松明を高々と上げながら坑道を歩く。
入り口にほど近いところならいいが、場所によっては燃える空気、というかガスか。それが溜まっている事があるらしい、天井に向けて長い松明を上げておくように言われた。明かりという意味もあるが、異常に燃えたらすぐ逃げろという事のようだ。
空気はひんやりとし、どこか淀んでいるようにも感じる。掘り出した岩塩を運び出すためだろう、レールが敷かれ、鉄製の台車に木の篭が乗っている貨車がでんと乗っていた。トロッコのようなものらしい、人力で押すか、時にはロバが牽く事もあるのだとか。
荷台に落ちているマーブル状の岩を手に取り舐めてみる。うん、当たり前だがしょっぱい。
「しっかし物音一つしないな」
つぶやいた声が坑道に響く。ぽたん、ぽたんと滴る水滴の音でもあればもっと雰囲気が出るのだが、岩塩の採掘場に何を求めてるんだって話でもある。
人が五人も並んで歩けば一杯になってしまいそうな道、入り口から続くそれを真っ直ぐ行くと堅い岩盤にでも当たったのか大きく曲りくねっている。緩い傾斜があり地下へ地下へと歩いて行った。
唐突に広い空間に出る。広いといっても十メートル四方あるかないかという空間だ。高さはかなりあるようで、崩落しないようにだろう、支柱が立ち、木の枠が張り巡らされている。
分岐点になっているようだ、四方に道が分かれているらしい。あるいはここで一端荷積みして運び出すのか、レールはここで途切れている。部屋の隅には掘り出したものらしい岩塩の塊が山になっていた。もしかしたら使い物にならない低級品だったのかもしれない、かなり乱雑だ。
ひとしきり周囲を眺め、おれは声を上げた。
「おーい、来てやったぞ誘拐犯、姿見せたらどうなんだ」
坑道に声がこだまする。少し待つと男の声が響いてきた。そして少年の声も。
「部屋の真ん中まで来て座りな。下手な動きすんじゃねえぞ、ガキの首がかかってる、弓の狙いもな」
どこからか飛んできた矢が足元に突き立った。小さく息を吐き、言われた通りに部屋の中心まで歩く、長いスカートを尻の下に引いて座りこんだ。しばらく待つと前方の坑道から物音が聞こえる。やがて拘束された赤毛の子供を小脇に抱えて大柄な男が暗がりから姿を現した。脅すためか、少年の首にナイフを突き付けている。その後ろからもばらばらの武装をした男達が姿を見せ、その上どうやらおれも付けられていたらしく、後ろ……入り口に繋がる坑道からも痩せた男が飛び出してきた。
「ロデル、どうだった?」
「間違いなくその女ぁ一人で来ましたぜ、あのおっかねえ男の方は宿から動いちゃいません、念のためしばらく宿を見張ってましたが、使いの者一人出てきやしませんでした」
痩せた男が報告すると、頭目らしき男が額に皺を作り、低く唸る。
「釣れなかったか? まあいい、まあいい、とりあえずはこの女だ」
そう言い、おれの前にしゃがみ込み、熊のような髭を震わせ笑った。
「よう売女ぁ、また会ったなあ、連れにも見捨てられちまって可哀想によ。ハーマン商会の名には代えられなかったんだろうぜ、なあに、一日で全てを忘れたくなるようにしてやるさ」
……息臭い。思わず顔をそむけた。というか見覚えがある。そうだ、こいつはあれだ。フレッドと初めて会った時に襲ってた頭目の髭もじゃだ。
「クハハ、嫌われたもんだなあ……おい」
「頭ァ、本当にこんなひょろい女がそんなに馬鹿力なんですかい?」
「俺の腕ぇ見てからモノ言いやがれ、まだ動きゃしねえ。とっとと鎖で巻いちまえ」
頭目に促されて手下が半分疑うような顔をしながらおれに鎖を巻き付ける。子供の方をちらりと見た。駄目だ。子供を抱えている男は真面目にナイフを突き付けている。油断してくれていいのに。
じゃらじゃらと幾重にも鎖を巻き付けられ、おまけに目隠しもされてしまった。なぜか少年が呻くような声を上げている、どうしたというのか。
「念のためだ、場所移すぞ、おいロデル、手前の趣味は知ってるがそのガキは生命線だ、遊ぶな。他所モン同士で揉めんならともかく、この町の者に死なれたら困るってのは判ってんだろうな」
「ヒヒ、ちょっと触っただけですって、何も危ない事なんてしやしませんよ」
「男娼殺しがよく言うぜ」
男達が品の無い笑い声をたてる。何というか、少年、ちょっとあれか、悪戯されてしまったのだろうか……うわぁ。冥福を祈る。もっとも外から見た分には多分おれの方がずっと危ない状況なのだろうけど。
こっちだ、と鎖を引っ張られる。目を塞がれているので曲る度に肩だの頭だのガコガコぶつけている、しかし鎖を引っ張る手はむしろ危ない場所でこそ強く引っ張られもして、こいつら楽しんでるだろう。まったく乱暴な扱いだった。
