尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十三話『凛とした影の人 その四』

「嘘はついていないのですけれども、大変失礼致しました」

 シズクが、また緋毛氈の上に正座しながら言う。

 オリベも同じように客席の端に座したので、千尋とヌバタマも対面の畳に座ると、シズクはそれを待ってから話を続けてくれた。

 

 

「さて、どこから話しましょうか。あっ、まずは自己紹介ですよね。オリベさんの言われたとおり露滴庵の付喪神、シズクと申します」

「今日見た茶室の……どーりで、詳しいはずですね」

「あの時は自画自賛みたいになって申し訳ありません」

「いえ。ところでシズクさんは、あそこで何をしていたんですか?」

「そちらでしたら、お話した事に偽りはないんです。……そうですね。あの方との件も含めて、昔の事からお話ししましょうか。……あっ、お抹茶、頂きますね」

 すっかり忘れていた抹茶碗を手に取ったシズクは、慣れた手つきで口にする。手首が折れ曲がっていない、綺麗な扱い方だ。

「あ……お服加減いかがでしょうか?」

「大変結構でございますよ。……さて、落ち着いたところで」

 視線が、千尋に届く。

 シズクは、自分だけをただ真っすぐに見つめていた。

 

 

「……実は私、人間を恨んでおりました」

 その一言に、千尋は思わず目を見開いた。

 しかし、シズクの口調はこれまでどおり柔らかいのにすぐ気が付き、緊張を解く。

 そんな千尋を更にほぐすかのように、シズクはゆっくりと語ってくれた。

 

「ご存知のとおり露滴庵は、内装非公開の茶室です。数年毎に特別な茶事で公開されることもありますけれども……でも、私は辛かった。茶室として生まれたのに、どうして使ってくれないんだろう……なんで、皆遠くから見ているだけなんだろう……毎日そう嘆き、人間を恨んでいたのです」

「……嘆く気持ちの方は、分かる気がします」

 ヌバタマが唇を噛みしめながら言う。

 それでも、当のシズクは温和な表情を崩さなかった。

「そうして人を恨み続けたある日、私は今の身体を得ました。茶道具の付喪神ならば茶人の気力を得て付喪神になるのですけれども、そうではなく、一般的な道具のように、人を恨む力によって付喪神になったわけですね」

「………」

 

 

「……ですけれども、身体を得て間もない頃、あの方にお会いしたのです」

「下で聞いた男性、ですね」

「ええ。……あれは露滴庵が茶事で一般公開された日でした。戯れに、客に紛れて人間を観察していたのですが、随分と楽しそうに内装を見ている男性がいたのです。色紙窓も、段差のある落天井も、貴人の間を示す黒漆の床框も。……正客よりも熱心だったもので気になって、茶席の後で思い切って声を掛けたのですよ。『あんなに大物ぶるばかりの茶室の何が良かったんです?』って、自虐的に。……ふふっ。そしたらあの方は……」

 シズクが、一度言葉を切った。

 そこに大切な宝物でもあるかのように、胸に手を宛がう。

 一呼吸置いてから、先の言葉は出てきた。

 

「……あの方は『勿体ぶるのが良い』と言ってくださったのです。勿体ぶるのは、文化的、歴史的な価値があるからだ。確かに日常使いの方が、物は生きるのかもしれない……でも、物の価値はそれだけじゃない。姿を残し続けるからこそ価値がある場合もある……そう、言ってくださったのです」

「それが……下で言っていた『自分探し』と、その答え……」

「そのとおりです。……男性とは、その後も一度だけ会いました。しかし、以降は寺に顔を見せることがなくなり、現在も、あの人の凛とした影を追い求めているのです」

 

 

 話は一段落したようで、シズクが小さく息を付く。

 千尋には、彼女の慕う気持ちがなんとなくわかった。

 自分は、まだそんな人と出会ってはいない。

 でも……似た思いを寄せ合っている人々ならいる。夜咄堂の付喪神達だ。

 父を亡くした時に、心の支えになってくれた彼らは、家族のように大切な存在だし、向こうもそう思ってくれている。

 

「なるほど。お話は分かりました。……でも、そう言ってくれれば良かったのに。凄く驚きましたよ」

「ごめんなさい。夜咄堂に案内して頂いた時点で、付喪神をご存知か、或いは付喪神そのものだと予想はできたのですが……確信はできませんで、下では全て話せませんでした」

「それもそうか。……ああ、夜咄堂は知っていたんですね」

「はい。男性を探す最中で、先代の宗一郎さんやオリベさんと知り合いまして。あの頃はヌバタマさんは、まだ生まれてなかったようですね」

「まだロビンも生まれる前の話だな。ヒャッヒャッ!」

 オリベが笑いながら膝を打つ。何が面白いのだろうか、と思ったが、面白くなくても笑うのが彼なので、いちいち追究はしなかった。

 

 

