尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十六話『花見茶会 その二』

 正規の茶事において、正客と会話をするのは、基本的には亭主である。

 そもそも形式上は、亭主が茶事の主催者なのであって、普段、点前と会話を兼任する千尋のやり方は、今日の席においては好ましくないのだ。

 千尋としては、正規のやり方でも異論はない。

 正しいのならそうするべきだし、そもそも、点前で頭がいっぱいで、茶道具の名や由来をすべて覚える余裕はないのだ。

 だが、それでも千尋が興味を持ち、自主的に調べていた存在がある。

 

 ――広島に拠を構える上田宗箇(うえだそうこ)流。

 それが、この日の正客……福部という男が師範代を務める流派の名だが、千尋は聞いたことがなかった。

 会話をしないとはいえ、さすがに現状のままでは失礼に当たる。

 事前にヌバタマに教えてもらったところによると、広島藩浅野家の家老、上田宗箇が開祖で、弓や乗馬の構えに取り入れられた武家茶らしい。

 千利休・古田織部の系譜に連なり、被爆も乗り越えて今日に至る、由緒ある地方流派とのことだ。

 

 しかし「由緒」という点が、どうにも引っかかってしまう。

 自分が、オリベやヌバタマから習っている茶は、いわば我流なのだ。

 福部と、クセの強いオリベは、どんな会話を交わすのだろうか。その時に、流派の違いによる食い違いが出ないだろうか。

 もうすぐ自身が入室して茶を点てるというのに、緊張はどこへやら。千尋は聞き耳を立てながら、茶室の障子を開けて、中の客に一礼するオリベを見つめていた。

 

 

 

「皆様、ご入室されましたでしょうか……されているようですね。本日はどうも、このような山中の茶室へようこそお越し頂きました。誠にありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそお招き頂きましてありがとうございます」

 真剣なオリベの声は聞き取れたけれど、それに続く、茶室内からの正客の声はかろうじてしか聞こえない。

 だが、ゆったりとして落ち着いた語り口なのは、分かる。貫禄がありそうだ。

 

「先日までは天気も不安定で、亭主としては心配でしたが、今日は晴れて何よりです」

「ええ、まったくですね。お庭の桜も拝見しましたよ。実にお見事でした。知人の骨董品屋で開催のポスターを見かけて以来、どんな所なのかとずっと楽しみでした」

「左様でしたか。この様な殺風景な店で申し訳ありません」

「いやいや、そんなことは」

「本日は皆様、上田宗箇流の方々でしたね。武家屋敷を再現した拠点・和風堂は、柱の向きが持つ意味一つにまで、こだわりを持っていると聞いております。一方の夜咄堂では、物足りないかもしれませんが」

「いやいや……」

 

 福部が困惑しているのが、はっきり分かる。千尋も同じ気持ちだったからだ。

 これはいくらなんでも、卑屈すぎやしないだろうか。「そんな所に案内するとは失礼」なんて解釈もできるじゃないか。

 オリベに気付いてもらおうと、一歩足を前に踏みだした……その時だった。

 オリベの口角が、にやりと上がったのは。

 

「ですが、お茶だけは良いものをと、こだっております」

「おや……」

 オリベの明るい一言に、正客の声にも穏やかさが戻った。

 いや、もっといえば、安心を覚えたような声にも感じられる。

 ……そうか。

 もしかしたら、オリベは、わざとへりくだったのかもしれない。

 何分、今日の客達にとって、夜咄堂は未知の茶寮だ。

 そこで単に「良い茶を」と当たり前の話をしても、未知への不安は払拭できないかもしれない。

 でも、へりくだった上で茶をアピールすれば、お茶は本当に良いものだと感じられる。

 それにこれは、自分の創意……「竹庵の茶」そのものじゃないか。

 

 

「そう言われれば、下で頂いたお白湯も大変美味しかった。あちらにも、こだわっているのでしょうか?」

「後で改めてお話致しますが、西条から汲んだお水です」

「なるほど。お酒処の銘水ですね」

「ええ。しかし、残念ながらお酒はお出ししませんぞ? ヒャッヒャッヒャッ!」

「ハッハッ! それは残念だ!!」

 二人の笑い声を皮切りに、どぉ、と茶室が沸きあがった。

 いつだったか「茶席の会話は、亭主と客の共同作業」という話を聞いたことがある。

 キャッチボールと同じで、互いが気を遣わないと、成り立たないのだ。

 へりくだって客を安心させたオリベ。

 単に持ちあげるのではなく、創意を見抜いた上で、持ちあげた正客の福部。

 これが、一流の茶人同士の会話というものだろう。

 

 

