猫という生き物が、イヤでイヤで仕方がない。
奴らが人間に媚びている姿を見る度に、悔しさのあまり鼻息がフゴフゴと漏れてしまう。
だというのに、この尾道には、とにかく猫が多く生息していて、海沿いだろうが商店街だろうが山の路地だろうが、
あちこちでウヨウヨと「俺の町だぜ、俺の町だぜ」と言わんばかりに行きかっているのだ。
鬱陶しい事この上ないのだが、仏様の如く寛大なロビンちゃん、それだけならまだ我慢をしようじゃないか。
しかし、その俺でさえも許せない事がある。
奴ら猫どもめ、人間の中でも、特にJCに可愛がられているのだ。
俺がJCに媚びている所へ猫が通りかかると、JCは俺をほっぽらかして、一同に猫の方へと駆け寄ってしまうのだ。
いや、ほっぽらかされるのも悪くはなく、リビドーをガシガシと刺激する何かがあるのだけれども、
それはそれ、猫への怒りは猫への怒りで、フツフツとナンダテメーバカヤロゲージが溜まって仕方がないのだ。
そんなわけで猫がイヤな俺は、町中で猫を見かけた時には、必ずちょっかいを出している。
この日も、
コイツでちょっとばかしストレスを発散してやろうと、イカツイ顔を作ってワンワンと吠え立ててやった。
すると子猫は、小さな体をいっそう縮め込ませて、冬の木枯らしにでも耐えるかのようにブルブルと震えはじめる。
俺から逃げ出そうと、手すりの上を歩きもするんだが、それにあわせて俺も動いてやれば、
子猫は石段に降りて逃げ出す事もできず、もはやいっさいなす術なしなのだ。
いやはや、愉快ソーカイ、気分は最高。
そうして暫く子猫をからかい続けていたのだが、幕引きは、ペチンとしたオツムへの衝撃と同時にやってきた。
「フゴッ!?」
「フゴッ、じゃありません。なにやってるんですか!」
俺をひっぱたいた奴のツラを拝もうと振り返れば、仁王立ちして俺を睨みつけているヌバタマがいた。
その一瞬の隙に、子猫がダバダバダバッと逃げ出すのが横目で見えたのだが、逃走状態に入られれば、ダルダルのチャーミングなお腹を持つ俺では追いつけない。
俺は暫くの間、子猫とヌバタマを交互に見たが、やがて子猫の姿が完全に見えなくなると、怨めしげにヌバタマを見上げて吠え立ててやった。
「ワンッ! おい、せっかく良い所だったのに、なんで邪魔すんだよ」
「猫を苛める事のどこが良いんですか。可哀想じゃないですか」
「いいの! 猫どもめ、俺からJCを奪うんだぜ? 絶対に許せんのだ」
「なんですか、その理由は……。ロビンさん、ちょっと店に来て下さい。お説教します」
ギロリ、とヌバタマに睨みつけられてしまう。
こいつは時たま、俺に常識を語ろうとするのだが、これがとにかく長くてかなわん。
「げげっ? やだよ説教なんて。悪いが逃げ……」
犬の耳になんとやら。
踵を返して逃げ出そうとした俺は、しかし、ヌバタマが手にしていた木の箱を目にして、ピタリと動きを止めてしまう。
別に箱の一つや二つ、気にせずに逃げてしまえば良いのだが、上部と正面に金属の取っ手が付いたその長方形の箱には見覚えがあった。
だが、一体何なのかまでは思い出せず、正体が気になって、逃げる気がサッパリと失せてしまったのだ。
「……っと、それ、なんだっけ?」
確か、茶事で使う道具だったのは覚えている。
用途までは思い出せないが、名前は、ええと、タンなんとか……タン、タン……牛タン……。
「
ヌバタマはまだ俺を睨みながら答える。
「あ、牛タンじゃなかった」
「はい?」
「いや、こっちの事ー。何に使う道具だっけか?」
「携帯用の茶道具一式ですよ。これがあればどこでもお茶ができるんです」
「おお。それそれ。さすがヌバタマは茶道に精通しているなあ。尊敬するぜ」
「そ、そうですか? えへへ……」
ヌバタマは照れ笑いを浮かべた。
なんとも、ちょろいもんだ。
「で、そんなもんを持って、どこか外でお茶会でもしようっての?
