夜も物騒です、自警団の方々に送って貰えるようはかってみましょうか」

「ああ、その方が怪しまれんだろうしな、頼む」

 

 そう言いながらフレッドは銀貨を数枚渡し、主人はにっこりと頷く。

 扉が閉まるのを待ち、頬杖をついて斜めに眺め、不思議に思って言った。

 

「チップにしちゃ弾みすぎなんじゃ?」

「あの場合は自警団への心付けというものだ、直接渡せば賄賂だがな。さて自警団の連中が部屋検めを終えるのも時間の問題だろう、今の内に身支度をしてしまうとしよう、エフィ、あんたは巡礼服に着替えておいてくれ」

 

 そう言い、研ぎ終えたらしいナイフを布で拭い、皮のケースに仕舞い込んだ。

 

 三人の武装した男達に送られて西街に歩く。

 この自警団の方々も普段はもう少し愛想が良いらしい。一人は相変わらずむっつりとしたままだが、二人はチップを貰った事からか普通にフレッドと雑談を交わしている。どうも自警団が総動員されているようで、夜中に叩き起こされたのも少なくないらしい。話している二人は酒場で酔っている最中にお呼びがかかったらしく「犯人の身ぐるみ剥いで酒代に充ててやる」などと意気込んでいる。むっつりと先頭を歩いていた男が突如大きな欠伸をした。もしや叩き起こされた手合いかもしれなかった。

 ほどなくして西門の見える中央通りに面した家に着いた。というか城壁越えて都市に入る時、飛び乗った家だ。二階建てであり、基礎部分はレンガじゃなく石を使っているらしい、微妙に色が違う。

 手の形をしたドアノック、魔除けのおまじないらしく、ハーミシュの手と呼ばれるらしいが、それを慣らすとほどなく鍵を開ける音が聞こえ、禿頭に長い白髭を生やした老人が出てきた。白いローブを揺らし、目をまたたかせる。

 

「おう、夜中に誰かと思えばお前さんかい、随分久しぶりだのう」

「しばらく来てなかったからな、だがダウードの爺さんも壮健そうで何よりだ」

「けッ、老いぼれ捕まえて壮健たあ皮肉にも程度があるわ、まあ上がれ、お前の事だ、またぞろ面白い所に行ってきたんだろう」

 

 そう言い招き入れる。随分な美人連れているんじゃねえか、ええ? とは茶化されたが。

 扉を閉め、自警団の三人が去ったのを確認すると、フレッドはお湯を沸かしにかかった老人に、少しバツが悪そうな笑みを浮かべて声をかける。

 

「すまんがダウード爺さん、口裏を合わせて貰いたいんだ」

「あぁン? なんだ新しい土地でも話に来たんじゃないのかい」

「アルノーから伸びる旧道からの新しい道筋なら見つけたがな、その話は帰路に話すとしよう。今は緊急の話だ」

 

 そう言い真面目な顔になると、フレッドは窓の戸板を外し、星明かりに照らされた城壁を指でさす。

 

「少し前に城壁の上に居たのだが、どうも子供を攫っている誘拐犯らしき連中を見てしまってな。連中は下で待ち受けている馬車に子供を乗せて西に走っていった。今のうちなら痕跡も追えようが、一晩も経てば風で消されてしまう。爺さんが城壁の上に松明でも見た事にでもして自警の兵に教えてやってくれないか」

「かッ、そんな事自分で言いや良かろうに」

 

 いかにも呆れた顔をする爺さんに対し、何を考えたのか、フレッドは急におれの肩を掴んで引きよせた。

 

「そう野暮は言うな、俺とて城壁の上に居たのには事情がある」

「なぷ」

 

 何をするのかと言おうとしたのだが強く引きよせられ顔面がフレッドの外套に埋まってしまった。文句を込めて上を見る。こうしてみると本当にこいつは上背がある。おれの頭がせいぜい肩口までしか来てない。ぐう羨ましい。

 

「……かっハハ、なるほど。なんとなあ、戒律破りか、しかも異教とはいえ巡礼者だ、二重の意味で危ないってわけだ。いやいや、色気が無いと思っておったら、とんだことをしでかすもんだ」

 

 突然、老人はそう笑い出した。戒律……? フレッドはフレッドで妙な苦笑いを浮かべているし、うむ? 

