竜娘の異世界旅行記   作:ガビアル

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十一話

 石畳の街道に馬の足音が響く。

 ひどくのどかな音だが、これは蹄鉄を馬がつけてないと鳴らない音らしい。石畳の街道を荷を牽き歩く馬には必要なものだという。長期の休みがある時は外して草原や砂漠を走らせる、そうしないと段々足が弱ってきてしまうのだとか。

 塩の町、中原の門とも呼ばれたアルトーズを後ろにし、左手に乾いた大地を見ながらのんびりと進む。

 先の一件でまたも遅れが出てしまった事になるが、フレッドはあまり急ぐ気もないようだ。無理して急いでも馬が疲れるだけだと言う。

 

「遅ればかりで解雇なんて羽目になったりしてな」

「あんたが牽いてくれるならいくらでも急がせてやるが」

「……労働には対価が必要だと思うんだ」

「食費で破産は御免だな、竜車を御してみたかったが大金持ちになってからにするか」

 

 竜車とはなかなか夢がある事を言う。しかしだ。

 

「絵面を考えろよ、中身はアレだが外見は女だ。悔しいが。大の男が鞭打ってそんなのに馬車牽かせるとかどこの外道だよって事になるぞ」

 

 おれがそう言うと、想像したのかフレッドは俯き。くっくと笑いをこぼす。

 

「馬が牽くより速かったりもしそうだな。見た連中は卒倒するだろうよ」

「卒倒させるならおとぎ話の竜の姿の方が良さそうだな」

「……なれるのか?」

「どうだろう?」

 

 首を捻る。部分的にはなれるのだが全面的に変化というのはちょっと嫌な予感がする。

 おとぎ話の竜、フレッドから聞いたところによるとこちらでも大体イメージは同じものらしい。細かく言えば、竜ではなくドラゴンの方みたいだが。巨大な体躯、何をも通さぬ頑丈な鱗、岩をも切り裂く鋭い爪、空を自在に飛び、炎を吐く。うん、何とも典型的な。やはりこういうものはどんな世界で誰が考えても似たようなものになってくるのかもしれない。ライオンのようなたてがみが生えている竜の話などもあるらしいが。それはちょっと強そうなもの適当に混ぜてないかと言いたい。そういえば……と、ふといつか聞こうと思っていた事を思い出した。

 

「ところでフレッド、よくお前が辺境って口にするけど具体的にどの辺りの事を言うんだ?」

「唐突だな。気になるのか?」

「おれみたいな種族もいるんだろ、そりゃ気になるさ」

「なるほど道理だ、聞かれんから大して気に留めてないものと思っていた」

 

 食欲にいつも流されているのは確かな事かもしれない。アルトーズで買ってお気に入りになった肉まんのようなパンを頬張る。さすがに冷めてしまうと美味しさ半減だったが。

 フレッドは「知識にも対価が必要だ」と手を出してきたのでそれを一個載せてやる。おもむろに一口囓ると話し始めた。

 

「アルトーズに着く前に話した中原の南側の砂漠、そして山脈を越えた先の国については覚えているか?」

「半分寝てたかもしれん、ほとんど覚えてない」

 

 フレッドは無言で片頬を上げにやりと皮肉げな笑みを見せる。腹が立ったので羽織ったケープの下から翼の片方を伸ばし、頭をはたいておく。感覚としてはビンタの要領、うん、我ながら器用になったものだ。フレッドはおおげさに頭をさすり、話を続けた。

 

「南の幾重にも連なる山脈を抜けるとトゥグルカという国の勢力圏だ。肥沃な大地と南に大きく開けている海により交易でも賑わっている。が、ロライナは二度の征服に失敗している手前、公式に国があることを認めていない」

「公式に認めてないって、何だかアレだな、駄々こねてるようだな」

「全くその通りだ。ただ、間にそびえる山脈と砂漠がそれを可能とした。もとより人の行き交いはとても少なかったしな。まあいつしか民の間でも南の山脈を越えれば世界はそこで断崖になっている、などと思われるようになっていたわけだ」

 

 そう言いフレッドは肩をすくめる。どこか自嘲している風でもあった。

 

「そんな事情もあり、ロライナで辺境というと南部域の山脈一帯の事を指す事が多い。また、その地で暮らす部族達には人なのか獣なのか定かならぬ姿を持つ者も多いという」

「ほほー、やっぱりおれみたいなのもいるのか」

「人の往来はほとんど無いと言って良い。話半分に聞いておいた方がいいだろう。だがそうだな……エフィがどうしても気になるのなら」

 

