尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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番外編『ロビン散策記2 ここは猫の細道じゃ その三』

 じぬしがみ(地主神)は興味深そうに短冊箱(たんざくばこ)を眺めていたが、やがて、おもむろに指を鳴らした。

 すると、何も置かれていなかったはずの地面に、六畳の畳と湯の沸いた茶釜、それに風炉(ふうろ)がパポーンと現れる。

 なんとも羨ましい能力だ。もしかしたらJCも生み出せるのかもしれねえ。

 ま、JCはともかく、 ここに、ヌバタマの持っている短冊箱内の一式を加えれば、もう茶を()てる事ができるのだ。

 どうやら、地主神も乗り気らしい。

 

 ヌバタマは、俺に向かって力強く頷くと、その畳の上に座してモクモクと茶事の準備を進めた。

 無論、犬の形を成している俺では何も手伝えない。

 だというのに、俺の運命はヌバタマの点てる茶に懸かっている。

 そのジレンマに、俺はイライラを募らせていた。

 そりゃ、何もしないで助かるのなら、楽で良いさ。

 しかし……助かるとは限らないのだ。

 なにせ、ここはよばなしどう(夜咄堂)ではないのだ。

 茶の良さを引き立てるにちにちこれこうにち(日々是好日)が使えないのだから、純粋にヌバタマの技量を以ってして、地主神を癒さなくてはならないのだ。

 果たして、こいつはヌバタマの茶で喜ぶのだろうかと思いながら、横目で地主神を一瞥する。

 地主神は、口元をゆるりと緩ませてヌバタマを見つめていて、俺なんか気にも掛けていないようだ。

 そりゃ、付喪神(つくもがみ)の茶を喫する機会なんて初めてだろうし、楽しみな気持ちも分かるよ。

 でも、俺だったら抹茶はごめんだね。

 俺も付喪神になりたての頃に抹茶を飲んだ事があるが、あれはとにかく熱いのだ。

 何度飲んでも同じ熱さなのだから、たまたま熱かったのではなく、そういう決まりなんだろう。

 人間でさえ簡単には三口で飲み干せないと思われる熱さで、舌が弱い犬にとっては、相当辛いものだった。

 ……いや、待てよ、おい!?

 だとすると、猫の形を成した地主神の舌なんか……!!

 

 

 

「おい、ちょっと待てヌバ……フゴッ!?」

 ヌバタマに声を掛けようとした所で、不意に首根っこを掴まれた。

 横を見れば、いつの間にか俺の傍に来たお面野郎が、首を抑えていやがったのだ。

「土地神様は『どちらか』と仰った。

 ヌバタマが茶を点てるのならば、お前は助太刀無用だ」

「ちょっと助言するだけだよ。良いだろ?」

「それも駄目だ。喋るのは自由だが、助言と判断すればこれで叩く」

 お面野郎はそう言うと、しゃもじのような板切れを取り出した。

 墨で『犬叩き』と書かれているもんだから、馬鹿でもわかる。

 これが、犬叩き棒ってやつなんだろう。

 

「……分かったよ。助言と思ったら、それで叩くといいさ」

 俺は暫し考え込んだ後、ヌバタマに向かって、ワン、と吼えた。

 ヌバタマがちらりとこちらを向いたのを確認すると、俺は意を決して、声を張り上げた。

「おおい、ヌバタマー。早く帰ってドラマでも見ようぜ。ほら、石田三成の立志伝」

「………?」

 ヌバタマは、小さく首を傾げた。

 それもそのはず、ヌバタマとそんなドラマを見た経験なんか、一度もないのだ。

 とはいえ、これ以上突っ込んだ話をしようものなら、犬叩き棒が飛んでくる恐れがある。

 俺に出せるヒントはこれが精いっぱい。

 ここに来る前に、ふとヌバタマと話していた事を思い出したのだが……石田三成には、三献茶という伝説があるのだ。

 なんでも、石田三成が寺小姓をしていた時に、豊臣秀吉が鷹狩りの帰りに寺で休息したらしい。

 秀吉をもてなす事になった三成は、秀吉が喉が渇いているのを察して、状況に応じて熱さの違う三杯の茶を点てたのだ。

 結果、秀吉の好感を得た三成は、秀吉に仕える事になる……というお話だ。

 その事をヌバタマが思い出せば。

 その一心でヌバタマを見つめ続けると、暫しの後、ヌバタマは小さく目を見開いた。

 加えて、口の端を得意げに緩ませやがる。

 これは、もしかすると気づいてもらえたかもしれない。

 

 

「お~い、準備はまだか?」

 そこへ、地主神が急かすような声を掛けてきた。

 はいはい、犬は黙って退場しますよ。

 フゴッ、と鼻息を漏らして一歩下がると、ヌバタマも準備を再開し、程なくして茶事は始まった。

 

