一階に下り、四人掛けの机を挟んで二人に相対した千尋は、父が亡くなった事を説明した。
感情が昂らないように努めたが『亡くなった』と告げる時だけは、微かに言葉が震えるのを抑える事はできなかった。
「そうか。宗一郎は死んじまったのか……」
オリベと名乗った男は、しみじみとそう呟くと、暫く何も言わずに天井を仰いだ。
その隣に座る少女は何も言わなかったが、沈痛な面持ちを浮かべている。
二人とも、父とは友好的な関係だったのだろう。
詳しく聞きたくはあるが、ひとまず、それはそれで良い。
もっとも気になるのは、自称『
「悲しんでいる所悪いけど、次は俺が話を聞いても良いでしょうか?」
身を乗り出しながら、オリベに声を掛ける。
「……うむ」
「先程貴方は、付喪神と名乗りましたよね」
「いかにも」
「それは、ええと……何と言ったら良いのかな。……ご冗談ですか?」
「なんだ君。もしかして付喪神を知らんのかあ?」
悲しみ顔から一転、オリベの口ぶりがひょうきんなものに戻った。
切り替えが早いのだろうか。
それとも、感情を隠すのが上手いのだろうか。
「付喪神くらい知っていますよ。物が妖怪に化けたもの、ですよね」
「随分ざっくりしとるな」
「一般的な認知具合としてはこんなものでしょう」
「この店の主の息子なんだから、君が一般的では困る。
宜しい。君に英知の一端を披露しようではないか」
「あ……はい」
仰々しい物言いに、思わず力が入る。
「この黒いのが」
がっくりと力が抜けた。
「オリベさん、面倒な事はいつも私に押し付けるんだから……」
少女はオリベにジト目の一瞥を向ける。
「まあまあ、誰かが説明しなきゃいけない事じゃないか。
それにお前さん、こういう事は自分できっちりやらないと、気が済まないだろう?」
「それはそうですが……なんだか乗せられている感じが」
「なら、
「任せて下さい」
乗せられた少女は力強く握り拳を作った。
堅く清楚な第一印象だったのだが、どうにも間の抜けた所があるようだ。
「ええと、千尋様、でしたね?」
少女は千尋に向き直る。
「そうだけれど、様は余計だよ」
「このお店を継がれるのですから、そう呼ばせてください」
先程のオリベの言葉も同様だが、この少女の言葉にも引っかかるものがある。
オリベは判断が難しいが、この少女は確実に、自分が店を継ぐ為に来たものだと勘違いしている。
その誤解を解こうかとも思ったが、まずは二人の素性からだと思い直し、千尋は口を挟まずに耳を澄ました。
「さて……まず付喪神とは、百年を経た道具に宿る精霊のようなものです。
神と名は付いていますが、その実はそれ程大したものではないのですよ。
むしろ神様によって作られると言いますか……
本物の神様が、道具に魂を与える事で、精霊が宿るのです」
「百年で道具に宿るの? でも、それじゃあ……」
「ええ、言いたい事は分かっています。それでは精霊がたけのこみたいに次々生み出されますよね」
きびきびとした口調で、少女は説明を続ける。
「人間が道具を愛用すると、道具には強い気力が注入されます。
気力と、神様の与える霊が融合する事で、道具には付喪神が宿るのです。その気力が満ちるまでの期間の目安が、およそ百年。
なので、長年愛用される茶道具には、比較的付喪神が宿りやすいのですね」
「それじゃあ、世間一般の古い茶道具にも、付喪神が宿っているわけ?」
「いえ。余程強い気力を宿さなくては付喪神にはなりませんので、一部の茶道具のみですね。
加えて言えば、高名故に飾られたり、財として扱われる名物よりも、
日頃から用いられて、気力を浴びやすい安物の方が、付喪神と化しやすいでしょうか。
さて、ご理解頂けましたか?」
「でも、それだけで君達が付喪神だと信じろと言われてもな……」
千尋は訝しみながら二人を見る。
それの何が面白いのかオリベはニヤニヤと笑い、一方の少女は自分の説明で十分だと思っていた様で、千尋の言葉に困惑している様子だった。
