尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第十二話『曜変天目茶碗 その四』

 板張りの階段が軋む音がする。

 三人目の客を先導して階段を上がった千尋は、客に気づかれないように小さく深呼吸しながら、茶室の前に座した。

「失礼します」

 茶室の障子をそっと開け、体を横に引いて三人目の客、小谷春樹を中へ通す。

 彼は茶室内を見るなり息を飲みこんだようだったけれど、それは既に中で待っていた小谷豊も、同じだった。

 

「……豊」

「兄貴! 何でここに……」

 狼狽の色は、明らかに小谷豊の方が大きかった。

 兄そっくりの三白眼で、七年ぶりに再会する兄をしっかりと見据えている。だが、その目はすぐに、隣に座るもう一人の先客、立島へと向けられた。

「真樹子。お前の仕業なのか? お前がどうしてもと言うから来たが……そういう事なのか?」

「違います、豊さん。私が頼んだんです」

 真樹子の代わりに、千尋が答える。

 茶室中央の炉を挟んで、豊が睨みつけてきたが、千尋は怯まずに言葉を続けた。

 

「私が立島さんに頼んで、連れて来てもらったんです。もちろん、春樹さんを呼んだのも私です。立島さんはただ事情を知っているだけです」

「千尋君、余計な事しないでくれ。俺は兄貴なんか……」

「豊君。お願い、話を聞いて」

 立島が豊を諭すように、静かに頼み込む。

 二人を茶室で和解させる……その提案に立島が賛同してくれたのは心強かったし、現に今も、彼女の一言で豊はトーンダウンしたようで、渋々ながらも腰を戻した。

「春樹さんも、どうぞお座りください。話の前に、まずは一服差しあげますので」

「……むう」

 

 春樹も動揺していないわけじゃなかったけれど、反論はせず、豊の隣に座った。

 なんとか最初のハードルは超えたが、まだまだこれからだ。

 水屋に戻って必要な道具を手にした千尋は、改めて茶室前に座して一礼した。

 

 

「一服、差しあげます」

 茶事の始まりを宣言しつつ、この後の流れを頭の中で整頓する。

 

 ――実のところ、茶を振舞うまでの流れは、そう難しいものじゃない。

 まずは、今日これから使う道具を、客の前で清めてしまう。

 次に、抹茶と湯を茶碗に入れ、茶筅(ちゃせん)でかき混ぜれば、もうお茶が点つ。

 最後に、もう一度あらかたの茶道具を清めて、撤収するだけだ。

 もちろん、細かい手順や注意点は存在するのだけれど、千尋では頭が追い付かず、大別した流れを確認しているに留めている。

 慣れた点前なら、いちいち考えずとも良い。だが、秋冬の季節だけ使用する()の点前は、まだ始めて間もないのだ。

 

 

「お楽に」

 釜の前に座して、客にリラックスするよう告げつつ、失敗を恐れるのを止める。

 それから決められた点前通りに、抹茶容器の(なつめ)茶杓(ちゃしゃく)を、腰に付けた帛紗で清める。

 点前と並行して、何度か雑談じみた会話を持ち掛けたけれど、小谷兄弟は殆ど反応を示さなかった。やっぱり、簡単に打ち解けてもらえる件じゃない。

 だが、千尋とて抜かりはなく……いよいよ室内の空気が重くなったところへ、一の矢が入ってきた。

 

「お菓子でございます」

 菓子器を手にしたヌバタマが茶室に入り、今日の茶菓子の白饅頭を出した。

 やや大き目の作りで、一口で食べるのは難しいが、黒文字で切る程のものでもない。お菓子をどうぞ、と一声掛けると、三人はまず半分を直接口にした。

 ……そして、殆ど咀嚼しないうちに反応は表れた。

 

「お、おい兄貴、この味は!」

「……ああ。親父の餡だ」

「兄貴か? 兄貴が作ったのか?」

「……俺じゃない。しかし、親父とはどこか違う様な」

「お二人とも、さすがですね」

 千尋は小谷兄弟に向き直りながら言う。

 

