尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十五話『茶筅供養 その四』

 買ったばかりの茶筅を容器から取りだしたのは、山越が来る日の朝だった。

 まだ抹茶に触れておらず、竹の香りがする茶筅を手にしていると、気持ちが晴れ晴れとする。

 いや、気持ちが良い理由は、もう一つある。

 この茶筅こそが、千尋の意気込みの表れでもあるのだ。

 

 ――茶筅には、複数の種類がある。

 一見同じように見えるけれど、特に違いが出ているのは穂先だろう。

 水気の強い薄茶を点てる時には穂先が細い物を、逆に粘り気のある濃茶の時には太い物を使うのが一般的で、千尋が買ったものは穂先が細く……加えて、穂数も多い物だ。

 

 ヌバタマから聞かされたところによると、なんでも江戸時代では、貴人をもてなす為に穂数が多い物を使っていたらしいのだが、千尋の意図はそこにはない。

 高価でも穂数が多い物を選んだのは、抹茶を溶きやすいから、の一点のみである。

 山越は、多分抹茶を飲んだことなんてないだろう。

 だから、少しでも美味しい抹茶を飲んでほしいのだ。

 

 

「……えっと、糊を落とすんだっけか」

 茶筅の底に付いていた糊を水で落としながら、ふと、物思いにふける。

 

 この茶筅で、まずは今日、山越に茶を点てる。

 来月になれば、初めての茶会だ。その日も大活躍してもらうだろう。

 それ以外にも、常連の諏訪や岡本に対して、茶会にも案内したシゲ婆さん対して、いまだ見ぬ客達に対して。

 この茶筅で、どれだけの客に茶を点てるのか、まだ分からない。

 ただ、どこまでいっても今の気持ちは大切にしたいと思う。

 ただただ、良い茶を点てたい。そのスタイルは、キーホルダーを探していたロビンに教えられたものだった。

 何よりも大事なのは、道具でも点前でもなく、茶なのだ。

 

 

 

「ワンッ! おはよーさーん!」

 ロビンの声がする。

 はっと我に返って振り向くと、ロビンが二本足でフラフラながら小躍りしている。

 周囲に人間がおらず、なおかつ気分が良い時にだけ披露する、奇妙なダンスだった。

「そーしてると、お前、ぬいぐるみかなにかみたいだな」

「おっ、かわいいってことか?」

「犬らしくない、って言ってるんだよ。それより今日は水屋から出るんじゃないぞ」

「しかしそこをなんとか」

「なんとかって、お前……」

 散々説明したのに、この犬はまだ諦めきれないらしい。

 どうしても山越を『日々是好日』で癒す場面に同席したいと言うのだが、茶室は当然のこと、本来は営業時間中に店内に上げるのもマズい。

 そこで「じゃあ声だけでも」という折衷案で、茶室隣の水屋で聞き耳を立てることだけは許可したのだった。

 こうも食い下がるほどに、ロビンは山越の事を想っているのだろう。

 

 

「……呆れた奴だよ、本当にさ」

「キシシ。誉め言葉と受け取るぜ。それより、約束の時間が近いんじゃねーの?」 

「うん、そーだな。下を見てくる。お前は本当に出るんじゃないぞ」

「はいはーい」

 不安を抱きつつも一階に下りると、約束の時間まではまだ三十分もあるのに、山越が席に着いていた。

 時間を伝え間違えただろうか、なんて思いながら声をかけると、山越は丁寧にお辞儀をして「十分前から来ていました」と、お辞儀同様に丁寧な口調で言った。

 今日を楽しみにしてくれていたのか、それとも彼女の性格なのか。考えてみれば、特に茶に興味を持っているわけじゃないのだから、後者だろう。

 

「ごめんね、まだ茶室の方は準備できてなくて」

「大丈夫です。私が勝手に早く来ただけですから」

「急いで終わらせるよ。待ってる間、カウンターのお姉ちゃんに、好きな物頼んでね」

 そう言ってヌバタマの方を向き、目配せすると、彼女は目礼を返した上で厨房に入った。多分、茶事で半東を頼んでいるオリベに声をかけにいったのだろう。

 二階に戻り、急ぎ準備を終えていると、やっぱりオリベが手伝いに来た。二人で取り組めば作業は十分そこそこで完了したので、すぐに山越を茶室に案内する。

 