 何やら訳の判らないままに、話はまとまったようだった。巡回していた自警団の一人を見つけ、呼び込み、ダウードの爺様が話をする。

 

「こいつから聞いたがよ、今子供の誘拐で大変のようだなあ、ほんで思い出したんだが、ここから見える城壁でな、妙な灯りが点いてたのよ。街の中調べるのもええがなあ、もうとっくに逃げちまってるんじゃねえかのう」

 

 血相を変えた男が飛び出し、西門の前に松明を持った男達がぞろぞろ馬を引き連れ揃うまで、それほどもかからない。一様に皆、馬の鞍にくくりつけられたケースにフレッドが使うものより大振りな弓と長剣を納めている。

 

「ほう、大した練度だ。古い都なだけはある。百騎がこれだけ早く揃うなら大抵の事には対応できそうだな」

 

 などとフレッドが顎を撫でながら言い、なぜかダウードの爺様が胸を張って偉そうにしていた。

 

 騎兵達が門から出るのを見届け、一度宿に戻り部屋に鍵をかけると窓から飛び出す。背中には大柄な荷物を背負っているが。

 

「おお、速いぞエフィ! もっと飛ばしても構わんぞ」

「ええい、いい年こいてはしゃぐな!」

「何を言うか、俺はまだ二十三の齢を数えたばかりだぞ」

 

 着地する場所を間違えた。足を滑らせ慌てる。何とか伸ばした手が屋根の角に引っかかってぶら下がることができた。安堵のため息を吐く。

 

「なあフレッド……嘘付き商人ここに極まりとは思ってたがそれはさすがにないだろう、嘘は信じられるように言えよ」

「……そこまで老けて見えるか」

「お前は三十超えてないと怪しい」

「そうか……怪しいか」

 

 微妙に平坦になった調子でそう答え、大人しくなったフレッドだった。気にしていない様だったのに、実は内心気にしていたのだろうか。うんまあ、大人しくしててくれた方が運びやすくて良いのだが。

 城壁を一飛びし、目的地までのんびりと走った。フレッドは荷の中にあった黒い布を巻き付け顔を隠している。いつもは着用しない鋲の打ち付けられた皮の鎧を着、上から黒めの外套を羽織っていた。おれの装いもまた黒尽くめで目以外はすっぽりと隠れている、万が一誰かに見られても平気だろう。

 街道から外れる場所に来ても後を追うのは楽だ、何しろ馬の足跡が無数についている。星明かりのみでも見逃す事はない、途中の一本目立つ木の辺りに来ると、フレッドがほうと感心したような声を漏らした。

 

「ケーメスの木だな、この辺りで見かける事になるとは思わなかった」

「珍しいのか?」

「いや、もっと西ならありふれた木だ、こいつの実を干し煮出したもので糸を染める。エフィの普段着ている上着、あの赤糸部分がこれで染められたものだ」

「へー、見た目赤色が出そうな木じゃないのにな」

 

 などと暢気な会話を交わしながらひた走る。しばらくするとフレッドがどこか訝しげな調子で言った。

 

「待て、空気がおかしい、横の……そうだ、そこの岩の後ろに行ってくれ」

「ん、む?」

 

 荒れ地にごつりと転がっているような岩の陰に入ると同時に、馬の足音が近づき、かなりの勢いで通り過ぎて行った。一騎、二騎、三騎と続く……自警団の者達だ。暗がりでよく見えないが、どこか慌てふためいているような。さらに間もなく人を乗せていない空馬も一頭二頭と泡を吹きながら走り抜ける。

 

「えーと……まさか敗走?」

「それにしては数が少ない、余程の怖い目にでも会ったものか……エフィ、どうも厄介事の臭いしかせんが」

「やっぱ引き返すか?」

「いや、逆に興味が湧いた、ただ事では無さそうだ。見に行くとしよう」

 

 ……そう言えばこういう奴だった。布で隠しているので口元は見えないが、いかにも物騒な笑みを浮かべているに違いない。

 

 それは異様な光景だった。

 数の少ないものが数の多いものを囲んでいる。いや、問題はそこではない。

 自警団の者達は城壁の跡であったものだろう、一際巨大な壁、緩くカーブを描いているそれを背後にし、固まって応戦していた。足場の悪さを感じてか、全員が馬から降りている。松明の赤々とした灯りに照らされ、なおその顔色は蒼白なものが多い。当然だろう、いくら矢が刺さろうとも死なず、手を切ればその千切れた腕で殴りかかってくるような連中を相手にしていては。

