尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第二話『軟派野良犬ドーナツを喰らう その二』

「犬が喋った……?」

「犬じゃねぇよ。ロビン、ロビン」

「いや、そこはどうでもいいが」

「それじゃあ、他に問題でも?」

「問題というか、どうして犬が喋るんだよ」

「喋るのが悪いのか。分かった、喋らねえよ。I don't speak Japanese.私日本語シャベリマセーン」

「え、英語まで喋るのか……」

「おいおい、そこは『日本語喋ってるじゃないか』と突っ込むところだぞ」

 

 犬と漫才を繰り広げる。

 人間と漫才をする機会でさえそうあるものではないのに、よりにもよって犬。

 極めて珍しい体験ではあったが、千尋の心中はそれ程掻き乱されていなかった。

 付喪神(つくもがみ)と既に遭遇していた事で、非現実的な出来事への免疫ができているのかもしれない。

 ただし、付喪神よりは喋る犬の方がよっぽど奇妙に感じられた。

 その上、ナンパに行きたいだの、夜咄堂(よばなしどう)を売れだのと言い出すのだから、奇妙極まりない。

 

 

 

(待てよ。この犬、もしかしたら……)

 ふと、閃いた。

 犬が喋るという最大の謎をいったん棚上げし、千尋は屈み込む。

 近づいて顔をまじまじと観察しても、やはりただの犬にしか見えない。

 だが、見た目は何の変哲もないのは『彼ら』も同様だったはずだ。

 

「ロビン。もしかしてお前、夜咄堂になにか関係があるのか?」

「おっ、察しが良いな。Yes,I am.」

「英語はもういいから。やっぱりそうなのか」

「ああ。俺も付喪神だよ。普段は普通の野良犬を装ってるけどな」

「そうか。付喪神か……」

 同じ非現実的であれば『彼ら』付喪神や夜咄堂と何かしらの関係があるかもしれない。

 そんな千尋の閃きは、大方当たっていた。

 だが、夜咄堂に関係はあっても、付喪神その者とまでは思っていなかった。

 千尋はなおもロビンを見つめながら、片方の眉を顰める。

 

 

「でも、オリベさん達の見た目は人間だけれど、お前は犬だよな?」

「オリベのおっさんから聞いてないのか? 付喪神っつったって、みんな人間の形じゃないんだよ。

 人間の形を成すもの、俺みたく動物の形を成すもの、他にも魑魅魍魎(ちみもうりょう)の形を成す事だってある。

 俺だって人が良かったんだけれど、こればっかりは運次第なもんでなー」

「化け物になる場合もあるのか……」

「滅多にないらしいけれどな。少なくとも俺は見た事ない。

 まっ、魑魅魍魎にでもなろうものなら、人の世で生活する事も困難だし、犬でもまだマシだったぜ」

「なるほど。……しかし、本当に付喪神なんだな……」

「そういう事だ。大いに敬いたまえ」

 ロビンが無駄に鼻息を鳴らした。

 その鼻先に右手を差し出してみると、ロビンはすかさず前脚を差し出してくる。

 だが、千尋の手に触れる直前で、彼はまた大きく鼻息を鳴らして前脚を引っ込めた。

 

「フゴッ!? おい馬鹿千尋、お手やめろ。反射的にやっちまうじゃねえか」

「やっぱり犬じゃないか」

「犬じゃないの。つーくーもーがーみ!」

「分かった分かった。……でも、やっぱり違和感があるな」

「現実を受け入れろよなあ。まだ付喪神と信じられないのか?」

「いや、それは信じるさ。近所の野良犬と思っていた奴が付喪神だったんで、違和感があるってだけだ。

 ああ、ちなみに……」

 千尋は会話を切ろうとしない。

 この犬に聞いておきたい事はいくらでもあった。

「お前の他にも、野良犬の付喪神っているのか?」

「いたら、なにかまずいか?」

「町中に普通に潜んでいたら、ちょっと怖いってだけだ」

「いや、いない。そもそもこの町の付喪神は、夜咄堂の二人と俺だけだぜ」

「分かった。で、なんでお前は夜咄堂で暮らさないんだ?」

「それはだな」

「犬だと不都合があるのか?」

「おいおい、ゆっくり喋らせろよ。さっきから質問づくで疲れちまうぜ」

「そうは言われてもな……」

 千尋は渋る様子を見せながら腕を組む。

 夜咄堂の二人にならいつでも話は聞けるが、相手が野良犬ではそうもいかないからだ。

 

「んじゃ、歩きながら話してやるから、着いてこいよ」

 ロビンはそう言うと、千尋の返事を待たずに、商店街に繋がる石段の方へと向かっていった。

 千尋も大股でロビンの後を追いかけて石段を下りる。

 

 

 

「まずな。全ての付喪神が夜咄堂で暮らすという前提が間違ってるぜ?」

 ロビンはとことこと歩きながら話を再開した。

「そりゃあ俺達は、宗一郎が手に入れた茶道具の付喪神さ。

 だが、俺達にだって自由ってものはあるし、宗一郎も夜咄堂で働く事を強制しなかった。

 オリベのおっさんや黒いの……ああ、お前はヌバタマと呼んでいるんだっけか?

 あいつらはその上で、夜咄堂で働きたがったし、俺は別にやりたい事があったから店を出たってわけさ」

「ヌバタマって名前も知ってるんだな」

「当り前よ。千尋の名前だって知ってただろう?

