ガンゲイル・オンライン ザ・ドミネイターズ   作:半濁悟朗

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第4章 決戦の日
#01 現実の質量


 西暦2026年5月2日。土曜日。

 ゴールデンウィークの頭という事もあり、ガンゲイル・オンライン日本サーバーでは、普段の休日以上のアクセス処理が行われていた。

 

 その膨大なデータのやり取りのをグラフにして視覚化したならば、午後0時の軸を起点に小さな山が現れるはずだ。

 小規模なその()が、これまた小規模な領地制圧大会《ドミネイターズ》による物であると知る人間は、果たして如何ほど居るものか。

 

 とにかく、日本各地で血気盛んな戦闘狂(プレイヤー)達が、GGOへのログインを一斉に始めていた。

 

 

 

「うーん、やっぱネカフェは快適だなぁ。実家を越えた安心感とはこの事だ」

 

 青年――真部暁は、カップ入りのスポーツドリンクを飲み干してから、やや声が大きめの独り言を口にしてアミュスフィアをゆるく被る。

 

 彼は簡素なベッドのにあぐらをかいていた。

 四畳半もない室内には、シンプルな机にはデスクトップPCと数冊の漫画。後はモルタルの白い壁を蛍光灯が照らすばかりの無機質な個室だ。

 

 そう、彼は今横浜某所のネットカフェの個室に居た。

 高級志向のこの手の施設では、優良なネット回線とフルダイブVRに集中できる空調とベッド――そして防音と施錠を完備したVRスペースが普及し始めている。

 

 暁はGGOをプレイする際――特に休日の日中は、このやや割高の設備を利用していた。何せ、ゲーム機を被って休日の真っ昼間にぐうたらしているのは、彼の家族に対し非常に心証が悪い。

 

「さ、そろそろやろうかな。マンガ読みふけって遅刻なんて洒落にならんし」

 

 平積みされた単行本を一瞥してから目を瞑る。続きは気になるが、大会が長引くことを想定して長時間のパックを取っている。()()()()()()また読めばいい。

 

「リンクスタート」

 

 持ち主の掛け声を認証したアミュスフィアは、真部暁(せいねん)の精神をファイヴ(アバター)へと引き込んでいった。

 

 午後の1時の、少し前の事だ。

 

 

 

「うっ……」

 

 少し前。青年がネットカフェに入室した頃合い。

 彼とは反対に、仮想空間から拒絶された少女が居た。

 

 現実世界の瞳からは一切の光が感じられず、身体の周囲には何もないかのような、不思議な浮遊感に包まれていた。

 

 まるで自分が宇宙に放り出されたかのような非現実感。だがすぐに、小宇宙の天涯が開かれることで現実が色を取り戻す。

 

「申し訳御座いません、お嬢様。少々お時間を頂けますでしょうか」

 

 少女が入っていたのはアイソレーションタンクという、元は五感を遮って瞑想に耽ったり精神を癒すために開発された装置。

 彼女はホテルのリラクゼーション設備として備えられたそれの高濃度な塩水に、無防備な裸体で浮かんでいた。

 

 ただ一つ、頭部をすっぽりと覆う近未来的なヘルメット状の機械――《ナーヴギア》と呼ばれるそれを除いては。

 

「……どうしましたか、宮野さん」

 

 今の少女の瞳には、室内を照らす仄かな間接照明すら眩いが、自分を長く世話してくれている使用人の声くらいは当然判別できる。

 

「詩織様がいらっしゃいました。急ではございますが、お出迎えのご用意を」

「半から待ち合わせです。最悪、45分にはエントリーがありますので、それには間に合わないといけません」

「問題ないかと。お嬢様の予定は詩織様もお含みおかれているはずですし、フロントからは『少し会いたくなっただけ』と仰られていると」

 

 淀みなく紡がれる透き通った声に、少女は嘆息しながら身を起こす。

 

「……わかりました、ロビーでお迎えします。着替えをお願いします」

 

 年若い彼女の声が冷たいのは、外部からのVRリンク強制切断ばかりが原因では無かった。

 

「かしこまりました。……お預かりします」

 

 少女がヘルメットを取り去ったのを見て、スーツベスト姿の若い女性――宮野がそれを受け取る。代わりに少女のか細い手にタオルを手渡した。

 

