尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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番外編『ロビン散策記2 ここは猫の細道じゃ その四』

 にゃぉん、と背筋がむず痒くなる鳴き声がしたのは、まさしくその瞬間だった。

 一同が振り返ると、俺達が来た道に一匹の人影……いや、猫影が見える。

 その影が近づいてくると、段々と顔付きが見て取れるようになったのだが、俺は思わずゲゲゲッ、と声を漏らしそうになった。

 そいつは、鼻の付近にハナクソのような黒ポチ柄がある子猫。つまりは、地主神の子がここにやってきたのだ。

 この段になって、コイツが顔を覗かせる理由……想像に難しくないな。

 俺が身動き取れなくなってから来るんだから、本当に本当にイヤな奴だ!

 

「気分が悪いぜ、ヌバタマ」

 俺は首根っこを掴まれたままで、畳の上のヌバタマに声を掛ける。

「あの子猫が、どうかしましたか? 確かロビンさんが苛めていた子ですよね」

「おう。そして地主神(じぬしがみ)の子だ。このタイミングであいつが現れたって事は、あいつも俺のケツを叩くに決まってる!」

「そうだったら全然痛くなさそうですし、むしろ可愛い気がしますが」

「関係ねえ! この棒念が込められてて、むちゃくちゃ痛てえんだ! フゴッ!!」

 ヌバタマとアレコレ言い合っている間にも、子猫はトコトコと俺達に近づいてくる。

 そして、ついに俺の傍までやってきて……

 

「あれっ?」

 

 子猫は、俺をスルーして更にその奥の畳に上がった。

 皆が注目し、地主神も物言わずに行動を見守る中、子猫は、地主神が畳の上に置いた茶碗に顔を寄せる。

 俺の角度からでは、一体子猫が何をしているのかは見えないが、ピチャリピチャピチャと水を弾くような音だけは聞こえてきた。

 おい、おいおい?

 これって、つまりは……飲んでるの?

 ヌルヌル判定されたお抹茶、お前が飲んでるの……?

 

「ウミャア~」

 子猫は、俺の心中に回答するかのように、甲高い声で鳴いた。

「おお、おお……うまいか、我が子よ」

 その鳴き声を聞いた地主神は、口元を緩めながら子猫を撫で上げる。

 いかつい顔して、随分な猫撫で声だ。

 一方の子猫も、抹茶をあらかた飲み終えると、ピョン、と身軽な動きで地主神の膝の上に飛び乗るのだから、親子仲はどうやら良いらしい。

 

「そうか。お前にはちょうど良かったかあ」

 地主神はなおも子猫を撫で続けながら、お面野郎に向けてアイコンタクトを送ってくる。

 それを受けたお面野郎はようやく俺から手を離しやがった。

 おお、痛かった、痛かった。

 これ以上お面野郎の傍にいたら、何をされたものか分かったもんじゃない。

 俺は掴まれていた所を解すようにブルブルと体を振りながら、すぐにヌバタマの傍へと移った。

 

「ヌバタマ。お前の茶、ワシには(ぬる)すぎたが、我が子にはちょうど良かったようだ」

 地主神は自身のヒゲをピンピン跳ねさせながら、そう告げる。

「しかし、地主神様にはご満足頂けず、大変……」

「良い、良い。わが子の機嫌が直ったのなら、それで良い」

「おお。んじゃお咎めなしか。よいよい!」

「真似をするでない! お前は何もしていないだろうに!」

 地主神はギロリと俺を睨んで、キツーい言葉を浴びせてきた。

 そこを突かれれば反論の余地はなく、俺はシュルシュルと小さく縮こまってしまう。

 地主神は呆れたように肩を竦めると、子猫を畳の上に戻して、のっそりと立ち上がった。

 

「今回だけじゃ。今回だけは不問に処す」

「と、地主神様……!」

「おお、やっぱりか。話分かるじゃん!」

 俺達は思わず歓喜の声を漏らす。

 嬉しさのあまり、ちょいと前脚をヌバタマに向けて突き出せば、

 ヌバタマは珍しく、ノリノリで俺の脚とハイタッチを交わしてくれた。

「良かったですねえ。ひやひやしましたよ……」

「ま、俺は最初から大丈夫だと思っていたけれどな」

「調子にのるでないぞ、ロビン。今後も我が子を苛めるような事があれば……分かっておろうな?」

 そこへ、地主神が釘を刺してくる。

「へいへい。俺もケツタタキはイヤだからな」

「それら良い。それとヌバタマ」

「あ、はいっ!?」

 ヌバタマは反射的に居住まいを但し、地主神を見上げた。

 それを受けた地主神は、嬉しそうに目を細めると、それこそ我が子に掛けるような、穏やかな口調でこう言ったのだった。

 

 

「温かった事は温かったが……お前がワシを気遣ってくれた事だけは、嬉しく思う。

 またそのうち、今度は熱い抹茶を()てにきておくれ」

「……はい、地主神様!」

 

 ヌバタマは、にっこりと笑ってそう言ってのけた。

 これにて、一件落着って奴だな。うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空間を元に戻しておくので来た道を戻るように、と地主神に言われた俺達は、

 猫どもの合唱のような見送りの挨拶を背中に受けて、地主神の間を去った。

 にゃあにゃあとうるさい鳴き声をいつまでも聞くのがイヤでなので、

 ヌバタマに先行して足早に歩くと、程なくして、猫の細道の出口に辿り着いた。

 来た道を戻ってきたので、当然ながら夜咄堂側に出てしまったのだが、大した問題ではない。

 やっと地獄のような世界から抜け出せた喜びに、俺は大きく背伸びをしながら天を仰いだ。

 いつの間にか、ギラギラと降り注ぐ陽光は、殺犬真夏日気温を生み出している。

 思わず口を空けてハアハアと体温を調節しちまったが、その行為は普段よりも気分ソーカイであった。

 