 何気ない感じで手を伸ばし、おれの頭を一度二度と軽く叩く。

 

「自分の足で行ってみる事だ。好奇の心は何物にも代え難い」

「……妹にでもよく言ってた言葉なのか?」

 

 フレッドは無言で手を引き、訝しげに手の平を見た。苦笑を浮かべながらため息を吐くなどと器用な真似をする。何か照れを隠すかのようにゆっくり首筋を揉み。視線を合わせないままに言った。

 

「ミラベルに聞いたか?」

「責めるなよ? 偶然だし」

「判っている。誰かに聞けばすぐに分かる事でもあるしな」

「……しかし何でまた猫の名前などと言ったりしたんだ?」

「いい年こいた男が亡くした妹の名を付けるなんて恥ずかしいだろう」

 

 おれは意外な思いを感じ、フレッドをまじまじと見た。珍しい表情だ。誤魔化すように遠くを見、頬を掻いている。

 

「どこかエフィミアとおれと似てるとこでもあったのか?」

「どうだろうな、見た目はそうでもないが、男なのか女なのか判らん部分は似ているかもしれん。だがまあ……直感的に浮かんだのがその名だったというだけだ」

 

 ふむ、と小さく頷き返す。直感なら仕方無い。妹の代わりは出来ないぞと一応言っておこうとし、これ以上は言うなという雰囲気のフレッドを見て諦める。唐突に南から乾いた風が吹き、砂塵を散らした。揃って閉口し首に巻いた布を口元まで押し上げる。

 

 緩やかな起伏の多い地形だった。丘を登ったと思ったらゆっくりと下る。下り坂は馬にとってはむしろ登りより負担になるようだ、時折御者台にあるハンドルを引きブレーキを掛けながら進んでいた。どこか車のサイドブレーキを連想させる。構造が気になって馬車の底を覗いてみると鉄の棒が連結されていて、その先には分厚く皮が張られていた。ハンドルを引くとテコの原理で鉄の棒が動き、その皮部分が車輪に当たり、減速するらしい。

 

「ほほー、よく出来てるな」

 

 唐突にブレーキが強く引かれたらしい。皮部分が車輪に当たり、ごりごりと音を立てる。何かあったのだろうかと覗き込んでいた身を起こす。

 何があったのか聞くまでもなく、前方を見ればすぐに分かった。フレッドの馬車より少し小振りな二輪の馬車が街道で止まっている。牽いているのは馬にしては小柄で、ポニー? いやロバかもしれない、耳が大きい。疲れてしまったのか首を垂らし動こうとはしない。その隣で主人らしき若い男が怒鳴りつけていた。

 

「荷を積み過ぎたか?」

 

 目を細めて眺めながらフレッドがぽつりと言う。トーリアに合図を送り、ゆっくり近づくと若い男に声をかける。

 

「一人旅の様子だが困り事か? 旅の下では相身互いと言う、手が入り用なら貸そう」

 

 警戒心をあらわにし、近づくおれらを見ていた若い男は一瞬きょとんとした顔になる。次いで泣きそうな顔になり、冷えた手を温めるように揉み込みながら言う。

 

「あ、ありがたい、こいつが言う事聞かなくてにっちもさっちも行かなくなってたんだ、ど、どうすれば良いのかって判らなくなっちまって……」

 

 精神的には大分切羽詰まっていたらしい、言葉の最後は軽く涙声が混ざっている。フレッドは苦笑を浮かべて首筋を掻く、馬車から身軽に飛び降りた。

 

 若い男はダニールと名乗った。灰色にも見える金髪を短く揃え、小麦色に焼けた肌はいかにも活発的に見える。元々は北方の出で農業をやっていたものの内戦の余波で暮らしが厳しく、一念発起、有り金をかき集め、アルトーズで塩を買い一山当てるつもりだったらしい。下調べもし、アルトーズの安宿で宿代の代わりに働きながら、馬車と馬を安く買えるチャンスをじっくりと待ち、手放したがっているという商人と交渉、ようやく得た馬車とロバでさあこれからという矢先の事だったのだとか。

 フレッドは話を聞くと、ふむ、と小さくつぶやきロバに近づく。日差しを遮るようにゆっくり手をかざし気を引き、もう片方の手で首筋を撫でる。軽く体の様子を見ると次いで馬車の下を覗き込み、大きくため息をついた。

 

「車軸が酷く歪んでいる、これではまともに走るまいよ。ロバといえども疲れるというものだ」

 

 そう言って荷物の中から馬に舐めさせる用の塩を取りだし、ロバにも舐めさせた。飼い葉桶に水を入れ置いておく。

 