 茶筅が入った茶碗を、いつもどおり床に置く。

 ここで一礼すれば茶事の始まりだけれども、千尋はその前に茶筅を見つめた。

 さあ頼むぞ、今日の主役さんよ。

 

 

「……一服、さしあげます」

 視線を山越に戻し、挨拶を交わす。山越は作法が分からないようで、大げさに頭を下げて返礼してくれた。

 やっぱり、山越に茶道の経験はない。

 加えて言えば、まだ中学生なんだから、道具のお堅い話をするのも、どうかと思う。「一点」を除いては、割愛していいだろう。

 千尋は、あえて口調を砕きながら、点前を進めた。

 

 

「こんな所でお茶を飲むのは、初めて?」

「はい。そもそもお茶を飲むのも初めてで……」

「確かに、俺もこの仕事をするまで、飲んだことなかったしなあ」

「でも、いい気分転換になるかと思って。その為に誘ってくれたんですよね? ありがとうございます」

「……まあ、そんなところなのかな」

 当たらずとも遠からじ。適当に言葉を濁しつつも、一つの確信を得る。

 やっぱり、山越はまだキーホルダーの件を引きずっている。

 ならば、あの日、ロビンが目で懇願した『日々是好日』を使う他ない。

 横目で茶室入口の方を見れば、菓子器を手にしたオリベがちょうど入室し、山越に菓子器を差しだした。

 彼にも話はとおしている。準備は完全に整ったのだ。

 

 

「ところで、これは何か知ってるかな?」

 茶筅を清めようと手にしたところで、山越に尋ねる。

「はい。お茶をシャカシャカする道具ですよね」

「うん。茶筅っていうんだ。……実はね。この茶筅は穂先が折れることもあるんだ。そうして使えなくなった茶筅は、茶筅供養といって炊きあげちゃうんだよ」

「そんな。まだ使えばいいのに」

「お客さんの前で使うのは失礼だし、それに……」

 ぴたりと手を止める。

 先日、山越が口にした、キーホルダーと友への想い。

 それらを、脳裏に強く浮かべながら、千尋は先を口にした。

 

「……供養は、感謝の気持ちだからね」

「感謝、ですか……」

「どんな道具も、いつかは必ず壊れる。むしろ、ちゃんと供養として送りだせるのは良いことだよ」

「………」

「茶道具にはね。魂が宿っている。……だから、茶筅も本気で送りだすんだよ。これまでお客さんの為にお茶を点ててくれてありがとう……ってね」

 

 優しく語り終えるのと同時に、揺らぎが訪れた。

 暖かな光を伴う『日々是好日』の変化は、一瞬で過ぎ去ってしまう。

 そのわずかな間で、茶道具の良さは客に伝わるのだが、今回はどうだろうか。

 若干の不安も感じつつ目にした山越は……歯を見せて笑っていた。

 

 

「……私も、感謝の気持ち、持たなきゃいけませんね」

「キーホルダーの事かい?」

「はい。……このキーホルダーのお陰で、引っ越してしまった友達を思い出せていましたから。……だから、今までありがとう。もう大丈夫だよ、って」

 背筋をまっすぐに伸ばし、山越は元気な声で言う。

 これまでの彼女とは違う、覇気に満ちた語り方だった。

 

 

「これからは、キーホルダーがなくても、友達のことは忘れません。ずっと……ずっとです!」

「うん。いいと思うよ」

 にこやかにそう言って、中断していた点前を再開しようとする。

 隣の水屋から、ガサゴソと壁をこする様な物音が聞こえたのは、その矢先だった。

「あれ? 今、変な音しませんでした?」

「気のせいじゃないかな。……じゃなきゃ、誰かが盗み聞きしてたりしてね」

 千尋は、いたずらっぽく笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「フゴッ! ワンワン、ワンッ!」

 水屋に戻るなり待ち受けていたのは、毛達磨による歓喜の体当たりだった。

 和服に毛を付けられてはたまらないもので、中腰になって近寄せまいと押し返すが、それでもロビンは喜びはしゃぐのを止めなかった。

「よくやった、千尋! 見事な『日々是好日』だ!」

「と言っても、お前、見てなかったじゃないか」

「いやー、分かるんだよ、それが。あの子の喜ぶ声だけで、どんな茶席だったのか想像はつくよ」

「想像力豊かな奴だな」

「そんなに褒めるなって」

 皮肉も皮肉と捉えずに、ロビンは二本足で立ちあがって胸を張る。

 だが、すぐにバランスを崩してコロンと転げる様は、なんともみっともないものであった。

 