「あー、そう言えば、前にロビンが『この町の付喪神は自分達だけだ』と言ってましたけど、生まれる前の交友なんで、知らなかったのか」

「私も知らない名前ですから、そうなのでしょうね。……それに、近頃の私は、浄土寺山からあまり離れませんから、知り合うきっかけもありません」

「具合でも悪いとか?」

「そのようなものかもしれませんね。天寿です」

 シズクは、さも当然の如く淡々と言ってのけた。

 

「付喪神が昇天するには、仏教を学んで徳を積む必要があります。その点、茶道具の付喪神は、徳の代わりに人をもてなし続けることで昇天しますよね」

「それも夜咄堂のように、特別な力がある場所が必要と聞いています」

「ええ。……ですが、私にはどちらの選択肢もありませんでした。まず、寺に置かれていたので、仏教の知識は自然と身について学ぶ必要がありませんでした」

「なるほど」

「かといって、付喪神としての生まれ方が違うからか、人をもてなしても効力はなかったのです。……そこで、見かねた茶道具の神様が『茶道を学ぶ』という特別な課題を与えてくださったのです。……実をいえば、あの人に会いたい、人間界に留まりたい気持ちもありましたが、課題を無視するわけにもいきません。そうして茶道を学び続けて何年でしょうか……今では、もう十分学んで、昇天してしまう程です」

 

「シズクさん、いなくなっちゃうんですか……」

 ヌバタマが寂しそうな声を出す。

 だが、シズクは首を縦にも横にも振らなかった。

「そうしないと、私達は天に還れません。そうでしょう?」

「それはそうですけれど、せっかく会えたのに……」

「ヌバタマさん、ありがとう。でも、あとほんの少しだけ、一緒にいられますよ」

「えっ?」

「茶道を学び終えた時点で私の身体は消滅しかけましたが……やってみるものですね。強く拒否の意思を持つことで、この世に留まれました。本体の露滴庵がある浄土寺山から大きく離れると、気力がもたなくなるのは難点ですけれど。……一つだけ。私には、たった一つだけ心残りがあります。それまではここに残ると、今も神様に抗っているのですよ」

 

 

 答えは、聞かずとも分かった。

 それでも、聞かなくちゃいけないと思う。話の流れがそうなっているからじゃない。その人を口にする事が、シズクにとっての活力になるような気がしたのだ。

「凛とした影の人……」

「はい。もう一度だけ会って話せれば……いえ、話せなくとも。一目見るだけでも、私にはもう思い残しはありません」

 

 シズクは静かに微笑みながら言った。

 どうして笑うのだろうか。

 一目だけだなんて。

 思い残しはないだなんて。

 どうして、寂しいことを言うんだろうか。

 それほどまでに、その人の影を追い求めているとでも?

 切なさが言葉になって喉からこぼれかけて……しかし、それは出てこない。

 

「シ、シズクさん!?」

 ヌバタマが悲鳴にも似た声をあげる。

 シズクの体が、無数の光球を纏いながら、突如薄らぎ始めたのだ。

「今日は、もう限界みたいです」

「限界って、まさか、もう天に……」

「いえ、しばらく休めば大丈夫なはずです。……また会えますから」

 シズクの体は、なおも薄らいでゆく。もはや輪郭は認識できなくなっていた。

 

「どうして、そうまでして夜咄堂に……」

「どうして、ですか? どうしてでしょうね」

 体の変化もいとわず、ふと、シズクは考え込む。

 彼女と、本当にまた会えるんだろうか。余計な事を聞いてしまったんじゃないだろうか。

 自身の発言を顧みた千尋が、前言を撤回しようと考えた瞬間、シズクの続く言葉が零れ落ちた。

「……きっと、誰かに聞いてもらいたかったのです」

 日常会話のような、のほほんとした返事。

 ……そして、その一言と共に、彼女の姿は消え去ってしまった。

 

「オ、オリベさん! シズクさん、消えちゃいましたよ!」

「……多分、大丈夫だろう。我々が天に還った時には、一瞬で消え去った。消え方が違う。一時的に露滴庵に戻っただけのはずだ」

 うろたえるヌバタマを安心させるかのように、オリベは抑揚の利いた声で言う。

 言われてみればそのとおりで、千尋も内心胸を撫でおろしはしたけれど、心中には別の感情が渦巻いていた。

 

 ――彼女の最後の望みは、このままじゃ成就しない。

 半日も活動できないほどに消耗している上、浄土寺山からも遠出できないんじゃ、人探しなんてろくにできないはずだ。

 第一、突然会えなくなった探し人が、まだ尾道にいるのかどうかも怪しい。加えて言えば、彼女があとどれだけ現世にいられるか……タイムリミット問題もあるのだ。

 そう。このままならば。

 

「……今度会えた時には」

 千尋が、ぽつりと呟く。

 強い決心を胸に秘めながら立ち上がり、窓の外に広がる尾道の光景を一瞥した。

 

 今度会えた時には、もっと話を聞かなくちゃいけない。

 それは、哀愁に浸る為じゃない。

 だって、その人のことをもっと知らなきゃ、代わりに探せないじゃないか。

 この町のどこかに、まだいるのだろうか。

 いまだ見ぬ、凛とした影の人は。


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