「なんてこった、俺はあの商人に騙されちまったのか、せ、誠実に見えたのに……くそ、くそっ」

 

 ダニールが足元の石畳に当たっている。地団駄を踏むというのはこういうのを言うのだろう。フレッドはどこか困ったような顔をして巻いた布の上から頭を掻いた。

 

「まず落ち着け、ダニール。車軸は普通に使って三年もすれば痛む部分、その商人は買い換える積もりで安く譲ったのだろう。修理が必要だとは言わなかったのかもしれんが、それを以て騙されたというのも難しい。それに隊商に混ざるなり、経験豊富な商人達と同道するなりしていればすぐに判ったはずだ、誰しも一度や二度は馬車を壊している」

「いや……だってよう、隊商の連中は同行金取ろうとするし、ネビトまで一日の距離だって言うから……」

「一人でも平気だと思ったか」

 

 ダニールは項垂れ、口の中でもごもごとつぶやいた。見た目がとても腕白そうなので落ち込むと妙な愛嬌がある。

 

「別に責めているわけでもない、だがまあ……少し考え無しだったな。さて、応急処置をしてしまおうか、そしてあと一つ丘を越えれば駅舎がある、少しロバを休ませてやることも出来るだろう」

「な、直せるのか?」

 

 縋り付かんばかりのダニールを前にフレッドは困ったように苦笑する。

 

「あくまで応急処置程度だ。ネビトまで行けば南の橋を渡ったすぐ先に車大工が居る。そこでしっかりと修理してもらえ」

 

 そう言ってこちらに向きなおり、手招きをした。

 

「エフィ、手伝ってくれ、まずは積荷を全て下ろしてからだ」

「ほいよ」

 

 と、気軽に手伝おうとすると、ダニールが驚いた顔で手を自分の前でぶんぶん振った。

 

「いやいやいや、お、女の人にゃ、ここ、こんな力仕事させらんねえって、俺の失敗だし俺がやるってば」

 

 ちらと見るとフレッドが笑いを堪えている。こちらの視線に気付いたのか、積荷を覆う布を捲り、黙々と麻袋を下ろし始めた。

 おれは小さくため息を吐くと、馬車に小走りに近づき、麻袋を片手に一つづつ抱えてみせる。ダニールの口がぽかんと開く。

 岩塩と言っても要するに岩の塊のようなものだ、その重さだけにあまり多くは積めなかったらしい。さほど時間もかからずに全ての荷を下ろすことができた。それでも小柄なロバ一頭に引かせるには重すぎる気もしたが。

 ダニールの開きっぱなしの口がようやく閉じる。

 

「こ、こっちの女の人ってなァ……こんなに力持ちだったのか」

「……なあ、フレッド。もの凄い勘違いされているようなんだけど」

「くっく、放っておけ、これもまた良い経験だ」

 

 そう言い自分の馬車から木箱を持ち出した。中を開けると工具や細かい部品が雑多に入っている。そう言えば矢をいじっていた時もここから革袋だのを出していたかもしれない。何やら部品と金槌を取り出すと、馬車の下に潜り、釘を打ち始めた。

 

「エフィ、ちょっと持ち上げていてくれ」

 

 途中お声がかかったので、ジャッキの真似をする事にもなったが。無論、若きダニールの勘違いがさらに深まった事はまず間違いがなかった。

 

 肉汁が火元に落ち、泡立つような音と共に香りを放つ。

 軽くついた焦げ目は香ばしさと共に見た目にもコントラストとなり、早く頬張れ、噛みしめ肉汁を味わえと脳がわめき立てる。

 これまで使わなかった炭火から吹き上がる熱い風に乗り、一抹の酸っぱい香りも感じた。嫌な香りではない、果実のフルーティな香りだ。

 まだか、まだか、まだなのか。

 おれの胃袋が悲鳴を上げる、そわそわと動きそうになる尻尾と翼を抑えるにも限度がある。口からはそろそろ涎が外に漏れてしまいそうだ。

 

「ほれ焼けたぞ」

 

 差し出された串を奪うように取り、電光石火でかぶりついた。

 

「ぬぅあぁ、美味い、美味いぞ畜生!」

 

 噛みしめた肉は羊肉と思えない程に軟らかく、臭みが消され、そのくせ味はしっかりと口に広がる。一緒に串に刺されたタマネギの甘さも堪らない。これをアルトーズで買った平たいパンに挟んで食べても合う。大皿にどかんと盛られた酢漬け野菜とも相性が良い。次々と焼き上がる串を貰っては食べ貰っては食べ、焼き上がった串が残り二本になっていたのに気付き、渋々手を引っ込めた。