「今日の饅頭は、お二人の父の味を再現致しました。商店街の三笠さんに、特別に作って頂いたものです」

「三笠のじっちゃん……そっか。長く会ってないけれど、元気だったんだな」

「お元気ですけれども、店は近日閉められるそうです。なので無理なお願いでしたが、事情を話すと快く引き受けて頂けました。……お二人の父と三笠さんは、昔は互いによく研究しあったそうですね。完全再現とまではいかないが、近いものができた……そう聞いていますが、お味はいかがでしょうか」

「……決まってんだろ! うまいよ、最高だよ! 俺には作れねえ味だよ!」

「……豊」

「それに、うう、親父……」

 悪態をついた豊の声が、次第に声が小さくなる。

 その先を代弁するように、今度は春樹が、残った饅頭の断面を見ながら言った。

 

「……本当に、懐かしい。それに、内面の三色餡。白砂糖で作った餡を鮮やかに染めてある。見た瞬間、地味な白饅頭が一気に華やぐ……俺にはない創意だ……」

「これを作った時に、三笠さんはこう言いました。三色がまるで小谷一家みたいだ、と。中央の黒餡目指して、外側二色の兄弟も頑張れ、と」

「親父を……」

「目指して……」

 小谷兄弟は、二人して食べかけの饅頭を見つめ続けた。

 だが、それだけだ。何か感じるものはあった様だけれど、それ以上動く事はない。やっぱり『日々是好日』で、最後の一押しが必要だ。

 

 

「お茶、ご用意しますね」

 千尋はそう告げると、今日の茶碗……曜変天目茶碗に抹茶を移した。

 抹茶の香ばしい匂いを感じつつ、湯も入れて、茶筅で茶を点てる。

 まずは、底の抹茶を溶かすように。

 その後で、湯面に気泡を作り出すように。

 早すぎず、遅すぎず。

 点前への緊張を悟られないように。むしろ、魅了するように。

 ヌバタマに習った茶筅捌きを、どこまで実行できているのか、自分では分からない。

 ただ、できあがった、渋みのある薄茶は、見た目にはそれなりの様に感じられた。

 

 

「お薄でございます。恐縮ですが、春樹さんの分ができるまで、お待ち頂けますか?」

「……おう」

 豊の同意を得たところで、ヌバタマが茶碗を彼の前まで運ぶ。

 それと並行して、もう一碗の曜変天目で茶を点てて、すぐに春樹にも茶を出した。

 立島には待ってもらう事になるけれど、協力者の彼女には事前に「待ってほしい」とだけ説明していた。

 

「どうぞ」

 千尋の一言を合図に、二人は茶碗を煽る。

「……お二方、お服加減、いかがでしょうか」

「大変結構でございます。……このお茶碗は?」

 答えたのは、春樹の方だ。

 この一言を待っていた。茶事とは、一方的に客をもてなすだけじゃない。その日の茶道具に関する会話をしなくてはいけないのだ。

 その点、茶道の経験がある小谷なら、このタイミングで茶碗について聞いてくると思っていた。

 そして、この説明は……『日々是好日』には欠かせないものなのだ。

 

「曜変天目茶碗でございます。最近、立島さんのお店から購入した物でして」

「そうでしたか。綺麗ですね。吸い込まれるような黒と水滴模様だ」

「ええ、本当に。……春樹さん。この模様は、狙って作れないと、ご存知でしたか?」

「……なんとなく、聞いた事があるような、ないような」

「天目茶碗には、長い歴史があります。中国の宋代には既にあったそうですから、ざっと千年でしょうか。その歴史がありながら、未だに狙えないのですよ。……でも、世の陶芸家は諦めず、曜変天目茶碗に挑む。私は、そこには勇気があると思います」

「勇気……?」

「ええ。陶芸家にとっては茶碗一つでも大事な収入です。失敗すれば、その一つを台無しにする可能性があるのに、挑んでいるのです」

「………」

「それは、単に珍しい器を作りたいだけじゃないと思うのです。言ってみれば、陶芸の歴史への挑戦ではないでしょうか。……私は、それを勇気だと思うのですよ」

 小谷春樹に茶碗の良さを語りつつ、兄弟の悩みに思いを馳せる。

 