「ね、ねえちゃん……大丈夫それ、い、痛くない?」
「喋んなガキが!」
鈍い音と少年の呻く声が聞こえる。目隠しの下でおれは眉をひそめた。
「まあ、平気だからそう心配しない、心配しない。変態に変な事されちゃうから大人しくしてような」
「てめえもだ女」
頬を殴られる。結構力入っていたらしい。思わず押されて首を曲げてしまった。当然ながらダメージはないのだが。
「痛ぇ……」
殴ったらしい男の呻き声が聞こえる。下手くそと囃したてる男達の笑い声で妙ににぎやかになった。
「喧しいッ! 女が手に入ったからって気ぃ抜いてんじゃねえ、あのくそ強ぇ商人がどう動くか判らねえってのを忘れたか!」
頭目の一喝で男達は静かになり、黙々と歩き出す。おれの体に巻かれた鎖が動く度に鈍い音を立てた。
アルトーズという町は典型的な鉱業で栄えた町らしい。
鉱業といっても掘るのは岩塩だ。おれの感覚だと鉄とか銅とか金とか、そんなのしか浮かばない。考えてみたら塩は海で取る印象が強い、岩塩は身近にあるもんじゃなかった。
聞けば一言で岩塩と言っても真っ白なもの、透明な結晶、桃色がかった乳白色、黄色みのかかったものなど、それは多彩らしい。アルトーズでの堀り方は山の盆地から北側の山に向かい地下に掘っていくものらしく、分厚い岩塩層まで辿り着くと、もはや見渡す限りの塩の壁といった感じだとか。
「食い物には欠かせん塩だが、美しい結晶はシャンデリアや照明にも使われる。食用にならんものは染め物や皮なめしにもな」
「……食べるだけかと思ってたよ」
「あんたにとってそれが最も大事なのは間違いない」
「いつも食い物の事ばかり考えてると思ったら大間違いだ」
フレッドが無言で空にため息を吐く。我ながら説得力に欠ける言葉を言ってしまった。
富ある場所はやはり厳重に守るものらしい、町は南北の小高い山に囲まれた地形に加え、石造りの厳つい城壁で囲まれている。北の山脈が出っ張っているとフレッドが言っていたように、気候がまるで違った。大きな木があまり見あたらないのは変わらないが、山には植物があちらこちらに見え、鬱蒼と……まではとても言えないものの、これまでの乾燥地帯の風景からすると命に満ち溢れているようにも感じる。
城門を抜けてからすぐに街中というわけではないようで、しばらくは曲がりくねった起伏の多い道を行くようだ。山道には違いないが。やはり国の作った街道なだけある。先に通った旧道と比べると遙かに整備されていて馬車の揺れも少ない。トーリアもどこか悠々と馬車を牽いているように見える。
興味深く周囲を見回していると、フレッドが何となくといった感じで説明してくれた。
「別名ここは中原の門と言われていてな、南の山の向こうには軍が進みにくい砂漠、北には山脈が高々と連なり、これまた軍が通れるような所ではない。唯一辿りやすい道筋がこの北と南の二つの山に挟まれた道なわけだ」
ほうほうと相槌を打つ。あまりモノを知らないおれに合わせてくれているのだろうが、フレッドの説明癖には助けられていた。たまに眠くもなるが。
「まさに要害の地。山に囲まれた盆地に、北の山脈から流れる水があり、地下を掘れば塩が出る。耕作には向いていないが家畜は飼え、馬を放すには十分な広さがある。それだけに過去様々な戦の焦点ともなった」
「守りに堅いのが必ずしも良いってわけでもないのか」
「皮肉な事にな。現在はロライナ王国の西端の町でもある。これより西は沿海の諸国連合の勢力圏だ」
かっぽかっぽと暢気な足音を立て、馬車が街中に入ったのはもう日暮れ近くになろうかという時だった。
木材はあまり無いようで家は煉瓦作りのものが中心らしい。そして経済力がやはり違うのか、立派な屋根が付いている家が多く見えた。
しかし時間が時間だというのに活気がある。
露天の店主は声を張り上げ、客達も忙しく買い物に走っている、あるいは配達だろうか。荷車を牽いて店に品物を届ける人、ちょっと持ちすぎなんじゃないかというくらいに大きな荷物を抱えて歩く少年、エプロン姿の女性が鍋を抱えて足早に歩いている。おれは御者台で頬杖を突き、その様子を眺めて言った。
「なあ、なんでこんな時間に賑わってるんだ?」
「この町の名物さ、あと四半刻もすれば仕事終わりの鐘が鳴る。岩塩坑で働いている男達が一斉に飯を食い、酒を飲みに来る。この市場を抜けるとすぐに見えてくるが、酒場と風呂屋、娼館の集中っぷりは一見の価値があるぞ」
