尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

19 / 66
第七話『唐津合宿 その一』

 岡本知紗の運転するレンタカーは、車も信号も少ない山間の直進道路を走っていた。

 彼女の隣に座る千尋の髪は、開け放たれた車窓から入り込んでくる風に晒されていたが、あまりそれを気には留めなかった。

 南国の海をバケツですくい、思いっきりぶちまけたかのような濃紺の空が、窓の外には広がっている。

 風を切りつつ空だけを眺めていると、車が空を走っているような錯覚を覚えた。

 風を体で感じられる夏だからこその錯覚だ、と千尋は思う。

 見知らぬ土地の風景に旅情緒を感じるのも良いが、こうして季節を感じるのも悪い気はしなかった。

 そもそも、見知らぬ土地とは言っても、山間部が占める割合が大きい広島と、今走っている佐賀の山間の風景には、

 然程変わりがないのだから、わざわざ視線を水平に向けて注目する必要はないのだ。

 

 

 

「唐津まであと三十分って所かな。千尋、腹減ってるか?」

「まあ、それなりには」

「そっか。母さんが昼飯用意してくれているはずだから、もうちょっと我慢な」

「お昼まで申し訳ありません」

「ハハッ。私が誘ったんだから気にするなよ」

 

 岡本は前を向いたままで、にかっと歯を見せて笑う。

 なんともありがたい話だが、考えてみれば、人の家でご相伴にあずかるのは初めての事かもしれない。

 未だ見ぬ昼食への期待に胸が高鳴ったが、どうにも、それは千尋だけではなかったらしい。

 

 

 

 

「いやー、私達までお邪魔しちゃって、本当に申し訳ない!

 昼食はイカだろうかね。イカでいいか、なんちって。ヒャッヒャッヒャッ!」

「イカって唐津の名産品なんですか? 私、食べるの初めてです。

 イカ味ドーナツなんかもあったりするんでしょうか……?」

 後部座席の二人、オリベとヌバタマが頬を綻ばせて会話に加わってきた。

「ははは。流石にイカ味のドーナツはないかなあ。

 ……な、千尋。

 ヌバタマちゃんって、名前も格好も、考えてる事も変わってて可愛いな」

「そうですかね。はは、は……」

 面白そうに笑う岡本に、同じ笑顔でも千尋は苦笑しか返す事が出来ない。

 自分が名付けたのですよ、と言うわけにはいかないし、付喪神(つくもがみ)だから和服なのですよ、とも言えない。

 格好に関しては、尾道駅で待ち合わせた時の岡本の驚きようと言ったらなかった。

 この真夏に、和服姿で旅行に加わろうというのだから、事情を知らなければ無理もない話だ。

 

「あ……ラジオ、付けますね」

 少しでも話題を逸らせるようにと、カーオーディオのつまみを捻る。

 スピーカーからは、砂嵐音の後、夏の甲子園の地区予選の結果を伝える声が聞こえてきた。

 

「ほほう。沖縄はもう代表が決まったのか。

 第一回の頃に比べると甲子園も盛り上がるようになったなあ」

 今度はオリベが妙なことを口走る。

 余計な事を言わないように、との意を込めてジト目で後部座席を睨みかけたが、

 和気藹々とした二人が目に映ってしまったもので、すぐに怒る気も失せてしまった。

 

(いやはや……二人を連れて来たのは、浅はかだったかもな)

 仕方なしに、密かに内心で嘆く。

 なんとも、心労が絶えない旅行になりそうである。

 

 

 

 ――今回の件の発端は、二週間前の岡本の提案だった。

 夜咄堂(よばなしどう)にやってきた岡本が、注文したアイスティー片手に、陶芸サークルの夏合宿を提案してきたのだ。

 なんでも、陶芸をやっている岡本の両親は佐賀は唐津住まいだそうで、そこで陶芸を体験する事ができるとの事である。

 つまりは、夏合宿と言うよりも、岡本の実家に遊びに行くようなものだ。

 おそらくは、岡本からしてみれば、陶芸の話ができる後輩を得た事で、テンションが上がっての提案なのだろう。

 だが、男女二人して、片方の実家に遊びに行くのだ。

 千尋からしてみれば、妙な勘違いをされる気しかせず、気乗りがする提案ではなかった。

 

 ではどう断ったものか……そう考えた所で、話を聞きつけたオリベとヌバタマが、参加したがったのである。

 大学のサークルとは全く関係のない二人だ。

 それもまた難しいと断りかけたのだが、ふと千尋は思い留まった。

 考えてみれば、確かに他にも参加者がいれば、妙な勘違いはされずに済む。

 加えて、僅かな賃金しか与えていない二人の希望なのだから、可能ならば叶えてはあげたい。

 そうして千尋の中の天秤に釣り合いが取れた所で、岡本が諸手を上げて賛成した為に、話は決まったのであった。

 

 

 

(とはいえ……二人を長時間連れ出すのは、やっぱり拙かった。

 どこかで下手打って、正体がばれなきゃ良いんだけれども……)

 

 皆には分からぬよう、口の中で小さく嘆息をする。

 そんな憂慮とは無関係に、博多駅で借りた車は、一路陶芸の町へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第七話『唐津合宿』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あらあらー、本当に大勢で来てくれたのね。いらっしゃいー」

 唐津の町の端に位置する岡本窯。

 その庭先で出迎えてくれた岡本の母は、娘と同様に小柄で、

 しかしながら、娘とは対照的におっとりとした雰囲気を持つ女性だった。

 