 

「こっちの女の人ってなァ……大食いなんだな、いやもしかしたら女ってな普段隠してただけで故郷でも……いやまさか」

 

 ダニールがおれの食いっぷりを見て呆けていた。またもや勘違いを深めてしまったかもしれない。真っ赤なカブの酢漬けをぽりぽり食べながら思った。彼の女性観がちょっとだけ心配だ。

 街道に沿い、帝国時代に設けられた駅舎、それを利用しての休憩所で旅は道連れとばかりにダニールと昼食を囲む事にしたのだった。フレッドはいつの間にやらアルトーズで仕入れていたようで、馬車から革袋を幾つも取り出す、最後に割れないように梱包された大きめの壺を取り出すと、中から赤く染まった色々な野菜を取り出した。

 

「アルトーズでは野菜があまり採れんからな、保存のために外部から持ち込まれた野菜は早い内に漬けてしまう文化があった。これは赤カブと一緒に各種野菜を酢漬けにしたものだ」

 

 切りそろえ大皿に盛りつける。タマネギ、瓜、カブ、人参、いろいろな野菜が一様に赤く染まっている。試しに一つ摘んでみると結構酸味が強い、これは好き嫌いがあるかもしれない。

 次いでフレッドは革袋の中身を鍋にあける。どうやら切り分けられた肉が漬け汁に漬け込まれていたものらしい。それをタマネギと交互に金串……といってもかなりぶっといものだが、に刺し、炭火にかける。火の上に串を置きながら言った。

 

「何の事はない串焼き、シシルクとも言う、この辺りの特徴として漬け汁の工夫が多彩なんだ。例えばこれは羊肉をリンゴ酢を使い、ドライフルーツを混ぜ込んだ漬け汁に漬け込まれている。アルトーズで今朝方仕入れたものだが、中々に味わいがあるぞ」

「だから煽るな。腹減った腹減ったと叫んでいるこの目が判らないのか」

「うむ、今回はヨーグルトベースの漬け汁、潰した玉葱と香草で漬けたものの三種類を用意しておいた。存分に食っておけ」

「よし焼け早く焼け、味つけ人に任せてるとか料理人としてどうよとか突っ込みたい所はあるがとりあえず焼け早く、さあ」

 

 などといったやりとりもあったが、うん。

 美味かった。何度も思っているが羊肉は食べ方次第というのがよく判る。

 食後にお茶を飲みながらフレッドとダニールが先輩と後輩のような感じで談笑している、話は塩をどこに持っていくかの話に移っているようだ。

 

「お前の生まれからしても北回りの道を取った方が気候に慣れがあるかもしれん。ネビトの町から北に延びる道、アムダリア湖に沿い西に抜け、さらにカラデニズ海の北の道沿いに行けばリゴスという巨大な城壁を持つ都市がある。周辺の国家では唯一塩税を設けていない国の首都だ。ここで捌くのが最も利益が出るだろう」

「リゴスですか? 交易都市として話にゃ聞くけど……どのくらいかかるのかな」

「普通の交易商と足を合わせて行くのであれば片道で一ヶ月を見積もれば良いだろう。ロバの足に合わせたがる馬はそういないだろうが、同じくロバや牛に荷を牽かせている者もいる、そういった者達と同道するんだな」

「一ヶ月! それは……少しばかり長い」

 

 ダニールは額に手を当て、深刻そうにため息をついた。フレッドは肩をすくめ、だろうな、と続けた。

 

「馬車の修理費も必要だろう。だから奨めるのはネビトを当座の拠点とし、商品の一部を担保として倉庫を借りておく事だ。ネビトの北東に広がる山岳地帯には集落が多く、毛皮の扱いも多い。なめすには塩が必要だ。車を修理している間にロバに塩を積み、小さい商いを重ねておけばいい。荷車も通れん山道ばかりのあの付近なら大手に目を付けられる事もないだろう」

「おお……そ、そんな手が」

「ただ、通貨が普及しきっていない集落もあるはずだ。毛皮や作物との物々交換になる時もある。慣れるまでは毛皮の目利きができる商人に頼み込んで教えを乞うた方が良い。ついでに言えば駆け出しだというのを隠すな。確かに騙そうとしてくる者もいるが、真っ当な商人の方が多いからな。自らの商売と重ならない限り、駆け出しにはそこそこ親切にしてくれるものだ」

 

 そう言い、フレッドはお茶をすする。ダニールは言われた事を頭の中で整理しているのか、手を揉みながら口の中でもごもごとつぶやいていた。

 

