「この看板、見覚えがあります。細道の入口に掛かっている看板です……」
ヌバタマが青ざめながら呟く。
こいつの言う通りなら、俺達は入口に戻ってきちまったって事だ。
だが、猫の細道はほぼ一本道。
どんなアホでも問題なく通過できる道のはずなのだ。
とすれば、俺の頭の中には一つの過程が浮かび上がってくる。
俺達は『誘われた』のかもしれない。
何者が、どこに誘おうとしているのかまでは知らねえ。
だが、平常にあらず。それは間違いない。
そう思い至るのと同時に、全身をゾクゾクがザワザワと駆け巡った。
「おい、冗談じゃねえぜ。帰ろう!」
「ま、待って下さい! ダメです!」
振り返ろうとした俺を、ヌバタマはキツい声で制した。
「一体何がダメなんだよ! 明らかにおかしいぜ、これは!」
俺も声を荒げながらヌバタマに抗議する。
「おかしいからこそ、です! もしもこの道が人間界以外に通じているのなら、振り返りはご法度です」
「……チッ! 見るなのタブーってやつか」
「ええ。異界に通じる道で振り返る事は、私達
大抵は、その道を作り出した者の手によって、酷い目に遭わされますから」
「高位な神さんならともかく、俺達付喪神は非力だなあ。茶席から離れりゃ、ただの人間と変わりねえ」
はぁぁぁ、と深く溜息を零す。
だが、そうした所で事態は改善しない。
俺達がやるべき事……いや、できる事と言えば、この道を進んで、状況を把握するだけなのだ。
ヌバタマとアイコンタンクトを取って、互いの意思を確認した俺達は、やむなくまた石段をスタスタと下りだした。
その最中、相変わらず陽光が降り注いでいるにも関わらず、全く暑くない事に気が付く。
むしろ、得体の知れなさに対する寒気が、大気となって俺達を包んでいる気さえした。
一体、いつから暑さが消えうせていたんだろうか。
おそらくは、暑さが消えたその瞬間から、俺達は異界に誘われていたんだろう。
それに、細道に陣取る猫の数も増えてきたような気がする。
皆、相も変わらず俺達に視線を向けているのだが、今となっては、そのヨウコソ視線は酷く不気味に感じられる。
あーお、あーお、と俺達を煽るように鳴き声を上げる奴もいて、フユカイまりない。
「なんだか、猫が増えていますね……」
「こいつらも、ただの猫じゃないのかもなぁ」
それだけ会話を交わして更に進む。
すると、道の奥に人影が見えてきた。
近づくにつれ、その人影の風貌はハッキリと見え出したのだが……案の定、ロクなもんじゃあなかった。
そいつは成人男性程度の身長で、一切柄のない真っ白な着物を纏っている。
そして、肝心の顔は……見えなかった。
あろう事か、これまた白い猫のお面を付けているのだ。
目の部分はつり気味に穴が空けられていて、赤い隈取が施されている。
首にはこれまた赤のチョーカーを巻いていて、その外観はまるで
「最悪だぜ。また猫かよ……」
もう、コイツの正体が何だろうと、気を遣うような余裕はねえ。
俺は、お面野郎の耳に届くのも厭わず、はっきりと不快感を口にしてやった。
それを受けたお面野郎は、何も物言わずに俺を見つめながら、こちらへ一歩足を踏み出してきた。
さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。
猫以外なら何でもこいってんだ、コンチクショーめが。
◇
「ロビンだな」
お面野郎は、招き猫みたいに手を丸めて、それを俺に引っ掛けるような仕草を取りながら、尋ねてきた。