真夏だってのに、よくやるもんだなあ」
「さすがに外ではやりませんよ。千尋さんの先輩の岡本さんって方が、この先に住んでいるんです。
前に話しましたよね。唐津合宿に同行させて下さった方なんです。
その岡本さんが「遊びにこないか」と、私を誘ってくれたんですよ。
私、人間のお友達って初めてだから、凄く嬉しくて」
ヌバタマはそう言うと、空いている手を自身の胸元に当て、幸せそうに微笑んだ。
そういやコイツ、人間の女の子に憧れているもんな。
唐津旅行に関しては、取り残されて悔しい思いもあるんだが、こうも微笑まれれば、こちらはスネにくい。
「それは結構だが、お友達と短冊箱と、何か関係あるのか?」
「ええ、岡本さんの家で一服差し上げようと思って。人間って、そうするものなんでしょう?」
「……色々突っ込みたい所だが、お前がそれで良いなら、良いだろうさ。
ただ、ちょっとは気を使ってやれよ。家の中とはいえお茶は熱いんだ」
「分かっていますよ。
「なら良いんだが」
「ところでロビンさん、お暇でしたら店番してくれませんか?」
ヌバタマは、思い出したようにそう言った。
「やだよ。千尋かオリベの爺さんがいるだろ?」
「千尋さんは買出しにでていますし、残るのはオリベさんだけだから、心配なんです。
女性のお客さんが来られたら、ナンパとかしそうで……。
その点、ロビンさんが興味があるのは、夜咄堂には来そうにない年頃の子じゃないですか」
「まあ、そうかもしれん」
「だからロビンさんなら、ある意味安心なんです。
特別な事はしないで良いんですよ。オリベさんを見張ってくれているだけで良いんです」
「JCが来ないんじゃ、なおさら嫌だよ。あかんべえ」
べろん、と舌を出して、キゼンと拒否の姿勢を示す。
普段から出しっぱなしのような気もするが、とにかく示す。
大体、犬の形を成して生まれた俺に、夜咄堂の仕事なんかムリムリ、ぜーったいムリなんだかんね。
俺が夜咄堂で暮らさないのは『店よりも、他の楽しい事に準じたい』という付喪神としての本能ありきではあるのだが、
同時に『仕事ができない俺がいても、どうしようもない』という気持ちも、幾分かは含まれている。
そりゃ、俺が店先で愛想を振り向くだけでも、お店が大繁盛するのは分かってるよ?
だけれども、それは完全にワンワンの仕事なのだ。
俺は、犬の形こそしているが、付喪神。
付喪神としてのプライドが、それは許さないのだ。
JCとたわむれてこそ、俺は俺でいられるものなのだ。
「……そうですか。それは残念です」
ヌバタマが、途端にしゅーんと落ち込む。
コイツも、俺の境遇を知っているから、店の仕事を強くは頼んでこないのだ。
とはいえ、こうも気落ちされれば、俺だって少しは考える。
そう。落ち込んでいる今こそ、付け込むチャンス。
夜咄堂で一番うるさいコイツの機嫌を取っておけば、
今後、ちょっとくらいヤンチャしても、怒られずに済むはずなのだ。
だが、店の仕事をするつもりはない。
他に、労力を要せずに、ヌバタマに喜んでもらえそうな事といえば……。
「ま。あれだな」
「はい……?」
「店番は断るが、その岡本って人の家に行くまでなら、同伴してやってもいいぜ?