 

「おお、いてて」

「アホチン」

「……でもさ、千尋。俺は本当に感謝してるよ」

 お尻を抑えながら、ロビンは真面目な声で言う。

「感謝されるようなことはしてないよ」

「いーや。してくれた。これできっと、あの子も悩みを吹っ切れる。前に踏み出せるよ。……ありがとうな、千尋。これもお前が立派にもてなしてくれたお陰だ」

 ハアハア舌を出して喋るロビンの姿自体は、いつもと同じようにコミカルなものだ。

 でも、姿形がどのようなものであれ、彼の言葉は真剣そのものなのだ。

 言葉の内容だけで、そう感じているわけじゃない。真心が篭っているからこそ、ロビンの気持ちは千尋の胸に響いたのだ。

 

 

「……いや。ロビンのお陰だよ」

「俺が? 俺、お茶点ててないぜ」

「そーじゃないさ。……お前、愚直なまでにキーホルダーを探してたよな。あれでちょっと思うところがあって、さ。色々と参考にさせてもらったよ」

「なんだか知らねーが、役に立ってたのか」

「ま、今回はな」

「よし! じゃー、ご褒美くれ! ドーナツ!!」

「………」

 ちょっと褒めると、これである。

 ドーナツの代わりにデコピンをくれてやろうと指を出すと、さすがのロビンもその先を察して水屋から飛び出してしまう。

 そのロビンと入れ替わりに、両手を袖に突っ込んだオリベが、鼻歌を歌いながらやってきた。

 

 

 

「やあ、千尋。ロビンが慌てて飛び出したが、何かあったのかね?」

「いつものことですよ」

「ヒャッヒャッ! そーかね。相変わらず仲が良いなあ!」

 顎を上げながら声高らかに笑うと、オリベはどっしりと畳に胡坐をかいた。

 それから、手のひらを下げるような仕草を見せるので、誘われるがままに千尋も正座して相対する。

 オリベは頬杖を突くと、歪んた頬の側の口角をニッと上げてみせた。

 

 

「今の席は良かったぞ、千尋。茶を始めた頃とは天地の差だ」

「そうですかね」

「点前を覚えたのは当然の事、仕草も自然体だった。茶もきれいに点っていたし、客との語りも文句なかった。……だが、何よりも創意が見て取れた」

「え……? 道具の組み立て、あれで良かったんですか?」

 正直、そこはほとんど考えなしだった。

怪訝そうに尋ねると、案の定、オリベは手を横に振ってみせる。

「いやー、茶道具の組み立て自体は適当だったね」

「ですよね」

「しかし、創意とは組み立てだけではない。……お前はあの席で、わざわざ穂数が多い茶筅を選んでいたね。私はそこに感じ入った。ただただ良き茶を点てようという気持ちが見て取れた。……実は、そんな茶人が過去にもいたのだよ。上林竹庵(かんばやしちくあん)は知っているかね? 戦国時代の茶人だ」

 気持ちが、創意になるのだろうか?

 疑問には思ったけれど、とりあえずはオリベの問いに応えようと、首を横に振る。

 

 

「いいえ。上林って苗字は、どこかで聞いた気もしますが」

「竹庵は製茶を生業としていたし、現代でも一族の者が老舗の茶問屋をやっているから、それで聞き覚えがあるのだろう」

「ああ、そっちかもしれませんね」

「でだ。ある日、千利休が竹庵の茶事に参加したのだよ。だが、天下の大茶人に茶を点てる興奮か、それとも緊張からか……竹庵は茶筅を倒してしまい、同席していた利休の弟子達に白い目で見られたそうだ」

「……なんか、想像すると心が痛いです」

「似た経験あるもんなあ。……だが似ているのはこの先も同じだ。散々な内容だったのに、利休は茶事後『竹庵こそ天下一の茶人』と評したらしい。疑問に感じた弟子が理由を尋ねると『彼は点前を披露したかったのではない。ただただ私に美味しいお茶を点てようと奮闘していた。その心こそが天下一なのだ』と答えたそうだよ」