何を考えているのか探ろうと、お面の穴の奥に隠れているであろう瞳を見つめようとするが、逆光でどうにもよく見えない。
仕方なしに素直に頷けば、お面野郎は俺達に背を向けて前に進み始めた。
つまりは、着いてこい、と言いたいのだろう。
「ヌバタマはどうする?」
「不気味ですけれど……私も行きます。戻るわけにもいきませんし」
ヌバタマは前を見据えながらそう返事をした。
俺も、ヌバタマも、この事態が恐ろしいわけではない。
どちらかといえば、気味が悪いとか、落ち着かないとか、そんなバクゼンとした不安なのだ。
得体が知れないのはお互い様だし、そもそも俺達には『死』ってもんがないんだもんね。
もちろん、場合によってはそれに準ずる状態になってしまうのかもしれないが、そんな目に遭わせられる身の覚えはねえ。
二人してお面野郎に着いていくと、神社が視界に入ってきた。
バカデカい岩が飾られている、まごう事なき麓の神社だった。
ようやく脱出する事が出来たのだと、俺は内心胸を撫で下ろしたが、すぐにそれは勘違いだと気が付かされた。
お面野郎が神社の横から境内に入ったので、それに続けば、境内には何十匹も猫がたむろしていたのだ。
皆で円状になって、ヨウコソ光線を収束させたヨウコソレーザーをを放ちながら、
俺達を出迎えるかのように並んでいるその光景は、明らかに異様なのである。
その上、神社の正面入り口である鳥居は、妙に発達したクスノキによって覆われていて、出入りができなくなっていた。
普段の神社のクスノキはここまで生い茂っちゃいねえし、そもそも鳥居の周辺には生えちゃいねえ。
似た場所だが、違う場所。
それを悟るのと同時に、ここがパーティー会場なのだと俺は気づいた。
だが、パーティーの主催者は、お面野郎でも、取り囲む猫でもないようだ。
境内の中央では、やはり和服のフサフサ白髪男が、俺達に背を向けて、上半身を丸めながら立っていたのだ。
長着こそお面野郎と同じ白地だが、朱色の随分とゴージャスな羽織を纏っている。
見るからに、こいつがボスのようだった。
「地主神様。連れて参りました」
お面野郎が、ゴージャスにそう声を掛ける。
地主神。
お面野郎は、今、確かにそう言った。
偉い奴だろうとは思っていたが、まさかそこまでとは。
地主神……すなわち、この尾道という土地そのものが具現化した存在が、このゴージャスなのだ。
こりゃ言うまでもなく、高位の神さんだ。
そのゴージャス地主神が、何故俺を呼び寄せたのかは分からねえが、そんな神様の機嫌を損ねてもロクな事はない。
なんせ、あっちは土地で、こっちはちっぽけな茶道具の付喪神。
しかも神とは名ばかりの精霊みたいなものときたもんだ。
しっかりヨイショして、元の場所に戻してもらわなきゃな……。
「お前がロビンか」
ゴージャスは緩慢な動作で振り返りながら、そう声を掛けてきた。
声は随分としゃがれていて、白毛も相まって老齢である事を感じさせる。
さてさて、
「ええ、私めがロビンでございま……げえっ! なんだお前!!」
地主神と対面して、俺は思わず声を荒げてしまった。
地主神は……人間の顔の作りをしていなかったのだ。
ピンと伸びたヒゲに、ギョロリと瞳孔が開いた金色の瞳。
そして、ライオンのように雄雄しい毛並み。
背後から見てもフサフサだとは思っていたが、それもそのはず、顔中……いや、素肌全てが白毛に覆われていやがる。
あろう事か、こんにゃろ、猫の顔をしていやがったんだ。
ああ、もう、最悪だ、最悪の日だ!
さっきから猫猫猫猫猫、しまいにゃ猫のドン、猫神様だ!!
