ガンゲイル・オンライン ザ・ドミネイターズ   作:半濁悟朗

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#05 エミル・マンリッヒャー

『新宿、新宿。終点です。本日も――』

 

「…………ハッ」

 

 列車の席で船を漕いでいた暁は、車内に流れる録音済みの味気ないアナウンスによって覚醒する。

 他の客はほとんどが降車側ホームへと出て、ぞろぞろと太く長い行列を作っている。

 

 暁も早く降りようと立ち上がった瞬間、乗車側ホームの扉が開き控えていた客がなだれ込む。

 

「わ……ちょっと……」

 

 人間の濁流に押し出されるように脱出した暁は、降車ホームの激流へと再び飲み込まれて流される。

 

「畜生……日本の美しい譲り合い精神はどこへ行ってしまったんだ、嘆かわしい」

 

 面倒な年寄りのような事をぼやきながら、暁はポケットから定期券を取り出してJR線連絡改札の流れに乗る。

 が、改札口に定期を読み込む段になって煙草が切れそうなことを思い出した。

 

 彼の銘柄はマイナーなものであるためコンビニには置いておらず、新宿駅近辺で売っている店は一つしかない。

 

 裕士(シカゴ)との待ち合わせの時刻にはまだ余裕があるし、昼食を食べるために銀行口座から現金を引き出してある。

 今のうちに買っておいた方が良いだろうと、暁は判断した。

 

「あっすみません。ちょっと通しt――あびぶっ」

 

 一旦西口に出るために反転した瞬間、悪意のない複数の通行人から三発ほどショルダータックルを受けたのは想像に難くないだろう。

 

 

 

「おばちゃん、《パラベラム》……じゃねぇや。《カーキマイルド》一つ」

「え? 何だって?」

「カーキマイルド! 一箱ね!」

 

 若干耳の遠いたばこ屋のおばちゃんは、煙草を取り出すのだけは異常に速い。暁が財布を開く頃には、何を頼んでも出してくるのだ。

 

「はい、カーキマイルド」

「どーも」

「丁度ね、毎度ありがとう」

「はーい」

 

 暁は代金を支払うと、フィルムに包まれたままのソフトケースをジャケットのポケットに突っ込む。

 

(……そうだ。今月のガンエキスパート買ってなかったな。ついでだし、本屋見ていこうかな……)

 

 あまり無駄遣いする余裕は無いはずだが、暁にとって銃器専門雑誌は毎月の必要経費として計算されていた。

 月によって買ったり買わなかったりとまちまちだが、購読歴だけはかれこれ五年と長い。

 

 そうと決まれば、暁は駅の方へと引き返す。

 目指すは幾何学模様が特徴的な楕円形の駅のビル。その地下に巨大な書店が存在するのだ。

 

 今の暁の位置からでもその曲線的な建造物は見えているが、暁は駅の地下連絡路に下っていく。

 地下通路は分岐が多く往来も激しいが信号待ちが無いため、道さえ分かっていれば地上から行くよりも早く移動できる事が多い。

 

 再び改札口へとエスカレーターで降りてきた暁は、迷いのない足取りで人と人の隙間を縫うように歩く。彼の頭の中には目的地と、それに至る道順しか存在しなかった。

 

 だから、所在なさげに柱に寄りかかるその小さな人影に気づいたのはただの偶然なのだろう。

 

 その小さな人間は、近くを通りかかったサラリーマンに声を掛けようと顔を上げたが、そのリーマンはまるで見えていないかのように早歩きで通り過ぎる。

 よくある痛ましい現実によって刺激された親切心と、少しの気まぐれが暁に進路変更を命じた。

 

 だが、先程は成り行きを遠目に見ていた暁も近付いてから理解した。

 

 うろたえる少年の頭髪の色は明るいアッシュ。キャスケット帽を被っているため生え際は見えないが、どうやら地毛のようだ。

 ただでさえ小さな体を所在なさげ縮こまっているせいか、ただでさえサイズの合っていないぶかぶかのパーカーがやたら大きく見えた。

 

(なるほど、外人さんね……まあ英語が通じりゃ何とかなるでしょ)

 

 ――こういうのは一日頑張って働いたリーマンではなく(ひまじん)の役割だ――暁はそう考える。

 彼はお人好しだが、何かと理由を付けないと親切すらできない不器用な人間だった。

 

 暁は似たような経験から、GGOでの待ち合わせの時刻には間に合うだろうと踏んで声を掛けた。

 

「あー、英語分かる? Can I help you?」

 

 日本人にしてはそこそこに流暢な発音の言葉を受けて、俯いていた顔が暁に向く。

 体格相応にあどけない顔立ち。その双眸は、エメラルドめいた(みどり)であった。

 

「――あ、日本語分かります」

「え、ああ……すんません……」

 

 中学校レベルの英会話だが、発音に気を付ければ通じるし、道案内程度ならどうとでもなるはず――そんな暁の思惑は、全くの空回りだった。

 

「大丈夫です。ぼく、見た目がこうだから……」

 

 少年は「それでも話しかけてもらえて嬉しい」とでも言わんばかりに力なく微笑んだ。

 その無垢で幼げな顔立ちと薄幸そうな表情に、暁は必要以上の罪悪感じみたものを感じた。

 

「いや、悪かった。気にしてたらごめんな」

「本当に、大丈夫ですよ」

「そうか……。道、迷ってる?」

「はい。本屋さんを探してます……」

 

 細い声で言うなり、まるでそう伝えるのが申し訳ない事であるかのように俯く。帽子の鍔に隠れきらなかった口角が僅かに下がる様が、暁には何ともいたたまれなく思われた。

 