「おお、さぞかし美味いものもあるんだろうな」
「確か、食い物の事ばかり考えてると思ったら大間違い、と言ってた奴がいたな」
「……あげ足取りは男を下げるぞフレッド、う……む、閃いた、今日の一品目は鶏腿の揚げ物がいい、そうしよう」
フレッドはやれやれと肩をすくめる。
「前も言った気がするがそうせくな、まずは馬車を預けてからだ。西門のほど近くにハーマン商会の支所があるからな」
「むう」
「……何かひどく悪い事をしたような気分になるから、その顔はやめろ」
腹の切なさが顔に出てしまったらしい。おれは自分の頬をつまんで無意味に引っ張った。まったく正直者の顔面だ。
支所に荷を預け、馬具から外したトーリアを厩舎に連れて行く。フレッドは支所長とは馴染みのようで、少し話しているようだ。おれが居ると話しにくいらしい、遠回しに追い払われてしまったのだ。
ひとまず厩舎の前の繋ぎ場に手綱を繋ぎ、馬車から持ってきたブラシで埃を払う。さすがにあの乾いた場所を抜けてきただけあって、凄い砂埃だった。
「しかしなあ、おれも結構自覚はあるんだけどな、人前じゃああんまり喋らないようにしてんのにさ」
近くにあった井戸から水を汲み、布を入れて軽く絞り、馬体を拭く。拭きながら愚痴めいた独り言をつぶやいた。
一応気は使っているのだ。この見た目でこの口調だと酷く乱暴な言葉使いに聞こえてしまうというのはよーく判っている。なぜだか口調直す気にもなれないのだが。
一通り拭き終える。乾いた布で水気を拭き取る。そんなに長い付き合いでもないのだが気は許してくれたらしい、お腹の下を拭いてもそう嫌がる事はなかった。
「しかし口調……なあ? 考えてみれば不思議だ。おれってそんな社交性なかったっけか、場に合わせた言葉使いくらいは出来たような気もするんだが、何でだろうなトーリア」
知らんがなと言いたげに鼻を鳴らされた。そりゃお前に分かるわけないよなとつぶやき、ブラシをかける。やはりこのブラッシングの時間が一番気持ち良いらしい、目を細め鼻を伸ばしている。
にゅっと、横合いからスティック状の、クッキーのような色合いのものが目の前に差し出された。迷わず齧り付く。
「ぬ……これは」
「……普通は戸惑うものだが、瞬時に食いつくとは恐れ入った」
「本能が食い物だと判断した。しかし甘い、結構癖になりそうな味だな」
バターと蜂蜜の香りを感じる。クッキーというよりもずっともっちりとしていて柔らかい。干しぶどうとクルミが入っていて味に飽きさせない工夫もしてある。とても甘いのだがなんだろう。うん、癖になるこれは。
「ハビスという菓子だ。先程出されたものを貰ってきた。これは炒った小麦粉とバターと蜂蜜で作った奴だな。客が来た時に出したりもする」
一本食べ終えると無性にお茶が欲しくなる。濃い紅茶が良い、相性良さそうだ。
ブラッシングを交代し手ぬぐいで手を拭いた。フレッドは丁寧にブラシをかけながら、何気ない調子で言う。
「あんたにとっては、人間が全て等しく見えるからじゃないか?」
「何のこっちゃ?」
「社交性の話さ」
聞かれていたか、と頬を掻いた。ちょっとばかり恥ずかしさを感じる。しかし何でまた人間が全て等しくとか大層な話が出てくるのだろうか。
「お前の話はたまに難しすぎる」
「あんたの頭はたまに緩む」
フレッドは腕を組み少し考えた様子を見せ、言い直した。
「常に緩んでいる」
「それは酷い」
酷評し、くっくと小さく笑う。こいつは本当に……
「まあ、簡単な話さ。社交性や常識というものは人同士が揉めない為の枠みたいなものだ。あんたはそういった人の感覚を引きずっているようだが、根本ではやはり人ではない感性からモノを捉えている所があるのだろう」
「そう言えば竜だった」
「……忘れていたのか?」
「わりとどうでも良かった。おれはおれだし。女と思われるのはちょっと癪だが」
フレッドは苦笑した。ブラシをかけ終えたのか、繋ぎ場に留めていた手綱を外し、トーリアの首筋を軽く叩く。
「なるほど、自分が何者であるかで悩まないのはいかにも人から外れている」
「そんなもんか?」
「そんなものだ」
適当な受け答えをしながらトーリアの手綱を引き、厩舎に連れて行く。
おれは繋ぎ場の木の囲いに腰掛け、何となく首を傾げる。
「そんなもんかー」
つぶやいた言葉は山から吹き下ろした風で流された。
この町では宿と酒場は別個で営業しているらしい。何しろ客の数が違う、酒場は酒場で食事と酒の提供で手一杯になるし十分稼げる。宿は宿で、やはり塩を買い求めに来る商人達が連日訪れるので、空き部屋の方が少ないらしい。