 

「どこが十人居ないって?」

「……どうもおれが見てない所に結構居たらしい」

 

 人数もそこそこに多い、三十人は居るだろうか。いずれもばらばらの装備をしており、いつぞや見かけた傭兵達とどこか似通った雰囲気がある。ビア樽のような男は少し離れた瓦礫の上で泰然自若と酒を煽り、落とした馬の首、血も滴るそれに齧り付いている。

 

「いやいや、ゾンビかあいつら……」

「……見ろエフィ、あの連中は頭を大きく破壊されれば死ぬようだ」

 

 そう言いフレッドは眼下の一点を指さす。その先には矢が何本も頭に刺さってなかなか痛そうな状況になっている姿があった。さすがに動く事が出来ないようだ。それでも時折足がびくびくと動いているが。

 おれやフレッドの居る崖の上からだと建物の陰に入ってしまう部分も多く見えにくいが、ちらほらと倒れている傭兵風の男達の姿もある、自警団も奮闘したものらしい。しかし……

 

「押されているな、自警団の連中も矢が尽きれば終わるか」

 

 ぽつりとフレッドがつぶやく。

 ゾンビなんて言うと動きは鈍いもんだというのがホラーの相場じゃなかっただろうか。しかし眼下の傭兵風の男達はとても鈍いなどとは言えない。なまじの者より俊敏でその力も強い、痛みは感じていないようで、刺さった矢を抜き投げ返す者さえ居る。何より困った事に知性があるようだった。少なくとも罵りの言葉を吐き、攻撃を避ける程度には。

 端的に言ってこれは手に負えない。今は少し減らしているとはいえ三倍に近い数があるからこそ代わる代わる矢を放つ事で自警団側は寄せ付けないようにしているが、お返しとばかりに投げつけられた岩塊、あるいは血と肉片のついた矢、スプラッタな事に千切れた手足すらある。避け損ない、負傷する人も出てきていた。

 

「それで、どうしようかこれ」

「あんたが感じてた違和感というのはまだ感じるのか?」

「そりゃもう、びんびん。空気が水に変わったような、魚が空泳いでるの見たような妙な感覚だよ」

「ふむ……」

 

 フレッドは目を細め、顎を撫でた。ちらとおれを見、自警団が背後にしている城壁を指さした。

 

「あれはあんたの力で壊せると感じるか? 構造は表面が日干しレンガで、中身は土と砂と石だ」

「レンガに土と砂と石か、ちょい待て……うん、多分いける」

 

 フレッドは何事か口の中でつぶやき、よし、と低く唸るように言い肩をごきりと回した。

 

「思案が出来た。自警団があれだけの数亡くなってしまえば大騒ぎになる、俺達も抑留されかねん。何よりあの不死者の連中が何者なのか知っておかねば安心して眠れんしな、一つ肌を脱いでやるとしよう」

「シンプルに助けてやろうで良いんじゃないか?」

 

 首を傾げて言うとフレッドはひとしきり苦笑し、おれにその思案とやらを話し始めた。

 

 どこかミルクの混ざったコーヒーのような色の日干しレンガの城壁、星明かりに照らされたそれは青白く、悠々と建っている。一体何百年前に作られたものなのか、表面には何かの物語なのだろう馬を牽く男の模様や、牛に乗った男のレリーフもはめ込まれている。

 

「……ん、何か勿体ないな、外しておくか」

 

 文化価値が出てくるかもしれない。その石で出来たプレートを引っぺがして地面に寝かせておく。さすがに経年劣化で塗られた接着剤のようなものが駄目になっていたのか案外簡単に剥がす事ができた。

 城壁の上ではフレッドが自警団に向かい有無を言わせぬ調子で指示を飛ばしている。同時に数回弓を引き、前を見たまま後ろに手を伸ばす。

 

「発破を掛けるぞ! 壁面から離れろ!」

 