 暁は腰を軽く曲げて膝に手をつき、少年と目線を合わせてできる限りで優しく見える笑顔を作った。

 

「――うし。じゃあ、一緒に行かないか? 本屋」

「え……?」

「ああいや、別に怪しいものじゃないぞ。俺も本屋に今から行くところだ」

「本当、ですか……?」

 

 暁の言葉に少年は、恐る恐るといった様子で顔を上げた。顔を少年は顔を帽子の陰になって見づらかったが、よく見れば綺麗で可愛らしい目元に似つかわしくないクマがある。

 暁は、努めて明るく言葉を投げ掛け続ける。

 

「ああ。もし俺みたいな怪しい奴が嫌なら、あそこの交番に行けば良いさ。こんな怪しいオッサンよりはそっちの方が利口かな」

「あ……。い、いや。そんな、怪しいとか、おじさんだなんて……」

 

 うつむき加減な上に大きな帽子も被っているためか、少年は天井にぶら下がる案内板をよく見ていなかったらしい。駅構内に交番があることに指摘されて気づき、恥ずかしそうに帽子を押さえる。

 

「で、どうするよ? 一緒に行くか?」

 

 所詮、この場限りの付き合いではある。道案内をするには少々入れ込みすぎかも知れない。

 だが暁は、この少年を放っておくことはしたくなかった。動機が親切心ではなく、一種のシンパシーから来る自己満足であることも、彼ははっきりと自覚していた。

 

「でも、迷惑じゃ……」

「何でだ? さっき言ったけど、俺だって本屋に用があるんだ」

 

 少年は暁の顔色を再びちらりと見た。

 暁からすれば、笑顔が活動限界に近い。暴走――というより下衆なニヤケ面が暴発してしまわぬよう、内心冷や汗まみれだ。

 

 そんなひどくふがいない努力の甲斐あってか、少年は暁の顔面が崩壊するすんでの所で深く頭を下げた。

 

「……よろしく、お願いします」

「あいよ、お任せあれ。……じゃ、行こうか」

「はい」

 

 少年は蚊の鳴くような声で返事をし、暁の三歩後ろを付いてくる。

 体格の割に歩くスピードは速いため置いていく心配は無かったが、人混みに飲まれて流されてないように暁は神経を使って群衆の流れを捌いた。

 

 光る目玉のようなオブジェを通り過ぎ、地下道を直進。時々背後の少年を見返しながら歩いても、目的地まで三分も掛からなかった。

 その間両者は無言であったが、暁は特に気まずさを感じることはなかった。

 

「ほら、着いたぞ」

「あ……。ありがとうございます」

「良いって。何買うかは知らんけど、案内図はちゃんと見といた方がいいぞ。本屋でも迷子になんてなるなよ?」

「はい、ありがとうございます……」

 

 断ったにも関わらず再び頭を下げる少年の姿に、暁はおかしくなってくすりと笑った。

 

「だから良いって。ホラ、お目当てのモン買って来いよ」

「はい……。お礼は、いつか必ず」

「いやだから、良いってば。流石にくどいぜ?」

 

 暁が冗談めかして肩をすくめると、やっと少年は頭を上げて書店に入っていった。

 しばらく案内図とにらめっこし、雑誌コーナーへと歩を進めた少年の背中を見送ってから暁も自動ドアをくぐる。

 

 暁は迷わずミリタリー雑誌コーナーへ取り付き、一冊につき10分程度の時間をかけて立ち読みする。数冊に軽く目を通し、結局買うのはいつもの銃器専門誌に決めた。

 

 

 週刊漫画雑誌に比べ相当薄いそれを片手にレジに向かうと、隣では丁度ぶかぶかパーカーの少年が会計をしているところであった。

 

「あ、どうも……」

「ん、ああ」

 

 先にお辞儀をされ、暁も軽く会釈する。それぞれ自身の代金を支払うと、会計が済んだのも同時であった。

 

「先程は、ありがとうございました」

「いや、だから……まぁいいや。帰り、大丈夫か?」

「はい。……多分」

「OK送るわ。JR? それとも地下鉄か?」

「……JR、です」

 

 という具合に、暁は帰り道の案内も請け負った。

 そして偶然にも、彼と少年の使う列車も一致していた。そのため暁としては改札口までの案内のつもりだったのだが、上り列車のホームで共に並んで快特を待つ運びとなったのだった。

 

「……エミル、です」

「は? 何だ、いきなり」

「ぼくの、名前です。……エミル・マンリッヒャーです」

 

 名を尋ねるときはまず自分からという意図で、少年――エミルは暁に自身の名を告げた。

 間もなく電車がホームに到着するというアナウンスが流れた直後の事であった。

 

「ああ……エミル、エミルな。俺は、真部暁だ」

 

 そんなエミルの意をくみ取ったのか、それとも自身も名乗らなければフェアではないからと筋を通したのか。とにかく、暁も拒まずに名乗った。

 

「まなべ、あきさん」

「ああ、好きなように呼んでくれ」

 

 暁に名乗られたエミルは、暁の顔をまっすぐに見る。

 

 黒曜と、翠玉。

 いつかのどこかに輝きを置き忘れた視線が、交錯する。

 

「――――良い名前、ですね。暁さん」

 

 減速しながら電車がホームへ滑り込んでくる。 その風圧が帽子からはみ出たエミルのくせっ毛をなびかせる様は、中性的であどけない顔に湛えられた微笑の魅力を数段引き立てた。

 

 それこそ、暁の心拍を多少引き上げる程に。

 

 

 だが同時に、暁にはエミルの姿がとても――――(むご)いモノに、見えたのだった。


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