「さて、それでは早速ですが、一服差しあげたいと思います」

 オリベが横目でチラリと自分を見て、茶室内へと入った。

 今度は、自分の番だ。

 先程のオリベと同じ所に正座して挨拶し、茶室へ足を踏み入れる。

 緋毛氈に座していた客は、上から順に、穏やかな雰囲気の中年の男性、中年女性、それに続く三名は若い女性だ。

 みんな、落ち着きのある着物を纏っていて、その道の人であることが見て取れる。

 いざ、お点前が始まっているのに、こうして冷静に客を見ることができたのもまた、オリベのお陰だろう。

 雑談で暖まった客達は、次の発言を期待するようにオリベを見ているから、重圧を感じずに済んでいるのだ。

 

 

 

「お楽に」

 茶道具の準備を整え、客に一礼を交わす。

 福部は微笑みを携えながら礼を返すと、オリベに向き直った。

「早速ですが、床の掛物は?」

「一期一会。大徳寺(だいとくじ)宗満(そうまん)和尚の筆でございます。春らしき言葉も良かったのですが、この一言には意味を持たせまして」

「なるほど。お伺いしても?」

「もちろんですとも。何分、今回の茶事はほとんどの方が初対面です。しかし、一生に一度の機会とは考えておりません。何度お招きしても、初対面のつもりで尽くしたい……その原点の茶会として、こちらを選びました」

「つまりは、今後ともよろしく、と」

「ヒャッヒャッ! 左様でございます!」

「ええ、こちらこそ。実に朗らかで雰囲気のお席ですからね」

 

 盛りあがる二人は、なおも茶道具の会話を続けていく。

 点出しのシズクも、よどみない流れるような足捌きで入室し、菓子器を出した。

 菓子器に乗るは、今朝、シズクよりも早く小谷春樹が持ってきてくれた生菓子、桜。

 以前千尋が試食させてもらった物を改良した、今日の為の特注品である。

 

 

「こちらのお菓子は?」

「桜。地元の和菓子屋『赤備』で作ったものでございます」

「どれ……おお、ほのかに苦みのある餡が美味しいですね。作りも美しい」

 福部の声が一つ高くなる。

 千尋は試食していないけれども、きっと、あれから更に味をあげたのだろう。

 何もかもが上手くいっている。後は自分次第だ。

 改めて心を落ち着け、湯と抹茶の入った茶碗に、茶筅を差し入れた。

 多少動きが派手になろうとも、しっかりと抹茶を解くことだけを考えて、茶筅を振る。

 そうして完成した薄茶が行き渡ると、福部はゆっくりと口に含んだ。

 

 

「……お服加減、いかがでしょうか?」

「大変結構でございます。……少し、いいかな?」

「はっ……」

 福部の言葉は、お約束の一言だけで終わらなかった。

 想定外の会話に、緊張しながらも返事を捻りだす。

 なにかマズいことをしただろうか……。

 顔をこわばらせながら福部を見ると、彼はにっと笑ってくれた。

「本当にいいお茶です。心から思いますよ。ありがとう」

「……こちらこそ、ありがとうございます」

 

 返事は、それで良かったのだろうか。

 答えは分からない。そもそも考える余裕がない。

 この上ない誉め言を受けてしまい、気を抜けば頬が緩みそうになる。それを引き締めるので、いっぱいいっぱいだからだ。

 

 これで、良かった。

 お茶を、楽しんでもらえたのだ。

 正客に、笑ってもらえたのだ。

 

 

 

 ――それからの出来事は、千尋も全部は覚えていない。

 シズクが他の客にも茶を出したこと。

 茶道具をしまう最中も、オリベが場を沸かせ続けたこと。

 拝見用に清めて並べた茶碗が、春の光に照らされて輝いた気がしたこと。

 高揚を抑えるのに必死で、覚えているのはその三つくらいだった。

 

「……お目怠(めだる)うございました」

 全ての点前を終え、退出の挨拶を交わして障子を閉じる。

 抑え込んでいた感情が一気に爆発したのは、それと同時だった。

「――っしゃ!」

 呼吸のような声が、口の中で爆発する。

 一席目……無事、終了である。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 続く二席目も何事もなく終えた千尋は、水屋で弁当をかきこんでいた。

 少人数で開く茶事なので、一席一席の間は十分時間を空けているけれども、それでもさすがに食事を味わう暇はない。

 現に一階の待合では、小谷ら次の客が既に待機していて、つい先程、茶室へ案内する為にシズクが下りたところだ。

 

「……千尋さん、次ですね」

 割烹着姿のヌバタマが、次に出す菓子を整えながら声をかけてくる。

「小谷さんと、シズクさんの件か?」

「ええ。小谷さんには、シズクさんのことは話したんですよね」

「茶会の後で会ってあげて欲しい、とね。でも、いきなりだとお互い緊張しそうだから……」

「シズクさんに案内してもらうついでに顔合わせ、ってことですね」

「当たり」

 にやりと笑い、弁当箱に残っている最後の卵焼きを頬張る。

 