「心こそが……天下一……」

「なあ、千尋。私には、お前と竹庵がダブって感じられるよ。客を一心に思うところも、ついでにドジを踏むところも、そっくりじゃないかね」

 

 オリベはしみじみと語り、嬉しそうに千尋をまじまじと見つめてきた。

 ドジはともかく、創意の件も含めて、褒めてもらっているのは間違いない。

 つまり、これは……、

 

 

 

「……俺の茶は、上林竹庵に似ている。そこに創意がある、と?」

「そのとーり」

「でも、道具の組み立ては……」

「さっきも言ったじゃないか。道具の組み立ては、あくまでも創意が作り出した一要素なのだ。その創意とはお前自身……すなわち、客を想う気持ちなのだ」

「………」

「客をひたすらに想う。それこそが、若月千尋であり、若月千尋の茶でもあるのだ」

「それで、良かったんだ……」

 

 先程の茶事で茶筅を扱った右手を見つめながら、考え込む。

 正直なところ、上林竹庵と同じ茶だと言われても、ピンとこない。

 むしろ歴史上の茶人に失礼な気さえする。

 しかし「若月千尋の茶」という言葉だけは、妙にしっくりと心に馴染むものだった。

 まったく答えが見つからずに、ウンウン唸っていたというのに、なんとも不思議なものだけれど、自分自身の再認識のようなものなのだから、見つけてしまえば違和感はないのかもしれない。

 

 

「……ともかく、これで来月の茶会は、なんとかなりそうですね」

「うむ。……そうだな。千尋も茶会を開くまでになったのだなあ」

「なったのだなあ、って、前から決まってたじゃないですか。何を今更」

「ヒャッヒャッ! そーだった! ……主題は一期一会だったかね?」

「ええ。名目上は花見茶会ですけれどね」

「そうか、一期一会か。……良き一会があるといいな」

 

 オリベは呟くようにそう言って、音を立てずに立ちあがった。

 もう、話は終わったのだろうか。

 続いて千尋も立とうとしたところで、オリベは背を向けながら語りだした。

 

 

 

「……私にも、良き一会があったよ」

「………?」

「昔の話だ。私とて付喪神になった頃は、歪んだ茶碗に劣等感を抱いていたのだ。ある骨董品屋で、それはそれは端正な茶碗と並べて売られていた時期もあったから、なおさらだったね。……だが、そこで私を買った一家の子が、歪んだ私を見て楽しそうに笑ったのだよ」

「オリベさん……?」

「その一家と出会えたことで、これが私の存在価値なのだと教えられたのだ。懐かしいな、あの頃が。……もう、記憶の彼方の出来事だ」

 

 急に思い出話なんか始めて、一体どうしたのだろうか。

 話自体は、なんだか良い話っぽいのだけれども、オリベが語り始めた理由が分からない。

 きょとんとしてオリベの背中を見つめ続けたが、どこか寂しそうな背中だった。

 その背中は水屋の出入口へ向かい、廊下を出たところで、足が止まる。

 くるりと振り返ったオリベの顔には、はちきれんばかりの笑みが浮かんでいた。

 

 

「ヒャッヒャッヒャッ! ま、出会いを大事にってことだ! それじゃー千尋、後片付けはよろしく。私も負けじと一期一会、ナンパでもしてくるとしよう!」

 これである。

 がっくりと崩れ落ちつつ、心配したのが馬鹿らしく思えてきた。

「ちょっと、オリベさーん」

「ヒャーッヒャヒャッ! じゃーあねー!」

 すたこらと廊下を駆けて去ってしまい、水屋には千尋一人が残される。

 思わず溜息さえ零れてしまったけれども、嫌な気はしなかった。

 彼らがいるから日々が楽しいし、店も経営できる。そして茶会も開けるのだ。

 

「……もうすぐだな、茶会」

 立ち上がって、水屋の出窓から外を眺める。

 近くの林にはえている桜の木では、蕾が今にも目を覚ましそうに膨らんでいた。

 シズクも、ちゃんと目を覚ましてくれるだろうか。

 上手く、小谷に引き合わせられるだろうか。

 ……良き茶会に、できるだろうか。

 胸の鼓動は、少しずつ強くなっていた。


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