尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十四話『一期一会 その四』

 向島の赤備は、この日も営業していた。

 年の瀬になっても随分仕事熱心なのだな、と感心するけれど、よく考えてみれば今はかき入れ時なのかもしれない。

 そんな時期に、仕事以外の話をするのは少し気が引けてしまったが、これだけはどうしても確認したい。

 千尋が意を決して赤備の玄関を潜ると、タイミングよく、店内では小谷春樹が商品を陳列していた。

「……おや。千尋君。この前来たばかりなのに」

「どうも。ちょっと今日は別にお話がありまして……」

 小谷の顔色を伺うようにそう言いながら、目だけを動かして店内を一瞥する。

 他に客はいないようだし、切り出すなら早い方が良さそうだった。

 

「お忙しければまた今度伺いますけれど、どうでしょうか」

「……大丈夫。奥へ行こうか」

「ああ、そんなに長時間お邪魔するつもりはないんで、ここで大丈夫です!」

「……そうかい?」

 小谷は釈然としない様子だったが、陳列する手を止めて向き直ってくれた。

 やっぱり、この人じゃないだろうか。

 彼と交流してまだ日は浅いけれど、実直な性格は理解しているし、その一面はシズクの言う「凛とした影」にも合致する。

 それに、彼の仕事は茶道にも関係している。あとは、いくつかの状況証拠と一致するかどうかだった。

 

 

「えっと……小谷さん、前に、井伊直弼の名言が書かれた扇子を持っている、って言ってましたよね」

「うん」

「その扇子、なんと書いてあるのか教えてもらえませんか?」

「……一期一会、だけど」

「……っ!」

 思わず声が漏れそうになったのを、必死に押し留める。

 やっぱり、自分の推測は間違っていなかった。扇子を見てもらう機会がないのは残念とまで言っていたのだから、きっと彼が好きな言葉なんだろう。

 とはいえ、あと一つ確信を突いておきたい。

 千尋は、両手にぐっと力を込めながら、その先の言葉を口にした。

「ありがとうございます。……もう一つ、お話が。実は今、人を探しているんです」

「うん」

「その方の情報は少ないんですが、ええと、何年前になるのかな……多分、十五年ちょっと前ですが、本土の浄土寺にある露滴庵という茶室で、一人の女性と知り合ったそうです。その後で、ベンジン懐炉を女性に渡したそうで……」

「なんでその話を!」

 小谷は、千尋の声をかき消すかのように叫んだ。

 実際千尋は、その勢いに飲み込まれて口を止めてしまったが、その代わりにじっと小谷を凝視する。

 彼もすぐに、動揺が表に出たのに気がついたようで、平静を取り戻そうと顔を伏せだした。

 しかし、その目は明らかに泳いでいるのだ。

 もしかすると、シズクとの間に何かあったのだろうか。だから、シズクをもう一度訪ねないんだろうか。

 そこを詮索するのは野暮な気がして、口にはできない。

 けれども、少なくとも彼は、不義理をとおすような人ではない、と思う。

 

 

 

「……すまない。大声を張りあげたりして」

「いえ。何か思い当たりがあるんですね?」

「……そうだね。まさか千尋君が、ベンジン懐炉の話を知っているとは思わなかった」

「今度、その女性と引き合わせたいんです。いつになるかは分かりませんが、お時間頂けませんでしょうか」

「……分かった。よろしく頼むよ」

 小谷は、弟の名が刻まれた帽子を取り、深々と頭を下げた。

 どうやら、シズクの件はなんとかなりそうで、両手の力がふっと抜けてしまう。

 でも、もう一つ小谷に話さなくてはいけないことがある。まだ、オリベにもヌバタマにも報告していないけれど、きっと認めてくれるはずだ。

 そんな確信を胸に抱き、千尋は握り拳を作って、なおも話を続けた。

 

 

「それはそうと、お茶会の主題を決めたんです。時期は四月ですから、表向きは花見茶会でいいんですけれど、それだけじゃないです。……一期一会を、自身への主題に掲げたいと思います」

「俺の扇子と同じ言葉だね」

「当日のお客様をもてなす気持ちの表れですけれど、それだけじゃありません」

 脳裏に、雪之丞の姿が思い浮かぶ。

 彼のように、真摯に、そして愚直に向き合えるだろうか。

 答えは分からない。でも、やるしかないのだ。 

 

「その後来て頂いた時にも、同じ気持ちでもてなしたい。そんな願いを込めて、一期一会です」

「……悪くはないと思うよ」

「そう言って頂けると助かります。それで小谷さんには、二つお願いがあるんです」

「ふむ?」

「一つは、暫定の提案ですけれど……当日のお菓子。器はまだ決めていませんけれど、やっぱりこれは、小谷さんにしか頼めないんです」

「……うん」

「そしてもう一つ……もしも当日、手が空くのでしたら、正客になって頂けませんでしょうか」

「……俺が、か」

 小谷は難しそうな顔をして、口篭ってしまった。

 

