「……ヴィクトル、お前の客にノックなんてお上品な行為を覚えてるヤツ居たっけ?」
「さぁ? 僕は覚えがないなぁ。手より先に
冗談にしても、それは元気と言うには少し野蛮すぎではないだろうか……とヴィクトルの中ではその野蛮人筆頭であるファイヴは呆れながらもドアを開けた。
「ひっ!? ……あ、あああの! シカゴさんにこちらを紹介されて伺いました! 午前6時開店と
「…………おおう」
扉の前に立っていたのは、見た目十代後半かそこらの少女アバターであった。
緩くウェーブし艶やかな金髪と、大きく丸っこい碧眼は、明らかに登場するゲームを間違えたかのような華やかさ。
服装も軍服にゴシックロリータ調の改造を加えた、所謂軍服ワンピースと言うものだろうか。
GGOにこんな悪目立ちしそうな服が存在することがそもそも驚愕に値するのだが、その少女のゆるふわな雰囲気にベストマッチしており、ファイヴが違和感を覚えるには至らなかった。
その少女が、今や入り口前でうずくまっている。自分の舌を盛大に噛んだらしく、痛みに耐えるようにぷるぷると震えてすらいる始末。
そもそもファイヴの顔を見るなり「ひっ!?」と戦慄し、その後まくし立てるような早口で喋ったせいで、最後の方は全て噛んでしまっている。
原因はこの悪人面だろうか……とまたしてもファイヴの気分は妙な罪悪感を伴って沈下した。
少女の沈黙とファイヴの絶句、そしてヴィクトルの声無き哄笑によって『黒鋼商会』に数秒の静寂がもたらされる。
誰も悪くはないが居心地の悪い森閑を破ったのは、ファイヴであった。
「……あー、何だ? 色々衝撃的過ぎて何言ってんだかすっかり飛んじまった。ていうか何? お前」
「ひいっ! ごめんなさいごめんなさい!!」
「いや……えぇ……?」
目線を合わせようとしゃがんだのが悪く働き、金髪少女はファイヴに睨みつけられ(たと勝手に勘違いし)、顔を真っ青にして今度は恐怖に身をガクガクと震わせた。
「あーもう、俺じゃこれ収集つかねぇな……なーヴィクトル、
「ぶふっ……ああゴメンゴメン。初めて見る人だけど、
「なにわろてんねん」
遂に堪えきれなくなり吹き出すヴィクトルに、関西に縁もゆかりもないファイヴが関西弁でツッコむ。イントネーションも、本場の人が聞けばキレそうな程度には危うい。
少女を怖がらせる原因となるファイヴはとりあえず入り口の前から引き下がり、ヴィクトルに目配せする。
ここぞとばかりにヴィクトルはとても良い笑顔で応じた。ファイヴが少女に聞こえぬよう配慮しつつ、舌打ちしたのは言うまでもない。
「いらっしゃいお嬢さん、ようこそ『黒鋼商会』へ。お会いできて光栄です」
「…………は、はい……?」
ヴィクトルの優しい声を受けて、やっと少女の恐慌状態が解除される。
……これなら精神異常攻撃として使えるかもな、とファイヴはかなり雑な開き直り方をしながら、大口を広げて欠伸をした。現実世界で朝の6時。夜型のファイヴにはきつい時間だ。
そろそろ
銃火器の話題であれば先程あれほどに頭が働いたくせに、自身を含む興味のない事となると途端に脳が働かなくなる。
我ながら調子の良い脳ミソだ――とファイヴは思った。
「……なるほど、それで僕のお店に」
「はい。『必要なものは大抵揃う』と聞いたので」
「そりゃあもう。ウチのモットーは『薬莢からシェルターまで』だからね」
ヴィクトルは少女の警戒心を易々と解いたらしく、銃器や野戦服が無造作に並べられた店内へと二人連れで入ってきた。
ヴィクトルは店員であるので奥のカウンターに引っ込み、そうすると彼に着いて来ていた金髪少女は必然的にカウンターにもたれ掛かっているファイヴと鉢合わせすることになる。
「あ、ども」
「に゛ゃ!?」
「…………」
――ひょっとしてこの
「し、失礼しました。先程はとんだご無礼を」