 これもまた『日々是好日』発動には不可欠だ。

 客の悩み。茶道具の良さ。千尋が作り出す良き茶席。最後にトリガー役……茶室隅に控える付喪神、すなわちヌバタマ。

 この四つの条件が揃う事で、夜咄堂に込められた能力『日々是好日』は発動するのだ。

 

 

 

「勇気か。俺は……」

 どこか諦めさえ漂う春樹の姿が揺らいだが、錯覚だ。

 彼を中心として、茶室の中に白い光が広がっていった。

 同時に、心をゆりかごであやされるような暖かみを感じ……それらは、一瞬にして消滅してしまう。

 事情を知らぬ者は、ほんの一瞬、めまいだか眠気だかが訪れた、くらいにしか思わないだろう。

 しかし、確かに発動した『日々是好日』は、そんなものじゃないのだ。

 

「……いや、俺も、勇気を持たないとな!」

 春樹の声は、活気に満ちていた。本当に彼は口下手だったのかと思う程だった。

 これこそが『日々是好日』の力。

 能力が発動すると、客の感受性が急激に高まる。そのお陰で、普通なら分かりにくい茶道具の良さを理解してもらい、最終的には、その良さが客の悩みを払拭する。

 茶寮・夜咄堂でだけ使える、奇跡の力なのだ。

 

 

「なあ、豊」

 春樹が変わらぬ声で弟を見つめると、対する豊も、憑き物が落ちた様な表情で視線を返している。どうやら、能力は兄弟それぞれに発動したようだった。

「兄貴……」

「立島さんに……いや、もう真樹子さんと呼ばなきゃな。彼女に事情を聞いてから、俺はずっと、お前に言いたかった事がある」

「ああ」

「お前の不安を汲み取ってやれずに、すまなかった。二人きりの肉親なのに……兄なのに……本当に悪かったと思っている」

「兄貴、俺は……」

 豊の言葉が尻切れトンボになる。言葉の代わりに、彼は下唇を噛んで顔を伏せた。

 

「いや、いいんだ。許して貰えなくても、仕方がない」

 春樹が寂しそうに微笑んだ。

 寂しさが、伝わったのだろうか。豊ははっと顔を上げた。

「違うんだ、兄貴! 俺も……ずっと兄貴に謝りたかった……!」

「そうか。……なあ、豊。……結婚おめでとう。幸せにな」

「兄貴ぃ!」

 豊の涙腺が、一瞬で崩壊した。体当たりでもするかのように春樹に抱き着き、春樹もまたそれを受け止める。

 

 彼らの姿は、大いに心を揺さぶってきた。千尋まで感極まりかけたが、目頭を抑えて涙をこらえる。

 確かにこれは千尋の絵図どおりだ。だというのに、どうしてこうも涙が押し寄せるのだろう。

 ふと、オリベの言葉が頭に浮かび上がる。

 

 ――人間とは難しい生き物だ。

 涙の理由も、それなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 小学校に入って間もない頃、映画を観に行く父に強引に着いていった記憶がある。

 父は「お前が観ても分からない」と言ったが、それでも父の真似をしたかったのだ。

 通好みのレトロな映画を流す映画館で、シアタールーム以外の場所も全体的に薄暗かった気がするが、なにぶん昔の事でうろ覚えだ。

 映画のタイトルや内容に至っては、もう殆ど思い出せない。父の忠告どおり、よく理解できなかったのも一因だろう。

 ただ、一つだけ覚えているシーンがある。

 あれは、そう――

 

 

「へえ……秋晴れの花嫁行列か。綺麗に撮れていますね。なんだか良いものを見た気がします」

「おやおや、千尋も情緒ある言葉を吐くもんだね」

「むう……いけませんか?」

「ヒャッヒャッ! 良い事、良い事! 成長が嬉しいのだよ!」

 オリベの甲高い笑い声が、夜咄堂の一階に響き渡った。

 一応は褒められたのだろうけれど、なんだか、子供が作文を発表した後のような恥ずかしさを感じて、千尋はつい舌を出してしまう。

 そんなやり取りが面白かったのか、小谷春樹は苦笑しながら、花嫁行列の写真を二枚、三枚とテーブルに並べていった。

 秋の紅葉の中、静かに微笑む白無垢の立島はとても美しい。私服姿を知っているからだろうか。知人の花嫁姿は、普通の花嫁よりも三割増しで綺麗に感じられた。

 