 少女はタンクからよろよろと出ると、柔らかいタオルで光る水滴を白い肢体から拭い去っていく。女性らしい膨らみや丸みが、僅かに煩わしく思えた。

 

 髪の毛を拭き始めると、元が癖毛な事もあってか薬液でごわつく。だが、再びタンクに入る前にシャワーを浴びる事を考えると今は湯を被る時間すら惜しい。

 

 肌の湿り気を取り去ると、既に宮野は少女の被服を持って待機していた。

 下着を受け取り、脚を通す。宮野はその間に、何の飾り気もない布切れを広げた。

 

「……息を吐いて、楽にしてください」

「はい」

 

 両手を広げ肺の空気を出し切ると、宮野は少女の胸部にそれを巻き付け、圧迫する。

 

「――っふ、ぅ」

「…………」

 

 少女が少女たる一部である、双丘が押し潰される。宮野は腕に力を込めながら、彼女の柔肌を傷つけないよう注意を払ってジッパーを閉じた。

 

 少女は、どうしてもこの瞬間の苦痛が苦手だった。何より、宮野の眉根がこの時ばかりは僅かにしかめられるのが、何より申し訳ない。

 

「終わりました。……大丈夫ですか?」

「……っ、はい。平気、です」

 

 更にこの上から高靱性のシャツ――所謂ナベシャツを着用せねば少女の膨らみはごまかせなくなってきているのだから、この()()()が破綻しつつあるのは誰の目にも明らかだ。

 

 だが、少女に携わる人物は誰も口にはしない。口にできない。

 何故なら――

 

「失礼! こちらにエミルがいると聞いたのだけれど……」

 

 早足の靴音が外から聞こえたかと思えば、ノックも無しに乱雑なドアの開閉音。

 

 息を切らしながら現れたのは、そんな切羽詰まった様子とは裏腹に上品なオフィスカジュアル姿の女性。

 年齢は三十代後半であるが、20代と言って通用するほどには若く見える。

 

「岩崎常務。申し訳ございませんが、取り込んでおります」

 

 足音を聡く感知した時点で宮野はドアの前へ素早く動き、常務と呼ばれた女性から、少女を庇うように立ちはだかった。

 それに乗じて少女は、置かれていた服の残りを拾ってタンクの陰に身を隠す。

 

「あら、宮野さん。相変わらず精を出しているのね」

「はい。お陰様で、楽しく働かせて頂いております」

 

 ――ったく、あのボンクラフロントめ――と宮野は内心毒づいた。

 

「常務、大変お急ぎの所恐縮ではございますが、マンリッヒャー様はお召し物を……」

「あら、彼ったらやっぱりゲームしていたのね。お父さんにそっくり。少しの露出くらい平気よ、きっと彼も気にしないわ」

「…………マンリッヒャー様は、公私のけじめをしっかり付ける方ですので」

「ええそうよ。そこもステキ。けど、やっぱり寂しいわぁ……」

 

 頬を僅かに上気させ、無意識であろう舌なめずりをしながら腰をくねらせる岩崎という女。

 彼女が纏うあざとい香水の匂いも、ブラウスの奥から透ける派手な下着も、実に宮野の神経を逆撫でした。

 

 何より――自身が仕える愛らしい人を、岩崎が「彼」と呼ぶ度に虫酸が走る。

 

「お気持ちお察し申し上げます。ですので、もう少々お待ち頂けないかと」

「ええ、ええ。分かっているわ。……でも、貴女も年頃の女性だものね。魔が差したってダメよ、彼は私の――」

「その様なことは、全く。仕事ですので」

 

 流石に会話でこの女を足止めするのはあらゆる意味で限界だ――そう宮野が感じた時、背後から声が掛かった。

 

「……すみません、詩織さん。お待たせしました」

 

 ぶかぶかのパーカーと制服のスラックスを着た()()、エミル・マンリッヒャーが宮野を庇うように二人の女に割って入った。

 

「エミルっ!」

 

 声を上げるが早いか、岩崎詩織はエミルの肩に腕を回す。

 エミルは、思考停止した。脳のブレーカーを落とした。

 

 

 おとがいを掴まれ、――唇が、奪われる。

 舌が入り口を求め、表面を蹂躙している。口を開く。抵抗しては長引くだけだ。

 