 ネビトの町に来ると人は急に生き返った気分になるらしい。

 乾いた荒れ地を抜けた先、途端に吹いてくる湿った風のためだろうか。丘を越えると急に増える草木の色のためかもしれない。

 丘の上から見下ろした時も思ったものだが、巨大な湖だ。ひょうたん型をしているようで、その真ん中のくびれている部分に町が出来ている。丘の上からだと向こう岸もかろうじて見えたものだが、下ってしまうとまったく見る事はできなかった。

 フレッドが言うにはのどかな漁港という事だったが、規模はなかなかに大きい。やはり街道沿いの町という事なのだろう、広々とした中央通りがあり、港に真っ直ぐ続いている。流れ込む川によって北と南に分断されているようで、ぱっと見た感じだと南区はどうも職人街のような趣きがある。川を利用して、丸太を引き上げている様子だった。

 

「そういえば門での検問がフレッドとダニールで違ったけど何で?」

 

 早速倉庫を借りる手続きに行ってくるというダニールと別れ、少々気になっていた事を聞いてみる。フレッドはいつも通りに時間をかけて説明していたのだが、ダニールはもっと簡素な手続きで通ってしまったのだ。

 

「木の札を出していただろう、あれがアルトーズ発行の塩の証明札になっている。塩の等級と重さが焼き印で押されていてな、一目でどの程度のものを買ったのかがすぐ判るようになっているんだ」

「おお、考えたもんだ」

 

 と言うとフレッドはなぜか肩をすくめ、ため息を吐く。

 

「とはいえ、最近では塩税逃れのために塩をブロック状にし荷車の底に仕込んだり、時には彫刻し、美術品と称して持ち込んだケースまであったらしい。簡単に偽造できない方法はないかと頭を悩ませているそうだ」

 

 この手のはイタチごっこにしかならんがな、とぼやき、首を一つごきりと鳴らす。気分を変えるようにおれの肩を軽く叩いて言った。

 

「さて、荷と馬を預けたら早々に宿を取るとしよう、今の時間なら夕飯までに埃を払う事もできるだろう、約束通り魚の美味い店でたらふく食わせてやるぞ」

「さすがだフレッド、約束を守るのは良い商人だ。お前は本当に善良な商人だな!」

「食欲に忠実なのも程がある」

「人は有史以来、美味という悪魔に勝つことができないんだ。悲しい事だな」

 

 フレッドはひとしきり苦笑いをして言った。

 

「竜だろうあんたは」

「じゃあ尚更だ」

 

 早く行こうと腕を叩いてせかす。肉もいいが魚もいい。さっきから頭の中で魚のフライだの刺身だのが浮かんできて止まらないのだ。

 

 日干しレンガで作られた酒場の二階に宿を取り、水を貰って体を拭こうとした時だった。

 ケープの上から長い布……マフラーよりずっと長い布を首もとから頭までぐるっと巻き、埃が入るのを防いでいるのだが、適当に巻いていたせいか首の後ろの余った部分に侵入者があったらしい。脱いで埃を払おうとした時、ころころと転がり落ち、器用に寝台に着地した影があった。灰色がかった黄色でうっすらと虎縞がある。フェネックか何かのように耳が大きい。

 

「……猫?」

「にぁ」

「いや、にぁじゃなくてどこから入り込んだお前」

「にぅ」

 

 当たり前だが話にならない。子猫だろうか、にしても小さい、両手を合わせればその上に乗ってしまいそうだ。何となく手をさしだしてみると、用心深げに後ずさりし、しばらく観察しているかのようにじっと見、恐る恐る寄ってきた。頭を擦りつけてくる。しばらくおれの指にじゃれついているうちに今度は自分がくるまってきた布に興味が向いたのか、飛び込んでもぞもぞと遊びだす。

 どうしようかとも思ったが、後で知恵袋に相談する事にし、着替えを続行。とにかく埃っぽい。ざっと髪を流し、体を拭く。クメイラの町に滞在中買った幅広のローブを羽織り、サッシュを帯代わりに巻いて身だしなみを整えた。中身は下帯一つしか着けてないが、まあ見えなければ問題ないだろう。やっぱり何枚も服を着るのは未だに苦手だ。

 

「しかしこれで夜道、通行人にがばっと開けば思い切り変態だよなおれ」

 

 何と典型的な。とつぶやいた声に小さく「にい」という声が返ってきた。

 元々集合住宅的なものとして使われていた建物なのかもしれない。全部屋が四畳ほどの狭い個室で作られているようで、今回は一人一部屋を借りる形になっていた。余程気に入ったのか、砂避けの布から出てこない猫を布ごと抱え上げ、隣のフレッドの部屋に行き、見せてみる。