宿を取り荷を預けた後、歩いて酒場などが集中している一画に向かう。
「しかしそんなに商人が一杯押し寄せたんじゃ肝心の塩の方が足らなくならないか?」
「なに、大口の商いは規制がかけられている。以前は寡占されていた事もあったが戦争時に大変な事になったらしくてな、今では産出の半分を個人でやっているような小口の商人向けに開放している」
「ん、宿に居たのはそんな人達か」
「ああ。小口の、特に独立して間もない交易商などにとって、腐る事なく、どこでも需要のある塩は手堅く魅力的な品だ、その上直接買付けの形になり安い。招くまでもなく自然と集まるようになったそうだ」
などと雑談を交わしていると、いつしか周囲の人通りがやたら増えているのに気付いた。それだけではなく明るい。街路に沿った家々の前に一定間隔でランプが付けられている。道行く人達は一様に活気に溢れ、すでに出来上がってしまっているのか顔を赤くし、浮ついた様子の人も多い。調子外れの歌をがなり立てる男が居れば、道端に座りこみ、変わった笛を演奏する男も居る。身綺麗にしている者もいたが大半は気を使っていないようでつなぎ姿の男が多い。汗臭さと酒臭さが混じり、さぞかし凄まじい臭いなのだろうが不思議と嫌な感じはしない。
「はー、賑やかだなあ、祭りみたいだ」
「だろう? ただ、スリは多いから懐にだけ気をつけておけ、大抵は酔っぱらいを狙っているがな」
「大丈夫、首から提げてる。ついでにケープの下だ。まさか堂々とこんなところに手入れる奴はいないだろ」
「酔漢を装い抱きつき財布を狙う奴もいる。それに子供もな。意味もなく泣きつき、気を取られている間に財布を狙う手口もある」
何とも世知辛い話だった。勝手知ったる顔で人混みをすいすい歩くフレッドに続き、軒先に木を植えてある酒場に入る。
陽気な人の賑わいと明るい音楽が聞こえた。空いているテーブルに座り店員をつかまえ、適当に注文する。そこら辺はまだどういう料理があるかも判ってないしフレッド頼みなのだが。
店内を見渡すと床に敷物を敷き、壁にもたれかかるようにして演奏している初老の楽士の姿がある。先程から流れている音楽はそこが出元だったらしい。変わった楽器だ、チェロのように床に立て、弓で弾いている。大きさはチェロなどと比べられないほどに小さかったが。棹部分は細く、胴部分はまるで壺のような形をしていた。興味を惹かれて見ているとフレッドが横合いから言った。
「娘達の踊り、という曲だ。その題の通り、元は踊りに併せる音楽だ。もっともここはそういった店ではない、踊る者もいないが」
「ほー、しかし何かバイオリンみたいな音だな」
「よく判らんが、楽器についてなら、あれはケマンシェという、元は小弓を意味するらしいがな」
なるほどと相槌を打ち、陽気な音楽に聴き入る。郷愁ってわけでもないが、うん、音楽を楽しむ心は残っているらしい。ほどなく料理が運ばれてくると、すっかり意識はそっちに持っていかれてしまったが。
香りで気付き、見て驚いた。何と鶏の唐揚げだ。
「おお……本当に鶏の揚げ物が出てくるとは」
フレッドは肩をすくめ、一緒に運ばれてきた酒を一気に煽る。美味そうに目を細め小さく頷いた。
「アルトーズでは油を作っていないからな、少しばかり値は張ってしまう。こういう店でしか食えないが、たまには良いとも思ってな」
「……もしや結構お高いお店?」
「客で判るだろう、気軽に入れる酒場としては一番上等だ」
確かにいつもは一つ二つ絡んでくる酔っぱらいも居るのだが、至って静かに食べていられる。しかしそうなると、あまりがっつくわけにもいかないだろうか。チーズを使ったソースがかかっていて、これはこれで大変美味しい。肉の柔らかさからするとヨーグルトに漬けていたのかもしれない。そして困った。じっと皿を見る。
「もう空だ」
「主張せんでもいい」
切り捨てられた。半端に美味しいものを食べたので尚更腹が減る。
こんな時フレッドが料理人だと次々と時間差で出してくれるのだが。いや、多分客が多くててんてこ舞いなのだろう。うん、うるさくは言わない。しかし……
「次のはまだかぁ」
フレッドは、くくと小さく含み笑いをすると頭をはたいて窘めてきた、迂闊に頭触るのはタブーなのではなかったろうか。