おそらくは、二人の外見も、自身が抱く印象に影響を及ぼしている。
着物という出で立ちは少々珍しいが、二人の顔付き体付きは、人間そのものだ。
これが異形の生命であれば、驚愕しつつも、人ならざる者という言を信じる事ができただろう。
「特技の一つや二つ見せれば納得するだろう。ほれ」
オリベがおもむろに片手を掲げてみせた。
一体何を始めるのかとオリベを見やれば、掲げられた彼の手の前では、陶器の置物が机を飾っていた。
家を模している置物で、頂点は鋭く尖っている。
その尖りを見た瞬間に、これからオリベが取る行動が千尋の脳裏に浮かんだ。
『危ない』と声を掛ける前に、オリベの手は全力で置物に振り下ろされ……そのまま、机ごと貫通してしまった。
置物も机も全く破損していない。
衝突音も一切聞こえなかった。
だというのに、オリベの腕は間違いなく机の下にある。
すなわち……彼の腕は、物理法則を無視して『透けた』事になる。
動揺しつつ、中腰になって机や置物を調べたが、特に細工も見当たらない。
明らかに、人間のできる事ではなかった。
「!!」
「どうだね。信じたか?」
目をひん剥いた千尋とは対照的に、オリベはしたり顔だ。
「この通り、私達は見た目は人間でも、その実は精霊、付喪神よ。
実体を持って物に触れる事も出来るし、むしろ普段はそうしているがね」
「……まさか、本当に……」
「本当も本当さ。付喪神とは良いものだぞ。この力を駆使すれば、色々と面白い悪戯が……」
「オ・リ・ベさん?」
少女が、オリベを強く睨みつけた。
オリベは肩を竦めて茶目っ気たっぷりに舌を出す。
だが、二人のやり取りは、千尋の中には入ってこない。
千尋は、先程の超常現象にまだ目を瞬かせていた。
◇
「これが私。
店の奥から持ってきた白木地の木箱を開けながら、オリベがそう告げる。
中から取り出された茶碗は、青というよりも
色合いは相当くすんでいて、素人目にも古い茶碗である事が見て取れる。
「これがオリベさん……」
触って良いものか分からず、千尋は顔だけを近づけて茶碗を凝視する。
妙。
色の次に気になったのは、茶碗の妙な意匠だった。
茶碗の胴には、幾つもの丸と線で描かれた幾何学模様が描かれている。
珍しい模様だったので、オリベの着物に描かれた模様と同じであるとすぐ気が付いた。
これもまた、彼が青織部沓形茶碗の付喪神である事を示すのだろう。
更に特徴的なのは、茶碗の歪みだ。
縁から、胴から、腰から、何から何まで歪んでいて、
茶を飲む時には、どこから口をつけて良いのか皆目見当がつかない。
これ程までに歪んだ茶碗を見るのは初めてだった。
千尋が持つ茶碗のイメージは、装飾は程々に留められて古びた趣きのある、所謂『侘びた』ものだ。
だが、この青織部沓形茶碗はその真逆を行っている。
躍動感に満ちた旋律的な姿態は、千尋のイメージをばっさりと切り捨てるものだった。
オリベの軽い性格にもどこか似ている辺り、付喪神は茶道具に似るのかもしれない、とも思った。
「……妙な茶碗ですね」
直球で感想を述べる。
同時に、相手を傷つける言葉かもしれないと気が付いた千尋は、その失態に微かに眉を顰めた。
「ヒャッヒャッヒャッ! 妙と言われてしまったよ」
だが、オリベは千尋の言葉を笑い飛ばしてくれた。
やはり、なかなかに飄々とした男なのであった。
「……オリベさん、よく笑いますね」
「そうかね?」
「そうですよ。……ところで、この茶碗が織部というから、貴方もオリベさんなんですか?」
「まあ、そんな所だね。本当は別に銘があるんだがね。
ああ、銘とは、茶道具としての名前といったものだよ」
「銘の方は名乗らないんですか?」
「これでも二百年以上生きているからね。人から人へと渡り続けたが、その過程で、銘が伝わらない事があってね。
それからは、自分の銘等どうでもよくなってしまったよ。
なので、私の事は織部茶碗のオリベと呼んでくれるかね」
「なるほど。じゃあ……そっちの黒いのさんの銘は?」