 

「砂ネコだな、馬車を直している時にでも迷い込んだか」

 

 寝台に座り、おれの腕の中の猫を興味深げに眺めながら言う。猫は余程警戒しているのか、身を固くし布の中に隠れるように縮こまっているようだ。

 

「砂漠や荒れ地に穴蔵を作って潜んでいる猫でな、あまり昼間は見かけんが、何かに巣を襲われたか、あるいはただ好奇心が強かっただけか……しかしあんたもよく気付かなかったな」

「おれは誰かさんと違って気配には疎いらしい、というか軽すぎてなあ」

「もとより砂ネコは小さい猫だが、その大きさはさすがに子猫か。早生まれとしても二、三ヶ月といったところだろう、本来人に慣れるような猫ではないのだが」

「……まあ、お前を怖がってはいるみたいだ」

 

 フレッドは若干残念そうな顔をする。猫好きだったのだろうか。一つため息を吐くと、おれに目を向けた。

 

「それで、そいつをどうするんだ?」

「このまま投げ出しても確実に死んじゃうよな」

「それはそうだ。獲物の捕り方もまだ知るまい、飢えて死ぬか、他の獣に食われるかだろう」

「仕方無いか。寝覚め悪いし」

 

 ふとフレッドが顔をしかめ腕をパチンと叩いた。何かと思って見れば小さな虫がそこらに跳ねている。出元はどうもおれが抱えている布の中のようだった。

 

「あんたの防虫効果は本物だな。蚤が逃げ出している、しかし猫は嬉しいだろうがこっちは堪らん、少し外に出ていてくれ」

 

 部屋を追い出されてしまった。廊下に出ても相変わらず腕の中からは散発的に蚤がぴょいぴょいと逃げ出してゆく。

 

「お前どんだけ血ぃ吸われてたんだよ」

 

 返事がない。ぴくりともしない。覗いてみればどうやら寝ているようだった。野性はどこ行った。

 

 寝入った猫を部屋におき、フレッドと一緒に一階の酒場に行く。稼げる客だと思われたのか、酒場のおかみさんが愛想良くテーブルまで招いてくれる。入る時に注文は伝えておいたので、すでに出来上がっている品もあるようだった。

 店内の端々に細長い鉄塔のような燭台が設えてあり、蝋燭がゆらゆらと店内を照らしている。またアルトーズが近いためかテーブルごとに岩塩をくりぬいて作ったソルトランプが飾られ、ほのかな明かりとなっていた。

 ごくりと涎を飲み込む音がする。紛れもなく自分の喉から出た音だ。いかん、尻尾が跳ねる。犬だ、犬になってしまう。何というクラスチェンジであることか。

 

「いかん、魚料理を前にしたら頭が混乱状態に陥った」

「くく、涎が口の端から垂れかけているぞ」

 

 注意されテーブルに用意されていた濡れ布巾で拭う。フレッドは陶器の瓶を傾け、二つの杯に透明な酒を注ぐ。一つをおれに持たせると杯をゆっくり掲げた。にやりと笑って言う。

 

「アルトーズでは良くやってくれた、あまり愉快でない役をやらせてしまったが、おかげで丸く収めることができた。存分に飲み、食ってくれ」

 

 ソルトランプの上で杯を合わす。口に入れると甘さより酸味を強く感じる。白ワインらしい、生半可なアルコールでは酔う事も無くなってしまったので、何となく酒よりジュースになっているのだが、こういう酒なら味も良く飲みやすい。

 半分ほど飲んだところで杯を置く、そして目の前のドカ盛りサラダとそこに豪華に乗っている魚の切り身を見詰めた。またもやごくりと自分の喉から音がする。背中の翼がわなわな震える。

 ナイフで切って口に運んだ。白身魚、それも結構でかい魚の燻製のようだ。もしかしたら少し焼いたのかもしれない、スモークの良い香りがぷんと立っている。口当たりは丸くて柔らかい。脂は結構乗っているにも関わらずまったくしつこくない……塩味は結構濃いめに付けられていていかにも酒好きの好みそうな味だ。うん、イケる。下地のサラダと一緒に食べるとなお美味しい。上からかかっているソースには何だろう、香味がある、そうだ葱、葉っぱの部分を刻んでいるのか。うん……もういいや、がっつこう。礼儀作法にはちょっと目をつぶっていて貰おう。

 

