尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十四話『一期一会 その一』

 あれはちょうど一年前、高校三年の十二月に聞いた話だ。

 師走、という言葉の語源を、言語歴史が好きな友人が語ってくれたのだ。

 師匠も走るほど多忙な時期、という説が有名だけれど、四季が果てるという意味の四極(しはつ)とか、年が果てるという意味の年果(としは)つが転じたものだ、という説もあるらしい。

 学会ではどの説が有力と教えてもらっただろうか、今ではよく思いだせない。

 しかし、我が家に限っては「師も走る」はないんじゃないのかな、と思う。

 

 

「ヌバタマー。オリベさんどこにいるか知らない?」

 階段を小刻みに軋ませて一階に下りるなり、テーブル拭き掃除中のヌバタマに声を掛ける。

 だが返事を聞く前に、口をへの字に曲げるヌバタマの表情で、おおよその察しは付いてしまった。

「ごめんなさい、逃げられました……。さっき『女の子ひっかけついでに漫画を立ち読みしてくる』って言って」

「どーりで見つからないと思ったら……今日はミーティングって言ってたのになあ」

「二人だけでやりますか?」

「そうだな、始めよう。……あの人見てると、今月は師走というより、師ナンパとか、師漫画って気がしてくるよ」

 客席に座り、テーブルに突っ伏しながらボヤく。

 それが許されるほどに、この日の夜咄堂に客はいないのだ。

 

 

 ――師走である。

 大学は休みに入るが、どうにか留年は回避できそうなところまでこじつけた。

 さあ、今度は他のこと手を付ける番だ、と意気込みはしたものの、いざ時間ができると、やるべきことの多さに気が滅入ってしまう。

 まずは、集客。

 笠地蔵カムヒア! というほど酷くはないけれども、客足はいまいち伸びていない。

 夜咄堂を経営し始めて半年以上こんな状態では、さすがに千尋も焦りを覚えるようになってきた。

 ……でも、これはまだ解決する可能性があるから、マシである。

 

 箸にも棒にもかからないのは、シズクの件だ。

 あの日以来、シズクは一度も顔を見せに来ない。

 こちらから浄土寺に足を運んでも、やっぱり見つからない。

 オリベは大丈夫だと言っていたけれど、やはり一ヶ月も姿を見ないと不安になってくる。

 もしかしたら、店に来ようとしたが、その時に気力が尽き果てた、なんて可能性もあるんじゃないだろうか……、

 

 

「ねえ、千尋さん。聞いてます?」

「あ……すまん、なんだっけ」

「集客案ですよ。一つ、良い案を思いついたんです」

 ヌバタマが両手を組んで、目を輝かせながら言う。

 千尋もいったんシズクの件を棚上げして、椅子に深く腰掛けなおした。

 

「で、どんな案なんだ」

「お茶会を開くんですよ。夜咄堂で!」

「へえ。お茶会か」

「知人を呼んで終わり、みたいなものじゃなく、本格的に開催するんです。夜咄堂はお抹茶の喫茶店だと多くの人に知ってもらえば、人気が出るかと!」

「ふーむ……」

 ずっしりと腕を組み、ヌバタマの言う状態をシミュレーションしてみた。

 

 現時点での夜咄堂のウリといえば、瀬戸内の絶景と、茶室くらいだ。

 でも、千光寺山には他にも喫茶店があって、絶景は夜咄堂だけのものじゃない。

 とすると、残された茶室を使うのは悪くない気もする。

 それで集客に成功しても、増えるのはお茶に興味がある客だけだろうから、いきなり大人気店に! なんて事はないだろう。

 でも、少数とはいえガッチリ掴めるのは悪くない。……いや、そもそもそんな選り好みができる状況でもないのだ。

 

 

「……悪くないかもな」

「でしょう、でしょうっ!?」

 ヌバタマが自分の案に小さく拍手する。多分、集客どうのでなく、茶会を開ける方が嬉しいのだろう。

「ただ、俺、お茶会って、開くどころか参加した経験さえもないんだよ。何を準備して、何をやればいいんだ?」

「それはもちろん、私達が補佐しますから。まずお茶会といっても、お茶を飲むだけの席じゃないんです。お炭の準備を拝見して、懐石料理を頂いて、お濃茶(こいちゃ)を頂いて、最後にお薄茶を……」