 特にシズクにとっては、長らく待ち望んだ末の再会だ。

 さすがに案内する客と長々雑談に興じるようなことはないだろうけれど、一言二言くらいは、懐かしむような会話を交わしているかもしれない。

 いや、もしかすると、感極まって泣いたりしていないだろうか? だとすると案内に支障がでるかもしれない。岡本が気を利かせてくれているだろうか。

 

 

 そうして、階下のことをあれこれ考えているうちに、階段を踏み締める足音が耳に届く。

 そららはすぐに隣の茶室に吸い込まれていき、ただ一つだけが水屋へと近づいてきた。

「お待たせしました。案内、終わりました」

 平然とした声と共に、シズクが中に入ってくる。

 動揺の色はまったく感じられない。あくまでも今は茶事に徹する気なのだろう。

 さすがは露滴庵の付喪神、彼女もまた、茶道にかけては本気なのだ。

 

「それじゃ、挨拶してくるよ。千尋、食べ終えたな?」

「はい」

 オリベが立ちあがると、千尋も茶碗を棗を手に取って続く。

しかし、水屋を出る前にシズクへ歩み寄った。なにせ、これから彼女は、小谷に菓子器や茶を出すことになる。一言くらいは、今の気持ちを聞いておきたかった。

 

 

「小谷さん、どうだった? あの人だよね?」

「……それが、その」

 シズクは困ったように小首を傾げる。

 とはいえ、三席目が迫っているのは彼女も承知のようで、腑に落ちない声ながらも、続きはすぐに語られた。

「……違います」

「違う?」

「短髪の男性のことを差しているのですよね。確かに面影はありますが……あの方は、違う方です」

「え? ええっ?」

 思わず大声を出しかけてしまい、慌てて声量を落とす。

 小谷ではない?

 条件がピタリと揃っていたのに、別人?

 いや、面影があるのならば、記憶が薄らいでいるだけの可能性もある。

 でなきゃ、他に同じ条件の人がいるだなんて……、

 

 

「千尋、驚くのは後だ。客を待たせるわけにはいかんぞ」

「あ……は、はい」

 まだ戸惑いながらも返事をすると、オリベは千尋とシズクを一瞥して、茶室前へ挨拶に行った。

 千尋も動揺を鎮めようとするけれども、なかなか気持ちは切り替わらない。

 しかし、すぐに自身が入室する番となり、茶室の前で一礼をする。顔を上げれば、床の傍に座している和服の男性は、間違いなく小谷春樹だ。

 一体、何がどうなっているのだろう。なおも集中できず、硬い動きで釜の前に座して点前を始めると、すぐにオリベが話を始めた。

 

 

「いやー、実は皆様。本日のお席のお菓子は、正客様の小谷さんに作って頂いたのですよ。小谷さん、本日は何から何までありがとうございます」

「……大したことは」

 片手をそっと横に振って、小谷が謙遜する。

「本当に感謝しております。本日のお軸の一期一会……この言葉も、現在点前をしております若月が、小谷さんに教えて頂いた言葉だそうで」

 どうやらオリベは、自分が集中できていないのをすぐに見抜いたのだろう。

 なので、疑問を解消して点前に集中できるよう、道具の話に併せて、事実確認をしようというのだ。

 

「……私も好きな言葉なので、このお軸は嬉しいですよ」

「いい言葉ですからね」

「まったくです。この言葉が書かれた扇子も持っていますよ。……父の遺品ですがね」

 どくん、と心臓が鼓動した。

 何か、大きな勘違いをしていた予感に囚われる。

 でも、おかしい、そんなはずはない。

 小谷は確かに、ベンジン懐炉の話にうろたえていたのに……。

 

 

「よろしければ、そのお話、伺っても?」

「……ええ。一期一会といえば井伊直弼ですが、父は、店の屋号を赤備にするくらい井伊直弼が好きでして」

「春樹さんも、お好きなのですよね?」

「……父、小谷匠の影響です。父は八年前に急病で鬼籍に入りましたが、短い闘病中、自分が交わしてきた一期一会の話をしてくれました」

「ほう」

「それが心に残っていて、私も好きなのです。例えば、あの浄土寺にある露滴庵で知り合った方の話とか印象に……いや、失礼。脱線が過ぎますね」

「いやいや、こちらこそ失礼なことをお聞きしてしまいまして! それはそうと、このお軸を書いたのは……」

 オリベはそれ以上探るのをやめ、大きな声を出して茶道具の話を始めた。

 

 これまでの席よりも明らかに大げさな語り方だが、そうせざるを得ないのだろう。

 ……なにせ、音が聞こえたのだ。

 小谷が語り終えるのとほぼ同時に、廊下で何かが落ちる音が、千尋の耳にまではっきりと届いた。それをごまかす為の声なのだろう。

 誰が立てた音なのかは、千尋にも分かる。

 今、廊下にいるのは、一人だけなのだから。


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