 合図だ。見計らい、見当をつけていた一点に向かって思い切って殴り抜いた。

 おれの中のイメージが一瞬微妙にぶれたのか、腕の先がおとぎ話の存在のそれに一瞬姿を変える。

 地響きのような音と共に城壁を破り、石が崩れ、埃が一帯を覆う。ばちばちと弾けた破片が体中に当たった。高い服を着ていなくてよかった。ぼろぼろになったかもしれない。

 そのまま夜の闇にも色濃く映る濛々とした埃を突っ切り飛び上がる。フレッドの足元に手を引っかけると、これで良いかと目で問うた。フレッドは頷き眼下に向かい大声で呼びかける。

 

「負傷したものより崩落した箇所から一騎づつ抜けろ! 後詰めは引き受けた! 次の策もある、躊躇する事なく退け!」

 

 同時に連続して五矢を放つ。次いでやじり部分に布を巻いた矢を咥えると、器用に火打ち石で火を付けた。ぷんと臭う油の臭いがする。アスファルトを敷いたばかりの時のような臭いだ。

 フレッドはもう一本同じ矢にも火を付け、左と右、よく狙いを定め放つ。

 二本とも命中、服に引火しはじめた。懸命に抜こうとしているがやじりの形が形らしく、抜く事ができないようだ。そうこうしているうちに火は体中に回ってゆく。不死性は火に焼かれても発揮されるようで、あえぐようにだが火達磨になっても動き続ける姿はどうにも形容のしようがない。

 

「動く松明というのも不気味なものだが、照らし出すには丁度良いな」

 

 フレッドはそんな事をうそぶき、城壁を回り込もうとする者を優先的に、火に照らされた的を次々と射抜いてゆく。むろん先程付けた火矢のおかげでこちらの位置もばれている。石ころなどが飛んできているのだが、さすがに高低差から勢いが無い。

 

「相手に弓が無いからこそ出来た芸当だったな、石弓の一つもあれば今頃俺は射落とされている事だろうよ」

 

 下から投げられてきた手斧を弓で弾きながら言う。どういう反射神経しているのだか判らないが。ともあれ、自警団の者らの避難は済んだようだった、妙に活きの良いゾンビ達はフレッドが矢を放つのを止めると一斉に押し寄せてくる、自警団を追うよりも目先の敵対者に狙いを定めたのか、城壁に昇るために鍵縄のついたロープを引っかけてくる。

 

「さてそろそろ、エフィ、頼むぞ」

 

 そう言うとフレッドは軽く城壁を蹴った、後ろ向きに落下する。おれもまた城壁を蹴り、フレッドの背中を捕まえ、一瞬にも数秒にも感じる間の後、しっかりバネを効かせて着地した。若干の呆れを混ぜて言う。

 

「……打ち合わせしてたとはいえ、躊躇いもなく人に命預けるとか、どういう神経してんだよお前は」

「あんただからこそだ」

「口の巧い事を」

 

 そう言いフレッドを下ろすと仕上げにかかった。

 城壁に沿い走りながら地面すれすれの場所を叩き砕いてゆく、大穴開けた部分から出てきた連中はフレッドが対処しているようだ。それを確認すると、最後に中央部を一押し……の前に靴を脱ぎ捨てる。どうも踏ん張りが効かなくていけない。地に足の爪を立てる感じで、この妙な力で体を固定。城壁に手を当て思い切り。

 

「……せぇ、のおッ!」

 

 押し倒した。中心から外れているとはいえ大穴を開けられ、さらに底部に割れを入れられていた城壁は堪らないかのように重く軋むような悲鳴を上げる。やがて積み木を崩すように、崩落が始まった。

 幅はどの程度あるのだろうか、ぱっと見では把握できない、高さもまた人が落ちたら死ぬ程度の高さはある城壁だ。それが一点の崩落を中心とし、轟音と共に雪崩を打つように崩れ落ちるその様はどこのビル解体かと思わんばかりの光景だ。

 

「爆弾要らずだ。解体工で生きていけるんじゃないかこれ」

 

 場違いにもほどがあるおれのつぶやきもまた、唸りのような崩落音に飲み込まれていった。

 

 距離をとり遠巻きに見ていると一陣の風が吹き、盛大に埃を巻き上げてゆく。徐々に視界も良くなり……やがて見えてきたのは一面の瓦礫だった。かかっていた雲が去ったのか、月が顔を出し、白々とその廃墟然とした姿を照らし出す。

