扉に跳ね飛ばされたファイヴは、一瞬宙を舞ってひっくり返り、後頭部一点で着地。そのまま二回転してからまたしても後頭部を陳列棚の角に激突させた。
ワンテンポ遅れて、ファイヴが銜えていた煙草が床にポロリと落下し、ポリゴンとなって霧散する。
棚は
「いってぇー!」
プレイヤーの拠点となる街の中ではプレイヤーへのダメージ判定が行われないためHPは減らないが、現実の肉体との齟齬を抑えるためかしっかり衝突や落下などの痛覚フィードバックは存在する。
現実のものよりはセーブされた――それでも痛烈な三点バースト打撃にファイヴは床をのたうった。
「……ごめん。大丈夫?」
子供のように声の高い、そのくせ抑揚のない無感動な謝罪がファイヴに降ってくる。声の主は勿論、ドアを殺人的な勢いで開けた闖入者によるものだった。
その人物は、全身を灰色じみたアーバンデジタルの迷彩マントで覆っていた。マントの丈は床スレスレで身につけているものは伺えず、フードを目深に被っているため素顔すら見えない。
身長はファイヴと同じか少し低いくらい。マッチョアバター多めのGGOにおいては少々小柄の部類に入るだろう。
そして、外套の上からでもその痩身が伺えるほどに細身だ。身長との兼ね合いを考えても、少々細すぎる。
すらっ、という擬音がぴったりのそのアバターはファイヴの下まで歩み寄って手を差し出す。ファイヴは後頭部を押さえながら、その手を借りて立ち上がった。
「ああ、あんがと……。別に屋内突入って訳じゃないんだ。もう少し穏やかにお買い物してくれ」
「反省する。でも少し急いでた。それに、この時間に客が居るとは思わなかった」
「違いねぇや」
ヴィクトルの言った「客がマスターキーやブリーチングチャージ」もあながち嘘と言い切れないな――と考えながら、マントのアバターに借りていた手を離した。
「だ、大丈夫ですか!? ファイヴさん!」
奥のカウンターでヴィクトルと会話していたアイリスが、事故の騒ぎを聞きつけてファイヴに駆け寄ってくる。それに対し彼は軽く片手を上げて応じた。
「おー、平気平気。元々おかしい頭が更にちょっとだけ壊れただけで済んだぜ」
「本当に大丈夫なんですか? それ……」
ファイヴとしては冗談も交えた無事アピールのつもりであったが、アイリスは少々引いていた。
――自虐ネタは親しい間柄にしか成り立たないことを、ファイヴは学習した。
そんな二人をほっといて、痩躯のマントアバターはさっさとヴィクトルの控えるカウンターへと行ってしまう。買い物にきたのだから、茶番につきあう義理は無いと言わんばかりだ。
「やぁ、のべ助君。いらっしゃい。今日は随分と早起きさんだね」
「……これから寝るところ。24時間営業しないのは経営者の怠慢」
「そうは言われてもね……店員は僕だけなんで、勘弁してよ」
どうやら夜型であるらしい、《のべ助》というドライなアバターに妙な親近感を覚えるファイヴ。
アバターネームは、さしずめ米国銃器アクセサリメーカー"
「朝までお待ちいただけて小生、光栄であります! ……でももうちょっとだけ待ってね。先客が居るから」
柔和な表情でそう言いきり、ヴィクトルはアイリスに向かって手招きする。それを見たのべ助は、表情は伺えないものの少々不機嫌そうになる。
「……急いでる」
「それは彼女だって一緒だよ。……ついでに言うと、君がさっきドアで撥ねた彼だってさ」
「…………」
自身の非を咎められたのべ助はおとなしく引き下がる。
その会話を聞いていたファイヴは、寝不足なのかすぐ側で欠伸をするアイリスの肩を軽く叩いた。
「やっこさん、どうやら急いでいるらしいぞ……早く寝たくて不機嫌なのかもしんねーけど。早いとこ買い物済ませた方がお前も良いだろ? 朝なんだし」
「あっ、そうですね。それじゃあ失礼します。また会いましょう」
「……だから、それ意味分かんねーって」
再会を示唆する言葉に首を捻るファイヴにかまけず、アイリスは姿勢正しくお辞儀をしてヴィクトルとのべ助が居る店の奥へと小走りで行った。
少し苛ついている様子ののべ助にも頭を下げている事に、育ちや性格の良さが良く現れているようにファイヴには感じられた。
「……ってヤベェ! 遅刻する!」
ログアウトの為にシステムウィンドウを開くと、表示された時刻は6時半を優に過ぎていた。
買い物を済ませる為に普段より1時間早く起床したにも関わらず、いつの間にかヴィクトルや客と駄弁って貴重な朝の時間を90分以上使ってしまった事になる。
「ちょっとファイヴ君大丈夫? 減俸でGGO引退とかよしてくれよー?」
「お客様煽ってんじゃねーよ腹黒商売人が! 『ログアウト』!!」
カウンターに半身を乗り出しニタリと笑うヴィクトルに中指を突き立てながら、ファイヴは『黒鋼商会』から消滅した。
『起床』してからの
デイパックの中に教材や筆記具など必要なものを放り込み、寝間着のスウェットを脱ぎ捨てて手当たり次第に服を着込む。
今時の大学生としてファッションに関心がないのは少々問題かもしれないが、彼は自身の見た目に頓着せず、また(友好関係的な意味で)頓着する必要もないため無難なものを着れば問題ない。
「くそー、これだから人生はクソゲーなんだよ。ゲームだったらこんなんストレージいじって一瞬だぞ」
暁は若干膨らんだリュックを背負いながら、そんな誰に宛てたとも知れない恨み言を吐いた。
VRMMOに傾倒していればこその発言ではあるが、そもそも今朝GGOにログインする前に身支度を終わらせていれば済んだ話である。自業自得だ。
「暁ィ!? いつまで寝てんのォ!?」
「もう起きております母上ー!!」
「朝ご飯どーすんのォ!?」
「いらん! 行ってくる!」
キッチンから飛んでくる凄まじい爆音に対し、暁もそこそこに声を張って応じる。
実家暮らし故の戦場のような朝の苦痛で胸を膨らませながら――というより胸焼けを味わいながら、彼は靴紐を固く結ぶ。
(朝飯は途中のコンビニで……待て、財布に金あったっけか?)
暁は財布に余裕があると気が大きくなるタイプの人間なので、現金は財布に最低限しか入れていない。
そういえばと、昨日の日中に駅の窓口で通学定期を購入したことを思い出す。
(スッカラカンだなァ畜生! こりゃ朝飯は抜きだな。……いや、諦めるのはまだ早い。確か――)
暁は玄関を飛び出して走り出す。その片手間にスマートフォンを取り出し、携帯端末向けGGOアカウント管理アプリケーションを立ち上げた。
(イザとなったら、不本意だがGGOから電子マネーに
だいぶ大きな買い物をしたせいで、
そうまでしても、現実の通過に換算して1,000円……一日三食牛丼並盛りすらままならない。
(時間もねぇ! 金もねぇ! マトモな
必要以上に焦っているとき特有のとんでもなく高速、そしてとんでもなく冗長で下らない脳内会議を繰り広げながら、暁は蹴破るようにマンションのエントランスを出た。先刻ののべ助をとやかく言える筋合いではない。
――――昨日買っておいた定期券を忘れたことに気づき、息を切らしながら帰宅するのが、これから30分後の出来事である。