「いや、良い。稀に良くあるから」
「すみません……」
頭を下げる少女の姿は見れば見るほどに可憐で、言葉遣いや仕草も相まってどこぞの令嬢であると言われても、ファイヴ程度の庶民なら疑うことすらないだろう。
(調子が狂うな……)
ファイヴはポケットから潰れかけのソフトケースを取り出し、振り出した煙草にライターで火を点けた。
銘柄は"Parabellum"――これも、黒鋼商会で購入したものだ。
少女が喫煙に対してどういう感情を持っているかファイヴは知らないが、ゲーム内のタバコは健康被害や悪臭の被害を出すことはない。故にファイヴの知ったことではない。
「ふー……。俺は、ファイヴ。ここの客で、多分常連」
「あっ、はい! 私は、アイリスと言います。このお店は、初めてで……って、えっ」
「え?」
「貴方が、ファイヴさん……?」
「そうだけど? さっき言った通りだ」
論より証拠ということで、とりあえずファイヴはアイリスと名乗った少女に対して自身のアバターカードを提示した。
すると彼女は大きく可愛らしい目を、驚きによって更に見開いた。
そうしてから、ゆっくりと目を細めて微笑んだ。色気すら帯びたその表情は、もはや先程のテンパっていた姿とは一切合致しない。
「そうですか。貴方が、ファイヴさん……」
「?」
「ふふ、楽しみにしていますね?」
「何が?」
ファイヴからしてみれば意味不明であった。
何せ本人はやっと中堅と名乗れる程度になってきた程度のプレイヤー。それに名前が売れるような偉業も悪行も成した覚えはない。
それが何かの間違いで
おまけに0円で頼むには忍びない完璧なスマイル付きだ。
(コイツ何企んでんだろ。なんか怖い)
女性経験のないファイヴからしてみれば、一周回って警戒するまでは余裕であった。
「……俺、もうそろそろ落ちねーと」
まだ朝の時間に余裕はあったが、特に役に立たない危機管理意識2割と全くアテにならない勘が1割、そして女性関連のトラウマ7割がファイヴに離脱を急がせた。
「あ、そうですよね。朝早くから済みません」
「謝んなくて良いぞ。俺もアンタの買い物タイムを使わせてもらったわけだしな」
「……そうでした。私、買い物しに来たんです」
――ひょっとして天然なんだろうか? と首を捻るファイヴに、今まで会話から閉め出されていた
「それで、アイリス君は何を探しているのかな?」
「あ、はい。実は今まで弾薬をポケットに入れて運用していたのですが、リロードも手間取りますしそろそろ携行数も増やしたいんです」
「なるほど……弾薬を持ち歩く手段というのは似ているものでも細かい違いがあるけど、そもそも銃種によってある程度の最適解が決まっているんだ。使っている銃、差し支えなければ聞いてもいいかな?」
そんな会話を小耳に挟んで「女にも君付けとか、ヴィクトルのリアルは教師か何かなのか?」と独り言を呟きながら、ファイヴは再び『黒鋼商会』を後にしようとドアノブに手を掛け――止まる。
(そういや、別に店を出る必要なんてどこにもないよな。ただログアウトすれば済む話だ)
今日はシカゴに20時には集合するよう言われているので、この店が閉まる前にはまたログインする。
たとえ閉店後であっても店内はプライベートスペースと化すので、単に座標をズラされて閉め出されるだけなのだ。再ログイン時にここから湧いても何ら問題はない。
我ながら手間な事をした……と少しだけ損した気分になったファイヴはドアノブから手を離し、そのまま虚空をなぞってコマンドを入力する。
「『ログアウtモルスァッ」
またしても、ファイヴが現実に帰還することは叶わず。
木の板で人間を殴り飛ばすと、これほどまでに軽快な音がするものか――と、ファイヴは達観気味に感心した。
何の因果か、電脳世界からの彼の離脱を妨げたのはまたしても古びた木扉だった。