お前だって、道中の話し相手がいた方がいーだろ?」
「……ロビンさん」
ヌバタマは、まだしょぼくれた顔付きで俺を見下ろした。
その顔が、相好を崩すまでの間、僅か一秒。
相変わらずチョロいヌバタマは、ガキの様に首を大きく縦に振ってみせたのであった。
番外編『ロビン散策記2 ここは猫の細道じゃ』
ヌバタマは、よりにもよって猫の細道を歩いて、岡本とやらの家に向かった。
猫の細道とは、夜咄堂付近から、麓の神社まで伸びている、二百メートル程の坂道だ。
道の周囲には、山の斜面に合わせて建てられた木造家屋や石垣がギチギチに並んでいて、
その家屋周辺を、青々と茂った木々がビッシリと覆いつくしている。
木々は、家屋だけでなく空まで覆わんばかりに密集しているものだから、
どこを見渡しても自然に囲まれているという、なかなかにゴキゲンな細道なのである。
さて、ではその道のどこが『猫』なのか。
別に、この道に特別猫が多いわけではない。
これには理由が二つあある。
立ち並ぶ木造家屋には、猫をモチーフにしたような店舗が幾多も並んでいる事が一つ。
そしてもう一つは、この通りには猫のオブジェが多いのだ。
石畳の配置で猫の顔を表現したり、猫の絵を描いた看板を掲げたり、板壁に猫の絵を描いたり。
そんなニャゴニャゴまみれの中で、もっとも目につくのが『白猫の置物』だ。
猫の絵が描かれた、
ここを歩いていると、常に猫に囲まれているような気になってしまう。
ただに人間ならば、それはなかなかにおもしろスポットだろう。
でも、俺がここを歩くと、それはそれはいやーな気持ちを覚えてしまうのだ。
そんなアヤシゲでクルシゲな道を、ヌバタマはちびちびと下り歩く。
なんせ、コイツが手にしている短冊箱の中には、茶碗や
茶事の際に使用する水を入れておく
歩調が緩むのは仕方がないにしても、こんな道をいつまでも歩くと思うと、気が滅入って仕方がない。
「おいヌバタマ。なんでこんな道通るのさ」
と、ヌバタマの横で口をとんがらがせながら、俺はぼやく。
「なんでって……ここが一番近道ですし。岡本さんのアパートは神社のすぐ傍なんです」
「だからってさあ、猫の細道はないだろ? どこを見ても、猫、猫、猫! あーあー、もうやんなっちゃうぜ」
「何故ですか。猫、凄く可愛いじゃないですか」
ヌバタマは頬にえくぼを作りながら言う。
「いいや! 奴らは、猫撫で声で人間に媚びるイヤな奴らなんだ。
この間だって、俺がJCに可愛がってもらっている所に現れて、JCを横取りして行きやがったんだぜ?」
「それって、そもそもロビンさんが先に媚びているじゃないですか……」
「カー、ペッペッ! フゴッ!!」
ヌバタマの突っ込みを、タンと鼻息で吹き飛ばし、俺は急く気持ちを表すかのように半歩前を行く。
天気は快晴、お江戸晴れ。
眩い木漏れ日は、スポットライトの様に福石猫を照らしていてる。
なんでもこの福石猫は、日本海で厳選した丸石に対して、半年以上かけて塩抜きと三度塗りをした上で、神社でお祓いを受けてようやく完成するらしい。
それだけジックリコトコト手間暇を掛けて産み出しているせいか、陽光の中の福石猫は、まるで本物の猫のように感じられる。
そんな福石猫に囲まれるだけではなく、この日は、本物の猫も随分と多く見かけている気がする。
先程から、石段やら塀の上やらに陣取っている野良猫どもが、俺達を迎え入れるかのようにヨウコソ視線を向けてきやがるのだ。
普段なら片っ端から追い払ってやる所なのだが、そうすればヌバタマを怒らせて、本末転倒に終わってしまう。
仕方なく、キュートな瞳をギロリと細めて睨みつけるだけに留め、俺は細道を三分程歩いた。
そう、三分もだ。
いくらヌバタマの歩調が遅いとはいえ、ここはたった二百メートルの道だ。
普通に歩けば、一分程でかるーく通過できるのだ。
時間もさる事ながら、特に俺が疑問に感じたのは目に入ってくる風景だ。
猫の顔が造られている石畳を三回は見たが、俺の記憶が確かならば、この石畳は一か所しかないはずなのである。
ふと、ヌバタマの事が気になって横を向くと、ヌバタマもようやく異常さに気がついたようで、怪訝な表情を浮かべていた。
「……なんだか、さっきから同じような道を歩いている気がします」
「それに随分と時間が掛かってるよな」
「ええ。もっと短かった気がしますが……あら?」
ヌバタマは、喋りながら首を傾げた。
視線が家屋の板壁に向かっていたもんだから、それを追いかければ、その先には板壁に貼り付けられた看板があった。
「なになに……この先猫の……猫の細道……!?」
読み上げながら、俺は思わず声を裏返してしまう。
この先って……それじゃあ、今歩いている所は一体なんだってんだ?
活動報告の方にも書きましたが、先日、ネット小説大賞が発表され、
お抹茶セットが見事受賞……すなわち、書籍化確定しました。
応援して下さっていた皆様、本当にありがとうございました……!
時折自信をなくす事もありましたけれども、皆様に読んで頂いて、
そして書き続けて、本当に良かったと思っております。
具体的なスケジュールや作品の今後等は色々と不透明になりましたが、
お話できるようになり次第、随時活動報告にてご連絡したいと思います。