 昨日、たまたまお前がいない時に夜咄堂に立ち寄って、最近の出来事を聞いたもんでな」

「そっか。で、ロビンのやりたい事って何なんだ?」

「おー、それそれそれ。今日、千尋に声を掛けたのは、俺のやりたい事関係でな」

 ロビンが首だけで振り返った。

 見た目は犬でも、中身は付喪神だからだろうか、普段の長閑(のどか)な雰囲気とは異なって緊張感が漂っている。

 その緊張感と溜めを作るような仕草に飲み込まれ、よっぽどの事情があるのかと、千尋は身構えてしまう。

 

 

 

 

 

「俺はな……」

「俺は……?」

「JCにお腹撫でて貰いたくて、野良犬になったんだ」

「は、はあっ!?」

 思わず声がひっくり返った。

 

「JCだぜ、JC! JKはダメだ。俺のストライクはJCまでだ!」

「いや、お前な……」

「そんなわけでさ。ちょっとJCがたむろしてそうな所に散歩しようぜ。

 海沿いにドーナツ店があっただろ。あそこが良いや」

「ち、ちょっと待て! 突っ込みたい点はいくつかあるが、ちょっと待て!」

「こまけぇこたぁ気にするなよ。

 そうそう、ヌバタマから聞いてたんだが、稽古の調子が上がらないんだろ?

 俺に着いてきたら、茶道の極意を伝授してやるぜ」

「……む、むう?」

 千尋が唸る。

 

「だからよ。ナンパ手伝ってくれよ。喋れる奴がいると便利なんだよ」

 ロビンは低い声でそう言うと、また千尋の答えを待たずに先へと歩き出した。

 一人取り残され、悩む事十数秒。

 

 結局、千尋の足は前へと踏み出された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海の近くに建つ東雲(しののめ)ドーナツ店に着く頃には、夕方になっていた。

 爽やかな態度で出迎える店員に千尋も相好(そうごう)を崩したが、しかしそれは、ショーケースの中身によって消し飛ぶ。

 閉店間際のドーナツ店には在庫が殆どなく、案の定、千尋の好きな味は全滅していた。

 まあええこと、と気を取り直して、仕方なく適当な味のドーナツを五つ買って店を出る。

 店の前ではロビンがお座りをしていたので、紙袋を鳴らして合図をし、一緒に海沿いの芝生公園へと歩く。

 結局、JCはいなかった。

 

 

 

「野郎とドーナツかあ。あーあ」

「文句言うならドーナツやらないぞ」

「千尋坊ちゃん、冗談きついぜ?」

「変な呼び方やめろ。そもそも、犬がドーナツ食べて良いのか?」

「だから犬じゃなくて付喪神だっての」

 軽口を叩きあいながら、ベンチに腰掛けて犬とドーナツを食べる。

 シチュエーションはともかく、ベンチから望む光景は悪くなかった。

 爛々と輝く夕陽が、西の海の島々に吸い込まれるように沈んでゆく。

 海上に引き伸ばされて映る夕陽は、黄金色の道のようにも感じられた。

 暖かさから暑さへと移行する、ほんのりとした気候に包まれながら、暮れゆく陽を眺め続ける。

 

 小さい頃は、絶景というものを目の当たりにしても、特に感動を覚えはしなかった。

 こういうものを良いと思えるようになったのは、いつ頃からだろうか。

 何故そう思うようになったのだろうか。

 そんな事を考えているうちに、隣のロビンはドーナツを平らげていた。

 

「おい、おかわりくれよ」

「馬鹿言うなよ。お前は一個だけだ」

「でも、五つくらい買ってただろ?」

「目ざといな……これはお前のじゃないんだよ。それより、茶道の極意って何なんだ?」

「あー、あれ? あれね。あー」

 明らかにはぐらかそうとする口ぶり。

 その先の言い訳を聞くまでもなく、千尋は嘆息した。

 

 別に、何が何でも茶道の極意を知りたかったわけではない。

 店の経営が絡んでいようと、茶道は茶道。

 家族の死という因縁がある限り、好感は持てない。

 

 その上で溜息を付いた理由は、シゲ婆さんの件を知りたいからだ。

 それに、もう一つ――

 

(……熱心に教えてくれているヌバタマにも、悪いしな)

 

 

 

 

 

「……ま、いいさ」

 肩を竦めながら、手にしているドーナツの最後の一欠片を頬張る。

 

「んぐ……っと。そこまでお前を信じていたわけじゃないし、別に極意なんか分からなくても良いよ」

「あーあー、あー! そのなんだその言い草。極意はある! ええとな、ええと……」

 ロビンは突然周囲を見回し始めた。

 どうやら、その辺りから極意を……否、言い訳を探しているようだ。

 

(駄犬……)

 これ以上付き合っていたら陽が暮れてしまう。

 もう帰ろうと、千尋はベンチから立ち上がる。

 

 ――ロビンが鼻息を鳴らしながら視線を止めたのは、その瞬間だった。

 

 

「あっ。あれでいいや! あれだ、あれあれ!」

 ロビンが公園の中央に向かって吠える。

 駄犬の湿った鼻の先には、集会用の大型テントが二つ並んでいた。

 テントの前には、筆文字の書かれた看板が掲げられている。

 千尋はテントに向かって歩きながら、目を凝らして看板の文字を読み上げた。

 

 

「ええと……野点(のだて)席、お気軽にご一服、どうぞ……?」


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