尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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番外編『老人の絵本 その三』

 翌日の夕方、千尋は買い出しの為に、ヌバタマと商店街へ向かっていた。

 この頃はめっきりと秋めいてきて、この時間に吹く風は大分冷たい。両手をポケットに突っ込みつつ振り返ってみれば、夜咄堂のある千光寺山では、紅葉が目立ち始めていた。

 赤に黄色に橙に。艶やかな色をした木々は、まだ変色していない多数の緑葉の中で、その存在を強く主張している。

 

 でも、肝心の夜咄堂は、そうはいかない。

 千光寺山と隣接している商店街付近から、店を探そうとしても、こちらは完全に木々の中に埋没してしまっている。

 これじゃあ、お店に客が来ないのも無理はない。

 特大の電光掲示板でも掲げたら、もうちょっとは繁盛するだろうか。

 冗談半分でその光景を想像したが、隣を歩くヌバタマが真っ赤な顔で反対する姿もセットで浮かんで、千尋はつい苦笑してしまった。

 

 

「千尋さん、一人で笑ったりして、どうしました?」

 ふと、そのヌバタマが顔を覗き込むようにして尋ねてくる。

 電光掲示板で夜咄フィーバー、とでも言えば、実直なヌバタマのことだ、本気で受け取ってしまうだろう。

「いや……紅葉って、ちょっとだけ彩られても綺麗だな、って思ってさ」

 とりあえず、別に思っていた事を口にする。

「なるほど。千利休のアサガオみたいですね」

「利休のアサガオ……と言うと?」

「あら、この話は知りませんでしたか? 千尋さんもまだまだですね」

 ヌバタマが自慢げに人差し指を振る。

 ちょっと悔しいけれど、茶道の知識では彼女が大先輩なのだから、仕方がない。

 千尋は仏頂面気味で、ヌバタマに言葉を返した。

「まだまだで悪かったな。教えてくれよ」

「ええ、もちろんです。ある時、千利休の庭で、それは美しいアサガオが咲いたんです。そこで利休は、豊臣秀吉を『アサガオが美しく咲いたので茶でも飲みながら見ませんか?』と誘ったんです。秀吉は大喜びでやってきたんですけれど、なんと、庭のアサガオは全部花が刈られていたんですよ。当然、秀吉はガッカリしながら茶室に入ったんですが……」

「アサガオが一輪だけ飾られていた、とか?」

「もう! 答えを先読みしないでくださいよ!」

 ヌバタマが小さく頬を膨らませながら言う。

 

「ははっ。悪い悪い。つまり、一輪だからこそ美しさが際立つ、ってことか」

「もちろん、アサガオがいっぱいあったら、それはそれで綺麗だったと思いますよ。派手好きなオリベさんやロビンさんだったら、そっちが好きそうですね」

「ヌバタマは、どっちがいいの?」

「私は一輪の方が好きですから、千尋さんと同じ、ちょっとだけ紅葉派です!」

 ヌバタマはそう言うと、軽い足取りで、その場でくるりと回ってみせた。

「なんなんだよ、その変な派閥は」

 千尋も突っ込みはするものの、同じ嗜好だと嬉しそうに言われれば、それはもちろん嬉しい。

 ただ、その感情を表に出すのは恥ずかしくて、照れ隠しにポケットの中のスマートフォンを取り出したが、すぐにはっとしてポケットに戻してしまった。

 

 

 

「……すまほ、でしたっけ。それ」

 それを目ざとく見つけたヌバタマが、回るのを止めて、おずおずと尋ねてくる。

「ああ、そうだな」

「確かこの前、岡本さんとお爺さんが喧嘩する原因になった機械ですよね。危ない道具なんですか?」

「使い方によるかな。岡本さんが店で使う分には問題ないと思うんだけれどなあ」

「なら良いんですけれど……でも、お爺さん、随分と怒っていましたよね」

 少し安心できたようで、ヌバタマの声の調子が普段どおりに戻る。

 

「そうだったなあ。何か、理由があるのかもな」

「私達で力になってあげられれば良いんですけれど……」

「そう考えるのは、茶道具の付喪神の定めのせいなのか?」

「いえいえ、おもてなしとは関係なく、純粋にそう思うんですよ。ねえ、何かしてあげられませんでしょうか……?」

「ん。そうだなあ……」

 すがるような瞳で見つめつつ尋ねてくるヌバタマに対して、千尋は後頭部をガサガサと掻きながら考え込む。

 

 これは、まあ、厄介事といって差支えない件だ。

 岡本の話を聞く限り、迫田老人は相当頑固な人のようだし、仮に力になるにしても、何をどうして良いのかまったく見当がつかない。

 それに、人の感情に深く踏み込んでいくのは、考えものではあるのだが……、

 

「……はあ。まあ、いいさ」

 深い溜息と一緒に、口癖が零れる。

「と、言いますと?」

「仕方ないな、って事。お前に付き合うよ」

「千尋さん……!」

 ヌバタマの表情が、紅葉のようにぱっと明るくなった。

 本体である棗同様に、しっかり者な性分をしたヌバタマからすれば、迫田のことが気になって仕方がないんだろう。

 だったら、自分も力になってやるしかない。

 家族であるヌバタマが気になると言うのなら、千尋の答えもそれ一つなのだ。

 

 

 

「千尋さん、なんだか最近、頼もしくなった気がしますよ」

 ヌバタマがヨイショしてくる。

 まあ、悪い気はしない。

「そんなに褒めるなって」

「事実ですもの。頼りにしてます!」

「し、仕方ないな。俺に任せてお……のわっ!?」

 調子に乗って口の端を緩めたところで、歩道の段差に足を引っかけて転びかけた。

 なんとか転ばずに踏ん張ったけれど、なんともまあ、無様なものである。

「……前言撤回です。千尋さん、やっぱりドジ」

「むう……」

 ヌバタマがくすくすと笑う。

 ばつが悪くなった千尋は、そんな彼女から逃げるようにして、足早に商店街を進むのであった。


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