 無理もない話をしている、とは分かっている。

 当日の朝は菓子の搬入で忙しくなるのに、その上、一つの席の良し悪しを左右する正客を頼んでいるのだ。

 だが、他に頼める者は見つかりそうにないのだ。正客は茶道に精通していなきゃ務まらないし、千尋には学校茶道やら正規の流派やらの人脈もない。

 断られるだろうか。それでも仕方がないだろう。

 いつの間にか、小谷と同じような顔をして、じっと彼を見つめてしまう。だが、長く続かなかった。 先に、小谷の口から息が噴き出たのだ。

 

 

「ぷっ……まるでにらめっこだな」

「あ、いや、これは失礼を……」

「いいよ」

「え?」

「お菓子と正客。受けるよ。正客の方はちょっと自信がないけれど、千尋君が本気なのは伝わってきたし、お世話になっている。……俺で良ければ、力になるよ」

「小谷さん……!」

 感動する千尋の前に、小谷の右手が差し出された。

 それを反動つけて握り返そうとしたは良いが、目測を誤って空振ってしまう。

 

「あらっ」

「……千尋君、ドジ?」

「……たまに言われます」

 しばしの間の後、赤備には二人の笑い声がこだまするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 夜咄堂には、私室が千尋の分しかない。

 もちろん、余分な部屋が一つしかなかったという事情もあるが、付喪神のオリベとヌバタマは、本体である茶道具に戻って休める為である。

 とはいえ、彼らも閉店後はずっと休むわけではなく、茶室で茶を点てるだの、洋室で本を読むだのして過ごしている。時には千尋の部屋でくつろぐことだってある。

 最近はその三番目……千尋の部屋で過ごす機会が、めっきりと増えてきた。

 

 

「ヒャッヒャッ! スウェーデンだって、スウェーデン! ヒャッヒャッ!」

 オリベがうるさい。

 付喪神でも寒いらしく、炬燵に両足を突っ込んで、先ほどからずっとテレビのコントに爆笑している。

 あまりにも娑婆っ気がある行動に、本当にこの人は付喪神なんだろうか、と突っ込みたくなるのだが、そうしたところで笑って流されるのがいつものオチだ。

 

「ワンワン! 食い物は! できればドーナツで!」

 ロビンもうるさい。

 ノラのくせに、最近は夜になるとたまに裏口から入ってきて、暖を取ろうとしている。

 さすがに炬燵に入れるのは汚いので、炬燵の近くに専用のマットを敷いてやったのだが、隙あらばすぐ炬燵に入ろうとする。

 

 

 厄介者二人に呆れつつも、千尋は特に苦言を呈することなく、メジャーリーグの情報誌をパラパラと眺めていた。

 まだ一つだけ、解決していない事がある。マーシャが言い残した「ジョー・ディマジオ 』が何を意味するのかが分からないのだ。

 千尋とて同じ野球好きだし、有名なメジャーリーガーだとも知っていた。引退後に新婚旅行で広島に来た時には、打撃指導もした選手だ。

 しかし、彼と自分の接点には思い当たりがない。なので、わざわざネットで取り寄せた古い情報誌を見ているのだけれど、答えはいまだに見つからなかった。

「おい千尋や。このお笑いコンビのDVD、買ってくれんかね」

「オリベさん、現代慣れしすぎでしょう……」

 苦笑しながら、答えの載っていない雑誌を閉じて、自分もテレビを見始める。

 

 ――この喧騒は、そう嫌じゃない。

 生前の父とは、ずっとすれ違っていた。

 すべては千尋の勘違いだったのだけれど……それが分かったのは、父の遺品を処分しようと夜咄堂に来た日だった。

 もう、父との時間は戻ってこない。ただ、代わりの時間なら作っていける。

 家族のように思っている付喪神達とのひと時が、まさしくそれだったのだけれど、この気持ちを口にはしない。

 ヌバタマならまだしも、オリベやロビンに話せば、悪乗りされるのは目に見えていた。

 

 

 

「はーい、お茶ができましたよー」

 厨房にいたヌバタマが盆を抱えて入ってくる。

 盆の上には薄茶入りの抹茶碗が三つと、ロビン用のホットミルク皿が一つ。それに東雲ドーナツ店のドーナツが、大皿に四つ乗っていた。

 それだけならいつもの間食セットなのだが、この日は他にもある。塩に黒豆、それから塩昆布が少量乗った皿と箸。更には穂先が長い茶筅も添えられていた。

「これ、おつまみってこと?」

「いーえ。ぼてぼて茶です。ご存じありませんか?」

 ヌバタマはそう言いながら、茶碗を一つ手に取った。

 

「まずはこれに、黒豆と昆布を入れてください。その後で、茶筅の先に塩を付けてお茶を点てる。すると白い気泡が点って、ぼてぼて茶になるんです。出雲松江藩の大名でありながら一流の茶人でもあった松平不昧公が、飢饉の際に城の蔵を開放して、民に振舞ったお茶とされています。もうすぐ今年もおしまいですから、由緒あるお茶で健康祈願ってわけですね」

 

 松平何某。これも赤備で小谷から聞いた名前だった。

 まったく知らない茶人、まったく知らない話だからこそ、これを機に胸に刻む。

 一歩、一歩、成長しなくちゃいけないのだ。

 なんたって、四月には茶会が控えているのだから。

 