美味しかったが正直量が足らない夕食ののち、表で荷車を使った屋台を見つけた。なかなかの盛況ぶり、一杯飲んで小腹を空かせた客を狙っているようだ。覗いてみると、パンのようなものを売っている。四角い袋状になっていて、中には肉まんのように色々な具が入っているようだ。パンというより……何だったか。ナン? チャパティ? そんな感じの生地で具を包み、焼いているらしい。お値段は一個一イル、鉄貨一枚というから判りやすい。先程の店が銀貨二枚もかかってしまった事を考えるとえらい違いだ。このパンが二百箇も買える。
試しに一個買い食べてみるともっちりした生地の中に肉とキノコと葱だろうか、たっぷり入っていた。噛むと盛大に肉汁が口に広がる。これはイケる。三十箇ばかり買ったらおまけに敷いていた布を持ち運び用ということで包んでくれた。フレッドが呆れた目でこちらを見る。
「毎度の事だがよくもまあ食うものだ」
「お前もよく飲むもんだ」
人の事は言えない。先程の店のブドウ酒が美味しかったらしく、革袋に酒を入れてもらっていたのだ。フレッドはわざとらしくちゃぽ、とそれを鳴らし「命の水というものだ」などとうそぶいた。
宿に戻ると妙に騒がしい。入り口付近で人が集まり、しゃがみ込んで顔を手で覆うおかみさんを慰めるように宿の主人が背中をさすっている。何かが起きたらしい、フレッドの纏う空気もどこか鋭いものに変わった。
近づくと足音で気付いたのか、集まっている人の一人がこちらをカンテラで照らす。フレッドと判ると一瞬ほっとした顔になり、次いで困惑したように顔をそむけた。宿の主人も気付いたらしく、こちらに早足で歩き寄り、フレッドの胸ぐらを掴んで詰め寄った。
「……あんた達のせいでっ……なぜ、なぜ厄介事を持ち込んだ!」
大柄なフレッドに掴みかかっている姿はどこか滑稽でさえある、ただ宿の主人の真剣な様子はいかにもただ事ではない。掴まれているフレッドは目を細め、落ち着けるようにゆっくり手を押さえた。
「何があった?」
静かに聞くと、宿の主人は唇を噛み、玄関先の地面を指で示す。気を効かせたのか、誰かがカンテラで石畳の地面を照らす。そこには子供の服と帽子、切られて一纏めにされた赤い髪が、そして何か書かれた木切れが無造作に置いてあった。
フレッドがその木切れを手に取り、眉をひそめる。小さく「そうきたか」とつぶやく。覗き込んでみたが、当然ながらまだ字が読めるはずもなかった。
「……なあ、何て書いてあるんだ?」
「俺宛てに古典的な事が書かれている。子供は預かった、金貨百枚、あるいは女を寄越せとの事だ」
「そりゃまた……ステレオタイプな脅迫文で、む、なんで女?」
「あんたの事だ。余程の価値に見られたか」
少し混乱した。いや、考えてみたら色々おかしい。宿の主人の感じからすると、多分子供が誘拐されたのだろう、ただしフレッドとは直接の関係はないはずだ、もしかしたら馴染みの客で親しいのかもしれないが、そんな様子は見せなかった。それに金貨百枚……ミラベルさんに教わったところによると、金貨自体土地とか高額品の取引にしか使われないはず、何しろ金貨一枚で銀貨百枚相当。想像が今ひとつできないが、かなり大金のはず。そうだ、確か農家五人が銀貨二十枚で一月暮らせるとか言ってた。つまり五百ヶ月……ざっと五十ね……四十年分の年収? 有り得ん。計算の間違い方も有り得ん。
おれが訳のわからなさに首を捻っている横で、フレッドはさっさと場をしきり、様子を見に集まっていた泊まり客を部屋に戻す。宿の主人と話し、なぜか縋るように手を掴まれ、頭を下げられていた。
やがて、宿の主人は落ち込んでいる様子のおかみさんを立ち上がらせ、子供の服と帽子を拾い宿の中へ戻って行く。フレッドは顎を撫でながら遠くを見ている、思案に暮れているようだ。おれは一つ頬を掻き、声をかけた。
「なあ、結局どういう事なんだ、何だか断片的な事ばかりで判らん」
「そうだな、ひとまず部屋に戻って話すとしよう、今回は後で話す……というわけにはいかんようだ」
部屋に戻り、ベッドに腰掛ける。フレッドはどこか疲れたかのように目頭を揉みながら言った。
十中八九、前回の町で起こった一件と一繋がりの事だと言う。
木切れにはハーマン商会とフレッドの名が大きく記され、続く文で両者に恨みを持つ者が起こした犯行であるかのように書かれているらしい。
もちろん自警団を呼び公の事にすれば子供の命は無い、とも。
商会を巡るトラブルで、子供とはいえ町の者の命が失われればどうなるか、自明の理だった。勿論その場合一番不利益を被るのは犯人だ。間違いなく自警団によって囚われ死罪になる。いや、仮に示談交渉に成功し、子供が生きていたとしても誘拐犯として捕まれば奴隷身分に落とされるのは間違いないらしい。
「可能性は二つ。そこまで事が見えていない、あるいは逃げ出す自信があるかだ」