 青々とした夏の木に覆われた野点席。

 そこへ差し込んでくる陽光は、ヌバタマの手前を眩く照らしていた。

 釜からもくもくと立ち上がる湯気は、はるか頭上で夏空を彩る入道雲のようにも見えた。

 なんとも、清々しい光景だ。

 短冊箱に入っている茶道具はいずれも安物のようだったけれども、

 人間の余計な文化が入ってこないこの地主神の空間で用いるのならば、粗末な道具というよりは素朴な道具に感じられる。

 

 ワビサビって言葉は、なにやら哲学的な響きがして、俺にはイマイチどういうものなのか分からないのだが、

 おそらくは、こんな清々しく素朴な茶事を差すのだろう。

 大して茶道を学んでいない俺でも、良い雰囲気だという事は、なーんとなく伝わるんだかんね。

 ま、これで猫が畳を囲んでおらず、客も猫顔じゃなければベストなんだけれども。

 

 その肝心の客……客畳に敷かれた毛氈(もうせん)に座す地主神は、ヌバタマの一挙手一投足を見守っていた。

 なかなか興味は引けているようだし、ヌバタマの手前ならミスもないだろう。

 唯一の懸念点である猫舌の件も、しっかりと伝えておいた。

 万事万端、我らに隙なし。

 流石の地主神も、この一服の後なら、大きく出られないはずだ。

 帰り際には、地主神にオナラの一発でもかまして、やり返してやろうじゃないのさ。

 と、そんな事を考えているうちに、ヌバタマはもくもくと手前を進め、もう茶を点てていた。

 

 

 

「ほう。これがお抹茶かい? お茶なら飲んだ事はあるが、お抹茶は初めてだよ」

 差し出された薄手の夏茶碗を手にした地主神は、熱さを気にする素振りを見せず、興味深そうに茶碗の中を眺めている。

 よしよし、どうやらちゃんと温く仕上がっているようじゃないのさ。

「ええ。お薄茶と言いまして……そうですね。お気軽に頂ける抹茶、とでも言いましょうか。お召し上がり方は……」

「大丈夫、分かるさ。たまに人間が美味しそうに飲んでいるのを眺めているからね」

「地主神様のお口に合えば良いのですが」

「さて、どうだろうねえ。それじゃあ早速頂くよ」

「どうぞ」

 静かにそう言ってヌバタマが頭を下げると、地主神はゆったりと煽った。

 よしよし、いいぞ。熱さで即座に口を離す様子もねえ。

 これで俺達は解放される……!

 

「お服加減、いかがでしょうか?」

 ヌバタマが味を問う。

 それを受けた地主神は、茶碗を畳の上に戻し……

 

 

 

「ぬるいっ!!!」

「「えっ?」」

 

 俺とヌバタマの声は、見事に重なってしまった。

 いや、いやいや。

 温いって、あれっ? えっ?

 

 

 

「あ、あの……申し訳ございません。加減したつもりでしたが、ぬるすぎたと……?」

 ヌバタマが慌てふためきながら尋ねる。

「いやいや! なんで加減なんかするんだい! 茶ってのは熱いものだろう!

 それとも、この気持ち悪いぬるさがお抹茶なのかい!?」

 一方の地主神は、いかにも不満げに口を尖らせながら言ってのけた。

「い、いえ、もちろんお抹茶も熱いものですが……

 その、大変失礼ながら、地主神様は猫舌では……?」

「見た目が猫だからって、ワシを馬鹿にしているのかね? 熱いものはむしろ好物さ」

「そ、そんな……。……ロ、ロビンさんっ!」

 一瞬絶句しかけたヌバタマは、ギロリと目を尖らせて俺を睨みつけてきた。

「そんなもん知らねえよ! だって見るからに猫じゃん! 猫なのに猫舌じゃないって、変じゃん!」

「それじゃあロビン。お前は犬の形を成しているが、犬と同じものしか食べないのかね?」

「あっ、なんでも食えるわ。それもそうだ。地主神の言う通りかもしんない」

「それに、この辺りはラーメン屋ばかりだろう? その香りを頂いているうちに、むしろ熱いものは好物になってね」

「な~る。神様って香りを頂くんだったっけ。そういや神社の近くにもラーメン屋あるしなあ」

「なに納得しているんですか!」

 ヌバタマが声を張り上げて俺を怒鳴りつける。

 だが、怒鳴られた所で事態が好転するわけでもない。

 ヌバタマの声を聞き流しながら、おずおずと地主神の顔を覗き込めば……。

 

「どうやら、百叩きは決定じゃな」

 まあ、そうなるよなあ。

 よし、とにかく逃げよう、そうしよ……

「キャインッ!?」

 逃走を決意するのと同時に、お面野郎がまた俺の首根っこを猫掴みして、ケツを引っぱたきやがった。

 ケツに走った痛みに反射的に振り返れば、空いた手には犬叩き棒。

 犬叩きの文字に何かしらの念が込められているのか、走った痛みは電撃のような一撃だった。

 おいおい、この痛みが、あと九十九回もあるの……?


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