 

 

「シズクさんの探し人も見つかりましたし、あとはお茶会だけです。それに向けて、勉強しましょうね!」

「ああ。そうだな」

 意中を察したかのようなヌバタマの力強い励ましに、素直に頷く。

 いつかは、立派な茶人になれるだろうか。

 いつかは、多くの人を笑顔にできる茶人になれるだろうか――

 

「フゴッ! ドーナツ、うひょー!」

 しみじみと感じ入っているところへ、ロビンのさもしい声が響く。

 思わずため息を零しながらも、ロビンにドーナツを取り分けてあげたところで、ふと、玄関の方から何かを叩く音が聞こえた。

「あれ? 今、外で音がしたよーな……オリベさん、聞こえました?」

「さあ。私はテレビに集中してたから」

「あ、はい」

 オリベに確認した自分を内心責めながら、立ち上がる。

「私も聞こえた気がしましたけれど、見に行くんですか?」

「うん。さすがにお客さんじゃないだろうけど、気になるし」

「それじゃあ私も」

 

 

 同じく立ち上がったヌバタマを連れ立って、真っ暗な喫茶スペースに出る。一階と玄関の電気のスイッチを入れてから玄関を開けたが、外には誰もいなかった。

 一歩、足を踏み出せば、年末の冷たい風が体を撫でる。

 この風が、玄関を叩いたんだろうか……、

 

「こんばんは」

 消えてしまいそうな声が、近くから聞こえてきた。

 目を凝らしてみると、消えてしまいそうなのは声だけではなかった。

 夜の暗がりと、少しずつ消えゆく体の為に気がつかなかったが、シズクがすぐ傍にいたのだ。

「シズクさん! もう大丈夫……」

 いや、大丈夫なわけがない。体の輪郭が無くなってきているじゃないか。

 きっと、実体化するなり、すぐに夜咄堂へ来たのだろう。

 

 

「……雪之丞から、聞きました。あの人を見つけて頂いたそうで」

「ええ。今度シズクさんが実体化した時に連れて来ます。体調が良ければ明日にでも!」

「ありがとうございます。……でも、明日は無理みたいですね」

「じゃあ、一週間後くらいで?」

「それも、難しそう。……ごめんなさい、最近浄土寺から離れすぎたからか、力がめっきり弱まって。……春まで休めば、あと一日だけは……」

 シズクの力ない言葉を受けて、千尋は無意識のうちに唇を噛んだ。

 もう、本当に限界が近づいている。

しかし、春といえば……最高の機会があるじゃないか。

 

 

「シズクさん。その人は、四月に夜咄堂で開く茶会に来てくれます。だから、もし間に合うのでしたらその日に」

「分かりました。日付が決まったら雪之丞に伝えてください。……きっと、行きますから」

 シズクの体が、また薄らいでいく。

 閑静な冬の夜闇と同化していく。

 ふと、ヌバタマの小袖が、冷たい夜風の中でなびいた。

 消えゆくシズクに詰め寄ったヌバタマは、両手でシズクの手を取って声を掛けた。

 

 

「シズクさん、一つだけ教えてください」

「ヌバタマ、さん?」

「どうして……どうして、何年もその人の事を、待ち続けられたんですか?」

「もう話したとおりよ。……私の価値を認めてくれた。……優しく接してくれた」

 記憶をたどるような、とつとつとした語り。

 しかし、不意に彼女の声に、疑問符が加わった。

「あら? ……ああ、そうね……今、気づいたわ。……だから、私は……」

「シズクさん!?」

「私、は……」

 

 最後の言葉は、はっきりと聞き取れなかった。

 ヌバタマの両手からシズクの手が消え去り、ぽん、と両手が合わさる音がする。

 シズクが、春までの眠りについたのだ。

 

 

「ヌバタマ……」

「………」

 消えてしまった感触の余韻に浸るかのように、ヌバタマは手をほどこうとしない。

 ただ、満天の星空を見上げて、切なそうな声を漏らした。

「私にも、大切な人はいます。オリベさんにロビンさん、もちろん千尋さんもですし、先代の宗一郎様もそうでした」

「……ああ」

「宗一郎様が亡くなった時は、二月ほど帰りを待ちました。だからシズクさんの気持ちは分かるつもりです。でも、記憶が薄れるくらい、何年も待ち続けた経験はなくて」

「それで、シズクさんが待ち続けた理由が気になった、ってわけか」

 ヌバタマの傍に歩み寄り、彼女の横顔を目だけで追う。

 ヌバタマの黒く大きな瞳は、なおもまっすぐに夜空へと向けられていた。

 

 

「千尋さん、知ってました? か細い光ですけれど、天の川って冬でも見えるんです」

「いや。初耳だ」

「……一期一会って、織姫と彦星みたいですね」

「言われてみれば、そうかもな」

 千尋も、年の瀬の星空を見上げる。

 星の見方を知らないから、どこに天の川があるのかは分からない。

 それでもどこかで、再会を待ち続けているのだろう。

 

 ――春まで、あと三ヶ月。


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