 頭を潰せば倒せる、ならば瓦礫でまとめて押しつぶしてしまえという事らしい。相変わらず発想が、何というか斜めに行く奴だと思う。

 そんなフレッドはどこで見つけてきたのか、自警団が持っていたものらしい長剣を手にし、重さを確かめるかのように軽く振っていた。長さの割に片手持ちのものらしい、柄は短く反りはない。

 

「エフィ、まだ気は抜くな……ああいや、あんたが気を抜いてないなど想像もできんが、討ち漏らしもそれなりに居るはずだ」

「何となく思うんだがさりげに酷い事言ってないか?」

 

 そんな言葉に触発されたでもないだろうが、あちこちで瓦礫がごとり、ごとりと音をたてる。その音に混じり、瓦礫を踏む一際重い音が聞こえてきた。

 恐らく頭目なのだろう、ビア樽のような体躯に太い手足、ほぼ頭と同じ太さの首、猪首というのだろう、その男が、こちらを見定めるように炯々と目を光らせ近づいてくる。難を逃れた連中も居たのか、その頭目を取りまくように五、六人の男達の姿も見えた。魚か何かのような感情を示さない目でこちらを見据え、ある程度の距離を置き止まる。短く整えられた髭を震わせ口を開いた。

 

「何者なんだお前達は」

 

 何か言う前にフレッドに先に言われ、二度三度口をぱくぱくした後、むっつりと閉じる。乱暴に足元の瓦礫を足で踏みつぶし、吐き捨てた。

 

「情けなし。わずか二人か、あるいはその余裕……手勢があるとでもいうのか」

 

 錆び付いたかのような声だ。低く、太い。唐突にその錆び付いた声で大声を放った。

 

「起きろ貴様らァッ! 何時まで人の気でいるつもりか!」

 

 びりびりと揺れる感覚さえする。フレッドなど露骨に顔をしかめていた。

 その大音声の余韻も鎮まらぬ中、あちこちで瓦礫の崩れる音が聞こえ、人影がよろめきながら姿を現す。その姿は腕や足が千切れ、骨が剥き出しになっているものも多く、いやはや何というか。

 

「ホラーハウスに迷い込んだ気分だなあ」

「言葉は解らんが意味は何となく理解した」

 

 フレッドはそう言い、無造作に剣を下ろした形でぴたりと止まる。構えの一つであるらしい。そして頭目の男に話しかける。

 

「芥子でもそうはなるまい、どんな薬を使った?」

 

 頭目は嘲笑で返し、大きく足を踏みならし、怒号を上げる。

 

「囲んで捕らえろ! 決して殺すな、この世の地獄を見てもらおうぞ!」

 

 その声が響くと一斉に周囲から体の崩れた男たちが飛び掛かってきた。いや本当にちょっとしたホラーだ。飛び掛かってきた男の手を掴み、振り回して投げる時目が合ったが妙に恍惚としていた。そういう意味でもちょっとしたホラーだ。一周回ってとんでもない変態に囲まれている気になる。

 おれがぽいぽい放り投げている横でフレッドはかつて見た時と同じ様に器用に動きながら首を狙って剣を走らせている。

 

「……これはなかなかもって慣れの必要な剣だな」

 

 などと愚痴りながらも首の横から突き刺し、掻き切る。音もしなかったが頚椎を断ったものらしい、首の皮一枚で首が繋がるという状態ってのはこういうものかという状態になった、無論子供には見せられない。

 

「退けい!」

 

 見た目とは裏腹に頭目の見極めは早いようだった。けしかけても無駄と思ったか、フレッドに二人目が斬られた時点で兵を引かせる。入れ替わるように重い足音を響かせながらフレッドに向かっていった。

 

「やりおる! やりおる! さぞ名の有るものだろう、何故顔を隠す!」

 

 どこか歓喜を含ませた言葉を吐き、いつの間にか手にしていた巨大な手斧、明らかに両手持ち用の物の柄を短くしただけのそれを横合いから叩きつけた。

 見た目に反し凄まじい速さのようだ。フレッドは急に力が抜けたかのように頭を下げ、地に伏せていると言ってもいい位置で斧をやり過ごす。ただ空振っただけなのに風が起き、瓦礫の埃を巻き上げた。