「だから、黒いの呼ばわりは止めて下さいよ。私に銘はありません」
話を振られた少女は、不快感を露わにした言葉を返した。
片方の頬も、ぷくりと膨らんでいる。
「銘がない茶道具もあるんだ」
「ええ。その結果が『黒いの』です。ああ、もう、宗一郎様ったら……」
「父さんがどうかしたの?」
「十五年程前かな。この子が付喪神として目覚めた時に、宗一郎が『黒いの』呼ばわりしたんだ。
それ以来、呼ばれ方はずっと『黒いの』さ。
茶の湯にも茶道具にも造詣が深い宗一郎だ。彼が銘を付けても良かったのだが、
あいつ『それは製作者の特権だ』と頑なに拒否したものでな」
千尋の問いにはオリベが答えた。
彼は両手を胸の前で打ち鳴らすと、更に言葉を続ける。
「そうだ。この際、千尋が名を付けてみるかね?」
「いや、俺こそ銘を付けられるような知識は……」
「銘ではなく名だよ。あだ名だ。
黒いのでは呼び難いのも事実だしな」
「はあ」
煮え切らない返事と共に少女を見る。
想定外の提案だったのか、少女は黒髪を揺らしながら顔を背けかけたが、
結局は千尋に向き直り、不安げな表情を浮かべつつも小さく頷いてくれた。
「ふむ……」
千尋は腕を組む。
「………」
「黒子」
「却下です」
即答された。
「じゃあ黒美」
「却下です」
即答。
「黒「却下」」
最後まで言う事すら叶わなかった。
「……命名の程度が宗一郎様と変わらないですね」
「そう言われてもな……」
急に命名という無茶振りをされても、妙案を捻り出せるものではない。
これは腰を据えなければならないと、千尋はじっと少女を見つめて思考を巡らせる。
(女の子っぽい名前なら適当に付けられるけれども……
何か由来があるものにしてあげたいな。
とすると、やっぱりこの黒が……ふむ……)
少女全体に向けていた視線を、黒髪に収束させる。
吸い込まれてしまいそうな錯覚を受ける、艶やかな黒髪。
単に黒いのではなく、見る者を引き込むような黒。
そんな色合いを示す言葉を、千尋は一つだけ知っていた。
いつだったか、父が自宅で飾った事がある植物の種子。
「……ヌバタマ」
「はい?」
「名前だよ。ヌバタマって名前。これでどうかな」
「ヌバタマと言うと、ヒオウギの黒い種子でしたっけ?」
「ああ、知ってるんだ」
「ええ。宗一郎様が茶席で用いた事がありますから」
もしかすると、そうして使用済みとなったものが家に来たのかもしれない。
「……しかし、ヌバタマですか。濁音のせいか、なんだか粘りがありそうでパッとしませんね。
植物の名を使っている分マシな気はしますけれども……むう……」
「考え直そうか?」
「……いえ」
少女が横に首を振る。
「まだ不満はありますが、黒いのよりは良いですから。では改めまして……」
少女が、いや、ヌバタマが小さく咳払いする。
「ヌバタマです。これから宜しくお願いしますね。千尋様」
「……様は止めてくれないか?」
「では、千尋さん?」
「そんな所だな。宜しく」
ヌバタマが白く小さな手を差し出した。
その手を握ろうとして……ふと、千尋はそのやり取りに違和感を覚え、
「………」
「……? どうしました、千尋さん?」
ヌバタマが顔を覗き込んでくる。
どこからどう見ても、人間にしか見えない少女だ。
だが、違う。
今、自分が名を付けた少女は、人間ではない。
彼女は茶道具の付喪神なのだ。
今日ここへ来たのは、その茶道具や店を売る為なのだ。
宜しく?
すぐに売却してしまうというのに、自分は、何を宜しくするつもりなのだ?
良い所に売却できるよう、宜しく取り計らうとでも?
すぐに売り飛ばしてしまう茶道具を相手に、一体、何を和気藹々としているのだ?
「……君は」
オリベの一言が、千尋を逡巡から引き戻した。
「君は、この店をどうしたいのだね?」
「!!」
内心を見透かされたのだろうか。
狼狽ぶりを隠せず、千尋の表情は凍り付く。
「俺は……」
「ごめん下さいな」
千尋の言葉が遮られる。
声は、