「こんにちは。若月です。後ろの二人はオリベとヌバタマと言います」

 岡本の半歩後ろで、ゲストを代表して千尋が頭を下げる。

「知紗から話は聞いているわー。はじめまして。知紗の母です」

 ひとまずは歓迎してもらえているようで、胸を撫で下ろす。

 事前に不安に感じていたのは、やはりオリベとヌバタマの存在だった。

 宿泊に関する連絡は全て岡本が担ってくれたのだが、

 付喪神達については一体どのような説明をつけたのだろうか。

 ささやかな疑問を抱きつつも、今はそれよりも挨拶だと思い直し、千尋は話を続けた。

 

「それにしても、今回は大勢でお邪魔しちゃって、すみません……」

「良いのよー。普段は私とお父さんだけで静かなんだもの。賑やかで嬉しいわぁ。

 それよりも、この子がお世話になっているそうで、ありがとうね」

「いえ、お世話になっているのは俺の方です」

「ありがとうねぇ。気遣ってくれるのは嬉しいわ。

 でも、本当はうちの子の方が迷惑を掛けているはずよ。

 だって、昔からそうなんだもの」

 思わず苦笑してしまう千尋であった。

 どうにも、お見通しのようである。

 

「お母さん、あたしの話はどうでも良いから! それよりお父さんは?」

「まだ工房にいるわ。午前中には終わる予定だったけれど、調子が良いみたい」

「ん。分かった」

 その言葉を受けた岡本は、一行に目配せをして歩き出した。

 千尋らは、岡本の母に一礼をして後を付いていく。

 

 岡本の家は、五部屋程ありそうな二階建ての木造民家だった。

 家そのものは標準的な日本家屋のようだが、庭が随分と大きく作られていて、

 陶芸の原材料と思わしき名詞が書かれたポリバケツが、庭に無数に置かれているのが特徴的だった。

 敷地内には他にも、登り窯や大型の物置が見受けられる。

 岡本が向かったのは、その物置の方だった。

 

 

 

「ここ、物置兼作業部屋な。普段はお父さんがいるんだけれど……」

 物置……否、作業部屋の戸の前で立ち止まった岡本は、だんだんと声量を落とした。

 それから、物音を立てずに戸を僅かに開いて、そっと中を覗く。

 それに続くようにして千尋も中を覗くと、大柄な中年男性が背中を向けて椅子に座っていた。

 ここからではよく分からないが、おそらく何かしらの作業に勤しんでいるのだろう。

 その証拠に、岡本は戸から顔を離すと、大げさに肩を竦めてみせた。

 

「駄目だな。集中しているみたいだから、挨拶は後にしよう」

「ふむ。一介の茶人として、是非とも陶芸家には挨拶しておきたかったが、作業中とあらば仕方あるまい」

 オリベの言葉に、千尋とヌバタマも同意して頷く。

 オリベは更に、思い出したように言葉を続けた。

「……ところで、合宿とは何をする予定だったのかね。やはり、陶芸を?」

「うん、その予定。一泊二日で焼成までってのは無理だけど、せめて轆轤(ろくろ)くらいはね。

 ただ、今はお父さんが使っているから無理だね」

「それならば、終わるまで待つとしようか」

「そうは言っても、調子が良いと夜まで作業する事が多いからなあ。……そうだ」

 岡本は軽く手を叩いた。

 

「ただ待ってるのもなんだし、昼を食べ終わったら、夕方まで市内観光でもしようか」

「わあ、行ってみたいです!」

 ヌバタマが目を輝かせて大きく頷く。

 千尋も、着いた早々に陶芸というつもりもなく、異論はない。

「よかよか。唐津は面白か所が多かよー。そうやねえ……」

 岡本がわざとらしく方言を使いながら、指を折って数を数えた。

 

「まずは唐津城。寺沢広高って戦国武将が建てた城だな。

 それから絶景の松林がある虹の松原。唐津バーガー食いながら周っても良いなあ。

 後は公開されている窯元を巡っても良いし、市内を単にぶらついても良い。

 あ、そうそう。文禄・慶長の役で建てられた、名護屋城の跡地もあるぞ。

 ざっとこんな所だが……千尋。どこにする?」

「俺が決めて良いんですか?」

「あたしはいつでも来れるしな。どこでも良いぞー」

「ふむ……」

 肩に掛けたバッグを担ぎ直し、少し考え込む。

 窯元は、帰って来てから見れるのだから、無理に行かなくても良いと思う。

 市内を歩いたり、景色を見に行くのも悪くはなかったが、どうせなら何か学べる所が良かった。

 そうなると残る選択肢は二つ。唐津城か名護屋城跡地だ。

 どちらでも良かったのだが、後に聞かされた分、名前が頭に残っていた名護屋城跡地を選んだ。

 

 

 

「それじゃあ、名護屋城跡で」

「よし。決まり! それじゃ、昼食ったら早速出かけるか」

「岡本さん、今日運転してばかりですけれど、大丈夫なんですか?」

「飯食えばどうって事ないって。ほら、家の中入ろう。

 昼はオリベさん大正解! イカ刺らしいぞ」

 岡本はそう言って、景気よく三人の肩を叩いて家の中へと入って行った。

 残された三人は顔を見合わせ合ったが、やがて、誰からともなく笑いだし、岡本の後を追ってイカ刺へと向かったのであった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。