「そいつはアショートという魚だな、髭が生えていてかなりの大きさになる。力の強い魚だ、以前時間が余っていた時に釣りをしていたらそいつが掛かったんだが、もう少しという所で竿を折られた事があった。身も美味いが卵を塩漬けにしたものも美味いぞ、後で出てくるだろうが、パンに乗せて食べてみるといい」

 

 フレッドが説明し終わる頃にはすでに皿を空にしている。いや美味しい。一緒に出されていた瓜の酢漬けを囓る、昼に食べたものとは違って甘い。

 この店で働いているらしい、まだ十代前半ほどの少年が少し驚いたように目を丸くしながら、皿を下げ、次の品を運んできてくれる。

 

「おお、今度はムニエルか!」

 

 量が多い。しかも三種類も出てきた。切り身になっているのから丸揚げに近いものまである。使っている油はバターだろうか、独特な香りがしている。小躍りしたい、とりあえず片っ端から食べてみる。フレッドによると、切り身の二種類がサザーヌとソルム、丸揚げのようなものがクトゥムというらしい。姿形を聞くにどうも鯉とか鯰とかのようだ。味はサザーヌは味が濃厚で、ソルムはふわふわのとろとろ、クトゥムは淡泊でさっぱり。同じムニエルと言っても中々に変化を持たせてきてくれる。これもまたあっという間に食べ終えてしまった。そして何故か周囲から視線が集まっている気がする。いや、きっと気のせいだ。

 

「なあフレッド、この油はなんだろ、香りが違う気がする」

「ああ、ラクダの乳から作ったバターを加えているな、高い品だ」

 

 酒を飲みつつもしっかりと魚を確保しているフレッドがつまみながら言う。そんな事を言っている間にも次の品が来ていた。今度は焼き魚のようだ、これは見た事がある。マスだ、ただおれの知っているマスとは形が違う気もする、大きさも六十センチはあるだろうし生臭みは感じない。さらにほどなく昼に食べたような串焼きも登場した、何でも最初に食べたアショートを焼いたものらしい。そしてケファという魚の蒸し物、あっさりとした味でマリネに近い、ドライフルーツを使って甘さも出している。

 最初に言っていたアショートの卵というものも出てきた。茶色味のかかったキャビアと言った方が良いんだろうか。木製のスプーンで取り、平たいパンに山羊のチーズを乗せ、その上にたっぷり乗せて食べる。キャビアなど食べた事がない……はず。比較もできないのだが、うん。妙に幸せな気持ちになる。まったりとしてて味が濃い、これは幾らでも食べられそうだ。何かのナッツを食べた時のような香ばしさが口に残る。

 他にも油たっぷりのピラフだのミルクで煮込んだものなど色々食し、最後のフルーツの盛り合わせを食べきった時、周囲から拍手と歓声が沸き起こった気がした。うん、きっと気のせいだ。フレッドも動じずに酒を飲んでいるし。しかし美味しかった。やはり久々の魚は良い。どのくらい久々なのかは判らないが。

 我ながら満足気なため息を吐き、最後に一杯ワインを頂き、ご馳走様。

 何故か周囲から畏敬の視線を向けられているフレッドを残して二階に上がる。店主に頼んで猫用にと鶏肉を貰ってきたのだ。あれだけ食べたからか、ただでモモ肉一本入手してしまった。

 しかし部屋に入るが姿が見えない。砂避け用の布は寝台の上に散らかされたままだ。膨らみもなく、中にはいない。一つだけある棚に木の皿とモモ肉を置き、首を捻る。

 

「ふむ……」

 

 とりあえず窓から布を出し叩いて埃を払う。大分猫の毛だらけにされてしまった。

 

「さすがにこの窓から飛び降りたわけじゃないよな」

 

 建物自体がやはり箱形なのでこんな所から落ちたら垂直落下は間違いない。ふと、小さな声で鳴き声が聞こえる。部屋に居る事は間違いないらしい。どこに隠れているのかと寝台の下や荷物の下など見たが居な……いや、やっと見つけた。寝台と壁の間のわずかな隙間に隠れていた。どんだけ狭いところが好きなのか。

 

「飯だぞー」

 

 とモモ肉をこれ見よがしに上からブラブラ揺らしてやるとゆっくりと出てくる。寝台に座ったおれの膝の上に飛び乗り、我輩は肉を要求するのである、とでも言いたげに小さく鳴いた。催促するかのごとく前足で太ももを押す。だからお前は野性をどこに投げ捨てた。

 

「確か鳥の骨は危ないんだったか」

 