「あっ、駄目だ、駄目。そんなにたくさん覚えられないよ」

「これは完全にやる場合です。お薄茶を頂くだけの席でも立派なお茶会ですから、それで良いと思います。新しい点前を覚えたりしなくても大丈夫ですよ」

「なんだ、驚かせるなよ」

「でも、簡単というわけでもありません。いいですか……」

 ヌバタマはそう言って立ち上がると、カウンター裏の棚から紙とペンを取り出して「準備」の文字を書いた。

 

 

「一度に全部教えても混乱しますから、今は準備の話だけ。お茶会は、本番と同じくらい準備が大切なんです。まずはお茶会の主題を決めなきゃいけません。季節に応じたお花見とか、その年の釜始め……つまり、初釜とかですね。そんなのが主題になります」

「行事に合わせて、お茶を頂くってわけか」

「はい。主題が決まったら、今度は道具決めですけれど、何でもいいわけじゃありませんよ」

 ヌバタマは「準備」の下に、次々と文字を書き連ねながら言う。

 掛物(かけもの)、花、花入、香合(こうごう)敷帛紗(しきぶくさ)、釜……そんな項目が二十は並んだだろうか。

 そんなに無理に書かなくても、と制そうとも思ったけれど、紙と格闘するヌバタマの口は大いに緩んでいて、千尋は口を挟めなかった。

 

 

「……はい、お待たせしました。お茶会ではお薄だけでも、これだけの道具が必要になります」

「……これ、本当に全部揃えるの?」

「はい。これら一つ一つに、主題とか、お客様との関わりを持たせなきゃいけません。いいですか、千尋さん。お茶会は、開くんじゃないんです。作るんです。抜けがないように組み立てるんです」

「頭が破裂しそうだな……」

「破裂するくらいでいーんです。一生懸命考えた方が、楽しいじゃないですか」

 ヌバタマが弧を描いた目で言う。

 見慣れた表情とはいえ、今でも時々、彼女の笑みには、はっとさせられる。

 薄暗い夜咄堂に、突如咲いた花のような笑顔で、先の言葉は続けられた。

 

 

「我々としては、どうすればお客様に喜んで頂けるのか考える楽しみがあります」

「お前、そういうの好きそうだしな」

「お客様としても、道具の意図をあれこれ想像しながら亭主と話すわけです。そうしたら、お茶席での会話にも深みが出てくると思いません?」

「……そう、だな。そうかもなあ」

 

 話を聞く限りでは、色々と面倒臭いのだろうな、とは思う。

 まだお茶を始めて一年にもならない自分がやる事じゃない、という気もする。

 だと言うのに、ヌバタマの言葉は妙に千尋の好奇心を揺さぶってきた。

 お店の宣伝ができればそれで良かったのに、まったく困ったものである。

 

 

「やってみるか。お茶会」

「オリベさんも同意してくれればですけれど、是非やりましょう! ……ふふっ」

「どうかしたか?」

「いえ。千尋さんも変わったなと。最初に会った時はお茶なんか嫌ってたのに」

「ほっとけ」

 口をとがらせながら、立ち上がる。

 からかわれるのは恥ずかしかったし、用事もあったのを思いだしたのだ。

 

「ちょっと出てくる」

「あら。どちらへ?」

「小谷さんの赤備で年末年始のお茶菓子買っとかないと。留守番宜しくな」

「いってらっしゃいませ。あっ、お茶会の時期や主題は常々考えておいてくださいね。これが決まらないと、何も始まりませんから」

「季節ネタでいいんじゃない? 四月頃に花見茶会、みたいにさ」

「結果としてそうなるにしても、そうする意図が大事ですよ。だって……」

「あー、分かった分かった」

 

 軽く手を振って、夜咄堂の玄関を開けようとする。

 すると、玄関のガラスにうっすらと映った自分の顔が目に入った。

 ……この男、無意識に笑っているじゃないか。

 別に気にする相手はいないのに、また恥ずかしくなってくる。

 師走の寒風も相まって、千尋はこの上なく顔をしかめて、店を出るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 この日の赤備には、年末年始用の商品がずらりと並んでいた。

 お餅やら、新春用の生菓子やら、おはぎやら……そして、その中に混じった「花びら餅」を目にした千尋は、我が目を疑ってしまった。

 半透明の薄い餅でピンク色の餡を挟んだ、いかにも新春らしい紅白柄の餅で、そこまではいい。

 一体何を考えているのか、細く切ったゴボウまで一緒に挟んでいて、それが角のように餅からはみ出ているのである。

 