 水音と共に、生温かい軟体生物が口内をのたうっている。自己の縄張りを主張せんばかりに、粘液をまき散らしている。

 そして世のモノとは思えぬ音を立てて吸引される。混ざり合った体液も、吐息も。

 ……呼吸くらいは自由にさせてもらいたかった。

 

 

「――っぷはぁ! あぁ……御馳走様、エミル」

「……っ、げほ! ゴホッ!」

 

 詩織がエミルを解放する。女は恍惚とした表情で唇に架かる光の橋を舐め取り、反対に少年は口元に袖を当ててむせかえった。

 

「あら、ごめんなさいエミル。また無理させてしまったわ」

「げほ、ぅぐ……。だ、大丈夫……」

「でも好きなの! 愛しているの! だから、ごめんなさいね」

 

 肩を掴んで目を見開く詩織の言葉が、エミルにはいまいち理解できない。酸欠のせいだけでは無い気もする。

 

「常務。岩崎常務」

「ああ……愛おしいわ、あの人の忘れ形見……きっともうすぐ、貴方もお父さんみたいに逞しく――」

「詩織様」

 

 宮野のぴしゃりとした声が、エミルを弄ぶ詩織の手を止めた。

 

「お時間です。常務も本日は予定が込み入っていると伺っておりますが」

「……分かっているわ。あーあ、仕事なんて辞めちゃいたーい」

「それは困ります。マンリッヒャー様含め、我々が路頭に迷います」

「冗談よ。それじゃ、貴方のために今日も頑張るわ、エミル」

 

 自身の破廉恥さを隠す気もない態度でウィンクをし、嵐の如く女は去っていった。

 

 

 宮野は――東京にて最上の一角に数えられるこのホテルの従業員全てが、岩崎詩織という女には口出しできない。

 

 何故なら彼女は、このホテルの総支配人。そして数多の一流ホテルを抱える某会社会長の一人娘。

 言葉にするだけなら、非常にシンプルな理由だ。

 

「シャワーの用意ができております。……お嬢様」

 

 そして何より、当事者たる少女が、この状況を――実の母に陵辱されることを、甘んじて受け入れている。

 

「ありがとう、ございます。……けど、ぼくはエミルです」

 

 彼女にとってエミル・マンリッヒャーとは、自身が犯した罪を償うための罰であり、免罪符であった。

 

 

 少年の皮を剥がれた少女は、シャワーを浴びる中何度か吐いた。

 フルダイブ中の生理現象への懸念が減って良かったと、思うことにした。

 

 

「……お待ちしておりました」

 

 湯気立つ少女がシャワールームから出ると、宮野はシャワー前と全く変わらぬ立ち位置で待機していた。

 先程との違いは、手にしていたタオルがスポーツドリンクの入ったグラスにすり替わった事だけ。

 

「すみません、宮野さん。……配管が詰まってしまうかもしれません」

「昨晩からお嬢様は固形物を口にされておりません。大丈夫でしょう。……清掃が参りますので、万一の際もご心配なく」

「助かります……」

 

 全身から湯を滴らせたまま、少女は宮野からグラスを受け取った。喉が焼けついたような不快感を流したかったが、今後のことを考え数口飲むに留める。

 

 まだ半分以上中身が残ったグラスを宮野に返し、少女はアイソレーションタンクに向かった。

 内容液に足を沈め、縁に腰掛ける。何も言わずとも、宮野は少女の背後からヘルメットを彼女に被せ――

 

「待って、ください」

 

 弱った喉から絞り出された声が、宮野の声を止めた。

 

「はい。如何致しましたか?」

「――ぼくの、携帯を」

 

 宮野はヘルメットを小脇に抱え、自身の胸ポケットから少女のスマートフォンを取り出した。

 

「どうぞ。片手で失礼致します」

「ありがとうございます」

 

 少女はスマートフォンを受け取ると、微かに震える手でメッセージアプリを起動した。

 

 ――自分はおかしいだろうか。いや、確実におかしいのだ。

 即座に思い直す。いけないと思った。

 

 行きつく先を求める指は、思考と裏腹に液晶を撫で続ける。

 

 

 ――――だって、気持ち悪いですよね?

 ――――あなたの声が、聴きたいだなんて。




 色々と謝罪すべきことはあると思いますが、まずは言いたい。

《ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン》アニメ化決定、おめでとうございます!

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