 斧を振り切った直後の好機。フレッドは見逃さず、剣を頬の横に構え地を強く蹴る。頭目の太い首筋、無防備になっているそこに体重を乗せ、突き入れた。

 狙いは過たず首筋を貫き、血が溢れた。傷口を広げようとフレッドが力を入れる前に、頭目はその太い手で剣身を掴んでいる。いかなる力のせめぎ合いがあったものか、フレッドは剣を手放し、二歩三歩下がった。

 

「硬い肉だな、石でも刺したかと思ったぞ、ろくな物を食っていまい?」

 

 フレッドは余裕げな声を出すが、多分それほど余裕が無い。

 頭目は剣身を持ち、首から抜く。そのまま目の前で力を入れると、やがて軋む音がし、あげくには鍛冶屋が槌を振るうような音と共に剣は折れてしまった。血を滴らせながら哄笑を上げ、野太い笑みでフレッドを見る。

 

「良い腕、良い力、優れた能力だ、持ち帰り、素材として献上してやろう、喜べ! 貴様も死の軛より解かれるぞ」

「貴様の部下のようになるのならお断りだな」

 

 そう言い、素早い動きでフレッドは背後から再び弓を取り出し矢を数本口に咥える。後ろに飛び下がりながら一矢、横合いに移動しながら一矢を放つ。おれの近くまできてもう一矢を放つと、矢をつがえながら小声で言った。

 

「エフィ、どうやらお仲間のようだぞ、剣で刺され矢を浴びながら何ら効いておらん。何より硬すぎる」

「なあフレッド、何故か判らないが、すごく心外な気がするんだ」

 

 フレッドはにやりと軽く笑むとつがえた矢を射る。見事に喉首に当たったようだった。夜闇の中だというのによく当たるものだ、的が大きいからかもしれないが。

 頭目は獣のような唸りを上げた。いや、笑っているのか?

 

「相談は済んだか? 済んだなら行かせて貰おう、面白いモノを見せてやる、はしこく逃げ回るのもこれまでよ」

 

 言うや、空気が歪んだ。頭目の男の体が一際細くなり、次の瞬間には太くなる。まるで目の前で虫眼鏡を左右に動かされているような感覚だ。輪郭が認識できない、実体が把握できない。唸り声はますます獣に近い野太さになり、まばたきを一つする間に男には逆立つ牙が生え、人とは思えぬ毛深さになってゆく。おれが最初から抱いていた違和感は恐ろしい程に大きくなっていた「これではない」「これは違う」と喚き立てるものがある。

 隣でフレッドが目眩でも起こしたかのように頭を振る。目を二度三度またたくと、引き攣った笑みを浮かべた。

 

「硬いのも当然か、猪肉はでかいほど硬くなる」

「この後に及んで悠長だなフレッド」

 

 長身のフレッドより一回りも二回りも、いや、大きさを比較するなら象か犀くらいしかいないだろう猪が目の前にいる。いや、果たしてそれを猪と呼んで良いのか……二足歩行し、前足は人の手の形であり、頑丈に過ぎる後ろ足を持ち、どこかおとぎ話の怪物めいている。

 もはや頭目とも言い難いそれは一声大きく咆哮を上げるとこちらを目がけ、本物の猪さながらに突進してきた。フレッドはおれの腕を掴み避けさせようという素振りを見せるが、それは駄目だ。分かる。

 フレッドを横に突き飛ばす、足に力を入れ、突進に対して構え──

 重い衝突音が響いた。生暖かい獣の息が顔に当たる。突き出た牙を両手で掴んで食い止めた。突進の勢いを止めたせいか猪男の後ろ足が一瞬浮き、地響きと共に着地する。

 

「ぞノ、力ァ……ギザマモ、ヒドでハ、ある、まイ。なニモノ、ダァ」

 

 驚きに見開いた目でおれを見る。酷く不自由そうな発音で話しかけてきた。む……? おれが下顎の牙掴んでるから尚更声出しづらいのか。

 

「おいエフィ!」

 

 顔を向けるとフレッドが慌てた様子でこちらを見ている。いつも落ち着き払っているかニヤニヤしているような印象があるだけにこういう顔はやはり新鮮だ。滅多に見れない顔を見れて意味もなくお得な気になった。

 

「おお、とりあえずこっちはおれ向けらしいから残りの連中頼むよ、あと子供……お?」

 