 

「でも、春樹さんも式に参加できて良かったですね」

「……ん。短い期間だったけれど、七年ぶりに一緒に暮らす事もできたしね」

「もう東京に戻ったんでしたっけか。ちょっと、寂しいですね」

「……これからは、会おうと思えばいつでも会えるさ。それだけじゃなく、互いに切磋琢磨もできる。これも、千尋君が茶席で勇気づけてくれたお陰だよ」

「いや、俺なんて……」

「心から、感謝している。ありがとう」

 小谷が深々と頭を下げてくる。

 本当に大した事はしていないのに、なんだか申し訳ない気がした千尋は、テーブルの隅に置かれた紙袋に話を振った。

 

「そうだ。引き出物と同じ和菓子、作ってくれたんでしたっけ」

「……ああ、そうだったね」

 小谷が紙袋の中から、小さなプラスチップパックを取り出した。包まれているのは、取白い餡子の球体だった。

「丸い」

「……うん、頑張って丸くした」

 千尋のストレートな感想にも、小谷は真剣に答えてくれる。

 

 

「……玉の岩だよ。千光寺の玉の岩を知っているかい?」

「聞き覚えはあるんですが……なんでしたっけ」

「……千光寺の隣には大岩があって、そこに玉のような岩が乗っているんだ」

「ああ、大岩は分かります。でも、玉までは見落としてたな……」

「……実はこれには昔話があるんだ。今の玉岩は近年乗せられたものだけれど、昔は本当に光る岩が乗っていて、瀬戸内海を行く船を照らしていたそうだ」

 子供に語り聞かせるような口調で、小谷は言う。強面の分だけ釣り合いを取るような、優しい声だった。

「それを欲した船乗りが海に落として、尾道には『玉の裏』という別称が付いたそうだし、千光寺という輝かしい名の由来にもなった……ただそれだけの昔話だよ。でも、千光寺に関する物なら、引き出物には最適だと思ってね。なんたって千光寺は、縁結びのパワースポットとして知られている」

「山頂には出会いの広場とかありますもんね。なるほど、面白い事考えましたね」

「まだまだ、親父には程遠いけれどね」

 小谷は謙遜しながら、プラスチックの蓋を開ける。

 

 

「……お一つどうぞ。千尋君にも良縁が来るといいね」

「俺、まだ十九歳ですよ?」

 そう答えながら、口の中に放り込む。舌で押し潰すと餡子の濃厚な甘みが、一瞬にして口中に広がった。

 それを押し留めて堪能するように、何度もゆっくりと咀嚼する。これなら、普通に売り出しても、きっと人気商品になるだろう。

「……まだ未成年なのか。大人びているから、もうちょっと上かと。それなら、俺の方が先にならないとな」

「小谷さんには、恋人は?」

「……いないさ」

 口下手だけれども、彼は心優しい人だ 。恋人くらいいてもおかしくなさそうだが……そうだとしても、今は仕事がしたいのだろう。

 いや、他人事じゃない。考えてみれば、自分だって、今は色恋沙汰より店の経営について考えなきゃいけない時期だ。なんとも世知辛い……。

 

 

 

「皆さん、お待たせしましたー!」

 ヌバタマが元気よく厨房から出てくる。

 彼女が運んできたトレイには、人数分の薄茶が載せられていた。

「おー、ご苦労さん。うむ。なかなか良い泡立ちだねえ」

「オリベさん、感心してないで皆さんに回してくださいよお」

「ヒャッヒャッ! りょーかい!」

「あ、俺も手伝うよ。和菓子用の黒文字取ってくる」

 自身の今後に思い悩んで、付喪神達にばかり働かせるわけにはいかない。

 かくして、和気あいあいとした秋の一時が始まるのであった。


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