 鳥の肉を指で小さく千切る。脂でぬめるがまあ力入れれば出来なくはない。皿の上に千切った肉の山が出来た、そのまま出しても良いのだが、と試しに手の上に肉を乗せて出すと普通に食べ始めた。余程腹を減らしていたのか、もの凄い勢いでがっついている。

 

「いや、お前もなかなか食うねえ」

 

 小柄な図体の割にかなりいける口らしい。追加の肉を手に乗せる。しばらく食べていた猫だったが、やおら肉を咥えて床に降り、穴でも掘ろうとするかのように床をがりがりやり始めた、とはいえ薄くともレンガのタイルが敷かれている。文字通り爪が立つわけもなかったのだが。

 

「野性を全て捨てたわけじゃあなかったな」

 

 よかったよかったとつぶやき、爪がいかれる前に抱き上げる。何となく背中を撫でていると小さくゲップをした。

 この猫はどうやら食後にはゆっくり寝たい派らしい。しばらく毛繕いをしていたかと思うと、膝の上で丸まり寝てしまった。

 

「動けん……」

 

 足が痺れるどころか、排泄の必要も無い今の身となっちゃ大した事でもないのだが。

 しかし不思議な感覚だ。人の感性からすれば可愛いのだろうというのは何となく判る。でもおれが実際感じてるのは……何だろう。よく判らない感覚だ。保護欲とか父性に近いんだろうか。そのどちらでもない気もするのだが。

 

「しかしこいつの名前どうするか」

 

 考えても埒の明かない事は放っておき、目先の事を考える。別に名前など決めず猫で通せばいいんじゃないか、とも頭の片隅で思いつつ悩む。丁度フレッドが上がってきて様子を見に来たので意見を聞いてみると。

 

「あんたがエフィなら猫はミアで良いんじゃないか?」

 

 などとのたまった。あんまりな言葉に額に手を当て嘆息する。

 

「お前の亡くなった妹に対する杜撰な扱いには戦慄を隠せない、ミラベルさんも嘆いてたぞ」 

「なに、誰からも呼ばれなくなるよりは良い、人が死ぬのは忘れ去られた時だ」

 

 そう言ってフレッドは肩をすくめる。さらっと深いのか深くないのか判らない台詞を言う。

 フレッドの気配に起きてしまったか、膝の上で猫がもぞりと動き、身軽に飛び降りたかと思うと、先程の隙間にまたもや隠れた。

 

「やはり慣れてるのはあんたにだけだな」

「酒臭さを嫌ったんじゃないか?」

 

 かもしれん、と言い、苦笑した。

 

「ところで明日についてだが、アムダリア湖の南岸沿いに西に抜ける予定だ。しばらく平坦な道が続くからな、ここで距離を稼いでおきたい。早くに出立するとしよう」

「あー、代筆屋とか開いてないよな」

「何も町に着く毎に書くものでもあるまいよ、いざという時に一つ二つ消息を知らせれば良いだろう」

「……お前がそんなだからミラベルさんも気を揉むんだろうけどな」

 

 じっとりとした目で見ておいた。さらに言えばフレッドの言う「いざという時」の水準は一般的なそれとは大分違う気がしてならない。一瞬ブーメランが返ってくるイメージが浮かんだが何だったのだろう。

 首を捻っていると、猫が隙間から顔を覗かせた。フレッドが見やるとすぐに顔を隠す。嫌われたもんだとわざとらしくため息を吐く。

 

「しかし名前まで付けるとなると、飼うつもりか?」

「うんにゃ、しばらく面倒を見るだけ。自力で狩りができるようになるまでだ。本来人に懐かないってんなら、人の中に居れば疲れるだろうし、野に戻らないと嫁も作れないだろ」

「ほう、牡だったか」

「飼い慣らせば生涯の童貞が確定しかねない、さすがに可哀想だ」

 

 もしかしたら普通の飼い猫とも子供を作れるのかもしれないが、どうなのだろうか。

 

「それでまあ、名前は何となくだよ何となく。大して考えてない。猫って呼んでてもいいだろうしな。牡なのにミアってのもまた可愛すぎる気が」

「にぁ」

 

 相変わらず小さい声だが、反応があった。フレッドと目を合わせる。確認のためにもう一度。

 

「ミア?」

「にぃ」

 

 フレッドがくっくと笑っていた。おれは何となく髪を掻き、小さくため息を吐く。

 

「決まりだな」

「何だかなあ……響きが鳴き声に近いからかなあ、なあミア、そんな可愛いので良いのか?」

 

 その問いかけにはやはり小さく、にぁと返してくるのだった。


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