「どこからかの圧力でどうとでも揉み消せるとか、やけっぱちで死ぬ覚悟もしてる可能性は?」
フレッドはほう、と感心した顔になる。
「よく頭を使ったな」
「……馬鹿にされてる気分にしかならない」
くく、含み笑いをし、革袋を手に取る、入っているのが酒であることを思い出したのか一瞬躊躇した様子を見せたが、そのまま一口、喉を鳴らして飲んだ。乱暴に口を拭う。
「それは無い。この国は中央の権力より地方が強い国だ。金を使い下ごしらえをし権限を持たせても出来る事は限られている。それとな、文字だ。自棄になった人間の書く文字ではない。ついでに言えば北方の癖がある。おそらく流れてきた連中だろう、簡単に諦める類の奴らじゃないさ」
「ぬむ、そうか……」
「敵方の札も一枚だけではなかったという事だろう、あるいは俺達が一枚目の札の相手をしている間に観察されていたか。あんたが飛ぶ所まで見られていたとすれば厄介だったが……まずそれはないな、脅しの要求額が少なすぎる」
金貨百枚は脅し? 最初から払えない事前提なのか、いやちょっと、その流れで行くと。
「何でおれが狙われてるんだ? ついでくらいなものだとばかり、恨みでもいつの間にか買ってた?」
「待て」
フレッドが何か思いついた様子で言った。
「待て、恨みか。そうだ。あの剣の紋章はサリル王国のもの、そうか」
「いやあのさ、一人で納得してくれるなよ、おい」
袖を引っ張る。フレッドはしばらく考え込み、頷いた。やがて含んだ笑みを浮かべ、ゴキリと肩を鳴らす。
「いや、すまん。大体相手も絞れた、対処は単純にやるのが良さそうだ」
こちらを向き、覗き込むように目を見る。そして続けた。
「ところでエフィ、誘拐されてしまったこの家の子を助けるのにあんたの手を借りたい。少し嫌な目を見るかもしれん」
「む……嫌な目か?」
歯医者のドリルとかは勘弁してほしい。あのキュイキュイ甲高く鳴る音は大の苦手なのだ。いやこちらにそんなもん無いだろうが。
それはともかく人の命が掛かっているようだし、むざむざ若いうちに散らさせる事もない。
「ところで、次の町はネビトという。湖畔の町でな、のどかな漁港だ」
「……む?」
「報酬は魚料理のフルコースを奢ろう」
「乗った」
反射神経で頷いた。翼が動きそうになる。尻尾もばたつきそうになり抑えた。
我ながら何とチョロい。思い出すとそんな気もする。
岩塩坑に入り、目隠しをされ、鎖で繋がれた子牛のように歩く事、どのくらい経っただろうか。そろそろドナドナを歌いたくなってくる。
「……荷馬車だったか?」
囲んでいる男達が荒れるので口の中でつぶやいた。
長々と歩き、かなりの回数を曲がった気がする。頭目も不安に感じたものらしい。声が聞こえた。
「グーリ、道は覚えてるんだろうな」
「あと二つ曲ったらまた広間があるはずです、儂が掘ってた時よりそりゃずっと先まで掘ってあるでしょうが、一度掘った穴を埋め直したりはしませんで」
「こっちは四十年も前の事だから心配してんだよ」
「へえ、しかしガキの頃に覚えた事の方はなかなか忘れませんや」
答えた声は随分渋みがかっている。四十年とか言ってるし、グーリさんとやらは結構年なのかもしれない。
鎖の引かれるままに歩いていると、どうやら目的地に到達したようだ。歩みが止まった。しばらくぼうっと立っていると、頭目の声が聞こえた。
「おいゴルディ、女の目隠しを外してやれ、あんだけ乱暴に引いてきたんだ、泣き顔を拝ませろ」
「相変わらず良い趣味してますよな頭は、こんないたぶり方しますかい」
「馬鹿野郎、道を覚えさせねえようにだよ。万が一ってのは常に考えておくもんだ、こんだけ縛ったって逃げられないとも限らねえ」
「いやまさか、鎖でぐるぐる巻きですよ? こんなんじゃあ歩きにくくって仕方ねえ……っと、やっと解けた」
ようやく見えるようになった。男達の持つ松明に照らされた空間、だいぶ深いところまで来たのか、板が壁に貼られ、ところどころ支柱で補強されている。天井はやはり白く見えた、塩の中だ。ぐるっと見渡せば、男達の姿が見える、総勢十二人。人員を補充したのだろうか、かつて去った時より数人増えている。何故か一様に驚いた顔をしていた。捕らえられた少年を見つけたが、目をやると慌てた様子で男がナイフを首に当て直す。少年の息を飲む声がここまで聞こえる。
「平然としてんな……」
誰かがつぶやいた。目を擦る者も居る。
「……クク、ハハハハッ、どうだ見ろや、言っただろう! この女は普通じゃねえ!」