 フレッドの顔に集中力が切れたかもしれない。足に回していた力が緩んで、体が浮かされてしまった。対抗する力が途切れた事に気付いたか、猪男がそのまま地を蹴り、おれを鼻先にぶら下げたまま岩山に向かい走り出す。

 

「お、お、おお!」

 

 思ったより速い、感心するほど速い。トップスピードまで一秒かかってない。何というアスリートなのか猪。いや、このままだとさすがに不味いのでは、と抜けだそうとするも、前足、いや前腕と言った方が良いのだろうか、毛深い腕ががっしりとおれの腹部分を掴む。そしてそのまま、岩山におれを挟み、岩山にぶつかった。轟くような破砕音が響き、視界が真っ暗に閉ざされる。しかし勢いはそれだけで止まらない。

 

「おおおお!?」

 

 なおも岩山の中に中にと押し込まれる。ごりごりと削れる音がする、服か、服やばい。というか猪突猛進ってレベルじゃない。なおも岩を砕きながらおれを押し込み、とうとう山を突き抜けてしまった。突き抜けた穴が崩落する様子も見える。さらに勢い止まらず、そのまま進行方向にあるもう一つの岩山にまたもや突っ込む。ごきめきと背中で岩が砕ける破砕音を聞きながらどうしようかと悩んだ。

 重さが違い過ぎて厄介なのだ。地に足がついていればこう、足を地に固定して受け止めるような真似もできるのだが。飛ぶ力の方はこいつのホールドをもぎ離せるかどうか心許ないし。

 爆発するような音を感じ、再び山を突き抜け、空に大きな月が出ているのが見えると、こんな岩山にトンネル掘り続ける猪の鼻先にぶら下げられ、小首を傾げている自分の姿を考えて笑いたくなった。しかしいい加減何とかしないといけない。おれだから余裕ぶっていられるものの、他の者にこの力が向けばどうなるかなんて分かりきっている。

 目を閉じ、想像の海に自分の姿を浮かべる。それはおれであっておれではなく、人の姿をしていて人ではない。鋭い爪、硬い鱗、強い顎、爬虫類に似て非なる巨大な体躯。自分は「こうである」と思う。その姿が「当然だ」と。

 みしり、と自らの体が裂けるような感覚があった。不快ではない。ちょっとした解放感すらある。

 目を開けば驚きにか、硬直しきった猪男が居た。今では逆に大人と赤子の大きさ程の差がある。使える力の量などはいわずもがな。ふと自らの腕を見る、翡翠色の鱗が月明かりに輝いた。何となく久しぶりにこの姿になった気がする。そう、人が竜だと信じるこの姿に。

 

「ギザマ、竜、ダと! 竜、ダと!」

 

 少しばかり大きな存在になったおれの感覚でやっとこの猪男の違和感が理解できた。歪なのだ。どうこう説明できるものでもないが。

 

「おオ、ゴの成果を、アるジに報告セねば」

「駄目」

 

 力で口をつぐませる。そのまま宙に持ち上げた。

 喋れないながら酷く慌てている様が見える。口の端から泡を垂らし、太く短い手足を暴れさせた。ふと、おれなのかおれでないのか判らない何かが憐憫を感じて語りかける。

 

「お前はもう還れない、戻れない。歪になりすぎた。お前が死ねば世界は弾く、迷子よ、律より離れた迷い子よ。お前の歪みは焼き払おう」

 

 自分が自分でないような不思議な感じの中、どこか子守歌にも聞こえるような声音で言い、かつて概念さえ焼き払った炎を吐きかけ。消滅させた。

 

 ひんやりとする大地を頬に感じる。

 足音がし、背中に布が掛けられる感覚がする。

 とりあえず、とのろのろ顔を横に向けた。

 

「よー、そっちは済んだか?」

「とりあえずは、な。それよりも、こっちは一体全体どうなったんだ、変化してしまった地形といい、猪男といい。ついでに何であんたは裸で倒れている」

「全部話すのは面倒臭いので最後だけ」

 

 フレッドは腕を組んで言ってみろ、と言う。

 

「腹が減りすぎて動けない」

「行き倒れか」

「……行き倒れです」

「竜も行き倒れる時代か」

 

 フレッドはそう言い、感慨深げにため息を吐いた。おれに服を着させると背に負ぶる。白々と照らす月明かりの中、腹の鳴る音がいつもより三倍増しで大きく響いた。


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