「猫のドンではない。尾道のドン、地主神様じゃ」
地主神が気難しそうに言う。
あ、さすがは地主神。考えている事分かるのね。
「地主神のくせに、なんで猫の姿なのさ」
「お前さん、自分の体を見て、ものを言っとるか?」
ごもっとも。
地主神の中にゃ、動物体の奴もいるって事か。
「それよりロビン。お前呼ばわりとは失礼だろう。ワシの機嫌を取るつもりではなかったのか?」
「猫顔となりゃあ話は別だ。その地主神様が何の様だよ。けっ!」
「ち、ちょっと、ロビンさん! 失礼ですよ!」
ヌバタマがキツい口調でたしなめるが、知ったこっちゃねえ。
ぷい、とソッポを向くと、地主神は重苦しく腕を組みながら話を続けた。
「今日はお前に天罰を与えるべく、呼び寄せたのじゃ~」
天罰という割には、語尾が伸びていて随分と軽い口調だった。
だが、瞳孔はなおも細まっていて、顔付きには怒りの気配を感じさせる。
「天罰って、なにさ?」
「犬叩き棒で、お尻百叩きじゃ」
怒ってるのかふざけているのか、分からねえ奴だ。
「くだらねえ罰だが、それでも、受ける謂れはねえ。
一体俺が何をしたってんだよ」
「身に覚えがないとは言わせんぞ。ワシはちゃーんと見ておる。お前、猫を苛めているではないか」
「そりゃそうだけれど、だって、猫が俺からJCを奪うのが悪いんだぜ?」
「だまらっしゃい~!」
地主神が、俺の言葉を遮るように怒鳴りつける。
老齢のせいか、あまり声量は大きくなく、威厳も大してなかったが、
地主神に呼応するかのように、周囲を取り囲む猫どもがニャアニャアと鳴き始めて、こちらの方がうるさかった。
「ああ、うるせえ、うるせえ!」
「皆、お前に怒っておるのだ」
「だからって、猫苛めただけで天罰じゃあ、世の中天罰だらけだぜ!?」
「それだけではない。お前は今日、決定的な罪を犯してしまったのだ。
……ワシの子を苛めるという大罪をな」
その言葉を受けて、反射的に今日の出来事を思い出す。
今日苛めた猫は……俺の記憶が間違っていなければ、ヌバタマと会う前に吠えてやった、あのハチワレ子猫だけだ。
つまりは、アイツがはずれクジだったって事か。
「ち、ちょっと待って下さい、地主神様!」
そこへ、ヌバタマが口を挟んできた。
「確かにロビンさんは猫を苛めています。ですので、百叩きに異論はありません」
「そこは異論を持ってくれよ」
「自業自得でしょう! ……ですが地主神様。私は何もしておりません。私は先に帰してもらえませんでしょうか?」
「イヤじゃ」
地主神は楽しそうに首を横に振り、ヌバタマの提案を叩き斬った。
「監督不行き届きじゃ。ヌバタマ、お前もお尻百叩きじゃ」
「ふ、ふえっ……!?」
ヌバタマの顔がようやく凍りついた。
ヘヘン、ざまあみろってんだ。
そうそう、お前の監督が悪い!
躾がなってないんだよ、ヌバタマは!
……あれ? 俺変な事言ってるかな?
まあ、良いか。
「しか~し、ワシは優しい神様じゃ」
だが、地主神は「待っていました」と言わんばかりの、楽しげな調子で言葉を続ける。
「ワシとて、なるべくなら折檻はしとうない。
そこで……お前達に一つ機会を与えよう」
地主神は、もったいぶるかのように俺達の顔を見回す。
俺の心中で、ドコドコドコドコとドラムが鳴り、それに続いて、ジャン! とシンバルが叩かれる。
それに合わせたのかどうかは定かではないが、地主神は力強く腕を突き出した。
「ロビン、ヌバタマ、どちらか……ワシを楽しませてみよ。
そうすれば、何もせずに開放してやろうではないか」
「なんだそりゃ! 結局はお前の気分じゃんか!」
「ワシゃ偉いんじゃ! 当然じゃ!!」
地主神は地団駄を踏むように憤って主張する。
なんて地主様だい、まったく。
お陰で、なんとも面倒臭い事になっちまったもんだ。
だが、向こうの方が格上なのは事実。
言う通りにしなけりゃ、俺達のお尻はおサルの如く真っ赤になっちまう。
さてさて、どう楽しませたものだろうか。
楽しむ事にかけりゃ得意中の得意だが、楽しませる、となると、むう。
ここにJCを連れてきて、接待させるわけにもいかないし……。
「ロビンさん、大丈夫です。楽しませればお咎めなしなら、なんとかなります」
ふと、隣のヌバタマが自信満々にそう言ってのけた。
何か妙案があるのか、と尋ねるつもりでヌバタマの方を見る。
だが、口にして確認せずとも、コイツが言いたい事はすぐに分かった。
ヌバタマは、