頭目が突如爆発したように笑った。おれに近づき鎖を掴む、乱暴に引っ張り、今度は坑道の一番太い柱に縛り付けられた。
それにしてもなかなか油断してくれない。少年を拘束してる男が仕事に真面目過ぎる。ロデルとか言ったか、男色趣味らしい痩せた男が手を出しにくそうなので、ある意味少年の大事なものは守られているようだが。
「しかし、間近で見りゃあなんて玉だよ。肌なんて真っ白で傷一つねえ。かか、あの夜は裸で唐突に出やがったからなあ、どこの化け物か幽霊かと思ったもんだが、なかなかどうしてそそるじゃねえか」
髭の頭目がそう言い、つま先から頭のてっぺんまで舐めるように見た。ゆっくりとこちらに近づき、顔を近づけると、ぞろりと頬を舐められる。ぬるくて臭い息が吐き付けられた。顔をしかめ背けると今度は無造作に胸を掴まれる。
「ほおお、こりゃあ何て柔らけえ、ああ、たまんねえなあ、ここでやっちまいたくなる」
「む……」
ダメージ受けないだけであって、別に体を硬化させるとかではないらしい。何も感じるものは無いが、揉まれている妙な感覚はある。嫌悪感感じないといけない所なのだろうが、感触がちと気持ち悪いだけだったりもする。
顎を掴まれた、力を入れて振り向かせようとしてくるが、動かないので諦めたらしい。耳元に顔を近づけ、耳の中を一舐めした。低い笑い声が聞こえる。しかしよく舐める、犬か、わんわんなのか。
「なあよう嬢ちゃんよ、ちっと調べさせて貰ったぜぇ、ジラット・ハーマンの紹介であの化け物商人に同行してるらしいなあ、しかも巡礼の衣装まで揃えて貰ってよう、挙げ句にはあの峡谷、大した立ち回りだったぜ、手下共は弓を射ていた男ばかり見ていたが、なあ、どこの何様なんだぁお前さんは、いや、いい、今は言うな。後でゆっくり、じっくりと聞かせて貰うからよ」
頭目は顔を離すと楽しくて仕方が無いかのように笑う。その姿勢のまま声を張り上げた。
「ロデル! もう一度宿を見てこい、グーリ、出口まで着いてってやれ」
年季の行った、隻眼の男は短く「へえ」と言ったが、痩せた男はあからさまに不満げだった。頭目は何となくその辺りの空気を感じ取ったのか、舌打ちを一つし、振り向く。
「ロデル、あの商人がまだ動いてなけりゃ、この女より商会の看板を取ったってぇ事だ。とすりゃ時間を置かず自警団が動く、面倒臭くなるからなぁ、夜のうちに町を出るぞ」
「へ、逃げちまうんですか、動いてた時はどうするんで?」
「その時は予定通りだ、一本道に誘い込んで射殺すだけよ。後はガキを盾に町から出るだけだ。報酬は金貨百枚、山分けしても一財産だ、手前は飽きるほど男を買うなりすりゃいい」
納得したのか渋々と二人の男が広間を出て行く。それを見送ると頭目は髪をばりばりと掻き、唾を吐いた。
相変わらず律儀に少年を押さえ、首にナイフを当てている大男がぼそりとつぶやく。
「お頭、ロデルはお頭が、その女に執着し過ぎているんじゃないかと、思っている」
「ああ?」
頭目の声に苛立ちが強くなった。
「本当に金になるのか、疑っている」
訥々と喋るその男に、頭目は怒りを抜くように大きく息を吐いた。
「手前ぇまでそんな事言いやがるか」
「どんな綺麗でも、いいところ金貨十、町を敵にしかねるには、釣り合わない」
「阿呆、誰が奴隷で売るなんて言った、当てはもうあるんだよ、お前らは上物の女を扱った事がねえから判らねえんだ。こういうのはじっくり仕込んで金持ちに売りつけるんだ、上手く行きゃあ金貨百枚どころじゃねえぞ」
「そう、か……分かった、でもお頭の考えを、ロデルにも教えてやってほしい」
……芸でも仕込むつもりだろうか? 火でも吐けばよろしかろうか。いや、まあ何をしたいかは判っているのだが、何ともかんとも想像つかない。大体今のおれってまともな生殖機能はあるのだろうか。
そんな時だった。
頭目の話に意識が行ったのか、訥々と喋る男の拘束が緩んだらしい、少年が敏捷に腕の中から抜け出した。ただ、足も縛られている、床に落ち、一つ跳ねたはいいが、バランスを崩して倒れてしまった。
顔を打って呻く姿に男達が笑う。
「たく、うすのろが、しっかり捕まえて──」
言いかけた男はその言葉を最後まで言うことは出来ない。
頭に矢が刺さっている。
その男が倒れると同時におれも鎖を引きちぎった。
鉄の弾ける派手な音が鳴り響く。
「なぁッ! てめ、女ぁァッ!」
混乱する髭の頭目や男達を尻目に駆け出す、地面に転がる子供を拾い、とりあえず見える坑道の奥に駆け込んだ。
後ろからはひたすら混乱する声と叫び声、頭目が怒鳴り散らす声も聞こえる。誰か放ったのか、こちらにも矢が飛んできた。背中で弾いたが。