 商品傍にあるポップの説明書きを見ると「硬い物を食べて、齢も固める」という理由で、平安時代の新年行事として振舞われた餅が由来で、今では茶道用の菓子らしい。

 面白いものを考えつくもんだ、と思いながら餅を眺めていると、以前と同じく、初老の販売店員が声を掛けてきた。

 

 

「あらあらこの前の! いらっしゃい。あの時は春ちゃんをありがとうねえ」

「こちらこそ、春樹さんにはお世話になっていますから」

「謙遜しなくてもいいのよお。春ちゃん、調子が出てきただけじゃなく、豊ちゃんとも仲直りしたんだよ。それもこれも、坊やのお陰だってね。春ちゃんからちゃーんと聞いてるよ」

 どうやら、小谷からは買い被られているようだった。

 大したことしていないのになあ、なんて思っているところへ、店員は手招きして「春ちゃんに会って行きなさい」と誘ってくれる。

 むげにするのも気が引けて中に入ると、ちょうど応接室から出てきた小谷春樹と鉢合わせした。

 

 

「……お、千尋君。……遊びに、来たのか?」

 いつものとつとつとした口調で、しかし好感の色をにじませながら小谷が言う。

「いや、まあ、なんというか……」

「……ああ。また亀井の婆ちゃんか……でも、断らないでくれてどうも。さ、中に」

 小谷の誘いを受けて応接室に入り、ソファに腰掛けると、小谷はすぐに緑茶を振舞ってくれた。

 湯呑を両手で握るだけで、空風で冷えきった体に熱が戻ってくる。

 

「気を遣わせちゃいましてすみません」

「……いいんだよ。最近は、どうだい?」

「夜咄堂が、ですか?」

「あ、うん」

「それが、いまひとつなんですよね。お茶会でも開いて集客できないかな、なんて話はでてきましたが」

「……考えたな。夜咄堂ならではだね」

「ですけど、まだなーんにも決まってないんです」

「……じゃあ、生菓子も未定かい?」

「それもこれからでして。あっ、良かったら小谷さんに作ってもらえないかな……」

 今思いついた事だったが、妙案だと思う。小谷の腕なら全面的に信頼しているし、なんの問題もないだろう。

 

「……ふむ」

 小谷は重々しく頷くと、何も言わずに立ち上がって、厨房へ行ってしまった。

 ソファに腰掛けて室内をおもむろに見回していると、小谷はすぐに盆を手にして戻ってくる。

 盆の中を覗き込むと、桜の形をした生菓子が菓子器に載っていた。こっちの方がよっぽど花びら餅っぽい。

「……これ、生菓子」

「分かりますよ」

「どうぞ、食べてくれないか」

「そんな。本当に気を遣わないでくださいよ」

「いや……是非。春用のお茶菓子の試作テストを兼ねているから」

「……でしたら」

 

 

 そうまで言われたら、断るのも悪い。

 まずは目で楽しもうと、菓子器に乗った生菓子を見つめれば、桃色の主張が強烈で実に目を引いた。

 食べてしまうのがもったいない気もしたけれど、思い切って一口で頬張ってしまうと、この前食べた引き出物同様に、これまた美味い。

 ケチのつけようはどこにもなかった。

 

「……どうだい?」

「んぐ……っと。ごちそうさまです。いけますよ、とても美味しいです!」

「見た目は?」

「見た目も最高だと思いますよ。鮮やかですし、お茶席ではめだつと思います」

「……だったら、五十点だな」

 小谷は難しい顔をして頭を左右に振った。

「五十点……? 見た目も味もいいのに、ですか?」

「ああ。菓子としては良くても、お茶菓子としては駄目だ。……めだちすぎるんだよ。和菓子と菓子器は、人間と衣のようなもの。……どちらかが過剰にめだつと、もう片方が死んでしまうからね」

「そんなもの、なんですか」

「……お茶会で俺の和菓子を求めてくれるのは、嬉しいよ。……でも、まずはテーマを決めた方がいい。その後で、付随する菓子器を先に決めるんだ。……菓子だけじゃない。花にも、抹茶にも言える。……最後に、俺がふさわしいか考えてみてくれ」

 

 

 小谷が重々しく語る。

 短い言葉が多い小谷にしては随分と多弁で、それだけ千尋の心にも響いてきた。

 茶会は主題一つが、まるでドミノ倒しのように幾多の要素に絡んでくるのだ。ヌバタマが重要性を解こうとしたのも理解できる。

 

「……頑張れよ」

「はい」

 身じろぎもせずに、はっきりと返事をする。

 同時に、主題という課題が改めて圧し掛かってきたのを、千尋は感じ取っていた。


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