「ああ、帰ってきたんだなあ~」

 ぐいっ、と背伸びをしながら陽光に浸る。

 と同時に、ケツにほのかな痺れがまだ残っていることに気が付いた。

 まったく、とんでもない目に遭わされたもんだ。

 一発で済んで、本当に良かった良かった。

「一時はどうなる事かと思いましたねえ……」

 気が付けば、俺に追いついたヌバタマが背後で頷いていた。

 彼女の手には、俺達を窮地から一応救ってくれた短冊箱(たんざくばこ)が握られている。

 それを見た俺は、ふと、ヌバタマには用事があった事を思い出した。

「おいヌバタマ。お前、こんな所でのんびりしていて良いの?」

「と、言いますと?」

「岡本って人の家に行く予定だったんだろ? 俺はもう疲れたからエスコートはパスするぜ」

「……ロビンさん……」

 ヌバタマは返事をせず、おもむろに短冊箱を置いた。

 それから、顔を伏せながらグイグイと俺に近づいてくる。

 俺の方が小さいもんだから、傍まで来ると、ヌバタマが俺を見下ろす形になって、表情を読み取る事ができた。

 

「うわっ、ナマハゲみたいな顔」

「誰がナマハゲですか!! そもそもロビンさん、今回の件について少しは反省しているんですかっ!?」

「なんで反省しなきゃなんないんだよ。職権ランヨーした地主神の方が悪いぞ!」

 ぶっきらぼうにそう言い放って、後ろ脚で耳を掻いてみせる。

 自分の子供が苛められたからって、親が出てくる奴があるかいってんだ。

 いや確かに、大人が子供を苛めたようなものだけれども、そこで親がケツ拭くのは過保護って話だよ。

 うん、俺は悪くない。

 悪いのは、ぜーんぶ猫なのだ。

 

「ロ・ビ・ン・さ・ん……」

 そこへ、ヌバタマがドスの聞いた声を浴びせてきた。

 あっ、あっあっ。

 君、なんともこれはマズい。

 今は冗談とか一切通じないぞ。

 やばい、やばやばだぞ。

 

 

「や、やだなあ。冗談に決まってるだろ、ジョーダン。以後気をつけるよ……」

「ふざけるんじゃありません!!」

 ヌバタマの怒声が響き渡った。

 まるで雷のようなその一言に、俺は反射的にヒャン、と鳴いて尻尾を丸めてしまう。

「ひ、ひい! 怒鳴るなよ……」

「怒鳴るに決まってるでしょうが! ちょっとお店に来てもらいます!」

「やべえ」

 その言葉を受けるや否や、俺は駆け出した。

 本気だ、本気。

 今日のヌバタマは本当に怒っている。

 普段怒らない奴が怒るとなんとやら。

 捕まれば、お尻百叩きよりも辛い、説教の責め苦が待ち受けているかもしれない。

 スタコラサッサと飛ぶように石段を下って逃げるが、背後にはなおもヌバタマの気配があった。

 

「待ちなさい! 止まりなさい!!」 

 振り返っちゃいないから視認はできないが、声はすぐ後ろから聞こえてくる。

 ヌバタマめ、草履履きのくせに、俺と大して変わらない速さで追いかけてきているのだ。

 やべえ、やべえ、と同じ言葉を繰り返しながら猛然と逃げ続ける。

 

 ふと、そんな俺の視界に一匹の猫が入ってきた。

 十数段先の石段でノンキに昼寝をしてやがる、随分とフトッチョな黒猫だ。

 これが普通の道なら、ひょいと交わしてやりゃあ済む話だ。

 だが、ここは幅が狭い石段なのだ。

 今からでは到底回避はできない。

 ああ、なおも猫が迫る。

 さて、どうする、俺。

 逃げるには蹴飛ばすしかねえ。

 あいつはただの猫だ、地主神のお叱りは受けないだろ。

 ならば……いや、しかし……むむむっ……

 

「わ、分かった、止まるっ!!」

 熟考の末……俺は雄たけびと共に、速度をじわりと緩めた。

 急接近していたヌバタマは俺に躓きかけたが、ギリギリの所で上手く歩調を合わせて堪えてくれた。

 結局、猫まで残り三段という所で、俺はようやく制止する。

 同時に、ヌバタマがムンズと俺の首輪を掴みにかかった。

 

「い、いてて! 首苦しい!」

「逃げなければ良かっただけの話です。さ、行きますよ!」

 

 ずるずると半ば引きずられながら、俺はヌバタマに着いて歩く。

 その最中、ちらりと背後を振り返れば、フトッチョ猫は、流石に俺達の騒動で目を覚ましたようで、眠たそうではあるが開かれた目をこちらに向けていた。

 まあ……いいさ、今回だけは勘弁してやる。

 今回だけな、今回だけ。

 それに、開放された直後に猫を苛めてちゃ、地主神の子じゃなくとも、地主神の怒りを買いそうだしな。

 

 

 

「ウナ~オ」

 フトッチョ猫が、俺を見つめながら、トロそうな鳴き声を漏らした。

 応援の声だったのか、嘲笑う声だったのか、猫語を解さない俺には分からない。

 そんな、意図不明の鳴き声を浴びながら、俺は説教フルコースへの石段を上るのであった。


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