真っ直ぐ走っていたら足が壁にぶつかった。曲り門だったらしい、蹴ってしまった壁が一部崩落したようだ。すまん坑夫さん。
「な、なな、何があったの」
少年が酷くどもった声を出す。当然か、訳の判らないうちに運ばれ、真っ暗の中で大きな音と崩落音がすれば。
「なに、ちっとぶつけてね」
安心させるように背中をぽんぽんと叩く。足と腕を縛られているようなので、お姫様抱っこなのだが、これは少年の不名誉にはならないだろうか、場違いな疑問がふと頭に浮かぶ。
「ま、とりあえずもう心配ない、あの悪党どもは今、どこの戦闘マシーンだよって感じの男にボッコボコにされてる最中だから」
「戦闘ましん?」
うむ、伝わる訳がなかった。でもなかなかあいつを指してこう、という比喩も思い浮かばないのだ。なんか殺気とか読めるみたいだし。色々有り得ない。
後始末には一日を要した。一日で済んだと言うべきかもしれない。
宿の主人からの依頼という形だったので、私闘扱いにはならなかった、私闘だったとしても外部の人間同士の事なので、お金次第で不問になるものらしいが。
フレッドも全員にトドメを刺す事はなかったようだ、半分は捕獲し、自警団に引き渡した。彼等は今後身ぐるみ剥がれて奴隷として売り払われるらしい。収益金は坑道の設備費と宿の主人への見舞金になるのだと言う。
「お客さん、せめて書く事をもう少し整理してから来て下さいよ」
代筆屋でおれは申し訳ないと頭を下げていた。考えてみればこれがミラベルさんへの第一報となる。色々事情があったとはいえ、遅れに遅れてしまった。木の板に起こった事を書き連ねて整理する。勿論こちらの文字ではないので誰にも読めないのだが。
坑道でのフレッドの作戦は種を明かしてみれば単純なものだった。自分で言っていた通り。
相手が迷路のような坑道を指定してきた以上、フレッドは地の利が向こうにあると考え、目印を付けるよう言った。それもすぐばれてしまうような印ではいけない。宿の主人の伝手で貸して貰った鉱山用の鉄鋲が打ってある革靴、これを履いて、要所要所で思い切り床を削っておいたのだ。普通なら削れると言っても大したものにはならないが、何しろ馬力が違う。辿りやすかったらしい。
音で察せられないよう距離を置いて後を追い、再度確認に向かう手下は騒ぎにならないように、途中の分岐でやり過ごしたのだとか。罠も考慮していたらしいが、作られていなかったらしい。
タイミングを計っていたところ、少年が拘束を抜け出したのを機に奇襲をかけ成功。同時に力業で鎖を引きちぎったおれに気を取られた事もあり、かなり一方的な展開になったらしい。
黒幕についてだが、言うまでもなくフレッドが言っていた敵とやらと繋がりがあるのだろう。聞こうとも思ったが、何となく突っ込みにくい部分でもある。
さて。この前の一件も含めると、明らかに血生臭い話、王墓の建築利権とか、もしかしたら政治に関わりそうな話があるのだがどうしようか。代筆屋が守秘義務厳守の仕事とはいえ、色々問題があるような気がしなくもない。大体にしておれが竜とか、代筆屋も笑ってしまうだろう、どんな作り話かと。
「む……!」
それだ。この世界を舞台にした架空の話にしてしまえばいい。小さな本当を隠したいなら大きな嘘でくるめば良い。何というアイデアか。いかん、帰ってフレッドに自慢しよう。十年に一度くらいの発想だぞこれは。
そそくさと宿に戻ろうとし、じっとりした視線を感じた。代筆屋の視線だ。しまった、本来の目的を忘れていた。咳払いを一つし、誤魔化す。
「決まった、この話は旅の出来ない友人に贈る旅行記なんだ。おれが旅したところで起きた色々な事を膨らませた空想旅行記」
「ははぁ、そのようなお客さんも時折いらっしゃいますよ。やはり子供や友人に伝わる旅は武勇伝に彩られ、甘い恋に満ちたものが面白いですからね。そうですね、でしたらタイトルを決めませんか?」
「え、いや、そこまで大げさなもんじゃ……」
「はは、タイトルそのものがそうおおげさなものではありませんよ、ただこういう物は形からとも言いますし、いかがです直感で」
直感、直感か……うむ、浮かばない。仕事しろおれの直感。もうそのままの名前しか出てこない。ドラゴントラベルズ……いかん、ごっつい。なんてごっつい語呂だ。
腕を組んでひとしきり唸った後、結局何の捻りもないそのままのタイトルにしてしまった。
竜娘の異世界旅行記。
娘は別に入れなくてもよかったんじゃないかと気付いたのは全て代筆してもらい、支払いを終えた後の事だった。